自分が自分に癒される

2020.07.17 Friday

(葉山の一色海岸で)

 

今朝、ブログのアクセスログを、ちらちら見てみました。

 

新しい記事を書いたとき以外は、昔に書いた記事が、パラパラ読まれています。なんとなく検索して、たまたまヒットしたものを読んでくださっているのだと思います。

 

自分は常に変わっていくこともあり、過去に書いたものを読み返すことは、ほとんどしません。体験したことは、自分の体(か、心)に残っていると、信じているからです。

 

でも今朝は、なんとなく「これ、読まれたんだ」と思った記事を、パラパラ読んでみました。

 

なんだかとっても良くて、自分で書いたものに、自分が癒されました。

 

書いたときから、少し時間がたっていると、書いた言葉を違う視点から「うん」と改めて思ったり、そのときはわからなかったことが、もう少しわかるようになっていたり、いろいろあります。それも、新鮮です。

 

でも内容というより、たぶん、ここに出ている正直さに、癒されている気がします。

 

ブログを書くとき、それから話をするときにも、いちばん大事にしていることは、正直であることです。

 

自分を持ち上げることもせず、卑下することもなく、

話も、自分も、盛ったり、飾ることもなく、

 

体験を正直に、感じたまま伝えようとしています。

 

言葉は、人間共通のツールですが、それに結びつく感覚は、人によって違います。

 

簡単な例でいうと、体の感覚にしても、同じことを、軽いと言う人、重いと言う人、両方います。そのため、あまりに言葉に執着すると、事実が見えなくなることもあります。

 

同じ経験をして、「いいね」「うん、いいね」と言い合っても、その中身は違ったりします。違っていいし、違うことがいいのだと思いますけどね。

 

そんなことから、体験したことを言葉で表現するとき、どうしても限界はあるのですが、それでも、できるだけ誤解されずに伝わるよう、言葉を選びます。

 

自分の考えだけが全てではなく、今の時点の感覚でしかないことも、いつも頭の片隅にあります。それが真実ですし、一生懸命に伝えようとしたことが、意図せずに誰かを傷つけることになってほしくないからです。

 

考えて書くことはしないので、体験してから言葉になるまでに、時間が必要なこともあります。

 

そういうときは、じっと待ちます。

 

言葉にできるタイミングが来ても、すらすらと出てくることもあれば、絞り出すときもあります。でも、どちらも「今、これを表現したい」と思っていることは、同じです。

 

正直に書くと、失敗した話とか、情けない話も出てきます。

 

4年前に「歯をくいしばって生きなくても、よい」という話を書いたとき、ある方が「あなたの話は面白いけれど、こういうことを書くのは賛成ではない」と、アドバイスしてくださいました。

 

理由は、「いい生徒さんが来なくなるから」でした。

 

”いい生徒さん”の定義は、とりあえず横に置くとして、チャンスを逃すのはもったいない、という心配なのだと思います。

 

一理あると思います。違い視点から、アドバイスしてくださるのは、ありがたいです。

 

でも、ちょっと違う、と思いました。「これ、ダメよね」という話ではありますが、それなりに克服したことでもあります。

 

こういう話を書くときに、「ダメなわたし」と卑下しているわけでもなく、ダメなわたしが愛しいわけでもなく、フラットに自分を見ています。

 

それがわたしにとっての正直さで、それが誰かのヒントになったらいいな、と思っています。

 

 

ホームページを立ち上げたときに、ブログも始めて、5年以上がたちました。

 

ホームページを作ってくださったデザイナーさんが、立ち上げのときに、「ブログはとにかく、書き続けてください」と言ってくださいました。

 

当時は、その言葉の意味はわかりませんでしたが、だからこそ、疑問を感じることもなく、「そうか、とにかく書き続けるのか」とだけ、思いました。

 

そのひとことは、とってもありがたかったです。今、続けてきて、本当にその通りだな、と思います。

 

わたしのクラスに来てくださる方は、ほとんどが、もともと知らない方で、ブログを読んでくださった方も多いです。

 

正直に書いていることで、おそらくですが、相手の期待と、わたしのずれが、少ないような気がします。

 

ネットがなかったら知り合うことのない、遠くに住んでいる方と、つながりができることもあります。

 

そういうことは、書き続けながらずっと思っていたのですが、自分が書いたことに自分が癒されるとは、思っていませんでした。

 

「すべては自分の内にある」とは、こんなことも言うのでしょうか。

 

自分で自分を癒すというと、ひとりで完結しているようにも聞えますが、そうではありません。人がいなかったら、書くという表現は選びませんよね。

 

こんなところでも、人に助けられています。

 

正直でいると、いいことありますね。

 

人から見たら、「何がいいの?」と思われるかもしれませんが、いいのですよ、自分がいいと思えるなら、それで。

 

なんだか、うれしいのです。

 

そして、よく考えたら、太極拳も、正直さのひとつです。それにも、やっぱり、とっても癒されています。

 

 

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    形あるものは壊れるけれど

    2020.07.14 Tuesday

     

    (Photo by Xie Okajima)

     

    昔、顔をケガしたことがあります。

     

    オーストリアのスキー場で、アイスバーンで転び、後から来た友人が同じように滑って転び、エッジがわたしの顔に当たりました。

     

    スキーを習ったとき、「転んだら、すぐその場から離れること」と教わったのに、しませんでした。あれは二次災害を防ぐためなのだと、実感しました。後から来た人が仲のよい友人だったので、甘えも出たのだと思います。%

     

    血が出ていると思って、鏡を見ようとすると、友人が「見るなっ!。」どうやら、ひどいらしいです。

     

    脚は大丈夫だったので、レスキューを呼ぶこともなく、付き添われながら、ゆるゆると降りて、すぐ病院に行きました。

     

    幸い骨に異常はなく、右頬の打撲と、口の横の擦り傷だけで、日数がたてば治るものでした。ものすごく運が良かったと思います。

     

    友人たちは、毎日、顔を見ては、「昨日より良くなっているね」とか、ぷっくり腫れている頬を見て、「子どもみたいでかわいいよ」と言ってくれました(そんなわけ、ないのですが)。

     

    後から聞いたら、本当は、「うわー、もっと腫れてくるわ」と思っていたそうです。

     

    部屋で寝ていると、7歳くらいの宿の男の子が、ベランダから覗きに来ました。パタパタッと来て、レースカーテン越しにちらりと見て帰るのを、日に何回か、繰り返していました。友人は、「あの子なりに、心配しているんだね」と言っていました。

     

    宿には生まれたばかりの赤ちゃんもいて、初日は、おそらく初めて出会うアジア人に驚いたのか、ぎゃん泣きされましたが、2日くらいで慣れて、ニコニコ笑うようになりました。腫れたほっぺたにガーゼでカバーしたわたしの顔を見ても、同じようにニコニコ笑ってくれました。

     

    変わらず接してくれる周りの人たちのおかげで、すごい顔になっていることを悩むこともなく、過ごすことができました。最終日に「みんなで写真を撮ろう」となったとき、「正面向いて撮る〜!」と言って、それはさすがに「いや、横、向いた方がいいよ。ケガしてないほう」と、止められたくらいです。

     

    帰りの飛行機は、イギリスへのチャーター便でした。いろんなツアー客をまとめて乗せているのか、宿泊先は別々でも、行き帰り、同じ人たちが乗っているようでした。

     

    空港で、行きに席が隣になったイギリス人の男性に、再会しました。

     

    毎年、クリスマスの時期に、奥様とオーストリアにスキーに行っていたそうなのですが、奥様が亡くなられて、今年は初めて一人で行くのだ、娘が大きなケーキを持たせてくれたんだという話を、ニコニコと、してくださった方です。

     

    わたしの顔を見て、「どうしたの?」と聞くので、スキーで転んで、と、ひとしきり話したら、

     

    とてもやさしい表情で、「But, you are still beautiful. (それでもあなたは、今でもとても美しい)」と言ってくださいました。

     

    あのときのことは、一生、忘れられません。

     

    その後、遅れている飛行機を待つために待合室に座っていたら、前に座ったご婦人3人組が、声をかけてきました。「どうしたの?」と。また説明すると、

     

    3人で顔を見合わせながら、「それでも彼女は笑っているわね」「そうね、大丈夫ね」と言いながら、ニコニコ笑いかけてくださいました。

     

    その優しいやり取りも、忘れられません。

     

    幸い、予測どおり、打撲の腫れは引き、擦り傷もきれいに治りました。


    それでも、おそらく擦り傷の影響で、ごく最近まで、笑うと左右のほうれい線の形にずれがありました。ケガの跡って、見た目にはわからなくても、何年も残るものですね。この場合は、20年近く残りましたが、それも、今はなくなりました。

     

    このケガをしたとき、形のあるものは、あっという間に壊れるのだ、と、思いました。

     

    運よく軽傷で済みましたが、病院に行って様子がわかるまでは、本当に不安でした。昔からこういうときには冷静な方なので、取り乱したり、動けなくなるようなことはなく、落ち着いて自分で下まで滑り降りることもできたのですが、ショックでない訳がありません。

     

    でも、そのときに、周りの人たちのおかげで、形が壊れてしまっても、壊れないものを、感じることができました。

     

    かけてくれた言葉は、今でも心にしっかり残っています。心になのか、体になのか、両方かしらね。

     

    よく、「わたし」なんて人はいなくて、自分は出会った人と、経験と、過ごした場所でてきている、と思っていて、この話も、そのひとつです。

     

    わたしは、わりと表面に見えるものより、その奥にあるものを見るようです。言葉でも、その言葉どおりの意味より、「本当はこう言いたいのかな」と思ったり、誰かに会ったときも、見た目の印象とは違う要素を感じることもあります。

     

    それは、このときの経験が関係あるのか、ないのか、わかりません。でも、見える形が全てではないのは、ずっと大切に思っていることです。

     

    そうやって、見えるものよりも、見えないもの、感覚を大事にしてきて、「見えるものに騙されない」と思ってきましたが、

     

    それでも最近は、見える形も大切だと思うようになりました。

     

    それは、あっという間に脆く崩れるものとして見る形と、違う視点で見るようになったからです。

     

    長くなってきたので、その話は、また今度。

     

     

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      すべては自分の内にある

      2020.07.11 Saturday

       

      (昨年訪れた、モンゴル。広く、印象的な国でした)

       

      先日、ぼーっと、一枚の風景写真を見ていました。

       

      広い場所で、光がきれいな写真でした。美しいだけではなく、なんとなく心に留まる写真でした。なぜか、わかりませんでしたが。

       

      しばらくして、日課の站椿功(立禅)をしました。

       

      そうしたら、さっきまで見ていた写真の風景が、お腹の中にふわっと広がって、自分が一気に大きくなった気がしました。風船が、一気に膨らむように、ぶわっと、です。

       

      自分の体よりもはるかに大きくて、美しい景色が、自分の体の奥の深いところにあるのだと感じたら、

       

      ものすごく感動しました。

       

      終えた後、「これを感動と言うのだ」と、思いました。

       

      それまで感動したことない人みたいですよね(笑)。そんなことないのですが、

       

      いつもは外にあるものに、自分の内側が反応していたのが、今回は、内にあるものに、そのまま反応したからかもしれません。

       

      大好きなあの場所も、あの景色も、みんな自分の内側にある。そんな気がしました。

       

      自分の内側が、ものすごく豊かでキラキラしているのですよ。とんでもなくうれしくて、感動します。ほろほろ、泣いてしまいました。

       

       

      「すべては自分の内にある」と言いますよね。

       

      自然を大宇宙、人間を小宇宙として、それは対応しているとも言います。

       

      その意味が、また新しく、わかったような気がしました。

       

      人は、見た目は小さくて、広大な自然に対して、ちっぽけな自分、と思いますよね。

       

      でも、その見た目は小さな自分の中に、あの広大な自然がまるごと入っているのかもしれません。だから、小宇宙、です。

       

      写真家の高砂淳二さんは、「PLANET OF WATER」という写真集の中で、

       

      地球の水を汚すことは、自分の体を汚すこと。

      地球をケアすることは、自分の体をケアすること。

      地球と人は一心同体なのだ。

       

      と書かれています。その意味が、またひとつ違って、感じられた気がします。

       

      同時に、「忘れていたことを、思い出した」とも感じました。

       

      なぜそう感じるのかは、うまく説明できませんが、

       

      生きることは、大切なことを、思い出していく過程のような気がします。そして、思い出すたびに、うれしいのです。

       

       

      站椿功の作用は、いろいろあります。

       

      まずは、脚を鍛えて、体を整えてくれます。

       

      大人になると、脚が弱り、上半身が重たくなります。考えすぎて、頭でっかちになるからでもあると思っています。アンバランスな上半身と下半身のバランスを取り戻すために、脚を鍛えます。

       

      さらに、体がバネのように天地に伸びることで、詰まっていく背骨の隙間を空けていきます。そして、命門(めいもん)という、おへその裏のツボを後ろに引っ張り(陰)、それとバランスを取るように腕が前に上がる(陽)ことで、全身が風船が膨らむように、ぷっくり膨らみ続けます。

       

      力が、四方八方に広がり始めます。

       

      こうやって体の中に空間(スペース)を取り戻すと、全身が巡り始めます。この時点で、無駄な緊張は、ありません。

      スペースがあることで、生まれてきたときの柔らかさを、体の深いところから取り戻しているような気もします。

       

      血が巡って、体が温かくなります。これだけで、ものすごく、すこやかさを促進してくれます。

       

      心は深く静かな状態に入っていきます。

       

      ぼんやりしていますが、眠っているのとは違って、意識ははっきりしています。立っていますしね。意識がはっきりしたたまま夢を見ているような状態です。こういうのを、瞑想というのだと、思っています。

       

      わたしの感覚では、体が天地に伸びる一方で、心が深く沈んでいくみたいな感じです。体の内と外と、両方に広がっていって、大きくなっていくと、さっきまで抱えていた悩みとか問題は、小さな、どうでもいいことに感じられてきます。

       

      わたしは、何かあるとき、イライラしているとき、困ったことがあるとき、次の行動を決めたいとき、そのまま頭で考えるのではなく、站椿功をします。

       

      すると、ふっと答えがやってくるからです。やってこないときは、それでよし、です。待ちます。

       

      考えたこともなかった思いが、ふらっとやってくることもあります。

       

      いろんなことに気づいていくとも言えますが、いろんなことを思い出すとも言えます。

       

      どれも、みんな大切なことです。

       

      わたしという人は、小さな存在で、その見た目どおりのサイズで存在しているときは、ちまちま、ちょこちょこちょこしか動けませんが、

       

      こうやって広いところにつながっているとを思い出すと、その小ささから解放されるような気がします。

       

      小さなわたしは、感情の起伏に振り回されることもありますが、広いところにつながっているとを思い出すと、感情に振り回されなくなります。

       

      感情はそのまま、大切にしたいですものね。人間ですから。

       

      そして、自分の本来の望みにしたがって、生きやすくなる気がします。

       

      広いところにつながる感覚を取り戻す時間は、自分を0地点に戻してくれる気がします。

       

      ここでは站椿功ですが、太極拳も、同じです。套路という型があり、それをひたすら繰り返すので、それは型としての完成を目指していると思われることもあるかもしれませんが、

       

      そうではなく、心身ともに要らない緊張を解き放って、心が静かで深いところに入っていく感覚が、好きです。自由になるための型であり、より自分が望む生き方を思い出していくための型なのです。

       

      自分が気持ちいいのですよ。

       

      そういう太極拳は、見ている人も、気持ちいいです。

       

       

      星の王子さまは、「大切なことは目に見えないんだよ」と言いますよね。

       

      見えるものより、見えないものを大切にしたいですが、

      この世では、見えるものが、見えないものを教えてくれることもあります。

       

      きれいな風景写真が教えてくれた、今回のように。

       

      大切にしたい見えないものを、形として見えるものにしていくことも、人間にはできますよね。

       

      それが芸術で、わたしにとっては、太極拳が、そのひとつです。

       

      こういうの、いいなあって、しみじみ思います。

       

       

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        人種を越えるもの

        2020.07.08 Wednesday

         

        (中国、武当山にある太子洞)

         

        7月7日のNHK「アナザーストーリーズ」は、「マンデラとゆるし」というタイトルで、南アフリカの英雄ネルソン・マンデラ氏を取り上げたものでした。

         

        反アパルトヘイト闘争で投獄されていたマンデラ氏は、27年間の投獄生活から釈放された最初のスピーチで、白人にも、共に新しい国をつくろう、と呼びかけ、多くの人を驚かせます。

         

        その背景にある理由を、探る内容でした。

         

        最初に紹介された印象的なエピソードは、白人看守との関係です。看守と囚人という関係から、だんだん信頼を築き、最後は親友と呼ぶ間柄になるまでの、さまざまな出来事が紹介されました。

         

        たとえば、マンデラ氏の奥さんが、生まれたばかりの赤ちゃんを「会わせたい」と連れてきたときです。規則では禁止されていたのですが、奥さんは「どうしても」と引き下がりません。規則に反すれば看守の身も危うくなります。看守は智慧を働かせ、「黒人の赤ちゃんを抱っこしたことがないから、ちょっと抱っこさせて」と言い、そのままマンデラ氏の元に向かいます。

         

        マンデラ氏は、赤ちゃんを抱っこして、アフリカの言葉で話しかけ、涙を流したそうです。

         

        他にも、この看守の機転は、マンデラ氏の釈放に向けての動きにも、大きく関係したようです。

         

        偶然の引き合わせかもしれませんが、きっとそれだけではなく、このふたりの、人としての心が、いろんなことを動かしていったのかもしれないと思うと、ただ、じんとします。

         

        どんな時代、どんな状況でも、こういう人たちがいることは、救いになります。

        人と人との関係は、人種の壁も越える力があるのだと思えるからです。

         

        アパルトヘイトの時代、わたしはイギリスの大学の寮に住んでいたときがありました。

         

        ときどき買うグレープフルーツを、同級生のアメリカ人が「どこ産?」と聞いてきました。何も考えずに買っていたわたしは、ラベルを確認しなければわかりませんでした。

         

        「南アフリカだよ」と答えると、彼女は「わたしは南アフリカ産のものは、買わないの」と、にこっと笑いながら、言いました。

         

        直接の関係者ではなくても、不買運動で反対の意思を示すことに、驚いて、それから日本に帰国した後も、南アフリカ産のグレープフルーツを買うことは、やめました。

         

        大学生を大人と言えるのかどうかわかりませんが、ぼんやり生きてきたわたしは、知らないことばかりでした。

         

        その後、アパルトヘイトの制度が撤廃されたとニュースで知り、ささやかな不買運動も終わりました。

         

        「そうなのか。すごいな、よかったな」と思った後、特にその国の状況に思いを寄せることは、ありませんでした。

         

        2010年、仕事で南アフリカに行く機会がありました。移動は送迎がつき、ホテルには1階ごとに、ものすごく屈強そうなガードマンが立ち、自由にちょっと外に買い物に行くなどとんでもない状況で、

         

        現地の人とのふれあいと言えば、通訳についてくれた学生さんだけで、それも忙しすぎて、ほとんど私的な話をする時間もなく、この国は「危ないのだ」ということ以外、どんな国なのか、わからないまま、帰国しました。

         

        南アフリカでは、今でも人種間の争いが絶えないのだそうです。

         

        ぼんやり生きていた20代の頃から、だいぶ年月が経っても、いまだにわたしは、知らないことばかりなのだと、思い知らされます。

         

         

        海外に出ると、日本人というアイデンティティの一部を、強く感じることもあります。

         

        真珠湾攻撃の日(日本は12月8日、ハワイは12月7日)には、「今日は、まゆみが戦闘機に乗ってやってくる」とからかわれたこともありました。どんな顔をしたらいいのかわからず、何も言えませんでした。

         

        アメリカ人同士で「ジャップ」と言っているときに、偶然わたしが通りかかり、「あ、ごめんね」と言われたこともあります。差別用語ですが、日常的に使うんだな、と感じました。

         

        中国の仲のいい友達でも、対日勝戦記念日(日本は、終戦記念日です)には、SNSに「〇周年万歳!」という投稿をあげたりします。

         

        そういう場面に出会うたびに、複雑な思いがします。「わたしがしたことではない」と思いながらも、それは、わたしの一部です。少なくとも、外から見たときには。

         

        あるとき、ある中国人の友人が、秦の皇帝の「日本人とは...」という発言をのせていました。ばかにするような言葉だったため、「どうしてこれをのせるんだろう」と思って、「?」というコメントを付けてみました。

         

        すばやく「きみのことじゃないよ!」とメッセージが送られてきて、すぐに投稿は削除されました。

         

        日本人への一般的な感情や対応と、わたし個人へのそれは違うのだと、感じました。

         

        それを感じることは、よくあります。その経験があるから、ちょっと何かあっても、「それは、今は仕方ない」と流せるのかもしれません。もちろん、決定的にひどい差別を受けたわけではない、ということも大きいと思いますが。

         

        外から見えるもの、国籍や人種の場合、差別の対象になることもあれば、日本のように、行きたい国には行ける自由度が高いメリットもあり、悪いこともあれば、いいこともあります。

         

        歴史や国同士の関係、人種などからくる感情は、すぐにはどうしようもないことも、あると思います。でも、自分を超えるものは、「今は、仕方ない」と思ったりもします。

         

        それとは別に、個人として、関係を築いていくこともできます。

         

        日本は小さな国なので、海外に行くと「日本人とちゃんと話すのは、人生で初めて」という人にも、出会います。関わる深さや長さにかかわらず、ひとりの人として、ふつうに付き合うだけで、長い間に、何かが変わっていくのかもしれません。

         

        でも実際には、違う文化と背景を持つ人たちに、たくさん教えられて、助けられてきたことも、多いのですけどね。日本は、そう思われているんだ、そうみられているんだ、ということも含めて、です。本当に困ったことがなから、言えるだけかもしれませんが。

         

        話を番組に戻すと、マンデラ氏のスピーチの背景には、投獄中、各国のたくさんの歴史書を読んでいたことも、関係しているそうです。

         

        投獄前のマンデラ氏は、かなり短気で、すぐ相手の胸ぐらをつかむような、血気盛んな人だったようです。投獄中にたくさんの歴史書を読んで、海外のさまざまな事例を学ぶうちに、憎しみや恨みは、破壊を生むだけだという思いに至った、という話がありました。

         

        27年間の投獄生活があったからこそも、あるのかもしれません。

         

        同じ経験をしたらみんながそうなるわけでもなく、やはりそれは、この人だったからなのでしょうけれど、どんな経験でも、自分次第だという点は、誰にとっても共通のように思えます。

         

        あきらめないこと、なのかしらね。何を、と、ひとことで言うのは難しいのですが、自分の望む人生を生きること、なのかな。

         

         

        最後に、こういう話のときに、いつも思い出すことがあります。


        中国の武当山に行くと、太子洞という洞窟に住むおじいちゃん道士に会いに行きます。洞窟にある祭壇をずっと守っていて、ここに住む人たちみんなに、とても尊敬されています。有名人で、日本のテレビ番組でも”仙人”として紹介されたりします。

         

        悩んでいる人が訪ねてきて、ひとしきり話をして、泣き崩れてしまうこともあります。

         

        あるとき訪ねていくと、先にいたお客さんがわたしを見て「韓国人?」と聞いてきました。おじいちゃんは「仲良しの日本人だよ」と。


        「似てるよね」という先客に、わたしが「韓国人と日本人は、似てるけど違うよ。」と言うと、おじいちゃんがわたしの手を取って「指が1本、2本、3本、4本、5本、みーんな、おーんなじ」と言って、にこっ。

         

        その場にいたみんなが、「そうそう、そうだよね」と大笑いしました。

         

        こういう人には、みんなが救われます。

         

        ちょっとでも、こんな人でいたいな、なりたいな、と思います。

         

        (太子洞の贾(Jia)おじいちゃん)

         

         

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        いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

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          人間関係を好転させるために、できること(2)

          2020.07.04 Saturday

           

          (中国 武当山の山頂から)

           

          先日の「人間関係を好転させるために、できること(1)」では、

           

          「他人は変えられない」と言ういけれど、人が変わるきっかけを、自分がつくることはできるし、そうやって平和を取り戻していくのが太極拳の技だと、ひとつの例をご紹介しました。

           

          結論としては、相手を変えようとしなくても、本来の柔らかい自分でいるだけで、相手が自分から鎧を脱ぐように、仕向けることができる、でした。

           

          自分のことだけ整えておけば、いいわけです。

           

          今回も、それは同じです。太極拳のお稽古は、その整え方を学ぶだめのものです。

           

          太極拳の套路は、太極という宇宙の根源、ひとつの源から、陰と陽に分かれて、この世が生まれ、人が生まれ、陰と陽がくるくる転換しながら、人生が進み、最後は太極に合わさって、またひとつの源に還っていくという、一生のダイジェスト版みたいなものです。

           

          この世では、争いや衝突もあります。太極拳の套路が攻防の連続なのは、攻撃を受けたり、争いに巻き込まれたりすることがある中で、自分がどうありたいかを、経験するためだと思ってます。

           

          やられたらやり返すのではなく、根底にある調和(太極)を信じて、それを取り戻すために戦う(行動する)のが、太極拳です。戦うとは言っても、相手を倒すのではなく、どちらも生き残るために、技を使います。

           

          では、どうするのでしょうか?お稽古で、よくやってもらうものをご紹介します。

           

          ふたりで、こんな感じに対面します。

           

           

          右の人が攻撃してきた、という想定です。左の人は、どうするでしょうか?

           

          ここからイラストでの説明になります。申し訳ないことに、左右を逆転して描いてしまいましたので、ここからは、左の人が攻撃してきた想定で、見てください。

           

          まず、イラスト 

           

           

          左の人が攻撃してきたのを、右の人は攻撃し返しています。

           

          次は、イラスト

           

          左の人が攻撃してきたことは認識しつつ、右の人は自分の軸(縦に伸びる力)を保ち続けます。

           

          実際に体験すると、どんな感じになると思いますか?

           

          お稽古では、,鉢◆⇔省体験してもらって、自分がどういう気持ちになるかを、感じてもらいます。ここは、左の人がどう感じるかを見ていきます。

           

          ,両豺隋∈犬凌佑押してくると、右の人は押し返しますよね。すると、左の人はさらに押したくなってきます。どんどん闘争心が湧いてきます。「もっと攻撃したくなった」という過激な発言になったりします。

           

          ここでちょっと試しに、左の人に押し返すのをやめてもらいます。すると右の人は、前につんのめったり、倒れたりします。

           

          つまりお互いに争っているつもりでも、相手が押してくれているから、直立していられるのです。

          それだと、争うことをやめられないですよね。これが、世間の対立やケンカとか、戦争の構図だと思います。

           

          △両豺腓呂匹Δ任靴腓Δ?右の人の反応が、太極拳で身につける反応です。

           

          左の人が押してきても、縦に伸びる軸を保ちます。具体的には、両足で地面を押すことで、頭が上に伸びます。押された力に対して押し返すのではなく、縦に伸びる力で吸収してしまうようなイメージです。

           

          左の人はどんな気持ちになるでしょうか?

           

          「押す気がなくなった」

           

          と、やめてしまいます。押しても押しても、意味があるように思えないので、「もう、いいや」という気分になります。

           

          攻撃してきた相手が、自分の意思で、攻撃をやめます。すごく平和な解決法じゃないですか?

           

          この場合も、途中で左の人に押すのをやめてもらいます。右の人は自立したままで、倒れません。

           

          右の人は常に、自分は天地とのつながりを保ちます。左の人が押してきた場合は、ちゃんとそれを認識して受け止めますが、その間も天地と自分との関係は保ったままです。左の人が押すのをやめたら、天地と自分とのつながりに戻るだけです。

           

          自分の周りで何が起きても、自分を整えるだけでいいのですよ。

           

          それならできそうでしょ。

           

          これは、誰かが攻撃してきた場合、どう対応するか、です。でもそれよりもいいのは、争いを自分の周りに起こさないことです。

           

          理想としては、赤ちゃんのようでいることです。想像しただけで、ちょっとニコッとしてしまうでしょ。

           

          ニコニコ笑う赤ちゃんを見て、攻撃したくくなる人って、ふつうに考えてたら、ないですよね。

           

          それに対して、こわーい顔をして体を硬くしたら、相手は恐怖を感じて、防衛本能で攻撃してくるかもしれません。体を硬くするのは、自分が弱くて怖いからなのですが、それが相手を怖がらせてしまうわけです。不幸な循環ですよね。

           

          内側が弱いから、外側を鎧を着るように固くしないと、自分が存在できないと思ってしまうのかもしれません。仕方ないですよね。

           

          太極拳を習って、わたしが一番やってきたのは、ここです。心身ともに、です。

           

          自分の体の無駄な緊張に気づいて、ひとつずつそれを緩めていきます。でも、よりどころがない状態では、「緩めたら立っていられない」という恐怖心が働いて、緩められません。そのために、天地を結ぶ軸をしっかり立てることを、学びます。

           

          すると不要な緊張を、手放していくことができます。

           

          体が緩んでいっても、心がきゅっと固くなると、体の緊張として現れます。周りの人には「怖い人」に見えてしまうわけです。

           

          体の反応で、心の状態に気づき、体の緊張を緩めて、心も緩めていきます。

           

          いつもそうしなければならないのではなく、自分が嫌だったら、例えばどうしても怒りたかったら、そうすればいいと思います。でもそれは、相手の緊張も呼びますよね。平和な結果には、なりません。それも経験です。

           

          そういうことを繰り返していくうちに、自分が望むような状態を、作れるようになってきます。

           

          わたしのまわりは、10年前より、ずっと平和で穏やかになりました。

           

          こういうことは、頭や理屈で考えるだけだと、難しいのではないでしょうか。それを体の反応で体験できるところが、太極拳のいいところです。

           

           

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