丹田で読んで、丹田で話す

2015.08.29 Saturday


(信州で出会った、おとぼけウェルカムポストくん)

わたしは結構、せっかちです。

本を読むのも早く、”ななめ読み”もします。
人の話は半分くらいで「わかった」つもりになり、
早合点してしまうこともあります(失礼な話です。ごめんなさい)。
そこそこ弁も立つので、ぺらぺらと、どんどん言葉がでてくることもあります。

でもこの状態が居心地がよいかというと、そうではありません。
頭だけがくるくる回っている状態なので、首から下が置いてきぼりになっているのです。

最近、丹田で読む、丹田で話す、という経験をしました。

わたしが”せっかち”であることを知っている方が、「本を読むときはね、丹田で読むの」と教えて
くださったのです。姿勢は、きちんと座るか、もしくくは寝そべるなど完全にリラックスするかの
どちらかです。両極端に見えますが、どちらも深く呼吸ができる姿勢です。
そして、一文ずつ、丁寧に文字を追って、呼吸をしながら”腹”に落とし込んでいきます。
言葉が伝えてくること、目に見えない行間から伝わる感覚を、丹田に落としていきます。
そうすると、わたしは感じ方が変わる気がしました。

せっかちに読んでいるときは、頭のアンテナで情報をキャッチしているような気がします。
でも、丹田に落とし込んで読むときは、頭ではなくて、体の感覚として反応が起きます。
心の琴線が触れるところにくるとじわっと涙が出たりします。
すごくゆっくりしか読めませんが、とても味わい深い読み方になります。

そしてその翌日、友人を訪ねて行った信州では、”お腹から話す”経験をしました。
のんびり旅行で、話したいときに話す、ぼーっとしていたいときにはぼーっとするという、
とてもリラックスした環境で、気づいたら、ゆっくり、お腹から声を出して話していました。

お腹から声を出す、というのは、大きな声を出すのとは違うのです。
自分のペースで呼吸して、その呼吸に自分の声を乗せて話している感覚です。
無理することなく、心の底から上がってくる思いを、そのまま言葉にして出しているともいえます。
「こういう話し方、最近していなかったな」と思いました。

普段、太極拳のクラスでは、「自分のペースで呼吸することが大事です。話し方が早くなるのは、
呼吸が早くなっているサインで、それはストレスがかかっているからです」とお話しているのですが、
わたしも、気づかずにちょっとペースが狂っていました。

これが、わたしの居心地の良いペースです。

念のため、わたしは速読や早く話すことを否定しているわけではないのです。
適材適所で、それが必要なときには、そうすればよいと思っています。
ただ、どれが今の自分にとって居心地が良いのかを、わかっていることは大事だと思うのです。
せっかちになりがちなわたしの場合、ゆっくり読んで話すこと、丹田で読んで話す状態が、
良い加減、というだけのことです。
そうすると、自分の中に入ってくるものも、出ていくものも、より繊細で細かいものになる気がします。

日常生活の中で、丁寧に生きること。
まだまだ、できていないことも多いですが、
「道」を外れていることに気づいたら、また戻る、の繰り返しです。
今はこれが、一番の修業かな、と思っています。


(入笠山の頂上で出会った淡いブルーの蝶)

武術大会に出ること

2015.08.24 Monday


(2012年 世界伝統武術大会にて(中国、安徽省))

太極拳は、人に見せるものか、自分のためにやることか、いろいろな考え方があります。
わたしは自分がどうしていきたいのかわからず、悩んでいた時期がありました。

2010年にはじめて中国で武術大会に出た2年後、再び大会に出るかどうか、迷っていました。
金メダルは取っていましたし、何よりも前回、大会のピリピリした雰囲気に疲労してしまったからです。
「好きでやっているもので、そもそも人と争うようなものではない」という気持ちもありました。
今度はどんな結果が出るのか、怖かったのかもしれません。

出るか、出ないか。
迷いながら出ると決めて、中国にいる師匠のひとり、虚谷師父に伝えました。

「大会に参加するのは良いことです。大会に出ることは良い順位や名誉のためではありません。
さまざまな人々との交流で、それはすごく貴重な機会です。それぞれの強みや弱みがわかるし、
どこをもっとやっていったらよいかもわかります。大会では、あなたがより自分らしく、
自分自身であってほしいと願ってます。」

「大会を単にスタジアムで行われる試合として見るのではなく、
空に向かって自由に舞い上がる、交流の場だと思っています。あなたが好きなもの、学んで得たものを
表現することを楽しめたらそれでよい。あなたは本当にこれが好きだと、あなたのボディランゲージで
表現すれば、観ている人に伝わります。あなたはきっとリラックスして試合に臨めるし、
疲れるなんてことはありません。」

この言葉で、すっきりして試合に臨めました。
結果として、2012年の大会では、個人で銅メダル2つでした(太極拳、太極扇)。

それなりに気持ちを決めて出場したものの、この後も自分はどうしていきたいのか、迷い続けます。
大会に出る前、腰や足を痛めそうになる不安と戦いながら練習していた自分にも疑問を感じましたし、
大会用として割り切って”見栄え良く”やる、ということにも納得しきれていませんでした。
”競争”にとらわれていたこともあります。
さらに「お世話になった先生たちへの恩返しとして、メダルを取りたい」とも思っていたのですが、
今から思えば、これは「結果を出さないわたしには価値がない」という、
自分への信頼のなさの現れだったと思います。

そんなわたしの迷いは、当時に習い始めた気功の先生に見抜かれており、
「太極拳は、人と比べるものでも、見せるものでもない。あなたもこれから、これをどうやっていくのか、
ちゃんと決めなさい」と言われました。

それから2年ほど経ち、独立して、教えるようになりました。
今は「大会に出る出ないの問題ではない」と思っています。
出場するタイミングが来たら出ればよいし、そうでなければでなくても良いのです。
出ても出なくても、それよりも大切なことがあります。

太極拳は、わたしにとって、大切で、大好きなコミュニケーション手段です。
自分が好きなことを体で表現して、人と交流することが、好きです。
虚谷師父から言われた言葉が、わたしの中でしっかり育っていったと思います。

見た人がいろんなことを自由に感じてくださること、一瞬の笑顔につながること、
そしてその人たちの何かのきっかけになるかもしれないこと、そういう可能性も全部含めて、
人に見せる機会を楽しんでいますし、大切にしています。

中国武術(太極拳は、中国武術のひとつです)は、「外で人が見ている前では大きく動くが、
練習するときはドアを閉めた部屋の中、誰にも見せずに、小さく動く」とも言います。
わかりやすく大きく動いたら、相手に自分の動きを察知させるきっかけを作ってしまうことにも
なりかねません。ですので、大会用に大きめに動くことは、本来のものではない、という考え方も
あります。

でも、大きく動いて練習しておくことで、小さく動けるようにもなる、という考え方もあります。
慣れないうち、自然に動けるようになるまでは、大きめに意識的に練習することも必要だと思っています。
ですので、これも、大きい、小さい、の話ではないと思っています。

今はこんな考えですが、続けていくうちに、また変わるのかもしれません。

いろんな体験をしたからこそ、迷うことはあっても、今のわたしの道はこれだ、と言えるように
なっていると思います。そんな経験のきっかけを作ってくださったすべての人、環境に、感謝します。

大切な指針をくれた、虚谷師父との出会いの話は、こちらから↓
http://blog.minminkung-fu.com/?eid=75




(2012年 世界伝統武術大会 武当太極扇)
 

武当太極扇

2015.08.22 Saturday



(武当太極扇)

わたしが大好きなもののひとつが、太極扇です。
これはわたしに、お腹から全身つながって動くことを教えてくれたのです。

4年前、武当山にお稽古にいったときに教えていただきました。
先生は、当時16歳の女子。吴淑雯(Wu shu wen)という名前です。

動きの練習に入る前に、まずは休み時間や空き時間に、扇を開く練習から始めました。
手首はほとんど振りません。お腹の力を伝えて、一気に開きます。
バラバラと開く音がするのも、だめです。一瞬で、音は一つ。バッと開きます。

これだけでも一苦労です。指が緊張していると扇がひっかかって全部開きません。
指をリラックスさせて一気に開いたら、くっと指を使って扇の骨を押さえます。

なんとか開けるようになったら、動きの練習です。
慣れないうちは腕だけ振ってしまうのですが、そのたびに
「ノー!!!」と厳しい声が飛びます。
腕は体が動くのにつられて、くるんと回るだけなのです。
さらに、体もくるくるターンするのですが、これもつま先でくるんと回ったりしません。
それでは安定して回れないからです。
足の裏は全部つけて、細かく踏みかえることで、くるくるターンします。

武当太極扇は、切れ目なく早く動くところと、3秒ほど止まるところなど、
緩急のリズムがあります。たくさんの動きを「1」のリズム、つまり止まらずに動くところもあり、
練習中に「フォームがわからないから早くできない」と言っても、
先生は「ノー!とにかく『1』で動け」とおっしゃいます。
その練習の様子を見ていた友達はちょっとおびえながら「君の先生は怖い。。。」と
言ったほどです。やけっぱちでやってみると。。。案外、できるのです。
先生、さすがです。

習っているとき、とても印象深いことがありました。
先生が自分の練習中に足を痛めたことがあります。
その足では、低い姿勢を取るのは苦しいです。
でも、わたしにフォームを教えるために、苦しそうな顔をしながら、何度か
見本を見せてくれたのです。
その姿を見て、教えるとはこういうことだと教わりました。
まだ小さな16歳の先生を、わたしはとても尊敬しています。


(扇の骨は、本来は剣です。これは相手の首に剣を突き付けているところ)

扇が好きな理由はいくつかあります。
動きが好き、ということもありますが、見ている人を笑顔にするということも大きいです。

竹の骨でできた扇は、開くと大きく響く音がします。
日本の公園で練習していたときは、サッカーの練習をしていた小学生の男の子たちが、
しばらく遠くから見ていて、そのうちに近寄ってきました。「それ、何?」
説明して「やってみる?手首をふらずにお腹の力を伝えてひらくんだよ」というと、
こぞって挑戦。ああでもない、こうでもないとみんなでワイワイ騒ぎながら「できた!」と喜びの声。
ひとしきり遊んで、「ありがとうございました」と礼儀正しく去っていきました。

幼稚園くらいの男の子には、「昨日、ウルトラマンショーに出ていたでしょ」と笑顔で
話しかけられたことも。「うん」と答えてしまいました(うそつきです。ごめんなさい)。

中国で練習していても、周りの人がみんなニコニコしながら見ていきます。
こんな風に、笑顔が広がっていく様子が、好きです。

3年自分で練習して、去年から生徒さんにも教えるようになりました。
「楽しい〜」と言いながら、生徒さんがお稽古する様子も、嬉しいです。

これからも、わたしももっと練習して、武当太極扇を伝えて行きたいです。



























(太極扇を教えてくれた、吴淑雯。)


(吴淑雯とは、おいかけっことか、くすぐりっことか、よく一緒に遊びました。
男子からは「女っ気がない。。」と嘆かれていましたが、わたしから
みたら、大好きなかわいい女の子です。カンフーの先生になりたくて、
今でも田理阳師父(武当玄武派第十五代伝承人)の学校にいます。
いつかまた、会いたいです。)

先生との出会い

2015.08.19 Wednesday
















(2012年5月 虚谷師父と)

たくさんの先生に巡り合ってきました。短い場合も、長く関係が続く場合もありますが、
その時々に必要な先生に出会ってきたと思います。

今日はその一人、虚谷 (Xu Gu) 師父(先生のことを、師父と言います)のお話です。
わたしの今の先生、明月師父の兄弟弟子で、同じく武当玄武派第十六代継承者です。

明月師父が独立して学校を開いたときに、副館長として来ていました。
そこにはじめてお稽古に行ったとき、最初は明月師父に習っていたのですが、
「明日から実家に帰るから、違う先生が教えるよ」と言われて習い始めたのが、この先生です。

いきなり「先生は誰?何を習った?」と、質問ぜめ。
実はここまでの3日間、わたしがお稽古しているときにやってきて、じーっと見て、
何も言わずに去る、ということが何回かありました。

「あなたの動きは外見はきれいだけど、中が悪すぎる。体が緊張して硬すぎる」と。

がーん。。。はい。。。。

「歩く練習をしているか?前、後ろ、横歩きは?」と聞かれたので、ない、と言うと
「それはだめだ。基本だから。これからそれを教えるから」と、お稽古が始まりました。

ある意味、こんなにわたしを知ろうとしてくれて、欠点をきちんと指摘してくれた先生は
他にはいないのです。

最初に教えてもらったのが、横に歩くだけのカニ歩きです。2時間、ひたすら横歩き。
ずっと手を横に落としていたら、むくんで手がぷっくり膨れたのを覚えています。

それから前歩き、後ろ歩きを順番に教えてもらい、
ちょっとずつ進歩して、五行六合功という気功の練習も始めました。
これは太極拳の基礎になるような練習です。

「これだけ、40年間ずっと練習する人もいるんだよ」

そういいながら、根気よく、当時のわたしの一番の問題だった「緊張による硬さ」がとれるように、
リラックスする方法を教えてくれたのでした。

「外から見た形が美しければ良い、というのではありません。まず心をからっぽにして、何も整えず、
自然な呼吸に従うこと。樹木のように、根をしっかり張り、伸びる枝のように体はのびのびとすること。
体は適度にフレキシブルで、弾力性がある。まずこれができてから、外から見える形や動きを学ぶんだよ。」

帰るときに言われたことは、「大事なポイントはつかめたから、後はこれが安定するように、
自分で練習を続けること。教えたことを、とにかく3か月、ずっと続けるように」

帰国後のメールでは、「あなたもわたしも学んでいる途中です。
ことわざに、努力は必ず報われる、というのがあります。
これは長いプロセスですが、続けていけば、すべての問題は解決していくし、
あなたの努力には大きなリターンがかえってきます」とありました。

虚谷という道号(道教の修行者の名前)は、虚怀若谷(xū huái ruò gǔ)からきているようで、
「謙虚な気持ちが谷のように深く、多くの意見を受け入れられる」という意味のようです。

この先生から習ったのは、この10日間ほどだけなのですが、
実は、教えること、パフォーマンスを人前ですることなどの場面で、
わたしが大切にしている姿勢や考え方は、全部この先生から影響を受けています。
その話は長くなるので、また次の機会に書こうと思います。

良い先生との出会いは、わたしの人生にはすごく大きな出来事です。
先生のおかげで、今のわたしがいると思っています。
















(武当山の山の下にある、当時の学校に続く道。奥に見える小高い山にも、
準備運動で走って上りました。ぜいぜい言いながら。。。)





(こんな姿をじっと見られながら、体が緊張していること指摘されました)




(学校で飼われていた犬。まだ小さくて、後をついてきたり、
座っていると足元に来たり、人の靴をくわえてどこかに持って行っちゃったり、
といういたずらも。1年後に行ったら3倍くらい巨大化していました。(笑))


 

心身の、平和な記憶

2015.08.12 Wednesday


(2011年、武当山で通っていた学校の庭から見た景色)

武当山に2か月間、お稽古に行っていたときのことです。
毎日、お昼休みの後には、六字訣(ろくじけつ)という気功をしていました。
肝、心、脾(胃)、肺、腎 という5つの臓器と全身をケアするものです。
立つやり方と、座るやり方の2種類があるのですが、このときはずっと座るやり方をしていました。

あぐらで座り、たとえば心臓であれば、呵(He)という音を出して心臓に響かせます。
息を吸って、吐いて、に伴う体の動きもあります。
全部だと長すぎるため、1日に3つずつ練習していました。それでも30分くらいかかります。

何よりもつらかったのが、あぐらです。
股関節が固いのか、だんだんと足がジンジンしてきます。
がまん大会のようでした。

このときは、細かい説明もなく、ひたすら真似する毎日でした。
でも、1か月くらいたったある日、突然、違う感覚を覚えました。

「背中(腰)が、あったかい。」
ほわ〜っと、温かいのです。
部屋の窓からは緑の樹が見え、明るい光がさして、鳥が鳴いています。
心身ともに、ものすごく静かで平和な感覚が訪れました。
何とも言えない、幸せな感覚です。

これが、わたしが今、大切にしている平和な感覚を、はじめて感じたときだと思います。




それまでわたしは、目標を立てて達成することに意義を見出すタイプでした。
さほど競争心はない、と人に言っていたものの、(自分で本気でそう思っていたものの)、
実際には自分を競争に駆り立てていました。自分との闘いです。
立てた目標を達成したら勝ち、達成できなければ負け、です。
すごく自分にも厳しかったのです。
そんなわたしに、「みんなあなたのようになんでもできない」と言う人もいました。
でも、わたしだってなんでもすぐにできるわけではなく、努力の結果なのだと思っていたため、
そんなふうにいう人たちを、「自分たちが努力しない言い訳だ」とも思っていました。
今から振り返ると、かなり傲慢です。(ごめんなさい。)

自分を競争に駆り立ててずっと戦いの中にいる生活が、続くわけはありませんでした。
達成しても、自分は幸せではないことにも気づきます。残っているのは疲労感だけです。
そして痒疹という皮膚疾患にかかり、痒くて夜も眠れないときもあり、
ここではじめて、ずいぶん自分を追いつめてきたことに気づきます。
心身ともに疲労しきった自分を立て直すために、2か月、武当山で過ごすことにしたのです。

頭で考える前に動くと決めて、毎日お稽古していました。
できる、できないではなく、とにかく目の前のことをやるだけです。
最初は東京を離れた解放感と、違う土地で過ごす特別感で、ある意味、ビジターズハイとでもいうのか、
穏やかな時間が流れました。「こんな風に東京でも過ごせるはず」と思っていたのですが、
長くなってきて、旅行者ではなく、生活者になってくると、
生活に伴うストレス、人間関係のストレスなど、東京であった問題と同じようなことがめぐってきました。

苦しさも抱えながら、でも、毎日ひたすらお稽古して、お昼後には同じ六字訣を繰り返します。
そんなときに突然覚えたのが、上に書いた幸せな感覚です。

何かを手に入れたわけでもなく、達成したわけでもなく、
ただ、わたしがそこにいるだけで、とても平和で穏やかで、幸せなのです。
あるがまま、という表現をする場合もあるかもしません。

このときから、「わたしはすごく平和な感覚を知っている」と思うようになりました。

問題は、それが長く続かないことです。
知っているのに、忘れることです。
昔の癖で、何かを達成しないと価値がないという強迫観念にかられそうになる自分も感じることがあります。
それはもう違う、と知っているにも関わらず、です。

わたしが太極拳をするのは、これを思い出すためなのかもしれません。
わたしの太極拳を見て、「太極拳をするように、毎日を過ごせばいいのに」と言われたこともあります。
そのときのわたしは、何も望まず、エゴもなく、ただひたすらその場にいて、
穏やかで平和な状態に近くなれているのかもしれません。

今の課題は、この平和な自分でいる時間を長くすることです。
外で嵐が吹いても、やりが降ってきても、自分は平和でいることです。
そのために、とにかく自分に無理を強いず、丁寧に生きることを心がけています。

丁寧に生きると言っていても、実は中途半端な自分をよく発見します。
雑に扱ってしまっているのです。
どうやら本気度が足りないらしく、そうしていると雑な事件がおきます。先日の腰痛騒ぎのように、です。

頑張るという言葉が好きではないわたしですが、
この1か月は、とにかく丁寧に生きることを頑張ることにしました。
平和な自分を安定させるために、です。
1か月、と期限を切ったのは、次に武当山に行く前に、それに区切りをつけたいからです。
毎日を丁寧に生きることこそ修業なのだと、今は思っています。

がんばります。


(当時お稽古していた、田理阳師父の学校の中庭)
 



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