見えないものを信じる

2017.12.30 Saturday

 

(デブリハットに入ったところ)

 

2年前に「見えるものに騙されない」という話を書きました。今回は逆で「見えないものを信じる」ことを、書こうと思います。(「見えるものに騙されない」のブログは、こちら。)

 

2014年の1月、「今年は森で野宿したい」という夢がむくむくと盛り上がってきました。そうは言っても、いきなり一人で野宿するわけにもいかず、誰か知っている人に安全な森を教えてもらうか、誰かと一緒に行くか、どうすればいいのかな、と思っていました。

 

そんな中、真冬に外で野宿ができる(かもしれない)プログラムに遭遇しました。

 

それは「死と誕生」というプログラムでした。1日目に、森の中でネイティブアメリカンのシェルター、デブリハットを作ります。2日目は、人生最後の日を迎えるという設定で、みんなに最後のお別れを言い、お墓に見立てたデブリハットに入ります。「人は死んだら土に還り、生きるものの栄養となっていく」というような話も聞いて、「死んでも何もなくなるわけではないんだ」と思った記憶もあります。やがてデブリハットは、胎内に変ります。自分が生まれたくなったら、デブリハットから出てくるのです。

 

デブリハットは、自然にあるもの、木の枝と枯葉だけで作ります。冬、外で過ごさないといけないときに身を守るための方法で、雨が降って地面が濡れているときでも、体が濡れないように枯葉でマットレスを作るなど、知っていると大違いの智慧を学ぶ機会にもなりました。

 

(頑丈です。上を歩いても、崩れません)

 

さらに「人は食べなくても26日くらい死なない」という話もありました。それを知っておけば、2-3日食べ物がなくてお腹が空いてきても、パニックにならずに済む可能性は高くなると思います(幸運にも試す機会はまだ訪れていません。)

 

1日目、2グループに分かれて2つのデブリハットを作り、夜、その中で一人ずつ寝られることになりました。希望者でじゃんけんです。外れても寝袋で野宿はできるのですが、せっかくならデブリハットで......勝ちました!

 

夜、穴の開いている入口から、あおむけになって足から入り、頭まで入ったところで枯葉で蓋をしてもらいます。中は真っ暗、何も見えません。狭いため、寝返りもうてません。モコモコにダウンまで着こみましたが、すごく寒いです。靴下に小さい靴用のホッカイロをはっていたので、それをはがして手に持ってみたり、あちこち順番に温めました。小さなホッカイロが、命綱のように、とってもありがたく思えました。

 

途中、外で何かが吠える声が聞こえました。

 

その動物が、枯葉を掘ってきたらどうしよう、と怯えましたが、そのまま何も起きませんでした。そして、いつの間にかぐっすり眠ってしまいました。

 

明け方、と言っても外が見えないので、時間はわかりませんが、目が覚めました。

 

「あれ?」

 

目を開けると、中が明るくて、デブリハットの内側がはっきり見えます。茶色っぽいオレンジ色で、いろんな形のものがへばりついています。

 

「これは何?」

 

デブリハットの中は、昼間でも真っ暗なはず。おかしいな、と思って、持っていた携帯のスイッチを入れてみました。さっきまで見ていた様子とは違う景色が見えました。骨組みの木の枝と、その隙間からは枯葉です。

 

携帯を消すと、今度は何も見えませんでした。

 

入口の枯葉をごそごそを取り除いて、外に出てみました。うっすら明るくなり始めた頃でした。

 

とっても不思議な体験でした。

 

見えるはずのないものが見えたこと、それがなんだったのかは、わかりません。なんとなく、胎内から見るとあんな様子なのかしら、あの横に伸びているのが膵臓だったり、など想像したりもしましたが、わかるわけがありません。

 

「見えるものしか信じない」と言っていたわたしに、「見えるものを信じるな」に続いてやってきた「見えないはずのものが見える」経験は、印象的な出来事でした。

 

この10年で学んだ大きなことのひとつは、「物事は理屈ではない」ということです。昔は「白か黒か」だったものが、「ほとんどのものはグレーなのだ」と思うようになったり、見えるものに騙されることもあるのだと、学ぶこともありました。「なんで〇〇なの?」という批判を込めた問いも、”なんで”という問題ではない、と感じるようになりました。

 

見えないはずのものが視覚的に”見えた”のは、あの時だけです。でも、見えるものでも、見えないものでも、現実には、自分の感覚を大切にすることかな、と感じます。見えるから”ある”とか、見えないから”ない”ではなく、どう感じるかを大事にしたいと思っています。

 

空間だって、みっちりと詰まっていますしね。手を当ててみれば、何かしらの感覚を感じたりします。これからもっと、感じられるものも増えるかもしれません。

 

それにしてもデブリハット、翌日に教えてもらったのですが、完成度は6割か7くらいだったそうなのです。「もっともっと枯葉をバサッとのせないとだめなの」だとか。すごく寒いのは当たり前です。このプログラムは何度か実施しているのですが、たいていデブリハットの出来は中途半端で、寒くてみんな夜中にギブアップして部屋に入ってくるとか。「よく朝まで過ごせたね」と、感心?されました。小さなホッカイロのおかげかしらね。技術革新も、ありがたいです。

 

(2日目、誕生したときの景色を見ているところ)

 

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 


静寂

2017.12.18 Monday

 

(和歌山 天空の森で)

 

和歌山の旅で、「天空の森」に行く時間がありました。

 

森には道がちゃんとあり、ところどころに目印がついています。でも、誰ともすれ違わないような道です。

 

車を降りて20〜30分くらい歩くと、ちょっと開けたところに出て、そこでしばらく、ひとりずつ静かに過ごすことになりました。案内してくれた友人が、「圧倒的な静寂を楽しんで」というような言葉を、言ったと思います。なぜか印象的な言葉でした。

 

しばらくひとりでぼんやり少し歩き、気に入った場所に腰を下ろしました。

 

人の声は聞こえません。一緒に行った3人とも離れたのか、足音も聞こえません。

 

でも、わたしの周りはというと、

 

風はびゅうびゅう吹き、木々は大きく揺れ、たくさんの鳥の声も絶え間なく聞こえます。地面の上も、枯葉の音や、何かしらの音が、たえず聞こえます。

 

現実に聞こえる音という意味では、自然はかなりにぎやかです。圧倒的な静寂とは、むしろ真逆です。

 

「静寂は、外の世界にはない。自分の内にしかない。」と思いました。

 

”入静”という言葉があります。心の緊張をといて、心が落ち着いていく状態に入っていくことを言います。体の緊張をとく、”放松”とともに、大切な要素です。

 

”静”という字は、わたしの道号(道教の修行者の名前。武当玄武派第十五代伝人 田理陽師父につけていただいたもの)にも入っています。”静慧”という名前をいただいたとき、「”静”の状態になれば、”智慧”が出てくる。あなたにはこの2つの要素がある」と、説明してくださいました。

 

今の先生(武当玄武派第十六代伝人 明月師父)には、「武当功夫は、”静”に入ると、”悟”へと続いていく」というような話をしていただいたこともあります。

 

この”静”という意味を、わたしはずっと、いろいろな場面で、体感してきました。

 

その先に続く”智慧”や”悟り”は、人それぞれのような気がします。指紋が一人ひとり違うように、その人なりの”智慧”や”悟り”があるのではないかしら、と思うのです。

 

なんとなく、ですが。

 

それは、その人が生まれてきた意味や、この世界での使命のような、気がします。

 

これも、なんとなく、です。

 

森に案内してくれた友人が、どんなつもりで「圧倒的な静寂」という言葉を使ったのか、わかりません。意外と同じことを考えているかもしれません。でもそれは、どうでも良いと思っています。

 

人は、それぞれですしね。そして、すべて言葉で分かり合う必要もないと思うのです。

 

ことばで共有することも、もちろん大切です。でも、今この瞬間にどう感じるかは、自分だけの体験で、言葉で伝えられることを超えていると思うからです。

 

だからこそ、自分で体験して感じることを、大切にしています。ほかの人のそんな体験も、大切にしたいと思っています。それは人生の宝だと思うのです。

 

この日、その先に感じたことは、「地面が柔かいなぁ」ということでした。普段よりも足底クッションが効いているスニーカーを履いていたので、そのせいかしら?と思ったのですが、東京に戻って普段の底の薄い靴を履いても、地面は前よりも柔かく感じます。

 

かっこよく言えば、”自分と大地とのつながりが深まった”とでも言うのかもしれませんが、そこまではわかりません。でも、柔かい感触は、心地良いのです。それで十分満足です。

 

智慧や悟りには、まだまだかもしれませんね。

 

 

【12月の特別クラスのご案内】

12月23日(土)14:00-16:30は「みんみんの陽だまり時間:オレンジポマンダーを作ろう!」(自由が丘・九品仏)です。詳細と応募方法はこちらから。(太極拳クラスではありません)

 

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

 

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共に生きる仲間たち

2017.12.15 Friday

(古民家「うえみなみ」から見た朝日)

 

和歌山に行ってきました。

 

2013年に受けていた、CTIジャパン主催の「リーダーシップ」というプログラムの仲間たちと一緒です。同期は20名いて、今回はその中から5人。そこにひとり、期がちがう修了生も混ざって、6人の旅でした。

 

「リーダーシップ」というプログラムは、いわゆる組織の長というリーダーを育てるものではありません。”すべての人がリーダーだ”という言葉のもとに、ありのままの自分として生き、その影響力を体験し、実践していこうとするものです。

 

プログラムが修了してもうすぐ4年になります。ポツポツ会ったり話したりはしますが、今回のように2泊3日共にするのは、すごく久しぶりでした。

 

場所は、和歌山在住のメンバーが「とにかく、この場所にはみんな、ぜひ来てほしいんだ」と絶賛している古民家「うえみなみ」です。その古民家のオーナーも、今は「リーダーシップ」の受講生というご縁。そこから高野山や、近くの「天空の森」に行こう!と、企画してくれました。

 

 

旅は、最初からハプニング続きです。あわや、病院行きか!と思うような事態が起きたり(結局、無事でした)、1日目の晩から雪が降り、2日目には道路が凍結したため、車で高野山に行く案が中止になったり(結局、バスを使って行くことができました)。雪が降るほどの冷え込みに、体力的に歩き続けるのが難しくなる人も出ました(結局は無事に、3日を終えました)。

 

それでも、そのときどきに起きることに、みんなで協力して、軽やかに越えて行けていたことが、とても感慨深かったです。

 

みんな、それぞれの”好き”があり、それぞれにできること、できないことがあります。集団で行動するときには、誰かが我慢したり、そこにひずみが生まれることも、よくあります。でも今回は、誰も我慢することなく(というのは、わたしの見立てですが)、みんなそれぞれの”好き”がさく裂する中でも、居心地よく過ごせたことは、うれしかったです。

 

「リーダーシッププログラム」を受けたときのわたしは、自分が何をしたいか、何が好きか、よくわからなくて、でも、ひとりではどうしたらいいのかわからず、「誰かに助けてもらおう」と思って、申し込みました。

 

プログラムの細かい内容には触れませんが、いろいろな角度から、自分がどれだけ”ありのまま”で生きていないかを、思い知らされました。

 

「こうしたら、きっと良いだろう」

「こうしたら、上手くいくだろう」

「こうしたら、インパクトがあるだろう」

 

という頭で考えてからの行動は、「わたしは、こうしたい」とは違います。

 

赤ちゃんの頃は、「こうしたい」に従って生きていたはずです。成長するにつれて身に着けた社会性が、いつの間にか鎧のように自分の一部となり、重たいのに、それを着なければ守れないと思い込んでいたのだと思います。

 

守らなければならないものなど、本当はなかったのに、です。

 

当たり前のように着ていた鎧を脱いでいくのは、怖いです。ありのままでいることが怖くて、その自分からの影響が怖くて、最初は上手くできなくて失敗続きで、泣いてばかりでした。

 

なんでも自分でやらなければならないと思っていたわたしにとって、ダメな自分、できない自分をさらすことも、大きなチャレンジでした。

 

仲間たちは、うじうじ泣いたり怒ったりするわたしの話を、ずっと何度でも、そばで聞いてくれました。

 

それから4年が経って、一緒に旅をして、自分も含めたみんなの変化が、とっても嬉しかったです。あの頃よりも、確実に、みんな、ありのままの自分を表現して生きている、と感じました。

 

昔の自分だったら、集団行動するときの役割分担に、もっと意識が向いたような気がします。Aさんがこれをする、Bさんがこれをする、Cさん何もしない、ではダメでしょ、とかです。大変ですよね。

 

でも今回は、少なくともわたしはですが、自分ができることをして、したいことをして、できないことはお願いして、したくないことはそう伝えて、過ごすことができました。

 

(「3分太極拳」のリクエストにこたえて、腿上げ特訓中(笑))

 

(宿の近くの「天空の森」へ)

 

「リーダーシッププログラム」には、4回の合宿があります。1回目の合宿の最終日、リーダーのひとりが「自分の故郷では(アメリカ人ですが、出身はアフリカです)、Backdoor visitor(裏口からの訪問者)という言葉がある」と話してくれました。

 

「表の門からは、呼び鈴を押して、お迎えするお客様。でも、裏門からの訪問者は、いつでも好きなときに家に上がり込んで、いつでも家族と一緒に食卓を囲む、そんな人たちです。あななたち(プログラムの参加者)はもう、わたしにとっては、裏口からの訪問者です。」

 

そんな風に迎え入れてくれたことが、とてもうれしかったです。

 

4年たって、そのときの仲間は、”裏口からの訪問者”です。好き勝手をしても、ときに「えー」と思いながらも、「ま、いっか」と受け流し、くだらない話を延々としてゲラゲラ笑い、まじめな話もします。

 

一緒に行ったひとりが「お正月を親戚の家で過ごしたみたい」と言っていました。

 

「リーダーシップ」は、それぞれの期ごとにトライブ(Tribe / 部族)と呼ばれ、わたしたちの期は「こだま」と呼ばれています。

 

その命名の背景として、次の言葉を贈られました。

 

木霊(こだま、木魂)は樹木に宿る精霊。

また山や谷で音が反射して遅れて聞こえる現象である山彦(やまびこ)は、この精霊のしわざであるともされ、こだまとよばれる。

 

動物、植物、山、川、海...。

森羅万象に宿る多種多様な生命がありのままの声を発し、

国や人種、性別、すべての境界を超え、

こだまとなって世界に響きあってゆく。

という意味を込めた。

 

こんな日を迎えられるとは、あの頃は夢にも思いませんでした。

 

これからもみんな、ありのままの自分で。愛と光と感謝を。

 

わたしの中には、喜びとともに、何かふつふつと揺れるものを感じます。それが何か、まだわかりませんが、おいおい、言葉にしていこうと思います。

 

和歌山や、高野山での旅の様子は、また次の機会に書きますね。

 

(高野山)

 

(大きなしいたけ、いただきました)

 

【12月の特別クラスのご案内】

12月17日(日)の午後は、Bouquet(逗子・葉山)身体とこころのその先へ 〜本当の思いに触れに行く太極拳〜」(第4回:みんなが知らない太極拳ひみつ4 陰陽五行にみる体と心のつながり)です。詳細とご応募はこちらから。

 

12月23日(土)14:00-16:30は「みんみんの陽だまり時間:オレンジポマンダーを作ろう!」(自由が丘・九品仏)です。詳細と応募方法はこちらから。(太極拳クラスではありません)

 

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

 

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お茶の時間

2017.12.05 Tuesday

(携帯用の茶器セット。片手の平に乗るくらいの大きさに収納できます。)

 

太極拳のクラスでは、ほぼ毎回、中国茶の時間があります。

 

お稽古時間によって、開始前だったり、終了後だったり、場合によっては途中休憩に淹れることもあります。公園でのお稽古のときも、水筒にお湯を入れて持って行き、その場で淹れています。旅行のお伴になるような、携帯茶器セットもあるのです。

 

このお茶の時間が、とっても好きなのです。

 

「中国でお稽古するときも、前後でお茶を飲むのですか?」と聞かれたのですが、そうではありません。

 

お茶を飲むのは、夕食後だったり、午後お昼寝の後の時間だったりします。お客さんを歓迎するために淹れることもありますが、みんなでワイワイ、お茶を飲みながらおしゃべりすることも、多いです。

 

(武当山で、お茶をふるまう先生(右))

 

お茶の時間があるといいな、と思いついたのは、2011年の春、中国にお稽古に行っていたときです。先生のお友達が作っている緑茶を、試飲させてもらう機会があり、そのとき一緒にいたドイツ人の友人が、「クラブに買って帰りたいから、たくさん買いたい」と話していたのです。彼の先生は、武当山にもよくお稽古に通っている人でした。お稽古前にいつもお茶を一杯飲んで、落ち着いてから始めるのだ、と話していました。

 

ドイツでも、みんな仕事が忙しく、ストレスを抱えていると聞いたことがあります。そんな中、お茶で一息ついてからお稽古するのは、大事な切り替えの時間なのかもしれません。主に東京で教室をしているわたしにとっても、同じことです。

 

そして、この時間、何よりわたしが好きなのです。

 

暖かいものをいただくと、ほっとします。

 

初参加で緊張気味な方にも、

あわてて駆けつけてきた方にも、ほっと一息。

 

お稽古に集中しすぎて周りが見えなくなっているときも、

上手くできないなあと、落ち込んだときにも、ほっと一息。

 

こんなゆとり、余裕を作ること(スペースを持つこと)を、とても大切にしています。

 

お茶自体が話題になることもあります。お茶から見えてくる中国の文化や生活など、わたしが感じたことを、いろいろお話をすることもあります。そんな話から、広がっていくものも、ありますよね。

 

お稽古の時間は、大切です。きちんと練習することは、必要です。

 

でも、わたしを育ててくれているのは、お稽古だけではありません。それ以外の時間、人との関わり、自然との関わりの中で、気づかせてもらったものがたくさんあります。

 

修行というものは、お稽古の時間だけにあるものではないと、感じます。

 

茶器セットが小さくて可愛らしいので、目を輝かせて見る方も。「ゆったりした時間を持ちたいから、欲しい」という方も。そんなことも、良いですよね。

 

 

 

【12月の特別クラスのご案内】

12月17日(日)の午後は、Bouquet(逗子・葉山)身体とこころのその先へ 〜本当の思いに触れに行く太極拳〜」(第4回:みんなが知らない太極拳ひみつ4 陰陽五行にみる体と心のつながり)です。詳細とご応募はこちらから。

 

12月23日(土)14:00-16:30は「みんみんの陽だまり時間:オレンジポマンダーを作ろう!」(自由が丘・九品仏)です。詳細と応募方法はこちらから。(太極拳クラスではありません)

 

 

☀「陽だまり」とは

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好きなことをする

2017.11.25 Saturday

(今日の代々木公園)

 

わたしにとって、体を動かして感じて育っていくことは、大好きで、大切なプロセスです。

 

体はとっても賢くて、いろいろ気づかせてくれます。この世では体をもって生きるため、体を大切に扱うこと、無駄な負担をかけないことで、この世での居心地や”生き易さ”も、変わってくると思っています。

 

でも「だから、体を動かしましょう!」と言っても、ハードルが高いと感じる方もいらっしゃいます。そして「太極拳ですよ」というと、さらにハードルが上がります。太極拳って、名前は知られているけれども、内容はほとんど知られていないと感じるのですよ。

 

昔の人の智慧である太極拳を、たくさんの人に届けたいと思うなら、ハードルを低くしようと、今年は話す機会を増やしました。

 

2月におはなし会、6月にインターネットテレビ(自由が丘FMTV「みんみんの陽だまり太極道」)の番組を始め、8月に逗子ではじめたbouquetでの講座は、前半おはなし、後半体験という新しい構成になりました。細々とですが、「やろう!」と決めるとご縁がつながるものですね。ありがたいです。

 

こんな風に「やろう!」と思うとき、”好きかどうか”を大切にしています。

 

”好き・嫌い”は、思考ではありません。「〇〇した方がいいよ、大人なんだから」という理屈ではなく、本能につながっています。理由があったとしても、”後づけ”です。人を説得するために理由が必要なこともありますが、自分にとっては、どうでもよいわけです。

 

思考は、簡単にウソをつきます。悪気はないですけれどもね。本当はやりたくないのに「仲良しの〇〇ちゃんがやることだから、手伝わないと」とか、「お世話になっている〇〇さんが開催するから、行かないと」とか、ありませんか?わたしは、よくやりました。(今でも、やりそうになります。)

 

わたしの場合、共感性が強いことが、さらに事情を複雑にします。「共感性が高いこと、人の気持ちを理解できることは、ひとつの力ではあるけれども、あまりに過ぎると、どれが自分の気持ちかわからなくなるから、ほどほどにするんだよ。」とアドバイスされたことがあります。人の気持ちを自分の気持ちのように感じ、わけがわからなくなるのですよ。

 

さらに「こうしてあげたら相手にとって良いだろうな、という思いは、相手にはわからないよ」とい言われたこともあります。

 

人に何かをすること自体がダメなわけではありません。してあげたいことをして、その思いが伝わらないとき、がっかりすることありませんか?わたしには、あります。でもそれ、すごく自分勝手ですよね。相手にしてみたら、「そんなこと頼んでない」でしょう。

 

そんなことも多々経験し、もっとシンプルに生きよう、好きなことをしよう、と思うようになりました。

 

シンプルなのですが、意外と手ごわいです。世間体や、「まっとうな人間だったらこうする」という妄想、義理、「やらないと言ったら、あの人が火のように怒り出す」という恐怖感などなど、好きなことを素直に選ばない理由(言い訳)は、たくさん出てきます。やりたいと思って始めたのに、だんだん苦しくなることもあります。ちょっとした無理があると、結局は自分を傷つけます。

 

勇気を振り絞らないと、「こうしたいの」と言えなかったこともあります。我慢してきたものが堰を切ったように流れ出すため、ほぼ絶叫、ケンカを売っているようになってしまったこともあります。たくさん迷惑もかけながら、「もっと普通に言えばいいよね」とか、「こじれる前に言わないと」とか、”好き”を通すやり方も、少しずつわかるようになってきたかもしれません。

 

さて、”好き”に話を戻します。インターネットテレビで放映された自分の番組は、必ず後から見ているのですが、「あらまあ」と思うところ、突っ込みどころは山ほどあれど、自分の話しているトーンは好きだな、と感じます。心地よいのです。

 

客観的に見たら、どれだけの人に届いて、役立っているのかが大事なのでしょうが、それはさておき、自分が”好き”と思えることが、うれしいです。その先のことは、わたしがどうこうすることではないですしね。わたしがしたいことは、誰かの期待に応えることではないのです。

 

そして、以前聞いた「何をやっても、巡り巡って、結局はどこかの誰かの役に立つ」という言葉が、心に響きます。

 

”好き”は、最強なのですよ。

 

 

【特別講座のお知らせ】

11月26日(日)14:00-16:30

 特別クラス「太極扇を体験してみよう」(自由が丘・九品仏)です。詳細はこちらから

 

12月17日(日)14:00-17:00 ※女性限定 Bouquet

 身体とこころのその先へ〜本当の思いに触れにいく太極拳 第4回 「陰陽五行にみる 身体とこころのつながり」

 詳細とお申込みは、こちらから

 

(お茶を淹れながらおはなしするのも、好きな時間。先日のBouquetの講座にて)

 

☀「陽だまり」とは

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