友達

2015.07.03 Friday


(友達のカメラマン、しえーるに撮ってもらった写真。すごく、”わたし”)

昨日、仲のよい友人たちとごはんを食べました。そのときに友人が、
「こんな健全な人(わたしのこと)と一緒にいられるわたしで、良かった。前はもっと、
めちゃくちゃだったもの。」

わたしが健全かどうかはさておき、わたしも同じようなことをよく思います。
「3年前だったら、きっと仲良くなっていなかったね」ということも、しばしばです。

友達は、大切な存在です。
道はそれぞれですが、いろいろ経験して、時にはゴツゴツぶつかって玉砕して(笑)、
泣いて笑って、今という同じ時代を生きています。
それぞれの人生ですが、だからこそ、共感しあったり、
似たような過程を経験していたり、という発見をすることが、うれしかったりします。
バカバカしい話もしますが、すごく大切な話をすることもあります。
そんなときはわたしも素の状態で、自分にとっての本当のことを、ゆっくり話します。
そんな豊かな時間は、年を重ねるごとに大きくなっています。
ですから生きていくこと、年を取ることは、とてもステキなことだと思うのです。

わたしにも、健全とはほど遠かった時があります。
当時も好きなことをやっていたし、一生懸命ではありましたが、満足感が薄いのです。
「こう思うの」という自己主張が強かったにも関わらず、
他人の目や評判を気にしていました。
他人から評価されることで、自分の存在価値を感じるような状態です。
これは、危険です。
期待した評価が得られないと、「こんなに頑張っているのにあの人が悪い」と
他人批判に走るからです(わたしの場合、ですが)。

今日、偶然、ダライ・ラマの言葉が目に入りました。
"When you think everything is someone else's fault, you will suffer a lot.
When you realize that everything springs only from you, you will learn both peace and joy."
(すべてのことを誰か他人のせいにすると、あなたはとても苦しむことになります。
すべてはあなたから起きていると理解しさえすれば、あなたは平和も喜びを得ることができます。)

昨日も、同じような話が出ました。
「不満を人のせいにしていたら、そこから出られないんだよね」と。

かつてのわたしもそうでした。
「あの人が悪い」と言っていたあの時、わたしもとても苦しかったのです。
実は、自分で自分を攻撃していたからです。
そんなわたしに「あなたはもっと自分を大切にしないと」と言ってくれた人もいるのですが、
どうやって大切にすればいいのかも、わかりませんでした。

でも、「もうこんな苦しいのは嫌だ。もうやめる」と本気で思ったときから、
方向が変わったように思います。
今でも、まだまだですが、少なくともこのダライ・ラマの言葉にうなずけるようになりました。

しょうもない過去も、今も、それはそれで必要だからあるのだと思います。
徹底的に自分でやってみなければ、「違う」と気づかなかったように思うのです。
そういう過程を過ごさないと、「わたしはこれが大切なの」と、心からの言葉を
言えるようにならないと思うのです。

わたしのような頑固者の場合は、特に、です。
自分の体験からしか、学べないのです。

そして、わたしにとって大切なものを思い出させてくれたものが、太極拳をはじめとする
中国武術です。

友達とは、成長のプロセスがシンクロしていたりします。
そんなときに、ひとりではなく、みんなつながっていると思えたり、
わたしが感じることは世の中の流れでもあるのかな、と思ったりします。
ちょっと不思議です。

同じ時代を生きている友達に、いつもありがとう。
そして、ゴツゴツあたって人のせいにしていた頃に、ご迷惑をかけた方々、
巻き込んでしまった方々には、本当にごめんなさい。

こんなですが、こんなだからこそ、生きるって、すばらしいです。
大切にしようと思います。まずは、自分を。そして他人も。

 

本当はみんな、大きくて柔らかい存在

2015.06.28 Sunday



週末、友人を訪ねて、富士山の近くに行きました。
梅雨の季節にもかかわらずお天気に恵まれ、山も空もいろんな表情を見せてくれました。

富士山は裾まで見えます。すーっと美しく長い末広がりですが、意外と凸凹があったりします。
雲の動きが早くて顔を隠したかと思えば、いきなり「ばーん」と山肌全開で見せてきたり。
真ん中だけ雲がかかる様子は、お腹にお布団をかけてお昼寝しているように見えました。



湿地ではふこふことやわらかい土の上を歩き、滝に行けばどんどん変わる緑の香りに驚いたり、
夕方には、ゴールド、ピンク、オレンジと変わっていく、絶景の夕焼けが広がりました。
夕焼けを見たくて高いところを探していたら、小学生が体育館の屋上に登っていく姿を見かけました。
「夕日を見るために登ったのかな。だとしたら、なんだかいいよね。」と、友人と話しながら、
道路に立って、どんどん変わっていく夕焼けを眺めていました。

すべてが、すごいと感じます。

自然であることは、ちょっと不自然なほど、びっくりさせてくれます。
富士山の様子も、緑の香りも、空の色も、不自然かと思うほど意表をついてきます。
どれだけ自分が勝手に思い込んでいるか、改めて思い知らされたような気がしました。

滝のそばに座っていたときのことです。
上に伸びる樹と空を見上げていて、なんとなく、そこから今の自分を眺めてみました。
「わたし、ちっちゃくて固いなあ。」
肩に力が入っていて、自分で自分を小さくしているようでした。
本当は、もっと大きくて柔らかいのに。

ここに来るまで思っていたことが、「あきらめないこと」でした。
それは太極拳のクラスで、わたしが最近、思っていたことでもあります。
できないのは構わないのです。でも、「わたし、これは無理」とあきらめないでほしい。
あきらめたら、そこで限界を自分で作ってしまうからです。
でもそれは生徒さんというより、わたしが自分に対して思っていたことでもあります。

特に運動神経が良かったわけでもないわたしは、なぜか大人になってから、今のように
太極拳をするようになりました。いきなりではなく、ゆっくり、じっくり育ててきて、
いつの間にか、これが”わたしの人生を生きること”になりました。
でも、子供の頃からずっと長くやっている人も多い中で、不安というより、どうなんだろうか、と
思うこともあります。その思いは何度もやってきましたが、それよりも
「とにかく、やろう」という気持ちの方が強かったのだと思います。大げさなことを考えることなく、
大きな目標を立てることも夢みることもなく、そのときの小さな課題に向かい続けてきたような
気がします。

振り返ってみたとき、それは、「わたしがあきらめなかった」ことだと思っていました。
だからクラスでも、幻の限界を自分でもうけないで、と伝えていました。

でも実際には、そんなに大げさな話ではないのです。
歯を食いしばって「あきらめない!」なんて言ったことは、一度もなく、
やってきたことは、「今日はこれをやろうっと」「こんなこと、してみたいな」だけです。

すごくシンプルです。

富士山とその周りの自然が見せてくれたように、自然の可能性は限りなく広がっています。
「こんなに?」というようなことも、どんどん起きます。
人も同じだと思うのです。
自然に生きると、人は「えっ?」というような展開をどんどん見せてくれるのです。
固く小さくなっていると、自然に広がっていく自分を縮こめてしまいかねません。

本当は、わたしを含めて、誰でも大きくて、やわらかい存在なのです。
週末の時間は、それを思い出させてくれました。

太極拳を始めてまだ7年あまりのわたしは、技術的には、まだまだです。
だから、練習は続けます。
でもその一方、この7年でやってきたことは、真剣に体を使って、心と向き合って、という
自分だけの体験です。そこで得た感覚や智慧は、わたしだけのものです。
それは着実にしっかりと、自分の中に蓄積されていることも、自分ではちゃんとわかっています。

今までどおり、「やろう」と思ったことをやっていくだけです。
肩に力が入ったら、抜けばよいのです。
いつも、こんなことの繰り返しです。

最近、足のサイズが少なくとも1センチ、大きくなりました。
22.5センチから、23.5、ものによっては24センチに!
縮こまっていた足指を、ふわふわゆるゆる広げて緩めていたら、大きくなりました。
こんな風に、わたしはもっと大きくなれるはずです(笑)。みんなも、ね。















(夕焼け)

体のコンプレックスと、争わない心

2015.06.24 Wednesday


太極拳クラスには、体が固いことを悩み事としておっしゃる方もいらっしゃいます。
体はやわらかい方が良い、ということなのでしょうが、
固いことを悪いと思ってしまうと、自分で自分を責めたり、攻撃することにも
なりかねません。

体のコンプレックスで自分を責めることは、自分と争うことでもあると思っています。

太極拳をする上でわたしが大切にしているのは、”争わない心”です。
武術の武は”戈を止める”と書くように、武術である太極拳は、戦いを止めるためのものです。
戦いが起きてしまった場合、自分の力は最小限にして(たくさん使うと疲労するからです)、外に出る力が
最大になるような体の使い方をして、相手の軸を崩して戦意を失わせます。
一番良いのは、戦いを起こさないことです。相手に戦意を持たせないこと。
そのためには、自分がリラックスして穏やかでいることが大切です。

イライラしている人を見ると、イライラしたりすること、ありませんか?
びくびくしている人を見ても、そのおびえが伝染する経験、ありませんか?
どちらも相手からの攻撃対象になりかねません。
逆に、赤ちゃんのようにやわらかく平和な存在は、攻撃する気持ちを起こさせないと思っています。

他人への攻撃は比較的わかりやすいですが、自分への攻撃は、気づきにくい場合もあります。
「こんなわたしじゃだめなの」とコンプレックスを持つことは、今の自分を攻撃していることでも
あると思います。自分と争っている状態です。

わたしも、そうでした。
痒疹という皮膚疾患が出たときは、痒さで寝られないことにイライラしましたし、
皮膚のぶつぶつを「醜い」と思って、嫌っていました。
そして子供の頃からある側弯症も、ずっと大きなコンプレックスのひとつでした。
でも太極拳を始めて、あるときに、体のコンプレックスで自分で自分を嫌っていることに気づきました。
一番近いところで、わたしが嫌ったら、わたしが責めたら、誰もわたしを守ってあげられないのです。
「ごめんなさい。これからは、ぜったいにわたしがあなた(=わたし)を守るから」と
自分に約束しました。5年くらい前のことです。

体のコリ、固さ、アンバランスには、理由があります。
それは、自分の体を守るために、固くなっていたりすることもあるのです。
たとえば、立つときに、立つための筋肉が正しく使えずに不安定なままだと、
体を支えようとして、本来は緊張する必要のない筋肉が緊張します。
たとえば横隔膜です。本来、横隔膜はやわらかくしておいて、呼吸するたびに
上下運動をすることで、内臓のマッサージをしてくれます。
でも、立ち方が不安定だと、背骨を支えようとして、横隔膜をきゅっと硬くさせたりします。
そうすると、呼吸に応じてやわらかく上下することはできなくなりますし、
横隔膜を通っている静脈や動脈もきゅっとしまるために、血流も悪くなります。

体の部位にはそれぞれの役割がありますが、危機的な状況では本来の役割を捨てて、
自分を守る働きに走ります。それが、コリや固さになっている場合も多いのです。

ですから、体が固いのは、自分の体を守ろうとして、そうなっている場合も多いのです。
嫌うよりも、むしろ、ありがとう、です。

それでも、本来とは違う役割をし続けているのは、やはり困ります。
だから、いらない固さやコリはとっていく方向に進むのが良いのですが、
「コリがある」ことを悪い、というのとは違うのです。

そして前回のブログで書いたように、実は自分が思っているよりも、
自分の体はやわらかかったりするのです。
(「限界を超える: 今日のお稽古から」http://blog.minminkung-fu.com/?eid=57))

自分と争わないこと。
灯台下暗しで、ついやってしまっていることもあるので、
気づいたら、また”道”に戻る、の繰り返しです。
生きることは、完ぺきとは程遠いですが、その不完全さも良かったりします。
山の姿が美しいように、人間も、ありのままの自然な姿が美しいと思います。


(今年5月の武当山。ありのままの自然な姿が、美しい。)

限界を超える:今日のお稽古から

2015.06.21 Sunday
















(この絵は今日のお話の説明ですが。。。パンダの横顔は難しい。。。)

今日の太極拳クラスで、わたしが好きなエクササイズをいれてみました。
題して「自分の限界を超える。」別名、「可能性にチャレンジ!」

ふたり一組になり、一人が壁を背にして立ち、もう一人がその人の片足を持って上げていきます。
それだけです。でも、これだけですが、これ、すごいのです。

立っている人は、リラックスしてまっすぐ立ち、自分のリズムで呼吸をつづけるだけです。
自分で足を上げようとしてはいけません。
お仕事は、パートナーさんにお任せします。

パートナーさんは、立っている人の様子を見ながら、ゆっくりと足を上げていきます。
途中、肩や腰がねじれたて高さがずれたら、それも修正してあげます。
足や腕、体に力が入っているのを感じたら、そこを撫でてあげたり、言葉で伝えたりしてあげます。
持っている足の具合や立っている人の様子を注意深く観察しながら、きつそうになったらちょっと止めて、
もうちょっと行けそうだったら上げていきます。もちろん、言葉で「痛い?」と聞いてあげることも大切です。

過去、いろいろなクラスでやっているのですが、ほぼすべての人が、自分の足の上がり具合に驚きます。
「こんなに自分の足が上がっている!」
つまりこれが、限界越えです。正確に言うと、自分で思い込んでいる限界を超えることです。

ポイントは、ふたりでやることです。
緊張することで、体は硬くなります。
でもこれは、足を上げる仕事をパートナーさんにお任せしてしまうため、
状況として、力を抜きやすく、緊張をほぐしやすくなります。
緩めば、足はもっと上がります。

「足はここまでしか上がらない」と、思い込んでいるラインがあったとしても、
それは自分で決めた”まぼろし”の限界だったりします。
自分が決めたら、当然そこが限界点になります。
でも、パートナーさんを信じて主導権をゆだねることで、まぼろしの限界もなくなります。
そして、自分でも驚く結果が、思っていたより上がる足、という形で目の前に現れます。

パートナーさん側にとっても、いろんな経験ができます。
まず、足を持ったら相手の様子をじっくり観察することです。
持った感触で、もうちょっと上がりそうか、ちょっと待った方がよいか、見ていきます。
パートナーさん側が”まぼろし”の限界を勝手に決めてしまうと、
そこが終わりになってしまうため、相手の可能性を信じることも大切です。
言葉もかけながら、緊張をほぐすサポートもして、呼吸を合わせてあげていきます。

お互いを信じることが大切です。

片足が終わると、「上げた方だけ長くなった気がする」という感想もでてきます。
ちゃんと、両足やります。
そして両足終わった後は、自分の体の感覚もじっくり観察してもらいます。

今日は「上下のバランスがととのって、体が軽くなった」とか、
「足の裏がしっかり床についた」という感想がありました。

ここも面白いところなのです。
実は、このエクササイズをやると、わたしは体がずっしり重たい感じがするのです。
緊張が取れて、リラックスすると、寝てしまった赤ちゃんのように重たくなるからです。
でも最近、これをすると「体が軽い!」と嬉しそうにおっしゃる生徒さんが結構いて、
最初は「?おかしいぞ」と思ったのですが、それもわたしの思い込みです。

「軽い」と言った人を確認すると、ちゃんと重さはずっしりと下に落ちています。
(これは、脇の下に手を入れて持ち上げようとしてみると、わかります)。
立つのに必要な筋肉がきちんと使われて、楽に立てていれば、
それは確かに「軽い」という感想になるのかもしれません。
立つために必用な筋肉は「緊張筋」といって、緊張を感じない筋肉だからです。
わたしも、自分の”まぼろし”の限界越えを、経験させていただきました。

そして、この立ち方が、太極拳をやっているときの体の状態だと思っています。
もっと言えば、普段の生活も、この体の状態であることが理想です。
放松(ファンソン)という中国語は、なんとも訳しにくいのですが、
一番簡単にいうと、リラックスです。でも、だらーん、とするのではなく、
立つために必要な筋肉はしっかり緊張させ、そうでないところは緊張を抜く、
という状態です。緊張筋は、緊張を感じないため、自分の自覚としては、リラックスして楽な状態です。
このエクササイズでプチ体験すると、それを再現する目安になります。

そして、共同作業であることも、わたしが好きなポイントの一つです。
これはひとりではできません。
さらに、人に触ることが苦手な人、ちょっと恐いと感じる人もいるため、
それを緩和していくひとつ方法だとも思っています。
ふたりであれこれ、わいわい、呼吸も合わせて真剣にとりくむ姿は、とても良い光景です。

できる、できない、ではないのです。
自分でできないと決めたら、そこで終わり。
隣の人と比べることも、意味がありません。
「やる」と決めて、やってみること。
これはすべてに通じることで、人生は「やると決めてやってみる」の連続だと思います。

おかげさまで、今日も楽しいクラスでした。みなさん、ありがとうございました。



 


「本物は、6つの耳で聞くものではない」

2015.06.18 Thursday



武当山(中国 湖北省)にお稽古に行ったときに、「法不传六耳」という
言葉を教えてもらったことがあります。

「本物は、6つの耳で聞くものではない」つまり、本当に伝えようとするときは、
師匠と弟子の1対1、ということです。太極拳でも、師匠と弟子、ふたりっきりで
部屋にこもり、誰にも見せずにお稽古する、と聞いたことがあります。

わたしもこの6か月、そんな体験をしました。そして今日、卒業しました。

東京で、常時教わる太極拳の先生がいなくなってから1年ほどたちます。
武当山に年2回お稽古に行くほかは、自分でお稽古していましたが、
まだまだ未熟なわたしに必要なことを教えてくださる方は、ずっと探していました。

そして偶然、でもきっと必然で、今の先生にお会いしました。
この方、実は太極拳の先生ではなく、踊りの先生です。
分野は違いますが、「この人だ」と思い、習い始めました。

「何をやりたいの?」と聞いていただいたとき、わたしは「ちゃんと立って、
ちゃんと歩けるようになりたい」と答えました。

それから6か月、ふたりだけ、4つの耳だけの個人レッスンを通して、
いろんなことを乗り越えてきました。
姿勢が良いと言っていただくこともありますが、
実はもともと側弯症があり左右のバランスは悪かったですし、
足は強いけど上半身が弱いというように上下のバランスも弱かったのです。
そして心のバランスも弱く、「まだ足りない」という渇望感は常に持っていましたし、
「できない」という自己否定のダークサイドに落ちることもしばしばでした。

そんなわたしに、「丁寧に体を扱うこと。丁寧に心を扱うこと」を教えてくれたのが、
この先生です。体を丁寧にみて、丁寧に扱い、大地の上、天に向かってしっかり立つこと、
そして、丁寧に歩くことを、ずっとやってきました。体からのアプローチだけではなく、
心も丁寧に扱うこと、穏やかな心で生きることも、ずっと取り組んできました。

最初の頃、あまりの出来の悪さに、「今ごろこんなことやっているようじゃ。。。」とボロボロ
泣いたこともあります。そんなとき、「簡単にできるようなことじゃないし、時間がかかるから、
早く『やる』と決めないといけないのよ」と一喝されました。

それで、「やる」と決めたのです。

丁寧に立って、丁寧に歩くこと。
ずっと太極拳をやっていくこと。
それを「やる」と覚悟をきめました。

途中には反抗期もありましたし、3歩進んで2歩下がるという不器用さでしたが、
半年前とは比べ物にならないほど、体も心もずっと、しなやかで強く穏やかになりました。
自分に嘘をつかず、まっすぐに生きようとすることで、
背骨も少しずつまっすぐになってきています。
股関節の可動域も、少しずつ広がりつつあります。
体の末端の緊張もとりやすくなり、足のサイズは22.5センチから23.5、場合によっては
24センチと、1〜1.5センチ、大きくなりました。
縮こまって固まっていた足の指がのびのびし始め、大地をきちんと踏めるようになってきました。

「人は、やれないことは思わないの。だからやると決めたら、できるのよ。」

やる、と決めると、好きとか嫌いとか、関係なくなります。
好きだから、楽しいからやるのではなく、苦手でも大変でも、やるのです。
それを無理なくできるものが、自分の使命だと思います。

やると決めたらできる、ということは、逆に言えば、できなくても良いのです。
やろうとすることが大事だからです。

「卒業」と言っても、わたしが完ぺきに立って、歩けるようになったわけではありません。
立つこと、歩くことは、一生のお稽古です。
これは、太極拳でも同じことです。
5月に武当山で新しい歩き方を習ったときに、中国の先生は、
「慢慢学。(ゆっくり練習すること)。これはみんな、ずっと長い時間をかけて
自然に歩けるように練習するんだよ。だから心配することないよ」と
言ってくださいました。実際、中国でのお稽古は、立つ、歩く、などの基本を
繰り返し何度も何度もやります。シンプルですが、それだけに毎日、毎回、違うのです。

立つこと、歩くことのなにがよいのか、それを言葉にするのは難しいのですが、
体を持って生きる人間にとって、大地と天の間に立ち、歩くことは、
地球と一緒に、リズムを合わせて、無理なく自然に生きることを思い出させてくれます。
生きているエネルギーに溢れ、自分への安心感、信頼感も溢れます。
そしてわたしの周りには、穏やかで平和な世界が広がるようになりました。

この過程で先生は、わたしにあったエクササイズや、アプローチを、たくさん考えてくださいました。
こういうことは、1対1でないと成り立ちません。
4年ほど前に教わった「法不传六耳」の意味が、思いがけない形で腑に落ちることになりました。
わたしに付き合うと覚悟を決めて、一緒に歩いてくださった先生には、たくさんの感謝を送ります。

まだまだこれから、でも、「やる」と決めているから、もう大丈夫です。
道を外れたら、戻ればよいだけです。
少しずつ、「慢慢習」ね。




















今日、先生からいただいたガジュマルの樹。
精霊が宿り、幸せを呼ぶ樹、幸せを見守る樹とも言われます。
「まゆみさんみたいね」と、先生。?という顔をすると、
「上はきれいで、下はしっかりしているでしょ。」
 


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