人生の課題は、繰り返しあらわれる

2018.03.22 Thursday

(和歌山で)

 

繰り返し起きること、ありますか? 場所、相手、環境や状況を変えて、です。

 

わたしには、ありました。

 

わたしは興味のある授業や講座では、一番前で、先生の近くで、体験したい性分です。でも、それを許してもらえず、とっても苦しかった思い出があります。

 

最初は、小学生のときです。担任の先生が席を決めていて、わたしは毎回、一番後ろの席なのです。お隣は、ちょっと困った君。活発で手が負えない”悪ガキ”タイプではなく、おとなしく、勉強についていくのが厳しかったり、クラスに馴染みにくい、というような子でした。

 

あるとき、先生に訴えてみました。「わたし、一番前の席に行きたい!」

 

先生のお返事は、「クラスには、いろんな子がいるんだよ。助けが必要な子もいて、助ける力がある人は、そういう子を助けるんだよ。」

 

”もっとも”な返事ですよね。でもお隣の面倒をみても、まだまだエネルギーが余るのです。「わたし、前で勉強したーい!」

 

先生から過度な期待をかけられているような感覚も、ありました。ただし、現実に先生がどう思っていたかはさておき、ここでは、自分が感じたことだけを書いています。

 

大人になっても、同じようなことが起きました。以前、通っていた、とある教室でのことです。

 

「あなたは目立つから、一番後ろで目立だたないようにしなさい。みんなが忘れるくらいでちょうどよい。ハッと振り返ったら、黄金が輝いていて、あぁいたんだ、みたいな感じ。」

 

正確な言葉は忘れてしまいましたが、わたしが受けた印象では、こんな感じです。こちらも先生がどういう思いだったかはさておき、わたしが感じたことだけを書いています。(つまりここで、先生を非難したいのではないのです。)

 

先生のアドバイスです。頑張って守ろうとしました。でも当時のわたしには、それを”我慢する”という方法でしか、できなかったのです。

 

そもそも、「前に行きたい」のは、自然に湧き上がって、気づいたら行動しているようなもので、無理やりしているわけではありません。抑えることは、苦しいことでしかありませんでした。

 

これだけ我慢すると、怒りとなって爆発します。爆発してしまう自分も嫌で、自分が起こした現実にも、ひどく落ち込みました。

 

この経験、時系列で書きましたが、気づいたのは逆です。大人になってからの体験が苦しくて、それを聞いてもらったり、相談しているうちに、「そういえば」と、子供の頃を思いだしたのです。

 

相談する中で、「繰り返し出てくることは、人生のテーマかも」と、言ってくれた人もいました。

 

今の時点では、苦しい思いは、ありません。「過去の感情は持っていられない」とおり、「あのとき、苦しかったなあ」という淡々とした記憶があるだけです。乗り越えたと言えるのかもしれません。

 

今、このテーマについて、3つ思うことがあります。

 

ひとつは、”合わない場所は、去る”です。人はそれぞれ違って、何でもできる人がいないように、そんな必要もないように、どの場所にも合うわけではないと思っています。そりが合わない人も、います。苦しさを感じるとき、ひとつは”合わない場所に、無理やり居続けようとしていること”への警告かもしれません。

 

そうは言っても、「それなら」と、さっくり去ることも、なかなかできなかったりしますけどね。ぐずぐずしていると、無理やり押し出されるようなことも起きます。

 

そんなことが起きると、「ひどい〜!」と、最初は相手を恨めしく思ったりしますが、実は「離れたいと思っていた」願いが叶っただけのことです。冷静になってみれば、押し出した相手は、悪役の役割を担ってくれた、とも言えます(つまり、相手が悪いわけではありません。)

 

ふたつ目は、わたしの受け止め方です。自然に前に出たい欲求が強いだけのわたしには、後ろに下がることは我慢としか感じられませんでした。

 

でも実際、後ろのポジションは、全体がよく見えるのですよ。その視点は、確かにあの時にはなかったと思います。

 

さらに、当時のわたしは、後ろに下がること=他の人を立てる、面倒を見る、と感じていました。それを”義務”だと認識していました。でも、実際には、誰もそんなこと、期待していなかったかもしれませんよね(笑)。つまり、いらぬおせっかいです(笑)。

 

誰もそれを頼んでいないのに、自分で課して、必死に、苦しく思いながら踏ん張っていた、と思うと、我ながらおかしくて笑ってしまいます。こんな状態では、ほかの人にプレッシャーをかけただろうなぁ、とも思うのです。(ごめんなさい)。

 

3つ目は、自分の理想は、背景に溶けるような存在でいることなのです。つまり、”自分”が主張しない方が好きなのです。

 

たとえば、写真や動画、現実に目の前にいるとき、「背景に溶けて一体になっている」と言われるのが、好きです。公園のお稽古で待ち合わせした生徒さんから、「木に馴染みすぎて見えなかった」と言われたこともあります(ちょっと大げさな気もしますが(笑))。声を出すときも、自然な流れの邪魔にならない声でいたい、と思っています。

 

あらまぁ、ではありませんか。ただしこの3つ目には、我慢はなく、自然体です。わざと控え目に後ろにいるわけでは、ありません。

 

昔の自分を振り返ると、すごく狭い世界で生きていたのだな、と感じます。起きていることを、相手のせいにしがちでしたしね(ごめんなさい)。自分の作りだした妄想です。一生懸命だったので、それはそれで愛しいですけれどもね。

 

この課題がこれで終わりかどうかは、わかりませんし、このほかにもあるかもしれません。でも、苦しさもじっくり感じたことで、大切なことがわかったことは、確かです。

 

起きたことは変りませんが、自分で”苦しい”と思っていた過去を、変えることはできます。過去は、今の自分から見た捉え方でしか、存在できないからです。

 

繰り返し出てくる苦しいことがあったら、そして、それとじっくり向き合えるときがきたら、何かが出てくるかもしれません。(ただし、今はダメっ!というときもあるので、そういうときは無理しない方が良いと思っています。)

 

 

【特別クラスのお知らせ】

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(2017年 秋、武当山で。お稽古中、友人が「とっても平和な光景だったから」と撮ってくれた写真)

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、キリリとした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

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”自分に正直にいよう”と思いすぎる、落とし穴

2018.03.06 Tuesday

 

ここ半年くらい、ずっと大事にしてきたことがあります。

 

”常に自分に正直でいること”です。

 

上手く言えないのですが、「地に足が着いて、どっしりしている」とか、「気が舞い上がっていない」とも言えますし、

 

感覚でいうと、お腹の中心がカチッと留まっていて、心と体と魂が、ちゃんとおさまっている(合っている)感じです。

 

舞い上がっているときは、魂が半分抜けて、まるで幽体離脱しているようになります(わたしなりの、比喩です)。心、ここにあらず、ですね。

 

このカチっとした状態でいると、とても居心地が良いのです。この状態なら、自分から出てくる言葉が何であれ(例えば相手にNOを言うときなど)、何をするのであれ、なんだか上手くいくのだと、思えます。

 

以前はお稽古しているときだけが、このカチッという状態になりやすかったのですが、

 

最近は、教えているときも同じ居心地の良さを感じるようになりました。さらに、お話だけのときは、気が上がりやすいのですが、それも心がけ次第では居心地よく話すことができるようになってきました。

 

「これ、これですよ。」これぞ、わたしが求めてきたもの、これをわかるために、ここまでがあったのだ、とご満悦だったのです。

 

しかし......ガツーンというボディブローは、突然やってきます。

 

まず「ちょっと伝えたくなって。最近、チャレンジしていなくないですか?5年くらい海外に行くくらいの意気込みがないと、井の中の蛙になっちゃますよ。」と、突然のメッセージがやってきます。

 

「へっ?」

 

どこかでは、守りに入っている自分を知っているのか、「これでいいんですよ、満足です」とは返せませんでした。

 

心地良いと思っていたけど、何かが違うらしい......

 

ご満悦だったわたしに、だんだんと疑問が現れてきます。

 

さらに、とあるワークショップに参加したとき、隣の人が背中(心臓の後ろあたり)に手を当てくれたら、まぁ、それの心地良いこと。自分が誰かの背中に手を当てるのも、とっても居心地良いのです。

 

「あれ?この居心地の良さ、勝手に無いものにしていたかしら?」

 

いつの間にか、”無いこと”にしていたものも、あるようです。

 

自分に正直でいることは、大切です。特に、相手の期待に応えることばかりしてきた人にとっては、自分が言いたいことを言い、したいことをする、と意識して行動していくことは、大事です。

 

でも、あまりに「自分に正直でいよう」としすぎると、どんどん内側に埋没していくような感じになるのかもしれません。

 

ちょうど季節は春。冬眠や冬籠りを終えて、新芽が芽吹くときです。変わっていく時期なのかもしれません。

 

というよりも、人は本当は同じではいられないのに、勝手に思い込んでいた”安心”とか”安定”に執着していたのかもしれません。

 

この話はもうちょっと続きがある気がします。それはまた、書きますね。

 

メッセージを送ってくれた人、言葉をかけてくれた人、きっかけを作ってくれた人、みんな、どうもありがとうございます。感謝です。

 

 

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千手観音菩薩の優しさと、教えること

2018.03.01 Thursday

(東京国立博物館内に再現された、仁和寺の観音堂。なんと写真撮影OK。中央が千手観音菩薩立像)

 

「仁和寺と御室派のみほとけ〜天平と真言密教の名宝」展に、行きました。

 

観音菩薩像、薬師如来像、阿弥陀如来像、そして空海の書である「三十帖冊子」などなど、ものすごく豪華です。空海の師である唐の恵果は「真言密教は言葉では伝えきれないから、絵で伝えるとよい」と教えたそうで、それにしたがって描かれた巨大な「両界曼荼羅」も見られます。

 

見どころ満載ですが、この中で特に心に残ったのは、千手観音菩薩像です。

 

展示の中に、観音堂を再現した空間があります。観音堂は僧侶の修行道場のため、一般には非公開なのだそうです。でも今回の展示は、観音堂の改修工事を記念しての開催のため、公開できたとか。実際に安置されている仏像33体、さらにそのまわりを、再現された壁画でぐるりと囲んでいる空間は、圧巻です。

 

中央にあるのは、千手観音菩薩立像です。

 

千手観音は、千の手と、千の眼で、すべてを救うのだとか。

 

人それぞれ、悩みは違います。それぞれの人を、それぞれの眼で見て、それぞれに合った手を差し伸べるという優しさを表現している、と解説されていました。

 

(観音堂の仏像)

 

(観音堂の仏像)

 

ちょっと話が飛躍しますが、それを聞いて、「教えることとは」を、思い出しました。数年前、中国にお稽古に行っているとき、ひとりの先生が話してくれたのです。

 

「教えるときには、それぞれの生徒に何が必要かを、常に見ていくことが大事です。

 

受け取る力、身体の素質、理解能力などなど、人それぞれ条件が違います。教えるときには、多方面から生徒をみて、みんなそれぞれ学べるものがあるように、それぞれに合う(違う)指導方法をしていくことが大切です。

 

そうやって教える中で、あなたもまた、たくさんのことを学ぶでしょう。」

 

この言葉は、今でもとても大切にしています。

 

そして、教えることによってたくさんのことを学ぶのも、その通りです。

 

教えるときは、まず、自分が習って理解した方法、言葉、表現で教えます。でもその結果、「あれ?」と思うことも起きます。想像していなかった光景が目の前に繰り広げられ、「いったい何が起きているのだろう?」と、びっくりするのです。

 

つまり、わたしが理解した方法、言葉、表現では、そのとおりに伝わっていないのです。

 

中国語と日本語の違いもあるかもしれませんが、それだけではないと思います。例えば「踏む」という言葉を、どういう動作として理解しているかは、実は、人それぞれです。

 

そこで、どうやったら伝わるか、いろいろと探ります。表現や言葉を変えたり、理解できるような動作やワークを入れたり、どこでピンとくるかは、人それぞれです。

 

これ実は、とってもありがたいのです。

 

一人でお稽古し続けていたら、自分がわかる世界だけいることになります。それって、独りよがりじゃないですか?教えることによってバリエーションが増えて、わたしだけの世界から、もっと広い世界に行くことができる気がします。

 

このプロセスがとっても好きです。「あれ?」とか、「なんだそれは?」とびっくりするのは、赤ちゃんが初めての体験をするときのようなものかもれません。良いとか悪いとか、そういう事ではなく、単純に新しいことに対する驚きです。

 

人それぞれ、しかも昨日と今日では違いますから、新鮮な驚きには事欠きません(笑)。人はそれぞれなのだと、日々満喫して、味わっているような感じです。

 

お稽古を続けてきても、「わかった!」ことなどほんの少し、世の中のほとんどのことは知らないのですから、常に自分は未熟です。その未熟さゆえに、ちょうど合う眼で見て、ちょうど合う手を差し伸べられないことも、あると思います。

 

そして「教えることとは、これなのだ!」と言いたいわけではなく、これがわたしがやりたい教え方、というだけです。

 

この展覧会には、大阪の葛井寺の「千手菩薩観音坐像」も見ることができます。奈良時代の国宝で、千の手、千の眼、十一のお顔を持っています。千手観音といっても、手が40本、つまり1本が25本分としているものも多く、この像のように本当に千(実際には1041本)あるものは、これだけなのだそうです。

 

手が千本あるにも関わらず、見事なバランスです。じっくり見ていくと、かなりユニークです。手にいろいろなお道具を持っているのですが、ふっくら丸いガイコツ君のような顔をした杖は、「あらゆる神々を受信できる」のだとか。

 

精巧さと、ユーモアさがあいまって、なんとも心惹かれます。

 

生きている間、一本ずつ、手を増やしていくのかしらね。しかし千本とは......なんと、まあ。救われないものは、ありませんね。

 

この展示は、上野の東京国立博物館で3月11日までです。お勧めです!

 

(帰りに見た空。自然の景色は、一瞬として同じときがないことを教えてくれます)

 

 

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神主体験

2018.02.10 Saturday

 

1月15日、ご縁あって、神主体験をさせていただきました。

 

きっかけは、某生命保険会社さんのプロジェクト、Life2.0です。10月頃、偶然SNS上で見つけたキャンペーンで、質問に答えていくと、「あなたにおすすめの仕事は〇〇です」と、出てくるのです。ゲーム感覚ですよね。

 

やってみました。結果は、「神主です。」

 

ほう。へええ。

 

この企画、さらに、「その仕事体験、応募できます」というプレゼント付きでした。場所は川崎、せっかくだから応募して、そのまますっかり忘れていました。

 

12月のとある日、メールが届き、「おめでとうございます。当選です!」

 

そんな経緯で、1か月後、川崎の稲毛神社で、神主体験をすることになりました。巫女さんでもなく、いきなり?神主。いつも外から見ているだけの世界の体験、とっても楽しみでした。

 

 

さて当日。体験時間は、朝の7時から午後3時、8時間です。なぜこんなに早いかというと、朝の祭に参列するためでした。

 

祭というと、縁日のようなイメージでしたが、神主さんは「毎日が祭です」と言うのです。祭には、大小あり、その中の御日供祭(おにっくさい)と呼ばれるものは、毎日のものだそうです。

 

体験者はわたしともうひとり、合計2名でした。上下白の袴姿に着替えて開始です。

 

御日供祭に参列した後、社殿の構造、お供えものの話、お祓いについて、説明してくださいました。

 

社殿は、手前(一般の人がお参りするところ)から見て、「拝殿(はいでん)」「幣殿(へいでん)」「本殿」となります。ご祈祷していただく場合などに一般の人が入るところが拝殿、その先の幣殿は神主だけが入れるところ、そしてご神体が祀られている本殿となります。

 

神道では、ご神体が岩だったり、滝、山、というような場合もあるため、その場合は、社殿には”本殿がない”構造になるそうです。

 

印象的だったのが、お祓いです。大麻(おおぬさ)と呼ばれる、白木に紙垂(しで)とよばれる白い紙と、大麻をつけたものを、左、右、左に振って、罪穢れを祓います。神主さん自身、その場、参列者、そしてお参りに来る方、神社のある地域から、日本、世界に向けて、お祓いをするのだそうです。

 

この、住んでいる地域から、その先遠くまで思いをはせてお祓いすることが、すごくいいな、と思いました。誰も見ていないところで、(誰か見ているかもしれませんが)、こうやってお祓いをしている方々がいるのは、ありがたいですよね。

 

ここから、この日の体験は、朝食、月次祭(毎月15日にする祭)参列、お掃除、昼食、お話、紙垂づくり、記念撮影、と進んでいきました。

 

お話は、神社の現状、神主になるには?、祭、古事記の説明などなど、盛りだくさんでした。最初にいきなり「神主になりたいですか?」と聞かれ、「若い男性の場合、やめておいたほうがいいと思うのですよ」という、なんとも生々しい話から始まりました。

 

「サラリーマンになった後に、神主になろうとすると、お給料水準の問題があって、耐えられないと感じることが多い。これから家族をもって、家も用意して、と思うと、かなり大変。お勧めしません。」と。

 

向いているのは、「女性は比較的、どの年齢でもOK。理由は、午後は早く帰るなどの融通が利くから。男性は、退職した後の選択としては、あり。あとはサラリーマンを経験せずに、最初から神主になる場合は、スタートがスタートだけに、耐えられます。」実感がこもったお話に、「この方はきっと、最初からそうだったのだな」と想像したとおり、その神社の宮司さまの息子さんでした。つまりご実家が神社、ということですね。

 

体験に来るのは、わたしのようにキャンペーンで当たったから、という人ばかりではありません(むしろ、わたしは例外的です)。本気で志している方もいらっしゃるはずですので、こういう話も大切ですよね。

 

神社は、全国に8万社ほどあるそうですが、神主の数は2万人だそうです。つまり、圧倒的に人手不足です。90%の神社には神主さんが不在で、宮司さまが掛け持ちして担当しているのが現状です。そいういえば誰もいない神社、けっこうありますよね。

 

体験した中で、印象的だったことが2つあります。

 

ひとつは、お掃除です。掃除は、神事(お祓い)のひとつとして、大切にされています。今回の体験でも、お掃除のお手伝いをしました。この体験で、ひとつ、意識が変わりました。

 

お掃除は大事だと思ってきました。自分の部屋は、自分の心を表すという言葉もありますし、水回りはきれいにしておきたいですし。でも、一か所だけ「不毛だ」と思ってきたところがあります。玄関先の掃除、外の掃き掃除です。秋の枯葉が落ちる時期は特に、やってもやってもたまります。「やってもやっても、不毛な気がする」と思いながら、やっていたところなのです。

 

でも、掃除は、知らず知らずの間にためてしまった罪穢れを祓い、浄めること、と捉えることで、不毛な気持ちがなくなりました。

 

穢れは、「気が枯れること」。つまり、元気がなくなることです。浄めることは、「気をよみがえられること」と、以前、宮司さまに教えていただいたことがあります。キレイにして、元気を取り戻す、ということですよね。そのために、神社では半年に一度、6月と12月の末日に、大祓の行事を行っています。

 

もうひとつは、古事記に出てくるお話です。日本は神道では、やおよろずの神の国ですので、神様がたくさん現れます。古事記の説明をいろいろしてくださったのですが、その中で、「何もしていない神様、いるのですよ。」とおっしゃるのです。「でも、そういう神様は、存在することに意味がある、と捉えています。」

 

わたしが大切にしたいことのひとつに、「いるだけで良い」というものがあります。ついつい、何かを成し遂げる自分でなければ価値がないと感じてしまいがちですが、そうではなく、存在するだけで、まずは充分なのだとわかることが、大切なベースになると思っています。

 

そんな中、「何もしなかった神様がいる」というのは、なんとも心強いではないですか。神様がそうなら、その子孫であるわたしたちも、存在することに意味がある、と教えてもらっているようなものです。

 

もうひとつ、古事記の最初は、こんな出だしです。

 

「そのとき天と地はいまだ分かれず、まじり合っている状態が無限に広がっていた。やがて天と地とが分かれたとき、天のとても高いところ、高天原(たかまのはら)と呼ばれる天上界に、次々と神が立ち現われた。」

(眠れないほど面白い「古事記」由良弥生 王様文庫)

 

この出だし、無極から太極、そこから陰陽が生まれたという流れにも重なるなぁ、と思いました。神主さんは、「古事記は宇宙の誕生、ビッグバンからの流れで読むこともできます。昔の人の感じる力は、すごいですよね」というような話をされていました。国が違っても、どこか共通するものを感じられるとき、やっぱりもともと、すべてはひとつなのだと感じます。

 

神主体験の最後は、着替えて写真撮影です。ご一緒した方が着ている白い装束は、狩衣(かりぎぬ)。白と色のものがあり、平安時代の公家の普段着だそうです。祭の種類によって、着るものを変えています。頭には烏帽子、足は浅沓(あさぐつ)、手には笏(しゃく)を持ちます。

 

わたしが着ているのは、正服。大きな祭で着るものです。頭には冠をつけるのですが、女性の場合、なぜか前にお花がぴにょーん、とついています。このお花が「ちょっと......」と、遠慮される方も多いそうなのですが、「せっかくなので、ぜひ体験を」という声に押されて、着てみました。正絹で色も美しく、とても貴重な体験でした。この御神社には女性の神主さんがいらして、その方のものを貸していただきました。ありがとうございます。

 

体験して、いろいろ感じるものはありましたが、なかなか言葉にならず、1か月たって、ようやく少し言葉にすることができました。もうちょっと詳しいお話は、先日の自由が丘FMTV「みんみんの陽だまり太極道」でもお話しています。お祓いの、大祓詞の力などについてもお話していますので、よかったらお時間があるときに、見てくださいね。

 

 

お仕事体験は、仕事旅行社のサイトからできます。いろんなお仕事の体験ができるようですので、ぱらぱら見てみるのも、気になったものをちょこっと体験してみるのも、面白いですよね。本格的に、その仕事に進むための第1歩になるかもしれませんし、そうでなくても、知らない世界を体験してみるのは、思っている以上に、感じられることが広がります。何事も、行動あってこそ、ですしね。

 

わたしはキャンペーンで当選する、という面白い流れで体験しましたが、体験して、とってもよかったです。お世話になったみなさま、ありがとうございます。

 

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困ったクセのなおし方

2018.01.31 Wednesday

 

(和歌山の古民家 うえみなみ にて。薪ストーブです。仕事したのではなく、ポーズだけ。)

 

昨日のブログ「考えることと、感じること」の中で、数年前に痒疹(ようしん)という湿疹に悩まされていたこと、あるお医者さんのセカンドオピニオンがきっかけで、ぐんぐん改善したことを、書きました。

 

頭でっかちで、心と体と頭のバランスが悪いこと、だから赤信号なのに道路を無理やり渡ろうとしているから、体に無理もかかるのですよ、というお話のほかに、患者として通うようになったとき、具体的な改善ステップも教えてくださったのです。

 

何かのクセを改善したいとき、もしかしたら役に立つかもしれませんので、ひとつの方法としてご紹介します。

 

痒疹とは、かたくコリコリするような湿疹で、ものすごーく痒いのです。痒くて夜も眠れないときもありました。最初は虫刺されが原因ですが、血と一緒に巡って、刺されていないところにも広がります。わたしの場合、首から下に全部、出ました。

 

対処法は、飲み薬を飲む、塗り薬をつけるという西洋医学的なもののほかに、”搔く”習慣をなくすことです。先生いわく、湿疹は搔いてしまうことで広がり、それがひどくなる原因にもなるのだとか。だから搔かないことが、とっても大事なのです。

 

では、どうすれば搔かなくなるのでしょう?まずは、実態を把握するための調査をします。

 

表を作ります。縦は3列、それぞれに〇間 △匹海撚燭鬚靴討い襪箸 搔いた箇所 を入れます。その下には空欄の行をたくさん作り、印刷しておきます。

 

日付を入れて、その紙を持ち歩き、搔いてしまったら、表に記入していくのです。たとえば、「09:30 会社でメールを開けて読んでいるとき  I」  のように、です。

 

ひたすら記録をつけ、1週間くらいたまると、自分の傾向が見えてきます。傾向が見えてこなければ、さらに続けます。わかってきたら、記録つけは止め、次はその行動をするときに「搔かない、搔かない」と意識するのです。

 

無意識にやってしまっていることを、記録をつけることで意識化して、そこから改善していきます。

 

わたしはこれのおかげで、搔きクセが激減しました。それまでは、良くなったら悪くなる、というように、一進一退だったものが、ちゃんと回復に向かっていると実感できるほど、治りのスピードが加速していきました。

 

そうは言っても、”揺り戻し”はあります。

 

わたしの場合、最初に発症したのは、中国の武当山にお稽古に行っているときで、蚊に刺されたところが水ぶくれになったことからでした。日本で治療して、調子よく治ってきたところで武当山に行くと、また蚊に刺されて、症状が出てきます。

 

「そうなっても、あわてず、やるべきことをやるだけですからね」と、お医者さん。

 

症状が出てきたら(ひどくなってきたら)、飲み薬を日々の量に加えて、1錠だけ臨時で飲むこと(弱い薬なのです)、塗り薬をマメに、薄く、湿疹のところだけにちょんちょんと塗ること(ステロイドは入っていますが、微量です。ステロイドが”悪”なわけでもないのです)、そして搔かないこと、です。

 

中国に行っている状況で、それ以外にできることは、ありません。「できることをきちんとしたら、あとは気にしない」を、心がけました。

 

良くなったものが悪化すると、うろたえます。でも、やるべきことをやって、何度かこんな経験をしていくと、自分の中に「きっと大丈夫」という信頼が出てきます。「どうしてもだめなら、病院に行こう」と思っていましたが、結局、それで駆け込んだことはありませんでした。

 

痒疹を経験したことで、気づいたことは、たくさんあります。自分に無理をさせていたこともそうですし、それを治す過程での自分の行動、心のあり方なども、そうです。

 

だからといって、「痒疹になって良かった」とは思いませんし、体に無理をかけたことは、ひたすら「ごめんなさい」ですけどね。

 

この痒疹を治す過程が役に立ったのは、奥歯を噛みしめるクセを治すと決めたときです。

 

あるとき、歯医者さんに「奥歯が擦れています。寝ているときに、歯ぎしりしますか?」と言われたことで、普段からずっと奥歯を噛みしめていることに気づきました。マウスピースをすすめられて、「でも、それで噛みしめるクセが治るわけではないですよね」と聞いたら、「そうですね。治るわけではないですね」と。「だったら、噛みしめることを止めます」と宣言したのです。

 

このときは、紙に記録はしませんでしたが、気づいたことがありました。朝、目覚めて起きるとき、歯をくいしばるクセがあるのです。

 

これから1日が始まることを、歯をくいしばるほどに大変なことだと思っているのか、と、自分で笑ってしまいました。「目覚めたときは注意!」と意識することで、起き抜けにくいしばることは、ほぼなくなりました(やりそうになって、やめる、という感じです)。(詳しくは、「歯をくいしばって生きなくても、よい」)

 

その後、友人の歯医者さんに、「奥歯が合わさるのは、1日で15分。食事をしている時間を含めて」と、教えてもらいました。ようするに、ほぼ、食べているときしか合わさっていないのですよ。

 

なお、奥歯を噛みしめるクセがある場合、顎関節がカタくなっていて、実は全身の緊張にも影響します。よく聞く緩め方は、割り箸(もしくは、つまようじ)を片方の上下の奥歯で軽く(軽く、ですよ)はさみ、しばらく置いておきます。唾液がじゅわーっと出てきます。片方が終わったら、逆も。これだけで口の顎関節のあたりに、ゆとりのスペースが広がるのを感じられます。おすすめです。

 

 

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(冬の和歌山の海辺で。)

 

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