自分が喜ぶ太極拳:生徒さんの感想から

2016.01.15 Friday


先日、教室に参加してくださった友人が、
「わたしのからだが喜んでいる〜」と、うれしそうな顔で、感想を伝えてくれました。

仲の良い友人なのだけど、太極拳は「おじさんとおばさんがやるもの」だと興味なく、
「みんみん(わたしのことです)は、なんであんなにやるんだろう」と思っていたそうなのです。

(笑)。ストレートな感想です。

参加してくれたときには、環境が変わり、知っている限りのリラックスできるような方法は
すべて試したけど、まだ抜けなくて、肩の力を抜いてゆるっとしたかったそうなのです。

「みんみんの太極拳は、呼吸法からしっかり入り、身体の一つ一つに意識を向けて、丁寧に進んでいきます。
見よう見まねでやりながら、呼吸を繰り返し、身体やエネルギーを感じていたら、
ぐわっと涙が溢れそうになって。
自分自身に意識を向けて、丁寧に扱うことで、私自身が喜んだ、というか。」

と、後で感想を書いてくれました。

わたしも、じん、としました。
これは本当に大切なことだと思うのです。

自分の心と身体は、あることがあまりに普通すぎて、気づかずに存在を忘れてしまうこともあります。
外のことばかりに目を向けて、外で起きることや、他の人ばかり大切にしたり、などです。
忘れられていると、心と体が”不調”という形で必死に訴えかけてきたりします。
そこで気づけばよいのですが、それも無視してもっとひどくなることもあります。

昔は、わたしも仕事が忙しいと、よくじんましんを出していました。
当時は「肌が弱いから、ああ、また出ちゃった」程度の受け止め方で、
体が訴えてくる声に、あまり真剣に耳を傾けていなかったと思うのです。
それがもっとひどい症状で出たときに初めて、自分の体に真剣に謝ったのです。
「ごめんね。これからはわたしがあなた(わたし)を守るから。」

これはわたしの大きな転換期のひとつになりました。

今でも、自分と丁寧に向きあうことを忘れることもあります。
そのたびに、また道に戻る、を繰り返します。
戻るためには、どこに戻るのか、戻っていくところを知っていることも大切です。

「自分の体が喜んでいる」という感覚は、そのひとつだと思います。

呼吸や動きなど、戻りやすくする方法を知っていることも、助けになります。
そのプロセスを人と一緒に体験することも、助けになります。
「穏やかな時の流れの中、一人ひとりが美しく真剣に体を動かしていく雰囲気が
なんとも言えなく好き」とおっしゃってくださった生徒さんもいらっしゃいます。

教室を初めて、良かったなぁと、思います。

これからも、自分の心と体が喜ぶような、うれしくて落ち着くところに
戻れるような時間を作っていきたいです。
そこから、それぞれみんなの大切な何かが育っていくと思うのです。
あなたも、わたしも、みんな、ね。

 

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    ”吐く”と”吸う”の間

    2016.01.09 Saturday


    (武当太極拳の最初と最後、ご挨拶の手の形。道士(道教の修業僧)がするものでもあり、
    両手で太極図を作っています。武器を持っていませんと伝える意味もあるそうです)。

    赤ちゃんが生まれてきたときに一番最初にすることは、産声をあげて、
    自分の力で呼吸をすることです。

    それから命をまっとうするまで、ずっと続きます。

    呼吸することはあまりにも当然で、無意識になりがちですが、
    何かに夢中になりすぎると呼吸を止めていたり、
    緊張すると呼吸が浅く、リズムが早くなったりと、
    そのときのいろいろな状態が反映されます。
    逆に言えば、呼吸に意識を向けることで、自分の状態を把握しやすくなります。

    太極拳は呼吸で動きをリードする、という話を、前に書きました。
    動きに呼吸を合わせるのではなく、呼吸を合図に動いていく、というものです。
    太極拳の動きが自然でなめらかなのは、ここからも来ていると思います。

    今回は、”吸う”と”吐く”の間(ま)に注目したいと思います。

    ”吐く”と”吸う”に移り変わるときに意識を向けてみると、なめらかに移っていくのがわかります。
    どこかでパキッと変わるのではなく、なだらかな曲線を描いて、少しずつ変わっていきます。
    上手く言葉で表現しにくいのですが、すごく繊細な動作が起きていると感じます。

    ちょうどこれは、太極図の陰(黒)と陽(白)と同じです。
    この図は常に動いていて、陰が大きくなると、大きくなりすぎる前に陽が強くなり、
    陽が大きくなりすぎる前に陰が強くなります。それが止まることなく、繰り返されます。


    (太極図)

    太極図は2匹の魚とも言われていて、黒の魚には白の目があり、白の魚には黒の目があります。
    陰の中には陽があり、陽の中には陰があります。

    呼吸も同じように感じます。
    吐いているときも、”吸う”という要素がどこかにあって、だからなめらかに移り変わることができる
    ような気がするのです。

    太極拳の動きは、止まることはありません。
    一呼吸おいて外から見ると止まっているように見える部分もありますが、
    自分の体の中では動き続けています。

    この套路(型)が移り変わるときを、呼吸が移り変わっていくときのように
    扱ってみると、感覚が変わってきますし、動きも変わってくると思います。
    どっちとも言えない微妙な間(ま)によって、感覚も動きも繊細になるような
    気がするのです。

    古琴を弾くときでも、音と音の間を大切にする、と教わりました。
    弾いていないときのスペースをちゃんと感じることです。
    呼吸と、太極拳と、同じですね。

    丁寧に生きることを大事にしたい、と思っていますが、
    この呼吸の移り変わる間を丁寧に感じていくことも、それにつながっていく
    ような気がします。

    なによりも、わたしはこの間を丁寧に感じることで、すごく落ち着くのですよ。
    ふわっと、柔かい気持ちになります。

    良かったら、試してみてくださいね。



     

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      あこがれの、六十四式武当太極拳 

      2016.01.06 Wednesday


      (田理師父、武当玄武派第十五代継承人。六十四式武当太極拳
       の、亮翅=白い鶴が両方の翼を広げているところ)

      わたしが六十四式武当太極拳をはじめて見たのは、2011年の春、
      武当山でお稽古していたときです。

      そのときの先生は、田理師父(武当玄武派第十五代継承人)、
      今の先生(明月師父、武当玄武派第十六代継承人)の先生です。

      お稽古の時間にお客さまがいらして、田師父が太極拳を披露する場面に
      遭遇しました。

      そのときの印象は。。。

      この人は誰なのかしら?

      です。

      それまで、1か月以上、直接教えていただいていたので、それなりに
      ”知っている”つもりでした。でもそこで見た姿は、全然知らない人でした。

      初めて会う人でも、それなりに第一印象はあります。
      でもこのときは、「どんな人なのか全然わからない」だったのです。
      衝撃的でした。

      それまで、太極拳には個性が出ると思っていました。
      でもこの師父の演武を見たときに、個性を超えたものがあることを知りました。

      上手く言葉にできないのですが、もっと透明な感じです。
      もちろん、しっかりと存在しています。地に足もついています。
      現実の色が透明とか、透けているわけではないのです。

      個性がないということは、とがって目立つところもありません。
      隙もありません。

      その空間は穏やかで、ゆっくりと時間が流れているのです。

      ”その道を一心に進んできている人”は、こうなんだ、と感じました。

      そして”知っている”と思っても、実は何も知らないのだ、ということも経験しました。

      このときに見たのが、六十四式武当太極拳の最初の部分です。
      套路(型)が64です。慣れた人で10分、長いと20分ほどかかります。
      ちょうどフランス人の生徒さんたちが習っていたのですが、毎年1か月くらい習いに来る
      生徒さん達が、1年ごしで習っていました(前年半分、当年残り半分)。
      その頃のわたしにとっては、気が遠くなるような長さでした。

      でも、そのときからこれは、憧れの太極拳になりました。
      「いつか、これを習いたいな」と。

      それから1年後、習い始める機会があり、1年半をかけて最後までひと通り覚えました。
      最初は東京で習い始め、武当山でも今の先生である明月師父に最初から最後まで教えていただきました。
      その後も中国にお稽古に行ったときに、ちょっとずつ「次の段階ね」と教えていただきながら
      2年が過ぎたころ、自分でも生徒さんにも教え始めました。

      今、これをお稽古している生徒さんの中には、わたしのこの太極拳を見てくださったときに、
      「とても素敵。いつかこれが習えるように、わたしも頑張って練習しようと思いました。」と
      おっしゃってくださった方もいます。
      「いつか、これを習いたい」と思ったあのときのわたしと、同じです。

      わたしもこの生徒さんも、”いつか”は、すでに現実になっています。

      そしてわたしの場合、「いつかこれがやりたいな、こうなりたいな」が続いて、今に至っています。
      田師父も、明月師父も含めて、それを見せてくださる方がたくさんいらっしゃるおかげです。

      あこがれだった太極拳は、自分の立ち位置は変わりましたが、今でもあこがれです。
      まだまで、自分のお稽古は一生続きますが、
      それでもこんな風に伝承していけること、広げていけることは、すごくうれしいです。

      いろいろ不安なこともある今の世の中ですが、
      穏やかで平和な世界が広がっていくことを願って、
      わたしもこの道を歩いていこうと思っています。

      (初心者でも気が遠くならずに習えるよう、六十四式武当太極拳の最初の部分を
      まとめたオリジナルの「はじめての武当太極拳」の画像は、こちら)























      (2015年の秋、武当山。お友達と亮翅友のポーズで記念写真
       

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        よい年でした

        2015.12.31 Thursday



        今年は、よい年でした。

        2015年をひとことで言うと?と聞かれたときに出てきたのが、この言葉です。
        今年は、頑張りました。

        頑張ることを良しとしないわたしですが、それは嫌なのに無理したり、
        誰かとの競争に勝つためにやる場合のことです。
        (重症の場合は、自分が嫌なのにやっていることすらも気づきません。
        昔のわたしは、そうでした)。

        素直な心で努力をすること、頑張ることは、やはり大事なことだと思います。

        さて、何を頑張ったかというと、体と心のふたつです。
        ”体と心が目覚める太極拳”というタイトルをつけたのは、太極拳を通じて、
        体と心が目覚めていく人を増やしたいからなのですが、
        わたし自身も現在進行形なのです。

        今年たてた目標は、
        ・ちゃんと立って、歩けるようになりたい。
        ・日々を穏やかに過ごしたい。
        でした。

        今年は本当に、丁寧に、ゆっくり、たくさん歩く練習をしました。
        「歩く」ことはあまりに日常的で、習慣で無意識に歩いています。
        それをこまかく、どこを動かしているか、無駄な緊張をなくして、というように、
        一つひとつ意識しながら歩き続けました。

        体のことで言うと、足は1〜1.5センチ大きくなり、立派に成長しましたし、
        体の左右のバランスもずっと均等になりました。
        筋トレはしていませんが、柔かい筋肉がしっかりついています。
        体の軸も、ミリ単位に細くなり、動いてもぶれにくい体になりました。
        (足の成長については、「足のサイズが1cm以上大きくなりました」)

        左右バランスについては、実はすごくコンプレックスがあったのです。
        子どもの頃からの側弯症関係で、左右の肩の高さは差がありましたし、
        ウェストのくびれは、右はあるけど左はない、という状態でした。
        太極拳を始めて、日々ストレッチをすることで、ひきつるような痛みは少なく
        なりましたが、それでもまだかなり、差があったのです。
        それが、驚くほど整ってきました。

        「背中は他者との関係性なの。心がまっすぐになれば、背中もまっすぐになるから」。

        わたしが言われたこの言葉を、信じる、信じない、は人それぞれだと思います。
        ただわたしの場合は、体のバランスが整ってくることと、心のバランスが整ってくることは、
        お互いに関係していて、片方が進むともう片方を助け、ちょっとずつ階段を上がっていった
        ような気がします。

        少し前、昨年あたりは、自分を表現していく、ということを目指していたのですが、
        今年はちょっと違いました。よりエゴを消していくというか、自分が透明な存在になって、
        入ってくるものを感じる、というような感じでした。

        立って歩く練習は、その変化をすごく感じる機会になりました。
        最初は自分だけの力で立っていたのですが、
        だんだん、地と天からの力に助けてもらって立つようになりました。
        今になってみると、ひとりでやろうとしていたこと、できると思っていたことが、
        ちょっとばかばかしくて、笑えます。

        力を借りても、透明なわたしでも、わたしがいなくなるわけではありません。
        以前は、エゴが消えると自分がいなくなるような気がして、怖かったのだと思うのです。

        恐かったことは、ほかにもあります。
        自分でも自覚が薄かったのですが、他人を敵のように感じていたところもあります。
        だから競争も起きますし、起きたことを他人のせいにしたこともありました。
        でも敵という妄想を作っているのは自分だ、と腑に落ちたら、当然のごとく、
        敵はいなくなりました。最初からいないのですものね(笑)。

        2年前くらいに、そのときに思っていることを正直に言う場面で、
        「わたしは愛しているとみんなに伝えるために、生まれてきた」と言ったことがあります。
        母のおなかの中は満喫したから、早く生まれたかったのか、予定日よりも早く生まれました。
        生まれてきたことがうれしくて、という記憶がどこかにあります。

        思春期、そして大人になるにつれて、勝手に敵を妄想で作り上げて、みんなを愛しているという
        思いにも蓋をしていたような気がします。

        いろんな段階を経て、起きていることの原因は自分にあると、素直に思うようになりました。
        そして、目の前に現れる気になることは、自分の心を映す鏡であることにも気づきました。

        だからと言って、嫌だと思うことがないわけではありません。
        あるのですよ。
        以前は「嫌だと思っちゃいけない」と思っていたよぅな気がするのです。無理をかけていまいました。
        今は、嫌なことは嫌だとちゃんと認めるようにしています。そうすると、すんなりそこを通り抜ける
        ことができたりするのです。

        穏やかで平和な人がいると、10万人が救われる、と聞いたことがあります。
        120歳まで生きる予定なので、まだ人生、折り返していません。
        まだまだなところばかりです。穏やかさを目指して、
        これからも初心で、まっすぐ努力していこうと思います。

        そして、生徒さんをはじめとして、穏やかな人をひとりでも多く育てる助けを
        しようと思っています。体と心が目覚めていくことは、愛を広げていくことだと思います。

        今年も大変お世話になりました。
        年越しのとき、そして来年が、誰にとっても穏やかで平和なものでありますように。


         

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          自分も見る人も心地よいのが、よい太極拳

          2015.12.29 Tuesday














          (武当太極剣)

          公園でお稽古するのが好きです。

          年末のお稽古納めはしましたが、わたし自身のお稽古はまだまだおさまらず、
          今日も公園で練習しました。

          久しぶりに武当太極剣をお稽古していたら。。。

          「それは何ですか?すごくきれいで、かっこいいわ」と、声をかけてくださる方が。
          初老のご婦人です。顔がキラキラしています。

          さらに「中国人ですか?」と。
          「いえいえ、日本人です。」とお答えすると、「えーっ」となぜか、びっくり。

          10名くらいのグループで歩いていらして、「みんなで中国人かしらねと話していたの。
          じゃあ、わたしが聞いてくる!って(笑)」とおっしゃいます。
          「邪魔してごめんなさいね。」

          いえいえ、邪魔ではありません。とてもうれしいです。
          公園でお稽古していると、時々こんなふうに、声をかけてくださる方がいらっしゃいます。

          みなさん、邪魔してごめんなさいとおっしゃるのですが、わたしはこの、邪魔だと思いながら
          声をかけてくるというみなさんの行動が、好きだったりします。
          知らない人という垣根を、瞬時に軽々と飛び越えてくる感じがするのです。
          太極拳が、その垣根を超えるになっていると思うと、これをやっていてよかったなあ、と
          しみじみ思います。

          ほとんどの場合、その場でちょっと立ち話してお別れです。
          またお会いするかどうか、わかりません。一期一会です。
          そんな、このちょっとの触れ合いが、たまらなく好きです。

          わたしの先生が、「自分も心地よく、見る人も心地よいのが、良い太極拳」とおっしゃっていた
          ことがあります。

          普段のお稽古では、誰かに見せるものでもなく、ひたすら自分の練習に集中しています。
          それでも通りかかった方々が見て声をかけてくださるのは、何かが伝わっているのだと思います。
          うれしそうな表情を見せていただくと、わたしもうれしくなるのです。

          こんなこともあるから、公園でのお稽古は楽しいのです。

          公園とは、すごく自由なところだと思います。
          ジョギングする人、運動する人、犬の散歩をする人、寝ている人、遊ぶ人、
          この前は、チェロを練習している人もいらっしゃいました。
          思い思いに好きなことを楽しんでいます。

          中国でも同じです。
          朝でも夜でも、公園は社交場です。
          朝は、太極拳をする人、バドミントンをする人、なぜか後ろ歩きをする人、などなど。
          夜は、音楽をかけてみんなで同じ振付で踊っていたり。
          みんなが公園に集まって、好きなように楽しんで帰っていきます。

          国は違っても、この自由な感じは同じだなぁ、と感じます。

          人のつながりが希薄になっているという声もありますが、
          今日のような体験をしていると、そんなことないと思います。

          これからも、公園でどんな交流が生まれるのかしらね。
          うれしい時間を、ありがとうございます。


          (「みんみんの青空太極拳教室」の会場(?)、代々木公園)
           

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