気とは?(2):中医学から見る”気”

2018.03.08 Thursday

 

昨年末に、「気とは?」という投稿をしました。

 

太極拳でも「気を練る」と言いますが、その気とはなんでしょう?というお話です。今日は、ちょっと中医学的な視点から、書いてみます。

 

「お元気ですか?」と言いますよね。日本のあいさつ言葉です。

 

この”元気”というのは、原気ともいい、中医学の専門用語だそうです。それは、「先天の気」を指します。

 

先天の気とは、生まれたときに父母からもらう、生命エネルギーです。生命の誕生と成長、活動の源となるエネルギーです。先天的に形成されるために、「先天の気」と呼ばれています。生まれたときには、肉体が先天の気で満たされているそうです。これは、中医学の五臓でいう腎に蓄えられます。

 

先天の気ですから、生まれたあとに生成することはできません。そして、思いっきり使うと、わずか数分で使いつくしてしまうそうです。

 

この腎に蓄えられた先天の気、成長エネルギーを、いかに大切にしていくかが、その人の健康のみならず、その子孫の健康にまで関わってきます。つまり、この小さい先天の気を、ほそーく、ながーく、一生にわたって使っていくことが大切です。

 

生まれてきたならば、たくさん学んで人生を楽しみたいですものね。

 

先天の気を一気に使い尽くさないために、必要なのは、「後天の気」、生まれた後に毎日の生活の中から得られるエネルギーです。

 

生まれた赤ちゃんは、酸素を吸い、ミルク(水分と栄養)を飲みますよね。このように、呼吸や食事から生成されるものが、後天の気です。日々の生活から常に補充し続けます。

 

「人生はランプのごとし」という表現があります。

 

ランプのともしびが、人生です。

 

燃料は、生まれたときに持っている先天の気と、それを補完する後天の気です。燃料は常に補充しなければなりませんから、生きていくためには、水分や栄養分の消化吸収が必要です。

 

もしランプの芯を大きく出しすぎてしまうと、火は一気に大きくなり、燃料を大量に必要とします。場合によっては、枯渇してしまうかもしれません。カーッとものすごく怒ったり、日が沈んだ後に夜中まで起きていたり、暴飲暴食したりなど、エネルギーを要するようなことは、ランプの芯を出し過ぎた状態になります。

 

後天の気に関わってくる五臓は、脾です。脾とは言っても、西洋医学の脾臓ではありません。胃を加えて脾胃、という方がわかりやすいかもしれません。

 

脾胃の担当はエリアは、口にものを入れる→舌が動く→唾液で飲みこむ(嚥下)、胃袋(蠕動運動)→十二指腸(胆汁、膵液で死亡を分解する)→小腸で栄養を吸収→大腸で水分を吸収。栄養を肝臓に運び、さらに心臓に運び、最後に便として排出するところまで、です。この消化吸収のプロセスは、昇清降濁(しょうせいこうだく)ともいいます。

 

脾胃は、かまどに例えられます。かまどで消化吸収をするために、かまどをあたためる火が必要です。そのかまどの火の役割をするのが、先天の気だそうです。

 

そして、気功や太極拳は、すべて脾胃の役目を応援するものになります。消化吸収は、きちんとした体という土台があってこそ、です。

 

太極拳は、流派の違いはありますが、どれも下半身をしっかり決めて上半身を動かすという大枠では、共通していると思います。これは、下半身をしっかりしていくことで、消化器系統の働きがしっかりし、ほかの臓器も自分の役割を全うする、と思われているからです。

 

二本足で歩く人間は、両足の健やかさが健康の土台になります。足は使わないと、ですね。

 

(ただし、何かの理由で脚の機能がない場合は、これとは別のはなしになります。人の体は賢くて、ないものはほかが補う役割をしますものね。)

 

(脚の裏側を伸ばしているところ。これも、大切なのです)

 

 

【3月の特別クラスのお知らせ】

3月11日(日)14:00-16:30は「太極扇を体験しよう(第3回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、キリリとした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

........................

いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 


陰陽と左右

2018.02.08 Thursday

 

 

最初にお断りすると、今日のお話は、ちょっと頭がこんがらがるかもしれません。疲労が激しいときには、やめておいたほうがよさそうです。興味がある方だけ、続きをどうぞ。

 

お稽古の最初と最後、ご挨拶のとき、上の写真のような手の形を作ります。両手で陰陽マークを作っているのが、見えるでしょうか?

 

これは道教の修行者のご挨拶に習ったもので(武当太極拳は、道教の修行者が伝えているものだからです)、女性は写真のように右手が上、男性は左手が上になります。

 

このように”男女で違いがある”という点に、「なるほど」と納得して、今日まで約9年、疑問も持たずに過ごしてきました。

 

先日、生徒さんに「左右の陰陽は、どちらでしょうか?」と聞かれました。以前、気功を習っていたとき、「お腹に両手の平を重ねてあてるとき、女性は左手が上(ただし左手の親指を右手の下に入れる)」と習ったそうなのです。それからいくと、上の手の形は、逆に感じられるわけです。

 

はて?

 

太極拳の套路は、陰陽の転換によって動きが生まれます。下の写真は、左手が上に上がり(陽)、右手が下に下がる(陰)ところですが、この後は、左手が下に下がり(陰)、右手が上に上がります(陽)。

 

(武当五行六合功)

 

陰陽は両手だけで表現するのではありません。体が後ろ(陰)、両手が前(陽)という組み合わせもあります。下の写真は、これから両手が前(陽)に出るところです。

 

(武当64式太極拳)

 

そのため左右という固定した状態での陰陽は、気にしたことがありませんでした。ちょっと調べてみました。

 

まず、陰陽の例を見ると、

陽: 天、太陽、男、光、火、明、上、能動的

陰: 地、月、 女、影、水、暗、下、受動的

 

これに比べると、左右は、逆を向けば反対になることから、ちょっと質が違う気がします。

 

『黄帝内経』という中国最古の養生書によると、「左が陽、右が陰」です。(「黄帝内経 素問 陰陽応象大論篇」より)

 

もうちょっとわかりやすいところでいくと、「君子南に面す」、帝王は南に向かって座るものだ、という言葉があります。すると、帝王の左手が東、右手が西になります。太陽が昇ってくる東が陽、つまり左が陽、太陽が沈む西が陰、つまり右が陰となります。

 

なるほど。

 

ひな人形の飾り方にも、この陰陽説が用いられているのだそうです。古来の配置は、男雛が左(向かって右)、女雛が右(向かって左)、だそうです。

 

あれ?わたしのお雛様は逆でしたが......

 

どうやら京都を中心にした関西と、関東では違いがあるようです。関西は陰陽説どおり、向かって左から女雛、男雛ですが、

関東は逆の、向かって左から男雛、女雛が多いとか。

 

なぜ関東はこの並びになったのでしょうか?大正天皇が即位されるとき、明治時代に入ってきた西洋の流れの「右が上位」を反映して、今の”関東並びのお雛さま”のように立たれたことから始まった、という説もあるようですが、はっきりしていないようです。

 

こんがらがってきましたね。

 

陰陽とはバランスだと思っています。質の異なる陰陽が、お互いに補完しあって〇(まる)という調和した状態(円満)を作りだします。陰陽は、対象をどの視点から見るかによって、変わってきます。

 

たとえば母と息子の場合。性別で見ると、母(女性)が陰、息子(男性)が陽です。でも長幼でみると、母が陽、息子が陰です。

 

右手と左手は、固定の視点で見たら右が陰、左が陽ですが、太極拳で動き続ける場合、同じ右手が陽になったり陰になったりします。

 

そう考えると、どの視点でどんな組み合わせとして見ているかによって、どこを陰としてどこを陽とするかは、変ってくることもあり得るかもしれません。組み合わせとして対になっていて、バランスが取れるのであれば、それで良いと思うのです。

 

陰陽については、大まかな理論(陰が下がる、引く、内側、 陽が上がる、前に進む、外側)はありますが、最初にあげた手の重ね方の理屈は、今のわたしにはわかりませんが、”男女で違う”という点は、自分なりに腑に落ちています。

 

そのくらいで、いいのではないでしょうか。この世のほとんどすべてのものは、曖昧なのですし。どっちが正しいかの議論をするところではない気がします。

 

資料によっては、”左が陰で右が陽”と書いてあるものもあります。”左右問題”は、それくらい微妙なのかもしれません。

 

たまに考えてみるのは、ちょっと面白いですけれどもね。

 

 

【2月の特別クラス】

2月11日(日)14:00-16:30は「太極扇を体験しよう(第3回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、キリリとした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

........................

いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 


考えることと、感じること

2018.01.30 Tuesday

 

数年前、痒疹(ようしん)という湿疹に悩んでいたとき、何人かのお医者さんにお会いしました。

 

一度良くなり、再度悪化したとき、セカンドオピニオンを求めて訪ねたお医者さんが、「治りますよ。でもその前に、なぜこれが起きているかをお話しないとね。」と言って説明してくれたのが、上の図です。

 

「頭と心と体のバランスが取れていたら、まぁるいニコちゃんマークになるけれども、あなたの場合、頭でっかちだから、つぶれてこんな悲しい顔になっています。」

 

「例えて言うなら、青信号は進めだけど、赤信号は、止まれでしょう。あなたは赤信号でも無理やり渡ろうとしています。それは無理でしょ。」

 

とってもわかりやすかったです。この先生のおかげで、痒疹はどんどん回復しました。再度問題になることは、今に至るまでありません。

 

それ以前の自分を思うと、一生懸命なのだけれども、猪突猛進だったり、”木を見て森を見ず”だったと思います。赤信号で渡る人は、怖いですよね。そして、他人にもそれを求めていたような気がします。当然といえば、当然ですね。(ひどいですが。)

 

そんなわたしに「あなたの言うことは正論だけど、そうできないこともある」と怒ったり、「あなたみたいに、なんでもできません」と言う人もいました。それを努力しない人の言い訳だと、思っていたのです。わたしだって、なんでもできるわけではなく、努力しているのだと、思っていました。(ひどいですね。)

 

そんな風に、赤信号でも無理やり渡り続けていれば、湿疹が出るのも無理ありません。上のお医者さんにアドバイスされてから、自分の考え方や、習慣を変えようとしてみました。最初は、東京でそれまで通りの生活をしながら、なんとかしようとしました。なかなかうまくいかず、それなら思い切って「環境を変えよう」と、しばらく武当山に行くことにしました。

 

武当山での日々は、週に5日は午前、午後とクラスがあります。ほぼ毎日、朝から晩まで、体を動かすわけです。頭でっかちのクセを変えるために、「考えず、とにかく動く」生活をしよう、としました。

 

最初の1か月は、平和に過ぎました。心も穏やかで、体も健康でした。「東京に帰っても、こんな風に毎日過ごすことができるはず」と、明るい希望を持ちました。

 

でも、それは”旅行者”という立場での、”非日常”がうまく作用していただけだったのかもしれません。1か月を過ぎた頃から、だんだん武当山の生活が日常になってくるにつれて、イライラすることも増え、人とのトラブルも起きました。人と言い争いになったときは、「ここに何しに来たんだろう」と、自分を失いかけることもありました。

 

そんなときでも、「考えずに、体を動かそう」から外れることはありませんでした。そして、ひたすら練習を続けました。

 

結果、気づいたことがあります。考えることは、人間らしさのひとつですし、それ自体に問題があるわけではありません。ただ、以前とは順番が変わりました。”考えて動く”だったのが、”動いて感じてから、考える”、となりました。そしてそれは、今の自分のベースにもなっています。

 

太極拳を続ける中で、太極拳に関するもの、体に関するものなどなど、本や情報も、たくさん読みます。専門家の話も、聞いてみます。それは自分の感覚や経験と照らし合わせていくという形で、とても役に立っています。

 

だからかもしれませんが、読んでも、まったくピンとこない本もあります。そして1年後、同じ本を読んで、「すばらしい!」と感動することもあるのです。ピンとくるまでには、年月と経験が必要だったのかもしれません。

 

新たな視点をもらうこともあります。そしてそこから、体での経験を積んでいくこともあります。

 

ちゃんと自分の体で感じること、そしてそれを言葉にしたり表現すること、それができているときは、とっても居心地よいのです。それが、ありのままの自分の表現なのだと感じます。

 

こういうことは、人それぞれですので、違う道をたどる方もいらっしゃると思います。それでも、この世で生きることは、この体を持っていることであり、亡くなるときは、体が機能しなくなるのだ、と思うと、体を使って感じることは、多かれ少なかれ、大切なのではないかと思います。

 

ちょっと不思議なのは、以前の頭でっかちのわたしでも、太極拳については、理屈をこねたり、頭で考えてからやるようなことは、最初からほとんどありませんでした。

 

やり方もよくわからず、ひたすら真似したり、ひたすらやり続けるものも多かったのです。同じことをやっても、昨日はよい感じだったものが、今日はぴんとこないこともしょっちゅうありましたが、「今日は、そうなのだ」とあまり気にしなかったのです。今の自分を感じることに、二度と同じ瞬間はなく、それをどこかでわかっていたのかもしれません。

 

今、教える立場になって、生徒さんにも言うことがあります。「上手くできる、できない、は、ある意味ではどっちでもいい。それを感じることが大事。」

 

だから、続けているなら、常に発展中なのですよ。行き詰っているように見えたりしても。”感じる”という体験は、積み重ねることはできても、差し引くことは、できないのですから。

 

感じてみたら、「なんでもできない自分」が、よくわかってきました。それで、いいのだ。不得意なものは、得意な人にお任せする方法もありますしね。

 

 

【2月の特別クラス】

2月11日(日)14:00-16:30は「太極扇を体験しよう(第3回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

 

 

(Photo by Xie Okajima)

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、キリリとした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

........................

いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 


気とは?

2017.12.22 Friday

 

先日、明治神宮の夜間参拝に参加しました。1年の締めくくりの大祓を、講座として開催してくださったのです。

 

日の出、日の入りに合わせて開門、閉門している明治神宮、今の時期は午後4時に閉門します。暗い夜、ひっそりとした中での参拝に、いつもとは違う雰囲気も味わえました。みんなで足並みをそろえて本殿に行くときには、足音が揃う一体感も感じられました。良い経験をさせてもらいました。

 

大祓は、年に2回、6月と12月の末に罪穢(つみけがれ)を祓って清めるものです。穢とは、”気枯れ”、つまり、気が枯れることです。清めるとは、”気をよみがえらせる”こと、気力、生命力の再生です。

 

ここで出てくる”気”、太極拳でも気功でも、出てきます。「気を練る」と言ったりします。ではその気とは、なんでしょうか?

 

”気”がつくことば、日本語にはたくさんありますよね。元気、気がつく、気配、気持ち良い、気力、やる気、など。目に見えるものではありませんが、雰囲気的に、あるとよさそうですよね。

 

逆に、気がふれるとか、気違い、など、どうやらずれが生じるとだめそうです。

 

中国でも”気”は昔から語られてきました。2000年以上前に書かれた養生書、「黄帝内経(こうていだいけい)」には、「百病は、気より生ずるを知るなり(余知百病生於気也)」と書かれています(素問 第39 挙痛論篇)。

 

「黄帝内経」は、黄帝という帝王と、その師である岐伯(きはく)との問答です。「昔の人は100歳を超えても衰えることはないと聞いたが、なぜ今の人は50歳くらいでみな衰えてしまうのか」から始まり、人と自然、宇宙のつながりの大切さ、つまり自然に生きる大切さが書かれています。

 

「不自然なことをするから早死にする、自然に従って生きれば100歳でもぴんぴんしていられる」ということですね。夜、スマートフォンや、パソコン、テレビを観るのを止めたら、ぐっすり眠れるようになったという経験、ありませんか?朝が来たら起きて(交感神経優位)、夜が来れば寝る(副交感神経優位)というサイクルが、スマートフォンなどを見ることで、体が「あれ?また朝?」と誤解し、リズムが崩れてしまうのです。

 

「黄帝内経」では、病気は、気の変調により起こる、と言っています。そして気の変調を起こす原因として、6つの感情と、3つの環境をあげています。

 

6つの感情は、怒る、喜ぶ、悲しむ、恐れる、驚く、思う(=悩む)です。これに”うれい(悲しむ+思う)”を足して、七情といいます。3つの環境は、暑さ、寒さ、そして労働です。

 

これらの要因自体が問題なのではなく、程度によって、突然、激しく、長く続くと、気を損ねかねません。労働を例にとると、「労すればすなわち気耗し(労則気耗)」、労働が大きすぎて気を消耗すると過労死につながりかねないのです。

 

この”気”も、”元気”とか”生きる気力”とかに置き換えると、なんとなくわかりますよね。

 

さて、どうやら気が満ちていることは大切そうですが、では、どうすればよいのでしょうか?

 

ひとつは、感情を穏やかに保つことです。突然、激しく、長く続くことは、避けた方がよさそうです。ただし、無理に我慢するとかえって負担になりますので、感情を無理に我慢しないことも大切です。

 

太極拳や気功も、気を練るのに、気を巡らすのに良いでしょうか?

 

そう感じます。でも、どうやって練ったり、巡らせたりするのでしょうか?目に見えないものだけに、わかりにくいですよね。それもあって、わたしはお稽古中、”気”について触れることは、ほとんどありません。中国でお稽古しているときも、先生が気について具体的に指摘することは、ほぼありません。

 

それでも、太極拳や気功では、”気”は大切です。でも、気が巡るのは結果であって、そこに至るまでに何をするかの方が大事だと思っています。

 

たとえば、”站桩歌诀(站椿歌決)”という、站椿功(立禅)についての詩があります。その冒頭は、

 

头顶脚踩身空灵(頭は天に向かって伸び、足は大地を踏みしめ、体にはスペースができて自由に変化できる)
身松意緊气绵绵(体は余計な力が抜け、意識がしっかりしていると、気は長く続いていく)

 

となっています。つまり、足は大地を踏み、頭が天に向かって伸び(背骨の隙間がのびて、体にスペースができます)、体は無駄な筋力を使わず、「こうする」という意志(意図)はしっかり持つ、をしていけば、結果として気は巡ります。

 

”血が巡ると気が巡る。気が巡れば血が巡るのを応援する”という表現もあります。要するに、血流を促せばよいのです。上記に書かれた体の使い方をすれば、その助けになります。

 

「気を巡らせるぞ」と意気込んでも、そこに至るまでのプロセスを通らなければ、なかなかそれは難しいでしょう。確かに、感覚として感じるものはいろいろありますし、それは楽しいのですが、あまり気にせず、「今日はこんな感じ」程度にとどめ、結果にはあまり執着していません。それよりも、”何をするか”を大切にしています。

 

さて、大祓の話に戻ります。大祓詞には意味があり、その解説もしてくださったのですが、講座の最後には、「でも、そんな意味をいちいち考えたら、いくら唱えても祓えは行われない。メモを取った人、残念ですね。」と笑いながらおっしゃるのです。

 

話とは、単に言葉を音に出すのではなく、心を放つことで、それが空気の振動となったものなのだそうです。普通の言葉では無理ですが、神様からの言葉である大祓詞を唱えると、その言葉の力で罪穢が祓われるのだとか。

 

それを、いちいち意味を考えたら、いくら唱えても祓いは行われないのだそうです。理屈のない神様の世界を、人間の作った理屈で解釈しようとしても、出来るわけがない、というのです。

 

いただいた資料の最後には、「現在の人々はあまりに理屈が多すぎますが、これで、理屈を言う人がちょっとでも減ったら、罪穢も祓われて、日本は幸せになるのではないでしょうか。」と、書かれていました。

 

メモを取ってしまったわたしは、あらまぁ、ダメですね(笑)。

 

気のはなしは、もうちょっと書きたいこともあります。それはまた次の機会に書きますね。

(高野山のお化粧地蔵)

 

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

........................

いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 

 


あこがれ

2017.12.01 Friday

(Photo by Xie Okajima)

 

太極拳を続けてきたのは「好きだから」と言っていますが、もうちょっと言うと、「こうなりたい」という憧れがあるからです。

 

わたしがお稽古している武当功夫(内家拳)は、太極拳、八卦掌、形意拳と、気功や瞑想、基本功などがあります。

 

太極拳にも流派がたくさんあり、それぞれです。その中で、武当功夫に出会ったのは偶然ですが、それを続けたいと思っているのは、この人たちの動きやあり方に、憧れているからです。

 

体で言うならば、今よりもっと、

 

体重を感じさせず、忍者のように、龍のように

 

動きたいのです。

 

わたしの先生(武当玄武派第十五代伝人 明月師父)は、大きな体をしています。体重も、90キロ以上あります。でも歩く姿は軽く、バタバタと足音も立てません。

 

先生やお弟子さんたちは、高いところから飛び降りても、大きな足音が出ません。

 

八卦掌の歩法をすると、足裏が大地に吸い付くようで、まるで忍者のようです(足は地面を擦ってはいません)。

 

背中は龍のように柔かく動き、直線の骨があるはずの腕も、縄のようにしなって動きます。

 

その心の在り方は、自然を愛し、穏やかで、おおらかで、よく笑います。

 

武当山にお稽古に来る人は、みんな穏やかな表情になり、健やかな体になって、しあわせそうに帰っていきます。

 

体の動き、心の在り方、こんなところに憧れます。

 

子供のころから寄宿状態で毎日お稽古してきた先生たちと違い、わたしは大人になってから、そして体力的には下り坂に差し掛かるような年齢から、始めました。10代の子供とは、出来ることが違います。

 

この先、年齢はさらに増えていきます。それでもまだ、ちょっとでも近づきたいと思っています。

 

そして、ちょっとでも「これだ!」と思う瞬間がやってきたときには、とんでもなくうれしいのです。その中には憧れたものもありますが、思ってもみなかったものも、たくさんあります。

 

今の自分がダメなわけではなく、わたしも含めてみんな、今の自分で、今は充分です。でも、このままで良いわけではありません。憧れが続く限り、これからも楽しく頑張ります。

 

 

 

【12月の特別クラスのご案内】

12月17日(日)の午後は、Bouquet(逗子・葉山)身体とこころのその先へ 〜本当の思いに触れに行く太極拳〜」(第4回:みんなが知らない太極拳ひみつ4 陰陽五行にみる体と心のつながり)です。詳細とご応募はこちらから。

 

12月23日(土)14:00-16:30は「みんみんの陽だまり時間:オレンジポマンダーを作ろう!」(自由が丘・九品仏)です。参加費は、おひとり3,500円(材料費込、ハーブティー&おやつ付)。詳細と応募方法はこちらから。(太極拳クラスではありません)

 

 

(武当山にて。兄弟子のひとり)

 

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

........................

いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 

 



calendar

S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< October 2018 >>

selected entries

categories

archives

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM