武当太極拳が大切にしている精神

2015.06.14 Sunday


(武当山にある道教のお寺、紫霄宮。世界遺産)

武当拳(太極拳、八卦掌、形意拳、気功)の発祥の地、武当山(中国、湖北省)は、
道教の聖地のひとつでもあります。

武当拳は、道教哲学をもとに成り立っています。
今日は道教が大切にしている精神について、主な4つをご紹介したいと思います。

背景にこの精神があることが、わたしが武当拳を選んでいる理由でもあります。

【道法自然】
老子の「道徳経」にある文言で、自然に従うことです。
平和で流れに抵抗して何かをしようとしないことは、道教の自然、社会、人生に
対する基本的な姿勢であり、原則でもあります。

今やるべきことに集中する、とも言えます。
武当山にいるときに、この言葉の意味を食事中に先生にきいたとき、
「今は、それを聞くときじゃないよ。しっかり食べるときだから」と
言われたことがあります。

【保合太和】
人と自然はひとつであり、自然の法則を敬うこと。
人の間の調和、体と心の調和を大切にすることです。

武当太極拳の最初にも、自分のバランスを取り、天地と周りのスペースとの調和を
取る、という動作(動きませんが)があります。

【上善若水】
老子は、地球上でもっとも柔らかいものが、もっとも強いものに勝つ、と言います。
それが水です。
水は高いところから低いところに、岩があれば形をかえて避けて流れます。
無理やり何かをしようとしませんが、長い時間をかければ、岩をけずったり、穴をあけることもできます。

武当拳は、柔をもって剛を制す、と言います。やわらかい水の持つ力にならっています。

人の体の60〜70%も水であることを思うと、生きるときに、水の質を活かすことは、できるはずです。
そして、地球も70%が水であることは、人と自然が呼応していることを感じさせてくれます。


【重人貴生】
人を敬い、今の人生を大切にすること。
来世ではなく、今の人生を大切にします。

現世で苦行すれば、来世が良い、というような考えではありません。
ですから、今の体、今の心を大切に扱います。

道教は、幸せに生きること、長寿(不老長寿)、豊かに生きることを求めています。


このような道教哲学を背景に持つ武当拳は、血流を良くし、筋肉の無駄な緊張を取り、
呼吸を安定させ、五臓を育て、体と心を再構築するものです。

武当山に暮らす武当拳を学ぶ人々は、心穏やかで、争わず、自然と調和して生きています。
自分の体と心を大切に、そして他人も大切に、自然も大切にしています。とてもシンプルです。

道教は宗教のひとつですが、わたしは信仰というより、自然に生きること、
自然崇拝の考え方を、尊重して大切にしています。
いろいろなことがありますが、流れに逆らわず、自分もまわりも大切にして、
水が流れるように生きていきたいと思います。
 

太極拳というコミュニケーション

2015.06.07 Sunday














太極拳をやっていることで、そこからいろいろな交流が生まれることがあります。
わたしはこれが、とても好きです。

先月、中国の武当山にお稽古にいったときにも、そんなことがありました。
早朝、ひとりでお稽古をしていると、向こうにもお稽古をしている方がいらっしゃいます。
お稽古を終えて帰ろうとその方のそばを通ったら、声をかけていただいて
ちょこっとお話をした後、お互いの太極拳を見せあいっこすることになりました。
結構なお年の方だったのですが、上手だな、良いな、と思っていたら。。。
その後、朝食に行くとこのおじさまと再会し、朝食テーブルに招いていただきました。
8名くらいの団体さんで、観光にいらしていたようです。
「日本人なんだね。よく練習にくるんだ」「何年やっているの」なんて話をしながら、
「卵もどうぞ」とすすめられ、パクパクいただくわたし。
「謝謝(ありがとう)」と言うと、「お礼は老師(先生)にね」と
言われた先には、ニコニコ微笑む先ほどのおじさま。
どうりで上手なはずです。

東京でも、公園で練習していると、声をかけられることがよくあります。
わたしはもくもくとお稽古しているので、ある意味、みなさん勇気ある行動かもしれません(笑)。
「きれいね」と言って見ていってくださる方、「それは何ですか」と聞いてくださる方、
「教えてください」とおっしゃる方、悩み相談に発展する方など、いろいろです。

幼稚園のお子さんが先生に連れられてきたときに、
「あっ!昨日、ウルトラマンショーに出ていたよね、ねっ、ねっ」と
満面の笑みを向けられたこともあります。
あまりの可愛さに、つい「うん」とウソをついてしまいました。
さて、わたしは何の役だったのでしょう?

バサッと音が出る扇の練習をしていたときには、サッカーをやっている小学生の
男の子たちが、ちらちらと見て、ついに近寄ってきました。
「やっていみる?開くときは、手首を振らずに、お腹の力を伝えて開くの」
と言うと、こぞって挑戦!「えー」「違うよ」「俺、できた、できた!」と
大騒ぎ。楽しかったです。

そんな中から生まれたクラスもあります。
あるとき、お稽古着のままお昼ごはんを食べていたら、
隣に座った方が「何をされているんですか?」と声をかけてくださり、
太極拳とお答えすると、「教えていただくことはできますか?」と。
偶然がつないだご縁です。
それにしても、なぜわたしが教えているとわかったのかは、今でも謎です。。。

太極拳は、わたしの人生そのものです。
そしてこれは、わたしの一番の表現方法でもあります。
「これが今のわたしです」ということを、名刺でも、肩書でも、職歴でもなく、
動くことで表現して、そこから生まれる交流が、とても好きです。
小さいことでも、それはとても大きく、大切な経験です。

今のように思うようになるまで、悩んだこともあります。
太極拳は、自分のためにするもので、人に見せるものではない、という考え方もあります。
「外でやるときは派手に、本当の練習は部屋にこもって扉を閉じて、小さくやる」
という話もあります。
大会にでること、パフォーマンスをすることに否定的な方もいらっしゃいます。
それはそれで理解できる部分もあるだけに、わたしはどうしていきたいのか、
自分でわからなかった時期もあります。

今でも、人に見せること自体を目的にはしていませんが、
「わたしはこれが好きなのです」を体で表現していくことは好きです。
ですから、見ていただける機会は、体験していただくことと同じように、うれしいです。
言葉ではない、コミュニケーションだと思っています。
それは、対人だけではなく、地球、自然との交流でもあります。

以前、中国の先生が、「自分も気持ちよくて、見ている人も気持ち良いのが
良い太極拳」とおっしゃっていたことがあります。
これは、その通りだと思います。

「好き」を循環させること。
太極拳を通してコミュニケーションができることは、
わたしにとってはうれしく、大切なことです。












(中国、武当山)


(武当山。手のひらに太陽を載せてみました。みんなで大笑い。)
 

武当山日記: 大地とつながり、天と生きる

2015.05.31 Sunday


(清風子師父。武当玄武派第十五代伝承者)

武当山には、時々ヨーロッパから、太極拳ツアーの団体が訪れます。
今回もフランスから、そして上海にいるイギリス人たちのグループ総勢25人が、
1週間滞在していました。

太極拳発祥の地という説もある武当山で、有名なカンフーマスターのお稽古を受け、
世界遺産にも登録されているお寺をめぐるという、盛りだくさんの夢のような1週間です。
目玉のカンフーマスターが、わたしの先生(明月師父。武当玄武派第十六代伝承者)の兄弟弟子
だったため、団体さんにはじめてお話をする最初の晩、はじっこに同席させていただきました。

清風子というお名前の、同じく武当玄武派第十五代伝承者です。大会に出たら金メダルをとる実力者で、
しかもハンサムという有名人です。今は北京で学校を開いていると聞いています。

武当山とそこでうまれた武当拳の話、ご自分が武当山で学んだことなど、
いろんなお話をしてくださったのですが、その中で今のわたしの心に残った話をご紹介します。

站椿功(立禅)は、ひたすら立つという地味な練習ですが、すごく大切です。
たとえば30分、ちょっと腰を沈めてずっと立つため、足の筋力も必要ですし、忍耐力も必要です。
これにどんな意味があるのか、というお話です。


(逍遥掌の演武中、站椿功と同じポーズをしたところ)

「人間は、上半身が重くて下半身が軽いのです。年をとって下半身が弱くなってくると、
重い上半身に下半身が耐えられず、歩けなくなってしまったりします。
ですから足を鍛えることは必要です。」

上半身の体重は、全身の3分の2だと聞いたことがあります。
そして、人間は考えることができる動物のため、考えすぎて頭でっかちになってしまうこともあるような気がします。
わたしは、体重でみる物理的にも、頭でっかちにみられるようなバランス的にも、
上半身が重い、と思っています。ですから、中国武術でよく言われる「上虚下実」(上を軽く、
下を重く充実させる)という練習は、弱くなりがちな下半身を充実させて上半身とのバランスを取る
ために役立ちます。

「站椿功で、しっかりと大地に立ちます。大地からエネルギーをもらって足がしっかりし、
上半身を支え続けることができます。こうして大地としっかりつながれば、
対になっている天ともつながれます。すると、人は単独で生きるのではなく、
大地と天と一緒に生きるようになります。」

言葉にするのが難しい話なのですが、
站椿功をやっていると、わたしは大地との交流を感じます。
息を吸うときに、大地という自然から気(エネルギー)を吸い上げて自分の体の中で回し、
ためて、吐くときに自分の体の中から大地に気を落とします。
もらうだけではなく、自分からも自然に気を送って循環させます。
単に循環させるだけではなく、自分の丹田に気を貯めながら、回していきます。
自分と大地と交流することで、エネルギーが増幅していくようなイメージです。

そして頭は、天を支えるように上にくっと伸ばします。
「背を高く、首を長く」という表現もできます。
立つときには、重力と逆の力が働いています。この力がなければ、地面につぶれてしまいます。
足の裏から下に向かって根っこが生えるように下向きの重力も感じるとともに、
地面から上に向かう力も感じ、頭が天を支えるようなイメージを持ちます。
これがあることで、ひざへの負担を軽くすることができます。

大地と天と一緒に生きることで、人は自然に生きることができると思います。
力づくで逆らったり、無理をかけたりするのではなく、
水が高いところから低いところに流れるように、
そして樹木が大地に根をはって空に向かって伸びていくように、
のびのびと、ゆっくりと、何にも逆らわず、でも、自分の目的をちゃんと達成します。
こんな風に生きていきたいと願いながら、わたしもお稽古を続けています。

大地と天とつながって、やわらかく、自然に生きること、
そしてそのためにお稽古を続けることは、これからもずっと続くわたしの「道」です。

余談ですが、この夢の武当山ツアーを企画した旅行代理店は、先生のお友達が経営しています。
2年前にお稽古で訪れたとき、わたしも社員旅行のピクニックに一緒に連れていっていただきました。
行きのバスで日本語の歌を一緒に歌ってくれたり、中国語、英語、日本語のちゃんぽんで女子の会話をしたり、
おかげさまですごく楽しい時間を過ごさせていただいたことを、覚えています。
今回、久しぶりに社長さんともお会いして、うれしい再会になりました。
こんなつながりがあることが、すごく幸せです。


(2年前、旅行代理店の社長さんと)























































 

武当山日記: 丁寧に生きる

2015.05.11 Monday




5月初旬までお稽古に訪れていた中国、湖北省の武当山の滞在から感じたことを、
引き続き書いてみます。

毎回、何を習うかとは別に目標を設定しているのですが、今回のテーマは
「今よりずっと、自分を大切に、丁寧に生きる」でした。ブログにも書いています。
http://blog.minminkung-fu.com/?eid=45

振り返ってみると、見方や感じ方が前とは違ったものがあったり、
まだまだ自分が雑であることがわかったり、でした。

まず、見方や感じ方が変わったことは、食事の仕方です。
わたしは、食べるときに音をたてることが苦手です。
でも学校では、みんな音をたてて食べます。
そして立ったまま、歩きながら食べたりと、お行儀がよろしいとは言えません。

今回も、状況は同じです。でも、表面のマナーはよろしくないものの、
「食べる」ことについては、丁寧なのだと気づきました。
武当山に到着して翌日の朝、「お腹すいていないからごはんいらない」というわたしに、
お迎えに来てくれた人が一喝。「食べないのは体に悪い」。
そして山の上の学校では、3食、ほぼ時間通りにきちんと食べます。
大皿から自分の分を取り、残さずしっかり食べます。

今日のごはんが明日からの体を作る、と思っているため、わたしは食べることを大切にしています。
そんな視点から見ると、マナーは全く気にならず、
「ここの人たちは、自分の体を大切に扱っている」と感じたのです。
見えているものとは別のことを、感じるようになりました。

自分がまだまだ雑なことを、感じた場面もあります。
夜の自由時間に、古琴を習ったときのこと。
弦をぴんっとはじいてしまうわたしに、教えてくれた人が
「人をそんな風にしてはじいたら痛いでしょ。乱暴にしない。
鳥が水にちょんっと触るように、やわらかく。最初は小さい音でいいんだから。
これも太極拳と同じだよ。」と。















太極拳は、足も手も、指先まで使います。
無駄な力を入れずに緩んだ状態にしておくことで、丹田からの力がうまく指先まで伝わります。
緩めることができれば、丹田から力を伝えて、結果的に強い力を出すこともできます。
逆に緊張していて硬いと、丹田からの力は手前で止まってしまいます。
たいていの人は、そんな部分まで意識していませんが、指先が緊張しています。
先生や達人は、指先が緩んでいて、見ていて気持ち悪くなるくらい(笑)指がふにゃふにゃと動きます。
実はもっともっと、指先まで使える可能性がある、ということです。

古琴の弾き方も同じです。
はじいてしまうと、音は固くなります。
指を緩めてやわらかく鳴らすと、やわらかい奥行のある音になります。
自分の体を緊張した手でたたくときと、緩めて腕の重さで落としてたたくときの違いと、
同じだなあ、と思いました。前者は表面だけに刺激があり、音も乾いた軽い音になります。
後者は水の波紋が広がるようにじわじわと刺激が奥の骨まで浸透し、音も深みが出ます。

こんなところでまだまだ、と感じるなんて、ですが、
わたしにはまだ、目標に向かって力をこめてやろうとしてしまうクセがあるようです。
これって、自分を丁寧に扱っていることではありません。無理をかけているから。

武当山でカンフーをしている人たちは、とても丁寧に生きています。
カンフー自体がすごく自分を丁寧に扱いますし、
規則正しくごはんを食べ、イライラしたりせず、よく笑い、穏やかに過ごします。
自分の体と心の声をきちんと聞いていますし、それは自分の体と心に責任を持っている、とも
言えると思うのです。
それには、大自然の中で生きていることも、大きいです。
水が高い方から低い方に流れますし、岩があれば文句を言うこともなく、よけて流れます。
水が流れるように、自然に生きる。「上善如水」。流れる水は腐らない、とも言います。
結果としてそれは、岩も砕く強い力も持っています。

丁寧に生きる生き方が、好きです。
武当山の自然の中で、おおらかに丁寧に生きる人たちと過ごす毎日から学んだことは、
大きかったと思います。

丁寧に生きる生き方が、好きです。
だから、カンフーが好きです。
丁寧に、自分を大切に扱うことで、他人も環境も大切にできる、と思っています。
そして自分を丁寧に扱う姿勢は、音の振動のように、波紋のように、
まわりに広がって平和な世界を作ると信じています。

わたしもまだまだです。今よりもっと丁寧に、これからも毎日を過ごそうと思います。




 

武当山日記: 引き継いでいくこと

2015.05.08 Friday



5月の連休の頃、武当山にお稽古に行っていました。
そこで感じた大切なことを、少しずつ書いていこうと思います。

太子洞というお寺の裏の洞窟に住む、道士のおじいちゃんを訪ねたときのことです。
(おじいちゃんは、以前ブログでもご紹介しました。http://blog.minminkung-fu.com/?eid=26
今回は学校の人たちと一緒でした。

わたしが日本人であることを、おじいちゃんはご存知なのですが、その話から生徒のひとりが
「韓国人と日本人は似ているよね。」

わたしが「でもやっぱり違うよ」と言うと、おじいちゃんがわたしの手をとって、
「指が1、2、3、4.5本。みーんな、おんなじ(笑)。」

その通りです。どの国の人も、みんな同じです。

国が違うと文化も違うし、理解しあえないことや、壁もあったりします。
カンフーでも、中国人の先生は外国人には本当のことを教えない、という話もよく聞きます。

でもわたしは、中国人の先生たちから、良く教えていただいた記憶しかありません。
教えていただいていないとしたら、それはわたしがまだそのレベルに到達していないからだと思うのです。

中国人は教える価値のない人には教えない、と聞いたことがあります。
それは時々感じることがあります。
意地悪をしているのではなく、意味がないからというだけのことです。
たとえ伝統がそこで途絶えるとしても、
引き継ぐだけの度量がない人には教えない、ということのようです。

だからこそ、一生懸命な人、真剣に取り組む人には喜んで教えてくださいます。
自分が引き継いだように、次の世代に引き継いでもらいたいという思いはあるようです。

わたしも、これからも焦らずにゆっくり学んでいこうと思います。
どう習ったらよいのか迷ったこともありましたが、
今はこのままやっていけばよい、と思うようになりました。
カンフー(功夫)とは、もともと時間をかける人、という意味でもあるのです。
今回も、はじめて習った形意八卦掌の歩き方に苦戦するわたしに、
先生は「心配することないよ。これはみんな、ずっと長く練習していくものだから。
『慢慢習(ゆっくり学ぶ)』でいいんだよ。」
とおっしゃっていただきました。

カンフーは、特別な人のものではなく、誰にでもできます。それぞれのところから始めればよいし、
自分のペースで進めればよいのです。カンフーを学ぶことは、生きる豊かさを教えてくれると、
思います。

ただし自分のペースとは言っても、ちょっと引っ張って可能性をストレッチしてくれる
先生という存在は大切です。「それは違う」と指摘してくださったり、すごく厳しかったり、
まだ見えないものを見せてくださったり、
先生は優しいだけの存在ではなく、強い存在でもあります。

わたしは先生にはすごく恵まれてきました。何度やってもできなくても、
先生があきらめたり、嫌な顔をされたことはありません。
「わからない」と言うと「とにかくやれ」と厳しい顔をされたことは何度もありますが、
後から振り返るとそうするのが良かったのだろうと思うのです。
どの先生にも、感謝と恩しかありません。

わたしの先生たちがそうだったように、わたしも生徒さんたちにとって、
そんな先生でありたいと思います。
引き継ぐのは、伝統の技だけではなく、心や生き方もだ、と思っています。

豊かさとは、心や生き方を引き継いでいくことからも溢れてくると思うのです。

最後の写真は、今回一番教えてもらった杨阳(ヤンヤン)と、最後のお稽古の後に撮りました。
太極剣も、形意八卦掌も教えてもらっただけでなく、一緒にひたすら八卦掌の歩き方を練習をしたり、
站椿功をやったりもしました。この人の姿勢や心のあり方からも、たくさんのことを学んだ気がします。

たくさんの感謝をこめて。


 


calendar

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< January 2019 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM