武術と才能

2015.01.20 Tuesday



ストレングスファインダーという才能発見テストの結果をもとに、
それぞれの人の活かし方をコンサルティングしている友人の新関裕二さんから
「武術と才能の関係ってどうなの?」と聞かれたことがあります。

ここでいう才能とは、強く出ている資質のようなものです。
長所にもなれば、短所にもなりやすいところです。

私の答えは「習い方や教え方には関係していると思うけど、本当にすごい人には
個性を感じない」というものでした。

そんな体験が1回だけあります。

2011年に2か月間、中国 武当山のカンフー学校に滞在して練習していたことがあります。
そのときの学校の館長である師父(先生)が、田理陽師父(上の写真)。武当玄武派第十五代継承者です。
この師父の太極拳を見たとき、すごく不思議な気持ちになりました。
「知っている人なのに、わからない。」

そのときまで1か月以上、毎日教えていただいて、普段の様子や人柄も含めて、それなりに
知っているつもりでした。でも太極拳をやっている姿は、全然知らない別人のようだったのです。

武当拳の道着は、上の師父の写真で見てもわかるように、そで上着の裾も長くなっています。
一番長い場合は、上着が裾まであります。
これは、相手に動きを悟られないようにするために隠していると、言われています。
個性もたぶん、同じなのかもしれません。
長所でもあり、短所でもあるなら、見えない方が良いのかもしれません。

この師父の動きを見るまでは、太極拳には個性が出る、と思っていました。
生き急いでいる人、細かいところが気になる人、おおざっぱな人。。。
その人らしさが浮き彫りになるのが太極拳だ、と思っていました。

だから、この田師父の動きを見たときは、衝撃でした。
「本当にすごい人は、その人がどんな人なのかわからない。」

この話を聞いて新関さんは「面白いね。才能の場合も、自分の強い資質を
活かしていくと、ほかの資質も使えるようになる気がする」と言っていました。

武術に限らず、なんでもそうなのかもしれないと思っています
まずは自分の特性を理解して、受け入れて、活用していくところから始めます。
理解や受け入れが足りないと、強い資質に振り回されて大きな弱点になりかねません。

たとえば、わたしの場合は一番強い資質が「最上志向」なのですが、これは
得意なことをもっと伸ばしたい性質です。平均よりできないことを人並みにもっていく
ことには、まったく興味がない資質なのです。
だから、不得意なことをもうちょっとなんとか。。。とアドバイスされたりすると、
すごく苦しいのです。得意なことは、もっともっとやりたいので、それを制限されると、
これもすごく苦しいのです。この資質を自分で理解して受け入れてないと、ときに組織・環境
不適合となり、悩み苦しむことになったりします。

受け入れたら、次のステップは、のびのびと活かしていくことだと思います。
その次にくる段階が、全部の資質がうまく使えるようになる、というのは
面白いと思っていますが、私はまだ、とてもとてもこの域には達していません。

(才能から見た私の推薦文「私の存在が太極拳を通じて伝えるもの」は↓
http://blog.minminkung-fu.com/?eid=7

師父の話に戻ると、あの日の体験と感覚は、あのときからずっとわたしの中に深く残っています。
もちろんすぐにできるわけではありませんが、その感覚をずっと追ってお稽古を続けています。

本物を見ること、本物に触れる体験。
これは何ものにも代えがたい、貴重な体験です。

ちなみに、上の写真は、「白鶴亮翅」といって白い鶴が両方の羽を広げているポーズです。
恐れ多くて前から撮れないので、こっそり後ろから。。。(こっそり、のつもり)。

最後の写真は、2か月滞在したときの最終日です。
中央、白い道着の方が、田師父。向かって左隣が私です。


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カンフー(功夫)の意味と、太極拳

2015.01.16 Friday



カンフー(功夫)と太極拳は、何が同じでどう違うのか、あまり知られていないと感じます。

今回はカンフーの意味、太極拳との関係、いろいろな門派についてのお話です。

カンフー(功夫)は、今では中国武術と同じ意味で使われていますが、
もともとは長い修練によって培われた力、時間をかけて自分に合った修練を積んでいく人、
という意味です。単に能力のことを指すのではなく、「長い」とか「時間をかける人」
というのがポイントです。
それが欧米に広まった時に、中国武術と同じ意味で使われるようになったようです。

太極拳は中国武術のひとつです。
中国武術のひとつの分類として、内家拳(ないかけん)、外家拳(がいかけん)があります。
内家拳は、体の内側からの力を重視し、先に身体の中に気を起こして使うもので、太極拳はこれに含まれます。
力を抜いてやわらかく呼吸に合わせて動き、外見からも静かでなめらかな動作に見えます。
円を描くように動くのも特徴です。
太極拳のほか、形意拳、八卦掌も内家拳です。

外家拳は筋骨皮を鍛えるもので、力とスピードを求めて激しく動き、外見からも技の威力がはっきりわかります。
代表的なのが、少林寺の僧侶がやっている少林拳です。(日本の少林寺拳法とは違います。)
敵に対して最短距離で直接的な攻撃をする、と言われています。

内家拳が柔、外家拳が剛というイメージもありますが、実際にはどちらも柔と剛を修めます。

太極拳にもいろいろな門派があります。
私がお稽古に行く中国の武当山は、太極拳発祥の地とも言われていますが、これは伝説の域を出ていません。
現在の通説では、河南省からの陳氏太極拳が原型、と言われています。
そこから分かれた楊氏、呉氏、武氏、孫氏を合わせて五大門派と言います。
それぞれの門派は、たとえば陳式は武術の要素が強いなど特徴があります。
これらの伝統拳に対し、太極拳をもっと広めようとして中国政府が作ったのが
制定拳で、一般によく知られている簡化24式が含まれます。
楊氏太極拳をベースとして、伝統拳の套路(動き)を簡略化したり
複数の門派の套路を複合して作成しています。

私が練習している武当太極拳は、内家拳、そして伝統拳に分類されます。
太極拳発祥の地という話が伝説とされていても、この武当山という道教の聖地のひとつで
武術が育まれてきたことは、事実です。

この伝説は、太極拳は鶴と蛇の格闘を見て創始されたというものです。
武当山で修業した道士、張三豊(ちょうさんぽう)はある日、庭先で鶴と蛇が争っているのを目撃しました。
鶴は羽を広げて旋回しながら円形の動きを取り、
蛇はそのしっぽを、首の動きに合わせて攻防していました。
そのときの鶴の羽ばたく姿と、蛇のからみつくように動く形から、
柔が剛を制し、静が動を制する原理を悟り、その後、太極拳を編み出した、と言われています。

(下が、張三豊)


太極拳の始まりはどこか、伝統拳と制定拳の違いなど、太極拳をめぐってはいろいろな議論があります。
私が武当太極拳に出会ったのは、ほんの偶然なのですが、自分の感覚に合う気がして
(始めたばかりで何もわからないのに(笑)、ですが)、そのまま今日まで続けています。
それでも他の門派のものも習うこともありますし、どれにもそれぞれ特徴があると思います。
どれをやっているかは、出会いと、個人の好みのような気がします。

武当山は道教の聖地のひとつで、武当太極拳の背景には道教の教えがあります。
道教は、調和を大切にします。草木も、熊も、人間も、等しく尊い命です。
熊に出会ったとしても殺して良いわけはありません。そこで、相手の軸を崩して戦意を失わせ、
戦いを止める方法として、太極拳が発達した、とも言われています。
また、道教は「一生、青春を追い求める」ものでもあります。
20年後も同じカラダを目指して、養生に重点を置いているのも特徴です。
動きはしなやかで強く美しく、龍のようだとも思います。
そして動きだけではなく、師匠たちが見せてくれた穏やかなまぁるい心にも、
とても影響を受けてきています。

カンフー(功夫)とは、時間をかける人。私もまだまだこれからです。
おばあちゃんになっても、今よりもっと軽やかに、かつ重く動けたらいいなと思います。
今よりもっと、ニコニコと、まぁるい笑顔で。


(武当山)
 

太極拳とは、戦いを止めるためのもの

2015.01.04 Sunday



太極拳とは、戦うフォームの連続です。
相手の腕を取って逆関節にして折る、とか、
自分よりも大きな相手を投げ飛ばす、とか。

でも、相手を倒したり、殺したりするためのものではありません。

武術の武は、戈(ほこ)を止める、と書きます。
つまり戦いを終わらせるためのものなのです。

なぜこれが始まったのでしょうか?

太極拳は、山の上でお稽古する、という話を前に書きました。
http://blog.minminkung-fu.com/?eid=10

その昔、山の上にいることは、危険と隣り合わせです。
人間に出会ってしまった熊に、襲われたりします。
そこでやられてしまうのは困る。でも、「調和」を大切にする精神のもとでは、
熊も人間も、草もアリも、みんな同じく等しい命です。
熊を殺して自分が助かればよい、というのは違います。
そこで、相手の軸を崩して戦意を喪失させる方法を取った、と言われています。
それが今の太極拳につながっています。

だから、一番良いのは戦わないことです。
自分から戦いをしかけることは、ありません。
相手が向かってきてしまった場合に、「こんなばかばかしいことはやめようね」と伝える代わりに
使うものです(血気盛んな相手には言葉は通じないので、体で伝えます)。

なぜそれが健康によい、ということにつながるのでしょうか?

それは、戦うときに一番自分にダメージが少なく最大限に力を出せる方法をやっていたら、
それが結果的に健康に良かった、ということだと思います。

エネルギー効率がよい、ということです。

下の写真を例に見てみましょう。



左の人は、かなり必死に向かっている様子がわかりますが、右の人は、余裕。
(右の人は若いですが、先生です)。
勝負は見えています。左の人が力尽きるか、右の人が技を出して倒すか、でしょう。
右の人は、無駄な力を使わずに立って動く、ということをやっているだけです。
腕の力で支えているわけではありません。

右の人と左の人の違いを、クラスでも体験してもらったことがあります。
二人一組になり、ひとりが腕をひじからまげて、指先を前に向けるポーズ、小さい前へならえをします。
もう一人にひじから指先の腕のところを上から押してもらい、それに抵抗します。
このときに腕の力だけでやろうとすると腕も肩もつらく、痛みも出ます。
でも、太極拳の体の使い方でやると、お腹のあたり、体幹で支えている感覚があり、
いくら押されても自分は疲れません。結構、余裕です。
笑顔も出ちゃったりします。何といっても負ける気がしないのです。

私がこれで負ける気がしないという経験をしたとき、
「それなら勝つ必要もないし、戦うこともない」と思いました。

だから自分からは戦わないのかな、とも思いました。

強いということは、人に優しい、ということなのかもしれません。
自分にも、他人にも、です。
それが平和をもたらすということなのかもしれません。

そんな入口に、今、来ている気がします。

自分の体で経験することって、すごいのです。


 

今年は、心も体も楽ちんに!

2015.01.01 Thursday












明けましておめでとうございます。

今年のみんみんカンフーは、「体も心も楽ちんに」を合言葉に、
みんながそれぞれ自分らしく生きることを応援したいと思っています。

楽ちんに、です。

太極拳は、楽ちんに生きることを可能にするものだ、と思っているからです。
120歳(理論上の最低寿命)まで、一生青春、元気に生きるために。
負荷をかけすぎた状態では、その前に息絶えてしまう可能性が高くなります。

まず体です。楽に立って、楽に動くことを心がけます。
そのためにはコツがあり、それを繰り返し練習して習得していく方法のひとつが、
太極拳だと思っています。
ここで無駄に筋肉を使うと、コリや痛みになったりします。
(注:筋肉がいらない、と言っているのではありません)。

運動しているのに、体がコチコチ、コリだらけの場合もあります。
太極拳をやっている人の1/3はひざなどを壊していると聞いたこともあります。
一生懸命やればやるほど、体を壊すようなことは、
整体の先生に聞いても、けっこうあるそうです。
一生懸命にやっているのに、それでは悲しいではないですか。

ひざの向きはつま先と同じ方向、そしてつま先より前に出ない、というのが基本です。
でも、これを”ひざ”という部分だけで実現しようとすると、楽ちんではないのです。
(でも、私も前は、これをやっていました)。
そしてこのやり方だと、痛めるリスクがあると思っています(私の体感による考えです)。
本当は、正しく立つだけで、ひざの位置はしっかり正しいところに収まるのです。
しかも、かっちりと収まる気がします。
そして、正しく立つときには全身がちゃんと連動している気がします。
一部だけ動くのではなく、です。

こんなにアツく語っているのは、この「立つ」が基本だと、今のわたしは信じているからです。
これができれば、すべてうまくいって、楽ちんに動ける...ようになるのではないかと
思っているのです。

そして、体が楽になると、心も楽ちんになり、よりまぁるく、穏やかな心になる、
...と、私は信じています。
今年は、これをみなさんにお伝えしていこうと思っています。
すごいんですよ。立つって。

昨年からゆるゆる始めたみんみんカンフー、
数えてみたら昨年は、100名を超える方に講座をさせていただいていました。
のんびり屋の私だけに、のろのろとした歩みだったのですが、
これだけやってこられたのは、たくさんの方々に助けていただいたおかげです。
本当にありがとうございます。

今年も、伝統と基本は大切に、でも枠にはまりすぎることなく、
新しい知識や知恵もつけて、自分の体と心でたくさん経験しながら
そのときのわたしにできることを精一杯、やっていこうと思います。

クラスはみんなで作るもの。
参加してくださる方一人ひとりの存在で、クラスは成り立ちます。
今年はどんなクラスが育っていくのでしょうか。

どんなクラスであっても、人に優しく、自分らしく、みんなそれぞれを尊重する、
そんな場になるように心がけたいと思います。
そしてお稽古は、本気で取り組みます。
太極拳は、生きることは、楽しいことだと自分でも実感していきたいですし、
みなさんにもそう感じてほしいと思っています。

今年もどうぞよろしくお願いします。



昨年5月、中国・武当山でみた朝日。



 

太極図の意味、太極の心

2014.12.30 Tuesday












太極図。陰陽マーク、タオマークとも呼ばれます。
静止図ですが、実際はぐるぐる回って動いています。

黒が陰、白が陽。これは2匹の魚がお互いに追いかけっこしながら、
生き生きと運動していることを示しています。
白の中に黒の点があり、黒の中に白の点があることは、
陽の中にも陰があり、陰の中にも陽があることを示します。

陽の要素が大きくなってくると陰の要素が現れ、陽が強くなりすぎるのを抑えます。
逆も同じ。
こうやって、二つの異なる要素が動きながら、調和を保っています。

太極図は、二つの要素が一つの現象の中にあることを示す、とも言われます。
地球だったら、天と地。人間だったら、男女。健康だったら、心と体。
異なる要素は同じになることはありませんが、お互いに助け合います。
どちらかが強くなりすぎると、調和が保たれません。
太極拳をするときに、私は心の持ち方が大切だと話しますが、それはここからもきています。
調和が保たれていれば、キレイな〇ができます。これを”円満”と言います。

この太極、二つの極が生まれる前を、無極と言います。混沌、とも表現されます。
人間が生まれる前のときです。
精子と卵子という二つの要素がくっついて人間が生まれます。
命が芽生えると心臓は鼓動し、赤ちゃんは生まれると呼吸を始めます。
心臓の鼓動も、呼吸も、上下にゆるやかな曲線を描きます。
どちらに傾きすぎることなく、動き続けます。ちょうど、太極図のように生き生きと動き続けます。

同じことの繰り返しですが、そこには”発展”があります。
心臓が鼓動し続け、呼吸を繰り返して、人間は成長していくからです。
同じところにはとどまっていません。
細胞はかならず入れ替わるし、人間は、ほっておいても成長するようにできています。
上から見たら同じ動きでも、横からみたららせん状に上がっていっている、という表現もできます。

武当太極拳の背景にある道教で、3という数字を”発展”としているのは、ここからきていると思います。

太極拳でも、一番最初に行うのは、無極から2極にわける動作です。



まっすぐ立つ(無極)ところから、足を真横に開きます(2極)。
ここからすべてが始まります。この最初の部分、すごく大切だと言われています。
ここで失敗すると、残りが全部だめになると言われてきました。
大地に足の根っこをはり、天に向かって自然にすっと伸びるという立ち方をして、
穏やかなまぁるい心を持ちます。
私は、無極から2極にわけて、ここから始めていく、作っていくという意識を持っています。
単純な動きですが、とても大切で、とても美しい場面だと思います。

今年もいろいろな経験をしました。
陰も陽も、陰の中にも陽があり、陽の中にも陰があり。
悲しいことも、楽しいことも、どちらの価値も同じだと思うようになりました。
それを繰り返しながら、発展していきます。
これからも、太極の心を大切にしていこうと思います。

今年は、おかげさまで良い年でした。
のろまだったり、うまくいかないこと、できないこともまだまだありますが、それも良しとしようと思います。
私という存在と、私の周りの存在すべてに、感謝しています。

みなさまもどうぞ良いお年をお迎えください。


 


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