武当山日記: 大地とつながり、天と生きる

2015.05.31 Sunday


(清風子師父。武当玄武派第十五代伝承者)

武当山には、時々ヨーロッパから、太極拳ツアーの団体が訪れます。
今回もフランスから、そして上海にいるイギリス人たちのグループ総勢25人が、
1週間滞在していました。

太極拳発祥の地という説もある武当山で、有名なカンフーマスターのお稽古を受け、
世界遺産にも登録されているお寺をめぐるという、盛りだくさんの夢のような1週間です。
目玉のカンフーマスターが、わたしの先生(明月師父。武当玄武派第十六代伝承者)の兄弟弟子
だったため、団体さんにはじめてお話をする最初の晩、はじっこに同席させていただきました。

清風子というお名前の、同じく武当玄武派第十五代伝承者です。大会に出たら金メダルをとる実力者で、
しかもハンサムという有名人です。今は北京で学校を開いていると聞いています。

武当山とそこでうまれた武当拳の話、ご自分が武当山で学んだことなど、
いろんなお話をしてくださったのですが、その中で今のわたしの心に残った話をご紹介します。

站椿功(立禅)は、ひたすら立つという地味な練習ですが、すごく大切です。
たとえば30分、ちょっと腰を沈めてずっと立つため、足の筋力も必要ですし、忍耐力も必要です。
これにどんな意味があるのか、というお話です。


(逍遥掌の演武中、站椿功と同じポーズをしたところ)

「人間は、上半身が重くて下半身が軽いのです。年をとって下半身が弱くなってくると、
重い上半身に下半身が耐えられず、歩けなくなってしまったりします。
ですから足を鍛えることは必要です。」

上半身の体重は、全身の3分の2だと聞いたことがあります。
そして、人間は考えることができる動物のため、考えすぎて頭でっかちになってしまうこともあるような気がします。
わたしは、体重でみる物理的にも、頭でっかちにみられるようなバランス的にも、
上半身が重い、と思っています。ですから、中国武術でよく言われる「上虚下実」(上を軽く、
下を重く充実させる)という練習は、弱くなりがちな下半身を充実させて上半身とのバランスを取る
ために役立ちます。

「站椿功で、しっかりと大地に立ちます。大地からエネルギーをもらって足がしっかりし、
上半身を支え続けることができます。こうして大地としっかりつながれば、
対になっている天ともつながれます。すると、人は単独で生きるのではなく、
大地と天と一緒に生きるようになります。」

言葉にするのが難しい話なのですが、
站椿功をやっていると、わたしは大地との交流を感じます。
息を吸うときに、大地という自然から気(エネルギー)を吸い上げて自分の体の中で回し、
ためて、吐くときに自分の体の中から大地に気を落とします。
もらうだけではなく、自分からも自然に気を送って循環させます。
単に循環させるだけではなく、自分の丹田に気を貯めながら、回していきます。
自分と大地と交流することで、エネルギーが増幅していくようなイメージです。

そして頭は、天を支えるように上にくっと伸ばします。
「背を高く、首を長く」という表現もできます。
立つときには、重力と逆の力が働いています。この力がなければ、地面につぶれてしまいます。
足の裏から下に向かって根っこが生えるように下向きの重力も感じるとともに、
地面から上に向かう力も感じ、頭が天を支えるようなイメージを持ちます。
これがあることで、ひざへの負担を軽くすることができます。

大地と天と一緒に生きることで、人は自然に生きることができると思います。
力づくで逆らったり、無理をかけたりするのではなく、
水が高いところから低いところに流れるように、
そして樹木が大地に根をはって空に向かって伸びていくように、
のびのびと、ゆっくりと、何にも逆らわず、でも、自分の目的をちゃんと達成します。
こんな風に生きていきたいと願いながら、わたしもお稽古を続けています。

大地と天とつながって、やわらかく、自然に生きること、
そしてそのためにお稽古を続けることは、これからもずっと続くわたしの「道」です。

余談ですが、この夢の武当山ツアーを企画した旅行代理店は、先生のお友達が経営しています。
2年前にお稽古で訪れたとき、わたしも社員旅行のピクニックに一緒に連れていっていただきました。
行きのバスで日本語の歌を一緒に歌ってくれたり、中国語、英語、日本語のちゃんぽんで女子の会話をしたり、
おかげさまですごく楽しい時間を過ごさせていただいたことを、覚えています。
今回、久しぶりに社長さんともお会いして、うれしい再会になりました。
こんなつながりがあることが、すごく幸せです。


(2年前、旅行代理店の社長さんと)























































 

武当山日記: 丁寧に生きる

2015.05.11 Monday




5月初旬までお稽古に訪れていた中国、湖北省の武当山の滞在から感じたことを、
引き続き書いてみます。

毎回、何を習うかとは別に目標を設定しているのですが、今回のテーマは
「今よりずっと、自分を大切に、丁寧に生きる」でした。ブログにも書いています。
http://blog.minminkung-fu.com/?eid=45

振り返ってみると、見方や感じ方が前とは違ったものがあったり、
まだまだ自分が雑であることがわかったり、でした。

まず、見方や感じ方が変わったことは、食事の仕方です。
わたしは、食べるときに音をたてることが苦手です。
でも学校では、みんな音をたてて食べます。
そして立ったまま、歩きながら食べたりと、お行儀がよろしいとは言えません。

今回も、状況は同じです。でも、表面のマナーはよろしくないものの、
「食べる」ことについては、丁寧なのだと気づきました。
武当山に到着して翌日の朝、「お腹すいていないからごはんいらない」というわたしに、
お迎えに来てくれた人が一喝。「食べないのは体に悪い」。
そして山の上の学校では、3食、ほぼ時間通りにきちんと食べます。
大皿から自分の分を取り、残さずしっかり食べます。

今日のごはんが明日からの体を作る、と思っているため、わたしは食べることを大切にしています。
そんな視点から見ると、マナーは全く気にならず、
「ここの人たちは、自分の体を大切に扱っている」と感じたのです。
見えているものとは別のことを、感じるようになりました。

自分がまだまだ雑なことを、感じた場面もあります。
夜の自由時間に、古琴を習ったときのこと。
弦をぴんっとはじいてしまうわたしに、教えてくれた人が
「人をそんな風にしてはじいたら痛いでしょ。乱暴にしない。
鳥が水にちょんっと触るように、やわらかく。最初は小さい音でいいんだから。
これも太極拳と同じだよ。」と。















太極拳は、足も手も、指先まで使います。
無駄な力を入れずに緩んだ状態にしておくことで、丹田からの力がうまく指先まで伝わります。
緩めることができれば、丹田から力を伝えて、結果的に強い力を出すこともできます。
逆に緊張していて硬いと、丹田からの力は手前で止まってしまいます。
たいていの人は、そんな部分まで意識していませんが、指先が緊張しています。
先生や達人は、指先が緩んでいて、見ていて気持ち悪くなるくらい(笑)指がふにゃふにゃと動きます。
実はもっともっと、指先まで使える可能性がある、ということです。

古琴の弾き方も同じです。
はじいてしまうと、音は固くなります。
指を緩めてやわらかく鳴らすと、やわらかい奥行のある音になります。
自分の体を緊張した手でたたくときと、緩めて腕の重さで落としてたたくときの違いと、
同じだなあ、と思いました。前者は表面だけに刺激があり、音も乾いた軽い音になります。
後者は水の波紋が広がるようにじわじわと刺激が奥の骨まで浸透し、音も深みが出ます。

こんなところでまだまだ、と感じるなんて、ですが、
わたしにはまだ、目標に向かって力をこめてやろうとしてしまうクセがあるようです。
これって、自分を丁寧に扱っていることではありません。無理をかけているから。

武当山でカンフーをしている人たちは、とても丁寧に生きています。
カンフー自体がすごく自分を丁寧に扱いますし、
規則正しくごはんを食べ、イライラしたりせず、よく笑い、穏やかに過ごします。
自分の体と心の声をきちんと聞いていますし、それは自分の体と心に責任を持っている、とも
言えると思うのです。
それには、大自然の中で生きていることも、大きいです。
水が高い方から低い方に流れますし、岩があれば文句を言うこともなく、よけて流れます。
水が流れるように、自然に生きる。「上善如水」。流れる水は腐らない、とも言います。
結果としてそれは、岩も砕く強い力も持っています。

丁寧に生きる生き方が、好きです。
武当山の自然の中で、おおらかに丁寧に生きる人たちと過ごす毎日から学んだことは、
大きかったと思います。

丁寧に生きる生き方が、好きです。
だから、カンフーが好きです。
丁寧に、自分を大切に扱うことで、他人も環境も大切にできる、と思っています。
そして自分を丁寧に扱う姿勢は、音の振動のように、波紋のように、
まわりに広がって平和な世界を作ると信じています。

わたしもまだまだです。今よりもっと丁寧に、これからも毎日を過ごそうと思います。




 

武当山日記: 引き継いでいくこと

2015.05.08 Friday



5月の連休の頃、武当山にお稽古に行っていました。
そこで感じた大切なことを、少しずつ書いていこうと思います。

太子洞というお寺の裏の洞窟に住む、道士のおじいちゃんを訪ねたときのことです。
(おじいちゃんは、以前ブログでもご紹介しました。http://blog.minminkung-fu.com/?eid=26
今回は学校の人たちと一緒でした。

わたしが日本人であることを、おじいちゃんはご存知なのですが、その話から生徒のひとりが
「韓国人と日本人は似ているよね。」

わたしが「でもやっぱり違うよ」と言うと、おじいちゃんがわたしの手をとって、
「指が1、2、3、4.5本。みーんな、おんなじ(笑)。」

その通りです。どの国の人も、みんな同じです。

国が違うと文化も違うし、理解しあえないことや、壁もあったりします。
カンフーでも、中国人の先生は外国人には本当のことを教えない、という話もよく聞きます。

でもわたしは、中国人の先生たちから、良く教えていただいた記憶しかありません。
教えていただいていないとしたら、それはわたしがまだそのレベルに到達していないからだと思うのです。

中国人は教える価値のない人には教えない、と聞いたことがあります。
それは時々感じることがあります。
意地悪をしているのではなく、意味がないからというだけのことです。
たとえ伝統がそこで途絶えるとしても、
引き継ぐだけの度量がない人には教えない、ということのようです。

だからこそ、一生懸命な人、真剣に取り組む人には喜んで教えてくださいます。
自分が引き継いだように、次の世代に引き継いでもらいたいという思いはあるようです。

わたしも、これからも焦らずにゆっくり学んでいこうと思います。
どう習ったらよいのか迷ったこともありましたが、
今はこのままやっていけばよい、と思うようになりました。
カンフー(功夫)とは、もともと時間をかける人、という意味でもあるのです。
今回も、はじめて習った形意八卦掌の歩き方に苦戦するわたしに、
先生は「心配することないよ。これはみんな、ずっと長く練習していくものだから。
『慢慢習(ゆっくり学ぶ)』でいいんだよ。」
とおっしゃっていただきました。

カンフーは、特別な人のものではなく、誰にでもできます。それぞれのところから始めればよいし、
自分のペースで進めればよいのです。カンフーを学ぶことは、生きる豊かさを教えてくれると、
思います。

ただし自分のペースとは言っても、ちょっと引っ張って可能性をストレッチしてくれる
先生という存在は大切です。「それは違う」と指摘してくださったり、すごく厳しかったり、
まだ見えないものを見せてくださったり、
先生は優しいだけの存在ではなく、強い存在でもあります。

わたしは先生にはすごく恵まれてきました。何度やってもできなくても、
先生があきらめたり、嫌な顔をされたことはありません。
「わからない」と言うと「とにかくやれ」と厳しい顔をされたことは何度もありますが、
後から振り返るとそうするのが良かったのだろうと思うのです。
どの先生にも、感謝と恩しかありません。

わたしの先生たちがそうだったように、わたしも生徒さんたちにとって、
そんな先生でありたいと思います。
引き継ぐのは、伝統の技だけではなく、心や生き方もだ、と思っています。

豊かさとは、心や生き方を引き継いでいくことからも溢れてくると思うのです。

最後の写真は、今回一番教えてもらった杨阳(ヤンヤン)と、最後のお稽古の後に撮りました。
太極剣も、形意八卦掌も教えてもらっただけでなく、一緒にひたすら八卦掌の歩き方を練習をしたり、
站椿功をやったりもしました。この人の姿勢や心のあり方からも、たくさんのことを学んだ気がします。

たくさんの感謝をこめて。


 

武当山に行く理由:今よりもっと、自分を大切に。

2015.04.25 Saturday



今日から2週間、中国 湖北省の武当山にお稽古にいきます。
長いときで2か月、あとは短期ですが、通算で半年ほど滞在しているため、
わたしにとっては帰るところ、ホームです。原点でもあり、わたしがわたしに還る場所です。

毎回、そのときの自分により、目的を持っていきます。
今回は、今よりもっと、自分を丁寧に、大切に、大事に扱う、です。
(もちろん、〇〇太極拳を習う、など、技術的な目的は別にあります。)

産まれてから育っていく中で、いろんな価値観、考え方、社会生活を守るためのルールに触れ、
もまれながら自分らしさを探してきたと思います。最初は何が自分らしいのかわからないため、
なんとなく前にきたものを全部やってみて、その中で自分らしくないもの(=苦しいもの)を
手離し、自分らしいもの(=楽なこと)を残して大事に育てています。

太極拳は、自分らしいものとして残して育てているものです。体力的にきついこと、精神的にも
忍耐が必要なことはあるため、傍目には苦行のように見えることもあるかもしれませんが、
自分を苦しめるものではありません。それは自分らしさを探していくプロセスです。
そこで自分が得た感覚こそ、自分らしさで、それを探していくことが修業と言う、と思っています。

太極拳を選ぶのは、わたしが体にこだわっているからです。
人の魂は輪廻転生すると言いますが、今の命は体の機能が停止したらおしまいです。
だからこそ、体を通して学ぶのだと思うのです。

人の心と体はバラバラだとも言われています。肩こりなのに気づかなかったり、
心とは裏腹なことを言ってしまったり、自分の本当の気持ちに気づかなかったり、
ちぐはぐなことがたくさん起きます。わたしが太極拳を始めたときも、そうでした。
好きでやっていたはずの仕事にも違和感を覚えるようになり(決して仕事が悪かったわけでは
ないのです)、無理をかけた体は目に見える湿疹として外に現れました。
その頃はよくわかっていなかったのですが、外の評価で自分の価値を決めていたと思います。
評価されない自分は、価値がない、など。他人軸で生きていました。

太極拳を始めて、体に意識を向け、心に意識を向けていくことで、少しずつ体と心が
一致してきたと思います。

体の反応を良くみることで、好きか嫌いかがわかります。
好きなことは体が楽、嫌いなことは体が硬くなります。体の反応で自分の心を見ながら、
いつも「わたしを生きる」ことを大事にしてきました。

普段のわたしは煩悩だらけですが、太極拳をやっているときはエゴや欲がなく、ただ心を静かに
することだけを心がけています。穏やかで平和な状態です。
人と比較することはありません。人と争うこともありません。
自分が穏やかな状態だと、それは波動として伝わり、周りの人や環境も穏やかにしていくと思っています。
穏やかな人のそばにはいたいですが、イライラしている人から逃げたいのは、その波動を感じているからです。

武当山で集中してお稽古するのは、もっともっと穏やかな心を育てたいからです。
調和を大切にする文化の中で、戦わない心、戦いを終わらせることを、
もっと学びたいからです。
そして、普段の生活にも、もっと生かせるようになりたいからです。

慣れた場所でも、海外に行くことは緊張も伴います。
毎回、自分の身は自分で守る、そうでなければ危険だと、肝に銘じています。
危険と隣り合わせだからこそ、自分を丁寧に扱います。
ごまかしたりも、できません。
これはわたしが武術を選んでいる理由と同じです。

今よりもっと、自分を丁寧に、大事に、大切に扱う毎日を送ることが、
今回の大きな目的です。

何度行っても、海外に行くのは緊張します。
緊張や恐れはありますが、嫌な感じではなく、静かに出発の準備をしている気がします。

帰国は立夏の翌日です。
季節も変わってきます。
わたしはどんな風に変わるのか、変わらないのか、楽しみです。



 

站とう功(たんとうこう)

2015.04.17 Friday





















站樁功(たんとうこう)とは、中国武術の基本的な練習のひとつです。
足を肩幅に開き、腰を落として膝を緩め、腕は木をかかえるように胸の前で丸く円を作ります。
站は「立つ」、樁は「杭」という意味で、座る座禅に対して、立禅とも言います。
これにどのような意味があるのかを、書いてみようと思います。

「站樁功は30分やりなさい」と、よく聞きます。
根気も慣れも筋力も必要になるため、最初は5分でも良いと思いますが、
30分には理由があります。

中国武術には、上虚下実(じょうきょかじつ)という言葉があります。
下を充実させ(=実)、上を空にする(=虚)です。
站椿功も、上虚下実です。つまり下半身の筋肉を使うため、
15分たつと太ももが震えてきます。縦揺れ、横揺れ、が来て、
しばらく耐えていると、ぴたっと震えが止まります。
この震えは、グリコーゲンが足りなくなることからくるそうです。
「足りないぞ!」と感知すると、体が不足を補充しようとして働き始めます。
補充が終わると、震えが止まります。
30分ですと、ちょうどこれが2回きて、それが1セットになります。

站椿功で使われる筋肉は、「緊張筋」です。太極拳でも同じです。
鍛えても筋繊維が太くなりにくく下半身に多く赤い色をしているため、赤筋とも呼ばれます。
抗重力筋とも言われ、重力に対して体をしっかり一定の姿勢に保つための筋肉です。
「緊張筋」と言われる理由は、緊張していることを感じにくいからだそうです。
立つときにいちいち緊張を感じていたら生活しづらいため、都合よく鈍感になっていると思います。
これに対して、上半身に多いのが「相性筋」です。
白い筋肉で筋繊維が太くなりやすく、力こぶは、これです。



「緊張筋」は、日々コツコツと鍛える必要があります。
お年寄りが風邪などでしばらく寝たままになると、あっという間に弱ってしまう、というのは、
この「緊張筋」がやせ細っていくからだそうです。

站椿功でも太極拳でも、「放鬆」(中国語読みでファンソン)、という言葉をよく使います。
リラックスとか脱力と説明されることが多いのですが、本当にリラックスしたり脱力したら、
人は立っていられないため、実際にはちょっとニュアンスが違います。
「緊張筋」がうまく使われ、下半身がパンっと張っていて、
「相性筋」は緩んで緊張していない状態、だと思います。
站椿功を30分やるために、たとえば腕を体の前に丸く置き続けるのに、相性筋を使っていたら
疲れ果てて維持できません。維持できないことは自然にやめるしかないため、
長く続けることで、ふさわしい筋肉を体が探り、育っていく、という感じがします。

「相性筋」と「緊張筋」は、動く仕組みも違います。
大脳の命令ではたらく「相性筋」に対して、「緊張筋」は脊髄神経にコントロールされており、
無意識に動く筋肉です。いろいろ考えて指令を出さなくても立てるのは、脊髄神経によって自動的に
体を支えるように筋肉が使われているからです。
「緊張筋」を使うことにより、失われた本能をよみがえらせる、と言われています。
太極拳をやっていると、自動で動いているような感覚があるときがありますが、これは実際には
「緊張筋」をうまくちょっと動かしているのだと思います。

中国武術には、「静功」「動功」という区分があります。
動かないものが「静功」、太極拳のように動くものを「動功」と言ったりします。
「立つ」は動かないため「静功」に分類できますが、
座禅にくらべて下半身の充実感が強いため、静が極まって動となる、という、
限りなく動に近い静だと、わたしは思っています。
だから站椿功を練習することは大事で、でもこれだけでは足りなく、太極拳などの動功も必要になります。

站椿功の形は単純ですが、奥が深いのは、このような理由によります。
年数がたつにつれて、筋肉は育っていきますし、自分の感覚も変化、発展していきます。
今回は物質的な説明で長くなってしまいましたので、
わたしが站椿功で得た感覚などについては、また次の機会にご紹介しますね。


(武当山。龍がのぼっていくような雲の形が好きな一枚です。)
 


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