武当山日記:自然に動く

2015.10.11 Sunday



今回習ったのは、形意八卦掌です。
第一掌から第八掌まであり、燕掌、鷹掌など、ひとつずつ動物の名前がついています。

太極拳とは歩法も異なり、足裏を水平のまま運びます。
後ろ足を上げるときも、極力かかとは上げません。
日舞のすり足に近いような気もしますが、足を運ぶときは
足裏は地面につけません。
先生の歩き方を見ていると、足裏が地面に吸い付くようで、
すごく安定感があります。
すぐにできるものではなく、「慢慢学」、誰でも時間をかけて、
ゆっくり練習していくものです。

それぞれの動物を模した動きも、くるっとまわったり、切り替えしも多いです。
複雑に見えますが、実はまるい動きの連続で、それがうまくつながると、
自動で動いていく感じになります。

楽に力が出るポイントも学びます。
たとえば腕を上にあげるとき、ただ伸ばすだけだと力を入れても弱く、
すぐにつぶされてしまいますが、腕の付け根の下側(たぶん、広背筋のはじっこ)
をしっかりさせて腕をリラックスさせると、上から押されても楽に形を保てます。
冒頭の写真は站功ですが、この腕の形をキープするためのコツと、同じです。
そのほかにも左右の陰陽バランスで力を出したりなど、
型には、こんなコツがたくさん隠されているのです。

先生は、「形意八卦掌、大変でしょう。でも自動で動けるようになると、
疲れないよ。」とおっしゃいます。

自分が動く、ではなく、体が勝手に楽に動いていく感覚です。
これは太極拳でも、同じです。

動きの順番を覚えて、それから自然にそれがつながるように、
楽に、でもしっかりと力が出るように、
自分でもいろいろ試したり、先生に直していただいたり、を繰り返します。

わたしが太極拳や、形意八卦掌を好きな理由は、ここにもあるような気がします。
型があって、でも型を追うのではなく、
自分から自然に出るようになるまでの道を探っていく、というのが好きなのです。
非常に地味ですが、とても豊かでもあります。
ときどき「自分の体だけで、飽きずに一生遊べます」と言うのは、こんなところからです。

無理なく楽に自然に、というのは、生き方も同じだと思います。
型を覚えていく過程が、最初はぎこちなく、力みがちであるように、
もしかしたら生きていくことも、ぎこちないところから初めて、
もっと楽で自然に流れるようは方法を探っていくことなのかもしれません。

そう思うと、煮詰まったり、力が入ったりするときがあっても、
それもありだと思えてきます。

人間だもの、ですね。


(これも站功。とても平和で穏やかで自然です。いつもこれなら
良いのですが。。。人間は、なかなか(汗)。)
 

武当山日記:点がつながって道がつづく

2015.10.09 Friday



学校の朝は、6時に起きます。
それから朝ご飯までの間、1時間くらい自主練習をします。

ランニングしてから、站椿功(立禅)をすることが多いです。
行く先はいろいろ、山を登るときも下るときもあります。

今回、何度か訪れたところが、上の写真の場所です。
学校のある南岩から2キロほど下ったところで、この風景の反対には
紫霄宮という道教のお寺が見えます。


(紫霄宮。世界遺産に指定されています)

朝日の中での站椿功は、とても気持ちが良いものです。
地に根を張り、天に向かって真っすぐ伸びます。
樹木のように。

以前、踊りをする人が「人間は透明なパイプのようなもの」
と言っていたことがあります。

その意識を持つと(持てると、というほうが良いかもしれません)、
立つことも変わってきます。
自分の力で立つのではなく、
大地と天からの力で立っている、という感覚が強くなります。
この感覚を覚えたときに、それまで自分の力で立とうと頑張っていた
自分が、すごく小さく思えました。

終って目を開けたときに見えた風景は、よく知っているはずなのに、
はじめてのように、すごく新鮮に見えました。
美しいとか、きれいとか、そんな言葉を覚える前の「はじめて」の感覚です。
そして、この見えている風景と自分が同じだと感じました。

涙も出ました。
悲しくないのに涙があふれるのは、6年前と同じだなあ、と思って、
帰ろうと道路に出たとき、「あれっ?」と、びっくりしました。
この場所は、6年前に初めて一人で来たときに、朝、練習に来ていた場所だったのです。
そのときは、山の下からここまで登ってきていました。

物理的に、そのときに通った道と今回の道が点でつながったように、
これまでと今がつながって、また道が開けていくような感じがしました。

またここから、新しくはじめます。


(站椿功を終えて、目を開けたときを撮ってくれた写真)

武当山日記:体を温める

2015.10.05 Monday













(中国、武当山。南天門からの眺め)

今回、中国の先生たちとわたしの、大きく違う点に気づきました。

上着の脱ぎ着の回数が違うのです。

中国の先生たちは、ちょっとでも寒いと、すぐに上着を羽織ります。
それも裏にキルティングがついている、そこそこ温かいものを羽織るのです。

お天気が悪い日は、日中でもかなり肌寒かったのですが、
そんなときは上着を羽織ったまま、お稽古を始めます。
動いて暑くなると脱ぎ、休憩になるとまた羽織るなど、
脱いだり着たりをこまめに繰り返します。

わたしは、と言えば、ちょっと寒いと思いながら
そのままにしてしまうこともありました。
脱いだり着たりの頻度は、極端に少なく、
これでは自分の体を大切にしているとは言えません。
わたしはまだまだ雑なのだなぁと、しみじみ反省しました。

体が温かいことは、健康のバロメータでもあります。
冷え症の赤ちゃん、というのは、ちょっと聞いたことがありません。
これからぐんぐん成長する赤ちゃんは陽気に溢れているため、
体温が高いという考え方があります。
気功や太極拳は陽気を育てるもので、血流を良くして体を温め、
理想的とする赤ちゃんの状態に近づけることで、生命力を強くすると言われています。

温かさを保つために、筋肉量をつける必要もありますし、
体を無駄に緊張させずに動く、ということもあります。
しっかり呼吸することで、横隔膜が動いて、内臓をマッサージする、ということもあります。
リラックスさせるためには、イライラせず、心を落ち着けることも大切です。
これらはすべて、気功や太極拳で実現できます。

でも、冷えてしまった体をあれこれと温めていくよりも、
寒いなら上着を着て冷やさない方が、簡単です。
特に今の季節のように気温差が激しい環境では、体の適応が追いつきません。

筋肉量もあり、体も動かしている先生たちでも、まめに脱ぎ着をするのであれば、
わたしはもっと自分の体に気を配らないといけないと思いました。

上着を羽織るというちょっとしたことを、まめにするかしないかで、
ゆくゆく、大きな違いになってくるのかもしれませんね。


(朝焼け)
 

武当山日記:站功

2015.10.04 Sunday



武当山で毎日する練習のひとつに、站功(Zhàn Gōng)があります。
站椿功(たんとう功)ともいいますし、立禅といえばわかりやすいかもしれません。

動かないため、太極拳などの動功に対して、静功と呼ばれます。

午後の一番最初は、この練習から始まります。
心を落ち着けて、立ちます。
大地に根を張る樹木のように、脚はしっかりと根を張り、
頭は天にむかって伸びていきます。
無駄な力や緊張があれば、取り除いていきます。

形は、冒頭の写真のように、樹木を抱えるように腕を丸くするものが
よく知られているかもしれませんが、腕の位置はいろいろです。

学校では、腕の形を変えていくタイプをやっています。
ひとつの形が約3分、全体では30分くらいです。

腕を横に開いたり、上げたりする姿勢もありますので、筋肉うまく使わないと、
持ちこたえられません。
肩こりになる筋肉、僧帽筋など、肩の上側にある筋肉を使うのではなく、
立つために使われる筋肉で、使っても「使っている=くたびれる」という
意識が薄い筋肉をうまく使います。
具体的には、広背筋という背中にある筋肉の上に、リラックスさせた腕を載せています。















これも中国武術の体の使い方の基本です。
間違えると負荷がかかる姿勢をできるだけ楽に続ける方法を探ることで、
理想的な立ち方、体の使い方を覚えていきます。
同時に、筋トレではありませんが、必要な筋肉を育てることにもなると思っています。

もうひとつ大切なのは、頭を天に向けることです。
立つということは、下に向かう重力と真逆に、上に向かう力を働かせています。
頭を上に向ける意識を持つことで、それを実現します。
この意識が薄いと、ひざに負担をかけて痛める原因にもなりかねませんし、
いざというときに、素早く動くことはできません。

今回から片足立ちポーズも入っていたので、体にもそこそこの負荷も
かかりますし、忍耐力も必要です(わたしは、ですが)。
でも、それがあっても、この站功、気持ちよいのです。



苦しいことが好きなわけではありません。

人は、苦しいことで存在を感じる、という癖があるといいます。
一生懸命にやっていることで、「やっている」安心感を感じる、というものです。
でも中国武術では、実は「やっていない感」が一番なのです。
難しい姿勢を楽にできる方法を探ることは、「やっていない感」を探ることでもあります。
そうやって、時間をかけて自分で探って、解放の方向に向かいます。

わたしの先生はこの站功が好きで、自分の体の中に力を蓄えるためによくやった、
と言っていたことがあります。
だから今でも、お稽古にいれているのだと思います。

探り探り、忍耐力も必要なあたり、わたしはまだまだです。
でも、このときの体の感覚は、うまく言葉にはできませんが、とても良いのものです。
特に山でやっていると、終わったときに目をあけて見える山に
生まれて初めて見るような、すごくフレッシュな感覚を覚えたりします。

そしてこれが、太極拳などの動功をするときのベースにもなっていると、感じます。

この先、続けるうちに、どんな変化が待っているのでしょうね。
 

武当山日記:放松(ファンソン)

2015.10.03 Saturday























9月下旬から約2週間、武当山(中国、湖北省)にお稽古に行っていました。
そのときのお話を書いてみようと思います。

毎日必ずあるお稽古のひとつに、放松(Fàngsōng)と呼ばれるものがあります。
”放松”とは、リラックスと訳されることが多いのですが、
本当に全身リラックスしたら、人は立っていられません。
軸をしっかりさせて、不要な緊張を取り除いてリラックスさせます。

2人一組になって、相手の体を丁寧にほぐすところからはじめます。
上がその写真です。(写真は、今年の5月のものです)

その後、相手の体を押したり、ひっぱたりして、無駄な緊張がないかを確認しながら
放松の状態に導いていきます。
されている側も、自分で無駄な力が入っていないかなど、感覚を確認していきます。

それが下の写真です。

ある意味では、されるがままですが、自分の軸はしっかり持っています。
脚は大地に根をしっかり張り、頭は天に向かって真っすぐ伸びている状態です。





















人に触られることは、それだけで緊張します。
自分の半径60cm以内に人が侵入すると不快に感じると、聞いたこともあります。
ましてや実際に接触していると、そこに意識が向いてしまいます。
他人の動作によって影響されてしまう状態は、自分軸を失っており、
それこそ相手の思うツボです。

そうならないように、自分の軸をしっかり持つことを心がけます。
まず最初の段階のイメージは、草です。
風が吹いたり引っ張られたら、それに応じて動きます。自分で動いたりはしません。
引っ張られているのを離されたら、自然にもとに戻ります。
引っ張られているときに抵抗していると、離されたときに自滅します(笑)。

放松にも段階があって、次の段階のイメージは、どっしりした樹です。
太い幹は、押されてもたいていのことでは動きません。

これが、中国武術の体の使い方の基本だと思っています。

武当山で道路を歩いているとき、先生に横から押されたことがあります。
よろけたわたしに先生が、「太極拳の歩法でしょ」と一言。
ああ、そうか、と。
放松の状態で歩いていると、どっしりしているので、押されてもよろけません。

これ、すごく自己防衛にもなると思うのです。
普通に歩いているとき、悪気がなくてもぶつかられることもあります。
そんなとき、放松ができていれば、自分がつき飛ばされるリスクも少なくなると思うのです。

意識しなくても自然にできるようになるまでには、繰り返しの練習が必要です。
だからかもしれませんが、これは毎日お稽古します。

もうひとつ、自分なりにこのお稽古の意味を感じることがあります。
人に触られることで緊張する、と書きましたが、触る方も同じように緊張したりします。
相手を「別もの」と認識しているからかもしれません。
その意識を変える練習にもなります。
触ったところから相手の体が自分につながっていると感じていきます。

このお稽古をするようになって4年くらいですが、体の反応もだいぶ
変わってきたと思います。自分のプロセスを振り返ってみても、
焦らずゆっくり続けていくことが大事だと感じます。

そしてこれは、頭ではなく、絶対に自分の体で体験して、積み重ねて
いく必要があります。

わたしもまだまだ、発展途上です。
変化を感じていくのも、また楽しいのですよ。


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