朝の站椿功

2018.11.16 Friday

(中国、武当山の南岩宮)

 

站椿功をする時間は、決めているわけではなく、今は一日のうちで時間がとれるときにしています。

 

その中でも特に、朝が好きです。

 

じっと立つだけですので、音はたくさん入ってきます。

 

朝は、鳥の鳴き声が、いろいろ、たくさん聞こえます。それがなんとも心地よいのです。

 

夏の間は、虫の声も主張していましたが、今の季節はひっそりです。

 

その他に、生活音もたくさん聞こえます。車の音や、窓を開ける音、何かしらの音。

 

何の音か、わからないものもあります。ほのかに聞こえてくる音を、わからないままにしておくのも、いいものです。

 

 

じっと立っていると、いろいろなことが頭に浮かびます。

 

今朝は、ちょっと反発を感じたことがあって、悶々としていたせいか、それが頭に浮かんで、ぐるぐる、モンモンしていました。

 

ちっともピシッと集中して、立てていませんよね。

 

「嫌だと思うことの裏には、自分が本当に大切にした願いがある」と言いますよね。

 

そちらに目を向けていく方法もあるのかもしれませんが、それはちょっと違う気がして、そのまま「ああ、これが嫌なんだ」と、しておきました。肯定も否定も、しません。

 

その間も、鳥の声は聞こえます。いろんな音も、聞こえます。今日はいいお天気で、肌に感じる空気も、さらっとしていました。

 

わたしは站椿功をしているとき、ふわりと浮くような感じがあります。例えて言うなら、飛行機に乗っていて、ちょっと高度が下がるとき、ふわんと浮くような、あれです。

 

いろいろめぐるものも、感じます。体の中も、外も。ぐるぐると。

 

そんな感じで続けていると、いつの間にかモンモンとしていたあのことも、どうでもよくなっていました。

 

中国にいらっしゃるわたしの先生が、「站椿功で、天と地とつながると、日常の気になっていることが、ささいなことに思えて、どうでもよくなるよ」と、おっしゃっているのですが、まさに、そのとおりです。

 

ひとことで表すなら、「ま、いいや」です。

 

気になっていたことが、気にもとまらないほどの小ささに変る、と言えるかもしれません。

 

昨日のブログで、「あるがまま、存在の本質とは、『静』であり、なにごともそこに帰るのだ」というお話を、スノードームにたとえて書きました。

 

站椿功をするのは、この「静」に帰ることでもあります。

それは中国語でいう「喜悦」、内側から満たされている感覚でもあります。外からの刺激への反応としての喜びではなく、内側からあふれてくるものです。

 

「静」に帰ると、そのあとの一日が、ゆったりと、穏やかになるのです。しずーかに過ごすわけではなく、わりと活動的だったりします。

 

站椿功は、これまでわたしにいろいろなものを感じさせてくれて、もたらしてくれましたが、今でもこれをすると、どんなことがあるのか、ことばで説明しつくせるほどには、わかっていません。

 

わかっていることは、まだ先がある気がすること、です。

 

1回だいたい30分、これを聞くと閉口する方もいらっしゃいますし、実際にやったことある方は、「足が痛い」「腕がいたい」「苦痛だ」などなど、顔をゆがめてしまうかもしれません。

 

でも、苦行ではなくて、本当は楽しいのです。それは、これまで体験していない楽しさなのかもしれません。

 

知らないことは、自分がそれを「知らない」ことも、わかっていないこと、ありますしね。これは、ちょうどそんな感じです。

 

 

☀「やさしい站椿功」は、11月24日(土)15:00〜16:30、九品仏・自由が丘で開催します。詳しくは、こちらから。

 

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

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緩めていけば、自然にあるべき状態になる

2018.10.29 Monday

 

太極拳を続けてきて、よく思うことのひとつは、「自然に”そうなる”ことを、形で真似してしまうことがある」ことです。

 

そうではなく、ただ無駄な緊張を緩め続けていけば、そのうち自然に、あるべき状態になっていきます。

 

例として、足指、呼吸を、あげてみます。

 

 

≪足指≫

太極拳の練習で「足指で地面を掴む」と習った方も、少なくないのではないでしょうか?

 

足指の裏(地面につくところ)に掴む力があれば、自然と掴む力が生まれます。

 

でも現代の人、特に都会で暮らす多くの人は、足指に掴む力などありません。その状態で足指で掴もうとすると、足が緊張します。つまり、無駄な力が入ります。

 

紛らわしいのは、キュッと掴むと、膝はグラグラしなくなります。一見よさそうに見えますが、これは緊張させて固めているだけです。この固さは氷のようにもろく、大きな力がかかれば砕けます。

 

積極的に掴もうとする前に、まずはほぐすことを心がけます。気づいていないかもしれませんが、靴に保護されて、足裏は関節があることも忘れてしまった状態になりがちです。足指を伸ばしたり、ほぐしたりして、バラバラに動くようにしていきます。

 

わたしは、これを続けていたら「掴むとは、このことだ」と、実感できた経験があります。掴もうとしたわけではなく、足指が自然に「くっ」と地面を掴んだのです。中国にいるときに先生が「足で掴むときは、ちょっとね」と言っていたことも、腑に落ちました。

 

掴みに行くのではなく、自然と生まれる掴む力だけで十分です。それ以上は、緊張させてしまいます。

 

 

≪呼吸≫

「太極拳の呼吸は、逆腹式呼吸を使う」と言われることがあります。

 

普通の腹式呼吸(順の腹式呼吸)は、吸うときにお腹が膨らんで、吐くとお腹がへこみます。逆腹式呼吸は、吸うときにお腹がへこみ、吐くときにお腹が膨らみます。

 

順の腹式呼吸は、肺の下部を広げるために効果があり、逆腹式呼吸は肺の後ろ側や側面が大きく広がるのだそうです。

 

この順と逆の腹式呼吸を合わせると、次のようになります。

 

息を吸うとお腹が膨らむ(順)→腹部がへこむ(逆:内臓が引きあがる)→息を止めると、持ち上げた内臓が下がって腹部が膨れる(逆)→息を吐くとお腹がへこむ(順)。

 

もしかしたら、これを形から入って修得していくやり方も、あるのかもしれません。

 

ですが、お腹をわざと膨らませれば、腹筋運動をしているだけで、腹式呼吸にならないこともあります。腹式呼吸とは、空気が肺に入り、緩んでいる横隔膜が下に押されて、お腹が自然に膨らむものだからです。膨らませると、膨らむ、の違いですね。

 

さらに、わざと膨らませたり、へこませたりすると、緊張を促します。

 

こんな理由で、逆腹式呼吸を積極的に取り入れようとはしてきませんでした。

 

ただ、ある中国の先生のお腹と背中を触ってみたとき、背中とお腹が龍のようにうねり、上記のような順と逆を合わせたような、複雑な動きだったことは、覚えています。

 

そして、呼吸を吸ったあと、吐く前に少し「止める」のは、7年前、中国で六字訣を習ったときに経験していました。でも当時は、息を止めると、苦しくなっていた気がします。そのため自分で練習するときには、さほど気にしませんでした。

 

変化に気づいたのは、今年に入ってからです。站椿功をしているとき、「息が長くなったな」と気づきました。よく観察してみると、自然と、順と逆を合わせた形になっていました。

 

大きな動きではなく、ささやかですが、それがきっと、今のわたしの体や状態にふさわしいものなのでしょう。

 

呼吸については、先月、武当山にお稽古に行ったとき、站椿功のやり方の話の中で、先生がこんな話をしていました。「站椿功は、まず体を整え、次に心を整える。そうしたら、呼吸は自然になる。眠るときに、どうやって呼吸しよう、とか考えないでしょう?呼吸とは、自然に行うものだから。」

(参考:武当山日記:站椿功がもたらす「喜悦」(2018年9月26日)/  太極拳と呼吸(2018年10月19日))

 

老子の教えの中に、「無為自然」があります。何も為さなければ、自ずと然り、自然になる、というものです。この何も為さない、という理解は、じっとしているということではありません。「動かない」というのも、作為的、つまり為していることになるからです。

 

この無為自然を、太極拳に当てはめてみると、自分の心身の無駄な緊張を取ることが、ひとつの大事なポイントだと思います。

 

緊張に対しては、無自覚にしていることがほとんどです。気づいて緩めていく方法を学ぶことは、大切です。それが太極拳のお稽古でも、あります。

 

あくまでもわたしの経験に基づいたものですが、「足指で地面を掴む」とか、「呼吸は逆腹式呼吸を使う」は、結果として生じるもので、いわば枝葉です。根を張って幹を伸ばす前に、枝葉を目指すのは、無理が生じないでしょうか?

 

足指で地面を掴むことも、逆腹式呼吸を使うことも、その通りだと思います。でも、その前に、緊張をほぐすことの方が大切だと思うのです。

 

無駄な力が抜ければ、”自然と”、それはやってきます。焦らず、のんびり、そのときを待ってみるのも、いいのではないかしらね。

 

 

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太極拳と呼吸

2018.10.19 Friday

(武当山で)

 

以前、「太極拳って、呼吸法でしょう?」と聞かれたことがあります。

 

深くて質のよい呼吸は、すこやかな心身のためには大切です。ただ、いろいろなご意見はあると思いますが、太極拳は呼吸法ではないと、思っています。

 

太極拳での呼吸(目指す呼吸、と言うべきかもしれません)は、”自然”です。自ずと然り、あるべき呼吸です。

 

そのために、まず体を整え、心を整えます。体から無駄な力が抜け、緩み、”放松(ファンソン)と呼ぶ状態になり、心が落ち着いて静かな状態になったときには、本来の呼吸が戻ってきます。(例として、体と心を整えて自然な呼吸に至る、站椿功のやり方は、こちらから:武当山日記:站椿功がもたらす「喜悦」

 

人は生まれたときから呼吸をしているのですから、生まれながらにして達人です。余計なことをしなければ、自然とよい呼吸になっているはずです。

 

よい呼吸とは、腹式呼吸、そして鼻呼吸です。

 

まず、腹式呼吸から。

 

人は進化の過程で二足歩行になったときに、胸式呼吸になりやすくなったと言われています。四つん這いだと腹式、ハイハイする赤ちゃんは、普通に腹式呼吸をしています。

 

胸式呼吸は、交感神経を刺激します。舞い上がったり、爆発したり、興奮度が上がるイメージですね。胸式の浅い呼吸では、吸った空気が肺の中まで到達せずに吐き出されるため、肺に炭酸ガスなどの不要なものが溜まるのだそうです。

 

腹式呼吸でも胸式呼吸でも、息が入る場所は肺です。腹式の場合、呼吸によって横隔膜が上下するため、それが下に押し下げられたときはお腹が膨れてくるのです。ときどき勘違いして、お腹を動かそうとする人がいますが、それは腹筋運動です。

 

横隔膜が上下することは、内臓のマッサージにもなります。こうやって日常的にマッサージすることで、内臓の機能を応援してくれます。

 

横隔膜が自然に上下しないとき、どんなことが起きているのでしょうか?

 

人の体は、骨と、それを支える筋肉を使うだけで、立てます。このときに使う筋肉は緊張筋と呼ばれ、赤い色をしていることから赤筋ともよばれます。主に下半身に多く、緊張していることを感じない筋肉です。いちいち「緊張してるー」と感じたら、立っていられませんから、上手くできています。

 

でも、いろんな理由や事情により、たいていの場合、骨と最小限の筋肉で立てていません。こうなると、体はその人を立たせることを優先させるため、本来使う必要のない筋肉を固めて、骨のようにして支えようとします。いろいろ固めるなかで、横隔膜もギュッとしてしまうと、呼吸しても動きませんよね。

 

防衛本能なので、このがんばりには「ありがとう」と感謝を伝えたいところですが、緊急事態が続くと負担が大きすぎます。太極拳で体を整えていくのは、この無駄な緊張に気づいてやめていく過程でもあります。

 

次は、鼻呼吸です。

 

現代人は、やわらかいものばかり食べていて、あごや口が弱くなりがちです。無意識に口がだらん、と開いてしまうのは、このためです。さらに胸式で浅い呼吸だと、たくさん息を吸おうとして、口を使うこともあるようです。

 

本来、口は食べるところ、鼻は息を吸うところです。口から吸ってしまうと、いろいろ不都合が出ます。

 

口が乾燥して、唾液が出にくくなり、

唾液が出ないことで、食べたものの殺菌が不十分になり、胃が弱ったり、

いろんな菌が途中で防御されずにそのまま肺に入り、風邪をひいたり、です。

 

太極拳では、口を閉じて、舌は上あごにつけ、鼻呼吸をします。

 

そう言われても、無意識にだらーん、と開いてしまう人は、口を動かす体操が、おすすめです。以前、テレビでお医者さんが、インフルエンザの予防として、口を大きく開けて「あ・い・う・べーっ」と言う体操を紹介していました。だらーん癖のあった人も、これで解消されていましたよ。

 

体を整えたら、次は心です。

 

心がわさわさ落ち着かない状態だと、交感神経を刺激し、胸式に傾いてしまいます。心は静かに、穏やかに、です。(整え方の一例は、上にもリンクをはった武当山日記:站椿功がもたらす「喜悦」に、書いています。)

 

体と心を整えれば、結果として自然にでてくるものだという点で、わたしは”方法”ではないと思っているのですが、その過程を方法だと呼ぶことも、あるかもしれません。

 

太極拳での呼吸については、もうひとつポイントがあります。

 

いつ吸って、いつ吐くか、です。自然であれば、呼吸は自ずと出てくると言ってしまえば、その通りですが、何が無駄な力を使うことになるのかわかっていないと、難しいですよね。

 

息を吐いたとき、吸ったとき、どちらが緊張すると思いますか?

 

吸ったときではないでしょうか。体が膨らむと、多少ではあっても、緊張は起こります。

 

このため、太極拳で攻撃する動きのときは息を吐き、その準備をしているときは吸うことになります。これだけは、原則というか、法則のようなものと言えるかもしれません。

 

でも、あくまで原則です。

 

ときどき、「ここは吐く場所だから」と、息が切れているのに、吸うのを我慢してしまう人もいます。苦しいですし、体が余計緊張しますよね。本人は必死、まじめなのですが、悲しいことに、これでは本末転倒です。

 

だから、息が続かなくなったら、そこで吸ったり吐いたりしてもいいのです。体が楽であることの方が、優先です。

 

いろんな本を読んでいると、ときどき「呼吸は自然で」という文章にあたります。「先生に呼吸を聞いたら、『自然』としか答えてもらえなかった」というものも。

 

「なら、なんでもいいのか」とも読めてしまいますが、シンプルな答えでありながら、奥が深い答でもあります。ふつうの生活の中では、不自然であることが、普通だからです。人はどうも、無駄なことをするほうが得意みたいですからね(わたしも含めて)。

 

こんな風に、わたしにとって呼吸は、ひとつの結果だったり、体や心の緊張を教えてくれるサインだったりしたわけですが、最近、気づいたことがあります。

 

6年くらい前、站椿功をしているときの1分間の呼吸は、6−7回でした。その後、あまり回数は気にしていなかったのですが、最近は3−4回になっていました。深くなったのかしら。ちょっと、いえ、とっても、すごく、うれしい。

 

 

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”立つ”こと

2018.10.17 Wednesday

 

太極拳のお稽古で、ベースになっているのは、立つことだと思っています。

 

”立つ”にはじまり、歩いて、動いて、また”立つ”にかえっていく感じです。だから、立つお稽古でもある站椿功は、大切なのです。

 

站椿功をする理由として、武当山にいる先生の兄弟弟子が、こんな話をしていました。「年を取ってくると上下のバランスが崩れる。重くなってくる上半身に、下半身が耐えられなくなり、膝を痛めたり、歩けなくなったりする。だからバランスをとるために、足を鍛えることが必要。」

 

人は、特に都会に住む現代の人は、足を使う機会が少ないです。電車や車、バスやタクシーという交通手段があり、歩くとしても野山ではなく舗装された道路の上です。お買いものも、足を運ばなくてもネットですみます。

 

足自体も、アスファルトの上を歩くために、クッションのきいたスニーカーや靴で防備されています。足自体も、鈍感になりますし、弱くなります。

 

逆に、頭は使う機会は増える一方です。パソコンや携帯電話でやり取りし、知りたいことがあればネットで調べ、ゲームで遊んだり。頭でっかちになる環境が、そろっていますよね。

 

足を鍛えるためなら、立つこと以外に、歩くこと、ランニングでもいいのでは?と思うかもしれません。もちろんそうだとも思いますが、歩いたりランニングするときに、膝に負担がかかって痛めることもあります。そうならないためにも、”立つ”という基本に戻ることは大切だと思っています。

 

站椿功は、10分とか30分とか、人によってはもっと長く、ひたすら立つ練習です。腕の形を変えていくものもありますし、同じ形を保つものもあります。

 

”立ち続ける”という制限がある中では、ある意味、逃げ場がありません。この窮地をなんとかしようと工夫する過程に、意味があると思っています。

 

例えば、慣れないうちに感じがちな痛みは、「ここが弱いよ」と、脳に伝えていることでもあります。人の体はものすごく柔軟に対応することができて、弱いところがあれば、そこをなんとかしようと工夫するのです。

 

さらに、要らない力を入れているために、痛みや苦しさを感じることもあります。長いことその姿勢を続けるために、そのままではいられません。不要な力みに気づいては緩め、気づいては緩め、を繰り返します。

 

この、自分で気づいて緩める、という過程が、大切なのではないでしょうか。「いらないんじゃないかしら」と気づいて緩めることは、意識と体がつながっていることでもあり、双方が納得して緩めていくからです。

 

コリや痛みの対策として、整体や針治療をすること、ありますよね。その時は効いても、また痛みがぶり返してくること、ありませんか?しかも、コリがもっとひどくなったり、整体に行くことがルーティーンになっていることも、あると思います。

 

体には防衛本能があって、痛みやコリは、何かの理由があって固めているのだと思っています。理由はどうであれ、そのときの体は、「守るためにはそれが必要」と認識しているのです。それを、外的な要因で急に緩ませた場合、体は焦るかもしれません。危機感を覚え、さらにカタくなるというのも、わからない話でもありません。

 

整体や針治療がダメという話ではありません。わたしも、必要だと思うときには、お世話になっています。整体や針治療の優秀さとは別に、本人の状態次第で起きるのではないかと、思っています。

 

不要な痛みは、「そのカタさ、要らないよ」というお知らせでもあります。それに体も意識も同意して緩めていけたら、元に戻りにくくなるのではないでしょうか。

 

站椿功をしているときは、意識と体と対話している時間でもあります。頭だけ動いているのではなく、からだ全体、意識も含めて、要らない緊張をそぎ落とし続ける感じです。もちろん、それ以外にやってくる感覚もあり、人によってはそれを「気を感じる」という言い方をするかもしれませんが、それは結果ですからね。自分でどうこうするものでは、ありません。

 

「站椿功の代わりに、スワイショウでもいいのでしょうか?」という質問を受けたことがあります。

 

個人的な感覚ですが、站椿功とスワイショウは、重なるところはあっても、代わりになるものではありません。

 

スワイショウは、中国で長く続けられてきた養生法で、とっても優秀だと思っています。腕を振り続けるという単純な動作で、誰でも簡単にできます。站椿功に比べたら、動きがある分、初心者にもなじみやすい気がします。立つときに、站椿功の立つ”コツ”を当てはめていけば、立つ練習にもなります。(スワイショウのやり方はこちら、感想や質問はこちらをご参照ください。)

 

わたしは1000回、16〜17分くらいをおすすめしています。これだけすると、もちろん個人差はありますが、体の中のめぐりも活発になり、腕の力は抜けやすくなります。その人なりに、やる前よりも、無駄な力が抜けてリラックスしている状態を感じやすくなります。

 

要らない緊張を抜くためには、リラックスした状態を知っていることが役に立ちます。スワイショウは、そのときの緊張を緩めることにも役立ちますが、その後にも目安となって、役立ってくれます。

 

こう書くと、スワイショウで代わりになるような感じもしてきますが、ひとつだけ足りないところがあると思っています。站椿功は、自分で気づいて緩めていくのに対して、スワイショウは、物理的に緩んでいく感じなのです。気づく、という過程がない(もしくは少ない)気がします。

 

そして、”めぐる”という点については、なぜだかわかりませんが、動かない站椿功の方が、めぐりやすい気がします。站椿功をすると、血流が3倍速くなるという話を聞いたこともありますが、それも納得できる気がします。(参考:「気功で新しい自分に変る本」星野真木著 BABジャパン)

 

冒頭でご紹介した、中国の先生の兄弟弟子は、「足を鍛えると、大地と繋がれる。大地と繋がれば、対になっている天ともつながれる」とも、言っていました。

 

人と、大地と、天がつながれば、意識は体の大きさを超えて、どんどん大きくなっていきます。日常のわずらわしいことが、小さなことに感じられるようになってきます。自分はひとりでは生きていないこと、もともとはひとつなのだということにも、気づいていきます。

 

ことばで言うと、どうしても薄っぺらくなってしまいますが、これを体で感じることは、とっても素敵なことなのですよ。

 

立つことは、人が人として生きるすべてを思い出させてくれると、思っています。

 

☀站椿功について、参考はこちらから:武当山日記:站椿功がもたらす「喜悦」

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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お稽古は、決めたことをやり遂げる時間

2018.10.09 Tuesday

(2018年の夏、武当山にて)

 

自宅でひとりでお稽古しているとき、「ピンポン」と呼び出しがかかったり、電話がかかってきたりすることがあります。

 

そんなとき、どうするでしょうか?やっていることを途中でやめて、対応するでしょうか?

 

お稽古をしているときは、「いきなりやめてはいけない。まずは収功(そのお稽古を終えて、日常に戻るための動作)してから対応すること」と、教わりました。

 

中途半端にやめてしまうのは、よくないのです。

 

もうひとつ、例えば站椿功(立禅)で腕を上げて立っているとき、腕が痛くなったり、苦しくなったら、どうするのでしょうか?

 

「やめて、仕切り直ししてもいい。ただし、なぜ途中でやめたか聞かれたときに、ちゃんと答えられるようにすること」と、教わりました。

 

理由をはっきりさせずにやめてしまうと、失敗体験になります。理由があれば、それは経験という蓄積になります。

 

お稽古の時間というのは、周りに流されず、人の都合に合わせるのではなく、自分を尊重して、決めたことをやり遂げる時間でもあります。

 

社会の中で生きていると、なかなか自分に集中するのは、難しいですよね。声をかけられたら、ちゃんと顔を見て答えたいとは思いますが、呼ばれるたびにそうしていると、気づかずに、自分が後回しになってしまうこともあります。

 

他人の期待を優先させているうちに、自分が何をしたいのか、わからなくなってしまうこともあります。

 

過去のわたしにも、そんなときがありました。

 

2009年の夏、初めてひとりで中国の武当山に行くことになったとき、友人から「今回はどんな時間にしたいの?」と聞かれました。考える前に口から出てきた答えは、「わがままに過ごすこと」でした。周りに合わせるのではなく、社交性を優先させることなく、とにかくそのときに自分が一番したいこと(お稽古)に集中しようと、思いました。

 

その頃は、自分が何がしたいのか、迷子になっていた時期だったと思います。

 

周りからも、「あなたは、自分を大切にしてない」と言われていた頃でした。

 

「わがままに過ごす」と決めて過ごした2週間は、自分ともじっくり向き合い、お稽古にも集中できました。そして結果的には、周りの人たちとも仲良く、楽しく、過ごせました。「自分がしたいことを優先させても、こんな風に過ごせるんだ。友達は、作ろうとしなくてもできるんだ」と、わかる、いい経験になりました。

 

太極拳の教室でも、自分で練習するときも、決めたことをやり通すことは大切です。30分、1時間、1時間半、自分で決めた時間は、それに集中します。

 

電話がかかってきても、後でかけ直せばいいことです。すごく大事な電話だったら、何度もかけてくるでしょう。(ただし、本当に急を要する電話があるとわかっているときは、もちろん出てください。)

 

以前、会社員だったとき、海外での研修に参加したときのことです。同僚たちと、「未読メールが溜まっていくよね」という話になったとき、そのうちのひとりが「研修中は見ないし、この期間に来たものは、みんなまとめて削除しちゃう。」と言うのです。「だって、後からなんて、読みきれないもの。本当に大事だったら、また連絡してくるでしょ。」と。

 

そのときは、度胆を抜かれましたが、あっぱれですよね。

 

決めたことをやり遂げることは、周りに流されることなく、そのときの自分に大切なことを見極めて、それを実現していく力をつけることでもあります。

 

自分の人生に迷子にならないために、自分の願いを実現していくためにも、大切なことですよね。

 

お稽古は、何ができて、何ができないかよりも、その時間をどう過ごすかが大事だと思っています。よい過ごし方をすれば、結果はちゃんとやってきます。

 

 

 

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