站とう功(たんとうこう)

2015.04.17 Friday





















站樁功(たんとうこう)とは、中国武術の基本的な練習のひとつです。
足を肩幅に開き、腰を落として膝を緩め、腕は木をかかえるように胸の前で丸く円を作ります。
站は「立つ」、樁は「杭」という意味で、座る座禅に対して、立禅とも言います。
これにどのような意味があるのかを、書いてみようと思います。

「站樁功は30分やりなさい」と、よく聞きます。
根気も慣れも筋力も必要になるため、最初は5分でも良いと思いますが、
30分には理由があります。

中国武術には、上虚下実(じょうきょかじつ)という言葉があります。
下を充実させ(=実)、上を空にする(=虚)です。
站椿功も、上虚下実です。つまり下半身の筋肉を使うため、
15分たつと太ももが震えてきます。縦揺れ、横揺れ、が来て、
しばらく耐えていると、ぴたっと震えが止まります。
この震えは、グリコーゲンが足りなくなることからくるそうです。
「足りないぞ!」と感知すると、体が不足を補充しようとして働き始めます。
補充が終わると、震えが止まります。
30分ですと、ちょうどこれが2回きて、それが1セットになります。

站椿功で使われる筋肉は、「緊張筋」です。太極拳でも同じです。
鍛えても筋繊維が太くなりにくく下半身に多く赤い色をしているため、赤筋とも呼ばれます。
抗重力筋とも言われ、重力に対して体をしっかり一定の姿勢に保つための筋肉です。
「緊張筋」と言われる理由は、緊張していることを感じにくいからだそうです。
立つときにいちいち緊張を感じていたら生活しづらいため、都合よく鈍感になっていると思います。
これに対して、上半身に多いのが「相性筋」です。
白い筋肉で筋繊維が太くなりやすく、力こぶは、これです。



「緊張筋」は、日々コツコツと鍛える必要があります。
お年寄りが風邪などでしばらく寝たままになると、あっという間に弱ってしまう、というのは、
この「緊張筋」がやせ細っていくからだそうです。

站椿功でも太極拳でも、「放鬆」(中国語読みでファンソン)、という言葉をよく使います。
リラックスとか脱力と説明されることが多いのですが、本当にリラックスしたり脱力したら、
人は立っていられないため、実際にはちょっとニュアンスが違います。
「緊張筋」がうまく使われ、下半身がパンっと張っていて、
「相性筋」は緩んで緊張していない状態、だと思います。
站椿功を30分やるために、たとえば腕を体の前に丸く置き続けるのに、相性筋を使っていたら
疲れ果てて維持できません。維持できないことは自然にやめるしかないため、
長く続けることで、ふさわしい筋肉を体が探り、育っていく、という感じがします。

「相性筋」と「緊張筋」は、動く仕組みも違います。
大脳の命令ではたらく「相性筋」に対して、「緊張筋」は脊髄神経にコントロールされており、
無意識に動く筋肉です。いろいろ考えて指令を出さなくても立てるのは、脊髄神経によって自動的に
体を支えるように筋肉が使われているからです。
「緊張筋」を使うことにより、失われた本能をよみがえらせる、と言われています。
太極拳をやっていると、自動で動いているような感覚があるときがありますが、これは実際には
「緊張筋」をうまくちょっと動かしているのだと思います。

中国武術には、「静功」「動功」という区分があります。
動かないものが「静功」、太極拳のように動くものを「動功」と言ったりします。
「立つ」は動かないため「静功」に分類できますが、
座禅にくらべて下半身の充実感が強いため、静が極まって動となる、という、
限りなく動に近い静だと、わたしは思っています。
だから站椿功を練習することは大事で、でもこれだけでは足りなく、太極拳などの動功も必要になります。

站椿功の形は単純ですが、奥が深いのは、このような理由によります。
年数がたつにつれて、筋肉は育っていきますし、自分の感覚も変化、発展していきます。
今回は物質的な説明で長くなってしまいましたので、
わたしが站椿功で得た感覚などについては、また次の機会にご紹介しますね。


(武当山。龍がのぼっていくような雲の形が好きな一枚です。)
 

太極拳という武術をやる理由

2015.04.09 Thursday




「太極拳も気功も、武術です。それを忘れないようにしなさい。」と、
ずっとおっしゃっていた先生がいらっしゃいます。
去年、半年ほど教えていただいた李先生です。

先生は、「気功も、中国の公園などでも多くの人がやっていますが、
ぼんやりやっている人が多く気分は良いのでしょうが、武術として考えた場合は
あまり意味がありません。」とおっしゃいます。
そして、「使えないものは意味がない」ともおっしゃいます。

この教えを、わたしもすごく大切にしています。

わたしにとって太極拳は、調和のためのものです。
自分から攻撃することはなく、攻撃を受けた場合、相手も自分も傷つかずに、
戦いを終わらせるためのものです。
だから、武術です。
危機的な状況に立たされても、まず心を落ち着けることが大切で、
自分の体を丁寧に扱うことも大切です。
生きるか死ぬかの状況で自分の体を雑に扱えば、動きも雑になり、
倒されてしまうからです。

太極拳はゆっくり動きますが、それは心を落ち着けながら自分の体を丁寧に
使う練習をするためです。
慣れないと、体を雑に扱ってしまいます。
ゆっくり動くことで、丁寧に扱うことに慣れていきます。

「ゆっくり動くのは、早く動くためです」とおっしゃる先生は多いのですが、
ゆっくり動いて自分の体を丁寧に扱うことに慣れれば、
いざというとき、早く動いても雑にならない、
ということだと思います。

体を丁寧に扱い、心を落ち着けて、心も丁寧に扱うことは、
自分を尊重することでもあります。

自分を尊重して、信頼できている人は、そばにいてもとても居心地が良いです。

争わずに平和でいることを理想としても、現実に争いは起きています。攻撃されることもあります。
平和を求めつつも、実際にはそうではない世界だからこそ、武術が伝えられてきていると思うのです。

環境が平和だから平和な人になる、ではなく、
そうではない要素がある環境だから、まず人が平和になって、環境を平和にしていくような気がします。
そのために自分を尊重するのだと、そしてそのために自分の体を丁寧に扱う練習をしているのだと
思います。
そしてそれは、他人を大切に尊重することにもつながり、平和な世界につながっていくと信じています。



(2014年5月、李先生と。中国でも珍しい四節八極拳の伝承者です。)

生徒の準備ができると、先生が現れる

2015.03.07 Saturday


(武当山の朝)

半年ほど、日本では太極拳の先生についていませんでしたが、
昨日からまた!先生が現れました。

うきうき、ワクワク。

先生がいない間も、いろんな良き出会いがありました。

整体の先生と、体の構造からみた太極拳の動きを研究してみたり、
ボディワークをされている先生に、すごく大事な基本的な体の動きや心の持ちようを習ったり。
ずっと太極拳の先生がいたら、この方たちに習うことはなかったかもしれないと思うと、
これはこれでよかったのかもしれないな、と思います。

迷いながら、わたしの道を探る中で言われたのが、上の言葉。
「あなたの準備ができたら、先生は現れるよ。そういうものだから」

昨日から習い始めた先生は、偶然にも、去年の5月まで約半年間習っていた李先生
(今は中国にいらっしゃいます)にも習った方。李先生は中国でもめずらしい四節八極拳
の伝承者であり、日本にいらっしゃるのは数年に1回で、とてもまれです。
ふたりとも李先生に教えていただいたことがわかったとき、
先生は「うわー、ちゃんといい先生に習っているね」と。

7年ほど太極拳をやっていますが、ずっとひとりの先生に習うことはありませんでした。
でも、その時々で先生方からはすごくちゃんと教えていただいたと思うのです。
「全然だめ〜」と言われたことも何回も、何人も、ですが(笑)、そのときのわたしに必要な先生が
現れて、それぞれ大事なことを教えていただいたと感じています。先生としての愛情のような
ものを、今でもすごく感じています。ありがたいです。

いろんな先生からの言葉、あり方、動き、などたくさんのものが、わたしの中に刻み込まれて、
育っていっています。同じ映像が何度も出てきて、そこから更に学んだりすることも何度もあります。
感覚がだんだん変わっていくこともあります。
良い先生に習うことは、一生の宝です。

今回の先生も、実は1年ほど前に著書を読んでいたのです。でも、そのままでした。
先日なんとなく読み返してみたら、
「すごいっ、この先生、習いたいっ!」と。
ぴんときたこと、そしてお稽古場が家から遠くないこと、すべてがタイミングよく合いました。
これが「準備ができたら。。。」ということなのかなと思います。

先生は陳式がご専門なので、わたしが主にやってきた武当太極拳とは門派が違います。
違う門派でやってきた生徒を敬遠する道場もある中、先生はわたしの武当太極拳を見て、
「(ここで教えることを)足していけますよ」と、おおらかです。
そして「太極拳は特有の動きをしているのではなく、一流の運動選手の場合は
同じような体の使い方をしているんですよ。特別なものではないんです」ともおっしゃいます。

同じ人間が体をつかってやることだから、方法は違っても、目指すところは同じだったりします。
通る道が違う、というイメージ。海沿いか、山か、森がいいか、は個人の好みで、
到達するところは同じなのかな、と今は思っています。

わたしにとって武当拳は、動きだけではなく、背景にある哲学も含めてとても大切なものです。
その伝統は大切にしつつ、門派にこだわらずに広くチャレンジしていきたいと思っています。

先生は「太極拳は動きだけじゃない。いろいろ意味がある。わたしも去年、やっとこれがわかってきてね。。。」
とおっしゃいます。功夫(カンフー)とは、時間をかけて熟練していく人、という意味です。
やってもやっても、まだまだ学ぶことがあるのが、カンフーです。だから好きです。
どんなになっていくのかな。わくわく。

そして冒頭の話をしてくれた方がおっしゃったもう一言。
「先生の準備ができたら、それに合う生徒がくるんだよ」とも。
それもちゃんと、心にとめていこうと思います。

すべての出会い、偶然のような必然にも、感謝しています。












(大好きな李先生と。先生の話は、また次の機会に)
 

優しさの循環

2015.02.28 Saturday



「君は、太極拳がホントに好きだねー」

中国にお稽古に行くと、先生やお稽古友達によく言われます。
みんな、笑いながら。

もうひとつ、すごく好きなことがあるのです。
みんなで一緒に太極拳をやることです。

だから教えている時間も、すごく楽しい時間なのです。

生徒さんの真剣に取り組む姿、やわらかい笑顔、
みんなが作り出す、静かで穏やかな空間、
そこには優しい”気”(と言ってよいかどうかわかりませんが)が循環している気がします。
太極マークのように、ぐるぐると、何かひとつに支配されることなく、優劣もなく、です。


(自由が丘のクラス)

クラスは、双方向のコミュニケーションです。
わたしは先生という役割で登場しますが、クラスは生徒さんと一緒につくるものだと感じます。
わたしなりに目標や方向性は定めていますが、それは芯というかベースの部分で、
そこに広がりを作っていくのは、どんな生徒さんがいらっしゃるかで変わってくると思っています。
だからこそ、”予測不能”で、楽しいのです。

わたしにとって太極拳は、自然との交流、地球との交流でもあります。
空の下、大地に立って動くことで、わたしは大地や天から気をもらい、
自分からも大地や気に気を渡します。
ぐるぐると、自分と自然、地球の間で気を循環させているイメージです。
地球と共に呼吸して、共に生きていきます。

そしてみんなと一緒にやる太極拳は、みなさんとの交流が生まれます。
生徒さん同士、わたしと生徒さんの間で、循環が起こる気がするのです。

太極拳は、頭で考えることをお休みして、”今、このとき”に集中します。
「今日は同じ動きをじっくり練習できたのが楽しい」とか、
「何も考えないで集中してできる時間があるのがいい」という感想も、よく聞かれます。
まずは自分のことに一生懸命なので、他人を気にしている暇もありません。
でも、お互いの存在を無視しているわけではなく、なんとなく繋がっているのを感じるのです。
グループで練習するとき、”そろえてやろう”と意識しなくても、なんとなくまとまっている、
ということもあります。

太極拳は、いきなり始めるのではなく、
まず自分自身のバランスを取ります。それから天地、自分の周りの空間と自分の調和をはかります。
それから始めます。
わたしはこの、”動きのない時間”が好きで、大切にしています。
”最初が肝心”とよく言われますが、それは、動く前から始まっています。

調和を大切にしながら、平和な空間を作っていきます。
ひとりでもできますが、みんなと一緒はもっと楽しいのです。


(中国、武当山にて。武当太極拳64式を習っているところ)

わたしと一緒に太極拳をやってくださるみなさん一人ひとりに、ありがとうと、
お伝えしたいです。
そしてわたしの太極拳を見てくださる方にも、
心から、感謝をこめて。


(中国、武当山にて。一緒に武当太極拳64式を習った3人。
一番下の人は、今は先生をしています。)
 

聴覚障がいの方への太極拳講座

2015.02.10 Tuesday



2月9日、東京都の聴覚障害者連盟高齢部のみなさんに、はじめての太極拳講座を実施しました。

寒い日にも関わらず、70名を超える方にお集まりいただきました。

「私にとって太極拳とは、自分らしい人生を生きること。大地に根を張る樹木のように、流れる水のように、
しなやかに力強く。体も心も緊張せずに自然なまま、穏やかに流れにのって生きていきたい。」という話から、
実際に楽に立てる立ち方、呼吸、大地に根を張るストレッチ、太極拳の体験と、盛りだくさんです。
イメージを使うことで、見た目の形は同じでも、自分の体感が全然変わってくる体験もしていただきました。

聴覚障がいがある方々のため、お話は手話通訳さんを通じてのコミュニケーションです。
でもわたしの一言一言に、そしてやってみる一つひとつの動作に、みなさんの反応がダイレクトに伝わってきます。
「聞く」という姿勢、そして「伝える」という姿勢がすごく強いのです。
それはわたしにとってすごく居心地のよいスペースでした。

前に違う場面で感じたことを思い出しました。
わたしたちが「聞く」とき、耳で聞く=頭で聞いてしまいがちになることがあるような気がします。
頭ではなくて「全身で聞く」ことで、もしかしたら聞こえてくるものが変わってくるのではないのかしら?

聞こえてくる言葉だけではなく、相手の表情、身振りや手振り、全身から伝わるものすべてを、「聞く」。
話すことは、伝えるだけではないのだと思います。
自分にとって大切なものを共有したいし、味わってほしいから。
伝えた相手自身の体験として、何かを感じてほしいから。

今回の講座では、耳で直接私の言葉を聞けない方々でしたが、
「その場を共有している感」は、すごく感じたのです。
「全身で聞く」ことを実践されているからなのかな、と思いました。
これは、わたしの言葉すべてに納得してもらうのとは違うのです。
たとえば水が高いところから低いところに流れるイメージの話もしたのですが、
「健常者とちがって、聴覚障がい者は水のイメージはわかりにくい」という反対?意見もありました。
(「わたしはわかるよー」という別の意見も出ましたが)。
お互いに全身でコミュニケーションをとっている状態だと、
違う意見が出ても、それはそれで良いのです。
わたしの話を理屈で理解するより、「これ」とか「なんか違う」という
自分の実感を大切にしてほしいと思っているからです。

この講座をする1か月前、新年会に呼んでいただいて、太極拳の話と短い演武をしたときも、
同じようなことを感じました。
そのときは100名を超える方がいらしたのですが、会場のあちこちで、わたしの動作を真似している方々が!
しかも、ニコニコ。うれしくって自然に体が反応している、という感じなのです。

右端の方に注目!











こちらも。


そして、気配りもすばらしいのです。
わたしが何か探したりしていると、すぐに誰かが気づいてくださる。
お片付けを一緒にやっていると、「いいよ、いいよ」とすぐに言ってくださる。
これも全身に意識がある、全身で聞く、という現れなのかな、と。

聴覚障がいであることには、いろいろと難しいこともあるようです。
講座後、一人の方が「聴覚障がいだとバランスを取るのが難しくて、
人によっては片足立ちができないんですよ」
と教えてくださったり。講座当日の日経新聞の夕刊にも、
聴覚障がいの方が感じるストレスについての記事が出ていると、友人が教えてくれました。
手話通訳さんは、「何かあったときに助けを求めにくいから、
みんな健康にはすごく気を付けているんですよ」とおっしゃっていました。

講座は「普段冷え症なのに、体があったまった」とか、
「また習いたい」といううれしい感想もいただき、
今後も続けて開催できるように、相談していきたいと思っています。
私もみなさんの特性を尊重しながらの手さぐり状態ですが、
穏やかな人がひとりいると、10万人が救われるという言葉を信じて、
自分もまわりにも、穏やかな人が増えることをしていきたいと思っています。

余談ですが、この講座、実は友人と太極拳をやっているときのランチタイムに、
事務局長さんとお隣になったことから
つながって開催されました。お稽古着でランチしていたら
「何をやっているんですか?」と声をかけていただいたのです。
偶然です。偶然はすごいですね。

最初の写真は、参加された方からのプレゼントです。
「太極拳とは自分の人生を生きること」という話に感動して描いた、と伝えてくださいました。
なんと、美人さんじゃないですか。うれしいです♪
 


calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2019 >>

selected entries

categories

archives

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM