限界を超える:今日のお稽古から

2015.06.21 Sunday
















(この絵は今日のお話の説明ですが。。。パンダの横顔は難しい。。。)

今日の太極拳クラスで、わたしが好きなエクササイズをいれてみました。
題して「自分の限界を超える。」別名、「可能性にチャレンジ!」

ふたり一組になり、一人が壁を背にして立ち、もう一人がその人の片足を持って上げていきます。
それだけです。でも、これだけですが、これ、すごいのです。

立っている人は、リラックスしてまっすぐ立ち、自分のリズムで呼吸をつづけるだけです。
自分で足を上げようとしてはいけません。
お仕事は、パートナーさんにお任せします。

パートナーさんは、立っている人の様子を見ながら、ゆっくりと足を上げていきます。
途中、肩や腰がねじれたて高さがずれたら、それも修正してあげます。
足や腕、体に力が入っているのを感じたら、そこを撫でてあげたり、言葉で伝えたりしてあげます。
持っている足の具合や立っている人の様子を注意深く観察しながら、きつそうになったらちょっと止めて、
もうちょっと行けそうだったら上げていきます。もちろん、言葉で「痛い?」と聞いてあげることも大切です。

過去、いろいろなクラスでやっているのですが、ほぼすべての人が、自分の足の上がり具合に驚きます。
「こんなに自分の足が上がっている!」
つまりこれが、限界越えです。正確に言うと、自分で思い込んでいる限界を超えることです。

ポイントは、ふたりでやることです。
緊張することで、体は硬くなります。
でもこれは、足を上げる仕事をパートナーさんにお任せしてしまうため、
状況として、力を抜きやすく、緊張をほぐしやすくなります。
緩めば、足はもっと上がります。

「足はここまでしか上がらない」と、思い込んでいるラインがあったとしても、
それは自分で決めた”まぼろし”の限界だったりします。
自分が決めたら、当然そこが限界点になります。
でも、パートナーさんを信じて主導権をゆだねることで、まぼろしの限界もなくなります。
そして、自分でも驚く結果が、思っていたより上がる足、という形で目の前に現れます。

パートナーさん側にとっても、いろんな経験ができます。
まず、足を持ったら相手の様子をじっくり観察することです。
持った感触で、もうちょっと上がりそうか、ちょっと待った方がよいか、見ていきます。
パートナーさん側が”まぼろし”の限界を勝手に決めてしまうと、
そこが終わりになってしまうため、相手の可能性を信じることも大切です。
言葉もかけながら、緊張をほぐすサポートもして、呼吸を合わせてあげていきます。

お互いを信じることが大切です。

片足が終わると、「上げた方だけ長くなった気がする」という感想もでてきます。
ちゃんと、両足やります。
そして両足終わった後は、自分の体の感覚もじっくり観察してもらいます。

今日は「上下のバランスがととのって、体が軽くなった」とか、
「足の裏がしっかり床についた」という感想がありました。

ここも面白いところなのです。
実は、このエクササイズをやると、わたしは体がずっしり重たい感じがするのです。
緊張が取れて、リラックスすると、寝てしまった赤ちゃんのように重たくなるからです。
でも最近、これをすると「体が軽い!」と嬉しそうにおっしゃる生徒さんが結構いて、
最初は「?おかしいぞ」と思ったのですが、それもわたしの思い込みです。

「軽い」と言った人を確認すると、ちゃんと重さはずっしりと下に落ちています。
(これは、脇の下に手を入れて持ち上げようとしてみると、わかります)。
立つのに必要な筋肉がきちんと使われて、楽に立てていれば、
それは確かに「軽い」という感想になるのかもしれません。
立つために必用な筋肉は「緊張筋」といって、緊張を感じない筋肉だからです。
わたしも、自分の”まぼろし”の限界越えを、経験させていただきました。

そして、この立ち方が、太極拳をやっているときの体の状態だと思っています。
もっと言えば、普段の生活も、この体の状態であることが理想です。
放松(ファンソン)という中国語は、なんとも訳しにくいのですが、
一番簡単にいうと、リラックスです。でも、だらーん、とするのではなく、
立つために必要な筋肉はしっかり緊張させ、そうでないところは緊張を抜く、
という状態です。緊張筋は、緊張を感じないため、自分の自覚としては、リラックスして楽な状態です。
このエクササイズでプチ体験すると、それを再現する目安になります。

そして、共同作業であることも、わたしが好きなポイントの一つです。
これはひとりではできません。
さらに、人に触ることが苦手な人、ちょっと恐いと感じる人もいるため、
それを緩和していくひとつ方法だとも思っています。
ふたりであれこれ、わいわい、呼吸も合わせて真剣にとりくむ姿は、とても良い光景です。

できる、できない、ではないのです。
自分でできないと決めたら、そこで終わり。
隣の人と比べることも、意味がありません。
「やる」と決めて、やってみること。
これはすべてに通じることで、人生は「やると決めてやってみる」の連続だと思います。

おかげさまで、今日も楽しいクラスでした。みなさん、ありがとうございました。



 


「本物は、6つの耳で聞くものではない」

2015.06.18 Thursday



武当山(中国 湖北省)にお稽古に行ったときに、「法不传六耳」という
言葉を教えてもらったことがあります。

「本物は、6つの耳で聞くものではない」つまり、本当に伝えようとするときは、
師匠と弟子の1対1、ということです。太極拳でも、師匠と弟子、ふたりっきりで
部屋にこもり、誰にも見せずにお稽古する、と聞いたことがあります。

わたしもこの6か月、そんな体験をしました。そして今日、卒業しました。

東京で、常時教わる太極拳の先生がいなくなってから1年ほどたちます。
武当山に年2回お稽古に行くほかは、自分でお稽古していましたが、
まだまだ未熟なわたしに必要なことを教えてくださる方は、ずっと探していました。

そして偶然、でもきっと必然で、今の先生にお会いしました。
この方、実は太極拳の先生ではなく、踊りの先生です。
分野は違いますが、「この人だ」と思い、習い始めました。

「何をやりたいの?」と聞いていただいたとき、わたしは「ちゃんと立って、
ちゃんと歩けるようになりたい」と答えました。

それから6か月、ふたりだけ、4つの耳だけの個人レッスンを通して、
いろんなことを乗り越えてきました。
姿勢が良いと言っていただくこともありますが、
実はもともと側弯症があり左右のバランスは悪かったですし、
足は強いけど上半身が弱いというように上下のバランスも弱かったのです。
そして心のバランスも弱く、「まだ足りない」という渇望感は常に持っていましたし、
「できない」という自己否定のダークサイドに落ちることもしばしばでした。

そんなわたしに、「丁寧に体を扱うこと。丁寧に心を扱うこと」を教えてくれたのが、
この先生です。体を丁寧にみて、丁寧に扱い、大地の上、天に向かってしっかり立つこと、
そして、丁寧に歩くことを、ずっとやってきました。体からのアプローチだけではなく、
心も丁寧に扱うこと、穏やかな心で生きることも、ずっと取り組んできました。

最初の頃、あまりの出来の悪さに、「今ごろこんなことやっているようじゃ。。。」とボロボロ
泣いたこともあります。そんなとき、「簡単にできるようなことじゃないし、時間がかかるから、
早く『やる』と決めないといけないのよ」と一喝されました。

それで、「やる」と決めたのです。

丁寧に立って、丁寧に歩くこと。
ずっと太極拳をやっていくこと。
それを「やる」と覚悟をきめました。

途中には反抗期もありましたし、3歩進んで2歩下がるという不器用さでしたが、
半年前とは比べ物にならないほど、体も心もずっと、しなやかで強く穏やかになりました。
自分に嘘をつかず、まっすぐに生きようとすることで、
背骨も少しずつまっすぐになってきています。
股関節の可動域も、少しずつ広がりつつあります。
体の末端の緊張もとりやすくなり、足のサイズは22.5センチから23.5、場合によっては
24センチと、1〜1.5センチ、大きくなりました。
縮こまって固まっていた足の指がのびのびし始め、大地をきちんと踏めるようになってきました。

「人は、やれないことは思わないの。だからやると決めたら、できるのよ。」

やる、と決めると、好きとか嫌いとか、関係なくなります。
好きだから、楽しいからやるのではなく、苦手でも大変でも、やるのです。
それを無理なくできるものが、自分の使命だと思います。

やると決めたらできる、ということは、逆に言えば、できなくても良いのです。
やろうとすることが大事だからです。

「卒業」と言っても、わたしが完ぺきに立って、歩けるようになったわけではありません。
立つこと、歩くことは、一生のお稽古です。
これは、太極拳でも同じことです。
5月に武当山で新しい歩き方を習ったときに、中国の先生は、
「慢慢学。(ゆっくり練習すること)。これはみんな、ずっと長い時間をかけて
自然に歩けるように練習するんだよ。だから心配することないよ」と
言ってくださいました。実際、中国でのお稽古は、立つ、歩く、などの基本を
繰り返し何度も何度もやります。シンプルですが、それだけに毎日、毎回、違うのです。

立つこと、歩くことのなにがよいのか、それを言葉にするのは難しいのですが、
体を持って生きる人間にとって、大地と天の間に立ち、歩くことは、
地球と一緒に、リズムを合わせて、無理なく自然に生きることを思い出させてくれます。
生きているエネルギーに溢れ、自分への安心感、信頼感も溢れます。
そしてわたしの周りには、穏やかで平和な世界が広がるようになりました。

この過程で先生は、わたしにあったエクササイズや、アプローチを、たくさん考えてくださいました。
こういうことは、1対1でないと成り立ちません。
4年ほど前に教わった「法不传六耳」の意味が、思いがけない形で腑に落ちることになりました。
わたしに付き合うと覚悟を決めて、一緒に歩いてくださった先生には、たくさんの感謝を送ります。

まだまだこれから、でも、「やる」と決めているから、もう大丈夫です。
道を外れたら、戻ればよいだけです。
少しずつ、「慢慢習」ね。




















今日、先生からいただいたガジュマルの樹。
精霊が宿り、幸せを呼ぶ樹、幸せを見守る樹とも言われます。
「まゆみさんみたいね」と、先生。?という顔をすると、
「上はきれいで、下はしっかりしているでしょ。」
 

武当山の南岩

2015.06.14 Sunday


(南岩。自分のお部屋から見える景色)

わたしがお稽古に行く南岩は、武当山の中腹にあり、玄武大帝(道教の神様のひとり)
が、ここから天に向かって飛んだという説もある、聖なる地です。36の岩のうち、
もっとも美しいと言われています。

わたしにとってはホームのような、愛しい場所です。

ここには南岩宮という道教のお寺が、崖に建っています。
















(崖に建つ南岩宮)















(南岩宮)

ここで有名なのが、龙头香(龍頭香)です。
金頂(武当山の頂上)に向かって伸びる龍の頭の先に香台があります。

















龙头香を横から見たところ。下はけわしい崖です)



龙头香を手前からみたところ)

映画「ベストキッド2」で、師匠に連れられて修業のために山に行く場面が
ありますが、そこが武当山です。この場所も、映画に出てきました。

この龍の頭の大きさは、2.9m x 0.3mです。この先にお香の台があるため、

かつて道士たちは、ここを歩いてお香をあげていましたが、足を滑らせて落ちて
お亡くなりになる人も多かったそうです。あまりの惨事に、現在はこの上を歩くことは
禁止され、香台も手前に設けられています。

奥にはこんな場所もあります。


穴の開いた通貨の奥に、鐘があります。
手前には柵があり、ここからコインを投げて、通貨の穴を通して鐘に当たれば
願いが叶うと言われています。一度、見事に当たったことがあるのですが、
投げる前にお願いごとをしていませんでした。
「それでは意味ないよ」と笑われましたが、
結局、わたしには無欲が一番、と思っています(笑)。

南岩は、山の中でも比較的にぎやかな場所です。
ここに泊まって、朝の4時半くらいに金頂に向けて出発する人もいるため、
おみやげやさんやホテルも立ち並びます。
祭日は、バスの台数も、観光客の数も、多くなり、
山頂の向かう山道は長蛇の列になるとも聞きます。
















(おみやげやさんがならぶ通り。このだらだら登り坂、
わたしにとっては、早朝、ときどき駆け上がるランニングコース)

でも、普段は静かなところです。
毎日、違う景色を見せてくれますし、
朝、昼、夕方、夜と、変わる姿は、本当に美しいです。

南岩には、ほかにも小さなお寺などもあります。
そのご紹介は、また次の機会に。

(いつものお散歩コースから撮影した写真)
 

武当太極拳が大切にしている精神

2015.06.14 Sunday


(武当山にある道教のお寺、紫霄宮。世界遺産)

武当拳(太極拳、八卦掌、形意拳、気功)の発祥の地、武当山(中国、湖北省)は、
道教の聖地のひとつでもあります。

武当拳は、道教哲学をもとに成り立っています。
今日は道教が大切にしている精神について、主な4つをご紹介したいと思います。

背景にこの精神があることが、わたしが武当拳を選んでいる理由でもあります。

【道法自然】
老子の「道徳経」にある文言で、自然に従うことです。
平和で流れに抵抗して何かをしようとしないことは、道教の自然、社会、人生に
対する基本的な姿勢であり、原則でもあります。

今やるべきことに集中する、とも言えます。
武当山にいるときに、この言葉の意味を食事中に先生にきいたとき、
「今は、それを聞くときじゃないよ。しっかり食べるときだから」と
言われたことがあります。

【保合太和】
人と自然はひとつであり、自然の法則を敬うこと。
人の間の調和、体と心の調和を大切にすることです。

武当太極拳の最初にも、自分のバランスを取り、天地と周りのスペースとの調和を
取る、という動作(動きませんが)があります。

【上善若水】
老子は、地球上でもっとも柔らかいものが、もっとも強いものに勝つ、と言います。
それが水です。
水は高いところから低いところに、岩があれば形をかえて避けて流れます。
無理やり何かをしようとしませんが、長い時間をかければ、岩をけずったり、穴をあけることもできます。

武当拳は、柔をもって剛を制す、と言います。やわらかい水の持つ力にならっています。

人の体の60〜70%も水であることを思うと、生きるときに、水の質を活かすことは、できるはずです。
そして、地球も70%が水であることは、人と自然が呼応していることを感じさせてくれます。


【重人貴生】
人を敬い、今の人生を大切にすること。
来世ではなく、今の人生を大切にします。

現世で苦行すれば、来世が良い、というような考えではありません。
ですから、今の体、今の心を大切に扱います。

道教は、幸せに生きること、長寿(不老長寿)、豊かに生きることを求めています。


このような道教哲学を背景に持つ武当拳は、血流を良くし、筋肉の無駄な緊張を取り、
呼吸を安定させ、五臓を育て、体と心を再構築するものです。

武当山に暮らす武当拳を学ぶ人々は、心穏やかで、争わず、自然と調和して生きています。
自分の体と心を大切に、そして他人も大切に、自然も大切にしています。とてもシンプルです。

道教は宗教のひとつですが、わたしは信仰というより、自然に生きること、
自然崇拝の考え方を、尊重して大切にしています。
いろいろなことがありますが、流れに逆らわず、自分もまわりも大切にして、
水が流れるように生きていきたいと思います。
 

太極拳というコミュニケーション

2015.06.07 Sunday














太極拳をやっていることで、そこからいろいろな交流が生まれることがあります。
わたしはこれが、とても好きです。

先月、中国の武当山にお稽古にいったときにも、そんなことがありました。
早朝、ひとりでお稽古をしていると、向こうにもお稽古をしている方がいらっしゃいます。
お稽古を終えて帰ろうとその方のそばを通ったら、声をかけていただいて
ちょこっとお話をした後、お互いの太極拳を見せあいっこすることになりました。
結構なお年の方だったのですが、上手だな、良いな、と思っていたら。。。
その後、朝食に行くとこのおじさまと再会し、朝食テーブルに招いていただきました。
8名くらいの団体さんで、観光にいらしていたようです。
「日本人なんだね。よく練習にくるんだ」「何年やっているの」なんて話をしながら、
「卵もどうぞ」とすすめられ、パクパクいただくわたし。
「謝謝(ありがとう)」と言うと、「お礼は老師(先生)にね」と
言われた先には、ニコニコ微笑む先ほどのおじさま。
どうりで上手なはずです。

東京でも、公園で練習していると、声をかけられることがよくあります。
わたしはもくもくとお稽古しているので、ある意味、みなさん勇気ある行動かもしれません(笑)。
「きれいね」と言って見ていってくださる方、「それは何ですか」と聞いてくださる方、
「教えてください」とおっしゃる方、悩み相談に発展する方など、いろいろです。

幼稚園のお子さんが先生に連れられてきたときに、
「あっ!昨日、ウルトラマンショーに出ていたよね、ねっ、ねっ」と
満面の笑みを向けられたこともあります。
あまりの可愛さに、つい「うん」とウソをついてしまいました。
さて、わたしは何の役だったのでしょう?

バサッと音が出る扇の練習をしていたときには、サッカーをやっている小学生の
男の子たちが、ちらちらと見て、ついに近寄ってきました。
「やっていみる?開くときは、手首を振らずに、お腹の力を伝えて開くの」
と言うと、こぞって挑戦!「えー」「違うよ」「俺、できた、できた!」と
大騒ぎ。楽しかったです。

そんな中から生まれたクラスもあります。
あるとき、お稽古着のままお昼ごはんを食べていたら、
隣に座った方が「何をされているんですか?」と声をかけてくださり、
太極拳とお答えすると、「教えていただくことはできますか?」と。
偶然がつないだご縁です。
それにしても、なぜわたしが教えているとわかったのかは、今でも謎です。。。

太極拳は、わたしの人生そのものです。
そしてこれは、わたしの一番の表現方法でもあります。
「これが今のわたしです」ということを、名刺でも、肩書でも、職歴でもなく、
動くことで表現して、そこから生まれる交流が、とても好きです。
小さいことでも、それはとても大きく、大切な経験です。

今のように思うようになるまで、悩んだこともあります。
太極拳は、自分のためにするもので、人に見せるものではない、という考え方もあります。
「外でやるときは派手に、本当の練習は部屋にこもって扉を閉じて、小さくやる」
という話もあります。
大会にでること、パフォーマンスをすることに否定的な方もいらっしゃいます。
それはそれで理解できる部分もあるだけに、わたしはどうしていきたいのか、
自分でわからなかった時期もあります。

今でも、人に見せること自体を目的にはしていませんが、
「わたしはこれが好きなのです」を体で表現していくことは好きです。
ですから、見ていただける機会は、体験していただくことと同じように、うれしいです。
言葉ではない、コミュニケーションだと思っています。
それは、対人だけではなく、地球、自然との交流でもあります。

以前、中国の先生が、「自分も気持ちよくて、見ている人も気持ち良いのが
良い太極拳」とおっしゃっていたことがあります。
これは、その通りだと思います。

「好き」を循環させること。
太極拳を通してコミュニケーションができることは、
わたしにとってはうれしく、大切なことです。












(中国、武当山)


(武当山。手のひらに太陽を載せてみました。みんなで大笑い。)
 


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