ふつうが、いちばん。ふつうが、特別。

2015.11.17 Tuesday


(ミナクル祭りの出演者「みなみん」と握手。豊橋南高校のゆるキャラです)

先日の日曜日は、豊橋の「なかよし太極拳クラブ」の初舞台でした。
ときどきお借りしている施設、ミナクルでの「第1回ミナクル祭り」に出演したのです。

2か月前、イベントがあると聞いた日に、生徒さんのアイディアで出演を即決(笑)。
1年半ほど練習している生徒さん2人に、まだはじめたばかりの2人も加えて、みんなで参加しました。

まずはこのクラブが立ち上がるきっかけとなった「武当太極扇」をふたりが、
それからみんなで「64式武当太極拳」のはじめの部分を披露して、
最後は会場のみなさんと一緒に気功の体験をしました。

まだ新しい施設のため、イベント前は「観客、誰もいないかもね(笑)。」なんて
話していたのですが、とんでもありません。ぎっしり、50人近くいらしたような。。。

音楽の音がでなかったりなどのハプニングもありましたが、それでもみんな、平常心を失わず、
機転もきかせて、落ち着いて最後まで終えることができたことが、何よりも良かったです。
はじめたばかりの生徒さんも、「すごく楽しめた」「無心だった」と、なかなかの大物です。

こんなふうに、太極拳を通じた交流が好きです。好きが広がっていく時間が、好きです。
こんな機会をいただけたことと、生徒さんに、感謝しています。

さて、ちょっと興奮するイベントが終わった後は、お昼寝タイムを経て、午後の練習です。
通常の練習に戻り、64式武当太極拳の続きを練習しました。
新しい動きを、あれこれ探りつつ、「楽しい〜。」

実はこの太極拳、今は仲の良い友人でもある生徒さんと、はじめて話すきっかけになったものなのです。
わたしが中国の武当山で習ってきたこの太極拳を、お見せする機会があったときに、
「すごく良かった。わたしもこれが習えるようになるように、頑張って練習します」と
声をかけてくださったのです。

その方は、今、この太極拳をお稽古しています。

それって、すごいことだと思うのですよ。

さらにすごいこともあります。
太極拳の基本となるような、五行六合功という気功があるのですが、
その方、すごくこれに苦手意識があったのです。「どうにも感覚がつかめない」と。

でも、今回、やってみました。
そうしたら。。。全然違うのです。腕の動きで陰陽の転換を感じるようなものなのですが、
ちゃんと何かを感じているのが、外から見ていてもわかります。
ご本人も「全然違う。いくらでもやっていられる。」

やりたいと思っていたものを、現実にやっていたり、
できないと思っていたものが、気持ちよくできるようになったり。
昔、夢に描いたことは、気がつくと叶っていたりするのですよ。

終わった後、「楽しかったねー。」
朝のイベントが、遠い昔の話に思えました。

特別なイベントも良いですが、わたしにとっては日常が一番。
ふつうの毎日の中で、仲良く楽しくお稽古する時間が、何よりも好きです。

ふつうの毎日には、たくさんの感動や発見があふれています。
ふつうの毎日は、いつでも特別な毎日です。


(中国、武当山の朝)

 

天地に深く愛されて、歩く

2015.11.13 Friday



わたし自身のお稽古では、立つ、歩く、という練習もたくさんします。
30分、1時間、立つ(站椿功、站功)だけだったり、歩くだけだったり。
これらはシンプルで、とても豊かなお稽古です。

今は、八卦掌の歩き方を主に練習しています。
太極拳の歩き方とは違って、足裏を水平に保ったまま、かかともつま先も上げずに歩きます。
実際には早く動くのですが、今はゆっくり歩く、という練習を主にしています。
体の状態を確認して、心見ながら、ゆっくり歩きます。

この練習に役立つのが、立つ練習のときに得た感覚です。
放松(ファンソン)というリラックスした状態を保ったままでいられるかどうか。
(立つ練習、站椿功(站功)については→http://blog.minminkung-fu.com/?eid=85)
(放松については→http://blog.minminkung-fu.com/?eid=84

そのときにとても大事にしていることは、
「わたしは天と地から深く愛されている」と心に持って、歩くことです。

”にわとりと卵”のように、
放松の状態だと天地との信頼関係も築けているし、
天地との信頼関係があれば放松でいられる、とも言えます。

「なんでも自分でやらないと」という無駄な力みがあると、信頼関係は築けません。
一人でできるというのは、頑張っているのだけど、残念ながら無駄なエゴになります。

花の種は、花を咲かせるように、
人間の爪という細胞は爪になるように、
この世のものはすべて、なるようになります。
爪から髪の毛が出たりはしません。

歩くことも同じです。
無駄な力やエゴを働かせなければ、なるようになります。
二足歩行をする人間は、何もしなければ一番望ましい形で歩けるはずです。
現実で歩くことだけではなく、生きること、人生という道を歩くことも同じだと思います。

そして、花も、爪も、固体特性は違いますが、すべて「なるようになる」という意味では
同じです。広げていくと、土も、樹木も、わたしも、同じです。
天地とわたしも、同じです。
天地と自分の信頼関係は、自分への信頼でもあります。

歩くことは、実はとても繊細な作業です。
どこの筋肉をつかって動くか、どこに緊張が出るか、ゆっくりみていきます。
すぐバランスが崩れるのもわかります。
そうすると、自分への信頼も揺らぐような気がします。

普段のようにさっさと歩くと、バランスを崩してもスピードという勢いに助けられたりします。
すぐに調整できるのも人間の能力のすごいところです。
これが普通にできるから人はどんどん歩けるのですが、
逆に言えば、あまりに普通すぎて見逃していることがたくさんあるような気がするのです。

本当は、ちょっとずつバランスを崩しているのに。
本当は、それで不安になっているのに。
本当は、それで自分への信頼をなくしているかもしれないのに。

歩く時間は、そんなことを思い出す時間でもあります。

これも「道法自然」。
人は地に法(のっと)り、地は天に法り、天は道に法り、「道は自然に法る」。
(老子「道徳経」第25章)。
さからわず、あるがまま、余分なことはせず、今すべきことに集中する。
そうすれば花の種が花になるように、わたしという固体はわたしを生きることができると思っています。

わたしらしく生きる、ではなく、
わたしをそのまま生きること。

これは、一生続くお稽古です。


 

パンダには天敵がいない

2015.11.12 Thursday



世事に対して超然としている性格のパンダ。

高いところからぽてっと落ちても、何事もなかったように立ち上がります。
人間のようなしぐさは、赤ちゃんのようでもあり、中年(笑)のようでもあります。
そのときの欲望に素直に、でものんびりと生きているように、わたしには見えます。
(実際に聞いてみたわけではないので、本当のところはわかりませんが。)

昨日、「パンダみたいに生きていたい」という話をしたら、
「パンダにはね、天敵がいないんだよ。」と。

現在、自然界にはパンダの天敵はいないそうです。
それにはパンダのごはん、竹、笹も関係してきます。

パンダは本来、肉食性の強い雑食動物の消化機能を持っており、繊維質の多い竹や笹を
充分に消化して栄養にすることも難しく、生きているために必要なエネルギーを得るためには大量の
笹を食べる必要があるのだそうです。

ある意味、効率的ではない食べ物を選んでいるのですが、それにも理由があります。
天敵や餌の競争を避けて中国山岳地帯の奥地を生息の場としたため、そこで冬でも枯れずに
一年中豊富にある食物が竹や笹だったそうです。

天敵を避けて安全な環境で暮らすことを選んだ結果、食べるものについては無理するようになったとか。
(上記は、上野動物公園のHPを参考にさせていただきました。)

人間にも、天敵はいません。
でも成長過程で、自分の妄想で敵を作っていくことがあります。
「あの人が嫌」とか、「こんな理不尽なことをされた、許せない」と思ったり、
人との競争もあります。
わたしにも、すごく覚えがあります。

でも、起きていることを相手のせいにしたり、
誰かとの比較で競争を続けていたら、いつまでたっても休まるときは来ません。
さんざんやった後に、「こんなのは、もう本当に嫌だ」と、わたしは思ったのです。

起きていることには自分で責任を負う(これは自分が悪いと非難するのとは違います)、
他人との競争ゲームからは降りる、と決めました。
ときどき道を外れておかしなことになることもありますが、気づいたら戻る、の繰り返しです。

パンダの生き方は、武術にも通じるところがあると思います。
武術の武は、戈(ほこ)を止める、という意味で、戦いをするためのものではなく、
戦いを終わらせるためのものです。
パンダのように争いを避けて生息地を変えるのではなく、起きてしまった争いを止めて
調和を保つ、という方法を選んだと言えます。野生動物と人間のように生きる世界が違う存在も
いるため、仲良くするというよりは、お互を尊重して脅かすことなく共存する、というイメージです。

もっとも良いのは、戦いを起こさないことです。
そのためには、自分がやわらかく穏やかでいることが大切です。
妄想で天敵を作っている場合、身を守るために自分は鎧を着たり武器を持ったりするため、
相手から見たら怖がられて、逆に攻撃されたりするからです。

太極拳は、心と体の無駄な緊張をとって、調和への道を歩むものだと思っています。
その套路(とうろ=型)には、体の無駄な緊張をとっていくコツがたくさん含まれています。
わたしが太極拳をするとき、自分の実感としても、体の専門家の整体の先生に見ていただいた時も
共通していたのが「太極拳をやりながら一番楽な状態をだんだんと探っていっている」ということでした。
実際、最初と最後には同じフォームがあるのですが、最後の方がラクで軽く動けます。
そして動く前の前提として、心が落ち着いて穏やかであることが、とても需要です。
イライラしたまま動いても、太極拳をする良さを生かすことはできません。

余談ですが、「パンダ体操」と勝手に呼んでいるものがあります。
両方の足の裏をつけて座り、体を左右にゆらゆら揺らしてから、
どちらか一方に倒れてくるりん、と一回転するものです。
右に倒れたら、足が上がって背中が床について、左足・腕から床に降りてきます。
これ、リラックスした状態でないと、スムーズにできないのです。
力んでいると、背中が床についた後に起き上がれなかったり、すごく力を必要としたり。
自分の状態を確認できるので、面白いですよ。
初めての場合は、畳がおすすめです。そして結構移動するので、広めの場所にしてくださいね。


(64式武当太極拳より)

 

「瞑想」をする意味

2015.11.07 Saturday



最近のお稽古では、太極拳の前に瞑想の時間をいれることがあります。
足を組んで座り、体をリラックスさせ、ゆっくり呼吸します。
普段、自分の外側に行きがちな意識を内側に向け、心を落ち着けていきます。

この瞑想の意味について、今のわたしが理解していることを書いてみようと思います。

中国武術(カンフー)には、動かない「静功」と、動く「動功」があります。
気功や太極拳は、「動功」です。
動功は、陽気、つまり生きていくためのエネルギーを育てる、と言われています。

陽気とは、後天の気、とも呼ばれます。
人は、生まれたときに「先天の気」を持ってきます。
わかりやすくするために、ランプでたとえると、ランプの燃料が「気」で、
それを使って命という炎を燃やし続けるのが人の一生です。
「先天の気」だけをエネルギーにすると、わずかな時間しか持たず、火は燃え尽きてしまいます。
そのため赤ちゃんは生まれると、口を動かして酸素を取り込み、母乳を飲んで、栄養を取り、
「後天の気」を育て始めます。そして「後天の気」を補充しながら、「先天の気」をなくさないように
ランプを燃やし続けます。

気功や太極拳は、体の無駄な緊張をとって血液の流れを助け、体を温めることができますし、
さらに内臓機能がきちんと働くように育てていきます。このため外から取り込んだ酸素や栄養分を、
自分のエネルギーに転化してランプの燃料にするとができます。

この陽気、陰気のないところには育たないと言われています。
その陰気を育てるのが、瞑想や站椿功(站功)などの静功だと教わりました。
太極図で、異なる質のものがお互いに補完しあいながらぐるぐるとまわるように、
陽には陰が必要で、陰には陽が必要です。それと同じことだと思います。


(太極図。パンダは、おまけ)

わたしの感覚としては、静功は土台というか、ベースを作る、というイメージです。
体と心を整えていく、と言ってもよいと思います。

站椿功(站功)、つまり立禅のように立ってやる場合は、無駄な力を抜いて
リラックスした体の状態を探っていくため、体の準備という要素も強くなる気がします。
このベースがあると、太極拳などの動功は全然違ってきます。
時間でいえば、体を起こしたい朝に向いています。

瞑想、つまり坐禅のように座る場合は、心を整えるという要素も強くなる気がします。
こちらは夜にも向いています。

道教では、6時、12時、18時に30分間ずつ静功をすると聞いたことがあります。
お坊さんでない人たちにこのペースは難しいので、回数、長さとも、やりたいだけで良いと
わたしは思っています。

瞑想の方法にはいろいろありますが、どれをする場合でも、最初は必ず体のチェックをします。
足、腕、背骨など、部位をひとつずつ見ていき、ゆるめて体の準備をしてから始めます。

眠くなってきて、本当に寝てしまう人もいます。
そして「寝てしまうと瞑想の効果がない」と言われます。
深い瞑想に入るとシータ波(Θ波、8−4Hzの周波数)が出て、潜在意識の状態
になると言われています。寝る直前、まどろんでいる状態のとき、いいアイディアや奇抜な
方法が突然浮かんだりするのは、この状態のときだそうです。

わたしが知っているセラピストさんは、ボディトリートメントをしているときの自分の
脳波を測ったら、ずっとシータ波だった、とおっしゃっていたことがあります。そして
「良いセラピストは、お客様も寝かせずに、寝る直前のまどろむ状態に保つのが、一番効果がある」と
おっしゃっていました。つまり、どちらもシータ波です。寝てしまうと、すべてがお休みになり、
癒すスイッチも入りにくくなるのかな、と思います。

では、瞑想もボディトリートメントも、寝てしまっては本当にだめなのでしょうか。
わたしは、「眠ってしまった場合は、どうぞ気持ち良く寝てください」と言っています。
セラピストさんも、「気持ち良く寝られたなら、それはそれで良いですよね」とおっしゃっていました。
なぜかというと、寝てしまう場合は、シータ波の効果以前の問題で、
体が疲労していることが多いからです。そんなときは、まず、欲求のままに寝るのが一番です。

瞑想の効果については、書かれているものも多く、ネットを調べて簡単に出てきます。
それを理解してやるのも良いのかもしれませんが、わたしは静かに立ち、静かに座り、
静かに呼吸を続けて自分と向き合いながら、自分で発見していくのが良いと思っています。
修行というものがあるのであれば、それは苦行ではなく、自分でやると決めて、やってみて
その体験から発見したことだと、思っているからです。他人と同じである必要はありませんし、
自分が感じたことについて、他人からとやかく言われることでもないのです。

「陰気のないところには陽気は育たない」という言葉の意味を理解するには、わたしもまだまだ
時間も経験も足りませんが、陰陽の調和を図ること、お互いが補完し合いながら発展していくことを思うと、
瞑想をする意味は、言葉ではないところで、少しずつ理解しているような気がします。

まだまだひよっこです。わたしも続けながら見つけていく「道」の途中なのですよ。


(中国、武当山の朝)


武術太極拳と健康太極拳

2015.11.03 Tuesday


(ご挨拶の形。陰陽マークをつくり、武器を持ってないことも表現しています)

太極拳をしています、とお話すると、「武術太極拳ですか?健康太極拳ですか?」
と聞かれることがあります。この区分について詳しくは知らないというお断りをしたうえでの
わたしの答えは、「太極拳は武術であり、だから健康によい」です。

武術の「武」は、戈(ほこ)を止める、という文字です。
もし戦いが起きてしまった場合、止めるための手段が武術です。

わたしがお稽古している武当拳(内家拳)は、道教の聖地でもある湖北省の武当山で
生まれました。
山には動物もいて、熊に遭遇することもあります。
人に会うと熊がびっくりして攻撃してきます。
何もしなければ命が危なく、そうかと言って熊を殺すわけにもいきません。
人間より熊が偉いことはなく、それぞれ価値ある存在だからです。
そのために相手の軸を崩して気をそらして、「こんなことはやめましょう」という
手段として、武術を使ったと言われています。

想像してみてください。命がかかっているため、
心を落ち着けて、最新の注意を払って自分の体を丁寧に扱い、
できるだけ自分の労力を使わずに効果を出さないといけません。
力任せにやれば動きは遅くなりますし、使いすぎると自滅します。
早く効率的に動くためには、中国語で放松と言われる状態にして無駄な緊張を除きます。
たとえば腕を使う場合も、腕だけ振るのではなく、
体の中心から力を伝えるようにします。どこかが緊張していたら、動きを止めてしまいます。
(放松について詳しくは→http://blog.minminkung-fu.com/?eid=84

これが結果的に健康にも良いのです。
無駄な緊張を取ることで、全身の血流が良くなります。
血が回れば、体は温かくなります。万病の元と言われる冷えも解消できます。
さらに自然に呼吸することで横隔膜がやわらかく上下に動き、
内臓を刺激し、本来の機能をきちんと果たす環境を整えてくれます。

そして心を落ち着けることで、自分で病を作り出すことも避けられます。
「病は気から」です。
(詳しくは→http://blog.minminkung-fu.com/?eid=18

現代では、危機回避の必要はあまりないと思われるため、
実質的には太極拳は健康のため、と言えると思います。
ただし、その由来は武術であり、わたしはそれを大切にしてお稽古をしています。

そして、一番良いのは戦いを起こさないことです。
それには相手に恐怖心を与えないことです。
自分から攻撃しないのはもちろん、自分が平和でいることが大切です。
自分が怖がっていると、鎧を着て防御したくなり、そんな姿は外から見ると怖く、攻撃されやすくなります。
体の緊張が強い人も、外から見ると怖く見えるかもしれません。
逆に、無防備な赤ちゃんは攻撃の対象にはなりにくいと思うのです。

田理阳師父(武当玄武派第十五代継承者)は中国武術の意味として、
「1は健康のため、2に自分を守るため、3に人を守るため」とおっしゃっていました。
自分が心身ともに穏やかにどっしり構えていれば、相手から攻撃もされませんし(2. 自分を守る)、
相手の攻撃心を刺激しない(3. 人を守る)にもつながると思います。
それを育てていくのが太極拳で、健康のため、そして平和な世界を広げるためだと思っています。


 


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