夏越の大祓:カタチは大事

2018.06.28 Thursday

 

今年も半分が過ぎようとしています。”夏越(なごし)の大祓”の時期ですね。

 

神社に行くと、大きな輪っかが出現していたりしませんか?あれは茅の輪(ちのわ)といい、左、右、左と回って、この半年の罪・穢を祓うのです。

 

穢れを祓う=気枯れを祓う

清める=気をよみがえらせる

 

半年間に、無意識にしてしまった罪と穢れを祓って、元気を取り戻すのですが、”無意識に”、がポイントです。

 

意識できる”罪”は、自分で十分に反省するとして、無意識なところでも、きっと何かをやっています。

 

例えば、混んでいる電車でヒジテツをしてしまった、とか、欲しいものを取ろうとして前の人を押してしまった、とか、他の人が欲しいと思っていた最後のスイカを先に買ってしまった、とか。

 

その他にも、自分の体を大切にせず、無理をかけてしまったことも、入ると思います。

 

そんなつもりもない言葉が、他人を傷つけていたり、とか。気をつけていても、ありそうですよね。

 

悪気はなくても、人は何かとやってしまうものだなあ、という意識を持つと、それなりに謙虚になれそうな気がします。

 

大祓の神事は、6月30日と大晦日に行われます。今年は参加できないため、代わりに大祓詞の写経をしてみました。

 

750文字。所要時間の目安は2−3時間と聞いて、ひるみましたが、「せっかくですから、時間がおありなら、ぜひ」とすすめられ、そのとおりに。

 

実際、緑のきれいなお庭の見える静かな和室で、じっくりと文字と向き合う時間は、とってもよかったです。長くもあり、あっという間でもありました。

 

写経は、経験された方はご存知だと思いますが、見本が下に敷いてあります。この見本のとおりに書くのです。

 

”字を書く”にもいろいろあります。わたしが年初にやっている書初めは、自由に書くことを奨励されます。お手本通りに書くのではなく、自分の創意工夫で、好きに書くのです。それはそれで、楽しい時間です。

 

写経は、やり方を教わったわけではないのですが、今回は、とにかくお手本通りを心がけました。

 

普段の自分の書きグセは封印です。頭を働かせることなく、ただひたすら、その通りに写します。それが、無心、もしくは無心に近い状態になるのに、ちょうどよい気がします。

 

終わった後の心地よさは、”自分”を出さないゆえかもしれません。

 

カタチは、大事だなぁ、と常々思います。

 

去年の年末に大祓詞の話をお聞きする機会があり、神主さんから意味の説明をしていただきました。ひととおり終わった後、「あれこれ説明してきましたが、本当は意味など考える必要はなく、ただそのまま唱えればいいのです」とおっしゃるのです。

 

神さまのことばである大祓詞は、それ自体に力があるので、ただ唱えされすればいいのだそうです。それを人間の理屈でああだ、こうだと理解しようとするなんて、とんでもない、と。

 

理屈(へりくつも含めて)が減ったら、もっと日本は平和になるのではないでしょうか?という言葉が、とっても印象的でした。

 

大祓詞を唱えるときも、写経をするときも、そこに理屈などありません。でも、カタチがあることで、それをなぞることができます。

 

いいですよね。

 

カタチは時に、人を制限しますし、不自由さも感じさせますが、カタチがあるから広まりやすく、それによって恩恵を受けることもあるわけです。

 

そして、太極拳というカタチがあるものをやっているわたしは、自由さとは、カタチを超えたときに出てくる、と感じています。超えようとするのではなく、超えるときが、自然にやってくるのかもしれません。

 

カタチは大事だけれども、でも本当に大事なのはカタチではなく、でもそこに行くためにカタチを大切にする、という感じです。言葉にすると、わかりにくいですよね。

 

何事も、体験してはじめて、わかります。それには、カタチも大切ですね。

 

 

【特別クラスのお知らせ】

7月8日(日)14:30-16:30は「太極扇を体験しよう(第9回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

7月11日/25日(水)19:00-20:30は「タオを生きることば」です。詳しくはこちらの講座案内からご覧ください。

7月15日(日)14:00-16:30は「みんなが知らない太極拳のひみつ」(4)です。詳細とご応募方法は、こちらから。

7月29日(日)13:00-15:0は「立って、歩いて、太極拳」(千葉県香取市)です。詳細とご応募方法は、こちらから。

 

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 


下手で、いい

2018.06.15 Friday

 

映画「モリのいる場所」を観ました。

 

画家の熊谷守一(くまがいもりかず)さん(=モリ)の、晩年の1日を描いたものです。モリは30年間、自宅の庭から出なかったそうです。

 

「庭は広すぎる」から。

 

ゆたかな生態系の庭には、さまざまな植物、虫、鳥たちが集います。それらをひたすら”みる”、モリ。映像では、小さな虫たちの日常の活動が映し出されていて、それらがなんともユニークで可愛らしく、思わず笑ってしまいます。モリは、こんな目で見ていたのかもしれません。

 

そんなモリに、「こどもの絵を見てください。才能があるんじゃないか、と思って。それなら教育を考え直そうかと。」と頼む人が出てきます。モリはじっと見てから、「下手だ。」

 

そして、下手でいい、上手には限界があるから、というような話をしていました。

 

いいことばだな、と思います。

 

自分をふりかえってみると、とかく、体を使うことに関しては、始めたときは「下手だなあ」と、よく思いました。例えばバレエも、水泳も、テニスも、太極拳も、です。でも下手だけど好きで、上手くなりたくて、練習します。練習することが楽しいから、苦にならずに続きます。人から見て大変そうに見えたとしても、自分にとっては、どうってことなかったりします。

 

下手+好き=続ける力、なのかもしれません。

 

では、やったらうまくなるのでしょうか?始めたころの自分と比べたら、そうかもしれませんが、たとえば太極拳にしても、今でも「上手い」という表現はピンときません。

 

ただ、続けてきた積み重ねがあるだけです。

 

続けてくるとわかることが、いくつかあります。

 

ひとつは、いつでも今のベストでやることです。教えるときは、今わかっている全てで、教えます。

もうひとつは、今のベストは将来のベストではないことです。3か月前、半年前とは、今のベストは違います。

 

今のベストを尽くすため、今に不満はありません。でも一方で、まだまだ知らないことだらけなことも、わかっています。だから楽しみがあります。

 

「下手の横好き」ということばがありますよね。音の響きに、ふっと頬がゆるんでしまいませんか?そんな自分でいられたらいいな、と思います。

 

これまで、「上手くなきゃ!」「これだけやってきたから、これも出来て当然」と思ったことが、ないわけではありません。でも、そう思ったときは、必ず失敗するのです。人生、上手くできています(笑)。

 

やったことは、なくなりません。頭では忘れても、体の経験としては残っています。それを「これだけやったから、上手くなきゃ!」と頭で考えてしまうと、逆に自分にプレッシャーをかけることになり、体を緊張させます。緩んでいなければ、上手くいくわけがありません。

 

頭で考えた自信は、重荷になるだけです。

 

「できるかどうかはわからないけど、やってみよう、やってみたい」というくらいが、わたしには、ちょうどよいみたいです。

 

映画のモリは、晩年で、すでにとっても有名な画家であり、書家でした。でも名誉には興味がなく、「大先生」という気張りもなく、どこかユーモラスです。そんなモリに、周りの人が魅かれて巻き込まれていく様子は、とっても見ごたえがあります。

 

モリ役は山崎勉さん、奥様には樹木希林さん。ポスターに書かれたコピーは、「文句はあるけど、いつまでもふたりで」。そのことばどおりの、結婚52年目のふたりの間の、ほんわかとした関係にも、ぐっときます。

 

熊谷守一さんは名のある芸術家ですが、そうでなくても、人はみんな、自分を表現して生きたい、と思っているような気がします。表現方法は、作品である必要はなく、いろいろです。

 

それぞれが、こんな風に「好き」な姿を表現していったら、映画のように、優しく暖かく、平和な世界が広がるような気がします。それぞれの「好き」に、みんなの頬が緩むような世界です。

 

「モリのいる場所」は、映像も音も美しく、温かくて優しい映画です。お勧めです。特に、樹木希林さんの美しさは、格別です。

 

 

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「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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シェイクスピアの音楽会

2018.05.31 Thursday

 

”シェイクスピアの音楽会”に、行ってきました。

 

「シェイクスピアは、どんな音楽を聞いていたのか?」として、プロの演奏と歌唱はもちろん、この日のために集まった40人の素人さんたちによるリコーダー演奏、そして!観客みんなで歌うところもあるという、なにやら楽しい企画です。楽器が、リュート、ヴィオラ・ダ・ガンバ、リコーダーというところも、楽しみでした。

 

シェイクスピアは、かつて英文学を専攻していたわたし(もうふるーい記憶ですが)にとって、特別な存在です。

 

何が特別かというと、まずその言葉の美しさです。シェイクスピアが生きたルネサンス期、すでに散文は存在していたのですが、シェイクスピアの作品には、劇であっても、詩の形式が多くみられます。(注:それよりの中世では、文学は口承だったため、詩の形式しかありませんでした。)

 

韻を踏む、リズムのよい音の響き。これ自体が音楽です。

 

会場では、シェイクスピア研究者の河合祥一郎先生が、いろいろと解説をしてくださいました。

 

パンフレットから抜粋すると、

 

「天体の音楽(music of the sphere)という言葉があるのですが、シェイクスピアもいろんな作品でこれを語っています。当時の宇宙観は、地球が中心にあって、太陽や月がそのまわりを動く天動説です。この動く天体が音楽を奏でているけれど、ふつうは人の耳には聞こえないと信じられていた。(中略)この音を聞くことができるのは、心の清らかな人だけなのです。(中略)天体とは神々のことで、天体の音楽とは神々が奏でる音楽です。日常の生活を超えて天体とつながる感動。大宇宙と結びつく喜び。これがシェイクスピアの世界観であり、音楽観であると、ぼくは思うんです。」

 

地球を取り囲む惑星が、ぐるぐる回ってハーモニー(和音、調和)を奏でていること、これが天体の音楽です。でもそれは、人には聞こえません。それを楽器を使って聞こえるようにした、というお話もありました。

 

だから音楽を奏でるとき、歌うときは、私(我)を出すのではなく、天体をそのまま降ろすのだとか。

 

太極拳みたい、と思いました。

 

わたしにとっての太極拳は、我を出すのではなく、透明なパイプのような存在として、天と地をつないで循環させるものです。いきなり「我をなくせ」と言われると、ますます煩悩だらけになるばかりですから(人は、やってはいけない、と思えば思うほど、それをやってしまうものです)、それなりの段階を踏んでいきます。一気には行けませんし、ずっとそうでなくてもいいと思っています。なんといってもそこは、神様の領域ですからね。

 

狂言の野村萬斎さんも、舞台に立つときは、天とつながるような感じなのだとか。

 

太極拳なり、音楽なり、その他の表現方法を通して、宇宙のハーモニー、調和に触れること、それと自分を同期させることは、河合先生の言葉を借りるなら「天体と結びつく感動。大宇宙と結びつく喜び。」です。

 

わたしはこの言葉以上に、上手い表現が思いつきません。とにかく、震えるような感動なのです。

 

「それがあったら何になるの?」と思う人もいるかもしれませんよね。

 

大学生の頃、指導教官に「英文学は実学じゃない。社会に役に立たない学問だ。それを学ぶ意味を考えなさい」と言われたことがあります。

 

実生活に役立つかと言われれば、直接的には役立ちません。合理的な目で見れば、無駄とも言えます。でもそれが、ゆとりをもたらし、人生を奥深く、豊かにし、人の心の幅を広げてくれると感じています。

 

さてさて、でも実際には、地球に生きる人間は、神様ではありません。いろいろと失敗もします。河合先生は、天体をそのまま降ろすんだよ、と、美しいことを言いつつも、「人間は、ばかだ。それを知っているほうが、しあわせでいられる」ともおっしゃいます。だからなのか、シェイクスピアの作品には、道化(英語でfool=ばか)が登場しますし、foolという言葉で人間のおろかしさを伝える場面も、あります。

 

そこでみんなで歌ったのが、「この野郎(Thou Knave)」です。

 

「だーまれー♪、この野郎だまれー♪、ば、か。」ですよ。続いて「だまれ、ば、か。」さらに「ば、か。」

 

なんとも失礼な歌詞に、美しいハーモニー。この可笑しさは、残念ながら実際に歌わないと、伝わりにくそうです。憎々しげに歌ったら、だめなのですよ。天体とつながるのですから、神々しさを持ちつつ、「ば、か」です。

 

みんなで歌うのもハーモニー、40人のリコーダー演奏もハーモニー。もちろんプロの方々の音楽も、ハーモニーです。劇場内でも何度も笑い声が起き、演奏者も、観客も、みんな楽しそう。しあわせな雰囲気に包まれていました。これも、調和ですね。

 

ちなみに、地動説を唱えたガリレオは、シェイクスピアと同い年なのだそうです。散文と詩という形式の融合といい、天動説から地動説へといい、なんとも激動の時代を生きたわけですね。

 

ああ、楽しかった(^^)。

 

 

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6月6日(水)、20日(水)は、「タオを生きることば」です。詳しくはこちらの講座案内からご覧ください。

6月10日(日)14:00-16:30は「みんなが知らない太極拳のひみつ」(3)です。詳細とご応募方法は、こちらから。

6月17日(日)14:30-16:30は「太極扇を体験しよう(第8回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

 

 

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「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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先生と生徒と、共生

2018.05.19 Saturday

 

どの世界でも似たようなことはあるのかもしれませんが、太極拳の世界でも、先生と生徒の確執や、組織についていけない人というのは、出てくるようです。

 

好きで始めて、今でも好きだけれども、これからどうしたらいいかわからず、迷子になっているような状態です(”迷子”というのはわたしの表現で、当人はそう感じていないかもしれません)。そこに、苦しみや痛みを伴っていると感じられる場合も、多々あります。

 

かつて、わたしも迷い、苦しい気持ちを持って訪ね、泣きながら話を聞いていただいた経験があります。同じ道にいる人に、話をきいてもらえるだけでも、ずいぶんと気持ちが楽になりました。そこからまた、続ける意欲を新たにして、続けられる道を見出す機会にもなりました。

 

わたしのところにも、そういう悩みを抱える方々が、時々訪れます。自分の過去の経験もあり、こんなときに”話を聞く”ことも、自分に回ってきたひとつの役割なのかもしれないと、思っています。

 

対象の方を直接知っているわけではなく、仮にちょっと知っていたとしても、当事者ではないため、何かできるわけでもなく、何かしたいわけでもありません。たいしたことは、できないかもしれません。

 

ただ、練習方法や、体の使い方についての迷い、太極拳とはどういうものかという概念や哲学や理論は、答えられること、お話できることは、あります。昔の自分がそうだったように、それが迷子になっている人にとって、光を見つけるきっかけになるといいな、と願っています。

 

悩みの中には、先生の意図がうまく伝わっていないだけかな、と感じることもあります。ものごとの一部分しか伝わっていない気がする場合、「こんな側面もある」と、違う角度からの見方をお話することもあります。

 

どんな指導をする場合であれ、先生には、それぞれの考えがあると思っています。「とにかく動きを真似するだけで、説明がない」という話もよく聞きますが、それもひとつの教え方です。

 

わたしは、たくさん話してくださる先生に習ってきた時間を、多く持っています。それは、教え方という意味でも、よりどころという意味でも、自分の基盤になっています。

 

でも中には、何の説明も受けず、ひたすら真似するだけのお稽古もありましたし、とにかくやり続けたものも、あります。時間数でみても、こちらもかなりあるのです。その経験も、やはりよかったのです。

 

カンフー(功夫)とは、もともと、時間をかけて熟達していく人、という意味です。匠、みたいなイメージです。絶対的に必要なのは、”時間をかけること”です。わからないなりに、雰囲気を感じとり、真似して、ひたすらやり続けることで、ある日、「あっ、これ?」という気づきがあったりするのです。与えられるのではなく、自分で開拓して気づいていくプロセスは、何ものにも代えがたい、貴重な経験です。

 

そこには、「おかしいなあ」「変だなあ」と思うこともあります。迷いもあります。でも、その問いを持ち続けていると、いつかどこかで、答えはやってきます。

 

もちろん、「こんな感じじゃないかしら?」という、明るい兆しのような発見もあります。それはのちのち、先生からのアドバイスにはまってくることもあり、「ああ、あのときこれを、自分なりに感じ始めていたんだ」と思えることもあります。人の体とは、そういうものです。自分で発見していけること、開発していける可能性が、たくさんあるのです。

 

焦らず、のんびりいこうと思えないと、説明もなく続けるのは難しいかもしれませんが、そもそもカンフーとは、そういうものですしね。

 

つまり、教え方としては、なんでもありだと思っています。そして、どんな経験も、苦しいことも含めて、無駄になることはないのだと思います。

 

そうは言っても、今、自分が行き詰っていたら、その場所からは離れたらいいと思います。先生には、好きなやり方をする自由がありますし、生徒には、自分が希望する先生につく自由があります。

 

タイミングが合わなかったり、ウマが合わないことも、ありますよね。

 

共生とは、共に生きることで、仲良く手をつないで生きることではないと思っています。希望するものが違うなら、別の場所で生きる方がお互いのためです。

 

クジラは、金魚鉢の中では生きられないのですから。金魚は、海では生きられません。クジラと金魚、どちらが偉いとかは、ありません。

 

苦しさや傷がある場合、それを癒す時間は必要です。病気がひどければ入院するように、それまでの場所から離れて、治療にふさわしい環境に身を置くべきときもあります。骨折したような場合、回復まで長い時間がかかることもあります。リハビリも必要ですよね。

 

そうやって安心できる場所で自分を癒しながら、時には「忘れて」過ごすうちに、過去の出来事への見方が変わってくることも、あります。

 

起きたことの事実は、変りません。でも、過去の感情は、今に持ってくることはできないのです。つまり、いつも”今”の時点から、過去の出来事を見たときの感情があるだけです。

 

これはわたしの場合ですが、確執も、それを経験する意味があったのだ、自分がそれを経験したかったのだと、素直に思えたとき、苦しい感情は、薄くなったり、消えていることも、あります。

 

起きることすべてに意味がある、今を生きることで過去は変えられる、というのは、そういうことだと思います。

 

みんなそれぞれ、自分にふさわしい場所で、共生していけたらいいですよね。

 

 

【特別クラスのお知らせ】

5月20日(日)14:00-16:30は「太極扇を体験しよう(第7回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

5月27日(日)13:00-15:00は「おためし体験〜みんなが知らない太極拳のひみつ」です(千葉県香取市)。詳細とご応募は、こちらから。

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、キリリとした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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守護天使からのことば

2018.05.15 Tuesday

(2013年、流れに抵抗してくたびれ果てた頃。自分を取り戻そうと行った、バリ島で)

 

先日、GGG(Great Gurdian Guidance =グレート ガーディアン ガイダンス)というセッションを受けました。

 

守護天使という存在、気にしたことありますか?本質的な自分を100%理解し、愛し、サポートしてくれる存在、と言えばいいでしょうか。ハイヤーセルフと言ったり、自分の内なる声と言ったり、自分自身、とも言えます。

 

人にはそれぞれ、守護天使がいるといいます。そんな天使のことばを伝えてくれるセッションがある、と知ったその日、サッと申し込みました。

 

楽しみにしていたのですが、近くなってくると、「はて?何をするセッションなのかしら?」。あらためてご案内の文章を読んで、「ヒーリング?今、いらないかも」と思ったり。しかも当日のお天気は、大雨の予報。これは......と、キャンセルが頭をよぎりましたが、キャンセル条件がわからなかったために、そのままになりました。なんだか、後ろ向きですね。

 

翌朝は、すっきりとした朝でした。快晴ではありませんが、雨は降っていません。「あれ?行けちゃう?」と。

 

そして結局、行けて良かったのです。会う人には、タイミング良く会えるようにできています(と、勝手に都合よく解釈。)

 

セッションをしてくださるのは、Yasuko Taguchiさん。普段はシドニーに住んでいらっしゃいます。

 

まず、今日の流れの説明から始まります。「天使は、聞いたことしか答えない」とか、「天使は自分自身なので、きっと、『ああ、それは知っている』と思うことばかりです」というお話もありました。こういう説明、大事ですよね。こんなやりとりをする時間も、大事です。

 

最初は、天使の”見た目”からです。「ちょと意外ですが、洋風、たぶんヨーロッパ人、男性か女性か、わからない感じ。木の妖精のようで、たとえるならコロボックル。天地と交信しながら、かろやかに舞って、エネルギーを循環させて、喜びを表現している。自然界とのつながりが、とっても強い天使です。」

 

確かに、このあたり、「知っている」感じです。わたしは、ハイヤーセルフに会うような瞑想をする場合、出会う姿は、金髪のクルクル巻き毛、青い眼の小さな男の子か、金髪巻き毛の女の子か、飄々としたおじいさん、なのです。天使は、いつも決まった姿をしているとは限らないのですよ(たぶん。)

 

天地の間で循環する感覚は、太極拳をしているときの感覚です。天地の間に生きる人は、天地をつなぐ存在だと思っています。

 

「流れに乗るのが得意というよりは、流れそのもの。今、こうだからこうしようということが、早く現実化すること、あるでしょう?」とも。ある日突然、太極拳が人生に現れて、始めたことも、そのひとつかもしれません(出会いがしら、みたいな始まりでした。)

 

さらに、今に至るまでにいろんな仕事をしてきているのですが、それについては、「そのときはそれ、という流れを、素直に表現したからではないでしょうか」と言われました。

 

そのことばで、過去の認識が、変わったような気がしました。

 

仕事は、ずっと好きなことを選んできました。でもだんだん、何が好きなのかわからなくなり、やりたいことがないのに、やめる勇気もなく、そのまま居続けるという状態でした。そのせいか「ずいぶん長く会社員をしたけれども、それだけ時間をかけなければ、自分には合わないと気づかなかった。それだけ感覚が麻痺していたのかもしれない」と認識していました。

 

でも、そうではなかったのかもしれません。

 

そのときの流れで、縁があった仕事をしてきたのだと、再認識できた気がしました。

 

思い返せば、数々の転職も、ほぼ知り合いの紹介でした。途中、「なぜこの部署に?」という不思議な異動もあり(わたしだけではなく、周りの誰にとっても不思議な異動でした。そんなことが、現実には起きます。)、それがわたしの職歴をわかりづらいものにしたと思うのですが、それもまた、流れだったのかもしれません。

 

これも、ご縁なのでしょう。

 

そもそも、不可解なように見えますが、自分の中では、ちゃんとつながっている気がしていたのです。そういうことすべてが、腑に落ちた気がします。

 

カンフーをやっている人、例えばわたしの先生は、最初のキャリアからカンフーです。でも、わたしは始めた年齢も遅く、最初の頃は「遅いスタートで、どれだけのことができるのか」と、コンプレックスに感じたこともありました。

 

でも、ここ数年は、そんなことで悩むこともなく、わたしにできることをすればいいと、思うようになりました。

 

わたしには、会社員だったときの、あの一つひとつの経験が、とっても大事なのです。これでクビだと血の気がひいた出来事、ウマが合わなかった相手、板挟み、損を出したこともあれば、新しい流れを作りだすような経験、チャレンジ、大きな変化、信頼、助け、優しさ、喜び、本当にいろいろです。

 

いつも思っていたのは「同じことは二度とない」でした。前回はこうやったと言われても、「今回も、同じようにやればうまくいくとは限りません」と、生意気なことを言っていました。似ている案件でも、実際には環境や状況などが違うので、まったく同じことなど、ないのですよ。いつも、今を生きていたと思います。この事実には、驚きます。

 

今回のセッションがなければ、こんなふうに再認識する機会もなかったかもしれません。うれしかったです。

 

千変万化、世の中はどんどん変化します。上で書いたように、比較的、変化には柔軟だったのですが、その変化に抵抗したときは、当然のことながら大変でした。本当はやりたくないのに、無理やりしようとしたり、留まろうとしたり、自分の本質に素直に生きていたときではありませんでした。

 

だからこそ、わかった感覚があります。「わたしは、わたしであれば、それでいい」です。自分が自分であれば、自然とひとつになり、流れにのっていけるというのは、天使からのメッセージでもありました。

 

わたしにとっては、枠にはめず、はまらず、自由でいることが何よりも大事です。

 

カンフー、太極拳が、わたしにとって大切であることは、きっと変わりませんが、これからそれをどう伝えていくのか、どう表現していくかは、変化していくかもしれないな、と思っています。

 

セッションの中の、天使からのことばは、録音させてもらえたので、時々聞いています。17分くらいの短いものですが、いつも寝てしまうのです。最後に自分が「大丈夫です。ありがとうございます。」と言うところで目が覚めるのですが、それが、自分で自分に大丈夫、と言っているような気がして、不思議と元気づけられます。棚からぼたもち的なオマケですね。

 

これ、天使からのことばを伝えてくださった後に、「他に聞きたいことありますか?」と聞いてくださったことへの返事なのですけれどもね。

 

守護天使を信じるかどうかは、自由です。天使、という表現をしなくてもいいと思います。こういう話が、あまり好きではない方もいらっしゃると思います。でもこういうことは、他人がどう思うかよりは、自分が腑に落ちれば、それでよいのだと思っています。

 

そのことばに癒されたり、これからに向けての活力になるなら、じゅうぶんじゃないかしらね。

 

Yasukoさんのウェブサイトは、こちらから。ここで書いたことはセッションの一部ですので、実際にはもっと、盛りだくさんです。満足、お腹いっぱい、胸いっぱいで、セッションを終えられたことに、感謝です。

 

 

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5月20日(日)14:00-16:30は「太極扇を体験しよう(第7回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

5月27日(日)13:00-15:00は「おためし体験〜みんなが知らない太極拳のひみつ」です(千葉県香取市)。詳細とご応募は、こちらから。

 

(2015年4月。Photo by Xie Okajima)

 

 

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