わたしのすきなもの

2018.05.07 Monday

(「わたしのすきなもの」を始めるきっかけになった第1号、うさぎのこども椅子)

 

Instagram(@mayuminmin927)で、「わたしのすきなもの」を毎日ひとつずつ投稿しはじめて、今日で39個になりました。

 

ベタですが、サンキューです。

 

はじめたきっかけは、今年の春分の日の出来事にさかのぼります。雪が降って、ちょっと不思議な日でしたよね。お天気が荒れると自分も荒れるようで、すごく眠く、体調もすぐれず、という1日でした。

 

「そうだ、こういう機会にファスティング(断食)をしよう!」と思い立ち、久々に在宅のプログラムをやり始めました。準備食2日、酵素ドリンクだけ飲む期間が3日、回復食3日の、短めコースです。

 

必要な栄養は取れるため、「普通の生活をしながらできる」というものですが、出力は低めになります。わたしの場合、通常の6〜7割くらいのような気がします。そのため、あまり動く気はしませんが、体の中に合わせて外もキレイにしたくなるのか、家の掃除やお片付け、衣替えには、やる気満々で取り組みました。

 

そのとき、「家が好きだな」と思ったのです。そして、「そうだ、すきなものをひとつずつ、紹介してみよう」と思いつきました。はじめたばかりのInstagramは、それにぴったりでした。

 

すきなものを紹介していくことで、何をしたいのかなんてわかりませんでしたが、「すきなものを感じていくのは、なんだかよさそう」と想像していました。

 

やってみてはじめて、わかることがあります。

 

こういうものを始めるとき、素材を準備しておきたくなりませんか?写真を撮りだめしたり、「これ、あれ、それを紹介しよう」とリストを作ったり。

 

ブログを始めようと思ったときも、メモ帳にタイトル候補リストを書いてみたりしました。でも、結局、ブログもこれも、そんなものは使わなかったのです。

 

その日のどこかで、”これ”と思ったものを発信することを、何よりも大事にしています。今、すきだと思うものは、今しかわからないのですよ、やっぱり。ためておけるものではありません。

 

そして最初は、雑貨、と思っていたのですが、実際には「ひかり」とか「緑のかおり」とか、もの以外も、たくさん登場します。”家”から、ずいぶん外にも出ましたね。

 

短い文章をつけるのも、すきです。ものへの思いとか、まつわる思い出とか、ものは、関わりを持ったときから、ただのものではないのだと、わかります。

 

公開してみると、「わたしも好き!」という共感もいただけますが、「あのヘンテコなの」みたいに言われることもあります。

 

遠慮のない仲で、なかよしだから言えることでもありますが、意外と小心者のわたしは、チクン、しゅん、となります。

 

まわりには「人の人生を応援したい」と言う人も多く、「これやりたい!ということを始めたら、それは『いいね』と言うところじゃないの?」と思ったりします。

 

でも、真実は違います。

 

わたしのすきなものを、他人がすきであるかどうかは、別です。わたしがすきでやっていることを、他人が全員「いいね」と言うことは、ありません。そもそもこれ自体、多くの人の”すき”のストライクゾーンを狙って始めたものでは、ありません。

 

それは、愛情のある、なしとは関係ありません。

 

愛情がある人にだって、「いやーそれ、ないでしょ」と思うこと、ありませんか?わたしは、あります。そこを無理して合わせるのは、居心地よくありません。でもその人がそれを好きなことは、最大限尊重したいと思っています。(なんらかの被害が及んだときには、尊重しかねると思いますが。)

 

すきなことを始めて、でも、周りから「変なの」と言われたりして、やる気が折れてしまうこと、ありませんか?もしくは、みんなに認めてもらえるように、軌道修正するとか。世の中の流れって、そんな風に動いてきたところ、ありますよね。

 

できるだけたくさんの人に売れるようなものを考えたり、特定の購買者プロフィールを具体的に想定して、その人が買いたいと思うようなものを作るとか、「よい」と呼ばれる型(仕事でいうベストプラクティス)に、あてはめていくとか。

 

人財も、「成果を出す人の行動を分析して、なかなか成果がでない人にそれを習慣化させよう」とか、コンピテンシーという”この要素がある人が、その組織で優秀な成果を出す”という枠に、あてはめて育成しようとすることも、わりとよくされてきていますよね。

 

過去にはそんな仕事にも絡んできて、その成果も経験して、それでも思うことがあります。人の可能性や才能は、もっと多様です。枠にあてはめていく方法では、”最初のその人”を超えることはありませんし、その人らしさを消してしまいかねません。

 

世の中にあるいろいろな、人を理解したり、うまく付き合うための方法論は、”人はみんな違うのだ”と腑に落ちるためのもののような気がします。自分しか知らない状態から、社会(学校時代も含まれます)でケンカやいさかい、いざこざ、派閥争いなども経験して、「なんであの人はこうなんだ」というときに、「あの人は〇で、わたしは△だから、違うのだ」というものは、役に立ちます。でも、そこまでです。

 

人は、分類なんてできません。その人は、その人でしかないですから。

 

他人を思いやることは大事ですが、その人のことは、その人にしかわかりません。

 

「わたしのすきなもの」は、自己満足です。自分が居心地のよいものを、居心地のよいように発信しているだけです。今という時代のおかげで、こんな自由な表現方法ができますからね。そんな時代には、サンキューしか、ありません。

 

今のところ、「これがすきだなぁ」という、ほんわか、ふわっとしたその思いを、毎日感じられる時間を持てていることが、いいな、と思っています。

 

そして、チクン、しゅん、となってしまう自分を発見することも、いいですよね。にんげんだもの。

 

 

【特別クラスのお知らせ】

 

5月13日(日)14:00-16:30は、「みんなが知らない太極拳のひみつ(2)太極と陰陽」です。詳細とご応募方法はこちらから。

5月20日(日)14:00-16:30は「太極扇を体験しよう(第7回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

 

(#12 親指くらいの小さなおさるは、10代のころから一緒です)

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、キリリとした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

........................

いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 


教えるときの、よりどころ

2018.05.03 Thursday

 

先日、ちょっぴり遠くからお稽古に来てくださった方が、いらっしゃいました。

 

太極拳歴はわたしよりも長く、先生なのだそうです。ブログを読んでくださって、参考にしてくださっているのだとか。

 

こんな話を聞くと、嬉しくってたまりません。ネットのおかげで、遠く離れたところに住んでいる方とか、以前では考えられなかったつながりができることは、本当にありがたいです。

 

お稽古が終わった後、「もっと自分のために習いたい、と思いました」とおっしゃいました。それを聞いて、「あぁ、いいな」と思ったのです。

 

この方のように、先生と呼ばれる方が、お稽古に参加されることもあります。なかには、教えることの悩みを抱えている方も、いらっしゃいます。

 

教えるときに大事なこと、あるような気がします。”よりどころ”です。

 

以前、気功を教えていただいていた先生は、中医学の先生でした。わたしが教えられるようになりたいと思っていることを、ご存知でした。先生のクラスを閉じることになったとき、「支えがあることは、とても大事。中国に中医学を勉強しに行くなら、紹介しますよ」と言ってくださいました。

 

長く教えてこられた先生にとっての”よりどころ”は、中医学の知識・経験です。もちろん、通常のお稽古をすることに加えて、です。

 

それまで1年近く、先生から「黄帝内経」という中国最古の医学書を、少しずつ習ってきました。ほんのちょっとの知識ではありましたが、教え始めたときには、わたしの”よりどころ”になってくれていました。

 

先生のお心は、とても嬉しかったです。勉強したい気持ちもありました。でも「中国語の学習、専門用語の学習、中医大学で合計5年」という現実を前に、やめました。

 

先生にそう伝えると、「そうですか。今が20代だったらね。」とおっしゃいました。

 

20代なら、行ったかもしれません。先生が言った意味とは違うかもしれませんが、まだ何も成し遂げていないからです。わたしが太極拳を始めたのは30代後半です。でも太極拳とは縁がなかったその時代に、たくさんの経験をしています。

 

「わたしなりの先生になれれば、それでよい」と思ったのです。

 

もちろん、理論や知識は大切です。幸い、わたしは習う過程で、理論や説明をとても重視する先生方に恵まれました。30代から70代までばらばらですが、いくつになっても、こどものように好奇心旺盛、好きで続けてきた姿に、憧れました。

 

うれしそうで、楽しそうな人のそばにいるのって、よいですよね?

 

もちろん、問題が起きることもあります。そんなときでも、誰かのせいにせず、真摯に向き合っている姿にも、じん、ときました。じん、と、ですよ。

 

基本は、自分の「もっと」だと思うのです。今がダメなのではなく、今はそれでよし、でも、未来の”今”では、「もっと」です。

 

体を使うお稽古でも「もっと」ですが、疑問を解明したくて、体の構造を教えてもらったり、整体の先生やボディワークをやっている先生に習ったり、理論の本を読んだり、自分の体で試したり、いろいろとやってきました。

 

やってこられたのは、この方向の「もっと」が、好きなのだと思います。

 

きっと誰にでも、自分が「もっと」と思えることが、あります。なぜかわからないけど、やりたいこと、強制されなくてもやってしまうこと、です。

 

最近読んだ太極拳の理論の本に、「理論がわかれば、迷子にならずにすむ」というようなことが、書かれていました。

 

確かに、ずっと前は「こう?それともこう?」と迷っていたことも、今は「たぶん、こう」と思えることが、多くなりました。絶対の正解ではなく、今のベストな答です。やってみて不具合があるなら、再調整します。だから”仮”です。ここにも、「もっと」があります。

 

教えるときの”よりどころ”があるとすれば、それは自分にあります。

 

違う言い方をすれば、諦めかもしれません。自分ではない、ものすごい先生であろうとすることを諦める、とか。別の人になろうとすることを諦める、とか。

 

諦めも、肝心。それはがっかりではなく、もうちょっと、清々しい諦めです。(ときどき、悶絶したりしますけどね。)

 

 

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☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、キリリとした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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太極拳は、心が大事

2018.05.03 Thursday

(2017年の秋、武当山)

 

先日、お稽古が終わって帰るとき、生徒さんが「太極拳は、心が大切な気がする」とおっしゃいました。

 

どんな流れだったか覚えていませんが、とても嬉しかったです。

 

套路(型)ができることは、努力の現れでもあります。「がんばったね」と言いたいです。

 

でも、套路が何種類できるかよりも、心のほうが大切だと感じます。心を育てるために、套路を覚えて、繰り返しお稽古するような気もします。そして心が育たないことには、体の更なる発展はないと、感じます。

 

(ほんとうのところ、なんのために套路を練習するのか、それはあまり考えたことがありません。でも振り返ってみたときに、こんな感想が出ることもあります。)

 

武当六十四式太極拳は、第一式から六十四式まであり、最初のふたつは動作がありません。

 

第一式は、”浄身収心”。身体を落ち着かせ、心を穏やかにします。

 

第二式は、”吐故納新”。古い息を吐いて、新しい空気を入れます。第一式で、心身はすでに落ち着いて穏やかな状態にあり、バランスが取れています。第二式で呼吸しながら、自分の心身と周囲との調和を図ります。天地、左右に、平和な空間をつくります。

 

第三式は、”混沌初分”。陰と陽が分かれ、動き始めます。ここから動作が始まります。

 

太極拳の始まりは、宇宙や天地の創造、人が生まれるときに、なぞらえることもできます。

 

もともとひとつの太極の状態から、陰と陽という二極が生まれ、陰と陽ががクルクルと転換しながら、命が進んでいきます。

 

いろいろと経験して、最後はもとに還ります。人であれば、生涯を終えて天に還るときです。ひとつの命の一生だと思うと、ドラマチックですよね。

 

いろいろと経験するときも、心は常に静かです。動いてはいますが、体も静かです。

 

”入静”という言葉があります。心身ともに”静”の状態になることを言います。

 

”静”の状態とは、どういうことでしょうか?「太極拳理論の要諦」の著者、銭育才さんは、「心も体も自分で動かさずに、地球の運動に同調させること。」と言っています。「すべての雑念が排除され、体内部の陰陽バランスが保たれ、よって経絡が疎通されて気血が順調に運行している状態」とも書かれています。

 

そのためには、心を清め、欲をなくすことです。

 

そう言われても、どうやって......となりますよね。よく瞑想などで、「雑念が浮かんでも、ただ眺めて、無を目指す」と言われたりしますが、これ、難しいですよね?

 

わたしは気功の先生から「意識をひとつに集中させる」と習いました。「雑多なものをひとつに集中させれば、消すことはできるから」と教えていただいたのです。呼吸に意識をむける、体に意識をむける、などいろいろありますが、太極拳の動きに意識を集中させることも、そのひとつだと思います。

 

いろんな経験をしながら、心身ともに静かであるためには、柔かさが必要です。硬いものは、カキーンと壊れたり、ガチガチと相手?に当たったり、柔軟に対応できません。そう思うと、”静”は、なかなか奥深そうです。

 

柔かさには、〇(丸)も、大事です。三角や四角には角がありますが、丸にはありません。線には始点と終点がありますが、丸はどこが始まりか、わかりません。優劣がない、と言えます。丸の意識を持ち、弧を描いて動きます。そして体は球体が外に向かって膨らみ続けるように、力が外に向かいます。でも同時に、求心というか、内側に向かう力もあります。洗濯機の渦を見ると、外に向かって出て行く力もありますが、真ん中にも集まっていますよね。

 

暗さのないところに光は射さないように、静のないところに動は生まれません。またちょっと、”静”のイメージが膨らんだでしょうか?

 

7年前、中国の武当山で田理陽師父(武当玄武派第十五代伝人)に教わったとき、「あなたには、太極の心がある」と言っていただきました。

 

ある、というよりは、それを見失わないように心がけなさい、という意味だと思っていますが、当時は言葉をいただいたことがうれしいだけで、それがどういうものか、よくわかっていませんでした。

 

でも、こういうことがあると、その問いを意識し始めます。今も「わかった!」とは言えませんが、自分なりに思っていることは、「調和の心(和の心)」です。それは、すべてはもともとひとつ(太極)ということにも、関係しています。

 

争いやケンカ、すれ違いやイライラなど、いろいろなことが起きる世界は、調和しているとは言えません。不調和に突入す誘惑も、あちこちにあります。

 

体がどこかにぶつかるとその箇所を意識するように、相手と衝突することで、自分を感じたいのかもしれない、と思っています。

 

その根底には、自分を感じることができない、自分の価値を認められない問題が、ある気がします。

 

だからこそ、心身を落ち着けて静かな状態にして、調和に向かう時間が必要なのだと思います。そして調和の時間を増やすために、太極拳の鍛錬があると、思っています。

 

”静”の感覚は、言葉の限界をはるかに超えるものです。それは体験を通して、感じていくものです。その先に何があるのかも含めて、です。だって銭さん曰く、「地球の運行に同調させる」ですからね。それは、頭で考えても無理です。

 

だからみんな、ながーくながーく、続けるのではないでしょうか。

 

わたしは10年をちょっと超えたところで、まだまだ、ひよっこです。でも、ひよっこは、いきなりニワトリにはなれませんし、今はひよっこを満喫しています。

 

 

(参考図書:「太極拳理論の要諦」銭育才 2017年 武道ユニオン社)

 

 

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(2017年の秋、武当山で。明月師父(武当玄武派第十六代伝人)とのお稽古。形意拳の”馬”。)

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、キリリとした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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包丁の研ぎ方、習いました

2018.04.30 Monday

 

(包丁の研ぎ方を教えてくださった豊住 久先生)

 

プロの料理人さんだった方に、包丁の研ぎ方を教えてもらいました。

 

教えてくださったのは、豊住 久先生です。砥石を使う本格的(?)な研ぎ方ですが、あくまで家庭用です。

 

包丁研ぎって、奥が深いのです。魚をさばく包丁(片刃の和包丁)を持ってきた人が、「新品なのに、切れない」と言うのです。先生、ちょっと見て「研いでいないからです」と、バッサリ。

 

えっ?ですよね。職人さんは、何を切る(さばく)かによって、研ぎ方に好みがあるため、自分で研ぐのだそうです。だから、売るときにお店が研ぐような、無粋なことはしないのだとか。

 

魚釣りが趣味だったり、自分でさばきたい人は、本格的な包丁が欲しいですよね。でも、まさか自分で研がないといけないとは......買うときに、そこまでわからないことも多いでしょう。売る方だって、職人さんか、趣味の方か、わからないですよね(本当のところは、見ればわかるような気がしますが)。

 

各家庭に必需品の包丁ですが、メンテナンス方法は、あまり充実していません。

 

わたしは簡易砥ぎ器を使っていました。切れるようにはなりますが、研ぐ音が、刃に優しくない気がします。時々、キュルッと嫌な音が出て、身が縮こまります。

 

参加した方の中には、近くのスーパーに研ぎ屋さんが来るときに持ち込み、「これまで、包丁代よりもはるかに多くの費用をついやした」という人も。「デパートに預けると2〜3週間、帰ってこない」という話も。自分で研げば、素材にもよりますが、ほんの10分、15分、20分くらいでできてしまいます。

 

砥石との相性も、あります。昔に比べて、包丁は刃が欠けにくいように、硬くなっているそうです。でも昔からある砥石は、やわらかめ。硬い刃を、やわらかい砥石で研いでも、なかなか研げません。

 

包丁のメンテナンスも、教えてもらいました。

 

消毒のために、お湯をかけていませんか?まな板も、包丁も。それは、歪みの原因になります。歪んだ包丁では、きれいに切れませんし、刃が反っていたら研ぐのも一苦労(というか、無理)でしょう。熱湯をかけるのではなく、お湯(熱湯ではない)に、ずぼっと差し入れればいいのだとか。

 

衛生の話を、もうひとつ。包丁は、刃をきれいにしようという意識はありますが、実は柄も汚いのです。言われてみれば、わかりますよね。あれこれ触った手でつかみますよね。お寿司屋さんでは、ひとつの食材を切り終わったら、ふきんで刃を拭き、柄を拭き、まな板を拭き、常にきれいにします。

 

もうひとつ、キケンなところは、冷蔵庫の扉の取っ手です。確かに、言われてみればわかりますが、意外と死角ですよね。

 

先生いわく、テレビや、オープンキッチンのお店(お寿司屋さん)とか、びっくりするような光景に出合うこともあるのだとか。お店選びの新しい視点が出来そうです。

 

さてさて、こんなに重要な包丁研ぎ、わたしも友人に声をかけてもらうまで、”砥石で研ぐ方法を習う”と考えたこともありませんでした。なぜなのでしょう?

 

ひとつは、講座がないからかもしれません。だからなのか、先生の講座には、全国からお申込みがあるのだとか。

 

もうひとつは、歴史的な背景かもしれません。長い修業を積む職人さんの基本は、「見て盗め」です。そうやって体で覚えてきた職人さんは、研ぎ方を言葉で教えることは、できないのだそうです。これはもう、武道とか茶道と同じく、”包丁研ぎ道”ですよね。

 

では家庭ではどうかというと、先生いわく、「お父さんが、なんとなくやってきた」。こちらも子供が見て真似て、なんとなくやってきた、という感じでしょうか。

 

先生の場合は、仕事のひとつとして研ぎ方を教えていたため、言葉で教えることもできるのだそうです。

 

今回の講座は、「道ではなく、まずは切れる包丁への入門編」というサブタイトルがついていました。

 

もちろん、”道”を進む人もいます。そこでは自分で探っていくことも必要ですし、言葉で表せることを超えている世界なのでしょう。でも、一般家庭の場合は、切れる包丁があるだけで十分です。道を追求する必要は、ありません。

 

もしかしたら、”切れる包丁講座”なら、”道”を進んでこなかった人でも、できるかもしれません。でもわたしは、”道”を進んで来た人が、いろんな状況や需要を理解して、しろうとにも合う方法を教えることがいいな、と思うのです。

 

個人的な感想ですが、「カンタンな〇〇」とか「すぐわかる○○」は、肝心なポイントが、ぼやけていることが多い気がするのです。だから、全然カンタンではありませんし、結局、わかりません。

 

しろうとであっても、知りたいことはあります。しろうとは、すべてを深堀りすることはありませんが、すべてが浅くてよいわけではないと思うのです。

 

ジャンルは違いますが、”道”というものの端っこを歩こうとしている者のひとりとして、感じることも、たくさんありました。

 

しゅぱっと切れる包丁、切ることが楽しくなります。そして、これも癒しになるような気がします。

 

今回教えていただいた豊住 久先生の講座は、こちらからご覧いただけます。先生は、暑い時期と寒い時期には、マレーシアのキャメロンハイランドに行かれるので、気になった方は、お早目にどうぞ。

 

4人までのグループ講座がメインで、これは丁寧にひとりずつ見たいからなのだとか。実際、研ぐときの力の入れ方は、一緒にやってみないとわかりません。そして、一緒になった方(今回は友人を集めました)の、なかなか外に出ない包丁にまつわる話なども聞けて、楽しかったですよ。おすすめです。

 

(先生は、目にも止まらぬ速さで研ぎますが、わたしはのろのろです。左は荒砥石で、包丁と刃の形を作るもの、初回に使います。黄色は中砥石。普段は3週間に1度くらい、黄色い方だけで研ぎます。)

 

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昨日のこと

2018.04.28 Saturday

 

昨日は不思議な日でした。

 

海辺でのイベントを、ずっと前からとっても楽しみにしていたのです。

 

でも前日の夜に「あれ?」よく見たら、正式な申し込み手順を踏んでいなかったのです。

 

がっかり......でもそのおかげで、朝はゆっくり庭を眺めながらコーヒーを飲み、そよ風に吹かれたり、とっても良い時間になりました。

 

次の用事は夕方からだったので、「どうしようかな、公園に行こうかな、どこか海に行こうかな」と思いながらも、まだ不思議な気分です。行けない気がしない、というか。

 

そうしたら「キャンセルが出ました。間に合うようでしたら、どうぞ」と、連絡がきたのです。それから5分くらい、猛スピードで支度して、お出かけしました。

 

自宅から駅まで、ふだんは余裕をもって15分くらいみています。この日は、玄関を出たときに発車8分前。普通なら間に合いません。でも、間に合ったのですよ(当然、走りましたが。)普段の鍛錬は、このときのためだったのかもしれません。(そんなこと、あるような、ないような。)

 

「来られるようなら、10時半までにご連絡ください」ということだったので、10時頃にお返事しました。電車に乗っている間「開封されないなぁ」と思いながら、11時、最寄駅に到着です。

 

開催場所は、海岸です。海岸とは、広いもの。「はて、どこに行ったらいいのかしら?」と、メールや電話や、あれこれの手段で連絡してみましたが、通じません。

 

「ならば、直接探そう」と海岸へ。でも、やはりわかりません。

 

目の前には海。そりゃ、入るでしょう。裸足で足をつけてみました。曇り空、しかもまだ4月末、水は冷たいです。でもしばらくすると、あら、気持ちいい。波の音も、心地よいです。

 

そのとき、気づきました。「イベントに参加したかったのではなく、海に来たかっただけなんだ。」

 

海に行くための口実を探していただけなのです。行きたいなら、行けばよかっただけなのに。なーんだ、ですよね。

 

その日の波は、とっても引きが強かったです。

 

1時間くらい裸足でのんびり過ごし、すっかり満ち足りた気分で「さて、帰ろう」と駅に向かったとき、連絡が入りました。イベントの主催の方からです。

 

わたしが駅にいると知ると、海辺から裸足で走ってきてくださいました。

 

「連絡できず、本当にごめんなさい!今からでもよければ、無料でマッサージします!」と、ふかーく頭を下げて、おっしゃるその方。道はアスファルトです。それを裸足で、ですよ。どれだけ慌ててきたか、よくわかります。

 

わたしは、ちっとも怒っていなかったのです。

 

「声の感じからすると、わたしがマッサージをする必要がない方だとはわかるのですが、それでも......」でも、そんなに慌てている方にマッサージをしてもらうことも、ないでしょう。「大丈夫ですよ。海で楽しく過ごせましたし。お気持ちだけいただいて、今日は帰ります」と言うと、「1時間も連絡しなかったら、わたしなら、どれだけ頭にくるか」とおっしゃるのです。

 

うーん。「でも、あなたはわたしではないから、わたしの気持ちは、わからないでしょう?」実際、ちっとも怒っていませんしね。

 

それでも、なんだか納得しきれない様子です。気が済まないのでしょう。そうしたい気持ちは、わからなくありません。でもわたしには、やってほしいことがありません。

 

そもそも、1時間連絡がつかなかったのは事実ですが、その理由はわかりません。電波の関係で、リアルタイムで入らないこともあるでしょう。

 

そして何より、「海に行きたかった」だけのわたしは、返事を求めていなかったのかもしれないのです。連絡が取れなかったことは、表面的には相手が返事をしなかったから、ですが、実際には、わたしの願い(?)が叶っただけなのかもしれません。

 

誰も悪くありません。

 

こんなことになって悔しいと、頭を下げ続けるその方に、「大丈夫ですよ。」そして、「よく考えてみて」と言ったのですが、なんか変だなあ、と。よく考えて、ではなく、よく感じてみて、の方がぴったりしたかもしれません。

 

本当にしたいことをするために、口実や理由を探すこと、あるんだなあ、と思いました。やりたいならやる、行きたいなら行く、だけで良いのにね。

 

世の中、ホントにうまくできています。

 

久々の海は、とっても気持ち良かったです。

 

 

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