太極拳は、動く瞑想か?

2017.02.19 Sunday

(代々木公園)

 

先日のお稽古に参加してくださった生徒さん、太極拳の基本功という短い基本の流れを繰り返した後に、「眠くなってきました。このままお昼寝したら気持ちよさそう。」とおっしゃいました。

 

眠りそうで、眠っていない状態、まどろんでいるときは、瞑想をしているときになりやすい状態です。脳波でいうとΘ波(シータ波)が出ている状態で、α波(アルファ波)よりもさらに深く、潜在意識とつながりやすい状態と言われています。

 

顕在意識と潜在意識は、海に浮かぶ流氷に例えられます。見えている部分は1割で、9割が水面下です。流氷の見えている部分が顕在意識(表面意識)、水の下に隠れている部分が潜在意識です。

 

たとえば「これをやろう!」と顕在意識で思っても、なかなか手を付けられない場合、そのときはまだ潜在意識がNOと言っているのかもしれません。

 

潜在意識は自分で自覚できないため、言葉では説明しにくいのですが、わたしの感覚としては、大切にしたいことや、今世での自分の使命(これをやって生きていく、というような、自発的に出てくる自分の役割)に、根っこの部分がつながっているような気がします。

 

潜在意識につながると、自分の本当にやりたいことや大切なことが、感覚としてわかってくるため、生きていく中でいろんな選択をするときに、それに沿った選択ができる気がします。たとえばわたしの場合、表面的にうまくいっていないようなことが起きても、自分にとって大切なことが守られているなら、今はそれでよしとする、ということがよくあります。根っこのところで大切な部分を握れていれば、日々起きるいろいろな出来事に翻弄されにくくなります。

 

そんな話をしていたら、生徒さんが「ずっと決められなかったことがあるんですけど、今、決められそうな気がしていきました。もう少し時間はかかるかもしれませんが。」とおっしゃるのです。

 

じーん、としました。生徒さんが自分でたどり着いた地点、しかも時間はもう少しかかるかもしれないという点も、正直で良いなあ、と思ったのです。ゆっくり、ゆっくり、潜在意識がOKを出せるまで、待ってあげたら良いと思うのです。抱えている課題にもよるかもしれませんが、ゆっくり進むその過程にも、意味があるのだと思っています。

 

こういう場面に立ちあうとき、幸せだなぁと思います。足が高く上がるとか、安定してくるくる回れるとか、套路がいくつできるとか、それはそれ自体が目標なのではなく、その先に到達することを助けてくれるものだと思うのです。その先とは、自分がやりたいことや大切にしたいこと、使命だと思っています。

 

もちろん、できなかったことができるようになる喜びや、動くと楽しいとか、套路がいくつできるようになったとか、それ自体はたくさんのチャレンジを与えてくれますし、喜びをもたらしてくれます。表面的、つまり顕在意識では、それを追っているだけで十分だとも思います。でも実は、顕在意識にそれを追わせているのは、深いところにある潜在意識だと思うのです。

 

生徒さんが話してくださったこの出来事は、わたしにもひとつの気づきをもたらしてくれました。

 

「太極拳とは、動く瞑想である」というフレーズを、聞くことがありますが、これまでぴんと来なかったのです。理由は、動功(動くもの)の太極拳と、静功(見た目では動かないもの)の瞑想を、わざわざ一緒にする意味があるのかと感じていたからです。これまでのわたしなりの理解では、動功である太極拳や気功は、陽気(わかりやすく言うなら、生きていくためのエネルギー)を育てます。この世はすべて陰陽で成り立っていて(太陽と月、天と地、男女など)、お互いがお互いを助けているという原則に照らし合わせるなら、動功に対する静功は陰気を育てると言われています。

 

太極拳の套路は、陰を作り出せば陽は自然に発生するという原則で動いていきます。つまり、陰のないところには陽は育たないのです。これに静功と動功を当てはめると、瞑想をすることで陰気を育ててベースを作ってこそ、太極拳や気功で陽気が育つことになります。

 

でも今回の体験で、「太極拳とは動く瞑想」という言い方もありだと自然に思うことができました。実際、太極拳の套路の状態は、夢み心地で、まどろんでいるような状態です。わたしの先生も「終わると夢から覚めたときのような感じ」と表現されていました。このまどろんでいるような状態、とっても気持ち良いのです。それは、自分が大切にしたいことをしっかり握っているようなときだからなのかもしれません。瞑想で目指してる状態と、同じです。

 

知ることは大切ですが、それに固執すると頑固になります。「太極拳は動く瞑想」という表現に違和感を感じていたわたしは、潜在意識はわかっているのに、顕在意識の頑固な知識が「違う」と頑固に拒んでいるような状態で、自分でも笑ってしまいます。でも「それもありだ」と自然に感じるまでのこの過程も、大切にしたいです。こうやって、ひとつずつ実感しながら進むことを選択して生きていきたいからです。

 

5年以上かかっていますが(笑)。一緒にやってくださる生徒さんや先生、友人たちがいるからこそです。おかげさまです。ありがとうございます。

 

(Photo by Xie Okajima)

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

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ゆっくりやらなかったからわかる、ゆっくり学ぶこと

2017.02.04 Saturday

(2016年秋、武当山でのお稽古)

 

毎年、中国の武当山にお稽古に行っています。ここ数年は、春秋の2回です。一昨年までは、ビザなしで行ける2週間ずつだったのですが、昨年は思うところあって、1か月ずつ行きました。

 

理由は、ゆっくり学びたかったからです。

 

2週間だと、向こうに滞在できる期間は10日ほどになります。学校は週に1日半はお休みなのですが、滞在期間にできるだけ学びたくて、お休みの日にもお稽古をしてもらっていました。

 

でもそれ、おかしいと思ったのです。休みの日は、休むものでしょう、と。

 

自分のお稽古を振り返ると、一心不乱にお稽古していた時期が、結構あります。会社員だった頃、忙しいのに毎日2時間お稽古すると決めていたときがあって、このときは仕事とお稽古しかしていませんでした。お誘いがあっても、ほぼお断り。それだけお稽古したかったのも本当ですが、「せねばならぬ」という妄想に取りつかれていたかもしれません。

 

わたしの場合だけかもしれませんが、こういうときって、うまくならないのです。振り返ってみると、すごく視野が狭く、周りが見えていない状態で、”お稽古すること”が目的になっていたのかもしれません。

 

武当山に行っていたときのことです。お休みの日もお稽古しようとしていたら、「近くの谷にみんなで遊びに行きましょ」と誘われました。迷ったのですが、半日お休みして行ってみたら、それがとっても楽しかったのです。

 

お稽古中も、ときどき遊びが入ります。馬跳び、大縄跳び、しりとりゲーム、サッカーもあります。これはカンフーのお稽古なのか、という内容ですが、不思議なのは、遊んだあとのお稽古の感覚は、いつもとっても良いのです。先生たちは、それをわかって遊びを入れているような気がするのです。

 

そんなこともあり、休みの日は休むというまっとうな生活をしたい、でもそうは言っても、ちゃんと学びたいという思いをかなえるために、期間を長くとることにしました。

 

春の1か月は、スランプ気味でした。先生の教え方はだんだん変化してきているのですが、この頃から加速したというか、明確になってきた時期だったと思います。先生のお弟子さんにも「今、ゆっくり学ぶのはいいね。今の師匠の太極拳は、すごくいいから」と言われました。縦に伸びる力をしっかり作り、陰陽の転換で動くという基本原理を理解して、体で表現していく、というお稽古は、今までにない要素も入っていたため、最初は動きもぎくしゃく、ちぐはぐなところも多かったのです。進歩という点で見たら、潜伏期間のような時期でした。

 

でもそれがあるからこそ、秋の1か月は文字通り実りの秋で、自分の中で迷いがなくなりました。もちろん、まだまだ知らないことはあると思いますが、意識の持ち方、体の使い方、陰陽に対する理解と体での表現などなど、「こうだ」と思えることが、格段に増えました。

 

今日、うれしかったことがあります。「きっとこうだ!」とピンときて、一番最初に習った武当太極拳18式(三豊派)をやってみました。武当山にも流派がいくつかあって、わたしは最初は三豊派、2011年からは玄武派なのです。そのため、最初に習った三豊派をお稽古する機会は、今となっては少なくなりました。そうは言っても、これは2008年からすごく練習してきたのです。先生に習うのはもちろん、ビデオも細かく見て研究したり、自分なりにわかったことを応用させてみたり。それでも流れが途切れるようなところがあるような気がしていて、そういう套路なのだろうか、と失礼なことを思ったときもありました。でも今日は違いました。ちゃんと最後まで流れるのです。以前は”形”をなぞっていたような部分も、「ここはこういう陰陽の力関係だ」と、今の自分なりに理解できました。もちろんこれで終わりではありませんが、ここまで来られたことが、うれしくてたまりません。

 

そういう時は、突然やってくることもあります。

 

套路(型)があることは、自分の感覚の変化や発見を、わかりやすく感じされてくれます。ひとつの套路を長い時間をかけてやっていく良さも、ここにあります。長く伝えられてきたものには、理由があります。

 

しかし......「あの套路は途中で途切れるような気がする」なんて生意気なこと思ったりして、本当にごめんなさい。わたしが流れを切っていただけですね。そんな苦い経験にも、感謝です。そして、うまくならなかったかもしれないけど、視野が狭くなるようなお稽古していた時期にも、ありがとう。何事もやってみないと、わからないですものね。

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

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生徒さんからの質問:ひとりで間違った練習を続ける心配

2017.02.01 Wednesday

(武当山)

 

先日、はじめてお稽古にいらしてくださった生徒さんが、「自分で練習したいけれども、間違ってやってしまったらと、心配」とおっしゃいました。

 

これ、気にされる方、多いのです。そんなこと気にせず、どんどん練習してみたらよいのです。

 

「こんな感じかな」と自分の感覚を頼りに練習し続けると、たとえそれが間違っていたとしても、次に注意されたときに何が違うのかわかりやすく、修正しやすいのです。やり続けることでクセがついてしまう、と気にされる方も多いですが、わたしの経験では、クセにはなりません。むしろ、すぐに修正できます。

 

逆に、自分で練習していない場合、先生に直されたとしても、そもそも、どうやった結果その状態になっているのかわかっていないため、どこを直せばよいのかピンときにくいような気がします。

 

カンフー(功夫)は、感覚を育てていくものだと思っています。動作のパターンを繰り返し練習することで、スムーズにできるようになっていくこととは違うのです。もしカンフーが後者だった場合、みなさんがよく心配されているように、間違って練習してしまうと、クセになって直すのが難しくなるような気がしますが、そういうものではないのです。

 

太極拳は、起きてしまった戦いを終わらせるためのもので、套路(型)は、たとえば相手の腕をつかんで背負って投げる、というような技の連続です。でも実践になったとき(今のような平和な時代では、実践の可能性は低いのですが)、相手がこのパターンで来るわけではありません。型どおりにしか動けなければ、役に立たない可能性も大きくなります。

 

太極拳は同じ套路を繰り返し練習しますが、それはパターンを覚えるためではなく、自分の感覚を育てていく過程なのです。自分の軸が崩れないでまっすぐ保ち続けているか、無駄な緊張がないか、大地から得た力が体の中をどう通って外に発せられるか、”てこ”の原理を応用した陰陽が転換することによって力が発生しているか、落ちついて呼吸していられるか、などなど、自分の体と心の状態を観察し、意図をもって動き、その意図どおりに動けたかどうかを観察し、などなどの繰り返しです。実践は一発勝負、瞬間芸です。繰り返し練習したとおりの動きをするのではなく、繰り返した練習で育てた感覚を活かして動けるかどうか、です。

 

シンプルな動きを40年でも練習しつづけることがあるのは、感じる感覚がどんどん変わっていくからです。極端な話をすれば、同じ動きだったとしても、2度と同じ感覚はありません。だから飽きることはないのです。

 

何をやっているかは形に現れてくる場合が多いので、生徒さんが違うことをしていれば、指摘して直すことはできます。そのときに、どこが違うか、どうしてそうなるかを伝えることはできますが、感覚まで伝えることはできません。これは、言葉で表現できる範囲よりもはるかに大きいからです。自分で感じて育てていくしかないのです。そして、先生から指摘されたことをどう体で表現するか、その加減も、自分でやらなければわかりませんし、それにはそこそこの練習量が必要です。わたしの感覚だと、少なくとも3か月くらい続けないと、わかりません。

 

功夫とは、もともとの意味では、長い時間をかけて熟練していくことです。感覚を育てるには、自分で時間をかけていくことが必要です。

 

練習するやり方がもし間違っていたとしても、自分が感じた感覚に嘘はありません。感覚は、間違っているとか、正しいとか、そんな判断ができるものではないからです。

 

こんな話をしていたら、「間違っていたとしても、自分が気持ちよければ、それで良いのでしょうか?」と質問された生徒さんがいらっしゃいました。答えはノーです。なぜかというと、その「気持ち良い」は、自分のこれまでの感覚の範囲での気持ち良さだからです。未知の世界の、育てた先の気持ち良さを知らずに、その手前で「気もちよい」と言っている場合は、「それは違うよ」となるのです。

 

カンフーの体の使い方は、通常の日常生活で自然にしていない使い方です。意識の持ち方も、そこまで細かく繊細な持ち方は、自然にしていない場合がほとんどだと思います。意識して育てるからこそ、まだ使われていない可能性が開いていき、それを日常生活に役立てることができます。ほおっておくと、老化に伴って背中や腰が丸くなっていくのに対し、育てていけば、おじいちゃん、おばあちゃんと呼ばれる歳になっても、背中も腰もまっすぐ、体もぴんしゃんで、自分の足で階段でも山でも登れる、ということです。

 

そんなおばあちゃんに、なりたいですよね。80歳とか90歳でも、芯がしっかりしていて、くるくる回ったり、ぴょんっと跳ねたり、しなやかに動けたら、自分も楽しいでしょうし、そんな人がたくさんいたら、明るい社会になるような気がしませんか?

(Photo by Xie Okajima)

 

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天地の陰陽をむすぶ:人

2017.01.05 Thursday

(武当山)

 

今のわたしが大切にしたい”むすぶ"こと。いろんな”むすぶ”がありますが、今回は天地をむすぶこと、です。

 

陰陽でみると、天は陽、地は陰です。わたしなりの解釈ですが、その間に生きる”人”は、天地という陰陽をむすぶ存在のような気がしています。

 

3年くらい前、人と自然の関係についての見方が変わった体験がありました。アース・オーバーシュート・デーという言葉を聞いたことはありますか?地球が1年間で生み出す資源の量を使い切ってしまった日のことです。持続可能な環境に取り組む国際シンクタンク「グローバル・フットプリント・ネットワーク(Global Footprint Network)が、1987年から記録しています。2016年は8月8日で、年々、使い切る日が早くなっています。2016年で見てみると、1年で必要な資源を賄うためには、地球1.6個分が必要なのだとか。地球は1つしかないのに、です。このペースで行けば、将来、資源は枯渇します。今のような世界は、成り立たなくなります。

 

この話を聞くまでは、自然は人を癒してくれる、と思っていました。自然から受け取るイメージしかなかったのです。でもこんな状態では、そんなゆとりもないかもしれません。それまで自然から受け取ることしか考えていなかったのですが、このときから、自分からも何かを与える意識を持ち始めました。

 

でも、この状況を作り出している人間は、地球にとっては要らない存在なのでしょうか?

 

森のお手入れをお手伝いしたことがある友人が、森は人の手が入ることで、より活き活きと成長することができる、という話をしてくれたことがあります。里山も、その例だと思います。人の手が入ることで生態系を崩すこともありますが、逆に釣り合いをとる役割を果たすこともあります。

 

”天地人”という言葉があります。宇宙の万物、三才という意味です(出典:大辞林)。この3つの要素が世界を構成しています。人は、この天地に必要とされて誕生したと思うのです。

 

太極拳は、天地の間で、人が、鍛錬を続けます。足で大地(陰)を柔かくしっかり押すように踏むことで、人の体を通して天(陽)につながり、陰陽バランスがくるくる転換することで動きが作られていきます。自然を大宇宙、人を小宇宙と呼ぶこともありますが、人という小さな宇宙の体の中で、陰陽がくるくる回って動くことは、大きな宇宙を体現しているような気がします。だからわたしは、太極拳が好きです。

 

太極拳は、人が天地という陰陽をむすぶということを、わたしに感じさせてくれます。自然から何をもらって、人から何を与えるのか、どう共存していくのか。もちろん、資源を無駄使いしないという行動もありますが、それだけではなく、心持ちもあると思っています。それを今は、生きることを楽しむことだと思っています。

 

 

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体の陰陽をむすぶ:腰

2017.01.03 Tuesday

(武当功夫(カンフー)のご挨拶の手。両手をむすんで陰陽マークを作ります。Photo by Xie Okajima)

 

新年あけましておめでとうございます。今年はどんな年にしたいでしょうか?わたしは、”むすぶ”年にしたいです。心と体をむすぶ、人と人をむすぶ、食と体をむすぶ、などなど、その”むすぶ”ところを大切に意識していきたいと思っています。

 

”むすぶ”ことのひとつに、体の上半身と下半身をむすぶことがあると思います。上半身と下半身は陰陽で表すと、上半身が陽、下半身が陰です。立つときは、地面を柔かく押すように根を張ることで(陰)、頭が天に向かって無限に伸びていきます(陽)。そして自然界の陰である大地と、陽である天とつながります。体の陰と陽をむすぶポイントは、腰です。中国語の腰は、日本語で言うウェストの後ろあたりを指します。腰の反りが強くて緊張していると、上半身と下半身がうまくつながらないため、”腰松”というように、腰はゆるめておくことが大切です。

 

太極拳の力は腰から出るとか、命門(おへその裏側にあるツボ)から出る、と習ったことがあります。これを今の自分なりに理解するならば、腰を緩めておくために、お腹を収める”收腹(Shōu fù)”という動作をして、その結果、腰は後ろに押される形になるため、腰から力が出るという表現はなんとなく腑に落ちます。でも、ちょっとトリッキーだと思うのは、腰を意識しすぎると、逆に力んで緊張してしまう気がするのです。緩めて何もしないことが、結果として力を生み出すと思っています。

 

そもそも、お腹を収める”收腹(Shōu fù)”という動作自体、筋肉を使って収めようとすると、緊張を作り出してしまいます。”收腹(Shōu fù)”というのは、指先をお腹に突き立てた場合、その指先がどんどんお腹に吸い込まれるように入っていくような状態です。お腹が緊張して硬いと、入っていきません。わたしの場合ですが、お腹ではなく、胸骨のあたりをななめ後ろに含める動作から、お腹を収める状態に導くようにしています。

 

そもそも、力はどこから来るかと言えば、腰からいきなり発生するのではありません。地面からもらうのです。地面を柔かく押すように踏むことで上に向かって伸びる力が出て、腰が緩んでいれば、その力は頭を通って天に向かいます。この縦に伸びる力が、八方に膨らむ力の源にもなっていると思うのです。つまりここでも、腰は何もする必要はないのです。

 

腰は大事だと言いながらも、意識しすぎると緊張してしまい、上半身と下半身をむすぶことができません。むすばれなければ、全身が連動して動くことはできません。大切だからこそ意識しないというのは、ちょっとピンときにくいかもしれません。

 

それでも、何もしていない感じが実際は一番うまく働いてくれるというのは、ひとつの真実としてあると思うのです。たとえば、水の流れにのれば楽に進めますが、逆行しようとすると大変です。これは生き方にも例えられる気がします。

 

逆行するときは水の抵抗力を全身に受けるため、これを充実感と感じる場合もあります。それが欲しい場合もあると思います。どちらを選ぶのも自由ですが、ただひとつ、自分の体験から思うのは、逆行するのは体力や気力を消耗する、ということです。それでも、抵抗して生きていきたいときもあると思うのですけどね。

 

でも、体に関して言うならば、腰を意識して力むメリットはありません。上半身と下半身をうまくむすぶためには、緩むこと、むすぶところは意識しないことが大切です。こんな体の使い方から、人生も、大事なところを意識しすぎない方が、硬くしないほうが、うまくいくことを、学んでいるのかもしれません。

(緩んで楽な姿勢。このときも、お腹は収めているのです。Photo by Xie Okajima)

 

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