ふわりと宇宙に浮く站椿功

2020.01.07 Tuesday

 

昨年の秋、中国の武当山にお稽古に行ったときに、毎日2〜4回、30分ずつ站椿功をする時間がありました。

 

早朝、午前、午後、夜のうち、午前と午後は通常のお稽古時間内で、必須です。早朝は自主的に、夜は自由参加の練習時間の最初に、みんなでやりました。

 

これだけ集中的にやったのは初めてです。ひとりだと挫折してしまうかもしれませんが、みんなと一緒だと頑張れます。とてもよい機会でした。

 

日本に帰国してからも、1日に1、2回、そのまま続けています。

 

12月中旬に足首を怪我してから、しばらくはお休みしましたが、年末から再開しました。

 

そして、それまではよくテレビを観ながらでしたが、音楽だけに変えました。

 

テレビを観ながらだと気が紛れますし、頑張りやすくなります。少し外に意識は行きますが、そこそこ自分の内側に意識を向けることもできます。このときは、とにかく「続ける」ことを優先しようと思っていました。

 

でも新しい年を迎えるにあたり、「なんだか違う」と感じました。もっと自分の内側にじっくり入っていきたい、と。

 

それで、音楽だけに変えました。

 

好きな曲を選んでいますが、基本は”宇宙を感じるもの”です。まったくの個人的感覚です。

 

定番の中国の古典音楽もありますが、映画「インターステラ―」のサントラ版も、ぴったりです。屋久島の水の音(これは曲ではありませんね)や、クラシックもあります。

 

ゆったり静かな曲も多いですが、不思議なもので、華やかでドラマチックな曲でも、合うものもあります。表面的な静かさとか華やかさとは、どうやら違うようです。

 

”宇宙を感じるもの”というのは、わたしの今の感覚を、助けてくれるからです。

 

站椿功をするときに感じるのは、ふわっと宙に浮くような感覚です。

 

もちろん地に足はついています。

 

縦に伸びる力が働いて、体がバネのようになっていると、ふんわり浮く感じがします。

 

站椿功とは、杭を打つように立つという意味です。その言葉どおり、足はしっかり大地に根をはっていますが、同時に、いつでも動けるくらい軽い感覚もあります。”ずっしり”より”ふんわり”です。

 

なぜ浮く感じがするのでしょうか?

 

縦に伸びる力が働くとは、上に伸びる力も大きくなります。すると周りの空間が、浮力がある水みたいな状態になります。

 

水の中だと、体は浮きやすくなりますよね。ちょうど、あんな感じです。それと地面に足がしっかり根を下ろしているのとが、同居している感じです。

 

ふわっとするとき、気持ちいいのですよ。

 

站椿功にもいろいろあり、腕を下ろすタイプは「楽ちん」なのですが、腕を前にあげるタイプは、ちょっと違います。

 

例えるなら、風船が内側から膨らみ続けている感じなので、パンっとしたハリ感が出ます。そのおかげで関節の隙間が広がるのですが、そのハリ感は、痛いとも違うのですが、「何も感じない」わけではありません。

 

上手く表現できないのですが、コップの水が溢れる手前、表面張力が効いているような感じの感覚でしょうか。ちょっと緊張がありますよね。でも、不要な緊張とは違います。

 

この站椿功、絶妙なバランスの連続で成り立っています。

 

腕を前に上げ続けるためには(陽)、後ろに引くもの(陰)が必要です。そのため命門(めいもん、おへその裏側)を、ずっと後ろにひっぱり続けます。それとバランスを取るために、腕は前に膨らんで進みます。

 

この站椿功、クラスでも10分間は生徒さんもしていただくのですが、あるとき、「3秒だけ気持ちよかった」という生徒さんがいらっしゃいました。

 

貴重な3秒、いい経験で、いい傾向です。こうやって自分だけの経験を重ねていくことは、必ず次につながります。(それを、修行と呼ぶ人もいます。)

 

なぜそれが続かなかったのかは、簡単に言うなら、バランスを崩したと言えばいいのかもしれませんが、もうちょっと言うと、「あ、これ!」と思った瞬間に、その状態を保存したいと思ってしまったのかもしれません。

 

これ、まさに落とし穴だと思うのです。自然の摂理とは、1日が変わるように、季節が変わるように、変っていくことです。それを固めてしまおうとすると、無理が生じます。

 

バランスが取れたら、それを次の瞬間、また新たに取り直さないと、自然からは外れます。

 

静功とも言われ、見た目は動かない站椿功は、こんな風に、実は常に動き続けています。

 

そもそも、静かというのは、地球の動き、宇宙の動きに対して静かであること、と聞いたことがあります。

 

つまりは、地球と一緒に、宇宙と一緒に、同期して動いているわけです。

 

スケールがぐっと大きくなりますよね。

 

ドラマチックな曲でもぴったりくるのは、だからなのかもしれません。

 

30分の站椿功は、わたしの未熟さの現れもあると思いますが、それなりに努力も必要です。ずっとバランスを取り続けようとしても、上手くいかないこともありますし、「いちど腕を下ろして仕切り直そうか」とよぎることもあります。でも、よほどのことが無い限り「もうちょっとがんばろう」と思って続けることにしています。

 

結構、なんとかなるものです。

 

なぜこんなことをするのかというと、やはりこれが基本を教えてくれるからです。

 

たとえば1時間あったとして、ひとつの太極拳の套路を6−8回くらい練習できるとしても、そのうちの30分を站椿功に当てて、太極拳は3回くらいというパターンの方が、得るものは大きいです。

 

1年たてば、大きな差が出ます。半年くらいでも、別人のように動きが変わる人もいます。

 

太極拳は、動きを分解することで、かなりわかりやすくなるのですが、それに体をのせていくのは、自分の感覚です。その感覚は、站椿功をはじめとする基本練習でこそ、育てることができると思っています。

 

そして、今のわたしの場合は、ほかにも理由があるような気がします。

 

自分の源に、ちゃんとつながっていたいからです。

 

本能というのか、本質というのか、魂というのか、なんと言えばいいのかわかりませんが、何か大きなところです。

 

わたしは、けっこう論理的でもあると思っていますが、それは生きてきた中で身に着けた智慧みたいなものです。

 

考えることがダメなわけではなく、順番の問題かもしれません。人は考える生き物なので、感じたことをもとに考えることは、必要だと思っています。でも考えることから始めると、自然にあふれ出てくるものを、不自然に堰き止めてしまうような気がします。

 

考えることからではなく、感覚とかカンから、すべてを始めたいのです。

 

見方によっては非現実的かもしれませんし、それを否定的に見る人もいると思います。

実際、自分でも恐れが出ないわけでもありません。

 

それでも、上手く説明できないのですが、「ここに、きっとある」という予感があります。

 

それは、ちょうど10年前に武当山で感じた「絶望しても、ここに来れば、またやり直せる気がする」と感じたことと、似ているのかもしれません。

 

根拠のない確信、みたいなものです。

 

気功や太極拳をするとき、ときどき「これをやると何にいいの?」と聞かれることがあります。答えられるものも、答えるほうがいいこともありますが、あまり”効果”に期待しすぎると、よい結果にはならないと思っています。

 

その通りにならなかったときの、失望感もありますしね。本当は、他に何か得ているものがあるかもしれないのに、そこに気づかずに、失敗として記憶されてしまうかもしれません。

 

站椿功も、気功も太極拳も、基本のやり方はありますので、それは必ず習うべきです。でもその後、その経験を実のあるものにするのか、その価値に気づかないのかは、自分次第だと思っています。

 

さて、どうなっていくのでしょうね。

 

それはわかりませんが、昔から、次に行きたいと思っているとき、その次が何かわかっていないときは、とりわけ、站椿功に時間をかける傾向があるようです。

 

諦めかけるときもありますが、(そして、本当に体調が悪いときは、やめます)、自分で選んだことだから、辛いことではないのです。やるも、やめるも、わたしの自由です。

 

そう言えるようになったから、大人って、いいですね。

 

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

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祓い清める太極拳

2019.12.31 Tuesday

 

大晦日ですね。東京は、すばらしく晴れました。今年は、あざやかに暮れていきます。

 

今年の秋に武当山に行って、みんなで太極拳を習っていたときに、先生(武当玄武派第十六代伝人 明月師父)がこんな風におっしゃいました。「自分の周りを、きれいにお掃除するような感じ」と。

 

いつもながら、たとえが上手だなあ、と思いました。

 

そして、ああ、そんな感じ、と、自分の中で感じていたことと、ぴたっと合った気がしました。

 

こういうところ、この先生は本当に素敵です。

 

(2019年秋。武当山の明月道院。いちばん左が明月師父)

 

今日は、大祓(おおはらえ)がありますね。大祓とは、知らず知らずに積もっていく罪やけがれを祓い清めるものです。神社で6月30日と、12月31日に行われます。

 

けがれとは、”気が枯れる”ことで、清めるとは、”気をよみがえらせる”という意味です。

 

自分に無理をかけすぎて、気が枯れることもありますよね。野原で踏んでしまった草花が、そのまま枯れてしまうことだってあるでしょうし、アリを踏んでしまうこともあるかもしれないし、電車で後ろの人に肘鉄を入れてしまうことも、あったかもしれません。

 

もちろん、わかればその場で謝りますが、全部意識する必要もなく、できるわけもないでしょう。自分がよかれと思ってることだって、他人にとっては迷惑なこともありますしね。

 

生きることは、罪やけがれがつくもので、それを認めながら、また生きていくために気をよみがえらせるのだ、くらいでいいと思っています。

 

お掃除も、そんな感じですよね。

 

わたしは、ずっと外の掃き掃除が好きではなかったのですが、ある体験を境に、変りました。

 

外の掃き掃除って、落ち葉を掃く側から、またやってきますよね。自宅以外からもやってきます。

 

外から来る落ち葉に文句はありませんが、掃いても掃いてもまた積ことに、終わりのない空しさを感じたりしました。

 

それが変わったのは、神主体験をしたときです。お掃除は、日々のお勤めのひとつです。朝から「祭りとは、毎日のこと。こうやってお供えをして、お祈りをして、ここの平和、この町の平和、そしてその先の世界の平和を祈っている」というお話を聞き、そして、お掃除(その日は、外の拭き掃除でした)をお手伝いをしました。

 

その体験のあと、外の掃き掃除に感じていた空しさが、なくなりました。

 

太極拳も、お掃除に似ています。

 

太極拳は、自分の体の中、心の滞りや詰まりを押し流して、めぐりを良くしてくれます。肉体の滞りという具体的なものもありますが、色々と持ち込んでしまっている”騒がしい心”も、きれいに流してくれます。

 

自分の内にどんどん入って、静かな状態になっていくとき、同時に外にも広がっていきます。

 

まずは内、そうすると外にも広がっていく感じです。陰陽のバランスです。シーソーの片方を下げれば(陰)、もう片方は自然に上がる(陽)ように、内に入れば、自然と外にも広がり始めます。

 

この世界で、個として生きるとき、自分の皮膚を、自分と他を分ける境界線と認識しているのではないでしょうか。

 

でも、どんどん内の静かなところに入り、外にも広がっていくとき、その境界線が曖昧になってきます。どこまでが内で、どこからが外か、わからなくなります。意識ははっきりしていますが、ちょっと夢心地です。

 

動いていくとき、水が流れるように内の滞りも流し、同時に周囲もきれいに掃き清めていく感じです。

 

内側への広がりから生まれる、外への広がりは、風船がぱんっと四方八方に膨らんでいくような感じです。限界はなく、静かなだけではなく、おだやかでしっかりしたパワーがあります。

 

太極拳は、「開太極」からはじまり、最後は「合太極」で終わります。すべてのひとつの源から、陰陽の二極に分かれてこの世が始まり、この世で生きはじめ、陰と陽が、くるくる転換して進んでいきます。

 

喜びや憤りや、人との衝突、いろいろな経験を経ながら、崩れそうになる陰陽のバランスを信じて探り、大きくなりながら、最後はまた、ひとつのすべての源に還っていくという、

 

人生だな、と思っています。

 

 

生きることは、罪とけがれを負うものだとおもっています。自覚しているもの、できていないもの、両方含めて、です。

 

つい、言いすぎてしまったりとか、分かっていても怒りを止められなかったりとか、いろいろあります。

 

わたしは、そんなにいい人ではなく、感情の起伏も激しいですが(あまりそう見えないかもしれませんが)、だからなのか、本当はすべてが調和していることを、忘れたくないのだと思います。

 

8年前、武当山で田理陽師父(武当玄武派第十五代伝人)に、教えていただいたとき、わたしへの最後のことばは、「あなたには太極の心がある」でした。

 

この方の太極拳を見たときの衝撃はものすごくて、今までに知っていたものが一瞬で覆されました。あのときに、「太極拳って、ほんとうはこういうものなんだ」と感じた気がします。

 

先生からのことばは、そのことを忘れるな、という意味だと思っています。

(2011年。田理陽師父の太極拳。恐れ多くて、正面からは撮れませんでした)

 

(2011年帰国日。最後列右から2人目が、今の先生、明月師父)

 

わたしたちはみんな、大きいところにつながっています。

 

でも、汚れやほこりがつくと、見えなくなってしまうし、触れることもできなくなってしまうため、

 

日々お掃除して、きれいにする。そうすれば、いちばん大切なことを忘れずにいられるかな、と思っています。

 

太極拳は、祓い清めることであり、それはわたしにとっての祈りです。

 

わたしが、みんなが、この世界が、平和でありますように。

 

今年もお世話になりました。

どんなものでも、すべてが自分の体験であり、それが自分を世界に浮かび上がらせてくれる気がします。

 

どなたにとっても、おだやかな年越しとなりますように。

 

来年も、命の炎を燃やして、堂々と生きられますように。

 

 

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(2018年 武当山の頂上、金頂にある太和宮)

 

 

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素直なからだ

2019.12.30 Monday

(武当山 2019年春)

 

先日のブログ「いま、この瞬間にいないとき」で、歩きスマホをしていて足を階段から滑らせて転んだ、と書きました。

 

そのとき、念のために整形外科で診てもらおうとして、勘違いで、整骨院に入りました。

 

怪我の功名というのか、巡り合わせとはあるもので、その先生がとてもよかったのです。一瞬で状態を把握して、「これにはこれ」と対処する力は、長い時間の勉強と、経験を感じます。淡々とされていますが、そこに情熱やパッションもあって、それがいいのです。

 

せっかくなので、この機会に足首以外の気になるところも、みていただくことにしました。

 

基本、自分の体は自分で面倒をみようと思っています。

 

わたしはアスリートではありませんので、体を酷使することはありません。目指しているのは、軽くて楽で、すこやかな体です。

 

お稽古も、重さを感じたり、やりにくかったり、硬さが出るところ(つまり、無駄な緊張が出てしまうところ)に気づいたら、もっと楽にできるように探っていくことが、ほとんどです。

 

そのときに頼りになるのは、基本です。だから、站椿功、歩法、基本動作となる気功の練習を大切にしています。

 

套路になると、いろいろ、あれこれ、動きますが、大切な基本は、実はそれほど多くないのです。どの動きに、その基本をうまく応用できるか、という感じです。

 

太極拳をはじめとするカンフーをすることは、自分の体の状態に気づくことでもあり、小さな不調があっても、それを早目に解消することでもあります。そして、不調が出にくい体にしていくことでもあります。

 

それでも、自分ですべてを賄いきれないことも、知っています。

 

自分だけで賄いきれないのは、未熟さなのかもしれませんが、人は人と一緒に生きていく生物なので、「すべてをひとりでできなくて、ちょうどいい」とも思っています。

 

そして、日々調整しているつもりでも、やはり体には歪みが出てきます。

 

今回のように、よい先生に出会うと、本当にすごいと思うのです。わたしが長い時間をかけて調整しようとして、しきれないところ、また逆に歪めてしまうことも、あっという間に元に戻してしまいます(その歪みやずれの程度にもよりますが)。

 

それを空しく思うこともありました。

 

日々、体の面倒は見ているのに、それでも出てしまう不調を、あっという間に戻してしまう人が、いるのですよ。なんだか、「あなたのそれは、不要だ」と言われているような気もしました(誰も、そんなこと言っていません。わたしの頭の声です。)

 

でも、そうではないのです。

 

この先生は、わたしを「素直なからだ」と呼びます。先生が、ずれているところに手を加えたときに、反応がよくて、すぐに戻るそうです。

 

整体をされているとき、やり方にもよりますが、自分でも「あ、いまここが動いている」と、わかることも多いです。

 

日々の鍛練は、こんな「素直なからだ」にしておくためのものなのかな、と思います。

 

「空しさ」を感じてしまったのは、すべてを自分でやりたい欲望があったからかしらね。ダメですね。完璧なんてないのに、気づかないうちに、完璧を追い求めてしまっていたようです。

 

太極拳は、体をすこやかにするだけではなく、自分という存在そのものを、すこやかにしていってくれると思っています。

 

生き方とか、人や世界との関わり方とか、哲学的な側面も強く、「太極拳は、子供ではなく、大人のためのものだ」と言われることがあるのは、そんなこともあるからだと思っています。

 

子供は、何もしなくてもバランスが取れているので、そもそも不要なのですけれどもね。先天に近い存在は、強いです。

 

太極拳は万能ではありませんが、自分の基盤を作るには役立ちます。体も、心も、です。基盤は、「できた!」というものではなく、常に変化していくという自然の摂理の中で、常に整え続けるところが、またいいところです。

 

その中で、素直さは、すくすく育つために大切です。

 

木だって、バオバブの木のように、土に植えると屋根より高く育つそうですが、植木鉢だと大きくならない、と言いますものね。

 

抵抗や制限がなければ、すくすく育ちます。

 

でも、その抵抗も、ダメなものでもないと思っています。必要だと思っているから抵抗するわけですから。大切なものを守ろうとして、硬くなって抵抗する場合もありますしね。自分を守ろうとしているのだと思います。

 

客観的に見たら、存在しない敵に備えて、重装備しているような状態だったりしますが、必要だと思っている本人にとっては、重要です。

 

その抵抗は、今の自分を知るための、大切な情報です。

 

何と戦っているのか、何が嫌なのか、何から守りたいのか、何を大切したいのか、など、

 

自分で気づかないうちに、しゅるっと他人に開放されてしまうより、自分で「もういらないね」とわかってから手放すほうが、いいと思うのです。それが自分を生きることじゃないのかしらね。

 

抵抗や制限に気づいて、それを手放すこともできるのも、素直さだと思います。

 

そして、素直さは、自分を大切にすることでもあります。太極拳を始める前と今とで大きく違うところは、自分のことを好きなれたことだと思っています。

 

10年くらい前、「あなたは自分のことを大切にしていない」と言われることがあり、それはとてもありがたいことなのですが、どうしたらいいかわからなかったわたしには、それを言われるたびに、苦しくてたまらなかったのです。

 

でも、あのときがあったから、今があります。

 

いいでしょ、太極拳。すてきでしょ。

 

 

 

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(武当山 明月道院 2019年秋)

 

「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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「まっすぐな足」への誤解

2019.12.28 Saturday

 

(武当山 明月道院にて)

 

「足をまっすぐ」というとき、どんな状態になりますか?

 

ふくらはぎやひざ裏は、どんな感じですか?ぴんっと張っていますか?

 

わたしが見てきた中では、ほぼすべての人のふくらはぎとひざ裏は、ぴんっと張っていました。

 

でもこれでは、足の筋肉を無駄に緊張させてしまっています。

 

太極拳では、膝を「曲げず、伸ばさず」と言ったりします。そのとおりだと思います。

 

でもこの表現だけでは、どうしたらいいか、よくわからないのではないでしょうか?悩むかもしれませんね。

 

下半身である足は、土台です。ここの骨を、積木を積み上げるように、しっかり重ねていくことが大切です。

 

たとえば、ひざ下とひざ上を2つの積み木としてみる場合、2つがきちんと接面していたら、支えは不要ですよね。

 

でも、積木同士が接する面がずれていたら、安定させるためにテープで張ったり、つっかえ棒が必要になってきます。実際の体では、テープ、つっかえ棒の役割を、筋肉を緊張させることで果たすことになります。

 

土台の下半身が緊張すると、上半身も緊張します。体は常にバランスを取ろうとしており、緊張には緊張でバランスを取ります。悲しいほど、素直です。

 

では、ひざ下、ひざ上、2つの積み木をきれいに接面させるためには、どうしたらいいでしょうか?

 

イメージで、両方の骨(脛骨と大腿骨)がお互いにいちばん押し合えるところを探ることです。見ることも触ることもできませんので、体の中に意識を向けて、感覚で探るしかありません。

 

「こうかな」と思ったら、ひざ裏とふくらはぎの様子を確認します。ちょっと緩んでいますよね?

 

これが「足がまっすぐ」の状態です。ひざは「曲げず、伸ばさず」となります。

 

これまで思っていた「足がまっすぐ」の状態とは違うかもしれませんが、ここを直して立ってもらい、その人を押してみると、安定性は抜群に改善しています。

 

全身が安定するために、無理なく楽に立つためのポイントは、ひざ以外にもありますので、ここだけですべてが解決するわけではありませんが、ひざの意識を変えるだけでも、かなり改善されます。

 

と、ここまでは、はじめての方でも、比較的すぐにできます。

 

問題は、ここからです。

 

大腿骨と脛骨が押し合うように立つところまではいいのですが、どうも、その状態でひざを固めてしまう人が多いようです。

 

ひざ関節は、水の性質を強く持っていると感じます。そういうイメージで動くと上手くいく、ということでもあります。

 

実際、関節の表面を覆っている硝子軟骨は、9割近くが水分で、関節に加わる衝撃を吸収し、なめらかに動かしているそうです。


さらに、関節には関節包という袋状のもので包まれており、その中に関節液があり、潤滑を助けます。(参考:「100年足腰」 巽 一郎 著 サンマーク出版)

 

この構造から見ても、水の性質はありそうですよね。

 

水の性質とは、どんなものでしょうか?

 

”抵抗しない”、”自由に形を変える(固まっていない)”でしょうか。上から下に流れる、もありますが、大きく括れば、それも”抵抗しない”に含まれます。

 

まっすぐ立つときの足の状態は、上で書いたように、大腿骨と脛骨がお互いに押し合うところを探ります。

 

このとき、誰かが後ろから”ひざカックン”したら、どうなるでしょうか?(ひざ頭で、他人のひざ裏をぽんっと押すものです。)

 

接面がしっかりしていれば動かない、と思うでしょうか?

 

関節ですから、後ろから衝撃がくれば、ちょっと曲がります。ただし、バネのように、全身が縦に伸びる力がしっかり働いていれば、それだけで崩れ落ちたりはしません。

 

でもこのとき、膝が固まりすぎていて、曲がらない人が、多いのです。

 

どういうことかというと、大腿骨と脛骨がお互いに押し合えるところを探った後(ここまではOKです)、その状態で固めてしまうようなのです。水ではなく、氷にしてしまっているようなものです。

 

「これだ!」となったら、永久保存したい気持ちが働くのでしょうか?

 

残念なことに、それは大きな間違いです。

 

「点がつながって線になる」でお話したように、太極拳は、瞬間をとらえて反応するものです。それが安定を作っているだけで、「これだ、安定した」と思ったところで形状記憶させようとすると、自然の摂理に反すします。自然の摂理とは、変化することだからです。(参考:「安定」の奥に隠されているもの

 

多くの人が越えられなくて悩む壁が、ここにあるような気がしています。

 

壁は、自分で作っているのですけれどもね。せつないことに、自分で作って、自分で悩んでいるようなものです。

 

ひざ関節の上下の骨が、お互いに押し合えるところを探るのは、1回ではなく、・・・・・・のように、常に探り続けます。その点の間隔が狭くなればなるほど、安定性は増します。

 

・・・・・・のように、瞬間をとらえて対応していけば、後ろから”ひざカックン”されたときは、その瞬間に対応することができます。

 

ちょっとですが、曲がります。水の性質である、”抵抗しない””形を自由に変える”を、活かせるからです。

 

先日の「動作を分解してつなげていく」では、横歩きは、次のような7段階に分解できるとお話しました。

 

0:両足で立つ

1:右足を実にする(右足だけで立つ。左足は虚という状態で、体重がかかっていない)

2:左足を真横に出してつま先を地面につける

3:お腹を収めて(すると腰が低くなります)、左足のかかとが地面につく

4:左足のひざを緩める

5:右足で右斜め下方向に地面を押すと、体重が左に移動する(このとき、腰の高さが変わらないように)

6:左足で真下に地面を押す。右足のかかとが地面から浮く。

7:右足のつま先が地面から離れて、左足の横に、つま先、かかとの順でつく

 

(注:別の方法として、2:お腹を収める 3:左足を真横に出して、つま先、かかとの順につける、というやり方もあります)

 

4でひざを緩めるのは、水の性質を上手く引き出したいからです。

 

ひざが水のようになっていれば、5で右足で地面を押して体重が左に移動するとき、左ひざの形は変ります。

 

大事な点は、積極的に変えるのではなく、受け身的に変わることです。”抵抗しない”が、水の性質ですから。

 

このとき、ぐっと地面を押すのは右足です。こちらが”実”なら、もう片方の足は”虚”、からっぽな状態です。積極的に活躍する場は、まだ整っていません。

 

”虚”のときは、「待て」です。受け身的に、起きることに抵抗せず、素直に反応するのがいちばんです。出しゃばってはいけません。

 

「ひざは柔かく使う」と言いますが、「柔かく使えている」と言うほうが、ぴったりくる気がします。柔かく使おうとすると、動かしてしまいそうですものね。

 

面白いもので、体には、精神状態が反映されます。

 

ひざには「柔軟性」というキーワードがあります。硬かったり、障害がある人の場合、「柔軟に対応できない人」、つまり、頑固な人が多いようです。(参考:「伝統医学のこれから」第2巻 石原克己 著)

 

どきっとしませんか?

 

心から見直していく方法もありますが、まずは体を変えてしまうほうが、具体的で、やりやすいように思います。

 

固めてしまうのは、最初に書いたような「まっすぐな足」への幻想かもしれませんし、「ここを固めなければ、立っていられない」という防衛からかもしれません。

 

それまで、ひざ裏をぴんっと張り続けてまっすぐ立つことが普通だったために、筋肉をあちこち固めてテープを巻いたり、つっかえ棒をつくっていたことで、「この緊張がなくなったら、崩れ落ちてしまう」という恐怖があるのかもしれません。

 

全部、幻想です。

 

悪い夢から覚めたら、体はもっと楽になっていくし、頑固さも和らいでくるかもしれませんよね。

 

試してみる価値は、多いにあると思いませんか?

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

講座のご案内は、こちらからどうぞ。


動作を分解して、つなげていく

2019.12.26 Thursday

 

(武当山の南岩宮)

 

ひとつの動作を、どのくらいに分解できますか?

 

たとえば横歩きのとき、両足で立つのを0として、横に進んでまた両足が揃うまで、いくつに分解できるでしょうか?

 

いちばん少ないのは、2でしょうか。

左に歩くとすると、

0:両足で立つ

1:左足を横に出す

2:右足を左足の横に運んで立つ

 

この横歩きは、わたしに「あなたの動きは、外見はきれいだけれども、中が悪すぎる。緊張が強すぎるから、それではだめだ」と指摘されたときに、最初に教わったものです。

 

ひたすら横に歩くだけですので、とても地味です。でも、この感覚がつかめると、太極拳は難しくなくなります。

 

さて、今のわたしの横歩きは、7段階です。

0:両足で立つ

1:右足を実にする(右足だけで立つ。左足は虚という状態で、体重がかかっていない)

2:左足を真横に出してつま先を地面につける

3:お腹を収めて(すると腰が低くなります)、左足のかかとが地面につく

4:左足のひざを緩める

5:右足で右斜め下方向に地面を押すと、体重が左に移動する(このとき、腰の高さが変わらないように)

6:左足で真下に地面を押す。右足のかかとが地面から浮く。

7:右足のつま先が地面から離れて、左足の横に、つま先、かかとの順でつく

 

(注:別の方法として、2:お腹を収める 3:左足を真横に出して、つま先、かかとの順につける、というやり方もあります)

 

7段階とは言っても、7つの動作ではありません。2つの動作が、ひとつに入っているところもあります。

 

今まで「2」で歩いていた人が、いきなり「7で歩け」と言われると、混乱しますよね。ほぼパニックです。

 

太極拳は、見た目の印象よりも、動作が多いのです。

 

動作が多いほど、体に無駄な緊張を作らずに動いていくことができます。横歩きは「2」よりも「7」の方が、体はずっと楽で、しっかりします。

 

「2」で歩いている場合、どんなことが起きているでしょうか?

 

まず、横に転びながら歩いている状態になります。軸が天地を結ぶようにまっすぐ立たず、ななめに傾きながら動いていきます。

 

体重は、足が横に出るときに、倒れ掛かるように横に移動します。倒れ掛かって「おおっ」となり、着地した足でぐっと支えて「セーフ」みたいな感じです。

 

危なそうじゃありませんか?膝にも悪そうでしょう。この状態でどこかから押されたら、簡単に倒れます。

 

ほとんどの人は、自分がこういう不安定な状態で動いていることに気づいていません。そして、その不安定な体を支えるために、どれだけ無駄な力を使っているのかにも、気づいていません。

 

その無駄に気づいて、止めるために、細かく分解された動作があります。

 

「7」段階の中には、足で地面を押して頭が天に向かって伸びるコツや、膝に負担をかけずに腰を落とすコツも、含まれています。

 

そして、ほとんどの人ができていない、足で地面を押すことで横に移動する力を得ることも、学べます。

 

太極拳の大事な点をすべて、とは言いませんが、かなり含まれています。すごいでしょ。横歩き。

 

押されても倒れにくいのですが、バネが効いているために、ふわんふわんと浮くような動きになります。お水の中を歩いているようで、気持ち良いですし、膝には負担がかかりません。

 

さらに片足になるときも、浮力が効いているために、上がっている足の滞空時間は自然と長くなります。

 

太極拳は、ゆっくり動くというよりは、これだけ分解して動けばゆっくりになるし、浮力が効いているので、足が着地するときもふんわり着くのです。

 

「猫が足をつけるように」という表現も見たことがあります。猫は、どすどす歩かず、優雅にふんわり歩きますよね。

 

「そんな風にできたら、素敵」と、ちょっと思いませんか?

 

最初は、自分が「2」で動いていることが認識できず、苦労する方もいらっしゃいます。でも続けていけば、ちゃんと分解して動けるようになってきます。

 

「7」に分解しているとは言っても、連続して起きるため、カクカクせず、丸い動きになります。このとき、たとえば、2段階目が終わっていないのに3段階目に移ろうとか、焦ってはいけません。連続しても、混ざるわけではないのです。

 

ここまで読んで、「うわー、大変そう」と思うかもしれません。

 

でも動作を分解できることは、それをたどれば誰でもできることでもあります。

 

一部の限られた人だけしかできないわけでは、ありません。朗報でしょ。

 

そして、常に体が安定して動ければ、心も自然と安心できます。

 

太極拳も、横歩きと同じように、動作を細かく分解することができます。すると、体は不思議なほど楽に上手く動いてくれます。

 

そして、たとえば横歩きを「2」でする人、「7」でする人、どちらの方が、早く動けるかというと、「7」の人です。無駄な緊張がなければ、動きをブロックするものがないことでもあるからです。

 

急がばまわれ、ウサギよりも亀、ですよ。

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

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