「できない」と、声に出せたら、動き出すこともある

2018.03.30 Friday

 

数年前、あるイベントに、ボランティアスタッフとして参加していました。

 

200人とか300人とか、そのくらいの参加者を予定している大きなイベントでした。

 

さまざまな準備はもちろん、必要な人に届けるために、声をかけていくことも大事な役割です。準備ミーティングでは、「『この人、来たらいいんじゃないかな』と思う人がいたら、どんどん声をかけて巻き込んでいきましょう!」という話がされていました。

 

でも、どうしても声をかける気になれなかったのです。みんな頑張っているのに、申し訳ないという気持ち、それでもできないという気持ちの間で、悶々と過ごした後、勇気を出してみんなに伝えました。

 

「今、声かけをする時期だとわかっているけれど、どうしてかわからないけれども、動く気がしない。ごめんなさい。」

 

そんなことばだったと思います。みんなからの返答は、「そうなんだね。今の気持ちを正直に伝えてくれて、ありがとう。わかった。自分のペースでいいよ。」と、動かないわたしを責めることなく、そのまま受け入れてくれました。

 

すごくうれしかったです。ほっとしました。こんなに優しい世界があるのだ、と。

 

そうしたら、俄然やる気が出ました。わたしの「できない」に対するみんなの反応から、自分が大切にしたいこと、伝えたいこと、広めたいことが、はっきりわかったからです。

 

できないときは、できいないと、言っていい。

 

そういう人を、そのまま受け入れる社会であってほしい。

 

そういう経験ができるだろうイベントに、ぜひ参加してほしいと、強く思いました。

 

それまでは、「引き受けたらやらねばならぬ」と思っていて、「できない」とは言えなかったし、どうしようもなくて言う場合も、自分を責めながら言っていたと思います。

 

技術が足りないからできないなど、理由がはっきりしている場合は、助けを求める方法もありますが、どういう理由で「やりたくない」と思っているのか、自分でもはっきりしないこともあります。

 

上記のわたしの場合、どう伝えたらいいのか、自分のことばが出てこなかったことも、たぶんあります。心から信じていないものを宣伝することは、テクニックではできるかもしれませんが、本心からはできません。でも、「できない」と思っていたとき、そのことにはっきり気づけているわけではなかったと思います。

 

こんな経験から、「できない」と声に出して認めることで動き始めることもある、と思っています。

 

嫌な気持ちが”なかったこと”として扱われていると、理屈で自分を説得しようとしても苦しいです。関係する人に伝えることも大切ですが、まず、その嫌な気持ちを自分で認めるのも、第一歩だと思います。そうしたら動き出すことがあるかもしれません。

 

これ、やってみるまでは、どういう展開があるか、わかりません。でも「あぁーなんだかダメだ」と思ったとき、それを認めて、焦らず、粛々と日々の目の前のことだけやっていると、自然と上向きになってきていることも、あるのです。

 

世界は優しいと、信じてもよいのだ、と思っています。(あれ?というときも、ありますけどね。)

 

 

【特別クラスのお知らせ】

4月14日(土)18:30-20:30は「太極扇を体験しよう(第5回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

4月15日(日)14:00-16:30は、新講座「みんなが知らない太極拳のひみつ(1)天地とつながる立ち方」です。詳細とご応募方法はこちらから。

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、キリリとした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

........................

いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 

 

 


「終わり」は、やってくる

2018.03.29 Thursday

(番組放映中)

 

昨年6月から始めた 自由が丘FMTVでの番組、「みんみんの陽だまり太極道」を、3月末で終えることにしました。

 

4月の番組改編のタイミングです。実は、3月に入った頃は、もう少し続けようと思っていました。

 

「やり始めたら、1年は続けないとね」

「これで経験できることもあるから」

 

という、まっとう(らしき)声がしていたからです。今思うと、それは本当の自分の声ではありませんでした。

 

ある日、静かな瞑想をした後、「もうこれは終わりにしよう」という声が、聞こえてきました。(そんな思いが湧き上がってきた、と言った方がいいかもしれません)。

 

すると続けていこうという"熱"が、もはや自分の中にないことが、はっきりわかりました。

 

嫌になったわけではありません。

 

2週間に1度、「どんな話にしようかな」と思いながら、ふっと浮かんできたテーマを話すことは、楽しかったです。そして、なかなかことばで表現できなかった体験も、この機会にことばにできたことも、何度もありました。

 

こんなにカメラに向かって話し続けることも、今までにありませんでした。最初はカメラを見ることができず、その次は凝視しすぎて、それではいかんと、視野を広げてみたり、というのも、楽しい奮闘でした。

 

話すときは、自分のことばで、盛らず、卑下せず、ありのままで話そうと心に決めていましたが、ときには前のめりに、ちょっぴり弾丸トークになることもありました(こういうときは、カメラを凝視しています)。途中、そんな自分にハッと気づいて、落ち着いたところに戻すみたいなこともありました。

 

「みんな、話す前は『緊張する〜!』と言うのだけれど、終わると『楽しかったー♪』と言って帰っていくんですよ」というのは、プロデューサーさんのお言葉です。自分の話をするのは、楽しいのですよね。1時間まるまる、贅沢です。

 

良かったことのひとつは、放映されたものを観て、自分の声が好きだと思えたことです。決して上手くはない話し方も。まったくの自己満足ですが、自分のことが好きだと感じられることは、とっても大切だと思うのです。

 

そもそもこの話、はじまりが面白いのですよ。去年のはじめに、「クラスをするだけではなく、太極拳を知ってもらうために、話す機会をもっと増やそう」と思い、おはなし会を自分で企画しました。

 

そうしたら、「おはなしと体を動かすことを組み合わせたクラスを始めたらいいと思う」というアドバイスで、逗子・葉山のブーケで「体と心のその先へ〜本当の思いに触れにいく太極拳」を5回シリーズで始めることが決まりました。

 

そして、最初はゲスト出演したことがきかっけで、自分の番組を持つことになりました。

 

トントンと、流れに乗ってますよね?

 

去年という時間は、とにかく”話すこと”をやってみる時間だったのかもしれません。

 

それを「やりきった。満足。」と、終わりにできたことは、しあわせなことです。

 

番組は終わりましたが、これからも、ブログや、おはなし会、もちろんクラスでも、機会を広げて、自分のことばで表現していきたいと思っています。それは、わたしが好きなことだからです。

 

はじまりがあれば終わりがある。

 

スペースを空けると、新しいものが入ってきます。関わってくださった人々と機会に感謝して、新しい気持ちで、新年度をスタートしようと思います。

 

 

☀☀☀自由が丘FMTV みんみんの陽だまり太極道:過去の放映番組は、こちらからご覧いただけます。☀☀☀

 

※はじめるときに書いたブログは、こちらから(2017年6月22日)。

 

 

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(今日の道歩きから。緑の葉っぱの後ろは、桜)

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、キリリとした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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人生の課題は、繰り返しあらわれる

2018.03.22 Thursday

(和歌山で)

 

繰り返し起きること、ありますか? 場所、相手、環境や状況を変えて、です。

 

わたしには、ありました。

 

わたしは興味のある授業や講座では、一番前で、先生の近くで、体験したい性分です。でも、それを許してもらえず、とっても苦しかった思い出があります。

 

最初は、小学生のときです。担任の先生が席を決めていて、わたしは毎回、一番後ろの席なのです。お隣は、ちょっと困った君。活発で手が負えない”悪ガキ”タイプではなく、おとなしく、勉強についていくのが厳しかったり、クラスに馴染みにくい、というような子でした。

 

あるとき、先生に訴えてみました。「わたし、一番前の席に行きたい!」

 

先生のお返事は、「クラスには、いろんな子がいるんだよ。助けが必要な子もいて、助ける力がある人は、そういう子を助けるんだよ。」

 

”もっとも”な返事ですよね。でもお隣の面倒をみても、まだまだエネルギーが余るのです。「わたし、前で勉強したーい!」

 

先生から過度な期待をかけられているような感覚も、ありました。ただし、現実に先生がどう思っていたかはさておき、ここでは、自分が感じたことだけを書いています。

 

大人になっても、同じようなことが起きました。以前、通っていた、とある教室でのことです。

 

「あなたは目立つから、一番後ろで目立だたないようにしなさい。みんなが忘れるくらいでちょうどよい。ハッと振り返ったら、黄金が輝いていて、あぁいたんだ、みたいな感じ。」

 

正確な言葉は忘れてしまいましたが、わたしが受けた印象では、こんな感じです。こちらも先生がどういう思いだったかはさておき、わたしが感じたことだけを書いています。(つまりここで、先生を非難したいのではないのです。)

 

先生のアドバイスです。頑張って守ろうとしました。でも当時のわたしには、それを”我慢する”という方法でしか、できなかったのです。

 

そもそも、「前に行きたい」のは、自然に湧き上がって、気づいたら行動しているようなもので、無理やりしているわけではありません。抑えることは、苦しいことでしかありませんでした。

 

これだけ我慢すると、怒りとなって爆発します。爆発してしまう自分も嫌で、自分が起こした現実にも、ひどく落ち込みました。

 

この経験、時系列で書きましたが、気づいたのは逆です。大人になってからの体験が苦しくて、それを聞いてもらったり、相談しているうちに、「そういえば」と、子供の頃を思いだしたのです。

 

相談する中で、「繰り返し出てくることは、人生のテーマかも」と、言ってくれた人もいました。

 

今の時点では、苦しい思いは、ありません。「過去の感情は持っていられない」とおり、「あのとき、苦しかったなあ」という淡々とした記憶があるだけです。乗り越えたと言えるのかもしれません。

 

今、このテーマについて、3つ思うことがあります。

 

ひとつは、”合わない場所は、去る”です。人はそれぞれ違って、何でもできる人がいないように、そんな必要もないように、どの場所にも合うわけではないと思っています。そりが合わない人も、います。苦しさを感じるとき、ひとつは”合わない場所に、無理やり居続けようとしていること”への警告かもしれません。

 

そうは言っても、「それなら」と、さっくり去ることも、なかなかできなかったりしますけどね。ぐずぐずしていると、無理やり押し出されるようなことも起きます。

 

そんなことが起きると、「ひどい〜!」と、最初は相手を恨めしく思ったりしますが、実は「離れたいと思っていた」願いが叶っただけのことです。冷静になってみれば、押し出した相手は、悪役の役割を担ってくれた、とも言えます(つまり、相手が悪いわけではありません。)

 

ふたつ目は、わたしの受け止め方です。自然に前に出たい欲求が強いだけのわたしには、後ろに下がることは我慢としか感じられませんでした。

 

でも実際、後ろのポジションは、全体がよく見えるのですよ。その視点は、確かにあの時にはなかったと思います。

 

さらに、当時のわたしは、後ろに下がること=他の人を立てる、面倒を見る、と感じていました。それを”義務”だと認識していました。でも、実際には、誰もそんなこと、期待していなかったかもしれませんよね(笑)。つまり、いらぬおせっかいです(笑)。

 

誰もそれを頼んでいないのに、自分で課して、必死に、苦しく思いながら踏ん張っていた、と思うと、我ながらおかしくて笑ってしまいます。こんな状態では、ほかの人にプレッシャーをかけただろうなぁ、とも思うのです。(ごめんなさい)。

 

3つ目は、自分の理想は、背景に溶けるような存在でいることなのです。つまり、”自分”が主張しない方が好きなのです。

 

たとえば、写真や動画、現実に目の前にいるとき、「背景に溶けて一体になっている」と言われるのが、好きです。公園のお稽古で待ち合わせした生徒さんから、「木に馴染みすぎて見えなかった」と言われたこともあります(ちょっと大げさな気もしますが(笑))。声を出すときも、自然な流れの邪魔にならない声でいたい、と思っています。

 

あらまぁ、ではありませんか。ただしこの3つ目には、我慢はなく、自然体です。わざと控え目に後ろにいるわけでは、ありません。

 

昔の自分を振り返ると、すごく狭い世界で生きていたのだな、と感じます。起きていることを、相手のせいにしがちでしたしね(ごめんなさい)。自分の作りだした妄想です。一生懸命だったので、それはそれで愛しいですけれどもね。

 

この課題がこれで終わりかどうかは、わかりませんし、このほかにもあるかもしれません。でも、苦しさもじっくり感じたことで、大切なことがわかったことは、確かです。

 

起きたことは変りませんが、自分で”苦しい”と思っていた過去を、変えることはできます。過去は、今の自分から見た捉え方でしか、存在できないからです。

 

繰り返し出てくる苦しいことがあったら、そして、それとじっくり向き合えるときがきたら、何かが出てくるかもしれません。(ただし、今はダメっ!というときもあるので、そういうときは無理しない方が良いと思っています。)

 

 

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3月27日(火)19:00-20:30は「みんみんの陽だまり時間:老子のことば」です。詳細はこちらから。

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(2017年 秋、武当山で。お稽古中、友人が「とっても平和な光景だったから」と撮ってくれた写真)

 

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”自分に正直にいよう”と思いすぎる、落とし穴

2018.03.06 Tuesday

 

ここ半年くらい、ずっと大事にしてきたことがあります。

 

”常に自分に正直でいること”です。

 

上手く言えないのですが、「地に足が着いて、どっしりしている」とか、「気が舞い上がっていない」とも言えますし、

 

感覚でいうと、お腹の中心がカチッと留まっていて、心と体と魂が、ちゃんとおさまっている(合っている)感じです。

 

舞い上がっているときは、魂が半分抜けて、まるで幽体離脱しているようになります(わたしなりの、比喩です)。心、ここにあらず、ですね。

 

このカチっとした状態でいると、とても居心地が良いのです。この状態なら、自分から出てくる言葉が何であれ(例えば相手にNOを言うときなど)、何をするのであれ、なんだか上手くいくのだと、思えます。

 

以前はお稽古しているときだけが、このカチッという状態になりやすかったのですが、

 

最近は、教えているときも同じ居心地の良さを感じるようになりました。さらに、お話だけのときは、気が上がりやすいのですが、それも心がけ次第では居心地よく話すことができるようになってきました。

 

「これ、これですよ。」これぞ、わたしが求めてきたもの、これをわかるために、ここまでがあったのだ、とご満悦だったのです。

 

しかし......ガツーンというボディブローは、突然やってきます。

 

まず「ちょっと伝えたくなって。最近、チャレンジしていなくないですか?5年くらい海外に行くくらいの意気込みがないと、井の中の蛙になっちゃますよ。」と、突然のメッセージがやってきます。

 

「へっ?」

 

どこかでは、守りに入っている自分を知っているのか、「これでいいんですよ、満足です」とは返せませんでした。

 

心地良いと思っていたけど、何かが違うらしい......

 

ご満悦だったわたしに、だんだんと疑問が現れてきます。

 

さらに、とあるワークショップに参加したとき、隣の人が背中(心臓の後ろあたり)に手を当てくれたら、まぁ、それの心地良いこと。自分が誰かの背中に手を当てるのも、とっても居心地良いのです。

 

「あれ?この居心地の良さ、勝手に無いものにしていたかしら?」

 

いつの間にか、”無いこと”にしていたものも、あるようです。

 

自分に正直でいることは、大切です。特に、相手の期待に応えることばかりしてきた人にとっては、自分が言いたいことを言い、したいことをする、と意識して行動していくことは、大事です。

 

でも、あまりに「自分に正直でいよう」としすぎると、どんどん内側に埋没していくような感じになるのかもしれません。

 

ちょうど季節は春。冬眠や冬籠りを終えて、新芽が芽吹くときです。変わっていく時期なのかもしれません。

 

というよりも、人は本当は同じではいられないのに、勝手に思い込んでいた”安心”とか”安定”に執着していたのかもしれません。

 

この話はもうちょっと続きがある気がします。それはまた、書きますね。

 

メッセージを送ってくれた人、言葉をかけてくれた人、きっかけを作ってくれた人、みんな、どうもありがとうございます。感謝です。

 

 

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「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、キリリとした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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千手観音菩薩の優しさと、教えること

2018.03.01 Thursday

(東京国立博物館内に再現された、仁和寺の観音堂。なんと写真撮影OK。中央が千手観音菩薩立像)

 

「仁和寺と御室派のみほとけ〜天平と真言密教の名宝」展に、行きました。

 

観音菩薩像、薬師如来像、阿弥陀如来像、そして空海の書である「三十帖冊子」などなど、ものすごく豪華です。空海の師である唐の恵果は「真言密教は言葉では伝えきれないから、絵で伝えるとよい」と教えたそうで、それにしたがって描かれた巨大な「両界曼荼羅」も見られます。

 

見どころ満載ですが、この中で特に心に残ったのは、千手観音菩薩像です。

 

展示の中に、観音堂を再現した空間があります。観音堂は僧侶の修行道場のため、一般には非公開なのだそうです。でも今回の展示は、観音堂の改修工事を記念しての開催のため、公開できたとか。実際に安置されている仏像33体、さらにそのまわりを、再現された壁画でぐるりと囲んでいる空間は、圧巻です。

 

中央にあるのは、千手観音菩薩立像です。

 

千手観音は、千の手と、千の眼で、すべてを救うのだとか。

 

人それぞれ、悩みは違います。それぞれの人を、それぞれの眼で見て、それぞれに合った手を差し伸べるという優しさを表現している、と解説されていました。

 

(観音堂の仏像)

 

(観音堂の仏像)

 

ちょっと話が飛躍しますが、それを聞いて、「教えることとは」を、思い出しました。数年前、中国にお稽古に行っているとき、ひとりの先生が話してくれたのです。

 

「教えるときには、それぞれの生徒に何が必要かを、常に見ていくことが大事です。

 

受け取る力、身体の素質、理解能力などなど、人それぞれ条件が違います。教えるときには、多方面から生徒をみて、みんなそれぞれ学べるものがあるように、それぞれに合う(違う)指導方法をしていくことが大切です。

 

そうやって教える中で、あなたもまた、たくさんのことを学ぶでしょう。」

 

この言葉は、今でもとても大切にしています。

 

そして、教えることによってたくさんのことを学ぶのも、その通りです。

 

教えるときは、まず、自分が習って理解した方法、言葉、表現で教えます。でもその結果、「あれ?」と思うことも起きます。想像していなかった光景が目の前に繰り広げられ、「いったい何が起きているのだろう?」と、びっくりするのです。

 

つまり、わたしが理解した方法、言葉、表現では、そのとおりに伝わっていないのです。

 

中国語と日本語の違いもあるかもしれませんが、それだけではないと思います。例えば「踏む」という言葉を、どういう動作として理解しているかは、実は、人それぞれです。

 

そこで、どうやったら伝わるか、いろいろと探ります。表現や言葉を変えたり、理解できるような動作やワークを入れたり、どこでピンとくるかは、人それぞれです。

 

これ実は、とってもありがたいのです。

 

一人でお稽古し続けていたら、自分がわかる世界だけいることになります。それって、独りよがりじゃないですか?教えることによってバリエーションが増えて、わたしだけの世界から、もっと広い世界に行くことができる気がします。

 

このプロセスがとっても好きです。「あれ?」とか、「なんだそれは?」とびっくりするのは、赤ちゃんが初めての体験をするときのようなものかもれません。良いとか悪いとか、そういう事ではなく、単純に新しいことに対する驚きです。

 

人それぞれ、しかも昨日と今日では違いますから、新鮮な驚きには事欠きません(笑)。人はそれぞれなのだと、日々満喫して、味わっているような感じです。

 

お稽古を続けてきても、「わかった!」ことなどほんの少し、世の中のほとんどのことは知らないのですから、常に自分は未熟です。その未熟さゆえに、ちょうど合う眼で見て、ちょうど合う手を差し伸べられないことも、あると思います。

 

そして「教えることとは、これなのだ!」と言いたいわけではなく、これがわたしがやりたい教え方、というだけです。

 

この展覧会には、大阪の葛井寺の「千手菩薩観音坐像」も見ることができます。奈良時代の国宝で、千の手、千の眼、十一のお顔を持っています。千手観音といっても、手が40本、つまり1本が25本分としているものも多く、この像のように本当に千(実際には1041本)あるものは、これだけなのだそうです。

 

手が千本あるにも関わらず、見事なバランスです。じっくり見ていくと、かなりユニークです。手にいろいろなお道具を持っているのですが、ふっくら丸いガイコツ君のような顔をした杖は、「あらゆる神々を受信できる」のだとか。

 

精巧さと、ユーモアさがあいまって、なんとも心惹かれます。

 

生きている間、一本ずつ、手を増やしていくのかしらね。しかし千本とは......なんと、まあ。救われないものは、ありませんね。

 

この展示は、上野の東京国立博物館で3月11日までです。お勧めです!

 

(帰りに見た空。自然の景色は、一瞬として同じときがないことを教えてくれます)

 

 

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