心身の、平和な記憶

2015.08.12 Wednesday


(2011年、武当山で通っていた学校の庭から見た景色)

武当山に2か月間、お稽古に行っていたときのことです。
毎日、お昼休みの後には、六字訣(ろくじけつ)という気功をしていました。
肝、心、脾(胃)、肺、腎 という5つの臓器と全身をケアするものです。
立つやり方と、座るやり方の2種類があるのですが、このときはずっと座るやり方をしていました。

あぐらで座り、たとえば心臓であれば、呵(He)という音を出して心臓に響かせます。
息を吸って、吐いて、に伴う体の動きもあります。
全部だと長すぎるため、1日に3つずつ練習していました。それでも30分くらいかかります。

何よりもつらかったのが、あぐらです。
股関節が固いのか、だんだんと足がジンジンしてきます。
がまん大会のようでした。

このときは、細かい説明もなく、ひたすら真似する毎日でした。
でも、1か月くらいたったある日、突然、違う感覚を覚えました。

「背中(腰)が、あったかい。」
ほわ〜っと、温かいのです。
部屋の窓からは緑の樹が見え、明るい光がさして、鳥が鳴いています。
心身ともに、ものすごく静かで平和な感覚が訪れました。
何とも言えない、幸せな感覚です。

これが、わたしが今、大切にしている平和な感覚を、はじめて感じたときだと思います。




それまでわたしは、目標を立てて達成することに意義を見出すタイプでした。
さほど競争心はない、と人に言っていたものの、(自分で本気でそう思っていたものの)、
実際には自分を競争に駆り立てていました。自分との闘いです。
立てた目標を達成したら勝ち、達成できなければ負け、です。
すごく自分にも厳しかったのです。
そんなわたしに、「みんなあなたのようになんでもできない」と言う人もいました。
でも、わたしだってなんでもすぐにできるわけではなく、努力の結果なのだと思っていたため、
そんなふうにいう人たちを、「自分たちが努力しない言い訳だ」とも思っていました。
今から振り返ると、かなり傲慢です。(ごめんなさい。)

自分を競争に駆り立ててずっと戦いの中にいる生活が、続くわけはありませんでした。
達成しても、自分は幸せではないことにも気づきます。残っているのは疲労感だけです。
そして痒疹という皮膚疾患にかかり、痒くて夜も眠れないときもあり、
ここではじめて、ずいぶん自分を追いつめてきたことに気づきます。
心身ともに疲労しきった自分を立て直すために、2か月、武当山で過ごすことにしたのです。

頭で考える前に動くと決めて、毎日お稽古していました。
できる、できないではなく、とにかく目の前のことをやるだけです。
最初は東京を離れた解放感と、違う土地で過ごす特別感で、ある意味、ビジターズハイとでもいうのか、
穏やかな時間が流れました。「こんな風に東京でも過ごせるはず」と思っていたのですが、
長くなってきて、旅行者ではなく、生活者になってくると、
生活に伴うストレス、人間関係のストレスなど、東京であった問題と同じようなことがめぐってきました。

苦しさも抱えながら、でも、毎日ひたすらお稽古して、お昼後には同じ六字訣を繰り返します。
そんなときに突然覚えたのが、上に書いた幸せな感覚です。

何かを手に入れたわけでもなく、達成したわけでもなく、
ただ、わたしがそこにいるだけで、とても平和で穏やかで、幸せなのです。
あるがまま、という表現をする場合もあるかもしません。

このときから、「わたしはすごく平和な感覚を知っている」と思うようになりました。

問題は、それが長く続かないことです。
知っているのに、忘れることです。
昔の癖で、何かを達成しないと価値がないという強迫観念にかられそうになる自分も感じることがあります。
それはもう違う、と知っているにも関わらず、です。

わたしが太極拳をするのは、これを思い出すためなのかもしれません。
わたしの太極拳を見て、「太極拳をするように、毎日を過ごせばいいのに」と言われたこともあります。
そのときのわたしは、何も望まず、エゴもなく、ただひたすらその場にいて、
穏やかで平和な状態に近くなれているのかもしれません。

今の課題は、この平和な自分でいる時間を長くすることです。
外で嵐が吹いても、やりが降ってきても、自分は平和でいることです。
そのために、とにかく自分に無理を強いず、丁寧に生きることを心がけています。

丁寧に生きると言っていても、実は中途半端な自分をよく発見します。
雑に扱ってしまっているのです。
どうやら本気度が足りないらしく、そうしていると雑な事件がおきます。先日の腰痛騒ぎのように、です。

頑張るという言葉が好きではないわたしですが、
この1か月は、とにかく丁寧に生きることを頑張ることにしました。
平和な自分を安定させるために、です。
1か月、と期限を切ったのは、次に武当山に行く前に、それに区切りをつけたいからです。
毎日を丁寧に生きることこそ修業なのだと、今は思っています。

がんばります。


(当時お稽古していた、田理阳師父の学校の中庭)
 


太極拳の套路の名前

2015.07.20 Monday



太極拳の套路(一連の動作)には、名前がついています。
実はこれが、詩的でとても美しいのです。

武当太極拳では、たとえば「仙人が袖を振る(仙人拂袖)」とか、
下記の「月を懐にかかえる(怀中抱月)」です。




実際には動作に名前がついているため、上記は「月を懐に抱える」の一番最後の
ところです。腕を丸く、赤ちゃんを抱っこするような形になります。

太極拳は、イメージの力を大切にしています。
それぞれの名前も、そのイメージを膨らませるために、役に立ちます。


下記は、「白い鶴が両翼を広げる(亮翅)」です。
















(田理阻師父、第十五第武当玄武派承継人)

両腕が、太極マークの真ん中のS字ラインのようなカーブを描きます。

太極拳には、いろいろな門派があり
(詳しくは「カンフー(功夫)の意味と、太極拳」http://blog.minminkung-fu.com/?eid=16)、
套路の名前の中には、その門派独特のものと、どの門派にも共通するものとあります。
亮翅は、どの門派にもありますが、
門派によって、動きがだいぶ違う場合もあります。

武当太極拳は、特に詩的な美しい名前が多い気がします。
このほかにも、「川の流れにそって舟をこぐ」、「腰の玉飾りを揺らす」
など、なるほどね、と思うような名前がいろいろついています。

ただし、それぞれの動きにはこの優雅な名前とは別に、武術としての用法もあります。
たとえ「川の流れにそって舟をこぐ」という優雅な名前でも、
「相手の足や腕を抑えて、腰を回して投げて、さらに肩に担いで
投げて、押す」というのが、実際の用法です。

お稽古するときには、名前でイメージを膨らませながら、実際の用法も想像して、
呼吸で動きをリードしていきます。やること、いっぱいあるのです(笑)。

套路の名前は、まずイメージを膨らませるためでもありますが、
動きを覚えるためにも役立ちます。
動きを覚えることに苦労する、という声は多く聞きますが、
動きと名前を一緒に覚えていけば、その名前が順番に書かれた紙を頼りに
思い出すことができます。

しかし。。。中には、どうしても理解できない名前もあります。
「金色の子供が鯉を頭の上に載せている(金童顶鲤)」???
套路の名前は、詩的なので、中国人でもちょっと訳しにくいようですが、
これはイメージが膨らむような、膨らまないような。。。
そういう謎も、長くやっていれば、いつかは解けるかもしれません。

カンフー(功夫)とは、もともと、長い修練によって培われた力、という意味です。
(どうやら、欧米にわたったときに、誤用されて中国武術と訳され、今に至るようです。)
ですから、鯉を頭に載せた金色の子供の謎も、いつかは。。。
(どなたかわかる方がいらしたら、ぜひ教えてください。よろしくお願いします)。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「はじめての武当太極拳」動画は、こちらからご覧いただけます。
 http://youtu.be/DLACoQ-bLHs 
 

武当太極拳が大切にしている精神

2015.06.14 Sunday


(武当山にある道教のお寺、紫霄宮。世界遺産)

武当拳(太極拳、八卦掌、形意拳、気功)の発祥の地、武当山(中国、湖北省)は、
道教の聖地のひとつでもあります。

武当拳は、道教哲学をもとに成り立っています。
今日は道教が大切にしている精神について、主な4つをご紹介したいと思います。

背景にこの精神があることが、わたしが武当拳を選んでいる理由でもあります。

【道法自然】
老子の「道徳経」にある文言で、自然に従うことです。
平和で流れに抵抗して何かをしようとしないことは、道教の自然、社会、人生に
対する基本的な姿勢であり、原則でもあります。

今やるべきことに集中する、とも言えます。
武当山にいるときに、この言葉の意味を食事中に先生にきいたとき、
「今は、それを聞くときじゃないよ。しっかり食べるときだから」と
言われたことがあります。

【保合太和】
人と自然はひとつであり、自然の法則を敬うこと。
人の間の調和、体と心の調和を大切にすることです。

武当太極拳の最初にも、自分のバランスを取り、天地と周りのスペースとの調和を
取る、という動作(動きませんが)があります。

【上善若水】
老子は、地球上でもっとも柔らかいものが、もっとも強いものに勝つ、と言います。
それが水です。
水は高いところから低いところに、岩があれば形をかえて避けて流れます。
無理やり何かをしようとしませんが、長い時間をかければ、岩をけずったり、穴をあけることもできます。

武当拳は、柔をもって剛を制す、と言います。やわらかい水の持つ力にならっています。

人の体の60〜70%も水であることを思うと、生きるときに、水の質を活かすことは、できるはずです。
そして、地球も70%が水であることは、人と自然が呼応していることを感じさせてくれます。


【重人貴生】
人を敬い、今の人生を大切にすること。
来世ではなく、今の人生を大切にします。

現世で苦行すれば、来世が良い、というような考えではありません。
ですから、今の体、今の心を大切に扱います。

道教は、幸せに生きること、長寿(不老長寿)、豊かに生きることを求めています。


このような道教哲学を背景に持つ武当拳は、血流を良くし、筋肉の無駄な緊張を取り、
呼吸を安定させ、五臓を育て、体と心を再構築するものです。

武当山に暮らす武当拳を学ぶ人々は、心穏やかで、争わず、自然と調和して生きています。
自分の体と心を大切に、そして他人も大切に、自然も大切にしています。とてもシンプルです。

道教は宗教のひとつですが、わたしは信仰というより、自然に生きること、
自然崇拝の考え方を、尊重して大切にしています。
いろいろなことがありますが、流れに逆らわず、自分もまわりも大切にして、
水が流れるように生きていきたいと思います。
 

太極拳というコミュニケーション

2015.06.07 Sunday














太極拳をやっていることで、そこからいろいろな交流が生まれることがあります。
わたしはこれが、とても好きです。

先月、中国の武当山にお稽古にいったときにも、そんなことがありました。
早朝、ひとりでお稽古をしていると、向こうにもお稽古をしている方がいらっしゃいます。
お稽古を終えて帰ろうとその方のそばを通ったら、声をかけていただいて
ちょこっとお話をした後、お互いの太極拳を見せあいっこすることになりました。
結構なお年の方だったのですが、上手だな、良いな、と思っていたら。。。
その後、朝食に行くとこのおじさまと再会し、朝食テーブルに招いていただきました。
8名くらいの団体さんで、観光にいらしていたようです。
「日本人なんだね。よく練習にくるんだ」「何年やっているの」なんて話をしながら、
「卵もどうぞ」とすすめられ、パクパクいただくわたし。
「謝謝(ありがとう)」と言うと、「お礼は老師(先生)にね」と
言われた先には、ニコニコ微笑む先ほどのおじさま。
どうりで上手なはずです。

東京でも、公園で練習していると、声をかけられることがよくあります。
わたしはもくもくとお稽古しているので、ある意味、みなさん勇気ある行動かもしれません(笑)。
「きれいね」と言って見ていってくださる方、「それは何ですか」と聞いてくださる方、
「教えてください」とおっしゃる方、悩み相談に発展する方など、いろいろです。

幼稚園のお子さんが先生に連れられてきたときに、
「あっ!昨日、ウルトラマンショーに出ていたよね、ねっ、ねっ」と
満面の笑みを向けられたこともあります。
あまりの可愛さに、つい「うん」とウソをついてしまいました。
さて、わたしは何の役だったのでしょう?

バサッと音が出る扇の練習をしていたときには、サッカーをやっている小学生の
男の子たちが、ちらちらと見て、ついに近寄ってきました。
「やっていみる?開くときは、手首を振らずに、お腹の力を伝えて開くの」
と言うと、こぞって挑戦!「えー」「違うよ」「俺、できた、できた!」と
大騒ぎ。楽しかったです。

そんな中から生まれたクラスもあります。
あるとき、お稽古着のままお昼ごはんを食べていたら、
隣に座った方が「何をされているんですか?」と声をかけてくださり、
太極拳とお答えすると、「教えていただくことはできますか?」と。
偶然がつないだご縁です。
それにしても、なぜわたしが教えているとわかったのかは、今でも謎です。。。

太極拳は、わたしの人生そのものです。
そしてこれは、わたしの一番の表現方法でもあります。
「これが今のわたしです」ということを、名刺でも、肩書でも、職歴でもなく、
動くことで表現して、そこから生まれる交流が、とても好きです。
小さいことでも、それはとても大きく、大切な経験です。

今のように思うようになるまで、悩んだこともあります。
太極拳は、自分のためにするもので、人に見せるものではない、という考え方もあります。
「外でやるときは派手に、本当の練習は部屋にこもって扉を閉じて、小さくやる」
という話もあります。
大会にでること、パフォーマンスをすることに否定的な方もいらっしゃいます。
それはそれで理解できる部分もあるだけに、わたしはどうしていきたいのか、
自分でわからなかった時期もあります。

今でも、人に見せること自体を目的にはしていませんが、
「わたしはこれが好きなのです」を体で表現していくことは好きです。
ですから、見ていただける機会は、体験していただくことと同じように、うれしいです。
言葉ではない、コミュニケーションだと思っています。
それは、対人だけではなく、地球、自然との交流でもあります。

以前、中国の先生が、「自分も気持ちよくて、見ている人も気持ち良いのが
良い太極拳」とおっしゃっていたことがあります。
これは、その通りだと思います。

「好き」を循環させること。
太極拳を通してコミュニケーションができることは、
わたしにとってはうれしく、大切なことです。












(中国、武当山)


(武当山。手のひらに太陽を載せてみました。みんなで大笑い。)
 

武当山日記: 大地とつながり、天と生きる

2015.05.31 Sunday


(清風子師父。武当玄武派第十五代伝承者)

武当山には、時々ヨーロッパから、太極拳ツアーの団体が訪れます。
今回もフランスから、そして上海にいるイギリス人たちのグループ総勢25人が、
1週間滞在していました。

太極拳発祥の地という説もある武当山で、有名なカンフーマスターのお稽古を受け、
世界遺産にも登録されているお寺をめぐるという、盛りだくさんの夢のような1週間です。
目玉のカンフーマスターが、わたしの先生(明月師父。武当玄武派第十六代伝承者)の兄弟弟子
だったため、団体さんにはじめてお話をする最初の晩、はじっこに同席させていただきました。

清風子というお名前の、同じく武当玄武派第十五代伝承者です。大会に出たら金メダルをとる実力者で、
しかもハンサムという有名人です。今は北京で学校を開いていると聞いています。

武当山とそこでうまれた武当拳の話、ご自分が武当山で学んだことなど、
いろんなお話をしてくださったのですが、その中で今のわたしの心に残った話をご紹介します。

站椿功(立禅)は、ひたすら立つという地味な練習ですが、すごく大切です。
たとえば30分、ちょっと腰を沈めてずっと立つため、足の筋力も必要ですし、忍耐力も必要です。
これにどんな意味があるのか、というお話です。


(逍遥掌の演武中、站椿功と同じポーズをしたところ)

「人間は、上半身が重くて下半身が軽いのです。年をとって下半身が弱くなってくると、
重い上半身に下半身が耐えられず、歩けなくなってしまったりします。
ですから足を鍛えることは必要です。」

上半身の体重は、全身の3分の2だと聞いたことがあります。
そして、人間は考えることができる動物のため、考えすぎて頭でっかちになってしまうこともあるような気がします。
わたしは、体重でみる物理的にも、頭でっかちにみられるようなバランス的にも、
上半身が重い、と思っています。ですから、中国武術でよく言われる「上虚下実」(上を軽く、
下を重く充実させる)という練習は、弱くなりがちな下半身を充実させて上半身とのバランスを取る
ために役立ちます。

「站椿功で、しっかりと大地に立ちます。大地からエネルギーをもらって足がしっかりし、
上半身を支え続けることができます。こうして大地としっかりつながれば、
対になっている天ともつながれます。すると、人は単独で生きるのではなく、
大地と天と一緒に生きるようになります。」

言葉にするのが難しい話なのですが、
站椿功をやっていると、わたしは大地との交流を感じます。
息を吸うときに、大地という自然から気(エネルギー)を吸い上げて自分の体の中で回し、
ためて、吐くときに自分の体の中から大地に気を落とします。
もらうだけではなく、自分からも自然に気を送って循環させます。
単に循環させるだけではなく、自分の丹田に気を貯めながら、回していきます。
自分と大地と交流することで、エネルギーが増幅していくようなイメージです。

そして頭は、天を支えるように上にくっと伸ばします。
「背を高く、首を長く」という表現もできます。
立つときには、重力と逆の力が働いています。この力がなければ、地面につぶれてしまいます。
足の裏から下に向かって根っこが生えるように下向きの重力も感じるとともに、
地面から上に向かう力も感じ、頭が天を支えるようなイメージを持ちます。
これがあることで、ひざへの負担を軽くすることができます。

大地と天と一緒に生きることで、人は自然に生きることができると思います。
力づくで逆らったり、無理をかけたりするのではなく、
水が高いところから低いところに流れるように、
そして樹木が大地に根をはって空に向かって伸びていくように、
のびのびと、ゆっくりと、何にも逆らわず、でも、自分の目的をちゃんと達成します。
こんな風に生きていきたいと願いながら、わたしもお稽古を続けています。

大地と天とつながって、やわらかく、自然に生きること、
そしてそのためにお稽古を続けることは、これからもずっと続くわたしの「道」です。

余談ですが、この夢の武当山ツアーを企画した旅行代理店は、先生のお友達が経営しています。
2年前にお稽古で訪れたとき、わたしも社員旅行のピクニックに一緒に連れていっていただきました。
行きのバスで日本語の歌を一緒に歌ってくれたり、中国語、英語、日本語のちゃんぽんで女子の会話をしたり、
おかげさまですごく楽しい時間を過ごさせていただいたことを、覚えています。
今回、久しぶりに社長さんともお会いして、うれしい再会になりました。
こんなつながりがあることが、すごく幸せです。


(2年前、旅行代理店の社長さんと)























































 


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