「好き」に、理由なんていらない

2018.04.10 Tuesday

(武当山で、形意八卦掌のお稽古)

 

武当拳の先生は中国にいらっしゃるので、年に1〜2回、武当山に習いに行って、ふだんは自分でお稽古します。でも今年に入った頃から、八卦掌(はっけしょう)をもっと習いたいな、と思うようになりました。

 

武当拳にも八卦掌があり、2年前から習っているのですが、歩法に、すごく苦手意識があるのです。

 

八卦掌の歩法は、太極拳とは異なります。一直線上を、足裏を水平に、地面すれすれ、でも触れずに、足を移動させて歩きます。スルスル進む足は地面に吸い付くようで、忍者のようだと思います(忍者を見たことはありませんが。)

 

動きは早く、すばやく方向転換したり、くるくると回ったり、舞踏のようだと言われます。美しいのです。

 

最初に八卦掌を習ったとき、兄弟子が「歩法は、焦らず長く練習していくんだよ」と教えてくれました。そう、時間がかかるのです。苦手意識があるのは、単に練習が足りていないだけです。

 

さて、ある日、ご縁あって、とある先生のところに体験に行きました。

 

直線歩き、方向転換、円を描いて歩くことを教えていただき、ひたすら歩きます。

 

これが、楽しいのですよ。腰を落とした姿勢のためか、しばらくすると汗がじんわり、噴き出してきます。それも気持ち良いのです。

 

すごく大切なものを、思い出した感じがします。

 

この歩く練習、つまり足を育てるには、まじめに取り組んで3年と言われます。功夫(カンフー)では、よくある普通のペースですが、一般には気が遠くなる時間かもしれません。

 

これをやって何になるか?なんて、わかりません。そもそも、「できるようになったら〇〇をしよう」とか、考えていません。

 

こういうとき、自分が”あほ”のようにも思えます。でも、”あほ”かもしれないけれど、こういうときは、とっても幸せなのです。

 

わたしがカンフーが好きなのは、頭でっかちだったわたしの固定概念を、打ち破ってくれる経験をさせてくれるからかもしれません。

 

「これをしたら、こうなる。想定されるリスクはこうで......」とか、「これをやったら、きっとみんなにウケる」とか、頭で想定しながら行動することが普通になっていたとき、なんだかおかしい、と思うようになりました。楽しい、と思えていないのです。

 

「考えるのをやめよう」と、その方法として選んだのは、とにかく体を動かすこと、カンフーの練習をすることでした。悩むことがあっても、考える前に動くと決めて、練習していた時期があります。

 

結果、「やっぱり頭は使うのね」に至りましたが、順番は「体験してから考える」と変りました。前は、体験する前に考える、だったのです。

 

先に考えると、その想定以外のことを、自ら排除してしまうことも、あるかもしれません。その生き方がダメなわけではありませんが、わたしには楽しくなかったのです。そして、想定通りにいかない場合、そしてそもそもの想定がひとりよがりなときもあって、結果に苦しむこともあったわけです。

 

たぶん、世界はもっと柔軟なのです。過去、現在、未来は、直線状にあるわけではなく、もっと複合的で、突然、上のルートに移ることも、あるのだと思います。

 

ひたすら歩いて、どこに行くかなんてわからない方が、楽しいですよね。

 

 

【特別クラスのお知らせ】

4月14日(土)18:30-20:30は「太極扇を体験しよう(第5回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

4月15日(日)14:00-16:30は、新講座「みんなが知らない太極拳のひみつ(1)天地とつながる立ち方」です。詳細とご応募方法はこちらから。

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、キリリとした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

........................

いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 


ところ変われば、認識も変わる

2018.04.06 Friday

(中国、武当山)

 

20代でイギリスにいたとき、タンザニアから来たお友達がいました。とっても良い子で、仲良しだったのですけれども......

 

”ぐうたら”なのです。

 

とても優秀な女性で、大学院ではコンサベーション(conservation studies)を専攻し、20代ながら国連の仕事も請け負っていました。コンサベーションとは、例でいうと、京都のように歴史ある町のポストは、景観を損ねないようなデザインにすることがありますよね。古いものを保全するだけではなく、場合によっては新しいものに変えて馴染むようにする、みたいな感じだと思います。

 

もちろん、勉強や仕事を怠けるわけではないのです。むしろ、勉強にかけては人一倍やってきたはずです。でもなんというか、普段の生活で、友達づきあいの中で、”ゆるさ”がたくさんあるわけです。

 

さて、その愛すべき”ぐうたら”な彼女について、別の友人に「あの子はいい子だけど、”ぐうたら(lazy)”だよね」と言ったところ.....

 

「それは違うぞ。彼女の国は豊かだ。手を伸ばせば、果物がある。海にいけば魚がたくさん。一方、きみの国、日本は貧しいから、働かないと暮らせない。あの国にいる限り、彼女はマメになる必要はない。だから彼女は”ぐうたら”ではないよ。」

 

がーん......そうか、そうなのか。よくぞ言ってくださいました。

 

ついつい自分の感覚を基準にして、人を”判断”してしまったり、そんな感想を持ったりすること、あります。人はそれぞれ違うわけですから、日本国内でも同じことはあるわけですが、海外の場合、経験が少ないために、気づきやすいかもしれません。衝撃的なことが、多いですしね。

 

この10年は中国に行く機会が多いため、日本と中国の違いも、よく感じます。

 

よく言われている「中国人は列に並ばない」は、わたしの体験では、”事実としては”その通りだと思います。バスが来ると、われ先に!と、入口に人々が押し寄せたりします。ぼーっとしていたら、乗れません。

 

でもこれ、他の人より先に乗りたい!というのではなく、「とにかく自分がこれに乗りたい!」を、素直に行動で表現しているだけのような気がするのです。

 

違い、わかりますか?他人を押しのけて乗ろうとしているのではない、という気がするのです。

 

乗りたかったら積極的になるしかないので、わたしもダーッと行きますが、そのときに、誰かに押しのけられたりした経験は、ないのです。どっち先?みたいな場面では、「どうぞ」と譲ってくださることもあります。

 

数少ないわたしの経験だけなので、これが一般的なのかどうかは、わかりません。ただ、日本に比べて社会保障などもなく、自分のことは自分でしなければいけないベースがある国だと考えると、やりたいことがあれば、どんどん行動するのは、当然のような気もします。

 

すべてが”並ばない”わけではないのです。わたしはこれまで3つのカンフー学校に通ったことがあり、どこも子供へのしつけは厳しかったです。わたしのように、短期で来る大人の生徒がいる場合、食事のときには「お先にどうぞ」と案内されます。新しい子が、ごはんに突進しようとすると、他の子供が注意します。

 

自分で経験して、はじめて「あれっ?」と思うこと、たくさんあります。

 

逆に言えば、経験がなければ、わからなくても仕方ないかもしれません。でもせめて、”全部を知っているわけではない”ことだけは、忘れずにいたいと思います。

 

そうすれば、わからないときも、わかってもらえないときも、悩んだりイライラしたりしなくてすむかもしれませんものね。

 

”ひとそれぞれ”を理解するのは、一生続きます。衝撃的で、時には失礼なことをしてしまいますが、楽しいことでもありますけどね。

 

 

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(武当山でのお稽古中、気づいたら子猫たちがこちらを見ていました)

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、キリリとした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いっぱい、いっぱい

2018.03.31 Saturday

(Photo by Xie Okajima)

 

「もういっぱい、いっぱい!」と言うこと、ありますか?

 

予定や仕事が詰まりすぎて、これ以上は入らないときなどに、使いそうですよね。居心地は、あまりよさそうではありません。

 

”いっぱい、いっぱいな人”を見たとき、「近づくのは、やめておこう」と思うこともあるでしょう。とばっちりは、受けたくありませんものね。

 

上記の例だと気づきやすいですが、わかりにくい”いっぱい、いっぱい”もある気がします。一生懸命に何かを追及して、ある意味では専門家になってきた場合や、その結果「これだ!」というものにたどり着いたとき、そうなる可能性があるような気がします。

 

今日の話は「みんみんの陽だまり時間:老子のことば」のクラスで、老子の「道徳経」第4章を読んでいたときに出てきた話です。です。ご参考まで、第4章をご紹介しておきますね。最初は飛ばして、現代語訳だけ読んでも大丈夫です。

 

【原文】 

, 而用之或不盈。, 似万物之宗解其紛, 和其光, 同其, 湛兮, 似或存。吾不知誰之子, 象帝之先。

 

【書下し分】

道は沖(ちゅう)にして之を用うるに或いは盈(み)たす。淵(えん)として万物の宗(そう)に似たり。其の紛(ふん)を解き、その光を和らげ、其の塵(ちり)に同ず。湛(たん)として或いは存するに似たり。吾れ、其の誰の子なるかを知らず、帝(てい)の先(せん)に象(に)たり。

 

【現代語訳】

道は空っぽの容器のようであり、その働きは無限で、いっぱいになってしまうことはない。淵のように深く、万物の大本のようだ。知恵によっておこる争いを解き(煩わしさを解き)、知恵の光を和らげ、俗世(世の中の人)に同化する。道は満々たる水のように深く静かだ。なにか存在しているようにも見える。わたしはそれが、誰の子であるのか知らない。天帝の祖先のようである。

 

 

「道」は、老子が大切にしたもの、理想として描いているものの象徴と捉えていただけば、いいかもしれません。

(過去の参考記事:「老子のことば:道(タオ)」は、こちらから)

 

終わりのほうに、「知恵によっておこる争いを解き、知恵の光を和らげ、俗世に同化する」とあります。これを読んだ生徒さんが、「自分の知恵でいっぱいになってしまったら、他の人が違う考えを言ったときに受け入れるゆとりがなく、『それは違う』となってしまう、とも読めますね」と言っていました。

 

これが、わかりにくい(かもしれない)”いっぱい、いっぱい”の例です。

 

学んで知恵をつけて、活用することは、望まれることだと思います。自分だけではなく、みんなの役にも立ちます。でも「自分が正しい!」となると、それは容器を一杯にすることと同じで、他を受け容れるゆとりはなくなります。

 

知恵が光りすぎると、まぶしすぎて、実際には何も見えません。鋭い光は、刃物のように人を傷つけることもあります。

 

一生懸命な人ほど、こうなりがちですよね。わたしは20代の頃、会社で仕事しているときに「なんであれでいいのか、わからない」と納得できなくて、こっそり大泣きしたことがあります(こっそり、のつもりでも、目が真っ赤に腫れるので、周りにバレていました。)

 

若気の至り、とか、猪突猛進、とかも、似たような感じです。(わたしはその頃、親しい友人に「猪突猛進、ときどきまゆみ」と、からかわれていました。)

 

器が小さく、すぐに一杯になってしまうのです。生きている世界が、狭かったな、と思います。ただし、自分が狭く見ていただけで、実際には、深く、決して一杯になることはないのに、です。

 

だいぶ年齢を重ねて「知っていることなど、ほとんどない。知っていると思っても、実はわかっていない」という体験を、ガーン、ガーン、と失敗を伴いながら重ねてくると、「あれも、それも、これも、ありだよね」と思えるようにも、なってきます。

 

年齢が熟してくると、円熟という言葉どおり、人間もまるくなります(なる場合もあります)。この角がない、鋭いものがない感じは、老子が言っている”光を和らげる”ことに重なります。

 

でも一方で、年齢が熟すと、体も硬く縮こまってきて、頑なになる場合もあります。コチコチに硬い容器は広げることができず、これもまた一杯になってしまいそうです。経験があるだけに、「なっとらん!」「そんなの変だ」とかなること、ありそうですよね。

 

老いも若きも、困ったものです。

 

一方、知恵の光は、ぼんやりとした灯りであれば、みんなに居心地良く見てもらえます。行燈のような、もしくは、縁側に座って窓越しに柔かい光が射しこんでくるときのような、イメージです。人が寄ってきそうでもありますね。鋭くないものは、人を傷つけることもありません。「能ある鷹は爪を隠す」も、似たような表現かもしれませんね。

 

太極拳も、「柔」の丸い運動を基本としているために、鋭さはありません。武術としての派手さのような、光もなく、どちらかと言えば、地味です。でもこれは、相手と対立することのない柔らかい方法で、相手主導の攻撃を、自分主導の防御へと転換するものです。さらに攻防の技術を超えて、生活や人生のすべげのおいても、自分が中心となれる方法でもあります。(参考:「老子と太極拳」清水豊著 BNP出版)

 

ここで言う”中心”とは、人に振り回されない生き方、と言い換えられます。人を振り回すことも、しません。太極拳のよさは、このことを体で実感できることです。それは、どうやっても、わたしには、ここで言葉で伝える能力はありません。

 

言葉で言い尽くせないものは、奥深いのですよ。

 

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(武当山でのお稽古。真ん中、左よりにいる薄紫が、わたし。背景と馴染んで、主張しすぎない感じが、好きです。)

 

 

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夢はかなう

2018.03.30 Friday

修士を修了して「働こう」と思ったとき、最初に目指した職業は新聞記者でした。

 

その仕事をしていた友人の影響も、大きかったと思います。

 

当時は年に2回チャンスがあり、2年にわたって合計3回、受験しました。結果、夢はかないませんでした。

 

準備は大変でした。わたしの専攻は英文学で、実学ではなく、大学のときの先生のことばを借りれば「役に立たない学問」です。筆記試験の問題も、さっぱりわかりません。準備期間もなかった1回目は、筆記で落ちました。

 

「高校の政治・経済の教科書をしっかりやるといいよ」と、経済学部出身の友人に教わり、コツコツと読んで、疑問点を集めては、まとめて友人に解説してもらいました。

 

「新聞は、毎日、端から端まで読むんだよ」というアドバイスから、朝刊と夕刊をじっくり、赤線を引いたり、切抜きしたりしながら読みました。

 

朝刊って、ボリュームあるのですよ。本当に全部読むと3時間くらいかかります。さらに、例えば大きな自然災害が起きると、過去の自然災害が出題されたりするため、関係事項を調べる作業もやりました。

 

筆記試験は、選択式のほかに小論文もあり、その場で与えられた題目について、制限時間内に1,000字で書きます。これもたくさん書いて練習しました。

 

今、思い返すと、本当にこれだけやったのだろうかと、自分でも思ってしまいます。(過ぎたことは、わりと忘れてしまうのです。)

 

それなりにすれば、それなりの成果が出るのか、2年目の筆記試験は2回とも通りました。でも最初の面接は、筆記が通ったことで舞い上がってしまい、ボロボロでした。2回目はきちんと話せたのですが、通りませんでした。

 

新聞記者の友人は、あとからその面接のやりとりを聞いて、「それは、良い面接だったね。だからこそ、また受けても厳しいかも。」と言ってくれました。

 

自分でも、なんとなく感じたのです。「この会社が求めているのは、わたしのようなタイプではないんだろうな。」と。夢をかなえるためでも、違う人になることはできません。

 

目標を失って、しばらく落ち込みました。でも、よかったことも、たくさんあります。

 

ひとつは「自分のことばで書く」練習ができたことです。小論文の題材は時事問題が多く、しっかり理解していないと、自分がどう思うかなんて書けません。ニュースで聞いていると、なんとなく知っている気分になりますが、実際に書いてみようとすると、全然書けないのです。「きちんと理解してから書く」大切さを、学びました。

 

書き方についての発見もあります。友人の記者の記事を読んだとき、「いつも言っている事より、ずいぶんマイルドな書き方」だと感じて、質問したことがあります。「なんで思っていることをそのまま書かないの?」と。返事は「事実をそのまま書くの。それをどう感じるかは読者に任せることだから。」伝えたいのは、自分の思いではなく、「こういうことが起きている」ことだとすれば当然ですが、当時のわたしには新鮮な驚きでした。

 

当時持っていた、”学部コンプレックス”もなくなりました。英文学を好きで専攻したにも関わらず、「これは社会で役立つ実学ではない」ことに、コンプレックスを感じていました。冒頭であげた大学の先生は、「役に立たない学問を学ぶ意味を考えなさい」とおっしゃったのですが、当時のわたしは学ぶ意味を考えるには至らず、「役に立たない」部分だけにとらわれていました。(役に立たないものを学ぶ意味については、別の機会に書きますね。)

 

それでも高校の政治・経済の教科書をベースに、「あれがこうなると、これがこうなる」という仕組みを自分の頭で理解できるようになってくると、「なんとかなるのだ」とわかってきました。(「世の中知らないことだらけだ」と知っている今から思うと、どうでもいいコンプレックスですけれどもね。)

 

面接での体験からは、「望んでも、合わない場所もあるのだ」と、知りました。想いは引きずりましたが、「あきらめよう」という決心は、しっかりつきました。

 

さて、本題の「夢はかなう」に戻ります。

 

新聞記者にはなれませんでしたが、こうやってブログやSNSで”書く”ことができていると思うと、違う形で、夢はかなっていると思えます。あの頃は、素人がメディアに書く時代がくるなんて、思ってもみませんでした。

 

”夢はかなう。ずっと後にでも、そのときの自分が思ってもみない形で。”

 

よかったことがあるから、かなわなくても十分なのですが、それでもかなうと、うれしいですね。

 

 

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「できない」と、声に出せたら、動き出すこともある

2018.03.30 Friday

 

数年前、あるイベントに、ボランティアスタッフとして参加していました。

 

200人とか300人とか、そのくらいの参加者を予定している大きなイベントでした。

 

さまざまな準備はもちろん、必要な人に届けるために、声をかけていくことも大事な役割です。準備ミーティングでは、「『この人、来たらいいんじゃないかな』と思う人がいたら、どんどん声をかけて巻き込んでいきましょう!」という話がされていました。

 

でも、どうしても声をかける気になれなかったのです。みんな頑張っているのに、申し訳ないという気持ち、それでもできないという気持ちの間で、悶々と過ごした後、勇気を出してみんなに伝えました。

 

「今、声かけをする時期だとわかっているけれど、どうしてかわからないけれども、動く気がしない。ごめんなさい。」

 

そんなことばだったと思います。みんなからの返答は、「そうなんだね。今の気持ちを正直に伝えてくれて、ありがとう。わかった。自分のペースでいいよ。」と、動かないわたしを責めることなく、そのまま受け入れてくれました。

 

すごくうれしかったです。ほっとしました。こんなに優しい世界があるのだ、と。

 

そうしたら、俄然やる気が出ました。わたしの「できない」に対するみんなの反応から、自分が大切にしたいこと、伝えたいこと、広めたいことが、はっきりわかったからです。

 

できないときは、できいないと、言っていい。

 

そういう人を、そのまま受け入れる社会であってほしい。

 

そういう経験ができるだろうイベントに、ぜひ参加してほしいと、強く思いました。

 

それまでは、「引き受けたらやらねばならぬ」と思っていて、「できない」とは言えなかったし、どうしようもなくて言う場合も、自分を責めながら言っていたと思います。

 

技術が足りないからできないなど、理由がはっきりしている場合は、助けを求める方法もありますが、どういう理由で「やりたくない」と思っているのか、自分でもはっきりしないこともあります。

 

上記のわたしの場合、どう伝えたらいいのか、自分のことばが出てこなかったことも、たぶんあります。心から信じていないものを宣伝することは、テクニックではできるかもしれませんが、本心からはできません。でも、「できない」と思っていたとき、そのことにはっきり気づけているわけではなかったと思います。

 

こんな経験から、「できない」と声に出して認めることで動き始めることもある、と思っています。

 

嫌な気持ちが”なかったこと”として扱われていると、理屈で自分を説得しようとしても苦しいです。関係する人に伝えることも大切ですが、まず、その嫌な気持ちを自分で認めるのも、第一歩だと思います。そうしたら動き出すことがあるかもしれません。

 

これ、やってみるまでは、どういう展開があるか、わかりません。でも「あぁーなんだかダメだ」と思ったとき、それを認めて、焦らず、粛々と日々の目の前のことだけやっていると、自然と上向きになってきていることも、あるのです。

 

世界は優しいと、信じてもよいのだ、と思っています。(あれ?というときも、ありますけどね。)

 

 

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