最初からわからなくても、いい

2020.07.28 Tuesday

 

(武当三十六式太極拳)Photo by Xie Okajima

 

太極拳に出会って、14年がたちます。

 

変なことを言うと思われるかもしれませんが、わりと最近まで、「なぜ、これをしているんだろう?」と、思っていました。

 

好きで、やりたくて、楽しいから続いてきたのですけれど。わからなかったことが腑に落ちたのは、今年に入ってからです。

 

そもそも、出会いも突然でした。身振り手振りがきれいな女性の「太極拳やっているの。見学できるよ」という一言で、体験に行くことを決め、そこで出会った先生を「すごい!」と思って、習うことにしました。

 

それまで、全く興味ありませんでした。

 

「すごい!」と言っても、何も知らないのに(笑)です。でも、”しろうと”の感じる力って、あると思うのです。

 

それから縁あって、中国の武当山に行く機会があり、2009年からは、今の武当太極拳を含む武当拳を学ぶようになりました。

 

あの頃は、習っていた太極拳がぴんと来なくて(もちろん、わたしのせいです)、もやもやしていたのですが、武当太極拳を習ったとき、「これは、シンプルでいい。やりたい」と感じました。またしても、何もわからないのに、です。

 

2009年の7月、ひとりで武当山に2週間お稽古に行ったときは、何も悲しいことはないのにボロボロ泣けてきました。理由はわからりませんでしたが、「もうだめだと思っても、ここに来たら、またやり直せるかもしれない」と感じました。またしても、何の根拠もありません。

 

それからの10年は、本来の自分として生きることを、取り戻そうとした時間だったと思います。

 

それまでも、好きなことをやってきたつもりですが、実際は周りの価値観に左右されて、人の評価を自分の価値だと思っていたり、何かしたいことがあれば、常に頭で考えて、「行動しなければ何も手に入らない」と思っていました。

 

「できない」というのは、やらない言い訳だと思っていたので、はたから見たら厳しい人ですよね。それを、自分に厳しいのだから、いいじゃないかと思っていました(自分にも、人にも、ごめんなさい。)

 

情熱だけで進むわたしを見て、「あなたは待つことを知らない」とか、「自分のことが好きじゃない」と言ってくれた人たちがいました。

 

そう言ってもらえたのは、今から振り返ればとてもありがたいのですが、当時はとてもつらかったです。なぜなら、わかればやっているからです。わからないから出来ていないわけで、それを指摘されても、できないのですよ。

 

ただ、言われたことに反発する気にはならず、「きっとそうなんだろう」とは思っていました。同時に、体に不調が出てきたり、やりたいことが分からなくなったり、も起きたため、「これではない」とは、感じていました。

 

それでも、行動に移せるほどには、わからないのですよ。

 

これも、別の意味での「わからない」ですね。

 

この「わからない」を、わからないまま持ち続けることは、大事な気がするのです。

 

なぜなら、ベストなタイミングで「わかる」が、やってくると感じるからです。ベストなタイミングというのは、自分の準備ができたとき、受け取れる準備ができたとき、です。

 

わたしはずっと、「太極拳は、現実的だから好き」と言っていました。心身を静めていくための、具体的な体の使い方や、動かし方を学んだり、自分の体の反応で自分の心を知っていくもので、そのことは、今でも変わっていません。

 

わたしの場合は、「さっ、気を感じましょう」とか、「丹田を感じましょう」とは、習ったことがありません。それ、具体的ではないから、わかりにくいですよね。

 

もちろん、気も丹田も大切ですが、直接的に何かをするというより、やり方にそって続けていけば、気は巡るし、丹田は守られるという感じにとらえています。

 

でも、「入静」という心身ともに深く静かなところに入っていくと、体は重くて軽くて(詳しくは「重いと軽いは、同時にある」(2020年7月18日)、意識は内にも外にも広がっていきます。この世では、一見成り立たない組み合わせが、同時に現れるのを体験します。

 

こういう状態になると、どうなるかというと、気になっていた日頃の問題が、取るに足らないささいなことに思えてきたり、迷っていたことの答えがやってきたり、「次はこうしよう」と、行動が、自然に決まったりします。

 

太極拳の太極とは、陰と陽が生まれる前の状態で、宇宙の根源とか、すべてのひとつの源だと、とらえています。陰と陽の要素はありますが、分かれる前の状態です。

 

陰と陽のある世界が「この世」で、太極は「あの世」にあたる、と思っています。

 

意識で言うなら、「入静」とは、顕在意識から、潜在意識に入っていく状態です。夢を見ているような状態でもありますが、現実の夢と違うところは、意識が覚醒したまま、夢を見ているような状態に入っていくところです。これが瞑想の状態だととらえています。

 

潜在意識の深いところは、みんなつながっていて、そこのひとつの呼び方が、太極だと思っています。ワンネスと言うのも、それかしらね。

 

この深く静かなところに入っていくことを、長いことわたしは、「太極に触れに行く」と表現していました。「太極は、あの世だから、この世には存在しないけれども、それにちょんっ、ちょんっと触れに行く」と言っていたのです。

 

今、振り返ると、表現が正直すぎて、笑ってしまいます。

 

なぜなら、太極という「あの世」にずぼっと入ったら、死ぬと思っていたからです。怖かったのです。

 

それが変わったのは、ある人の演奏を聴いたときでした。

 

昨年末に、中村天平さんのコンサートに行きました。

 

お友達の弟さんで、作曲家でピアニストで、なんとなく、その友人の感じから、応援しているのは身内だからというだけではないだろうな、と思っていました。

 

めったにないのですけれども、出てきた時に、その場の空気ががらっと変わることって、あるのです。太極拳をする人や踊る人の場合は、「はじまるよ」という瞬間に変わるのですが、この方の場合、ステージに出てきたときではなく、最初の音が出たとき、そんな感じがしました。音楽家は、やっぱり音なんだな、と思いました。

 

ほぼ自作の曲しか弾かないそうで、即興で弾くことも多く、その日もアンコールの最初に、登山家の栗城史多さんをテーマにした即興を弾いてくださいました。

 

弾く前から、他の曲を弾くときと、ちょっと違っていて、待っているような感じでした。

 

弾き始めると、どんどん、どんどん出てきます。それが、すごいのですよ。

 

向こうから流れてくる、みたいな感じです。もちろん、それをこの世で表現するのは、ご本人の力なのだと思うのですけれども。

 

そのとき、「この人は、大きなところと繋がっていて、それが怖くないんだ」と感じました。

 

そして、「じゃあ、わたしも大丈夫かも」と、勇気づけられました。

 

(ご本人がどう感じているかは知りませんので、わたしの勝手な感想と、勝手な思いです。)

 

ここで持てた勇気は大きくて、今年に入って、感覚は、すごく変わりました。

 

新型コロナウィルスに伴う自粛期間も、ちょうど自分の内側にぐっと潜る時期としては、良かった面もあります。しばらくして、「もう、怖くない」と感じました。

 

それまでも、わたしのこの部分に気づいている人はいて、「自分が望むなら、あの世とこの世を行ったり来たりできる」と言ってくれたり、そこを越えられるように助けてくれようとした人もいるのですが、

 

自分の準備が出来ていないときは、ダメですね。頑固なのか、正直なのか、いずれにしてもタイミングが来ていないのだと思います。

 

じゃあ、何の準備が出来ていなかったのかというと、たぶん、体だと思うのです。

 

この世にいながら、あの世にも行く、というのか、あの世を感じながら、この世を生きるためには、体が強くしっかりしていることが大切だと感じます。

 

そうでないと、持っていかれてしまうからです。「そんなことしたら死んでしまう」と思っていたのは、そんなに外れていたわけではない気がします。

 

以前、気功の先生から聞いた話で、昔、中国で気功ブームが起きたとき、精神病棟が満床になった、という話があります。気功で到達する脳波と、精神病のそれと、すごく似ているのだとか。「ちょっとしたことで、コロッといってしまう」と話されていました。

 

イメージですが、意識が広がっていくときに、自分の体にとどまっていられなくて、するっと抜けてしまうのではないか、と思うのです。

 

全部抜けていないとしても、意外と半分くらい抜けている人、多いのですよ。地に足がついていない、という表現のとおりです。

 

そして、全身をフルに使えている人も、ほとんどいません。前半分しか生きていない(=後ろ半分が死んでいる)とか、指先が死んでいる、とか、脚が死んでいる、とか、よくあります(死んでいる、は使われていない、という意味です。)

 

太極拳の場合、動きが多いので、どうやっても体から魂(もしくは心)が抜けてしまうことは、ありません。站椿功(立禅)の場合も、脚をすごく使うし、バランスを常に取り続けるので(つまり、キツイときはキツイ)、離れることは、ありません。

 

そして、必ず全身をフルで使います。(できないこともありますが、それをできるようにしていくのが、お稽古です)。

 

気功が危ないわけではなく、種類とか、やり方によるとも思います。わたしが習ってきた気功は、動きは少なくても、全身に意識があって、体はすごく使うので、離れてしまうことはありません。

 

それでも、体が弱い間は、バランスを取って、心(と魂?)も、それなりの小ささにとどまるような気がします。

 

続けているのは、きっとその先の予感があるからで、ちらっと大きな心(と魂?)の世界も感じるのだと思いますが、ここは大きな冒険に出るところではなく、準備ができるまで待つところだと思います。「待つ」とは、かつてのわたしが苦手だったところですね。

 

さて、体が強いというとき、どんなことを想像するでしょうか?

 

わたしを見たとき、「筋肉ついているね」という人は皆無ですし、筋肉だけではないと思います。

 

もちろん、生き抜くために必要な筋力はあって、野山を駆け回らない生活をしている現代人は、圧倒的に脚が弱いです。太極拳を始めとするカンフーで、脚を鍛えるのは、年々重くなってくる頭(考えすぎの、頭でっかちも含まれます)と、弱くなっていく下半身とのアンバランスさを解消するためだと、教わりました。

 

そのため、立ってするものがほとんどです。静坐という座禅のようなものもありますが、割合としては少なくて、わたしは、ほとんどしません。しても5%くらいです。

 

太極拳で取る姿勢は、上半身と下半身をつなぐ大腰筋を育てると感じますし、大腰筋とペアで使われるハムストリングス(ももの裏の筋肉)も育ちます。

 

ほかにも、整体師さんやボディワークをする人に、「〇〇がしっかりしている」と言われることはあるので、他にも育っているのだと思いますが、太極拳は「○○筋を育てましょう」みたいなものではないので、詳しいことは、わかりません。四方八方、上から押されても、倒れにいくい体だったら、それでよし、と思っています。

 

でも、それに加えて大事なのは、意識と体のつながりだと思っています。

 

見ていると、多くの人が、意識と体がつながっていません。体の様子を把握できないのは、それを感じる感覚が弱いからです。そういう体は、意図したとおりに動きません。

 

太極拳のお稽古は、つながっていない(つながりが弱い)意識と体のつながりを、取り戻していくことです。それが、感覚を育てることです。

 

もし筋力があっても、それをうまく使えなかったら、宝の持ち腐れですよね。筋力と、意識とのつながりとの感覚と、両方を育てることなのかな、と思っています。

 

そのための手段は、いろいろあると思いますが、わたしにとっては太極拳でした。

 

 

今年に入って、この体を持って生きることの意味を、強く感じるようになりました。

 

4〜5歳くらいの頃、この体が自分だということが、不思議だったときがあります。いつも必ずトイレに入ったときなので、トイレには神さまがいて、広い世界とつながっている、と勝手に思っているのですが、

 

自分の体をじっと見つめて、「これが、わたしなのか。ふーん」と、思っていました。生まれる前の、どこにでもすぐに行ける自由な頃の記憶が、まだあったのかもしれません。

 

人の意識は、体よりもずっと広く、「あの人、元気かな」と思うと、その思いは届く、と言いますよね。意識の世界にいる人、いわゆるスピリチュアルな力が強い人や、占いをする人の中には、「この体が窮屈」と言う人もいます。

 

それぞれの感覚なので否定することもなく、「そうなのか、そう感じるのか」と聞きながら、自分はどうなんだろう、としばらく観察してみました。これも、「わからない」ことを、そのままにしておいた例の、ひとつです。

 

窮屈だとは思っていません。むしろ、この体があるから生きていると、感じました。

 

わたしは、出会った人や、過ごした場所、経験から出来ていると思っていて、「わたし」なんてものはないと、感じることが多いのですが、

 

唯一「これがわたしだ」と感じるものは、自分の体です。すると、自分が自分であることが、嬉しくなりました。これって、自分のことが好きってことじゃないかしらね。

 

体を持って生きることは、「あの世」から見たら制限があるかもしれませんが、体がなかったら、この世では何もできません。

 

心が深く静かなところに入って、宇宙からのメッセージをキャッチしたとしても、

 

体がなかったら、それをこの世で表現することはできません。自分を表現して生きることもできなければ、誰かのために何かをすることも、出来ません。

 

それ、ダメでしょう(笑)。

 

「かみさまとのやくそく」という映画があるように、人は、生まれてくるときに、神さまと約束してきたのだと思います。ここで言う神さまとは、特定の宗教の神さまではありません。大いなる存在とか、愛と呼ぶ人も、います。呼び名がないので、とりあえず、自分に抵抗がない名前を付けているだけです。

 

生まれてきて、育っていくうちに、それを忘れてしまったりしますが、生きていくこと、特に大人になることは、それを思い出していくことだと感じています。

 

小さな子どもの頃の純粋さを取り戻す、とも言えます。保護が必要で不自由な子どもには、純粋さを貫きとおすことは難しいですが、大人なら、できます。「あの人、ヘン」と言われても、もう平気ですものね。

 

わたしの場合は、「あんなでも、生きていけるんだ」と思ってもらえたら、それは本望でもあります。「こうあるべき」なんて、自分をしあわせにしないなら、どうでもいいのですよ。

 

わたしが感じる宇宙からのメッセージ(神さまからのメッセージ)は、愛している、です。

 

宇宙や神さまは、この世のすべてを愛していますが、この世に形として存在しないので、何もできません。そこで、人間の出番です。

 

神さまのお使い(?)として、この世で体を持って、目に見えたり耳に聞こえたり、手で触れたりする形で、その思いを表現していくのではないでしょうか。

 

方法は、人それぞれですよね。絵や文学や音楽などの芸術は、その最たるものだと思っていて、今のような時代にも大事で、無くなったら、心が死んでしまうと思っています。

 

わたしの場合、自分の姿を見せることもひとつですが、誰でもやり方に沿ってコツコツ続けていけば、ここに行けるよ、という方法を伝えていくことも、表現方法だと思っています。

 

ここ、というのはゴールではなく、こっちの方向、です。わたしも、まだまだ発達途上です。

 

神さまの「愛している」を、違う言葉で言うと、「しあわせに生きようね」だと思います。

 

だから、わたしにとっての太極拳とは、自分が自分であることが、めっちゃ嬉しくて、この体を持って生きいることがしあわせだと感じることです。

 

個という意識は、孤独を生んだと言いますが、個だからこそ、人とのつながることに喜びを感じられます。「あの世」の意識だと、個はなく、ひとつしか存在しないので、つながりの喜びなど感じられません(たぶん)。

 

孤独は、今の社会の大きな問題でもありますが、それを経験することは、つながりを取り戻すためには、大事なことです。

 

わたしのこの世での命がいつまであるのか、わかりませんが、与えらえた時間を無駄に短くすることなく、大切にして、体があることをめいっぱい感じて、しあわせに生きようと思います。

 

ということで、タイトルに戻ると、何かを始めるとき、目的とか、何のためとか、知らなくてもいいのだと思います。それは、経験していくうちにわかってくるし、その経験を積むこと自体が、大事だと思うからです。

 

なぜ太極拳をやっているのか、わかるために14年⁉と思われるかもしれませんが、実際は、その間に心身はすこやかになり、周りは平和になり、悩みは少なくなり、たくさんのことを、もたらしてくれました。気が遠くなるようなことでは、ないのですよ。

 

わからなくても続けるコツは、お利口でないことかもしれません。頭で考えるのではなく、心を優先させることで、それはわたしが太極拳を習っている中で学んだ、大きなことでもあります。

 

悶々としたり、ああでもない、こうでもない、と悩むなら、1000本キックでもしたら、いいのだよ。ホントに。

 

 

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    がんばって、と言えないとき

    2020.07.26 Sunday

    (Photo by Xie Okajima)

     

    コロナと共にある生活は、以前はうまく回っていたものが、全然動かなくなることもあります。

     

    人によって、業態によって、大きく影響が出るところ、比較的軽いところ、いろいろですよね。ここまでのものは、誰も予想していなかったので、備えようもありません。

     

    一緒にがんばろう、という言葉は、よく聞かれます。

     

    わたしも、ときどき言います。

     

    でも、頑張ってもうまく結果がでないときに、「がんばって、と言われるのはしんどい」という話も、聞きました。もちろん、言っている人が応援する気持ちで言ってくれているのは、わかった上で、です。

     

    確かにわたしも、特定の人に対面しているときや、メッセージを送るときは、この言葉を使う気にならないときがあります。もう十分がんばっているだろうし、それでどうしようもない状況では、その思いを伝えたくても、かける言葉が出てきません。

     

    何かできることがあれば、その気持ちを行動で示す方法もありますが、そうもいかないときもあります。

     

    こういうことって、正解はないのだと思います。

     

    言葉にならないものを、あえて言葉にするなら、「あなたの生き抜く力を信じている」になるような気がします。

     

    それが「がんばって」という言葉になることもあれば、今のような状況では、言葉にならないこともあります。難しいですよね。

     

    6月に「一期一会」というタイトルで、「またね」が、二度と来ないこともある、と書きました。簡単に使う言葉ですが、それが来ないのだ体験をとすると、この言葉の重さを、ずっしり感じます。

     

    キツい体験をすると、あまり考えずに使ってきた言葉を、簡単に言えなくなるのかもしれません。

     

    「がんばって」も、よく使う言葉ですよね。

     

    原則、わたしは「毎日、あきらめないという選択をする」ことが好きで、頑張ることも大事だと思っています。でもそれは、しっかり休めているならば、という前提つきです。

     

    休みが足りない人にこの言葉をかけると、追い詰めてしまうことがあるからです。

     

    ずっと昔、かなりがんばってきたことがあって、そのときに支えてくれていた人からかけられた、印象的な言葉があります。

     

    結果として〇×が出ることで、「とにかく、がんばろう。がんばって、もしだめだったら、少し休もう。」と、言われたとき、「がんばり続けなくていいんだ」と、ものすごくほっとしたのを覚えています。

     

    実際そうなったとき、本当にゆったり休めるかというと、そうではないですけどね。このときもダメだったので、しばらく落ち込んだり、もやもやしたり、焦ったり、ゆらゆら揺れていました。

     

    わたしは、けっこう楽観的で、「仕方ないものは、仕方ない」と割り切りもある方だとは思いますが、モノによっては、そうもいかないときもあります。

     

    けっこう大きく目標にしてきたことだったので、もしそれがダメだったらなんて、考えておかないですよね。振り返ると、落ち込んだり、もやもやしたりという状態も、休む、ということだったのかなと思います。

     

    今は厳しい状況が長引いていて、それがまだ続きそうなので、「ちょっと休もう」ともいきません。

     

    誰かに応援する思いを伝えたいときは、その人を前にしたときに、自分からどんな言葉が出るのか、待つしかないような気がします。

     

    できれば、相手の力になるような言葉を送りたいし、意図せずに傷つけるようなことは避けたいですが、相手がどう受けとるかは、その人の状態にもよりますよね。そこまでコントロールすることは、できません。

     

    大変でも、気持ちに余裕があれば、「がんばって」も、うれしく受け取れるかもしれませんし、気持ちに余裕がなければ、追いうちをかけてしまうかもしれません。

     

    逆の、受け取る立場になってみると、先日書いた「心を開いて、誉め言葉や心配を受け取る」にもつながると思うのですが、きつい状況のとき、そうやって声をかけられたら、そのまま受け取りたいとは思っています。

     

    その言葉がしんどかったら、それをそのまま、話してみてもいいのかな、と思っています。

     

    自分が声をかけるときは、簡単に言ってしまいがちな言葉を、もうちょっと丁寧に扱ってみたいです。

     

    「がんばって」と言いにくいときも、それをそのまま、伝えてみる方法もあるのかもしれませんし。うっとおしいだけかもしれませんが、相手が受け取る、受け取らないは、相手の自由ですし、それを尊重するとして、自分は、自分のしたいと思うことを、したいと思っています。

     

    根底にあるのは、やっぱり、「あなたの生き抜く力を、信じている」なのですけどね。

     

     

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      心を開いて、誉め言葉や心配を受け取る

      2020.07.24 Friday

      (2016年春、武当山で)

       

      誰かから褒められたとき、心配されたとき、そのまま受け取れていますか?

       

      褒められても、「いや、そんなことないよ」と、謙遜したりしていませんか?

      心配されても、「大丈夫だよ」と、返したりしていませんか?

       

      芸能人のように人前に出る仕事をしている人は別として、大多数の人は、褒められると照れてしまう傾向があると思います。

       

      壇上に上がって、人前で何かをして、終わって拍手をされたとき、そこにとどまらずに逃げるように壇上から降りてしまう人も、多いのではないでしょうか。

       

      数年前、わたしもそうでした。そういうわたしに、「去るな!そこにとどまって、ちゃんと称賛を受け取れ!」と言ってくれた人がいます。

       

      慣れていないので、なんとも居心地が悪いのです。でも、おかしいですよね。褒められているのに、居心地が悪いって。「わたしは、そんなに褒められる価値はない」とでも思っているのでしょうか。

       

      拍手した人からすると、ちゃんと受け取ってもらえた方がうれしいですよね。「よかったよ」と言ったときに、「そんなことないよ」と言われてしまったら、なんだかつまらないですよね。

       

      わたしはクラスをしているとき、ちょっとでもいい方向に向かったときは、すごく褒めます。

       

      いい感じになってきたと思えば、そう言うのですが、生徒さんは向上心が高いのか(笑)、はたまた「いい」という実感がないからか、納得のいかない顔をされることもあります。そういうときは、「先生がいい!と言ったら、いいの。先生の言うことが信じられないの?」と、冗談まじりに言うこともあります。

       

      先生のうんぬん、などどうでもよく、称賛をそのまま受け取ってほしいだけなのです。まだまだの部分があったとしても、よくやったところを、自分で認められるようになってほしいからです。

       

      褒められるためにやっているわけではなくても、誰かから、「いいね」と言われたら、うれしいですよね。照れずに素直に「ありがとう」と言えたら、自分もずっと楽に過ごせるのではないでしょうか。

       

      心配されたときも、同じです。

       

      先日、病気になった友人が、「あのときもっと『休め』と言っておけばよかったと言ってくれる人達がいるけれども、そんなことを思わなくてもいい。これは自分で選択したことだから」と言っていました。

       

      自分で選択した、というのは、その通りだと思います。その人の人生は、その人のものなので、その選択は、どんなものでも最大に尊重したいと思っています。でも、それを聞いたときに、なんとも言えず、やりきれない気持ちになりました。

       

      わたしも、「もっと『休め』と言えばよかった」と思っているひとりとして、その心配する気持ちを、受け取ってほしかったからです。

       

      それは、わたしの勝手なエゴなのかもしれませんが。

       

      自分のことを振り返っても、心配されたとき、「大丈夫だよ」と返してしまっていること、けっこうある気がします。

       

      問題が解決していて、もう大丈夫だから、というときもありますが、心配されたくない、心配をかけたくない、みたいな気持ちが働いているときもあります。自分のことを、どれだけ偉くてすごい人だと思っているのかしらね。まったく、素直じゃないです。

       

      たとえ問題が解決していたとしても、かけてくれた思いを、もっと正面から受け取りたいと思うのです。かといって、大げさに何かをするわけではなく、その瞬間の、ほんのちょっとの違いだと思うのですが、言葉にするなら、相手に心を開いて返事をする、という感じです。

       

      心配されたくなくて「大丈夫」と言ってしまうときは、なおさらです。じゃあ、どいういう答えになるのか、と言うと、わかりませんが、これも心を開いて、その言葉を受け取ったときに、どんな反応や言葉が自分から出てくるのか、ではないでしょうか。

       

      自分の足で立って、歩いて、選択していく、というのは、大切です。他の誰でもない自分の人生ですから、舵取りを他の人に任せることはできません。

       

      もしかしたら、繊細で傷つきやすい人ほど、そして優しくて人の気持ちを考えてしまう人ほど、人に影響されて流されることが怖くて、ある時期には、外よりも、自分の内にぐっと入り込むことを大切にする時期があるかもしれません。

       

      「こうしたらいい」「こうあるべきだ」という外の声に惑わされず、心の底から、自分が何を望んでいるのか、内側からくる声に耳をすませて、それに従って行動しよう、という時期です。

       

      わたしにも、あります。共感性が高いこともあって、人の気持ちが100%ではないにしても、けっこうわかるところがあります。「こうされたくないよね」とか、「これは、嫌だよね」とわかると、大切な相手だったりすると、自分の気持ちよりも、相手の気持ちを優先させようとした時期があります。(人によっては、自分よりも社会的に強い立場にいる(と思い込んでいる)相手に、そうなることも、ありますよね。)

       

      でもそれって、自分の思いを封じ込めていますよね。封じ込めたものは、パンパンになれば爆発します。その矛先は相手に向かいます。結局、相手にも迷惑をかけます。誰にとっても、いいことありません。

       

      「違う」と思って、その行動を変えようとするときは、ものすごく勇気が必要です。それまで「はい」と受け入れていたことを、断ることも出てくるからです。相手は、激怒することもあります。

       

      それでも、「自分の思いを大切にしよう」と、ギュッと耐えようとします。そんなときは、自分を守るために、外に壁を作るかもしれません。入ってこられないように、です。

       

      断るにしても、馴れていないので、ためて、ためて、堰を切ったように一気に「できません」と言うことも、あります。ケンカしたいわけではないのですが、そのくらいパワーがないと、言えないからです。

       

      そんな風に言われたら、相手は怒りますよね。今まで「はい」と言っていた人が、断るだけではなく、反抗的な態度をしたら(と、見えてしまう、の方が当たっているかもしれませんが)、当然ですよね。

       

      そして、さらにその激怒から守るために、頑なに自分の内側に閉じこもります。

       

      そんなことを繰り返しながら、少しずつ慣れていって、「あんなケンカ調子で断らなくても、もっと早い段階で、穏やかに断ればいいよね」と学んでいきます。

       

      自分の内にある声を聞けるようになると、外界をシャットアウトしなくても、外に惑わされず、内の声を聞いて、それに従って行動できるようになります。

       

      すると、表面にある壁は不要になります。自分を守る必要は、もうないからです。

       

      そして、「自分が思うとおりに行動したいように、他の人も、思うように行動したいのだ」と、自分と価値観が違う相手も、自然と尊重できるようになります。価値観が違うので、一緒に何かをしていくことは無理ですから、離れるしかありません。でも、それぞれの場所で、それぞれやっていけばいい、と思えたら、相手へのストレスは、なくなります。

       

      もう、心を開いても、大丈夫です。

       

      ここまでのプロセスは、ボロボロになって再起不能にならないように、安心安全なコミュニティやグループの中で練習していくことも多いと思います。

       

      わたしの場合は、現実の中で経験していったのですが、(けっこう、ズタボロです)、それでもその間に、話をそのまま聞いてくれる仲間たちがいて、大泣きしながら同じ話を何度もするわたしを、何度でも、嫌な顔ひとつせずに聞いてくれたことは、本当にありがたかったです。それがなかったら、頑張れなかったと思います。

       

      そのときに助けられたことを思い出すだけでも、もう心は開けますよね。

      今、それを思い出しただけでも、号泣しながらこれを書いています。

       

      そんなに助けてもらったことも忘れてしまって、称賛も、心配も、素直に受け取れないのかもしれません。

       

      自分の足で立つことと、人に助けてもらうことのバランスは、ひとことでは言えませんが、その感覚をつかむために、どちらかに極端になって嫌な経験をしたりして、調整していくのではないかしらね。

       

      心を開く、と言っても、誰でも、一気に、すぐには開けないかもしれません。でも、小さなことからだったら、できると思うのです。誰かに褒められたとき、照れずに受け取ることや、心配されたとき、その心を受け取ることなら、日々の生活の中で、やっていけるのではないかしらね。

       

      世界は広すぎて、自分がすべてを知ることなんて、できません。まだまだ、なんてことは、死ぬまで続くと思います。今の自分ができたこと、知っていることが全てではないという視点は、自然に成長して生きるためにも大切ですが、それと、今の自分を存分に褒めることは、別のことです。同じように、心配されたからと言って、それは「あなたはダメだ」ということではないと思います。

       

      お互いに褒め合ったり、いたわり合う世界は、やさしい世界だと思っています。そんな世界を、自分からも創っていきたいですよね。

       

       

       

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      いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

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        生まれてきたときのこと

        2020.07.20 Monday

        (生後6か月、はじめてのおひなさま)

         

        先日、友人と話していたときに、「生まれたときの記憶はあるか?」という話になりました。

         

        小さな子どもだと、生まれる前の記憶がある子もいますよね。映画の「かみさまとのやくそく」にも、そんな子たちが出てきます。

         

        わたしの場合は、生まれてくる前はありませんが(今の時点では、覚えていないという意味で)、生まれてきたときは、あります。正確に言うと、「ある気がする」とか、「思い出した」ですが。

         

        15年くらい前に、生まれてきたときを追体験するよワークをしたことがあります。生まれてきたとき、10歳のとき、20歳のとき、と人生を追っていくものなのですが、

         

        そのとき、生まれてきた瞬間、ものすごくうれしかったのです。うれしくってたまらないという言葉は、ああいう感覚のためにある、みたいな感じです。

         

        ここからは想像ですが、予定日よりも早く生まれているので、「お腹の中は満喫しきったから、もう早く表に出たーい」みたいな感じだったのかな、と思います。

         

        とっても愛想のいい赤ちゃんで、誰か人が来ると、いつもニコニコ笑っていたそうです。

         

        みんないい人、みんなが好き、と思っていたのかな。

         

        なんとなくですが、「うれしい」とか「好き」という言葉は、後付けのような気がします。なんだかそういう、ふわふわした感覚があって、後からそれに、感情の名前をつけて覚えていったような気がします。

         

        何の証拠もないですが、「生まれてきたとき、すごくうれしかった」ことは、自分にとっては大事なベースになっているような気がしています。

         

         

        生まれてきたときのことで、ぜひやってほしいことがあります、

         

        ご両親に、自分が生まれてきたときの状況と、どう思ったか、そしてなぜその名前をつけたのかを聞く、というものです。

         

        なんだか照れくさいですよね。でも、両親が健在なうちにしか聞けませんし、聞いて、ものすごくよかったのです。友人にもときどきすすめるのですが、やってくれた人はみんな、「本当に良かった」といいます。

         

        わたしの場合は、話してくれる内容もそうですが、そのときの両親それぞれの表情が、とっても印象的でした。ものすごく楽しそうで、嬉しそうだったのです。

         

        その直前に違う話をしていて、ちょっと込み入った話だったので、少しトゲトゲしい雰囲気だったのですが、「ところで」と、この話になったとたん、ぱっと顔が変わって、声も明るくなりました。

         

        わたしの名前は、ひらがなで”まゆみ”です。父がつけたのですが、理由は「かわいいから」です。あと、名字と合わせたときの「感じがいいから」でした。

         

        名前って、いろいろな期待を込めたりしますよね。でもわたしの場合、何も期待されていなかったようです(笑)。これが、わたしの人生を、とっても楽にしてくれていると思っています。

         

        学生が終わって、社会人になって、会社で仕事をするわたしのこと、そして今のわたしのやっていることを、両親が正確にわかってくれているかというと、そうではないような気がします。

         

        わけがわからん、と思われているところもあると思いますが、どうやら「しあわせそうに笑っていたら、それでいい」と思ってくれているらしいことだけはわかっていて、それは、ほんとうにありがたいです。

         

        聞いたことのない方は、聞けるのであれば、ぜひ。メールとかではなく、顔を見ながら、直接聞いてみてください。

         

        生まれたときって、誰もが純粋なのだと思います。

         

        でも、生きていくうちに、いろんなルールがあることを知り、「それはしてはいけない」「こうするのがいい」とか、いろいろな価値観にあてはめられていくうちに、もともとの純粋さを持って生きることが、難しくなってきます。

         

        なぜ、それがダメなのか、わけもわからず「ダメ」と言われることも、ありますよね。

         

        子どもとは保護が必要な時代なので、それに逆らうことはできません。

         

        社会のルールを学んだり、「これがいい」とか「これはダメだ」を知ることは、必要だと思います。でも、バランスの問題かもしれませんが、純粋にやりたいことをやろうとすると怒られてしまったりして、だんだんとその純粋な思いを封印していくことも、起きてきます。

         

        親は、子どもの安全しか願っていない、というのもありますよね。子どもが願う冒険は、親にとっては危険なもので、遠ざけたいものになるのは、自然なことなのかもしれません。

         

        大人になることは、子どもの頃の純粋さを取り戻せるときなのだと思います。もう、安全しか願っていない(それは、愛情なのですが)親の言うことを、聞かなくてもいい時期が訪れます(ごめんなさい)。

         

        本当はどうしたかったのか、どう生きたかったのか、封印していた純粋さを取り戻すために、「いつの時期、自分の純粋さを失ったのか、思い出してみるといい」と言っていた人がいました。

         

        それは、「この人、キライ」が始まった頃で、9歳とか10歳、といった人もいましたが、わたしはもうちょっと早く、幼稚園の頃は、「これは喜ばれないんだ、じゃあ、もうやめよう」とか、「こうすると喜ぶ」とか、思って行動していたような記憶があります。

         

        小さな出来事でも、それが大きなきっかけになることも、あるのですよね。

         

        自分の純粋さを取り戻すために、その純粋だった小さな頃の自分から、今の自分にお手紙を書く、という方法も、おすすめです。すごく落ち込んでいるとき、どうしたらいいかわからないときなどに、やったらいいと思います。

         

        書くのはもちろん、今の自分ですし、「そんなの、書けるの?」と思うかもしれませんが、わたしはやってみたら、すらすらと驚くべき言葉がでてきました。

         

        わたしの場合は、0歳の自分からだったのですが、なんとこの子、ものすごいのですよ。純粋とは、なんと強いことか、です。0歳なのに長老みたいなもの言いだったり、0歳だからこそのフレッシュさと勢いがあったり、

         

        ダメダメなわたしに、愛ある言葉をおくってくれました。

         

        そのときの内容は、「生まれたばかりのわたしから、今のわたしへの手紙」(2016年12月15日)に書きましたので、よかったら読んでください。

         

        何歳のときの自分からのお手紙にするかは、自分のカンで決めてくださいね。

         

         

        人は、悟ったら、もう来世はない、と言われますよね。悟りを目標にする方もいらっしゃいます。わたしは、過去に体の使い方を教えてくださった先生が、そのときの目標として「今世での悟り」と掲げていて、最初は「そうか」と思っていたのですが、途中で、「そんなことは、どっちでもいい」と思い始めたのです。

         

        この世の生まれてきて、あんなにうれしかったのだから、また生まれてくるなら、それもいいじゃないか、と思ったのです。

         

        それを、その先生に話したら、「うん、それでいいよ」と言ってくださいました。

         

        そして、今回の”生”で何がしたいか、と聞かれたら、みんなに、好きで、愛していると伝えたい、なのですが、それは、生まれてきたときの、「みんないい人で、みんなが好き」という記憶からきているような気がします。

         

        何の確証もありませんが、「そうだと思う」ことって、ありますよね。そういう感じです。

         

        生きて、いろいろ経験する中には、辛いことも、悲しいことも、大変なこともありますが、それもみんな含めて、それを望んで生まれてきたのかな、と思っています。

         

        いいですよね。生きるって。

        (ぽやーん、笑)

         

         

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          重いと軽いは、同時にある

          2020.07.18 Saturday

           

          (武当丹剣)Photo by Xie Okajima

           

          重いと軽いって、逆の概念ですよね。

           

          何かを手に持つとき、どっちかになりますよね。このふたつが同時に存在することはないと思うのは、ふつうかもしれません。

           

          でも、あるのです。そして実は、そちらが真実なのかもしれない、と思っています。

           

          重いと軽いが同時に存在するのは、太極拳をの体感です。

           

          お稽古の中に、放松(ファンソン)功というものがあります。ペアになり、ひとりが立ち、もう一人が立っている人をあちこち押したり、ひっぱったりします。どこから押されても倒れない体になっているかどうかを、確認していきます。

           

          (放松功)

           

          もし倒れたら、体に無駄な緊張があることになります。(もしこれが攻防であれば、緊張している部分が、その人の弱点です。)

           

          倒れないことは、重い、とも言えます。足で地面を押して立つことは、地面に根をはるようなもので、どっしりしている感覚もあります。

           

          でも同時に、体はふわりと浮いている感じがします。

           

          広い宇宙に、ふわっと浮いているような感じです。(浮いたこと、ありませんが、なんとなくそう思います)。

           

          もうちょっと現実的なところで言えば、海にぷかっと浮いて、浮力が効いている感じです。

           

          なぜでしょうか。

           

          足で地面を押すことで、頭が天に向かって伸びて、縦に伸びる力が生み出されます。頭を上から押してもつぶれませんし、肩をぐっと押しても、つぶれません。


          立っているときだけではなく、腰を落としても同じです(コツは、あります。)

           

          上に伸びる力が働いていると、例えば足を踏み出すにしても、滞空時間が長くなりますし、地面に着くときも、ごんっと落ちることはなく、ふんわり着地します。

           

          自分の意識と、体の使い方ひとつで、日常生活の空間を、浮力が効いている場所に変えることができます。

           

          面白いでしょ。

           

          太極拳の動きがゆっくりなのは、いろいろ理由はありますが、ゆっくりしようとしなくても、自然とそうなる面も大きいのです。地上で歩くときよりも、水中で歩くときの方がゆっくりになりますよね。あんな感じです。

           

          これだと、ひざに負担はかかりませんし、体の関節の隙間が空いていくことで、ゆとりも生まれます。ゆとりある体の中では、血も流れやすくなり、血が流れれば体温もあがります。体温があるのは、生命力がある証拠でもあります。

           

          太極拳をする人の体は、20年たっても同じ体と言うのは、このためです。老化をゆったりスピードにすることができる、と言えばいいかしらね。

           

          (左:太極拳の体の使い方をしている人。右:無駄な緊張があって、上から押されたらつぶれてしまう人)

           

          今から9年くらい前、先生の套路の動画を見たときに、「なぜ、こんなに軽々としているんだろう」と思ったことがあります。

           

          先生の体重は、85キロとか、90キロとかです。重たいですよね。

           

          でも高いところから飛び降りて着地しても、足音があまりしません。わたしの足音の方が、大きかったのです。あれも、今から8年くらい前のことです。

           

          ずっと「なんでだろう?」と思っていたのですが、ずっと後になってから、「そうか、浮力が効いてるのと同じことなんだ」と気づきました。

           

          体の大きな人、体重がある人でも、普段歩く姿に、重たさを感じません。もちろん横から押されても倒れにくいのですが、それは体重があるからではありません。


          逆に軽くても、ぺったんぺったん、音をたてて歩く人、いますよね。(昔の、わたしです。足音でわかる、と言われていました。)

           

          陰と陽で見るなら、陰が下向き、陽が上向きですから、陰が重い、陽が軽い、です。

           

          陰と陽は、ふたつでペアです。片方だけでは存在しないなら、両方が同時に存在することの方が、自然に思えてきます。

           

          太陽と月(太陽が陽、月が陰)も、空に見える時間は違いますが、1日の中では両方ありますし、地球レベルで見たら、日本に太陽が出ているとき、ブラジルには月が見えますよね。時間と空間を広げて考えたら、両方が同時に存在します。

           

          命も、同じだと思います。

           

          命というと、生きることだと思いますよね。でもそれは、丸いものの半分しか見ていないのではないでしょうか。

           

          宮崎駿監督の「もののけ姫」には、命は、生と死と、ふたつ持っている、というセリフが出てきます。山犬に育てられた少女、サンが「シシ神さまが死んでしまった」と嘆いたときに、アシタカが言ったセリフです。

           

          この世という見える世界で見たときには、死を迎えて無くなったように見えても、命としてはある、と言えばいいのかしら。

           

          道教の修行者たちが言う「不老不死」も、同じことだと感じています。

           

          昔はわたしも、「不老不死はあり得ないから、不老長寿だ」と言い換えていたのですが、今は、そのまま不老不死だと思っています。

           

          命は、生と死と、両方あるからです。

           

          この世が陽の世界なら、あの世が陰の世界です。

           

          太極拳は陽気を養うもの、と言うことがありますが、それは陽の世界で生きていくためのエネルギー源のようなものです。でも、陽気を養うためには、陰気も必要です。

           

          イメージでいうなら、陰がベースで、陽はその上に自然に育ちます。根(陰)がない草に、花(陽)は咲きません。

           

          行動する(陽)ためには、しっかり寝ること(陰)が必要です。陰が足りていれば、自然と体が動き始めます。

           

          心が弱っている人に、「がんばれ」と言ってはいけないのは、休みが必要な人(陰が必要な状態)に、行動しろ(陽)というのは、無理な話だからだと思っています。

           

          休みがたっぷり足りている人には、「がんばれ!」でいいですよね。自然に動くのですから、もう他人が言う必要もないですけどね。

           

          命を見るとき、この世で見えているのは、「生」です。でもそれは、見えていない「死」という基盤の上に、成り立っている気がします。

           

          「もののけ姫」で見るなら、「シシ神さまは、花さか爺さんだったんだな」という言葉どおり、シシ神さまが死んだとき、野山には春が来たように樹木が目覚めて、花が咲きます。すごく好きなシーンです。ここで流れている音楽が、またよくて、何度観ても泣けます。

           

          生命の循環で考えても、映画の「ライオンキング」に出てきたように、アンテロープを食べるライオンが死ぬと、土に還って、アンテロープが食べる草の栄養になります。死は終わりではなく、生を育みます。

           

          太極拳の太極は、宇宙の根源とか、すべてのひとつの源であって、陰と陽の両方が含まれています。この世では、陰と陽は質が異なり別々に存在して、お互いを補完しあいますが、太極の状態では、陰と陽は、まだ二つに分かれてません。分かれていないから、調和しています。

           

          人も、個として存在しているように見えても、本当はつながっている、とよく言いますよね。それも、太極の領域の話だと思っています。

           

          太極拳は、不調和もあるこの世で、もともとは調和していることを信じて、それを取り戻す技だと思っています。


          不調和があるのがダメなのではなく、それを経験するから、調和の大切さがわかりますし、


          不調和を経験しながら生きることが、この世で生きることのような気がします。

           

          太極拳で、体の無駄な緊張が取れて、心が静かで深い状態に入っていくと、意識はしっかりしていながら、夢を見ているような、ふんわりした感じになります。

           

          天と地と繋がって、意識が広くなっていくと、日常の小さな問題が、取るに足らないことに思えてきたりします。そして、もっと大事なことを思い出します。

           

          この世にいながら、あの世にも行っているような感じだと思うのです。

           

          昔は「そんな状態になったら死んでしまう」と本気で思っていたので、よく「太極拳をするときは、この世には存在しない太極という状態に、ちょんっと触れに行く感じ」と、表現していました。足を踏み入れることを認めたくなかったのです。過去のブログにも、たぶんそう書いているものがあると思います。笑っちゃうくらい、わかりやすく正直です。

           

          でも、そんなことないのだと、去年の終わりごろから思うようになりました。

           

          なんとなくですが、体が弱いと、そのまま持っていかれてしまうこともある気がします。そうならないように、体をこの世につなぎとめておくために、まず体をしっかり育てるのだと思っています。

           

          そうすれば、意識が広がって「あの世」の領域に行ったとしても、ちゃんと「この世」に足をつけて生き続けられます。

           

          「あの世」の領域に足を踏み入れると、「この世」でやろうとしていることを思い出すと、感じます。生まれる前に、神さまとした約束を思い出す、ともいえるのかしら。

           

          神さま(としか言えないので、とりあえずそう言っておきますが、特定の宗教の話をしているわけではありません)が願っていることを、この世で形にする、とも言えるかもしれません。

           

          「見えるものに騙されない」(2016年2月2日)で書いたように、見えるものよりも、感覚を信じて、見えないものを大切にしてきてきましたが、

           

          見えないものを感じるようになったら、見えるものの意味も、分かってきたような気がします。

           

          この世では、見えるものにすることで、伝えることができるからです。その手段として、それぞれ選ぶのではないのかしらね。体を使って表現したり、ことばや文学や絵や音楽で表現したり、映画も、そうですよね。

           

          だから、以前とは違う意味で、見えるものも大切だと思うようになりました。

           

          重い、軽い、のように、「白か、黒か」みたいな議論は、よくあると思います。わたしも10年前までは、「白か、黒か、どっちかしかない」と思っていました。

           

          そんなわたしに、「ほとんどものもは、グレーだよ。ある瞬間は白で、次の瞬間は黒だったり。同じ人でも、好きだけど嫌いということも、あるでしょう?」と言ってくれた人がいました。

           

          その言葉をすぐに素直に受け入れられなかったあの頃は、いろいろと苦しい時期でした。一生懸命だったのですけどね。

           

          それを言ってくれた方と、最近お話をすることがあって、「この世にいながら、あの世に行くことが、怖いと思わなくなった」と話したら、「そんなことしたら、死ぬって思っていたものね」と笑って聞いてくださいました。

           

          そして、「これからも、大変なことがないわけではないけど、あんなに苦しいことは、もうないよ」と言ってくださいました。たぶん、そうだろうと、思います。

           

          この世で生きるとは、いろいろありますが、「生」がある限りは、体という形を満喫して、見える形で表現したり生み出したりして、精いっぱい生きようと思います。

           

           

          この話は、書いてみたら、「続きを、そのうち書きます」と言っていた、下記の2つのお話の続きになりました。

          「境界で生きる」(2020年6月10日)

          「形あるものは壊れるけれど」(2020年7月14日)

           

          今日は、これが書けて、なんだかしあわせです。

           

           

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          「陽だまり」とは

          「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。人が集って、一緒にお茶でも飲んでなにげない話をして、ほっとする場所でもあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

           

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          いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

          太極道家

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