「音楽を広いところに連れ出す」

2019.12.27 Friday

 

今年読んだ中で、いちばん好きな小説は、恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」です。

 

ピアノコンクールを舞台に、4人の出場者(コンテスタント)を中心に描いた長編小説で、直木賞、本屋大賞を受賞し、今年映画化もされました。

 

音楽の神さまに愛された人たちは、とんでもなく純粋で、透明で、その交流も素敵なのです。

 

文章からは、空気感や光、音まで伝わってきます。わたしの中で登場人物が生きはじめて、ピアノの音まで聞こえそうです。

 

この小説で、とても心に残ったフレーズがあります。

 

「音楽を広いところに連れ出す。」

 

コンテスタントのひとり、風間塵くんの言葉です。ちょっとずつ表現を変えて何度も出てきます。

 

塵くんは、変わりダネです。音楽教育を受けたこともなく、養蜂家のお父さんと一緒にヨーロッパを旅し、行く先々で出会うピアノを弾くという生活でした。すばらしくいい耳を持ち、一度聴いた音はすぐに再現してしまうほどで、偶然、誰もが憧れ、敬愛された巨匠、ホフマン先生に出会います。

 

塵くんの演奏中、もうひとりのコンテスタント、栄伝亜夜ちゃんとの間に、こんな会話(リアルではない)が展開されます。

 

「僕ね、ホフマン先生と約束したんだ。(中略)音楽を、世界に連れ出すって約束。(中略)今の世界は、いろんな音に溢れているけど、音楽は箱の中に閉じ込められている。本当は、昔は世界中が音楽で満ちていたのにって」

 

「ああ、分かるわ。自然の中から音楽を聞き取って書きとめていたのに、今は誰も自然の中に音楽を聞かなくなって、自分たちの耳の中に閉じ込めているのね。それが音楽だと思っているのよね」(これは亜夜ちゃん)

 

「そう。だから、閉じ込められた音楽を元いた場所に返そうって話してたの。」

 

塵くんは、ホフマン先生と野外で弾いてみたり、いろいろ試してみますが、どうやらそういうことでもなく、どうしたらいいのかわからないまま、ホフマン先生は亡くなります。

 

「先生はもういなくなっちゃったけど、僕はそれを続けていくって約束した。」

 

このまま本の感想を書き続けたら、いくらでもいけそうですが、本題に戻ります。

 

箱の中に閉じ込められた音楽を、広い世界に連れ出す、ということばです。

 

こういうことって、どの世界にもあるような気がするのです。

 

たとえば文学でいうと、村上春樹さん。

 

熱烈なファンもいて、初版から50万部を刷るという(通常は、確か5000部くらい)すごさですが、

 

この方の小説、ある時期は苦手でした。

 

ドキドキ、ワクワク読み進めるのですが、最後にいつも裏切られたような気分になるのです。

 

例えるなら、かけた梯子を突然外されて、立ち去られてしまうような感じです。

 

文学には、型みたいなものがあります。悲劇は悲しく終わらなければならないし、小説は伏線を張って回収しなければならない、みたいなものです。

 

伏線を張っていないエピソードが突然出るのはダメなのです。

 

でも村上さんの小説は、張りまくった伏線を回収せずに消える、みたいな印象です(個人の勝手な感想です)。残されたわたしは、思い切り消化不良です。

 

でもどこかで、それが村上さんの意図なのだ、と読んだことがあります。いろんな解釈が成り立つ、玉虫色のものにしたい、というような。

 

そんな消化不良のストーリーが好きになったのは、その後、世の中は、たいていのものが玉虫色なのだ、と気づいたからかもしれません。

 

ある意味、すごくリアルです。

 

そして、とにかく面白い。

 

わたしに文学を教えてくれた大学の指導教授が、「文学作品としてどうのという前に、読者に『面白い』と思わせる作品は、それだけですごい」とおっしゃったことがあります。

 

「面白い」に、理屈はありません。理由をつけ始めると、その面白さの本質からどんどん離れていく気がします。

 

「よい」は、「よい」以上の言葉で語れません。他の人の「よい」とちがっても、それもまたよし、です。

 

「よかったねえ」「そうだね、よかったねえ」という会話で、そのよかったがぴったり合ってなくても、いいと思いませんか?

 

その意味では、村上さんは、小説を広い世界に連れ出していると言えるのかな、と感じました。

 

何かが発展していくとき、形ができていくのは自然なことなのかもしれません。その良さや恩恵もありつつ、気づかずに形にとらわれて不自由になることもあるかもしれません。

 

誰も、意図しているわけではなく、悪気もないのでしょうけれども。

 

だからこそ、枠から飛び出すようなことも、生まれてくるのかもしれません。もともとそれがあった、広いところに還るために。

 

そしてちらっと、わたしも、したいことは、太極拳を広いところに連れ出すことなのだ、と思うのです。吹けば飛ぶような小さな存在であっても、それを諦めていないし、どんな方法になるのかも、その時その時、手さぐりでしかないのですが。

 

さて、「蜜蜂と遠雷」に戻ります。

 

文章を読みながら、わたしの中に生きはじめた亜夜ちゃんや塵くんのピアノが鳴っていて、こんな音をリアルに聞きたい、と思っていました。

 

映画化された「蜜蜂と遠雷」には、最終審査で亜夜ちゃんがオケと弾く場面があります。プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番です(小説では、亜矢ちゃんが弾くのは2番ですが)。

 

亜夜ちゃんのピアノは、ピアニストの河村尚子さんが弾いており、それはストーリーにも合って、すばらしく素敵で鳥肌が立つような場面です。

 

でもそれとは別に、亜夜ちゃんと塵くんの特徴的な、さらっと楽しそうに即興で弾く感じは、なかなか感じられず、それは仕方ないよね、と思っていました。

 

そうしたら、そんな音を聞く機会も、やってきました。

 

作曲家でピアニストの中村天平さん。ヨーロッパ43か国を旅しながら公演するなど、まるで冒険家で、エネルギッシュです。お友達の弟さんというご縁で、コンサートに行かせていただきました。

 

Tシャツ、パーカーと、いたってカジュアル。ピアニストというより、ご本人は作曲家という意識が強いそうで、自作の曲ばかりです。どの曲にもストーリーがありました。ストーリーを聞いて音を聞くというのは、なかなかない、味わい深い時間でした。

 

そしてすごいのは、即興です。「これは〇〇のときに即興で弾いた曲」が、たくさん出てきます。

 

その日のアンコールは、亡くなった登山家の栗城さんの話からはじまりました。彼の生き方に共感する、と、ひとしきり語った後に、「それを即興で弾きます」と。

 

この方、弾く前のしぐさというか、感じというかが、ユニーク(唯一無二な感じ)なのですが、即興のときは特にそれを強く感じました。

 

弾きはじめたら、すごいです。どんどん出てくるのです。知らなかったら、誰もそれを即興だとは思わないくらいです。

 

音は、力強くてパワーがあって、でも温かくてとても優しいのです。知らないはずなのだけれども、懐かしくもあり、知っているような感じもあります(もちろん、本当は知らないのだけれど。)

 

すごく大きいところにつながっているような感じがしました。

 

わたしの中で鳴っていた亜夜ちゃんや塵くんのピアノとは、また違うけれど、どこか似ている感じです。

 

小説の中で、亜夜ちゃんの子供の頃のピアノの先生が、「身体の中に大きな音楽を持っていて、その音楽が強くて明るくて、狭いところに決して押し込められていない」と、亜夜ちゃんを表現します。

 

そして「スターというのは、以前から知っていたような気がするもんだよ」とも。

 

「観客たちが既に知っていたもの、求めていたものを形にするのがスターなんだね」と。

 

誰でもみんな、世界につながっているし、大きなところにもつながっています。でも、つながり方はそれぞれで、誰もがそれを、そのままこの世界に降ろせるわけではない気がします。

 

そんな必要も、ないですし。

 

できるからいいわけでもなく、人はそれぞれで、それでいいと思うのだけれども。

 

でもときどき、それをそのまま、ぼんっと見せてくれる人がいます。

 

表現方法はいろいろで、音楽や、小説や、お芝居や、映画、ダンスやボディワークとか、それぞれの方法で、大きいものを、そのまま見せてくれる人を、芸術家とか、アーティストというのかもしれません。

 

そんなときに懐かしく感じたり、心や体が震えたり、涙が出たりするのかしらね。

 

いい。生きることは、いいですね。

 

こういうものに触れると、居場所がないと感じていたり、悲しいことがあったり、もうダメだと思ったりしたときに、もうちょっと生きてみようか、と思えるのかもしれない、と思います。

 

わたしにとってのそれは、武当山だったのですけどね。

 

 

※青字は「蜜蜂と遠雷」(恩田陸 著  幻冬舎)からの引用です。

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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動作を分解して、つなげていく

2019.12.26 Thursday

 

(武当山の南岩宮)

 

ひとつの動作を、どのくらいに分解できますか?

 

たとえば横歩きのとき、両足で立つのを0として、横に進んでまた両足が揃うまで、いくつに分解できるでしょうか?

 

いちばん少ないのは、2でしょうか。

左に歩くとすると、

0:両足で立つ

1:左足を横に出す

2:右足を左足の横に運んで立つ

 

この横歩きは、わたしに「あなたの動きは、外見はきれいだけれども、中が悪すぎる。緊張が強すぎるから、それではだめだ」と指摘されたときに、最初に教わったものです。

 

ひたすら横に歩くだけですので、とても地味です。でも、この感覚がつかめると、太極拳は難しくなくなります。

 

さて、今のわたしの横歩きは、7段階です。

0:両足で立つ

1:右足を実にする(右足だけで立つ。左足は虚という状態で、体重がかかっていない)

2:左足を真横に出してつま先を地面につける

3:お腹を収めて(すると腰が低くなります)、左足のかかとが地面につく

4:左足のひざを緩める

5:右足で右斜め下方向に地面を押すと、体重が左に移動する(このとき、腰の高さが変わらないように)

6:左足で真下に地面を押す。右足のかかとが地面から浮く。

7:右足のつま先が地面から離れて、左足の横に、つま先、かかとの順でつく

 

(注:別の方法として、2:お腹を収める 3:左足を真横に出して、つま先、かかとの順につける、というやり方もあります)

 

7段階とは言っても、7つの動作ではありません。2つの動作が、ひとつに入っているところもあります。

 

今まで「2」で歩いていた人が、いきなり「7で歩け」と言われると、混乱しますよね。ほぼパニックです。

 

太極拳は、見た目の印象よりも、動作が多いのです。

 

動作が多いほど、体に無駄な緊張を作らずに動いていくことができます。横歩きは「2」よりも「7」の方が、体はずっと楽で、しっかりします。

 

「2」で歩いている場合、どんなことが起きているでしょうか?

 

まず、横に転びながら歩いている状態になります。軸が天地を結ぶようにまっすぐ立たず、ななめに傾きながら動いていきます。

 

体重は、足が横に出るときに、倒れ掛かるように横に移動します。倒れ掛かって「おおっ」となり、着地した足でぐっと支えて「セーフ」みたいな感じです。

 

危なそうじゃありませんか?膝にも悪そうでしょう。この状態でどこかから押されたら、簡単に倒れます。

 

ほとんどの人は、自分がこういう不安定な状態で動いていることに気づいていません。そして、その不安定な体を支えるために、どれだけ無駄な力を使っているのかにも、気づいていません。

 

その無駄に気づいて、止めるために、細かく分解された動作があります。

 

「7」段階の中には、足で地面を押して頭が天に向かって伸びるコツや、膝に負担をかけずに腰を落とすコツも、含まれています。

 

そして、ほとんどの人ができていない、足で地面を押すことで横に移動する力を得ることも、学べます。

 

太極拳の大事な点をすべて、とは言いませんが、かなり含まれています。すごいでしょ。横歩き。

 

押されても倒れにくいのですが、バネが効いているために、ふわんふわんと浮くような動きになります。お水の中を歩いているようで、気持ち良いですし、膝には負担がかかりません。

 

さらに片足になるときも、浮力が効いているために、上がっている足の滞空時間は自然と長くなります。

 

太極拳は、ゆっくり動くというよりは、これだけ分解して動けばゆっくりになるし、浮力が効いているので、足が着地するときもふんわり着くのです。

 

「猫が足をつけるように」という表現も見たことがあります。猫は、どすどす歩かず、優雅にふんわり歩きますよね。

 

「そんな風にできたら、素敵」と、ちょっと思いませんか?

 

最初は、自分が「2」で動いていることが認識できず、苦労する方もいらっしゃいます。でも続けていけば、ちゃんと分解して動けるようになってきます。

 

「7」に分解しているとは言っても、連続して起きるため、カクカクせず、丸い動きになります。このとき、たとえば、2段階目が終わっていないのに3段階目に移ろうとか、焦ってはいけません。連続しても、混ざるわけではないのです。

 

ここまで読んで、「うわー、大変そう」と思うかもしれません。

 

でも動作を分解できることは、それをたどれば誰でもできることでもあります。

 

一部の限られた人だけしかできないわけでは、ありません。朗報でしょ。

 

そして、常に体が安定して動ければ、心も自然と安心できます。

 

太極拳も、横歩きと同じように、動作を細かく分解することができます。すると、体は不思議なほど楽に上手く動いてくれます。

 

そして、たとえば横歩きを「2」でする人、「7」でする人、どちらの方が、早く動けるかというと、「7」の人です。無駄な緊張がなければ、動きをブロックするものがないことでもあるからです。

 

急がばまわれ、ウサギよりも亀、ですよ。

 

 

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「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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のんびりいこう

2019.12.19 Thursday

(武当山 南岩)

 

前回のブログで、歩きスマホをしていて、駅の階段から足を滑らせたことを書きました。

 

今、ここにいないときの、落とし穴です。

 

すごく反省しまして、あれからスマホを触るのは、電車で座っているときなど、動かないときだけにしています。

 

そのおかげなかどうか、わかりませんが、以来、時間がゆっくり流れるようになりました。

 

「そんなにあわてなくてもいいのだよ」と思ったら、そのとおりになったような感じです。

 

足首がまだ本調子ではないため、できるお稽古は限定しており、単純にその分の時間があるからかもしれませんが、

 

こういうものは、実際の時間の長さだけではない気がします。

 

新幹線や飛行機など、交通機関の発達で、遠いところにもすぐに行けるようになりました。

 

たとえば東京から大阪は、新幹線で2時間半です。

 

便利ですから、もちろん利用しますが、わたしは「のぞみ」が速すぎて苦手なこともあり、降りる時にはぐったりしています。

 

こういうとき、疲労は、時間より移動距離に比例しているような気がするのです。

 

もし東京ー大阪を普通列車で移動すると、9時間ほどかかるそうで、それはそれで、お尻は痛くなりそうですが、新幹線で移動したとき、その分くらいの疲労は溜まっていそうです。

 

特にわたしが、速すぎる「のぞみ」のGに耐えられなかったり(「ひかり」の方が楽です)、高いところを飛ぶ飛行機が苦手だったり、ということもあるでしょうが、

 

交通機関が進歩しても、人の体は、新幹線や飛行機がなかった頃の体と、あまり変わっていないのかもしれません。

 

海外に行く場合も、同じです。

 

時差の大変さもありますが、気候や気圧、空気の違いなどなど、いろいろなものに慣れるためには、時間がかかります。

 

その土地のものは、その土地で食べるのがおいしい、と言いますよね。

 

わたしもイギリスにいたときに、最初はフィッシュ&チップスの衣は油っぽくて食べられなかったし、砂糖衣のケーキも甘すぎて一口だけだったのですが、

 

半年を過ぎた頃には、「おいしい」と完食するようになりました。

 

その土地に体が馴染むと、そこで食べられているものがおいしくなるのかな、と思いました。

 

それだけ、慣れるまでにストレスはかかるとも言えます。

 

最初の話に戻ると、歩きながらのスマホは効率的に見えますが、実際、自分の体が感じる負担は、時間ではなく、量に比例しているのかもしれません。

 

さらに、ふたつ同時進行する、という負荷もかかっているかもしれません。

 

そんなことを思うのは、わたしだけかもしれませんけどね。

 

そういえば、若いころから、「今日は勉強(もしくは作業)がはかどったー。明日もこの調子でいけば、すごいぞ」と思うと、次の日は同じようにいかない、ということが多かったので、

 

やっぱり、わたしだけかもしれません。

 

でも、時間の長さというものさしだけで、ものごとは測れないと、よく思うのです。

 

一瞬でも、ものすごい深く。忘れられない一瞬もあるように。

 

数秒でも、ものすごく長く感じられる数秒もあるように。

 

 

 

 

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いま、この瞬間にいないとき

2019.12.16 Monday

 

(武当山)

 

前回のブログで、「太極拳とは瞬間芸のようなものだ」と書きました。

 

今、この瞬間を感じて、それに反応していくもので、鍛錬を続けることで、「今」の捉え方がより細かくなっていく、と。

 

「今、ここにいる」ために、自分の体を感じるのがいいという通り、太極拳を始めたことで、ここはずいぶん成長したようです。

 

以前は「あの人に、どう思われているのだろうか」とか、妄想する時間も長く、悩んでいることも多かったと思います。

 

今なら「そんなに気になるなら、直接聞いたら?」と言いたいところです。

 

今でも、なかなかそういかないこともありますけれど、「想像していたって、わからないよね」と知っていることで、妄想グルグルにはまることは、避けやすくなっています。

 

「今、ここにいる」率は上がっているとはいえ、外れているときにも気づきやすくなりました。

 

例えば料理中です。

 

いちばん外れなさそうなときですよね。包丁を持っているととか、火を扱っているので、危険ですし。

 

でも、あります。

 

お塩ケースが、いつものところない、とか、

バターが冷蔵庫から消えた、とか、

 

定位置のある定番ものが、そこにないことが、ときどきあります。

 

あれ?と思うと、お塩のケースが冷蔵庫に入っていたり、バターは冷凍庫に入っていたりするわけです。

生モノが保管庫(冷蔵装置のない)に入っていたら、それは大問題ですが、今のところ、それはありません。

 

たぶん、しまうときに、次のことを考え始めているのではないでしょうか。

 

似たようなケースで、あり得ないものが外出時のバッグの中から見つかるときや、(これは、めったにありません)、「あ、あれ!」と探そうとして、一瞬後に「はて、何をしようとしていたのだっけ?」と思うときも、そうじゃないからしら。

 

間抜けです。

 

間抜けの「間」は、もともと時間的な間隔の間だそうです。つまりはその瞬間に生きていなくて、間が抜けていることでもありますよね。

 

これ、「効率がいいのが、いい」みたいな思い込みから、来ているのかもしれないと思うのです。

 

今はもっとぽけーっとしていますが、以前は、「この作業がどれだけ速くできるか」に挑戦(?)することが、楽しかったりしたのです。

 

単純な作業、たとえばコピー取りでも、1分1秒でも早くするには、と考えたり、

料理中でも、洗い物は途中でどんどん進めて、料理が出来たときには、ほぼ洗い終わっていることが好きだったり、

 

ダラダラと作業することが嫌いで、残り仕事がたくさんあるのも嫌だったから、というのも、ありますが、

 

いちばんは、それがいいことだと思っていました。

 

もちろん、瞬間で切り替えていることもあるでしょうが、「ながら」作業みたいに、いくつも同時進行していることもあります。

 

そうなると、「今、ここにいないとき」も、出てきます。

 

昔、「狭い日本、そんなに急いでどこに行く」というフレーズがありました。

 

作業も、仕事も、料理も、ある面ではその通りです。別に、プラス5分とか15分かかったとしても、何も問題ないのではないかしらね。

 

さて、「今、ここにいない」ために、最近、ちょっとした災難がありました。

 

先週の金曜日、駅の階段で1段踏み外して、転びました。「いったーい」と声が出てしまったほどで、右足首を、ひねって打撲したようですが、幸いじん帯は伸びておらず、冷やした処置も良かったようで、怪我から3日たち、ほぼ回復してきました。

(あのとき横を通った方が「大丈夫ですか?」と声をかけてくださったことが、とてもありがたかったです。)

 

なぜそうなったかというと、階段を下りながら、「あ、そういえば」と、スマホを見ようとしたのです。

 

同情の余地はありません。すごく反省しました。

 

そんな話をしていたら、「でもそれ、器用だからできることですよね。わたしはひとつしかできないから、歩きながらスマホはできないし、水も飲めない。必ず止まります。」とおっしゃる方が。

 

それはそれで、「なんで水飲むために止まるの?」と言われたりするらしいですが、いえいえ、そんなことありません。この方こそ、目指すべきロールモデルです。

 

今年も残り半月となったところでのメッセージは、「そんなに、あわてなくてもいいのだよ」なのかしらね。

 

さて翌日、怪我はひどくなることもなく、このまま治りそうな気もしましたが、しろうと判断は禁物です。「念のために整形外科に行って、必要ならレントゲンを撮ってもらおう」と思いました。

 

でも行けるのは、土曜日の夕方です。ほとんど閉まっている中、近くで開いているところを探してみました。今度はちゃんと座っているときに、スマホで、です。

 

ちょうど帰り道に通る駅から3分のところが見つかり、行ってみることにしました。地図を見て「この辺を歩いていけばあるはずなのだけれども、あれ?」と思っていたら、目の前に、開いているところがあるではありませんか!

 

目的のところではなかったのですが、こだわる理由もなく、「きっと巡り合わせだ」と、入ってみました。

 

入った途端に、「なんだか......様子が違う?」

 

レントゲンとか、ありそうにありません。

 

でも患者さんも多く、雰囲気も良かったので、とりあえず診ていただくことにしました。

 

結局とても良い先生で、結果オーライなのですが、なんとそこは「整骨院」だったのです。

 

またもや、今にいなかったようです。整形外科と、整骨院、けっこう違いますけどね。「整」の字しか見ていなかったようです。

 

トホホな結果ですが、このくらいの誤差?は、よい結果に導かれることもある......のかもしれませんし、ないかもしれません。

 

とにかく、歩きスマホは、もうやめます。

 

 

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点がつながって線になる

2019.12.12 Thursday

(武当山にて。2013年頃、動きがカクカクしていた頃。手前が先生、太極拳を習っています)

 

「点がつながって線になる」とき、点が細かく打たれないと、線にはならないですよね。

 

1センチごとに打たれていたら、線にはなりません。無理やりつないでも、カクカクした線にしかなりません。

 

この点の間隔は、太極拳をはじめたばかりの人と、鍛錬を積んだ人の違いに現れるような気がしています。

 

この前、太極拳を習い始めて2年目くらいの自分の動きを見ました。

心は落ち着いていたし(これはとても大事です)、よく覚えたなあ、とは思いますが、動きはカタく、ぎくしゃくしていました。

 

動作のつなぎが弱く(もしくは、なく)まさに点を1センチごとに打って、無理やりそれをつないだような感じです。

 

カクカクの要因は、いろいろあります。

 

まずひとつは、体をバネのように使えていないことです。

 

バネ(縦に伸びる力)が働いていないと、腰を落としたときに、ゴーンと体重が下に落ちてしまいます。

 

当時も「ゆっくり、ふわんとしながら沈む」イメージは持っていましたが、具体的な方法やコツを知りませんでした。作為的に、筋力で支えるようにして急激に落ちるのを抑えるのでは、体は大変ですし、緊張を引き起こすだけです。

 

バネのように縦に伸びる力は、足で地面を押して、頭が天に向かってぐんぐん伸びていきます。体には無駄な緊張がなく、全身がつながっています。バネって、そういうものですよね。腰を落とすときも、バネを縮めるように、頭が上に向かう力が保たれます。だから、低い姿勢になったときは、パワーがあるのです。

 

水の中にいるように、体はふわりと浮き、軽やかに動きます。歩くときも、腰を落とすときも、自然とスローモーションになります。筋力で制御しなくても、バネが効いているので大丈夫です。これ、とっても気持ちよいのですよ。

(※詳しくは、「空間で、ふわりと浮くように、立って動く」(2019年11月22日のブログ))

 

動きがカクカクしてしまう要因に戻ります。もうひとつは、感覚の発達が関係している気がします。

 

感覚って、なんでしょうね。瞬間をとらえる力と、それに反応する力、みたいなものではないでしょうか。

 

ここで言う力は、「力づく」ではないため、「能力」と言った方がよさそうです。

 

太極拳は、反復練習の結果、動きを習得してスムーズになる、というよりは、瞬間をとらえて反応する力が、より細かくなっていくものだと感じます。

 

つまり、準備して出来るのではなく、瞬間芸です。常に「今」をとらえて、反応します。

 

まさに「今を生きる」ですよね。

 

その「今」の捉え方が、より細かくなっていくのが、鍛錬の成果でもあると思っています。

 

最初の点の打ち方のたとえで言うなら、習い始めた頃は、1センチごとに捉えて、それに反応していたものが、

 

鍛錬が進むにつれて、1ミリごと、0.1ミリごとに捉えて反応していけるようになる感じです。現状をとらえて、反応するまでのタイムラグもなくなってきます。

 

わたしの先生(武当玄武派第十六代伝人 明月師父)は、この前、太極拳を習ったとき、「準備をしたら、準備ができていない」と表現されていました。ちょうどそんな感じです。

 

「準備する」ことは、今、この瞬間に反応しているわけではないですものね。

 

「今」この瞬間に捉えるものは、自分の体の様子です。全身に無駄な緊張がないか、バランスが取れているかなどを、とらえていきます。バランスが取れていないと、無駄な緊張を生みますし、体のめぐりは悪くなります。

 

ゆっくり動くのは、感覚が育っていないうちに早く動くと、雑になったり、ごまかしてしまったり、勢いで押し通してしまいがちだからでもあります。

 

感覚が育っていけば、捉える点の細かさも増し、雑にならずに速く動くこともできるようになります。ですから、誰よりもゆっくり動ける人は、誰もよりも速く動ける、とも言えます。

 

これは、「自分を知る」よい方法でもあります。

 

心の緊張も、体の緊張として現れます。体がきゅっと縮こまったとき、それは、何かしら心が動いた現れでもあります。何か嫌だったり、大切なものが雑に扱われていたり、などです。

 

感覚を育てていくときにも、套路(型)があることは、役立ちます。

 

套路は、それ自体が体の無駄な緊張をなくしていく要素が含まれていたり、なんだかとっても上手くできていると思っています。わたしは、その良さを全てことばで表現できるわけではなく、まだまだ知らないことがあると思っていますが、これが何にいいのかわかりきっていなくても、昔の人の智慧の恩恵を受けられるところが、よいところです。

 

そして、型があることは、自分の変化の「ものさし」があるようなものでもあります。

 

この動作をするときに、これだとキツイけれど、これだとスムーズにできる、とか、

これはぎくしゃくするけれど、これは心地よい、とか、

 

変化を感じやすくなります。

 

套路は、広大な草原に踏み石を置いて「こっちに行けば、もっと楽だよ」と、道案内をしてくれるものでもあり、

同じ道を通ることで、見えてくる景色の変化や、細かい違いにも気付けるものでもあります。

 

型があると、「覚えなきゃ」と窮屈なイメージもあるかもしれませんが、そうではありません。

 

感覚を育て、自分を解放し、より自由にしてくれるものだと思っています。

 

そしてだんだん点がつながって、しなやかな線になっていきます。それって、なんだか、すてきじゃありませんか?

 

 

 

【これからの特別クラス】

12月14日(土)14:00-16:30 「ホントにはじめての武当太極拳・気功(自由が丘)詳細とお申込方法はこちら

 

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12月22日(日)14:00-16:30  「やさしい站椿功」(自由が丘)詳細とお申込み方法はこちら

 

 

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