自分で描いた夢の世界を現実に生きる

2015.02.13 Friday
















「1年前に夢みていたことが、ひとつでも現実になっているならば、
あなたは今、あの頃に描いた夢の世界を現実に生きている。」

1年くらい前に、友人のブログで紹介されていた言葉、そのままです。
(細かいところは違うような気もしますが。。。)
すごく印象深かった言葉なのです。

わたしは、誰かの意見で生きたり、誰かの生き方で生きるのではなく、
自分軸で自分らしく生きていきたいと思っています。

でも時々、自分軸が見えなくなります。
そして自分にダメだしをしたり、人と比較して落ち込んだり。
前者は「自分ではない理想の自分の人生」、後者は「人の人生」を生きようとしています。
その渦中にどっぷりはまると、自分の人生を見失っていることに気づきません。
愚かです(笑)。

こんなことが何回も繰り返されると。。。
さすがに何かがおかしい、とは気づきます。
でも、だめだめゲームの負のスパイラルから抜けられません。
今回もこの渦にはまり、ひどく動揺している自分に気づきました。

そこで目にしたメッセージは「自分が完全ではないと自己否定しているときは、
そうではないことを思い出させてくださいと、祈る」というもの。
心に刺さったので、祈ってみました。真剣に。必死に。

そうしたら、自分軸で生きる、など、わたしにとって大切ななメッセージが目に入ってきました。
いくつか、ちょっと角度を変えて、いろんな言葉で入ってくるのです。
そのうちに動揺がすっと消えていきました。

以前は神頼みをするより動くべきだと思っていました。
でも今回の経験で「祈る」という意味が、少し自分なりにわかった気がします。

「助けてください」と祈ることは、無責任に神様や人任せにしているのではなく、
「全部やれるもんね」という自分のエゴや「できないと恥ずかしい」というプライドを
捨てることじゃないのかな、と思うのです。
そして実際、すでにあることを思い出すだけなら、実は何もしなくてもよいのです。
思い出すだけですから。

思い出すきっかけは、自分ではないところ、自然や他人からきます。
今回のことから、みんなつながっているとも感じました。つながっていることに感謝です。

そして次に思い出したのが、冒頭の言葉です。

1年前、私は。。。
・自分の太極拳のクラスを持ちたいな(当時は1クラス、持ち始めたところ)
・ホームページもつくりたいな
・ブログも始めたいな
・TVや雑誌にも出たいな
・自分のビデオもほしいな

と思っていました。気づいたら全部、叶っています。
ホームページに使える写真もなかったので、撮影するところから始めました。
そして、今ではとても信頼している友人でもあるカメラマンさんも、当時は知り合っていませんでした。

何よりも、何のために太極拳をやるのかも、ずっとはっきりしています。
自分軸で、自分の人生を生きること、です。
大地に根を張る樹木のように、流れる水のように、しなやかに力強く生きていきたい。
体も心も緊張せず、自然なまま、穏やかに流れにのって生きていきたい。
自分もそうありたいし、そんな人を増やしたいと願っています。

人と比較したらきりがありませんが、わたしは確実に、あの頃描いた夢の世界を現実に生きています。
しかも、思い描いていたより大きな”おまけ”もついています。

良い人たちに巡り合い、ご縁があって、たくさんの人の親切のおかげで、今に至っています。
現実に起きたことですが、でも自分軸でみれば、ミラクルだと思うのです。

わたしにもあるように、誰にでも、きっと自分軸で生きるなら、
こんなミラクルみたいな出来事はたくさん起きるのかもしれません。

自分が自分であることが、うれしいと思えます。
またダメダメゲームに入ることもあるかもしれませんが(きっとあるでしょうが)、
このことを思い出そう、と思います。
 

聴覚障がいの方への太極拳講座

2015.02.10 Tuesday



2月9日、東京都の聴覚障害者連盟高齢部のみなさんに、はじめての太極拳講座を実施しました。

寒い日にも関わらず、70名を超える方にお集まりいただきました。

「私にとって太極拳とは、自分らしい人生を生きること。大地に根を張る樹木のように、流れる水のように、
しなやかに力強く。体も心も緊張せずに自然なまま、穏やかに流れにのって生きていきたい。」という話から、
実際に楽に立てる立ち方、呼吸、大地に根を張るストレッチ、太極拳の体験と、盛りだくさんです。
イメージを使うことで、見た目の形は同じでも、自分の体感が全然変わってくる体験もしていただきました。

聴覚障がいがある方々のため、お話は手話通訳さんを通じてのコミュニケーションです。
でもわたしの一言一言に、そしてやってみる一つひとつの動作に、みなさんの反応がダイレクトに伝わってきます。
「聞く」という姿勢、そして「伝える」という姿勢がすごく強いのです。
それはわたしにとってすごく居心地のよいスペースでした。

前に違う場面で感じたことを思い出しました。
わたしたちが「聞く」とき、耳で聞く=頭で聞いてしまいがちになることがあるような気がします。
頭ではなくて「全身で聞く」ことで、もしかしたら聞こえてくるものが変わってくるのではないのかしら?

聞こえてくる言葉だけではなく、相手の表情、身振りや手振り、全身から伝わるものすべてを、「聞く」。
話すことは、伝えるだけではないのだと思います。
自分にとって大切なものを共有したいし、味わってほしいから。
伝えた相手自身の体験として、何かを感じてほしいから。

今回の講座では、耳で直接私の言葉を聞けない方々でしたが、
「その場を共有している感」は、すごく感じたのです。
「全身で聞く」ことを実践されているからなのかな、と思いました。
これは、わたしの言葉すべてに納得してもらうのとは違うのです。
たとえば水が高いところから低いところに流れるイメージの話もしたのですが、
「健常者とちがって、聴覚障がい者は水のイメージはわかりにくい」という反対?意見もありました。
(「わたしはわかるよー」という別の意見も出ましたが)。
お互いに全身でコミュニケーションをとっている状態だと、
違う意見が出ても、それはそれで良いのです。
わたしの話を理屈で理解するより、「これ」とか「なんか違う」という
自分の実感を大切にしてほしいと思っているからです。

この講座をする1か月前、新年会に呼んでいただいて、太極拳の話と短い演武をしたときも、
同じようなことを感じました。
そのときは100名を超える方がいらしたのですが、会場のあちこちで、わたしの動作を真似している方々が!
しかも、ニコニコ。うれしくって自然に体が反応している、という感じなのです。

右端の方に注目!











こちらも。


そして、気配りもすばらしいのです。
わたしが何か探したりしていると、すぐに誰かが気づいてくださる。
お片付けを一緒にやっていると、「いいよ、いいよ」とすぐに言ってくださる。
これも全身に意識がある、全身で聞く、という現れなのかな、と。

聴覚障がいであることには、いろいろと難しいこともあるようです。
講座後、一人の方が「聴覚障がいだとバランスを取るのが難しくて、
人によっては片足立ちができないんですよ」
と教えてくださったり。講座当日の日経新聞の夕刊にも、
聴覚障がいの方が感じるストレスについての記事が出ていると、友人が教えてくれました。
手話通訳さんは、「何かあったときに助けを求めにくいから、
みんな健康にはすごく気を付けているんですよ」とおっしゃっていました。

講座は「普段冷え症なのに、体があったまった」とか、
「また習いたい」といううれしい感想もいただき、
今後も続けて開催できるように、相談していきたいと思っています。
私もみなさんの特性を尊重しながらの手さぐり状態ですが、
穏やかな人がひとりいると、10万人が救われるという言葉を信じて、
自分もまわりにも、穏やかな人が増えることをしていきたいと思っています。

余談ですが、この講座、実は友人と太極拳をやっているときのランチタイムに、
事務局長さんとお隣になったことから
つながって開催されました。お稽古着でランチしていたら
「何をやっているんですか?」と声をかけていただいたのです。
偶然です。偶然はすごいですね。

最初の写真は、参加された方からのプレゼントです。
「太極拳とは自分の人生を生きること」という話に感動して描いた、と伝えてくださいました。
なんと、美人さんじゃないですか。うれしいです♪
 

今の私の修業

2015.02.04 Wednesday



「毎年、中国の武当山にお稽古に行く」と話すと、たいてい「修業ですね」と言われます。
そのたびに、そんな大げさなと、ちょっぴり居心地の悪さを感じていました。
実は”修業”という言葉にひっかかるのは、わたしに変なこだわりがあったからです。

最初のわたしの思い込みは、修業=苦行。お稽古は好きだからやっているだけで、苦行ではない!という、
強固な思い込みです(笑)。お稽古は常に限界を超えていく連続なので、
時にしょげつつ、でも淡々と続けるのですが、わたしにとっては「やりたいからやっているだけだ」なのです。
「修業、ということを特別だと思っている人もいる」と言いながら、今思えば、自分こそが
特別に思っていたのかもしれません。

修業に対してこんなひっかかりをずっと持っていましたが、昨年、ひとつきっかけがありました。
出羽三山に山伏体験に行ったときのことです。
自分の足で山を歩き、自分で読経して、最後にお守りの御札をいただきました。
その時に言われたことは、「ふつう、お守りは祈祷されたものを買う。
でも、この御札は違う。自分の足で歩いて、読経して、全部自分でやったこと。」
「自分の体験で得たものは、自分だけのもの。誰にとやかく言われるものではない。それが修業だ。」

修業という言葉がはじめて、しっくりきた気がしました。

さらにそのときに「日常生活にいたら、同じことを繰り返すだけ。だから非日常に身を置くことで
修業になる」とも言われました。

中国に行くことは、わたしにとっては非日常です。
普段のしがらみや習慣、ストレスにとらわれにくいと思います。
新しいチャレンジもしやすいし、自分の幅を広げるチャンスにもなりやすい環境です。

ただしそれが長くなって、非日常が日常になってくると、新たな壁にぶつかることもあります。
わたしの場合、一番長いときで2か月間、武当山にお稽古に行ったことがあります。
最初の1か月は、毎日がとても穏やかで、適度に自分を尊重し、周りを尊重し、というペースで過ごせました。
「東京に帰ってもきっとこんな風に過ごせるはず」と思っていました。
でも2か月目に入ったとき、問題が山積みになり、イライラ、号泣、極度の疲労、大ゲンカ、と
とんでもない日々がやってきました。
「どこにいても日常は変わらない」とげんなりしてすっかり嫌になった後、
日常の中で穏やかに生きることを模索し始めました。少しずつ、です。

日常のままでも、修業はできます。
というより、日々やるものだと思うのです。
修業とは、自分の体験を通して自分が得たものであるのであるならば、
それは毎日、あるものなのだと思います。

今のわたしの課題は、ちゃんと立って、歩くこと。
とてもシンプルです。
3年前、中国で「あなたの動きはきれいだけど、中が悪い」と指摘され、
横歩き、前歩き、後ろ歩きを、ひたすらやったことがあります。
あのときは先生から指摘されてですが、今回は、自分から「それがちゃんとできるようになりたい」と
太極拳とは畑違いの先生にお願いしました。
やっていると、意識が散ったり、体の左右のバランスが悪いとか、改善点ばかりに意識がいきます。
できたことに思いがいかないのです。
それを指摘されたときに、「評価・判断はせずに、事実を言っているだけ」と言ったのですが、
「2か月前に比べたらできることようになったことがたくさんあるのに、
だめなところばかりに意識が行くことは、良い、悪いの評価・判断をしていることだよ」と。
さらに「改善点ばかり気づくのは、自分で自分をいじめていることだよ」とも。

苦行をしていない、と言いつつ、実は自ら苦行を選んでいたとは。。。
先生は、「苦しいことの方がやりやすいから、ついやっっちゃうんだよね」とおっしゃいました。

自分の自己評価が低いのも、わたしの昔からの癖です
何かと比較して、足りないところを埋めていくことを続けても、きりがないと気づいてはいます
でも、ついやってしまうのです。
何か、とは、他人だったり理想の自分だったり、とにかく”自分ではない、別者”です。

がっくりです。でも、気づいたことでよしとして、ここからまた始めてみます。

太極拳の良いところは、自分の体ひとつでできることだと思っています。
地面があって、自分がいれば、それだけでできます。
地面がないとできない(笑)ので、地球に立って歩くというシンプルなことから、
すごくたくさんの感覚を得てきました。
立っているだけで心が震えたこともあります。
これは、自分がやった、自分だけのものです。
それをもっと、ほめて認めてあげようと思います。

日常を過ごすことは、とても穏やかで、ドラマチックなのかもしれません。
毎日、修業中です。


 

始めたのは偶然。今は「太極拳とは私の人生を生きること」

2015.01.31 Saturday


「太極拳をやることは、生きることと同じこと」

3年ほど前、当時同じクラブに通っていた友人から
「まゆみさんにとって太極拳ってどんなもの?」と聞かれたときの答えです。
これは今でも変わっていません。

始めたのは、知り合いがやっていたから。偶然です。
それはでやってみたいと思ったことは一度もありませんでした。
初めてお稽古を見学したとき、先生の動きをみて「すごい!」。
それまで見たことがない、人の体の動き。感覚。
「この人には私にわからないことがわかるし、できる」というのが、始めた動機です。

その後、今から6年くらい前に武当太極拳に出会いました。
体の中心からのシンプルな動きがしっくりきて、初めて「太極拳って、いいな」
と思いました。

大きな転機はそれから半年後です。
「先生は東京にいるし、ここで習えばよい」と思っていたのですが、
当時の先生から「ひとりで中国に稽古に行けない臆病者」と、一喝されました。
負けず嫌いのわたしは、「そんなことないもんね」と、その日のうちにスケジュールをあけ、
飛行機のチケットを予約し、翌日先生に「行くから学校に連絡してください」と伝えました。


ひとりで2週間、武当山の上で過ごす、初めての時間でした。
自分に集中しようと決めました。
人に遠慮したり気を使いすぎたりするのではなく、自分のしたいことを尊重しようと思いました。

当時通っていた学校の周りには街灯もなく、夜は真っ暗です。
でも、不思議に怖いとは思いませんでした。(出歩かないから、でもありますが)。
昼間には瞑想の時間もあります。
やり方もあいまいなまま、ひたすら静かに座る。1時間くらいあったような気がします。
足はしびれてきます。
部屋の窓の先には山。鳥の声、風、入ってくる光、その中での静かな感覚は、
今でも自分の中に残っています。

このときの不思議な体験が、涙です。
毎朝ひとりで山を走っていると、なぜかすごく涙が出るのです。
悲しいわけではないのに、ぽろぽろと。
そのときになぜか、「この先、絶望することがあったとしても、ここに戻ればまた始められる」
と強く感じたのです。

お稽古の仕方にはいろいろあると思います。
「これは何のため」と理解しながらやるのも、ひとつの方法です。
でも私がやってきた中には、わけもわからずやっていく中で、最初に何かの感覚や体感がきて、
後からだんだんわかっていく、ということも多くあります。
場合によっては、何年も後から、わかることもあります。
つまり、まだわかっていないことも、きっとたくさんあるのだと思います。

そして師父(先生)たちには、いつでもすごくちゃんと教えていただいたな、と思うのです。
お稽古は、できないことを超えていくものなので、最初にならうときはちんぷんかんぷんですし、
当然できません。時には「無理っ」と絶望的な中、これでやれと言われ、わけもわからずやってみます。
それをひたすら続ける、その繰り返しです。
私にはわけがわからなくても、師父からみれば、わかっているようです。
だから、できないことを超えていくことができます。少しずつ、ゆっくり、です。

このときの日記には、「わたしは山を愛しているし、愛されている」と書いています。
そして、気を使って社交したりせず、自分のすべきことに集中すると決めたにも関わらず、
結局はほかの生徒さんともよい関係を築くことができました。
無理に気を使う必要はなく、わたしはわたしでいればよい、と学ぶ経験にもなりました。


良いことばかりではありません。
このときの虫刺されが原因で、痒疹という皮膚疾患を長いこと患うことになります。
でもそれも、必要な経験だったと、今は思います。
人の期待に応えることを優先させるのではなく、自分の体は自分で守る、と学んだからです。


このときから「太極拳とは、わたしの人生を生きること」になりました。
技を習うだけでなく、心のありかた、人との関係、人生への向き合い方、
たくさんのことを太極拳を通じて学んでいます。
始めたのは偶然ですが、今は、生きることと重なっています。
形は変わっていくかもしれませんが、これからもずっと私は太極拳とともに生きると思っています。

功夫(カンフー)とは、時間をかける人、という意味ですしね。

 
お稽古していた紫霄宮(ししょうきゅう)。道教のお寺です。世界遺産。












お稽古に向かう姿勢は、この頃も今も、同じ。


学校で飼われていた犬、BeBe。すごく賢い犬でした。
わたしが帰る日、荷物をまとめてドアを開けたら、こうして座って待っていました。
お部屋に入ってきて、一回りまわってから出て行きました。
わたしには寄ってこず。帰るって、わかったのかしら。
 


中国茶のススメ

2015.01.28 Wednesday



中国茶が好きです。

日本人は、中国人と同じように、昔からお茶を飲む文化があるため、
お茶は遺伝子的にもとても合っているそうです。

自由が丘で開催しているクラスの後にも、お茶をお出ししています。
クラスの感想や希望を伺ったり、質問にお答えしたり、お互いのお話を聞きあったり、
と、お茶を囲んでほっこりした時間を過ごしています。

実は、季節によって飲むお茶の種類が違うのです。
中国茶は大きく分けると6種類、緑、白、黄、青、黒、紅茶に分かれます。
そのほかに花茶があります。
秋冬におすすめなのは、体を温めるウーロン茶(青茶)などの半発酵茶か、
プーアール茶(黒茶)や紅茶などの発酵茶です。
緑茶は体を冷やす作用があるため、立冬から啓蟄までは避けます。

日本の玉露のようにうまみや甘味を重視するのではなく、香りをたたせたいため、熱湯で入れます。
そして一口サイズの茶杯でいただきます。
大きな茶碗ではなく小さい茶碗でいただく良さを、中国茶専門店の方に伺ってみたら、
「小さい方が香りに意識が行きやすく、香りを楽しみやすいようです」
とおっしゃっていました。なるほど、です。
中国茶は、何度もお湯をつぎ足して何煎もいただくため、
杯が変わるごとに香りの変化も楽しめます。

お茶菓子も添えます。
左からアーモンド、柚子ピール、サンザシ。どれも今の季節におすすめです。


ナッツ類は血管をやわらかくしてくれます。
冬が旬の柑橘系の皮は、咳止め、タン切りにもなるそうです。
赤い実のサンザシは、胃腸の調子を整え、血管をやわらかくしてくれます。

面白いお茶道具?のご紹介も。
中国、武当山の師父(先生)のオフィスにいます。




















私は勝手に、ピーピー小僧と呼んでいます(笑)。
まず最初に、かわいそうだけれども水攻めにされます(水の中に入れられます)。
この子の体の中に水が入ったところで、上から熱湯をかけられます。
すると、水が勢いよく放物線を描いて飛び出します!
かなり飛ぶので、いきなりひっかかってびっくりさせられます。


(中国の師父、お茶のお支度中。ピーピー小僧も右手前で待機中です)。

お茶を飲むときには、水(お湯)も同量、飲むように心がけています。
お茶には利尿作用があり、それが良いところでもあるのですが、お茶だけだと
血が濃くなってしまうこともあると聞いたからです。
「みずみずしい人とはいうけど、お茶お茶しい人とは言わないでしょ。
だから水のまま飲むのも大事なの」と言われたこともあります。

のどが渇く前に少しずつが、おすすめですよ。



☆☆☆自由が丘でのクラスのお知らせ☆☆☆
↓こちらをご覧ください↓
http://blog.minminkung-fu.com/?eid=12


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