先生と生徒と、共生

2018.05.19 Saturday

 

どの世界でも似たようなことはあるのかもしれませんが、太極拳の世界でも、先生と生徒の確執や、組織についていけない人というのは、出てくるようです。

 

好きで始めて、今でも好きだけれども、これからどうしたらいいかわからず、迷子になっているような状態です(”迷子”というのはわたしの表現で、当人はそう感じていないかもしれません)。そこに、苦しみや痛みを伴っていると感じられる場合も、多々あります。

 

かつて、わたしも迷い、苦しい気持ちを持って訪ね、泣きながら話を聞いていただいた経験があります。同じ道にいる人に、話をきいてもらえるだけでも、ずいぶんと気持ちが楽になりました。そこからまた、続ける意欲を新たにして、続けられる道を見出す機会にもなりました。

 

わたしのところにも、そういう悩みを抱える方々が、時々訪れます。自分の過去の経験もあり、こんなときに”話を聞く”ことも、自分に回ってきたひとつの役割なのかもしれないと、思っています。

 

対象の方を直接知っているわけではなく、仮にちょっと知っていたとしても、当事者ではないため、何かできるわけでもなく、何かしたいわけでもありません。たいしたことは、できないかもしれません。

 

ただ、練習方法や、体の使い方についての迷い、太極拳とはどういうものかという概念や哲学や理論は、答えられること、お話できることは、あります。昔の自分がそうだったように、それが迷子になっている人にとって、光を見つけるきっかけになるといいな、と願っています。

 

悩みの中には、先生の意図がうまく伝わっていないだけかな、と感じることもあります。ものごとの一部分しか伝わっていない気がする場合、「こんな側面もある」と、違う角度からの見方をお話することもあります。

 

どんな指導をする場合であれ、先生には、それぞれの考えがあると思っています。「とにかく動きを真似するだけで、説明がない」という話もよく聞きますが、それもひとつの教え方です。

 

わたしは、たくさん話してくださる先生に習ってきた時間を、多く持っています。それは、教え方という意味でも、よりどころという意味でも、自分の基盤になっています。

 

でも中には、何の説明も受けず、ひたすら真似するだけのお稽古もありましたし、とにかくやり続けたものも、あります。時間数でみても、こちらもかなりあるのです。その経験も、やはりよかったのです。

 

カンフー(功夫)とは、もともと、時間をかけて熟達していく人、という意味です。匠、みたいなイメージです。絶対的に必要なのは、”時間をかけること”です。わからないなりに、雰囲気を感じとり、真似して、ひたすらやり続けることで、ある日、「あっ、これ?」という気づきがあったりするのです。与えられるのではなく、自分で開拓して気づいていくプロセスは、何ものにも代えがたい、貴重な経験です。

 

そこには、「おかしいなあ」「変だなあ」と思うこともあります。迷いもあります。でも、その問いを持ち続けていると、いつかどこかで、答えはやってきます。

 

もちろん、「こんな感じじゃないかしら?」という、明るい兆しのような発見もあります。それはのちのち、先生からのアドバイスにはまってくることもあり、「ああ、あのときこれを、自分なりに感じ始めていたんだ」と思えることもあります。人の体とは、そういうものです。自分で発見していけること、開発していける可能性が、たくさんあるのです。

 

焦らず、のんびりいこうと思えないと、説明もなく続けるのは難しいかもしれませんが、そもそもカンフーとは、そういうものですしね。

 

つまり、教え方としては、なんでもありだと思っています。そして、どんな経験も、苦しいことも含めて、無駄になることはないのだと思います。

 

そうは言っても、今、自分が行き詰っていたら、その場所からは離れたらいいと思います。先生には、好きなやり方をする自由がありますし、生徒には、自分が希望する先生につく自由があります。

 

タイミングが合わなかったり、ウマが合わないことも、ありますよね。

 

共生とは、共に生きることで、仲良く手をつないで生きることではないと思っています。希望するものが違うなら、別の場所で生きる方がお互いのためです。

 

クジラは、金魚鉢の中では生きられないのですから。金魚は、海では生きられません。クジラと金魚、どちらが偉いとかは、ありません。

 

苦しさや傷がある場合、それを癒す時間は必要です。病気がひどければ入院するように、それまでの場所から離れて、治療にふさわしい環境に身を置くべきときもあります。骨折したような場合、回復まで長い時間がかかることもあります。リハビリも必要ですよね。

 

そうやって安心できる場所で自分を癒しながら、時には「忘れて」過ごすうちに、過去の出来事への見方が変わってくることも、あります。

 

起きたことの事実は、変りません。でも、過去の感情は、今に持ってくることはできないのです。つまり、いつも”今”の時点から、過去の出来事を見たときの感情があるだけです。

 

これはわたしの場合ですが、確執も、それを経験する意味があったのだ、自分がそれを経験したかったのだと、素直に思えたとき、苦しい感情は、薄くなったり、消えていることも、あります。

 

起きることすべてに意味がある、今を生きることで過去は変えられる、というのは、そういうことだと思います。

 

みんなそれぞれ、自分にふさわしい場所で、共生していけたらいいですよね。

 

 

【特別クラスのお知らせ】

5月20日(日)14:00-16:30は「太極扇を体験しよう(第7回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

5月27日(日)13:00-15:00は「おためし体験〜みんなが知らない太極拳のひみつ」です(千葉県香取市)。詳細とご応募は、こちらから。

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、キリリとした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ


守護天使からのことば

2018.05.15 Tuesday

(2013年、流れに抵抗してくたびれ果てた頃。自分を取り戻そうと行った、バリ島で)

 

先日、GGG(Great Gurdian Guidance =グレート ガーディアン ガイダンス)というセッションを受けました。

 

守護天使という存在、気にしたことありますか?本質的な自分を100%理解し、愛し、サポートしてくれる存在、と言えばいいでしょうか。ハイヤーセルフと言ったり、自分の内なる声と言ったり、自分自身、とも言えます。

 

人にはそれぞれ、守護天使がいるといいます。そんな天使のことばを伝えてくれるセッションがある、と知ったその日、サッと申し込みました。

 

楽しみにしていたのですが、近くなってくると、「はて?何をするセッションなのかしら?」。あらためてご案内の文章を読んで、「ヒーリング?今、いらないかも」と思ったり。しかも当日のお天気は、大雨の予報。これは......と、キャンセルが頭をよぎりましたが、キャンセル条件がわからなかったために、そのままになりました。なんだか、後ろ向きですね。

 

翌朝は、すっきりとした朝でした。快晴ではありませんが、雨は降っていません。「あれ?行けちゃう?」と。

 

そして結局、行けて良かったのです。会う人には、タイミング良く会えるようにできています(と、勝手に都合よく解釈。)

 

セッションをしてくださるのは、Yasuko Taguchiさん。普段はシドニーに住んでいらっしゃいます。

 

まず、今日の流れの説明から始まります。「天使は、聞いたことしか答えない」とか、「天使は自分自身なので、きっと、『ああ、それは知っている』と思うことばかりです」というお話もありました。こういう説明、大事ですよね。こんなやりとりをする時間も、大事です。

 

最初は、天使の”見た目”からです。「ちょと意外ですが、洋風、たぶんヨーロッパ人、男性か女性か、わからない感じ。木の妖精のようで、たとえるならコロボックル。天地と交信しながら、かろやかに舞って、エネルギーを循環させて、喜びを表現している。自然界とのつながりが、とっても強い天使です。」

 

確かに、このあたり、「知っている」感じです。わたしは、ハイヤーセルフに会うような瞑想をする場合、出会う姿は、金髪のクルクル巻き毛、青い眼の小さな男の子か、金髪巻き毛の女の子か、飄々としたおじいさん、なのです。天使は、いつも決まった姿をしているとは限らないのですよ(たぶん。)

 

天地の間で循環する感覚は、太極拳をしているときの感覚です。天地の間に生きる人は、天地をつなぐ存在だと思っています。

 

「流れに乗るのが得意というよりは、流れそのもの。今、こうだからこうしようということが、早く現実化すること、あるでしょう?」とも。ある日突然、太極拳が人生に現れて、始めたことも、そのひとつかもしれません(出会いがしら、みたいな始まりでした。)

 

さらに、今に至るまでにいろんな仕事をしてきているのですが、それについては、「そのときはそれ、という流れを、素直に表現したからではないでしょうか」と言われました。

 

そのことばで、過去の認識が、変わったような気がしました。

 

仕事は、ずっと好きなことを選んできました。でもだんだん、何が好きなのかわからなくなり、やりたいことがないのに、やめる勇気もなく、そのまま居続けるという状態でした。そのせいか「ずいぶん長く会社員をしたけれども、それだけ時間をかけなければ、自分には合わないと気づかなかった。それだけ感覚が麻痺していたのかもしれない」と認識していました。

 

でも、そうではなかったのかもしれません。

 

そのときの流れで、縁があった仕事をしてきたのだと、再認識できた気がしました。

 

思い返せば、数々の転職も、ほぼ知り合いの紹介でした。途中、「なぜこの部署に?」という不思議な異動もあり(わたしだけではなく、周りの誰にとっても不思議な異動でした。そんなことが、現実には起きます。)、それがわたしの職歴をわかりづらいものにしたと思うのですが、それもまた、流れだったのかもしれません。

 

これも、ご縁なのでしょう。

 

そもそも、不可解なように見えますが、自分の中では、ちゃんとつながっている気がしていたのです。そういうことすべてが、腑に落ちた気がします。

 

カンフーをやっている人、例えばわたしの先生は、最初のキャリアからカンフーです。でも、わたしは始めた年齢も遅く、最初の頃は「遅いスタートで、どれだけのことができるのか」と、コンプレックスに感じたこともありました。

 

でも、ここ数年は、そんなことで悩むこともなく、わたしにできることをすればいいと、思うようになりました。

 

わたしには、会社員だったときの、あの一つひとつの経験が、とっても大事なのです。これでクビだと血の気がひいた出来事、ウマが合わなかった相手、板挟み、損を出したこともあれば、新しい流れを作りだすような経験、チャレンジ、大きな変化、信頼、助け、優しさ、喜び、本当にいろいろです。

 

いつも思っていたのは「同じことは二度とない」でした。前回はこうやったと言われても、「今回も、同じようにやればうまくいくとは限りません」と、生意気なことを言っていました。似ている案件でも、実際には環境や状況などが違うので、まったく同じことなど、ないのですよ。いつも、今を生きていたと思います。この事実には、驚きます。

 

今回のセッションがなければ、こんなふうに再認識する機会もなかったかもしれません。うれしかったです。

 

千変万化、世の中はどんどん変化します。上で書いたように、比較的、変化には柔軟だったのですが、その変化に抵抗したときは、当然のことながら大変でした。本当はやりたくないのに、無理やりしようとしたり、留まろうとしたり、自分の本質に素直に生きていたときではありませんでした。

 

だからこそ、わかった感覚があります。「わたしは、わたしであれば、それでいい」です。自分が自分であれば、自然とひとつになり、流れにのっていけるというのは、天使からのメッセージでもありました。

 

わたしにとっては、枠にはめず、はまらず、自由でいることが何よりも大事です。

 

カンフー、太極拳が、わたしにとって大切であることは、きっと変わりませんが、これからそれをどう伝えていくのか、どう表現していくかは、変化していくかもしれないな、と思っています。

 

セッションの中の、天使からのことばは、録音させてもらえたので、時々聞いています。17分くらいの短いものですが、いつも寝てしまうのです。最後に自分が「大丈夫です。ありがとうございます。」と言うところで目が覚めるのですが、それが、自分で自分に大丈夫、と言っているような気がして、不思議と元気づけられます。棚からぼたもち的なオマケですね。

 

これ、天使からのことばを伝えてくださった後に、「他に聞きたいことありますか?」と聞いてくださったことへの返事なのですけれどもね。

 

守護天使を信じるかどうかは、自由です。天使、という表現をしなくてもいいと思います。こういう話が、あまり好きではない方もいらっしゃると思います。でもこういうことは、他人がどう思うかよりは、自分が腑に落ちれば、それでよいのだと思っています。

 

そのことばに癒されたり、これからに向けての活力になるなら、じゅうぶんじゃないかしらね。

 

Yasukoさんのウェブサイトは、こちらから。ここで書いたことはセッションの一部ですので、実際にはもっと、盛りだくさんです。満足、お腹いっぱい、胸いっぱいで、セッションを終えられたことに、感謝です。

 

 

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(2015年4月。Photo by Xie Okajima)

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、キリリとした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

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「神の島」久高島:「久高オデッセイ」を観て

2018.05.14 Monday

 

先月、「久高オデッセイ」というドキュメンタリー映画を観ました。

 

大重潤一郎監督が、2002年から12年、沖縄久高島の自然や人の営み、祭りごとなどを、「結章」「生章」「風章」の三部作として完成させた抒情詩(=オデッセイ)です。

 

観に行く前は、名前を聞いたことがあるくらいで、大きな興味や期待はありませんでした。何度も観ている友人が行く!という機会に、なぜか「観てみたいな、行こうかな」と思い、「第三部 風章」に行きました。

 

久高島は、沖縄の人々の祖先となった男と女の神さまが、最初に降臨したという神話が伝わっているそうで、沖縄の人々から「神の島」と呼ばれているのだそうです。

 

神の国で、祈りをささげて祭祀を執り行うのは、神人(かみんちゅ)、女性たちです。男性は、海に漁に出て、海人(うみんちゅ)と呼ばれます。

 

映画では、久高島の風景、自然、日常に溢れている祈り、暮し、祭りの様子が、淡々と描かれていました。

 

激しい雨風が吹き荒れる風景も、この島では普通のことなのだとか。自然の恵みもあれば、こんな日もあります。

 

祭りのときには、みんなが集まり、祈りの後に踊るのです。スーツを着た男性も、子供を連れた女性も、軽やかに踊るのです。嬉しそうに、楽しそうに。音楽とともに。

 

祈りは特別なことではなく、日常にあるのだと感じました。

 

久高島の地下に流れる地下水のように、この営みは、ずっと子孫に引き継がれてきています。でも最近は、土地を耕さなくなったために地下水の流れも枯れてきているのだとか。

 

祭りごとも、同じです。12年に一度、牛年に行われてきたイザイホーという儀式も、今は途絶えてしまっているそうです。

 

それでも、イザイホーの儀式の日にあたる日、島で一番若い神人が祈りをささげている姿がありました。ずっとお祈りのことばを唱えながら、途中で泣きながら、続けているのです。その姿と、「儀式は途絶えても、その魂は引き継がれている」というようなナレーションは、とても心に残りました。

 

全体として、淡々と流れる映像なのですが、終わる頃には、なぜか号泣です。理由はわかりません。隣にいた友人も、やはり号泣。

 

さらに観終わって出てきたら、やはり目を赤くしている知人にばったり。聞いてみると、昨年、久高島に行ってきたのだとか。

 

感想は上手く言えませんが、「ここには大切なものがある」と、強く感じました。

 

わたしはこれまで、海外に出て、カルチャーショックを受け、自分の無知さに気づき、視野を少しずつ広げてきたと思います。それを求めていたと思います。

 

でもこの映像を観たときに、「ここにあるじゃないか、大事なものが」と思ったのです。国内のことだって、わたしはまだ何も知らないのです。

 

自然への畏怖と感謝の中で生きること、日常に祈りのある毎日。

 

これ以上に、何か言えることはないのですが、数日後に「第二部 生章」を見たときに、涙のわけが、少しわかったような気がしました。でもそれは、まだ言葉にできるところまでは言っていないのですけれども。

 

わけもわからず涙が出たのは、9年前に武当山に初めて行ったとき以来かもしれません。

 

これからわかってくるかもしれませんね。わかっても、わからなくても、どっちでもいいような気がしますが。

 

面白いことに、こういうことがあると、久高島が日常に現れはじめます。「去年、行った」という人、「先月、急に予定変更して行ってきた」という人が、次々と周りから出てくるわけです。

 

不思議ですよね。

 

観に行く前には、たいした興味はなかったのに、です。

 

きっかけを運んでくれたのは、友人です。こんなとき、友人ってありがたいなあ、と思います。

 

なんだかいろいろ、うまくできています。

 

久高島、行こうと思っています。いつになるのかな。

 

 

 

 

 

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「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、キリリとした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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問いを持ち続けること

2018.05.11 Friday

(あしかがフラワーパーク。色とりどりのお花が満開)

 

先日、生徒さんが「太極拳をやっていると話すと、『公園でおじいちゃんがやっている、ゆっくり動くあれでしょ』と言われます。それに上手く答えられない」と言っていました。

 

上手く答えられない、というのは、もっとあるのに、上手く言葉にできない、という意味だと思います。

 

面白いな、と思うのは、以前はわたしも「お年寄りがやっているものでしょ」と、よく言われました。でもここ数年、そういうことは、あまりありません。

 

わたしがまだ”おばあちゃん”には見えないため、その人を目の前にして「おじいちゃんがやっている......」という言葉は出てこないのかなと、勝手に想像しています。ですから、言葉でうんぬんという前に、”おばあちゃんでない、わたしがやっている”事実だけでも、周囲に何かを伝えていますよね。

 

”これをやっている”という人のイメージから、その事の印象を感じること、変ってしまうこと、ありませんか?

 

でも、そんなわたしから「どんなイメージがある?」と聞いてみると、やはり冒頭のようなお返事が返ってきます。そんなときに、何を言うかは、その時の様子次第です。相手の興味がありそうなところ、使った言葉に関連するあたりから、話していきます。定型文のようなお返事は、持っていません。

 

なぜなら、おそらく生徒さんが感じているように、太極拳は、すごく広くて、深いものだからです。深い、ということは、どこまでもどこまでも延々とある、ということです。

 

ではどうすればいいでしょうか?おすすめは、問いをたてることです。

 

問いがあると、自分なりに、感じることが出てきます。答えはひとつではありませんし、変化していきます。

 

少し話は飛びます。”1+1=”という問いがあったら、算数的な答えは”2”ですよね。でも、本当にそれだけでしょうか?

 

文字を絵のように見ると、答えは”11"とか、”+”とか、”T”とか、ありえませんか?

 

音で考えると、”いちいち”。読み方を変えれば”ひーひー”(ひーふーみーよーの”ひー”)。英語にすると”ワンワン”=犬。とか。

 

もし、すべてはもともとひとつの源だという視点に立てば、”1+1=1”でしょう。

 

算数としての答えは2でも、現実の世界では、答えはもっとあるような気がします。学校では、教えませんけどね。なぞなぞなら、ありそうですよね。

 

答えは自分なりで良いのだと思います。自分が感じていること、自分が好きな点、続けている理由、なんでも良いと思います。本の記述から抜き出して話すよりも、よっぽど相手に伝わる気がします。

 

もちろん、本で理論を学ぶことも、大切です。でもそれを鵜呑みにするのではなく、自分の経験と重ね合わせて、自分なりの言葉で表現していくことのほうが、楽しい気がしませんか?

 

わたしの感想ですが、経験や実感がこもっていない表面的な言葉は、伝わってきません。

 

そもそも、本に書いてあることがすべて正しいとは限りません。そして、本で表現されている言葉の意味は、自分というフィルターを通して読んでしまったとき、著者が意図したとおりに解釈できるとは限らないのです。

 

「こう教えられたけど、今だにわからないんだよね」みたいなものでも、それはそれで良いと思います。相手が何か言ってくれるかもしれませんしね。でも、問いを立てるということは、答えはなくていいわけではありません。探し続けること、その意識を持つことは、大切です。この場合の答えは、自分の中にしかないのですから。

 

わたしの場合も、「太極拳の太極って、どいういう意味だろう。」ということを、習い始めてからしばらくは、知らずにやっていました。あるとき”知らない”という事実に気づいて愕然として、そこから問いをたてました。

 

問いを立てると、過去にもヒントが見つかります。「あのときのこのこと、この言葉は、こういう意味なのかな」と、当時はちんぷんかんぷんだった言葉に、少し意味が見えてくることもあります。

 

今を生きると、過去は変わるのですよ。

 

答えはひとつではなく、自分の経験につれて、変化していくものだと思います。世にある物事が千変万化していくのと、同じことです。

 

そして答えは変っていっても、どれもそのときの自分にとっては真実です。それを知ること、そして変化を経験していくプロセスは、とっても豊かだと感じます。

 

太極拳を始めてから、10年以上になりました。ずっと、「太極拳とは?」「太極とは?」「太極の心とは?」とか、その他にも先生から教えられたことの意味を、ずっと探し続けています。これまでも、これからも、ですね。

 

5月13日(日)の午後は、そのひとつ「太極と陰陽」を取り上げる講座を開催します(神奈川県、溝の口)。まだお席ありますので、興味のある方は、ぜひいらしてくださいね。詳細とご応募方法はこちらから。

 

 

【特別クラスのお知らせ】

 

5月13日(日)14:00-16:30は、「みんなが知らない太極拳のひみつ(2)太極と陰陽」です。詳細とご応募方法はこちらから。

5月20日(日)14:00-16:30は「太極扇を体験しよう(第7回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

5月27日(日)13:00-15:00は「おためし体験〜みんなが知らない太極拳のひみつ」です(千葉県香取市)。詳細とご応募は、こちらから。

 

(あしかがフラワーパークの藤。これをどう表現するかは、ひとそれぞれ。同じ「きれい」も、言う人により、きっとそれぞれ。)

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、キリリとした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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わたしのすきなもの

2018.05.07 Monday

(「わたしのすきなもの」を始めるきっかけになった第1号、うさぎのこども椅子)

 

Instagram(@mayuminmin927)で、「わたしのすきなもの」を毎日ひとつずつ投稿しはじめて、今日で39個になりました。

 

ベタですが、サンキューです。

 

はじめたきっかけは、今年の春分の日の出来事にさかのぼります。雪が降って、ちょっと不思議な日でしたよね。お天気が荒れると自分も荒れるようで、すごく眠く、体調もすぐれず、という1日でした。

 

「そうだ、こういう機会にファスティング(断食)をしよう!」と思い立ち、久々に在宅のプログラムをやり始めました。準備食2日、酵素ドリンクだけ飲む期間が3日、回復食3日の、短めコースです。

 

必要な栄養は取れるため、「普通の生活をしながらできる」というものですが、出力は低めになります。わたしの場合、通常の6〜7割くらいのような気がします。そのため、あまり動く気はしませんが、体の中に合わせて外もキレイにしたくなるのか、家の掃除やお片付け、衣替えには、やる気満々で取り組みました。

 

そのとき、「家が好きだな」と思ったのです。そして、「そうだ、すきなものをひとつずつ、紹介してみよう」と思いつきました。はじめたばかりのInstagramは、それにぴったりでした。

 

すきなものを紹介していくことで、何をしたいのかなんてわかりませんでしたが、「すきなものを感じていくのは、なんだかよさそう」と想像していました。

 

やってみてはじめて、わかることがあります。

 

こういうものを始めるとき、素材を準備しておきたくなりませんか?写真を撮りだめしたり、「これ、あれ、それを紹介しよう」とリストを作ったり。

 

ブログを始めようと思ったときも、メモ帳にタイトル候補リストを書いてみたりしました。でも、結局、ブログもこれも、そんなものは使わなかったのです。

 

その日のどこかで、”これ”と思ったものを発信することを、何よりも大事にしています。今、すきだと思うものは、今しかわからないのですよ、やっぱり。ためておけるものではありません。

 

そして最初は、雑貨、と思っていたのですが、実際には「ひかり」とか「緑のかおり」とか、もの以外も、たくさん登場します。”家”から、ずいぶん外にも出ましたね。

 

短い文章をつけるのも、すきです。ものへの思いとか、まつわる思い出とか、ものは、関わりを持ったときから、ただのものではないのだと、わかります。

 

公開してみると、「わたしも好き!」という共感もいただけますが、「あのヘンテコなの」みたいに言われることもあります。

 

遠慮のない仲で、なかよしだから言えることでもありますが、意外と小心者のわたしは、チクン、しゅん、となります。

 

まわりには「人の人生を応援したい」と言う人も多く、「これやりたい!ということを始めたら、それは『いいね』と言うところじゃないの?」と思ったりします。

 

でも、真実は違います。

 

わたしのすきなものを、他人がすきであるかどうかは、別です。わたしがすきでやっていることを、他人が全員「いいね」と言うことは、ありません。そもそもこれ自体、多くの人の”すき”のストライクゾーンを狙って始めたものでは、ありません。

 

それは、愛情のある、なしとは関係ありません。

 

愛情がある人にだって、「いやーそれ、ないでしょ」と思うこと、ありませんか?わたしは、あります。そこを無理して合わせるのは、居心地よくありません。でもその人がそれを好きなことは、最大限尊重したいと思っています。(なんらかの被害が及んだときには、尊重しかねると思いますが。)

 

すきなことを始めて、でも、周りから「変なの」と言われたりして、やる気が折れてしまうこと、ありませんか?もしくは、みんなに認めてもらえるように、軌道修正するとか。世の中の流れって、そんな風に動いてきたところ、ありますよね。

 

できるだけたくさんの人に売れるようなものを考えたり、特定の購買者プロフィールを具体的に想定して、その人が買いたいと思うようなものを作るとか、「よい」と呼ばれる型(仕事でいうベストプラクティス)に、あてはめていくとか。

 

人財も、「成果を出す人の行動を分析して、なかなか成果がでない人にそれを習慣化させよう」とか、コンピテンシーという”この要素がある人が、その組織で優秀な成果を出す”という枠に、あてはめて育成しようとすることも、わりとよくされてきていますよね。

 

過去にはそんな仕事にも絡んできて、その成果も経験して、それでも思うことがあります。人の可能性や才能は、もっと多様です。枠にあてはめていく方法では、”最初のその人”を超えることはありませんし、その人らしさを消してしまいかねません。

 

世の中にあるいろいろな、人を理解したり、うまく付き合うための方法論は、”人はみんな違うのだ”と腑に落ちるためのもののような気がします。自分しか知らない状態から、社会(学校時代も含まれます)でケンカやいさかい、いざこざ、派閥争いなども経験して、「なんであの人はこうなんだ」というときに、「あの人は〇で、わたしは△だから、違うのだ」というものは、役に立ちます。でも、そこまでです。

 

人は、分類なんてできません。その人は、その人でしかないですから。

 

他人を思いやることは大事ですが、その人のことは、その人にしかわかりません。

 

「わたしのすきなもの」は、自己満足です。自分が居心地のよいものを、居心地のよいように発信しているだけです。今という時代のおかげで、こんな自由な表現方法ができますからね。そんな時代には、サンキューしか、ありません。

 

今のところ、「これがすきだなぁ」という、ほんわか、ふわっとしたその思いを、毎日感じられる時間を持てていることが、いいな、と思っています。

 

そして、チクン、しゅん、となってしまう自分を発見することも、いいですよね。にんげんだもの。

 

 

【特別クラスのお知らせ】

 

5月13日(日)14:00-16:30は、「みんなが知らない太極拳のひみつ(2)太極と陰陽」です。詳細とご応募方法はこちらから。

5月20日(日)14:00-16:30は「太極扇を体験しよう(第7回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

 

(#12 親指くらいの小さなおさるは、10代のころから一緒です)

 

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