天人合一

2017.08.16 Wednesday

 

(中国、武当山 雷神洞)

 

館山(千葉県)にある友人の久保晃子さんのおうちを訪ねたのは、8年前のことです。

 

右は海、左は山という、自然に開かれたおうちです。家が建ったときの出来事を、先日ブログに書いてくれました。

 

家が建ったばかりの頃は、ガラス戸によく鳥がぶつかって、小さなカワラヒワくらいだと気絶してもまた目を覚ますけれども、大きなキジバトは即死だったとか。しばらくそんなことが続いて、数か月すると、そんな事故も起きなくなったそうです。それを「鳥たちの方が、認識してくれたんだと思う。ここには、家が建ったんだ、って。」と書いていました。

 

素敵な文章ですので、ぜひこちらから読んでみてくださいね。おうちの写真も、載っています。

 

 

これを読んだとき、思い出したことがあります。

 

裏高尾に行ったときのことです。ここは登山客も少なく、静かなところです。

 

山のガイドをしている友人と一緒に行ったため、ちょっとしたワークをしながら歩きました。そのひとつに、「目にとまったものをじっくり見て、それになってみて、”それ”から自分を見てみる」ことがありました。

 

ゆらゆら揺れる小さな草が目に留まり、しゃがんで一緒に揺れてみてから、”それ”になってみると......いきなり「じゃま」と言われた気がしました。

 

えっ?と驚きつつも、それはそうだ、と思ったのです。わたしがそこにしゃがんだことで、草は日陰になってしまいました。さっきまで太陽の光が注いでいたのに。すみません......。呆然として動けずにいると、しばらくして草もその状態になじんできたような気がしました。そして「いいよ、そこにいても」と言われた気がしたのです。(このときの話は、こちらの過去のブログから)

 

裏高尾に行くときに、”両界橋”という橋を渡ります。文字通り、”人間の生きる場所”から、”動植物の生きる場所”に、足を踏み入れる感じがあります。わたしは車で通ったことがあるだけですが、自転車や徒歩で渡ると、空気が変わるのを感じる人もいるとか。ここを通るときは、「おじゃまします」という気持ちになります。

 

山や森などの自然の中に身を置いて、わたしが学んだことは、自然は人間を癒すために存在しているわけではない、ということです。

 

何もなかったところに家が建てば、鳥はぶつかります。人間が住んでいないところに足を踏み入れると、その場の環境は変わります。だんだんと慣れて、それが日常になります。お互いの自然な営みが共存できるようであれば、そのまま続くでしょうし、里山のように発展もあるかもしれません。どこかに負担がかかれば、共存は難しくなり、何かが崩れていくかもしれません。

 

中国の思想に、「天人合一」というものがあります。天、人を対立するものとせず、本来それは一体のものであるとする思想、あるいはその一体性の回復を目指す修養、または一体となった境地を天人合一と呼んでいます(出典:「世界大百科事典 第2版」)

 

天とは、宇宙とも読み替えられます。宇宙は天地、陰陽でいうと、天は陽、地は陰です。その天地をつなぐ存在が、人間のような気がします。

 

だから、立つときには、天地をつないでエネルギーをぐるぐる回しているような感覚になります。立つときも、動くときも、そうです。

 

太極拳を含めたカンフーで体を使うこと、動くことは、天と人の一体性(それを、太極とも言うと思います)につながる修練で、ちょんちょんと、その境地に触れているような気がします。

 

木々を見てきれいだと感じるならば、そのわたしもまた、きれいなのだと思うのです。もっと言うなら、きれいでもそうでなくても、それはどうでもよく、その価値は、等しくあるのだと思います。一方的に自然が人間を癒すというのはなくても、お互いの存在がお互いを支えていることは確かで、それは”癒す”と言い換えても良いかもしれません。

 

それにしても、友人とは不思議な存在で、同じようなことを、違う場所で違う経験で感じていたりします。共有してもらうことで、自分の中にある思いも、より深く豊かなものになります。ありがたいです。そんなことを、もっと遠く、広く、共有していけたらよいな、と思いながら、自分の日々の営みを続けていこうと思っています。

 

あっこちゃん(と、わたしは久保さんを呼んでいるのです)、ありがとうね。

 

(武当山の朝日)

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

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人と自然をむすぶ、熊野の旅

2017.07.15 Saturday

(赤倉で、中平さんと)

 

5月末から3泊4日で、熊野への旅に出かけました。

 

感じることも多く、心も動いた4日間でした。だからなのか、どう表現すればいいのかわからず、言葉にもならず、今日までブログやFacebookにもご紹介せずにきました。

 

意識が変わったのは、2日前の夜のことです。3泊目に止まった赤倉(あかぐら)の”民泊あかくら”のご主人、中平さんが、東京、日本橋の三重テラスで赤倉のお話会をされたため、参加してきました。写真を見たり、お話を伺っているうちに、何やらあの、赤倉で感じた感覚が、蘇ってくる気がしたのです。ドクドクと。

 

「今、熊野のあのときの話をしたい」と、感じました。2日後の今日は、先月末から始めた自由が丘FMTVの番組放映日で、そこでお話しようと決めました。

 

熊野に行くのは、2回目です。前回は10年以上前、今回は、友人の中西れいこさん(れいちゃん)のナビゲートで、連れて行っていただきました。

 

れいちゃんは、熊野に魅せられて、中平さんのファンにもなり、熊野に何度も訪れています。そしてこの場所を、他の人にも感じてほしいと、ときどき熊野へのツアーを実施しています。

 

れいちゃんの旅の作り方には、特徴があります。それは、現地の人と仲良くなって、教えてもらうこと。もちろん、資料や本から学んでいることもあるのだと思いますが、なんといっても、情報源は、現地の人。そして旅の間も、現地の方から直接お話しを伺います。おかげで、自分で計画したらなかなか行けないようなところに行ったり、聞けない話を聞けたりと、とても奥深い豊かな旅になりました。感謝です。

 

豊かな水に恵まれた熊野は、雨量が多いと、突然、滝が現れることもあるそうです。今回も、滝、川、海の近くと、水を存分に楽しむことができました。

 

(桑ノ木の滝。下の方に、虹が!)

 

 

印象的だったことは、神社ごとに感じる感覚が、すごく違うことです。それぞれ、特徴があるのです。それは祀られている神様が違うからなのか、成り立ちから来るのか、わかりませんが、それぞれとっても個性的に感じられました。空気、温度、繊細さ、優しさ、力強さ、パワー、暖かさ、清らかさなどなど、たくさんを感じることができて、満たされた感じがします。

 

そして、神殿がないところがあったり、ご神体が岩だったり、滝だったり、石だったり、その様子もさまざまです。そんな姿からも、自然とつながる感覚というか、地球とわたしたちはひとつなのだということを、じっくり感じさせてもらえた気がします。

 

(大馬神社のご神体は、この滝です)

 

そんな中、特に印象に残ったは、最終日に泊まった赤倉と、そのご主人、中平さんです。

 

つるつるお肌、笑顔がチャームな中平さんは、赤倉で生まれ育ち、アマゴの養殖業を営みながら、民泊もされています。観光協会の会長さん、という顔もお持ちです。

 

そんな中平さんも、この土地を離れたことがあったとか。お若いときに「田舎はいやだ」と名古屋に行かれた時期があります。

 

今でも携帯の電波が入らない赤倉は、中平さんが生まれた頃は、電気も通っていませんでした。電気が来たのは9歳の頃。ごはんはいつも茶がゆで、白いご飯は、確かお父様のお弁当に入っているのを見るときくらい、とおっしゃっていたと思います。

 

わたしが泊まったときも、朝ご飯には茶がゆをいただきました。その土地の茶葉で作ったお茶で炊いたおかゆは、それはそれは美味しいものでした。作り方もとっても丁寧で、朝早く起きて、ずっとお鍋のそばを離れず、作ってくださるのです。こんな丁寧な茶がゆをいただくのは、今のわたしにとっては”贅沢”な時間でした。でも、子どもの頃の中平さんにとっておかゆは、かさ増しするための手段として、だったのですね。

 

ずっとこの暮しだけをしてきたら、都会に出たい、外の世界を見たいと、思うかもしれません。

 

でも、転機がやってきました。当時、お父様がされていたアマゴの養殖業が苦しくなり、お手伝いするために帰ってきたのだそうです。小さなお子さんをかかえ、借金をかかえ、それはそれは大変だったとか。バブルの頃で、”作れば売れる”状況だったので、必死に働かれたそうです。数年で無事に借金を返済されたそうです。

 

その後、中平さんは、この山の所有者にもなります。もともと共同で持っていたそうなのですが、あるとき、売却話がでたそうなのです。売られてしまって所有者が変わったら、この場所がどうなっていくのかわかりません。育ってきたこの赤倉を守ろうと、なんと、山を買ってしまいます。文字どおり、お金をみなさんに山分けした、ともいえます。「そうしたら、もれなく丹倉神社(あかぐら神社)もついてきた」そうで、それからずっと赤倉と、丹倉神社を守ってこられました。

 

なお、丹という字には、赤という意味もあるのです。この土地の岩には赤い色があって、それは鉄分が酸化した色なのだとか。そこから赤倉、丹倉という名前につながったのだそうです。

 

丹倉神社は、全国でも珍しい神社なのです。ご神体が岩で、祀られている神様もいらっしゃらないのです。そして鳥居から神社までは、下っていくのです。ここでは、大きなパワーをドクドク感じました。縁を結ぶ力もあるそうで、お参りして1か月後に結婚相手に出会い、ここで結婚された方もいらっしゃるそうです。

 

(赤倉、丹倉神社のご神体)

 

おととい中平さんにお会いしたとき、「今の中平さんにとって赤倉は、どんな場所ですか?」と聞いてみました。「人は弱いもので、心のよりどころが必要です。わたしにとっては、丹倉神社を守ることを、よりどころにしてきました」と答えてくださいました。

 

とてもパワーを感じる丹倉神社ですが、中平さんいわく「わたしは何も感じないけどね(笑)」。日常になっているからなのか、中平さんと神社がすでに一体化されているのか、わかりませんが、そんな言いっぷりも、なんだかステキです。そしてこういうときは、いつもとびきりの笑顔なのですよ。

 

熊野も、もちろん赤倉も、また行きたいです。機会があれば、ぜひ、足を運んでみてくださいね。

 

中平さん、れいちゃん、ご一緒してくださったみなさん、熊野で出会ったみなさん、すべての方に、ありがとうございます。

 

(赤倉、大丹倉)

 

れいちゃんが主催する熊野への旅は、7月23日から、女性限定で開催されます。今の時点で残り1名さま!気になった方は、こちらからどうぞ。(タッチの差で満員御礼になっていたら、ごめんなさい)

 

下記に、熊野の写真と、今日の放映内容へのリンクをはっておきます。つたないご紹介ではありますが、お時間があるときに見ていただけたら、うれしいです。

 

 

熊野の写真は、こちらから。(写真は、ご一緒した方が撮られたものもあります。ありがとうございます!)

 

 

(動画中の赤倉での食事の写真は、ご一緒したデザイナーのCoha Chocoさん撮影です

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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映画「メッセージ」を観て

2017.06.19 Monday

(「メッセージ」パンフレットから)

 

とっても観たかった映画「メッセージ」を観ました。

 

ある日突然、正体不明の巨大な飛行物体が地球にやってきて、彼らが人類に伝えようとしているメッセージを解読していく、というようなストーリーです。

 

これ以上どう説明したらよいか、わかりませんが、最初と最後に号泣していました。

 

わからないながらも響いたのは、時間は、過去→現在→未来という線ではない、という点です。

 

時空を超えるというテーマは、「インターステラ―」でも扱われていました。あの映画もよくわからなくて、公開中に3回、観に行きました。

 

そして、この時間は線ではないというテーマは、わたしが大学生だったときの研究テーマにもつながるのです(専攻は、英文学です)。

 

よくわからないというのは、少なくとも言語という方法では、わたしには表現できないのだと思います。でも、これだけ泣いたり、魅かれるのは、ここに何か大切なことを感じているのかもしれません。

 

「理由もなく涙がでるときは、○○のときだ」と分析することがあります。わたしにも、過去にそういうときが何度かありました。泣いているときにはわからなくても、後からその理由がなんとなくわかるようになることもあります。

 

今は便利な時代で、インターネットでサクサクひけば、いろいろな情報が出てきます。理由もなく涙が出るとき、なんていうものも、出てくるでしょう。でもそんなこと、すぐにわからなくても良いのではないかと思うのです。わからないものは、そのモヤモヤを大切に持ち続けて、じっくり探していけばよいような気がするのです。

 

すぐに答えを探すことが、悪いわけではありません。わたしも、そうするときもあります。でも、誰かの答えを読んでしまうことで、いろいろ広がるかもしれない可能性を狭めてしまうこともあります。それは、もったいない気がします。

 

そんなに急がなくてもよいし、いつも答えを明確にしなくてもよい、と思うのです。「何かを感じる」経験は、それだけでも十分だと思うのです。

 

それにしても、すごいなぁと思うのは、「インターステラ―」にしても、「メッセージ」にしても、わたしが言語では表現できない「何か」を、映画という方法で表現できる人がいる、ということです。世の中には、いろいろな才能の方がいらっしゃるわけですね。

 

そしてわたしは、今の自分には「わからない」としか表現できないけれども、確実に感じている「何か」を、別の方法で表現していくのだと思うのです。

 

ちっとも映画紹介になっていませんが、「メッセージ」、おすすめです。もう一度、観ようと思っています。

 

「メッセージ」オフィシャルサイトは、こちらから。

 

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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ONとOFFは、切り替えるのか?

2017.06.12 Monday

(Photo by Xie Okajima)

 

「ONとOFFを切り替える」という表現があります。果たしてそうなのでしょうか?

 

数年前、「ONとOFF、仕事しているときの自分と、プライベートの自分と切り替えるという人がいるけれども、見方を変えれば、それは分裂だよ」と話していくれた人がいます。

 

そもそも同じ人なのに、場面によって違う人格(おおげさな表現ですが)になるのは、丸ごとの自分で存在していないことになります。それが長い時間、続くことによって、自分に負担をかけていくような気がします。

 

ここ数年で大切にしていることは、”いつも同じ自分でいること”です。カッコつけたり、卑下したりせず、等身大でいることです。

 

教えるときも、ブログを書くときも、人に会うとき、仕事関係の人でも、プライベートでも、です。

 

でも、昔はそうではありませんでした。いつから等身大の自分ではなくなったかというと、子供の頃までさかのぼります。

 

小学生の頃、作文を書くときには、「こう書けば、印象的な感じになる」という「”スキル"を多用していた記憶があります。

 

両親が喜ぶだろう」と思うこと言った記憶もあります。子供なら誰でもあるかもしれません。子供は、親を喜ばせたくて生まれてきたのですから。

 

大人になって、仕事でワークショップをするときは、うまくまとめるために役割を演じていたような気がします。それで良いのだと思っていました。

 

どれも悪気はありません。どれも誰かに迷惑をかけたわけでもありません。でも、まるごとの自分ではなかったと思います。それは、一番大切な自分に、ウソをつかせていた気がします。

 

気づいたのは、あるワークショップを開催したときのことです。研修の一環としてビデオに記録していたので、後から振りかえることができました。

 

進行や仕切りという点では、上手かったと言えますし、参加者のみなさんも、とても満足してくださいました。でも、違和感を感じるのです。

 

ビデオを見てくれた友人は、「なんかこれ、わたしが知っているあなたではない」とバッサリ。それで気づきました。そうだ、これはわたしではなく、わたしが演じている人なのだ、と。

 

その頃、太極拳も教え始めていたのですが、”先生役”を演じているようなところがありました。結果が悪かったわけではなくく、むしろアンケートを取れば”大満足”と”満足”ばかりでした。でも、教えることは、生徒さんを満足させることとは違います。体験を通して、それぞれが必要なことに気づいて、育っていくための、育てていくためのものだと思うのです。

 

でも、それまでのわたしがやっていたことは、予定調和というか、安全な域を出ないように囲うようなやり方でした。突発的なことに対応すること(誰かの驚くような発言とか行動)でさえも、自分の中では想定内でした。

 

でも、わたしが大切にしたいのは、誰もが正直にいられることです。複数の人に何かをやった場合、「それはぴんと来ない」とか、「違和感を感じる」ということがあっても当たり前ですし、それを言える場所を作ることです。

 

それから、教え方を変えました。常に丸ごとの自分でいるようにして、想定を設けないようになりました。いつも100%できているわけではありませんが、何よりも自分の幸せ度は高くなりました。

 

これは、あくまでもわたしの経験ですので、みなさんにぴったりくるわけではないかもしれません。でも、ONとOFFを切り替えることをする前に、それは自分にとってどういうことなのか、ちょっと考えてみても良いと思います。自分が大切にしたいものは、切り替えることにはない場合も、あるかもしれません。

 

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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手放す

2017.05.29 Monday

(オーラソーマ B109 大天使ザカリエル [マゼンタ/ミッドトーンオリーブ])

 

昨日、オーラソーマの「手放しのコンサルテーション」というセッションを受けました。このところ”手放すこと”が意識に上がってきているからです。

 

きかっけは、ぼんやりと感じた行き詰まり感でした。何か不満があるわけではないけれど、違和感があるのです。相談した人から「望んでいたことが叶ってしまって、それは居心地が良いけれど、逆に守りに入って出られない状態にあるのでは」と言われました。

 

「守りに入っているときは、自分の価値観を壊す方が良い。ありえない、と思う人の話を聞いてみるとか、ショックを受けるくらいの経験をする方が良い」と言われ......

 

今までとは違うことを、いろいろとしてみました。これまでは、”自分の思いを大切にする”ことを最優先にしてきたので、”これ!”と思うことしかしないのですが、「価値観を壊す」がテーマのため、「えーっ......」と思うようなものに手を出すわけです(注:決して手を出した先に何か問題がある、と言いたいわけではありません。)半泣き状態です。

 

いろいろやってみたことは良かったのですが、気が進まないことにも手を出すためか(注:繰り返しますが、手を出した先に問題があるわけではありません)、混乱もしますし、いろんなものに触れすぎたためか、例えるなら”溺れそう”な状態になりました。

 

そんな状況を相談してみたら、「しばらくは、手放すもの、これから育てるものをゆっくり選んでいく時期。これまで大事にしてきたものの中にも、もういらないものがあるかも」というアドバイスをいただきました。

 

さて、そんな状況で受けたオーラソーマ。15年くらい前に少し勉強したことがあって、セッションをお願いしたのは、そのときの先生、アマーリエの上野香緒里さん。おそらくお会いするのは、10年振りくらいです。

 

オーラソーマは、上下2色の115本のボトルの中から、直感で4本を選びます。順番には、次のような意味があります。

1本目:魂

2本目:今のチャレンジ、もしくは課題を乗り越えた後にやってくるギフトやタレント

3本目:今の状態

4本目:これからの可能性を示す未来

 

「この中でどれが一番気になりますか?」と聞かれて答えたのが、1本目に選んだB109(マゼンタ/ミッドトーンオリーブ)です。大天使ザカリエルという名前で、”愛の中の誠実さ”、”自分が既に許されていることを思いだす”ボトルだそうです。

 

「どんな感じがする?」と聞かれて、ボトルをじっと見て、「喜び。草原に野原が咲いているイメージ」と答えました。

 

オーラソーマのボトルは、一斉に誕生したのではなく、順番に誕生しています。このB109は、震災の少し後に誕生したボトルで、最近、セッションで選ぶ人が多いとか。ある時期に特定のボトルがよく選ばれることは、よくあるのだそうです。

 

既に許されている、という意味は、「何か悪いことをして、罪を償って、許してもらうというプロセスではなく、最初から○○は怒っていなかったのだ(起こっていなかたのだ)と気づくこと」なのだそうです。

 

最近、よく思うことは、”苦労などせずとも、人は幸せに生きていけるはず"ということです。

 

”若い頃の苦労は買ってでもしろ”ということわざがあります。"闇が深い分だけ光も大きい"、という表現は、苦しみの渦中にいる人にとっては救いの言葉になるかもしれません。

 

でも、苦労とか苦しみは、本当に必要なのでしょうか?

 

わたしの過去を振り返ると、大変なとき、つらいときもありました。「なんでこんな思いをするんだろう」という悲しみ、後悔、憎しみのような思いから、抜けられなかったときもあります。でも今から思うと、それは自分がそうしていただけなのです。

 

まさにこのボトルが示すように、”最初からそれは、怒っていなかった(起こっていなかった)”のです。起きていないものを、起こしたのは自分で、大きく育てたのも自分です。

 

客観的に見れば、Мの極みですよね。苦しいことで、自分の存在を感じようとしていたのかもしれません。自分を傷つけることでしか存在を感じられないことは、実はよくあることです。

 

経験したことは後悔していませんし、あのときがあるから今の自分があるのも事実です。でも、それを辛いものにしていたのは自分であることも事実です。

 

そう思うと、自分が幸せに生きると決めさえすれば、苦しみなんてないのではないか、と思うのです。根拠のない確信です。

 

もちろん、困難や嫌なこともやってきます。もしそれを自分で育てれば、そしてそこに居続けると決めたら、苦しみが続きますが、違う選択をすることもできるはずです。受け止め方次第のような気がするのです。

 

生まれた時は、うれしいこと、悲しいこと、ひとつ一つを経験しながら感じていったのだと思います。”これ好き!楽しい”と、”これ嫌い”は、ベクトルは違っても、ひとつの経験であることは同じです。「へええ、これが嫌だということか〜」みたいに、新鮮な驚きを持って感じたような気がするのです。

 

神様というものがいるのであれば(人によっては宇宙と呼んだり、大いなる源と呼んだり、愛と呼んだり、どうにもこうにも呼び名がないので、それぞれ自分なりにしっくりくる名前で呼んでいるのでしょう)、不幸を願って人を創造したわけではないと思います。地球には人が必要です。人は、環境を破壊しているという面もありますが、そもそもそういう意図で生まれたのではないはずです。どう考えても、幸せに生きるようになっているような気がするのです。

 

マゼンタは、天からの神聖な愛を表し、その愛を地上に降ろすサポートをする色でもあります。

 

オリーブグリーンには、「苦味を甘味に変える」という意味もあります。苦いことを味わったから甘さがわかる、ではありません。そこには希望があります。競争ではなく、共同創造をすることを選び、その橋渡しをするという意味もあります。

 

幸せに生きると決めて、その通りに生きること。

 

「いやいや、そうは言っても」という自分のエゴの声も聞こえてきますが、根拠のない確信の声もあるのです。「大丈夫、幸せに生きていけるよ。」と。それをどれだけ信じきれるかが、一番の修行ですね、きっと。

 

このボトルを1本目に選んだことが、単純にうれしいです。一番に出てきた感想が、「喜び」ですしね。

 

そして”手放し”は、継続中です。モノや思いやなど、いろいろやってきましたし、まだまだありそうです。それについてはまた別の機会に書きますね。

 

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☀上野香緒里さんがブログで「愛はカミサマの知性〜大天使ザカリエル」を書いてくださっています。1本目に選んだわたしの話もちょっと登場しています。こちらからどうぞ。

 

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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