「やってみよう」を大切に

2015.07.08 Wednesday



先日、フェイスブックへの友人の投稿を見て、思い出したことがあります。

「やってみよう」を大切にすることです。
できそう、とか、条件が合っているから、ではなく、とにかくやってみようと思ったことを
やってみることです。

学生の頃、イギリスの大学院から帰国したとき、最初の就職にはだいぶ苦労しました。
不景気だったからでもありますし、わたしがすでに既卒だったこともあります。

それでも、やってみたい仕事はありました。
でも、募集はしていません。そこで人事部長あてに「わたしはこんな人で、
こんな仕事をしたくて、御社で働きたいです」というお手紙を書いてみました。
行きたい先は2つあったため、2通。
しばらくすると。。。部長さんたちから、すごく丁寧なお返事が送られてきました。
1通は手書きで。もう1通は、「字が上手ではないので、パソコンで申し訳ない」という言葉とともに
パソコンで打ったもの。そこに書かれているものは、「あいにく現在は募集しておりません」のような
通り一遍の文面ではなく、わたしのお手紙への、きちんとしたお返事でした。

結果的には、いろいろな理由でどちらもご縁はなく、そこで働くことはなかったのですが、
どこの馬の骨ともわからないわたしからの、突然のお手紙に対してとってくださった対応は、
今のわたしにすごく大きな影響を与えてくれています。
忙しいに違いないのに、ちゃんとわたしに向き合ってくださったこと、
わたしの思いに対して「そういう風に思う人には、ぜひ頑張ってほしい」と励ましてくださったこと、
とても大切な暖かい出来事です。
同時に、わたしはこの方たちと同じことができているのだろうか、と思うこともあります。
この問いは、一生続くのかもしれません。

さて、そんなわたしの最初の就職は、銀行での翻訳業務です。
「金融機関で働いたことのない君には無理だ」と笑う年上の友達の言葉にも耳を貸さず応募したのですが、
わたしの気持ちは、「行ける気がするから、やってみる」(笑)。当然、何の根拠もありません。
後でわかったのですが、本当は職務経験のない人は、書類選考で落とされていたそうです。
でも、ちょっとしたラッキーで書類選考をパスし、筆記試験と面接を経て、採用していただきました。
合格を知ると、冒頭の友人は、唖然として「君って、すごいんだね。。。」
(ちょっとしたラッキーについて知りたい人は、個別に聞いてください。ちょっと面白い話です。)

何かをやりたいと思ったときに、参加条件が設定されている場合があります。
明確な条件がなくても、暗黙の了解とやらで「今更わたしなんて無理。。。」
と思ってしまうこともあるかもしれません。
わたしも、それでしょげることもあります。
でも、そんなときにこの過去の経験を思いだすのです。
やりたいと思ったら、やってみればいいんだ、と。

今でもそうです。
わたしは子供の頃から運動神経が良かったわけでもありませんし、かけっこは遅いです。
カンフーを始めた年齢も遅いです。今からでもやっていけるんだろうか、と悩んだこともありました。
でもそんな悩みよりも、とにかくやってみようという思いを大切にしようとしています。
それがあるなら、行動し続けてみよう、と。

わたしが2010年に中国の世界武術大会の太極拳部門で金メダルを取ったとき、
子供のころから知っている友人が、「わたし、すごく励まされたの。わたしもまだまだ、これから
やれるんだって思った」と言ってくれました。
そんな風に言ってもらえて、すごく、すごくうれしかったのです。

体は、7年で細胞すべてが入れ替わる、と言います。
わたしがカンフーをはじめてから7年くらい、今の武当拳を始めてから6年くらいです。
もうちょっとで、全部入れ替わります。それは感覚として、なんとなくわかります。
すごく弱くで芯がなかった体が、そして自分が何をしたいかわからなかった心が、
ちゃんと自分軸でしっかり立てるようになってきていると思うのです。
体つきも、だいぶ変わりました。やわらかい筋肉がちゃんとついています。
側彎のある背骨については、あきらめていた部分が多いのですが、最近は、そんなことないな、と思います。
側彎からの影響で、左右の腰の筋肉の固さが違っていたのですが、その差もだいぶ小さくなりました。
何かの理由をつけてあきらめたりせずに、やろうとすること、そしてやり続けることで、
現実は、ドラマよりもドラマチックな展開が広がったりします。

だから、生きていくことは、楽しいのです。
年を取ればとるほど、ますます楽しいです。


(こんなことをしていますが、中国の武当山にいるカンフーの先生です。
3年くらい前、彼がまだ生徒だったときから知っていて、ひとりでも
きちんと練習してきたことも、知っています。最近「時間がたつにつれて、
できない、と思うことがなくなった」というような文章を書いてました。
やり続けてきた人ならではの、言葉だと感じます。)
 

【講座のご案内】8-10月の自由が丘クラス

2015.07.07 Tuesday

















自由が丘の住宅街にある、風情ある民家、シェア奥沢は、
アートや食など、共通の興味のある人が集い、交流する場でもあります。

柔らかい床の先には縁側があり、その先にはお庭と空が見えます。
静かな空間で太極拳をすることで、自分の体と心にじっくり向き合う時間が持てます。

お稽古するのは、「はじめての武当太極拳」です。
太極拳発祥の地という伝説もある、中国 湖北省の武当山で育まれたもので、
丸く円を描くやわらかい動きが強さを発する、まさに柔が剛を制するものです。
それは自分自身、自然と人、人と人との調和のもとに、生まれます。
(武当太極拳について、詳しくはhttp://blog.minminkung-fu.com/?eid=31

動きながら血流を良くし、筋肉の緊張を取り、呼吸を安定させ、心を落ち着かせ、五臓を育てて
体と心を再構築していきます。


☆日時:
 いずれも15分前開場です。終了後は、中国茶とお菓子があります。
【8月】
 8月8日 (土)  10:00-11:30 【満員御礼】
 8月23日(日)10:00-11:30【満員御礼】
 8月29日(土)10:00-11:30【残1名さま】
 ※8月は、特別企画として終了後に「500円のワンコインランチ」をご提供します。
  希望者は予約時にお知らせください。
  ↓↓↓詳しくはこちらから↓↓↓
  http://blog.minminkung-fu.com/?eid=66

【9月】
   9月6日(日)10:00-11:30 【満員御礼】
 9月12日(土)10:00-11:30

【10月】
 10月17日 (土) 10:00-11:30
 10月25日(日)10:00-11:30
 10月31日(土)10:00-11:30

☆場所:
 シェア奥沢 (http://share-okusawa.jp/

☆服装: 
 動きやすい服装(ストレッチのきいたトレーニングパンツなど。底の浅い靴。靴はなくても大丈夫です)

☆参加費:
 2,000円(1回)

☆お申込み:
 minminkungfu☆gmail.com (☆を@に変更してください)まで、メールでお知らせいただくか、
 Facebookのイベントページから参加ボタンを押してお申込みください。

終了後には、お茶とお菓子をいただきながら、心地良いスペースで、
質問をお受けしたり、いろんなお話をみなさんでしたりしています。
※8月は、お茶ではなく、500円のワンコインランチとなります。

初心者、経験者、どなたでも大歓迎です。
みなさまのお越しをお待ちしています。















 

友達

2015.07.03 Friday


(友達のカメラマン、しえーるに撮ってもらった写真。すごく、”わたし”)

昨日、仲のよい友人たちとごはんを食べました。そのときに友人が、
「こんな健全な人(わたしのこと)と一緒にいられるわたしで、良かった。前はもっと、
めちゃくちゃだったもの。」

わたしが健全かどうかはさておき、わたしも同じようなことをよく思います。
「3年前だったら、きっと仲良くなっていなかったね」ということも、しばしばです。

友達は、大切な存在です。
道はそれぞれですが、いろいろ経験して、時にはゴツゴツぶつかって玉砕して(笑)、
泣いて笑って、今という同じ時代を生きています。
それぞれの人生ですが、だからこそ、共感しあったり、
似たような過程を経験していたり、という発見をすることが、うれしかったりします。
バカバカしい話もしますが、すごく大切な話をすることもあります。
そんなときはわたしも素の状態で、自分にとっての本当のことを、ゆっくり話します。
そんな豊かな時間は、年を重ねるごとに大きくなっています。
ですから生きていくこと、年を取ることは、とてもステキなことだと思うのです。

わたしにも、健全とはほど遠かった時があります。
当時も好きなことをやっていたし、一生懸命ではありましたが、満足感が薄いのです。
「こう思うの」という自己主張が強かったにも関わらず、
他人の目や評判を気にしていました。
他人から評価されることで、自分の存在価値を感じるような状態です。
これは、危険です。
期待した評価が得られないと、「こんなに頑張っているのにあの人が悪い」と
他人批判に走るからです(わたしの場合、ですが)。

今日、偶然、ダライ・ラマの言葉が目に入りました。
"When you think everything is someone else's fault, you will suffer a lot.
When you realize that everything springs only from you, you will learn both peace and joy."
(すべてのことを誰か他人のせいにすると、あなたはとても苦しむことになります。
すべてはあなたから起きていると理解しさえすれば、あなたは平和も喜びを得ることができます。)

昨日も、同じような話が出ました。
「不満を人のせいにしていたら、そこから出られないんだよね」と。

かつてのわたしもそうでした。
「あの人が悪い」と言っていたあの時、わたしもとても苦しかったのです。
実は、自分で自分を攻撃していたからです。
そんなわたしに「あなたはもっと自分を大切にしないと」と言ってくれた人もいるのですが、
どうやって大切にすればいいのかも、わかりませんでした。

でも、「もうこんな苦しいのは嫌だ。もうやめる」と本気で思ったときから、
方向が変わったように思います。
今でも、まだまだですが、少なくともこのダライ・ラマの言葉にうなずけるようになりました。

しょうもない過去も、今も、それはそれで必要だからあるのだと思います。
徹底的に自分でやってみなければ、「違う」と気づかなかったように思うのです。
そういう過程を過ごさないと、「わたしはこれが大切なの」と、心からの言葉を
言えるようにならないと思うのです。

わたしのような頑固者の場合は、特に、です。
自分の体験からしか、学べないのです。

そして、わたしにとって大切なものを思い出させてくれたものが、太極拳をはじめとする
中国武術です。

友達とは、成長のプロセスがシンクロしていたりします。
そんなときに、ひとりではなく、みんなつながっていると思えたり、
わたしが感じることは世の中の流れでもあるのかな、と思ったりします。
ちょっと不思議です。

同じ時代を生きている友達に、いつもありがとう。
そして、ゴツゴツあたって人のせいにしていた頃に、ご迷惑をかけた方々、
巻き込んでしまった方々には、本当にごめんなさい。

こんなですが、こんなだからこそ、生きるって、すばらしいです。
大切にしようと思います。まずは、自分を。そして他人も。

 

本当はみんな、大きくて柔らかい存在

2015.06.28 Sunday



週末、友人を訪ねて、富士山の近くに行きました。
梅雨の季節にもかかわらずお天気に恵まれ、山も空もいろんな表情を見せてくれました。

富士山は裾まで見えます。すーっと美しく長い末広がりですが、意外と凸凹があったりします。
雲の動きが早くて顔を隠したかと思えば、いきなり「ばーん」と山肌全開で見せてきたり。
真ん中だけ雲がかかる様子は、お腹にお布団をかけてお昼寝しているように見えました。



湿地ではふこふことやわらかい土の上を歩き、滝に行けばどんどん変わる緑の香りに驚いたり、
夕方には、ゴールド、ピンク、オレンジと変わっていく、絶景の夕焼けが広がりました。
夕焼けを見たくて高いところを探していたら、小学生が体育館の屋上に登っていく姿を見かけました。
「夕日を見るために登ったのかな。だとしたら、なんだかいいよね。」と、友人と話しながら、
道路に立って、どんどん変わっていく夕焼けを眺めていました。

すべてが、すごいと感じます。

自然であることは、ちょっと不自然なほど、びっくりさせてくれます。
富士山の様子も、緑の香りも、空の色も、不自然かと思うほど意表をついてきます。
どれだけ自分が勝手に思い込んでいるか、改めて思い知らされたような気がしました。

滝のそばに座っていたときのことです。
上に伸びる樹と空を見上げていて、なんとなく、そこから今の自分を眺めてみました。
「わたし、ちっちゃくて固いなあ。」
肩に力が入っていて、自分で自分を小さくしているようでした。
本当は、もっと大きくて柔らかいのに。

ここに来るまで思っていたことが、「あきらめないこと」でした。
それは太極拳のクラスで、わたしが最近、思っていたことでもあります。
できないのは構わないのです。でも、「わたし、これは無理」とあきらめないでほしい。
あきらめたら、そこで限界を自分で作ってしまうからです。
でもそれは生徒さんというより、わたしが自分に対して思っていたことでもあります。

特に運動神経が良かったわけでもないわたしは、なぜか大人になってから、今のように
太極拳をするようになりました。いきなりではなく、ゆっくり、じっくり育ててきて、
いつの間にか、これが”わたしの人生を生きること”になりました。
でも、子供の頃からずっと長くやっている人も多い中で、不安というより、どうなんだろうか、と
思うこともあります。その思いは何度もやってきましたが、それよりも
「とにかく、やろう」という気持ちの方が強かったのだと思います。大げさなことを考えることなく、
大きな目標を立てることも夢みることもなく、そのときの小さな課題に向かい続けてきたような
気がします。

振り返ってみたとき、それは、「わたしがあきらめなかった」ことだと思っていました。
だからクラスでも、幻の限界を自分でもうけないで、と伝えていました。

でも実際には、そんなに大げさな話ではないのです。
歯を食いしばって「あきらめない!」なんて言ったことは、一度もなく、
やってきたことは、「今日はこれをやろうっと」「こんなこと、してみたいな」だけです。

すごくシンプルです。

富士山とその周りの自然が見せてくれたように、自然の可能性は限りなく広がっています。
「こんなに?」というようなことも、どんどん起きます。
人も同じだと思うのです。
自然に生きると、人は「えっ?」というような展開をどんどん見せてくれるのです。
固く小さくなっていると、自然に広がっていく自分を縮こめてしまいかねません。

本当は、わたしを含めて、誰でも大きくて、やわらかい存在なのです。
週末の時間は、それを思い出させてくれました。

太極拳を始めてまだ7年あまりのわたしは、技術的には、まだまだです。
だから、練習は続けます。
でもその一方、この7年でやってきたことは、真剣に体を使って、心と向き合って、という
自分だけの体験です。そこで得た感覚や智慧は、わたしだけのものです。
それは着実にしっかりと、自分の中に蓄積されていることも、自分ではちゃんとわかっています。

今までどおり、「やろう」と思ったことをやっていくだけです。
肩に力が入ったら、抜けばよいのです。
いつも、こんなことの繰り返しです。

最近、足のサイズが少なくとも1センチ、大きくなりました。
22.5センチから、23.5、ものによっては24センチに!
縮こまっていた足指を、ふわふわゆるゆる広げて緩めていたら、大きくなりました。
こんな風に、わたしはもっと大きくなれるはずです(笑)。みんなも、ね。















(夕焼け)

体のコンプレックスと、争わない心

2015.06.24 Wednesday


太極拳クラスには、体が固いことを悩み事としておっしゃる方もいらっしゃいます。
体はやわらかい方が良い、ということなのでしょうが、
固いことを悪いと思ってしまうと、自分で自分を責めたり、攻撃することにも
なりかねません。

体のコンプレックスで自分を責めることは、自分と争うことでもあると思っています。

太極拳をする上でわたしが大切にしているのは、”争わない心”です。
武術の武は”戈を止める”と書くように、武術である太極拳は、戦いを止めるためのものです。
戦いが起きてしまった場合、自分の力は最小限にして(たくさん使うと疲労するからです)、外に出る力が
最大になるような体の使い方をして、相手の軸を崩して戦意を失わせます。
一番良いのは、戦いを起こさないことです。相手に戦意を持たせないこと。
そのためには、自分がリラックスして穏やかでいることが大切です。

イライラしている人を見ると、イライラしたりすること、ありませんか?
びくびくしている人を見ても、そのおびえが伝染する経験、ありませんか?
どちらも相手からの攻撃対象になりかねません。
逆に、赤ちゃんのようにやわらかく平和な存在は、攻撃する気持ちを起こさせないと思っています。

他人への攻撃は比較的わかりやすいですが、自分への攻撃は、気づきにくい場合もあります。
「こんなわたしじゃだめなの」とコンプレックスを持つことは、今の自分を攻撃していることでも
あると思います。自分と争っている状態です。

わたしも、そうでした。
痒疹という皮膚疾患が出たときは、痒さで寝られないことにイライラしましたし、
皮膚のぶつぶつを「醜い」と思って、嫌っていました。
そして子供の頃からある側弯症も、ずっと大きなコンプレックスのひとつでした。
でも太極拳を始めて、あるときに、体のコンプレックスで自分で自分を嫌っていることに気づきました。
一番近いところで、わたしが嫌ったら、わたしが責めたら、誰もわたしを守ってあげられないのです。
「ごめんなさい。これからは、ぜったいにわたしがあなた(=わたし)を守るから」と
自分に約束しました。5年くらい前のことです。

体のコリ、固さ、アンバランスには、理由があります。
それは、自分の体を守るために、固くなっていたりすることもあるのです。
たとえば、立つときに、立つための筋肉が正しく使えずに不安定なままだと、
体を支えようとして、本来は緊張する必要のない筋肉が緊張します。
たとえば横隔膜です。本来、横隔膜はやわらかくしておいて、呼吸するたびに
上下運動をすることで、内臓のマッサージをしてくれます。
でも、立ち方が不安定だと、背骨を支えようとして、横隔膜をきゅっと硬くさせたりします。
そうすると、呼吸に応じてやわらかく上下することはできなくなりますし、
横隔膜を通っている静脈や動脈もきゅっとしまるために、血流も悪くなります。

体の部位にはそれぞれの役割がありますが、危機的な状況では本来の役割を捨てて、
自分を守る働きに走ります。それが、コリや固さになっている場合も多いのです。

ですから、体が固いのは、自分の体を守ろうとして、そうなっている場合も多いのです。
嫌うよりも、むしろ、ありがとう、です。

それでも、本来とは違う役割をし続けているのは、やはり困ります。
だから、いらない固さやコリはとっていく方向に進むのが良いのですが、
「コリがある」ことを悪い、というのとは違うのです。

そして前回のブログで書いたように、実は自分が思っているよりも、
自分の体はやわらかかったりするのです。
(「限界を超える: 今日のお稽古から」http://blog.minminkung-fu.com/?eid=57))

自分と争わないこと。
灯台下暗しで、ついやってしまっていることもあるので、
気づいたら、また”道”に戻る、の繰り返しです。
生きることは、完ぺきとは程遠いですが、その不完全さも良かったりします。
山の姿が美しいように、人間も、ありのままの自然な姿が美しいと思います。


(今年5月の武当山。ありのままの自然な姿が、美しい。)


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