締切の意義と、それを超えるもの

2015.03.28 Saturday



わたし、というと中国、と言われますが、その昔は英文学を研究していました。
専門は14世紀後半、シェイクスピアよりも前の時代。天動説が信じられ、文学も
口頭伝承の流れで「詩」だった頃です。たっぷり苔むした、中世の時代です。

研究していたチョーサーの「カンタベリー物語」では、4月に29人の巡礼者たちが
旅立ちます。その道中、ひとり2つずつお話をして、誰が面白いかを競おう、となるのですが、
この作品、未完の大作と言われています。終わっていないのです。

未完成の理由についてはいろいろ学者さんが議論しているようですが、
当時のわたしの先生はひとこと、「締切がなかったからよ。」

半ばあ然、でも、なるほど、と思いました。仕事やその他の経験を振り返っても、そうでした。
やらないといけないのに、忙しい、めんどくさいと逃避したりしています。締切は、大事です。
社会生活の推進力となり、そして改革や発展も締切にお尻を叩かれて実現できる部分もあると思います。

一方で、締切の意義を超えるものも、あると思うのです。

人は、本当にやりたいことに直面したとき、大きな恐れがきたり、逃げ出したくなったりします。
大きな変革期は、特に恐いです。そのとき、締切で「えいっ」とはずみをつけるのもひとつの方法ですが、
どうやっても気持ちがついてこれないときもあります。

わたしはホームページの作成に、半年ほどかかりました。
でも実際に作業したのは、打ち合わせやそのための準備を除けば、
写真を選ぶのに2−3時間、本文を書くのに3−4時間です。
さっさとすれば1−2か月でできたはずです。
でも、わたしは動けなかったのです。
まだまだなわたしがおこがましい、とか、遠慮とか、
いろいろ理由をつけては、
世にさらすことが、怖かったのです。

自分にGOサインを出せないままにいたとき、
そんなとき、人生の師匠が一言、わたしに言いました。「わたしなんて。。。と言っているけど、
本当は、『たいした自分だからたいしたことしないといけない』と思っているんだよ。
ぷぷっ(笑)。傲慢なの。『まだまだなわたしが、こんなことをやっているんです』
と思ったら、すぐにできるよ」

衝撃の事実です。
傲慢だったのですね。。。
それがきっかけで「わたしはこんな人で、こんなことを好きでやっているんです」という
ホームページを出そう、と決意できたのです。

締切がないからこそ、時間はかかりました。でもその期間は、
表向きには何も進まなかったかもしれませんが、
向き合うべき問題に向き合ったり、越えなければならない壁を超えたり、と、
すごく必要な時間だったと思います。

そしてもしも締切を優先していたら、ホームページの内容は全然違うものになった気がするのです。
たとえば太極拳の説明も、一般的にどんな風に言われているのかを気にして、いろいろ参考に
したような気がします。
でも今回は、何も水に、自分の中にあることをそのまま一気に書きました。
自分が練習してきたこと、勉強したこと、経験したこと、信じていることが
あるなら、今のわたしにわかることを書けばいい、と思えました。

締切がある意義と、それを超えるもの、
どちらも、それぞれ大事だと思います。

ひとそれぞれにタイミングがあると思うので、
どの場合はどんなことが良い、というのは一概には言えませんが、
ひとつだけ思うのは、あの動けなかったときに、
「動けない」という自分の感情を無視せずに、きちんと扱ってよかったということです。

もうすぐ4月です。
「カンタベリー物語」では、4月の雨が降る中、巡礼に出ます。
4月の雨。ノアの方舟のような、再生を示唆しています。
あらたな始まりです。
人生も、みんな未完の大作なのかもしれませんね。


(チョーサーは、こんな人。
これは大学院で教えていただいた先生が書いた本です)
 

武当山の山が教えてくれたこと

2015.03.20 Friday

武当山は、中国 湖北省にあります。
今は、山の中腹にある南岩に、毎年お稽古に行きます。

山は、毎日、その一瞬一瞬、違う表情を見せます。
すべてがびっくりするほど、美しいのです。

この山に守られて、育まれてきたこと、
この山に愛されて、愛していること、
そこから、教えられてきたこと、
言葉にできず、涙がでるばかりです。

この地球に生まれてきたこと、ここに生きていることに、感謝します。






































































































































































































すべてはここから、はじまります。
 

わたしの名前

2015.03.19 Thursday



1年ほど前に参加したワークショップで、
「両親に、生まれたときの状況と、名前の由来を聞いてくること」
という宿題が出ました。

心の中でちょっと「えーっ。。。」照れくさいじゃないですか。
でも宿題だ、しょうがない、と意を決して、聞いてみました。

まず母に聞きました。
それまでめんどうな話をしていたため、ふたりともちょっと不機嫌でした。
なんとか片が付いたので、「では本題に。私が生まれたときってどうだった?」と切り出しました。

その途端、母の顔はニコニコになったのです。
「『産まれますよ』と声をかけてもらったら、スッと産まれたの。
『深い呼吸をして、お腹に力を入れて』と言われた後、ホントにスッと産まれた。
えっ、もう?と、全然苦労しなかった。ママに苦労をかけない良い子で親孝行なんだわ、と。
『女の子ですよ』と言われてみたら、なんてかわいい女の子が!
すごい子が産まれちゃったわ〜と思ったわ。」
はずむ声で、夢みるような表情でした。

ちょっと照れくさいです。。。続いて「名前の由来は?」
「かわいい名前がいいね、と話していたのね。
お父さんが「まゆみ」は、ひらがなでかわいい感じがするんだけど、
と言って、つけたの。お腹の中にいるときに、お父さんが『俺が考えるんだ』というから、
じゃあ分担作業で、と任せたの。」

同じ質問を父にも聞いてみました。
産まれたときの状況や気持ちは。。。照れくさそうに笑いながら
「うれしかったよ」の一言です。
名前の由来は。。。「いろいろ考えたけど、まゆみにしたんだよ。
他のは。。。忘れちゃったよ」と、たいそう
言葉が少ないです(笑)。
こちらはちょい逃げ腰での回答でした(笑)。顔はくしゃくしゃ笑顔でしたけどね。

答えよりも、
それを語るときの両親の表情を見ることができて、すごくうれしかったです。
このことがきっかけで、ちょっと不得意なところもあった両親との関係が、
まるくおさまっていったような気もします。
愛されて産まれてきたこと、そしてわたした愛していることを、
思い出したのかもしれません。

これ以来、ことあるごとに、
友人たちにこの質問ををおススメしています(笑)。
親がいるうちにしか、聞けないことですから。
聞くことで、何か大切なものを思い出すことができるかもしれませんから。

わたしには、もうひとつ名前があります。
静慧(Jing Hui)という、中国の太極拳の師父からいただいた道号(道教の修行者の名前)です。
大人になってからのこの名前も、別の意味で大切な名前です。
大人だったから、つけてもらったときの状況、名前の理由はしっかり覚えています。
その話は、また次の機会にお話ししたいと思います。


老子のことば 「道法自然」:今を生きる

2015.03.14 Saturday


(武当山の夕焼け)

「道法自然」

老子「道徳経」第25章にあることばです。

人は地に法(のっと)り、地は天に法り、天は道に法り、「道は自然に法る」。

武当拳(太極拳、形意拳、八卦掌)は、老子の思想を取り入れた
道教哲学をもとに成り立っています。
武当拳が生まれて伝えられてきた中国、湖北省の武当山は、道教の聖地のひとつ。
老子のことばも、あちこちに見られます。
↓こんなふうに。

(武当山の道教のお寺にて。この建物も、世界遺産です)

この言葉の意味を、食事中に学校の先生に聞いたことがあります。

「今はごはんを食べるときで、それを話すときではないよ」

というのが先生の答えでした。

つまり、今に集中せよということです。
道は自然に従う、とは、ごはんを食べるときは、食べ、
話をするときは、話し、お稽古するときは、お稽古して、
いつも、「今にいる」ことです。
食べながら次にやることを考えたりしないことです。

わたしの人生の師匠から、最近言われたことばがあります。
「太極拳をやっているときのように、日常を過ごすんだよ」

つまり、丁寧に過ごすことです。(結構、がさつなのです。。。)
一つひとつの動作をするときに、どこが動いているのか、自分の体を観察してみなさい、と言われました。

これは、曹洞宗のお坊さんから教えていただいたごはんの食べ方にも似ています。
ごはんを食べるために、お箸を持ちます。口に運んで、お箸をおいて、噛んで、飲み込みます。
またお箸を持ち、おかずを口に運び。お箸をおきます。そして噛み、飲み込みます。
その繰り返しです。
ごはん中におしゃべりは、ありません。
時間をかけて、ゆっくりといただきます。

今日、やってみました。
気づいたことを書いてみます。
普段は、噛みながら次の食べ物をお箸でつまんでいます。目は違うところを見ていたりします。
誰かと一緒なら、話ながらです。
意識せずにいろんなことを同時にやっています(すごいことでもありますが)。

自分が何をやっているかに意識を向けると。。。
30回噛んで食べると言いますが、回数を数える必要がありません。
10回では「まだこんな状態では飲み込めない」とわかるからです。
汁物だと、飲んだ後の軌道を追うと、面白いです。
あっという間に胃まで落ちて、ちょっとだけ滞留したあと(ほんのちょっとね)、腸に流れます。
こんなに早くて大丈夫なのか、と心配になったりもします。
噛んでいる間に別のものにお箸をつける、と、同時に別の行動をすると、軽いパニック状態になります(笑)。
ずっと今にいること、今の自分を瞬間瞬間で味わうことは、たとえばこんなことだと思うのです。

いかにそれができていないか、雑に過ごしているかがわかります。

ずっとこれだと大変なことになりかねませんが、
1日の中でちょっとでもこんな時間を持つと、ゆとりが生まれる気がします。
食べることでいえば、食べすぎることもなくなるような気がします。
十分咀嚼するから、消化・吸収も良い。味わいも、ひときわです。
食べることで、すごく豊かになれる気がしました。

ちなみにこれをやっているとき、外から見た姿は、とても優雅できれい」だったそうです。
(わたし自身は、上に書いたように軽いパニック状態になっていても、です)。
そうそう、曹洞宗のお坊さんの身のこなしは、とてもきれいで美しいです。

そしてこんな意識の向け方に慣れてくると、
食べながら別のことを考えても、”考えること”だけに意識が持っていかれなくなるとか。
きちんと食べる。でも、考えることもできるのです。
そうでないと、食べている間に火事が起きたとき、動けないですものね。

これぞ、修業です。
自分でやっていくしかありません。

太極拳をするように、日常を過ごすことを意識して、
わたしもまだまだ、これからです。
どんな感じになっていくのか、楽しみです。


(今年の春、庭に咲いたクロッカス)

 

老子と道教と武当山

2015.03.14 Saturday


(中国、武当山にある大常観という道教の寺にある、老子の壁画)

武当拳は、道教の聖地のひとつである武当山(中国、湖北省)で育まれてきました。
それは道教哲学をもとに成り立っています。
道教は、老子の思想を用いて、その思想の一面を取り込みながら生まれた民間宗教で、
老子を神格化しています。

では、老子とはどんな人物なのでしょうか?

司馬遷の「史記」老子伝からみると、
老子は周王朝の宮廷に仕えて、守蔵室の史(し)、つまり周の国立図書室の役人をしていました。
やがて周の国が衰えるにおよび、老子は周の都の落陽を立ち去ることにしました。
落陽を出て、函谷関(かんごくかん)散関(さんかん)どちらかの関所に至ります。
そこには関守の尹喜(いんき)という人物がいました。
老子を見た尹喜は、これはただ者ではないと感じ、「どうか国にとどまってほしい」と懇願しますが、
老子は首を縦にふりません。そこで尹喜は、「ならばせめて書を著して残していただけませんか?」と
依頼します。そこで老子が一晩で書いたものが、5,000語ほどの「道徳経」だと言われています。
日本語では「老子」というタイトルで出版されていることもあります。

「道徳経」を読んで感銘を受けた尹喜は、関守をやめて老子とともに旅に出たとも言われています。
そして老子と別れた後、尹喜が修業の地を求めてたどり着いたのが、武当山の南岩という話も。
南岩は、玄武大帝(道教の神様のひとり)が、ここから天へととんだという説もある、聖なる地です。
武当山にある36の岩のうち、最も美しいと言われ、わたしがいつもお稽古にいっている場所でもあります。





















(南岩。右の崖に張り付くように建っているのは、
道教のお寺、南岩宮)

南岩で修業に励んでいた尹喜が、いつも憧れをもって眺めていた場所がありました。
それが金頂。武当山の頂上です。「あそこならもっと良い修業ができるはずだ。」

今でこそ南岩から山頂までの道もありますが、もちろん、その頃にはありません。
大変な苦労をした末に、ついに尹喜は金頂にたどりついたそうです。

わたしがいつもお稽古している場所からも、金頂が見えます。


(左手、高いところが金頂)

尹喜も、こんなところから眺めていたのかな。

さて、尹喜はなぜ金頂を理想の修業の場と考えたのでしょうか?
それは、山頂は天と地が接する一番高いところ、つまり宇宙のおへそ、丹田にあたるからです。
中国武術では丹田を大切にし、その鍛錬をします。
人間を小宇宙、宇宙を大宇宙と考え、小宇宙の丹田の鍛錬には大宇宙の丹田という場が良い、
と考えたようです。

宇宙のおへそで太極拳。

南岩という場所のご紹介や、老子の「道徳経」の言葉は、
また次の機会に。


(南岩の夕焼け)
 


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