「ここにいて、いいんだよ」

2015.04.07 Tuesday


(秋分の日。高尾にて)

昨年の秋分の日、裏高尾を歩いていたときのことです。
ひとつのワークをしました。
目にとまったものをじっくり見てから、それになってみる。そして
”それ”から自分を見てみる、というものです。

わたしの目をとらえたのは、ゆらゆら揺れる草でした。
しゃがんでしばらく一緒にゆらゆらしてから、”それ”になって
わたしを見てみると。。。いきなり「じゃま。」

えっ?我を疑いました。
でも確かに、わたしがそこにしゃがんだことで、草は日陰になってしまっています。
さっきまでのびのびと太陽の光をあびていたのに。スミマセン。。。
衝撃のあまり、動けません。
しばらくそのままでいると、草もその状態になじんできたような気配がします。
あくまでも、わたしの勝手な気配ですが。
「いいよ、そこにいても。」
と言ってもらえた気がしました。

このときに感じたことをその時に一緒にいた人に話したところ、
「ぎょっとするような出来事は、ホンモノだよ。それは思い込みではない。」

森に入ったら気持ちよい”はず”、癒される”はず”と、いろんな思い込みや期待を持ちがちです。
そのままだと、森そのものを感じることが難しくなります。
ただそこにあるものを、そのままに感じることができなかったり。

思い込みや期待を外すために、川の流れをおちている葉っぱの動きから見たり、
風の通り道をコケのつき方から見たり、川の音を自分の立つ向きや耳の角度を変えて聞いてみたり
(結構、変わります)、思い込みや期待が働きにくいところで、そのままを感じやすくするために
いろんな準備をしたりします。

わたしもそんな準備をした後で、聞こえてきた声が、これでした。
「じゃま」の後は、「ここにいて、いいんだよ。」
それは、この日の大事なメッセージだったような気がします。



人は、自分の存在を感じられないと、ストレスを覚えるそうです。
だから子供を抱きしめるとよい、というのはとても理にかなっています。
抱きしめることで「あなたはここにいるんだよ」と感じさせているのです。
大人も同じ。たとえば自分の片腕を丁寧にさすると、リラックスして力が抜け、
腕が重たくなります。さすっていない方の腕は、緊張しているから軽い状態。
自分がここにいるよと、存在を認識するだけで、
すごく安心してリラックスできるのです。

自分の存在を感じられないために、痛みによって存在を確認しようとすることもあります。
精神的にも、肉体的にも、です。
頑張っていないと充実感がない、とか、自分を傷つけてしまうことも、関係しているような気がします。

でも、本当は痛みは必要なくて、もっと楽で良いのだと思います。
そのために、体に意識を向けてみたり、呼吸に意識を向けてみます。
自分のリズムで呼吸できているかどうかを見てみます。
もし話し方が早かったら、それは呼吸が早くなっている合図でもあります。
体の状態はどうかしら。緊張して硬くなっていないかしら。
カンフーでも、全身をさすることがあります。顔、頭、耳、首、肩、腕、背中、お腹、腰、足。。。
丁寧にそれぞれの部分に意識を向けてさするだけで、緊張がほぐれて、リラックスできることもあります。
ひとつしかない体を、わたしたちは結構、酷使しています。小さい足の裏で全部の体重を受けたり、など。
だから、ねぎらいながら、さするようにしています。

「ここにいて、いいんだよ」。
わたしがカンフーをするのは、自分の体を感じて、これを自分に語りかけるためでもあると思います。
毎日、瞬間瞬間で言い続けることが、大事なような気がします。
ついつい忘れてないがしろにしてしまうからです(わたしは、です)。
体はひとつしかない、大切なものですからね。











 

自然崇拝!?

2015.04.03 Friday


(裏高尾にある、ツリーハウス)

山が好きで、自然の中で太極拳をすることが大好きです。
1年くらい前まで、だいぶナチュラル志向でした。
でも今思うと、ヘンな”思い込み”もたくさんありました。

パワーストーンを身に着けるようになったとき、
「装飾品として売られているのは、内包物をキレイにするために焼いているから、死んでいるんだよ」
と聞き、「生きているパワーストーンしかつけない」時期もありました。

「香水は天然のエッセンシャルオイルに限る」と思っていたときもあります。
フィトセラピストだから知識がある、というのもありますが、
ナチュラルでない香りは「だめ」と決めつけていました。

「ビルが立ち並ぶ都会は、息苦しい」と思っていたこともあります。

今から見れば、ぜんぶわたしの妄想です。

これが、あることをきっかけに変わりました。

去年の6月、裏高尾に行ったときのことです。
一緒に行った方と「自然に対する思い込みを、ひとつずつ挙げてみよう」というゲームをしました。
「抱きつくと、木のエネルギーを感じられる」とか
「山にきたら、リラックスできる」とか
「自然は、必ず人間を癒してくれる」とか、
あっている、間違っている、ではなく、思い込みかもしれないことをひとつずつあげていきます。
「ある、ある」と、ふたりでクスクス大笑いしながら、やってみました。

その後、ひとりで森の中に入っていきました。
裏高尾は人も少なく、静かでのんびりできるのです。
ぼんやり歩いたり、座ったりしていました。

そのときに、わたしがとてつもなく惹かれてしまったのは。。。なんと”電柱”です。
「えっ?これ?」という衝撃が走ります。
超ナチュラル志向のわたしとしては、自然のものではない電柱は、「だめ」な分類です。
しかし、今日はこれに心を惹かれることを否定しきれない自分がいます。

ちょっとした葛藤です。
でもね、これだって人の手で作られたものなのですよね。
世の中にあるものは、すべて自然にあるものか、人の手で作ったものです。
だったら「これが好き」も、「あり」だと思いました。













それ以来、眠っていたジュエリーたちも復活させましたし(ごめんね、と言いながら)、
パワーストーンを必ずつけることもなくなりました。
香水も、今はイチジクの香りが一番好きです。
ビルの中の床でも、大地のエネルギーを感じられます。
世の中にあるものたちへの愛しさを、感じるようになりました。

それでもやっぱり山が好きです。
でも山にいないとリラックスできない、というわけでもないのです。
山を自分の中に持っていれば、スペースがあれば、都会に暮らしていてもリラックスできます。
何より山でできたことは、都会でもできるんですよね。同じ自分だから。

ただ、都会にずっと暮らしている場合は、
一度はどっぷり山や森、海にひたって、自然を思い出す体験が必要だと思います。
わたしがそうだったように、大事なことを忘れちゃっているかもしれないから、です。
ちょっと行き過ぎたナチュラル志向も、必要な時間だったのかもしれません。













この高尾山には、”両界橋”という場所があります。
ここを境に、なんというか、本当に空気が変わるのです。
高尾駅からこの橋のあたりまでは、人が住んでいるところだよね、という印象です。
その先も、もちろん人は住んでいますが、なんかちょっと「おじゃまします」みたいな感じがします。
この名前、誰がつけたのか。。。すごい、とにかくすごい。
わたしの中では、ベストネーミング大賞、一押しです。



(大好きなイチジクの香りのキャンドル。こういうもの、やっぱり
フランス製が良いなあ、というのは思い込みでしょうか。。。)
 

締切の意義と、それを超えるもの

2015.03.28 Saturday



わたし、というと中国、と言われますが、その昔は英文学を研究していました。
専門は14世紀後半、シェイクスピアよりも前の時代。天動説が信じられ、文学も
口頭伝承の流れで「詩」だった頃です。たっぷり苔むした、中世の時代です。

研究していたチョーサーの「カンタベリー物語」では、4月に29人の巡礼者たちが
旅立ちます。その道中、ひとり2つずつお話をして、誰が面白いかを競おう、となるのですが、
この作品、未完の大作と言われています。終わっていないのです。

未完成の理由についてはいろいろ学者さんが議論しているようですが、
当時のわたしの先生はひとこと、「締切がなかったからよ。」

半ばあ然、でも、なるほど、と思いました。仕事やその他の経験を振り返っても、そうでした。
やらないといけないのに、忙しい、めんどくさいと逃避したりしています。締切は、大事です。
社会生活の推進力となり、そして改革や発展も締切にお尻を叩かれて実現できる部分もあると思います。

一方で、締切の意義を超えるものも、あると思うのです。

人は、本当にやりたいことに直面したとき、大きな恐れがきたり、逃げ出したくなったりします。
大きな変革期は、特に恐いです。そのとき、締切で「えいっ」とはずみをつけるのもひとつの方法ですが、
どうやっても気持ちがついてこれないときもあります。

わたしはホームページの作成に、半年ほどかかりました。
でも実際に作業したのは、打ち合わせやそのための準備を除けば、
写真を選ぶのに2−3時間、本文を書くのに3−4時間です。
さっさとすれば1−2か月でできたはずです。
でも、わたしは動けなかったのです。
まだまだなわたしがおこがましい、とか、遠慮とか、
いろいろ理由をつけては、
世にさらすことが、怖かったのです。

自分にGOサインを出せないままにいたとき、
そんなとき、人生の師匠が一言、わたしに言いました。「わたしなんて。。。と言っているけど、
本当は、『たいした自分だからたいしたことしないといけない』と思っているんだよ。
ぷぷっ(笑)。傲慢なの。『まだまだなわたしが、こんなことをやっているんです』
と思ったら、すぐにできるよ」

衝撃の事実です。
傲慢だったのですね。。。
それがきっかけで「わたしはこんな人で、こんなことを好きでやっているんです」という
ホームページを出そう、と決意できたのです。

締切がないからこそ、時間はかかりました。でもその期間は、
表向きには何も進まなかったかもしれませんが、
向き合うべき問題に向き合ったり、越えなければならない壁を超えたり、と、
すごく必要な時間だったと思います。

そしてもしも締切を優先していたら、ホームページの内容は全然違うものになった気がするのです。
たとえば太極拳の説明も、一般的にどんな風に言われているのかを気にして、いろいろ参考に
したような気がします。
でも今回は、何も水に、自分の中にあることをそのまま一気に書きました。
自分が練習してきたこと、勉強したこと、経験したこと、信じていることが
あるなら、今のわたしにわかることを書けばいい、と思えました。

締切がある意義と、それを超えるもの、
どちらも、それぞれ大事だと思います。

ひとそれぞれにタイミングがあると思うので、
どの場合はどんなことが良い、というのは一概には言えませんが、
ひとつだけ思うのは、あの動けなかったときに、
「動けない」という自分の感情を無視せずに、きちんと扱ってよかったということです。

もうすぐ4月です。
「カンタベリー物語」では、4月の雨が降る中、巡礼に出ます。
4月の雨。ノアの方舟のような、再生を示唆しています。
あらたな始まりです。
人生も、みんな未完の大作なのかもしれませんね。


(チョーサーは、こんな人。
これは大学院で教えていただいた先生が書いた本です)
 

武当山の山が教えてくれたこと

2015.03.20 Friday

武当山は、中国 湖北省にあります。
今は、山の中腹にある南岩に、毎年お稽古に行きます。

山は、毎日、その一瞬一瞬、違う表情を見せます。
すべてがびっくりするほど、美しいのです。

この山に守られて、育まれてきたこと、
この山に愛されて、愛していること、
そこから、教えられてきたこと、
言葉にできず、涙がでるばかりです。

この地球に生まれてきたこと、ここに生きていることに、感謝します。






































































































































































































すべてはここから、はじまります。
 

わたしの名前

2015.03.19 Thursday



1年ほど前に参加したワークショップで、
「両親に、生まれたときの状況と、名前の由来を聞いてくること」
という宿題が出ました。

心の中でちょっと「えーっ。。。」照れくさいじゃないですか。
でも宿題だ、しょうがない、と意を決して、聞いてみました。

まず母に聞きました。
それまでめんどうな話をしていたため、ふたりともちょっと不機嫌でした。
なんとか片が付いたので、「では本題に。私が生まれたときってどうだった?」と切り出しました。

その途端、母の顔はニコニコになったのです。
「『産まれますよ』と声をかけてもらったら、スッと産まれたの。
『深い呼吸をして、お腹に力を入れて』と言われた後、ホントにスッと産まれた。
えっ、もう?と、全然苦労しなかった。ママに苦労をかけない良い子で親孝行なんだわ、と。
『女の子ですよ』と言われてみたら、なんてかわいい女の子が!
すごい子が産まれちゃったわ〜と思ったわ。」
はずむ声で、夢みるような表情でした。

ちょっと照れくさいです。。。続いて「名前の由来は?」
「かわいい名前がいいね、と話していたのね。
お父さんが「まゆみ」は、ひらがなでかわいい感じがするんだけど、
と言って、つけたの。お腹の中にいるときに、お父さんが『俺が考えるんだ』というから、
じゃあ分担作業で、と任せたの。」

同じ質問を父にも聞いてみました。
産まれたときの状況や気持ちは。。。照れくさそうに笑いながら
「うれしかったよ」の一言です。
名前の由来は。。。「いろいろ考えたけど、まゆみにしたんだよ。
他のは。。。忘れちゃったよ」と、たいそう
言葉が少ないです(笑)。
こちらはちょい逃げ腰での回答でした(笑)。顔はくしゃくしゃ笑顔でしたけどね。

答えよりも、
それを語るときの両親の表情を見ることができて、すごくうれしかったです。
このことがきっかけで、ちょっと不得意なところもあった両親との関係が、
まるくおさまっていったような気もします。
愛されて産まれてきたこと、そしてわたした愛していることを、
思い出したのかもしれません。

これ以来、ことあるごとに、
友人たちにこの質問ををおススメしています(笑)。
親がいるうちにしか、聞けないことですから。
聞くことで、何か大切なものを思い出すことができるかもしれませんから。

わたしには、もうひとつ名前があります。
静慧(Jing Hui)という、中国の太極拳の師父からいただいた道号(道教の修行者の名前)です。
大人になってからのこの名前も、別の意味で大切な名前です。
大人だったから、つけてもらったときの状況、名前の理由はしっかり覚えています。
その話は、また次の機会にお話ししたいと思います。



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