二本の足で立つこと

2015.12.06 Sunday



最近、なぜ人は2本足で立つことを選んだのかな、と考えたりします。

2本足は、不安定だからです。

立つことも、歩くことも、難しく、転ぶこともあります。
呼吸が浅くなっている人もいます。

4本足なら俄然、安定します。
自然と腹式呼吸になり、深い呼吸ができます。
さらに聞いた話では、匍匐(腹ばい、四つ足)だと、頭が無になるそうです。
だから禅寺などでは拭き掃除をさせる、とか。

安定している状態から、なぜわざわざ不安定な状態を選んだのかはわかりませんが、
不安定だからこそ、人間の頭は発達したのだそうです。

それでも、人間らしさでもある脳の発達は、行きすぎると
”頭でっかち”になることもあります。
カンフーで足を鍛えるのは、上半身と下半身のバランスを取るためと教わりました。
年齢を重ねると足の筋力が衰えるのに対して、上半身は重くなります。
上が重くなることで、転びやすくなったり、歩けなくなることもあります。
身体的にもそうですが、”頭でっかち”も、上半身が重くなる要素のひとつだと思います。

上半身と下半身だけではなく、2本足で立つことすべて、バランスのような気がします。
下に向かう重力と、上に向かう力(骨という構造を、それを支える筋肉を使って上に向かわせます)を
1直線上に、同じ量になるように調整します。

面白いことに、このバランス、力が均等なら良いわけでもありません。
ふたりでお互いに向き合って、押し合いっこを続けていると、いつかは疲労してしまいます。
どちらかがやめると、もうひとりは自滅する、というリスクもあります。
自分ひとりでも、人からの力が加わったりなくなったりしても、自滅せずに
バランスを保ち続けるのは、探求のしがいがあります。
こんなことをやるのも、カンフーのおもしろさです。

人は生まれてから死ぬまで、バランスのとり方をずっと学んでいくのかな、と思いながら、
わたしの”立つこと、歩くこと”の先生に、そんな話をしてみました。

先生は一言、「楽しいからですよ。」

なるほど。
だから赤ちゃんは、立とうとしたり、歩こうとするのかもしれません。

言われてみれば、わたしも立つ練習、歩く練習がすごく好きだったりします。

そういえば先日、生徒さんも「前は歩くの嫌だなあって思っていたのに、
歩くことが楽しくなってきました。」とおっしゃっていました。

立つこと、歩くことはあまりに当たり前で、無意識、無感覚でもできます。
でももし、歩きたての赤ちゃんの頃を思い出すことができたら、
ものすごくたくさんの感覚や感情が出てくるのかもしれません。

初めて立ったとき、歩いたときの楽しさは、きっと体が覚えているはずです。
感覚を研ぎ澄ませて、立って歩くような練習をするとき、あの楽しさをまた体験したり、
もっと深めていったりしているのかもしれません。

...四つ足動物の楽しさにも興味はありますが、とりあえずそれは、人間の領域外ですね。

(中国、武当山の学校で飼われていた犬。このときは足もとに収まるくらい小さかったのに、
2年後に会ったら、5倍くらいに巨大化していました。)

からだは柔かい方が良い?

2015.12.02 Wednesday


(脇の下、関節の部分をポコポコ叩いて、ほぐしているところ)

生徒さんの中には、「からだが固いんです」と困った顔をされる方がいらっしゃいます。
以前も書いたのですが、固いのには理由があって、自分を守ろうとしている場合もあるのです。
(詳しくは→「体のコンプレックスと争わない」

固いからだにも「ありがとう」と感謝するとして、では、からだは柔かい方がよいのでしょうか?

そうだと思います。理由は、いくつかあると思っています。

2足歩行をする人間は、4つ足よりも不安定です。
そのため、立つ、歩く、という日常動作でも、常にバランスを取らなければなりません。
そのとき、柔かい方が微調整が効きやすくなります。
柔かいというよりも緩んでいる、という方が適切かもしれません。
それぞれの部位が癒着せず、バラバラに動く、という状態です。

天秤の片方に75.6gの重さのものを置いたとします。
もう片方におもりを置いてバランスを取ろうとしたとき、
100gのおもりしかない場合、10gのおもりしかない場合、
0.1gのおもりがある場合を考えてみます。
0.1gのおもりを積み重ねればバランスは取れますが、100gや10gでは、できません。

実際に0.1グラムのおもりを重ねるのは大変ですが、からだはおりこうなので、一瞬で可能です。
「あっ、転ぶ!」となったとき、ゆるんでほぐれている方が対応しやすいと思います。

不幸にして転んでしまった場合でも、ゆるんでいるほうがダメージが少ないです。
水を例にしてみると、氷という固体の状態で落とすと砕けますが、水は落ちても水のままです。
落ちた先、相手によって、柔軟に形を変えることができます。

そのほかにも、緩んでいれば呼吸もしやすい、血も流れやすい、内臓も動きやすいなどなど、
基本的な生命活動の助けになるような効果もあるでしょう。

太極拳は全身運動で、腰(お腹)を中心に全身が連動して動くのですが、
氷のような塊が全身で動くのではなく、バラバラのパーツが連動して全身が動くのです。
固まっていると、そこで流れがせき止められてしまいます。

緩めようとして、無理やり伸ばそうとすると、
「痛い!」と抵抗が出て、逆に固くなってしまう場合もあります。
固いものをひっぱって切れてしまうように、痛めてしまう場合もあります。
もともと柔かい人の場合、「伸ばしすぎないように気をつけて」というのも、
痛めてしまうこともあるからだと思います。
わたしは、反動をつけずに自分の体のからだの重さを使って、からだと相談しながらじっくり
伸ばしていったり、イメージを使ったりするほか、2人ペアでやってもらう場合もあります。
(詳しくは→「限界を超える:今日のお稽古から」)

それでも、なかなか緊張が取れないこともあります。
そんなときは、今はまだ、緩むことが怖いのかもしれません。
緩むと閉じていたバルブが開いて、新しい流れがどっと起きるかもしれないからです。

道士やヨガ行者が、なぜからだを柔かくしようとするのかというと、
骨にアクセスしやすくするためだそうです。
骨には、魂の記憶が記録されていているそうです。心からの願いとか、自分の使命、と
わたしは理解しています。
世間からの評価や価値基準で「これがカッコいい」とか「これが成功」というようなものではなく、
理由もわからず楽しくてやりたいことや、どんなに反対されてもやらずにはいられないことが、
それかもしれません。
人それぞれで、自分だけにしかわかりません。

緩むのが怖い場合は、もしかしたら、自分の心からの願いに気づくのが怖いのかもしれません。

目の前にそういう方が現れる場合、それは自分の鏡でもあります。
わたしもまだ、自分の願いに気づくのが怖いのだと思います。

開いていることが自然なら、抵抗しなければバルブは開きます。
からだを緩めると心も緩みますが、逆に心を緩めないと体がほぐれない場合もあります。
どちらが先行しているかは、人によってさまざまだと感じます。
どちらにしても、まずは自分の状態を観察して、感じることからです。
抵抗しているなら、それを否定せず、無いものとせず、受け入れてみれば、
自然と次の道が現れるかもしれない、と思っています。

わたしの場合も、はい。


 

からだは必ず応えてくれる

2015.11.23 Monday


(仆歩 Pūbù)

太極拳をずっとお稽古してきて思うのは、「からだは必ず応えてくれる」ということです。
誰でもそれなりに、やった分だけ結果がくるのです。

生徒さんの中には、武当山には行ってみたいけど、「先生と一緒に練習するなんて、とてもとても」
とおっしゃる方もいらっしゃいます。

躊躇する気持ちは、わかります。
わたしもはじめてのときは、そうでした。

わたしは子供の頃からかけっこが苦手で、そのために”運動音痴”だと思っていました。
そんなわたしが、ひょんなことから中国、武当山の武術学校に1週間行くことになりました。
2008年のことです。

太極拳は、それまで1年ほど習っていました。
知人がやっていたので見学に行ったら、先生が素晴らしかったので、「やる!」と決めたのです。
体の使い方、意識の持ち方、「この先生には、わたしにできないこと、わからないことができる」
と思ったのがきっかけです。
でも自分はというと、1年やってもピンときません。進歩も感じられません。
「なんだか、なあ」という、説明できない感想そのままに、モヤモヤしていました。

そんなときに、当時受けていた講座の先生が武当山の武術学校に行くことになり、その期間に、
友人たちと一緒に、遊びに行ってみることにしました。
「こんな遠いところ、一生で一度、行くか行かないだしね」と。
同じ教室で武術を習っていた人が多かったこともあり、「どうせなら学校でお稽古しよう」となりました。

でも、”運動音痴”のわたし。かつ、太極拳もピンとこないわたし。 
”毎日が体育の授業”のような学校で、ついていけるのか、すごく不安でした。

でも、そこで武当太極拳をはじめて経験したときに、「これ、いい。これをやりたい」と
すごく思ったのです。からだの芯から動く感覚を、わからないなりに実感できたからです。

はじめての武当山体験は、山頂まで登れば翌日は全身筋肉痛、
足首はひねってもいないのに腫れあがったりと、大変なことになりました。
でも、そのときに芽生えたやりたい気持ちと、武当山という山の環境に惹かれて、
今に至っています。

8年の間、いっぺんに何かが起きたわけではなく、亀のように少しずつ道を進んできました。
足首は弱かったので、いつも怪我しないようにケアしていましたし、ヒザを痛めたこともありました。
冒頭の写真のポーズも、最初は足が弱すぎてできませんでした。
でも少しずつ積み重ねていくことで、怪我しない方法も覚えましたし、弱かったところも少しずつ
強くなっていきました。
悩んだことも、回り道をしているような気がした経験も、今みれば全部、財産です。
8年前に比べたら、からだは見違えるほどしっかりしました。
同時に、無駄な力みは抜けて、パワーはつきました。

こんな過程を経てきたから、やった分だけからだは必ず応えてくれる、と言えます。
ただし、結果の現れ方を人と比較すると、同じではありません。
やわらかい人、固い人、集中力がある人、ない人、覚えの早い人、遅い人、など、
人には固体特性があるからです。
以前習っていた先生から「人の成長は、あなたの成長には全く関係ない」という
言葉通りだと思います。

誰でもそれなり、
自分は自分の人生を生きる、
それでよいのだと思います。

「かけっこが遅い」も、人との比較です。
それだけで「運動音痴」と決めたのは、わたしが作った妄想です。
この8年、わたしにも何度も「〇〇だから」という躊躇(=妄想)がやってきました。
でも、でもそのたびにいつも、「やる」という選択をしてきました。

大事なのは、「わたしは〇〇だから」という躊躇で、やりたい気持ちにストップをかけないこと
だと思います。いいなと思ったら、やってみることです。
必ず、からだは応えてくれるんですよ、本当に。


 


武当山日記:体を温める

2015.10.05 Monday













(中国、武当山。南天門からの眺め)

今回、中国の先生たちとわたしの、大きく違う点に気づきました。

上着の脱ぎ着の回数が違うのです。

中国の先生たちは、ちょっとでも寒いと、すぐに上着を羽織ります。
それも裏にキルティングがついている、そこそこ温かいものを羽織るのです。

お天気が悪い日は、日中でもかなり肌寒かったのですが、
そんなときは上着を羽織ったまま、お稽古を始めます。
動いて暑くなると脱ぎ、休憩になるとまた羽織るなど、
脱いだり着たりをこまめに繰り返します。

わたしは、と言えば、ちょっと寒いと思いながら
そのままにしてしまうこともありました。
脱いだり着たりの頻度は、極端に少なく、
これでは自分の体を大切にしているとは言えません。
わたしはまだまだ雑なのだなぁと、しみじみ反省しました。

体が温かいことは、健康のバロメータでもあります。
冷え症の赤ちゃん、というのは、ちょっと聞いたことがありません。
これからぐんぐん成長する赤ちゃんは陽気に溢れているため、
体温が高いという考え方があります。
気功や太極拳は陽気を育てるもので、血流を良くして体を温め、
理想的とする赤ちゃんの状態に近づけることで、生命力を強くすると言われています。

温かさを保つために、筋肉量をつける必要もありますし、
体を無駄に緊張させずに動く、ということもあります。
しっかり呼吸することで、横隔膜が動いて、内臓をマッサージする、ということもあります。
リラックスさせるためには、イライラせず、心を落ち着けることも大切です。
これらはすべて、気功や太極拳で実現できます。

でも、冷えてしまった体をあれこれと温めていくよりも、
寒いなら上着を着て冷やさない方が、簡単です。
特に今の季節のように気温差が激しい環境では、体の適応が追いつきません。

筋肉量もあり、体も動かしている先生たちでも、まめに脱ぎ着をするのであれば、
わたしはもっと自分の体に気を配らないといけないと思いました。

上着を羽織るというちょっとしたことを、まめにするかしないかで、
ゆくゆく、大きな違いになってくるのかもしれませんね。


(朝焼け)
 

足のサイズが1cm以上、大きくなりました

2015.08.03 Monday



太極拳をはじめてから、足のサイズが大きくなりました。
もともとは22.5cmでしたが、今は23.5cm、ものによっては24cmです。
1cm以上大きくなりました。

形で見ると、まず足の指が長くなり、1本ずつしっかり主張しています。
足の甲も、ふっくらしました。
足の裏の感触は、前よりも大地をしっかりつかめるようになった気がします。

太極拳をやっていると、「足の指で大地をつかむように」と習います。
「少しね」とつくところがポイントです。
指を立ててきゅっとつかんでしまうと、足の裏は緊張してしまうからです。
これが腑に落ちたのは、わりと最近のことで、半年前くらいです。
足が大きくなったのも、その頃からです。



上の図にあるように、足にはたくさんの関節があります。
でも、靴を履く生活では、靴の中で縮こまっていたり、
指を1本ずつ使うこともありません。手の指に比べて、足の指の方が
自由に動かないのではありませんか?
でも本当は、足はもっと自由に動くのです。たくさん可能性があるのです。

わたしは、自分の練習でも、クラスでも、最初にぶらぶら体操をしています。
足の先、手の先を、ぶらぶら振るだけです。
最初は緊張が強くて、なかなかほぐれないのですが、
慣れてくると、手足がイソギンチャクみたいにゆらゆら動いたり、
ちょっと自分のものじゃないみたいに気持ち悪く(笑)動き始めます。
わたしはガイコツをイメージして、カラカラと全部の関節が自由に動く姿を想像しながら
振ります。これで末端をほぐします。
縮こまった関節に本来の隙間を取り戻す、ともいえると思います。

太極拳は、体の中心、腰から動きますが、その準備としてほぐすときは、
末端からやるほうがやりやすいのです。

ほぐした状態を覚えておくことも大切です。
歩くときも、足の裏をこのままのやわらかい状態にしておいて、
足の裏が大地についたら、吸盤を吸いつけるみたいに、足をしっかり伸ばします。
今は、伸ばすことが、つかむことだと思っています。

クラスで太極拳の動きを練習しているときも、足がふらつくことは、よくあります。
そんなとき、「足裏をやわらかくしておくことを意識してみてね」と言うだけで、
あっという間に安定する方もいらっしゃいます。
足が使えれば、安定感は飛躍的に変わるのかもしれません。

もうひとつ、思い出したことがあります
中国の武当山でお稽古していたとき、ちょっと高いところに上って写真を撮った後、
ひとりずつジャンプしておりたときのことです。
先生たち、降りるときに足音がしないのです。
わたしは、パタッという音。なんで?何かが違うぞ?と思ったのです。

あれは足の裏の柔かさの違いなのかもしれない、と思うのです。
緊張していたわたしの足は、パタン!という音が出ます。
でも柔らかければ、地面に吸い付くため、音も出にくくなります。

カンフーをやっている人たちは、直角の壁を何歩か駆け上ったりします。
これも、足裏が柔らかいから吸盤みたいに吸い付くのかしら。。。

足は、使うと決めれば、もっともっと自由に使えるのだと思っています。
もっと発達させることも、きっとできます。それを使わないのは、もったいないと思うのです。
そして大地をしっかり踏めるようになれば、自分の軸も作りやすくなると思っています。
人や環境に振り回されない自分も、作りやすくなるかもしれません。
なぜなら、精神的にも肉体的にも、緊張する筋肉は同じだからです。
ならば体からほぐせば、精神的にもほぐれるかもしれませんよね。

まずは靴をはいて縮こまった足をほぐすところからはじめます。
毎日のぶらぶら体操、おすすめですよ。

忍者ごっこも上手になりますしね、きっと(笑)。えへへ。



 


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