武当山日記: 引き継いでいくこと

2015.05.08 Friday



5月の連休の頃、武当山にお稽古に行っていました。
そこで感じた大切なことを、少しずつ書いていこうと思います。

太子洞というお寺の裏の洞窟に住む、道士のおじいちゃんを訪ねたときのことです。
(おじいちゃんは、以前ブログでもご紹介しました。http://blog.minminkung-fu.com/?eid=26
今回は学校の人たちと一緒でした。

わたしが日本人であることを、おじいちゃんはご存知なのですが、その話から生徒のひとりが
「韓国人と日本人は似ているよね。」

わたしが「でもやっぱり違うよ」と言うと、おじいちゃんがわたしの手をとって、
「指が1、2、3、4.5本。みーんな、おんなじ(笑)。」

その通りです。どの国の人も、みんな同じです。

国が違うと文化も違うし、理解しあえないことや、壁もあったりします。
カンフーでも、中国人の先生は外国人には本当のことを教えない、という話もよく聞きます。

でもわたしは、中国人の先生たちから、良く教えていただいた記憶しかありません。
教えていただいていないとしたら、それはわたしがまだそのレベルに到達していないからだと思うのです。

中国人は教える価値のない人には教えない、と聞いたことがあります。
それは時々感じることがあります。
意地悪をしているのではなく、意味がないからというだけのことです。
たとえ伝統がそこで途絶えるとしても、
引き継ぐだけの度量がない人には教えない、ということのようです。

だからこそ、一生懸命な人、真剣に取り組む人には喜んで教えてくださいます。
自分が引き継いだように、次の世代に引き継いでもらいたいという思いはあるようです。

わたしも、これからも焦らずにゆっくり学んでいこうと思います。
どう習ったらよいのか迷ったこともありましたが、
今はこのままやっていけばよい、と思うようになりました。
カンフー(功夫)とは、もともと時間をかける人、という意味でもあるのです。
今回も、はじめて習った形意八卦掌の歩き方に苦戦するわたしに、
先生は「心配することないよ。これはみんな、ずっと長く練習していくものだから。
『慢慢習(ゆっくり学ぶ)』でいいんだよ。」
とおっしゃっていただきました。

カンフーは、特別な人のものではなく、誰にでもできます。それぞれのところから始めればよいし、
自分のペースで進めればよいのです。カンフーを学ぶことは、生きる豊かさを教えてくれると、
思います。

ただし自分のペースとは言っても、ちょっと引っ張って可能性をストレッチしてくれる
先生という存在は大切です。「それは違う」と指摘してくださったり、すごく厳しかったり、
まだ見えないものを見せてくださったり、
先生は優しいだけの存在ではなく、強い存在でもあります。

わたしは先生にはすごく恵まれてきました。何度やってもできなくても、
先生があきらめたり、嫌な顔をされたことはありません。
「わからない」と言うと「とにかくやれ」と厳しい顔をされたことは何度もありますが、
後から振り返るとそうするのが良かったのだろうと思うのです。
どの先生にも、感謝と恩しかありません。

わたしの先生たちがそうだったように、わたしも生徒さんたちにとって、
そんな先生でありたいと思います。
引き継ぐのは、伝統の技だけではなく、心や生き方もだ、と思っています。

豊かさとは、心や生き方を引き継いでいくことからも溢れてくると思うのです。

最後の写真は、今回一番教えてもらった杨阳(ヤンヤン)と、最後のお稽古の後に撮りました。
太極剣も、形意八卦掌も教えてもらっただけでなく、一緒にひたすら八卦掌の歩き方を練習をしたり、
站椿功をやったりもしました。この人の姿勢や心のあり方からも、たくさんのことを学んだ気がします。

たくさんの感謝をこめて。


 

武当山に行く理由:今よりもっと、自分を大切に。

2015.04.25 Saturday



今日から2週間、中国 湖北省の武当山にお稽古にいきます。
長いときで2か月、あとは短期ですが、通算で半年ほど滞在しているため、
わたしにとっては帰るところ、ホームです。原点でもあり、わたしがわたしに還る場所です。

毎回、そのときの自分により、目的を持っていきます。
今回は、今よりもっと、自分を丁寧に、大切に、大事に扱う、です。
(もちろん、〇〇太極拳を習う、など、技術的な目的は別にあります。)

産まれてから育っていく中で、いろんな価値観、考え方、社会生活を守るためのルールに触れ、
もまれながら自分らしさを探してきたと思います。最初は何が自分らしいのかわからないため、
なんとなく前にきたものを全部やってみて、その中で自分らしくないもの(=苦しいもの)を
手離し、自分らしいもの(=楽なこと)を残して大事に育てています。

太極拳は、自分らしいものとして残して育てているものです。体力的にきついこと、精神的にも
忍耐が必要なことはあるため、傍目には苦行のように見えることもあるかもしれませんが、
自分を苦しめるものではありません。それは自分らしさを探していくプロセスです。
そこで自分が得た感覚こそ、自分らしさで、それを探していくことが修業と言う、と思っています。

太極拳を選ぶのは、わたしが体にこだわっているからです。
人の魂は輪廻転生すると言いますが、今の命は体の機能が停止したらおしまいです。
だからこそ、体を通して学ぶのだと思うのです。

人の心と体はバラバラだとも言われています。肩こりなのに気づかなかったり、
心とは裏腹なことを言ってしまったり、自分の本当の気持ちに気づかなかったり、
ちぐはぐなことがたくさん起きます。わたしが太極拳を始めたときも、そうでした。
好きでやっていたはずの仕事にも違和感を覚えるようになり(決して仕事が悪かったわけでは
ないのです)、無理をかけた体は目に見える湿疹として外に現れました。
その頃はよくわかっていなかったのですが、外の評価で自分の価値を決めていたと思います。
評価されない自分は、価値がない、など。他人軸で生きていました。

太極拳を始めて、体に意識を向け、心に意識を向けていくことで、少しずつ体と心が
一致してきたと思います。

体の反応を良くみることで、好きか嫌いかがわかります。
好きなことは体が楽、嫌いなことは体が硬くなります。体の反応で自分の心を見ながら、
いつも「わたしを生きる」ことを大事にしてきました。

普段のわたしは煩悩だらけですが、太極拳をやっているときはエゴや欲がなく、ただ心を静かに
することだけを心がけています。穏やかで平和な状態です。
人と比較することはありません。人と争うこともありません。
自分が穏やかな状態だと、それは波動として伝わり、周りの人や環境も穏やかにしていくと思っています。
穏やかな人のそばにはいたいですが、イライラしている人から逃げたいのは、その波動を感じているからです。

武当山で集中してお稽古するのは、もっともっと穏やかな心を育てたいからです。
調和を大切にする文化の中で、戦わない心、戦いを終わらせることを、
もっと学びたいからです。
そして、普段の生活にも、もっと生かせるようになりたいからです。

慣れた場所でも、海外に行くことは緊張も伴います。
毎回、自分の身は自分で守る、そうでなければ危険だと、肝に銘じています。
危険と隣り合わせだからこそ、自分を丁寧に扱います。
ごまかしたりも、できません。
これはわたしが武術を選んでいる理由と同じです。

今よりもっと、自分を丁寧に、大事に、大切に扱う毎日を送ることが、
今回の大きな目的です。

何度行っても、海外に行くのは緊張します。
緊張や恐れはありますが、嫌な感じではなく、静かに出発の準備をしている気がします。

帰国は立夏の翌日です。
季節も変わってきます。
わたしはどんな風に変わるのか、変わらないのか、楽しみです。



 

站とう功(たんとうこう)

2015.04.17 Friday





















站樁功(たんとうこう)とは、中国武術の基本的な練習のひとつです。
足を肩幅に開き、腰を落として膝を緩め、腕は木をかかえるように胸の前で丸く円を作ります。
站は「立つ」、樁は「杭」という意味で、座る座禅に対して、立禅とも言います。
これにどのような意味があるのかを、書いてみようと思います。

「站樁功は30分やりなさい」と、よく聞きます。
根気も慣れも筋力も必要になるため、最初は5分でも良いと思いますが、
30分には理由があります。

中国武術には、上虚下実(じょうきょかじつ)という言葉があります。
下を充実させ(=実)、上を空にする(=虚)です。
站椿功も、上虚下実です。つまり下半身の筋肉を使うため、
15分たつと太ももが震えてきます。縦揺れ、横揺れ、が来て、
しばらく耐えていると、ぴたっと震えが止まります。
この震えは、グリコーゲンが足りなくなることからくるそうです。
「足りないぞ!」と感知すると、体が不足を補充しようとして働き始めます。
補充が終わると、震えが止まります。
30分ですと、ちょうどこれが2回きて、それが1セットになります。

站椿功で使われる筋肉は、「緊張筋」です。太極拳でも同じです。
鍛えても筋繊維が太くなりにくく下半身に多く赤い色をしているため、赤筋とも呼ばれます。
抗重力筋とも言われ、重力に対して体をしっかり一定の姿勢に保つための筋肉です。
「緊張筋」と言われる理由は、緊張していることを感じにくいからだそうです。
立つときにいちいち緊張を感じていたら生活しづらいため、都合よく鈍感になっていると思います。
これに対して、上半身に多いのが「相性筋」です。
白い筋肉で筋繊維が太くなりやすく、力こぶは、これです。



「緊張筋」は、日々コツコツと鍛える必要があります。
お年寄りが風邪などでしばらく寝たままになると、あっという間に弱ってしまう、というのは、
この「緊張筋」がやせ細っていくからだそうです。

站椿功でも太極拳でも、「放鬆」(中国語読みでファンソン)、という言葉をよく使います。
リラックスとか脱力と説明されることが多いのですが、本当にリラックスしたり脱力したら、
人は立っていられないため、実際にはちょっとニュアンスが違います。
「緊張筋」がうまく使われ、下半身がパンっと張っていて、
「相性筋」は緩んで緊張していない状態、だと思います。
站椿功を30分やるために、たとえば腕を体の前に丸く置き続けるのに、相性筋を使っていたら
疲れ果てて維持できません。維持できないことは自然にやめるしかないため、
長く続けることで、ふさわしい筋肉を体が探り、育っていく、という感じがします。

「相性筋」と「緊張筋」は、動く仕組みも違います。
大脳の命令ではたらく「相性筋」に対して、「緊張筋」は脊髄神経にコントロールされており、
無意識に動く筋肉です。いろいろ考えて指令を出さなくても立てるのは、脊髄神経によって自動的に
体を支えるように筋肉が使われているからです。
「緊張筋」を使うことにより、失われた本能をよみがえらせる、と言われています。
太極拳をやっていると、自動で動いているような感覚があるときがありますが、これは実際には
「緊張筋」をうまくちょっと動かしているのだと思います。

中国武術には、「静功」「動功」という区分があります。
動かないものが「静功」、太極拳のように動くものを「動功」と言ったりします。
「立つ」は動かないため「静功」に分類できますが、
座禅にくらべて下半身の充実感が強いため、静が極まって動となる、という、
限りなく動に近い静だと、わたしは思っています。
だから站椿功を練習することは大事で、でもこれだけでは足りなく、太極拳などの動功も必要になります。

站椿功の形は単純ですが、奥が深いのは、このような理由によります。
年数がたつにつれて、筋肉は育っていきますし、自分の感覚も変化、発展していきます。
今回は物質的な説明で長くなってしまいましたので、
わたしが站椿功で得た感覚などについては、また次の機会にご紹介しますね。


(武当山。龍がのぼっていくような雲の形が好きな一枚です。)
 

太極拳という武術をやる理由

2015.04.09 Thursday




「太極拳も気功も、武術です。それを忘れないようにしなさい。」と、
ずっとおっしゃっていた先生がいらっしゃいます。
去年、半年ほど教えていただいた李先生です。

先生は、「気功も、中国の公園などでも多くの人がやっていますが、
ぼんやりやっている人が多く気分は良いのでしょうが、武術として考えた場合は
あまり意味がありません。」とおっしゃいます。
そして、「使えないものは意味がない」ともおっしゃいます。

この教えを、わたしもすごく大切にしています。

わたしにとって太極拳は、調和のためのものです。
自分から攻撃することはなく、攻撃を受けた場合、相手も自分も傷つかずに、
戦いを終わらせるためのものです。
だから、武術です。
危機的な状況に立たされても、まず心を落ち着けることが大切で、
自分の体を丁寧に扱うことも大切です。
生きるか死ぬかの状況で自分の体を雑に扱えば、動きも雑になり、
倒されてしまうからです。

太極拳はゆっくり動きますが、それは心を落ち着けながら自分の体を丁寧に
使う練習をするためです。
慣れないと、体を雑に扱ってしまいます。
ゆっくり動くことで、丁寧に扱うことに慣れていきます。

「ゆっくり動くのは、早く動くためです」とおっしゃる先生は多いのですが、
ゆっくり動いて自分の体を丁寧に扱うことに慣れれば、
いざというとき、早く動いても雑にならない、
ということだと思います。

体を丁寧に扱い、心を落ち着けて、心も丁寧に扱うことは、
自分を尊重することでもあります。

自分を尊重して、信頼できている人は、そばにいてもとても居心地が良いです。

争わずに平和でいることを理想としても、現実に争いは起きています。攻撃されることもあります。
平和を求めつつも、実際にはそうではない世界だからこそ、武術が伝えられてきていると思うのです。

環境が平和だから平和な人になる、ではなく、
そうではない要素がある環境だから、まず人が平和になって、環境を平和にしていくような気がします。
そのために自分を尊重するのだと、そしてそのために自分の体を丁寧に扱う練習をしているのだと
思います。
そしてそれは、他人を大切に尊重することにもつながり、平和な世界につながっていくと信じています。



(2014年5月、李先生と。中国でも珍しい四節八極拳の伝承者です。)

生徒の準備ができると、先生が現れる

2015.03.07 Saturday


(武当山の朝)

半年ほど、日本では太極拳の先生についていませんでしたが、
昨日からまた!先生が現れました。

うきうき、ワクワク。

先生がいない間も、いろんな良き出会いがありました。

整体の先生と、体の構造からみた太極拳の動きを研究してみたり、
ボディワークをされている先生に、すごく大事な基本的な体の動きや心の持ちようを習ったり。
ずっと太極拳の先生がいたら、この方たちに習うことはなかったかもしれないと思うと、
これはこれでよかったのかもしれないな、と思います。

迷いながら、わたしの道を探る中で言われたのが、上の言葉。
「あなたの準備ができたら、先生は現れるよ。そういうものだから」

昨日から習い始めた先生は、偶然にも、去年の5月まで約半年間習っていた李先生
(今は中国にいらっしゃいます)にも習った方。李先生は中国でもめずらしい四節八極拳
の伝承者であり、日本にいらっしゃるのは数年に1回で、とてもまれです。
ふたりとも李先生に教えていただいたことがわかったとき、
先生は「うわー、ちゃんといい先生に習っているね」と。

7年ほど太極拳をやっていますが、ずっとひとりの先生に習うことはありませんでした。
でも、その時々で先生方からはすごくちゃんと教えていただいたと思うのです。
「全然だめ〜」と言われたことも何回も、何人も、ですが(笑)、そのときのわたしに必要な先生が
現れて、それぞれ大事なことを教えていただいたと感じています。先生としての愛情のような
ものを、今でもすごく感じています。ありがたいです。

いろんな先生からの言葉、あり方、動き、などたくさんのものが、わたしの中に刻み込まれて、
育っていっています。同じ映像が何度も出てきて、そこから更に学んだりすることも何度もあります。
感覚がだんだん変わっていくこともあります。
良い先生に習うことは、一生の宝です。

今回の先生も、実は1年ほど前に著書を読んでいたのです。でも、そのままでした。
先日なんとなく読み返してみたら、
「すごいっ、この先生、習いたいっ!」と。
ぴんときたこと、そしてお稽古場が家から遠くないこと、すべてがタイミングよく合いました。
これが「準備ができたら。。。」ということなのかなと思います。

先生は陳式がご専門なので、わたしが主にやってきた武当太極拳とは門派が違います。
違う門派でやってきた生徒を敬遠する道場もある中、先生はわたしの武当太極拳を見て、
「(ここで教えることを)足していけますよ」と、おおらかです。
そして「太極拳は特有の動きをしているのではなく、一流の運動選手の場合は
同じような体の使い方をしているんですよ。特別なものではないんです」ともおっしゃいます。

同じ人間が体をつかってやることだから、方法は違っても、目指すところは同じだったりします。
通る道が違う、というイメージ。海沿いか、山か、森がいいか、は個人の好みで、
到達するところは同じなのかな、と今は思っています。

わたしにとって武当拳は、動きだけではなく、背景にある哲学も含めてとても大切なものです。
その伝統は大切にしつつ、門派にこだわらずに広くチャレンジしていきたいと思っています。

先生は「太極拳は動きだけじゃない。いろいろ意味がある。わたしも去年、やっとこれがわかってきてね。。。」
とおっしゃいます。功夫(カンフー)とは、時間をかけて熟練していく人、という意味です。
やってもやっても、まだまだ学ぶことがあるのが、カンフーです。だから好きです。
どんなになっていくのかな。わくわく。

そして冒頭の話をしてくれた方がおっしゃったもう一言。
「先生の準備ができたら、それに合う生徒がくるんだよ」とも。
それもちゃんと、心にとめていこうと思います。

すべての出会い、偶然のような必然にも、感謝しています。












(大好きな李先生と。先生の話は、また次の機会に)
 


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