太極拳とはどういうものか?

2017.08.21 Monday

(64式武当太極拳)

 

「Calling (天職)」という講演会を主催する友人から、「天職とは?」と聞かれて出てきた言葉は、

 

「やらずにはいられず、深めるほどに豊かな喜びをもたらしてくれるもの」でした。

 

これは、わたしにとっての太極拳のことです。

 

続けてきた理由は、前にもブログに書いたとおり、「やりたかったから」です。やりたい、という気持ちだけで、そこに明確な理由づけがあったわけではありません。だからなのか、「太極拳をすることは、どういうことなのだろうか?」と、よく考えます。

 

太極拳のもたらしてくれるものは、健康や人間関係などたくさんありますが、ここではその中で、根底にあるものについて、書いてみようと思います。

 

套路は、”开太极(開太極)”から始まります。太極を開く、です。

 

この世は陰陽という異なる質で、お互いに助け合うものの組み合わせで成り立っています。天地、動静、男女、などです。一日では昼と夜で、朝になって日が高くなる時間は陽が強くなり、だんだん陰が出てきて夜は陰が強くなるなど、陰と陽はくるくると入れ替わります。季節でも、呼吸(陽:吐く、陰:吸う)でも、同じです。

 

太極は、18世紀に書かれた書物「太極拳経」の中で、陰陽の母と書かれています。つまり、太極とは、陰陽というふたつに分かれる前の、”おおいなるひとつ”(大いなる道)です。陰陽という要素と質は持っていますが、ひとつです。

 

”开太极”とは、おおいなるひとつから、陰陽が生まれることでもあります。それは宇宙の誕生とも言えますし、人の誕生にも例えられると思います。

 

生まれた世界は、陰と陽がある世界です。太極拳の套路は、陰と陽がくるくると転換しながら、進んで行きます。それは生きていくことに重なります。

 

そして太極拳は、すべて攻防で、戦い技の連続です。この世では、どの時代にも争いがあることを考えると、套路は現実を反映しているともいえます。

 

でもそれは、争いを上手く勝ち抜くための術を教えているわけではありません。

 

太極拳の最後は、”合太极(合太極)”です。これは、”おおいなるひとつ”に、合一することです。

 

つまり、太極拳の套路は、”大いなるひとつ”から生まれ、陰陽がある世界で、争いがある中での攻防を経験しながら、体も心も深い”静”の状態へと入っていき、”大いなるひとつ”へと調和していく過程を経験するものです。

 

人は、生まれたときは、心も体も柔かいですよね。赤ちゃんの無垢な様子は、”大いなるひとつ”にとても近い存在とされています。だんだん経験を積むにつれて、「これは嫌だ」とか、「あの人は意地悪だ」とか、心も考えも硬くなりがちになります。場合によっては、身を守るために鎧を着ることあります。そしていつの間にか、鎧も自分の一部のようになってしまい、着ていることすら忘れ、もともとの”大いなるひとつ”の状態がわからなくなってしまいます。

 

太極拳は、いらないものをやめていく道でもあります。着こんでしまった鎧に気づいて、それを脱いで、軽くなっていき、頑なになっている心の柔かさを取り戻していきます。

 

その道は、つらく険しいものではなく、とっても穏やかで心地よいのだということは、套路の心地よさが教えてくれます。

 

套路が進むにつれて、自分と空間を隔てている皮膚という境界線が、だんだんと曖昧になり、自分が周りの空間に溶けてしまうような感覚になります。それは、とても心地良いのです。

 

多かれ少なかれ、現実に争いがある世界で生きるときに、”もともとはひとつなのだ”という実感を持って生きることで、見えてくる世界は変わります。それは自分の行動も、自分の在り方にも、大きく影響を与えます。生きる上で、自分の立ち位置がはっきりすれば、選択もしやすくなります。自分の選択を後悔する、という考えが思い浮かぶことも、なくなっていくような気がします。

 

お稽古を続ける理由は、”もともとはひとつなのだ”と思い出す時間を、持ち続けていたいからです。

 

だから、やらずにはいられず、そしてそれは、深めるほどに、豊かな喜びをもたらしてくれるものなのです。

 

All photos by Xie Okajima

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

........................

いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ


問い続ければ、いつかはわかる

2017.08.17 Thursday

 

最近、読み始めた本があります。「老子と太極拳」(清水豊著 ビイング・ネット・プレス 2013年)。

 

太極拳を始めてしばらくしてから、「老子」(中国語の原題は「道徳経」)は、心のよりどころにもなりました。これまで何度も読み返しているこの本は、読む時によって、とらえ方が変わります。「これは、どういう意味なのだろうか」と、常に問いを持って、今の感覚で読みます。

 

道教(*1)の修業者である道士は、これを一生読み続ける、と聞いたことがあります。「読み続けていれば、いつかはわかると信じているから」です。

 

昨年、中国の武当山にお稽古に行ったとき、今の先生の上の先生(武当玄武派第十五代伝人 田理阳 師父)に、5年ぶりにお会いする機会がありました。そのとき「何か困っていることはあるか?」と聞いてくださったのです。あれこれと試行錯誤しながらやっている、と答えたわたしに、「老子を読むとよい。生徒さんにも読んであげなさい」と言ってくださいました。

 

日本でも、「老子」の本はたくさん出版されています。最初に手にしたのは詩人である加島祥造さんの「タオ(老子)」(筑摩書房)です。詩というやわらかな文体のため、はじめて老子に触れる方には、読みやすいと思います。

 

ただ、こういうものは、どうしても翻訳される過程で翻訳者の理解や思想が反映されます。「老子」自体が古典であり、難解であるため、そのまま訳してもわかりにくいからです。

 

それでだんだん、他の方が訳してる本も、そしてシンプルに訳している英語も、いろいろ合わせて読むようになりました。

 

そんな中、今から4年前に「老子と太極拳」を手にしました。ワクワクして中を開いてみたのですが、難しくて、最初の方だけ読んで挫折してしまいました。

 

なぜか最近、この本を開いてみたら.....面白いのですよ、とっても。ところどころ、わかりづらいところもありますし、十分理解しているとは言い難いですが、何より、とっても刺激的です。

 

太極拳に関して、わたしが普段思っていることを、別の表現で言っている部分には、うんうん、うなづきながら読みすすめます。違う解釈をしている部分もあって、それが良い刺激となり、自分なりに考えを深めるきっかけにもなります。著者なりの解釈や考えも入っていますが、ずっと突き詰めて、体験を通して探究してきた方の言葉は、とっても深く、刺激的です。

 

著者の清水さんは、10代から八卦掌、太極拳、合気道など様々な武術を修行され、さらに大学では神道や中国思想の研究を行ってきた方です。なぜ、この本を書いたのかについて、”まえがき”に次のように書かれていました。

 

「中国の武術や気功が、日本に本格的に紹介されて、三十年ほどになろうか。優れたエクササイズは、おおむね移入されたといってよいのであろう。そうした今日にあって、求められているのは、内的な深さであると、わたしは考えている。内的な深さを得るには、どうしても神仙道(*2)の古典の力を借りなくてはならない」(「老子と太極拳」P3)

 

4年前に読んだときは、当時のわたしの体験と知識が、あまりにも稚拙だったのだと思います。たとえば、太極拳の”太極”の意味も、その頃はよくわかっていなかったのです。

 

太極拳という名称があまりにも有名すぎたせいか、太極拳を始めてから5年くらいは、”太極”の意味を疑問に思う機会がありませんでした。

 

それから「太極って、どういう意味なんだろう?」と問いを持ち始めました。

 

話を聞いたり、文献を読んだりもしました。でも何よりも、お稽古を通して、先生から教わること、そして自分で感じることからも、だんだんと理解していったと思います。あくまでも、今の自分なりの理解ですが。

 

山登りから見える景色と同じですよね。五合目まで登った人に見える景色は、八合目にいる人が見ている景色とは違います。五合目なのに、八合目の景色を見たいと願うのは無謀ですよね。4年前は、そんな感じだったのだと思います。

 

だから今、「面白いっ!」と思って読み進められることが、とっても嬉しいのです。

 

そして「問い続ければ、いつかはわかる」ことも、実感する機会になりました。

 

もちろん、まだまだ道は半ばです。わかっていないことも、たくさんです。全部をわかりきることなど不可能だと知りつつ、「自分は知らないのだ」を基本に、でも、少しずつわかっていく過程がとても楽しいのです。

 

著者の清水さんは、”まえがき”に次のようにも書いています。

 

「古典が古典として残っていくためには、それが読みつがれていく必要がある。(中略)時代に左右されることなく、常に価値を見出すことができるもの、それが古典なのである(中略)しかし、なかなか手に取りにくいのも事実である(「老子と太極拳」P3)

 

その理由のひとつとして、「いまの時代には合わないような内容も書かれている」(「老子と太極拳」P4)と言っています。

 

太極拳という伝統も、同じです。時代に合わない部分もあり、時代に左右されることなく価値を見出すことができるものでもあります。教えることも、常に試行錯誤です。みんなが今の生活の中で、伝統が伝えるものを享受できるように、やるもの、やらないもの、足すもの、を、生徒さんの様子を見ながら、決めていきます。

 

太極拳で得られるものは、たくさんあると思っています。健康な体、心身のバランス、落ち着いた心、円満な人間関係などなど。

 

時間をかけて得ていく感覚は、今の時代の人には必要だと思っているため、効率的に学べるようにしたいわけではありません。でも、わけもわからず「とにかく続けて」だけでは、ちょっと乱暴すぎます。どこかに良いバランスがあるはずです。

 

まだまだこれからです。でも、その過程が楽しいのですよ。

 

 

(*1)道教:古代の神仙思想を母体に、陰陽五行説、老荘思想を加え、さらに仏教の影響も受けて組織化されたもの。中国の武当山は、道教の聖地のひとつで、武術(武当拳=内家拳:太極拳、形意拳、八卦掌)が発達した場所。

 

(*2)神仙道:仙人となり不老不死をめざすこと。現代のわたしなりの解釈では、「一生をかけて青春を追い求める」。

 

 

(Photo by Xie Okajima)

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

........................

いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ


天人合一

2017.08.16 Wednesday

 

(中国、武当山 雷神洞)

 

館山(千葉県)にある友人の久保晃子さんのおうちを訪ねたのは、8年前のことです。

 

右は海、左は山という、自然に開かれたおうちです。家が建ったときの出来事を、先日ブログに書いてくれました。

 

家が建ったばかりの頃は、ガラス戸によく鳥がぶつかって、小さなカワラヒワくらいだと気絶してもまた目を覚ますけれども、大きなキジバトは即死だったとか。しばらくそんなことが続いて、数か月すると、そんな事故も起きなくなったそうです。それを「鳥たちの方が、認識してくれたんだと思う。ここには、家が建ったんだ、って。」と書いていました。

 

素敵な文章ですので、ぜひこちらから読んでみてくださいね。おうちの写真も、載っています。

 

 

これを読んだとき、思い出したことがあります。

 

裏高尾に行ったときのことです。ここは登山客も少なく、静かなところです。

 

山のガイドをしている友人と一緒に行ったため、ちょっとしたワークをしながら歩きました。そのひとつに、「目にとまったものをじっくり見て、それになってみて、”それ”から自分を見てみる」ことがありました。

 

ゆらゆら揺れる小さな草が目に留まり、しゃがんで一緒に揺れてみてから、”それ”になってみると......いきなり「じゃま」と言われた気がしました。

 

えっ?と驚きつつも、それはそうだ、と思ったのです。わたしがそこにしゃがんだことで、草は日陰になってしまいました。さっきまで太陽の光が注いでいたのに。すみません......。呆然として動けずにいると、しばらくして草もその状態になじんできたような気がしました。そして「いいよ、そこにいても」と言われた気がしたのです。(このときの話は、こちらの過去のブログから)

 

裏高尾に行くときに、”両界橋”という橋を渡ります。文字通り、”人間の生きる場所”から、”動植物の生きる場所”に、足を踏み入れる感じがあります。わたしは車で通ったことがあるだけですが、自転車や徒歩で渡ると、空気が変わるのを感じる人もいるとか。ここを通るときは、「おじゃまします」という気持ちになります。

 

山や森などの自然の中に身を置いて、わたしが学んだことは、自然は人間を癒すために存在しているわけではない、ということです。

 

何もなかったところに家が建てば、鳥はぶつかります。人間が住んでいないところに足を踏み入れると、その場の環境は変わります。だんだんと慣れて、それが日常になります。お互いの自然な営みが共存できるようであれば、そのまま続くでしょうし、里山のように発展もあるかもしれません。どこかに負担がかかれば、共存は難しくなり、何かが崩れていくかもしれません。

 

中国の思想に、「天人合一」というものがあります。天、人を対立するものとせず、本来それは一体のものであるとする思想、あるいはその一体性の回復を目指す修養、または一体となった境地を天人合一と呼んでいます(出典:「世界大百科事典 第2版」)

 

天とは、宇宙とも読み替えられます。宇宙は天地、陰陽でいうと、天は陽、地は陰です。その天地をつなぐ存在が、人間のような気がします。

 

だから、立つときには、天地をつないでエネルギーをぐるぐる回しているような感覚になります。立つときも、動くときも、そうです。

 

太極拳を含めたカンフーで体を使うこと、動くことは、天と人の一体性(それを、太極とも言うと思います)につながる修練で、ちょんちょんと、その境地に触れているような気がします。

 

木々を見てきれいだと感じるならば、そのわたしもまた、きれいなのだと思うのです。もっと言うなら、きれいでもそうでなくても、それはどうでもよく、その価値は、等しくあるのだと思います。一方的に自然が人間を癒すというのはなくても、お互いの存在がお互いを支えていることは確かで、それは”癒す”と言い換えても良いかもしれません。

 

それにしても、友人とは不思議な存在で、同じようなことを、違う場所で違う経験で感じていたりします。共有してもらうことで、自分の中にある思いも、より深く豊かなものになります。ありがたいです。そんなことを、もっと遠く、広く、共有していけたらよいな、と思いながら、自分の日々の営みを続けていこうと思っています。

 

あっこちゃん(と、わたしは久保さんを呼んでいるのです)、ありがとうね。

 

(武当山の朝日)

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

........................

いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ


自由が丘FMTV「みんみんの陽だまり太極道」過去の放映記録

2017.08.14 Monday

自由が丘FMTVの「みんみんの陽だまり太極道」(第2/4 金曜日 18:00-19:00)の過去放映分は、こちらからご覧いただけます。

 

 

 

☀10月13日:アニマル進化体操:最近受けたボディワークの体験

背骨の進化過程、卵→魚→へび→ワニ→チーター→ゴリラ→人間(マサイのジャンプ)が、自分の体の中にあることに気づいていくことで、もっと体を使える可能性を引き出していくことを、お話しています。

 

☀9月22日:武当山での日々

9月にお稽古に行った武当山での日々の生活、体験や感じたことを、お話しています。

 

☀8月11日:武当山のご紹介

「山の日」の祝日にちなんで、いつもお稽古に行っている武当山のご紹介を、写真をたくさん入れてしています。そこで暮らす人々との触れ合いの中で感じたことなども入った、オリジナルの観光ガイドです。

 

 

 

 

☀7月28日:太極の意味

みんなが知らない「太極」の意味を、お話しています。

 

 

 

 

☀7月14日:熊野への旅

訪れた場所、そしてそこで出会った方から感じた”生き方”など、写真をたくさん入れながらお話しています。

 

 

 

 

☀6月23日:自己紹介

太極拳を始めた経緯、そこから感じたこと、学んだことなどを、お話しています。

何かを始めること、続けることなど、迷っている方にはヒントになることもあるかもしれません。

 

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

........................

いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ


武当山の紹介

2017.08.11 Friday

 

今日、8月11日は、「山の日」です。

 

ちょうど自由が丘FMTVの「みんみんの陽だまり太極道」の放映日でしたので、「山の日」にちなんで、武当山のご紹介をすることにしました。

 

武当山はどこにあって、どうやって行くのか?から始まり、世界遺産に指定されている古代建築群(道教寺院)、わたしがお稽古に行く南岩の見どころ、山頂への道、そしてお茶や音楽、書などの文化のご紹介まで、たくさんの写真を入れながら、お話しています。現地の方に教えてもらった話や、あちらでのエピソードなども、入っていますよ。

 

何度も通っているところで、良く見ている風景ですが、それでも見るたびに違う顔を見せてくれるところは、「この瞬間は今しかないんだ」、ということを、強く感じさせてくれます。

 

自然の景色というのは不思議で、何度見ても、長く見ても、見飽きることはありません。温度、光、お天気、いろいろな要素によって、どんどん変わっていくのが、わかりやすいからかもしれません。

 

本当は、室内であっても同じで、今、この瞬間は今しかないのですけれどもね。

 

自然の中に身を置くことで、それを忘れずにいさせてくれます。

 

何はなくとも愛しい故郷。そんなことを思わせてくれる場所です。

 

お時間があるときにでも、よかったら見てみてくださいね。ちょっとした観光ガイドを楽しめるかもしれません。

 

 

また、この映像で使った写真は、Facebookに解説つきで掲載しています。こちらもよければのぞいてみてください(Facebookアカウントがなくてもご覧いただけます)。

 

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

........................

いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 

 

 

 

 

 

 



calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< October 2017 >>

selected entries

categories

archives

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM