本当の願いに気づくこと:お稽古の回数は、どのくらいが良いのか?

2017.05.18 Thursday

 

お稽古について、わたしがずっと大切にしてきたことがあります。

 

「あまり来られなくても、来られるときに来たら良いよ。間が空いても、気にせず来てね」というものです。

 

これは自分の体験から来ているものなのです。自分が習っていたときは、多いときで週3日、4.5クラスを入れてお稽古していました。たいていのことよりはお稽古を優先させていたのですが、それは強制されたわけではなく、やりたかったからです。

 

それでも、時々は何かの理由で行けないことがあります。そんなとき、「来なかったから、○○を経験するチャンスを逃した」というような言われ方をしたことが、何度かありました。

 

”お稽古にたくさん通うのが良い、回数が少ないのはダメ”というような、感覚が生まれていました。

 

お稽古という面で見たら、言われたことはそのとおりです。でも、もっと広い視点で見たら、違う経験をしたのだから、それはそれで良いのではないかしらと、モヤモヤと思っていました。

 

そんなこともあり、自分でクラスを始めるときには、誰にとっても来やすい場所、それぞれが自分のタイミングで来られる場所にしたい、という思いが強くあり、それで冒頭のようなことをずっと言っていたのです。

 

でも実はこれ、大切なことを大切にしていたつもりが、別の大事なことを無視してきてしまっていたのです。

 

今年に入って、週2回通い始めた生徒さんが、メキメキと上達し始めました。身体の使い方、套路の覚えのスピードなどなど、それまでとは全然違います。何よりも、意識や向き合い方も、大きく変わりました。それまでは「○○をやりたい、○○もやりたい」と言っていたのが、「丁寧に、今やっているものをできるようになりたい」と、どんどん他のものをやりたいと言わなくなりました。これは、大きな変化でした。

 

その生徒さんが、ぽそっとおっしゃったのです。「もっと早く週2日にすればよかった」と。

 

それは、わたしのせいなのです。わたしがその違いを伝えていなかったのです。

 

この話を友人にしたとき、「みんみんにとって、週3お稽古に通うとか、毎日お稽古するということが、あまりにも普通すぎて、きっとわざわざ言うことではなかったのだよね。でも他の人からみたら、言わないとわからなかったと、今、わかったということだね」と言われました。

 

身体を使うものは、頻度が多いほど受け取れるものは大きくなります。週1回と週2回は、単純に倍になるわけではなく、自分と周りの傾向をみていると、それをはるかに超える結果を導きだしてくれます。

 

体を使う場合によく言うことは、「結果を出したいのであれば、本当は週3日やるのが良い。無理であれば週2日」です。自分でウォーキングをしていたときには、2日空けずにやる(つまり週3回ペース)を心がけて、周りに明らかにわかるほど、すっきりと痩せました(カンフーを始める前のことです)。ほかの種類のトレーニングをしている方も、同じようなことをおっしゃいます。

 

週1回では意味がない、というのではありません。ただ、状態でいうと、毎回ふりだしに戻って始めるような感じに近く、「套路が覚えられない」というのは、当然といえば当然なのかもしれません。

 

わたしが武当カンフーを始める前に習っていたときは、月に3回のお稽古で、週1回に満たないペースでした。先生はとっても良いと感じたのに、自分はいつまでたってもピンと来なかったのは、もしかしたら頻度が大きく影響していただけかもしれない、とも思うのです。

 

繰り返しになりますが、頻度が少ないことがダメと言いたいわけではありません。”やる”という選択をしてやることは、自分だけの経験になることは間違いありません。それによって、何かに気づいたり、感覚が育ったり、何かのきかっけになったりする可能性はたくさんあります。

 

ただ、カンフーで結果を出していきたい、体なり心なり、何かを変えていきたい、というのであれば、週2回以上やるほうがいいことは確かです。週1回でも、間、自分で練習する、という方法もあります。

 

それは、やっていない人にはわからないことです。経験している人が言わないといけないことだったと感じます。

 

その一方で、タイミングがあうときに自分のペースで来たら良い、というのも、これまで通り大切にしたいと思っています。矛盾するようですが、意味が違うので、わたしの中では比べるようなものではないのです。

 

どちらにしても、せっかく始めるのであれば、長く続けていくことが大切です。それがもたらしてくれるものは、はじめたばかりの人には、まだわかりません。得られるものは人それぞれですので、”こんな風になる”という確証もありませんが、どの方向になるにしても、自分の可能性をより信じられるようになったり、自分をもっと好きになれること、尊重できるようになることは、確実に起きてくると思います。

 

自分をもっと好きになれて、尊重できて、「もっとできるんだ」という可能性が信じられたら、素敵じゃないですか?

 

本当に大切なことを大切にするためには、とにかくやってみることだと思います。やってみてはじめて、わたしの今回の場合のように、「あれ?」と気づくこともあります。気づいたら、修正して、またやってみることですね。

 

そんなことなので、これからはちゃんと言います。「上達したいのであれば、週2回ペースのお稽古がおすすめですよ。」と。

 

なお、冒頭のわたしのモヤモヤに戻ると、当時の先生の発言自体は、それで良いのだと、今のわたしは思うのです。「来なければ上達しない」というのは、ある面では真実ですし。大切なのは、それを自分がどう受け取るか、そしてどう選択するか、だと思います。当時のわたしは、その受け止め方と、選択が、あまり上手ではなかったな、と思います。

 

わたしが生徒さんに向き合うときには、そのあたりも含めてやっていきたいな、と思っています。

 

何ごとも、経験ですね。そして、失敗してもやり直せるところが、すばらしいところです。(ご迷惑をおかけした方には、ごめんなさい、ですが。)

 

 

(All photos by Xie Okajima)

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

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1,000本キックにチャレンジするとき

2017.04.18 Tuesday

(中国、武当山)

 

夕方、なんとなく気分がのらなかったので、「こんなときは走るに限る!」と、外へランニングへ。

 

ぐったりしているときでも、動けるときは、頭を使いすぎていたり、気持ちが落ちていたりするだけで、体は疲労していません。こんなときは、動く方がバランスが取れて、スッキリします。

 

案の定、すんなり走れて公園まで行きました。まだまだ元気そうなので、久々に1,000本キックをしてみることにしました。

 

お稽古は、やりたいと思う分だけやる主義です。つらいことを我慢しながらやる志向はないため、「だめなら途中でやめる」という気楽なオプション付きで、はじめます。

 

前、横、後ろ蹴り、外回し、内回しなど、バリエーションを変えて、間にちょっと休みを入れながら、続けます。今日は暖かかったこともあり、すぐに玉のような汗がたくさん出てきました。

 

1,000回とは言っても、所要時間は30分程度、あっという間です。やっているときは、そこそこハードですが、終わるとすっきりです。帰り道は、体がまっすぐ伸び、目がぱっちり開いて、なんだかとってもかっこよく歩けた気がします。(ほぼ、自己満足です)。

 

1,000回キックを初めてやったのは、4年くらい前のことです。いろいろ思い悩んでいたときに、相談した人から「そういうときは、ぶんぶん体を動かして、くたびれてコテンと寝るのが一番!」と言われたからです。

 

心身のバランスを取る以外にも、そのときの自分の状態のチェックにもなります。1,000本どんな感じでできるかは(または、できないかは)、そのときの体力や気力の状態を教えてくれます。

 

動ける体であること、動く気力があることが、わたしにとってはとても大事です。

 

太極拳を始めて、10年前より今の方が、ずっと元気です。風邪をひくことも熱を出すことも、ほとんどありません。(大きく崩れる前に、さっさと休むから、ということもありますが)。

 

体力が衰えてきたと感じることも、ありません。(もともと体育会系ではなく、スタート時点のレベルがたいしたことないから、とも言えますが。)

 

昔はもっと、ひ弱でした。初めて中国の武当山に行った2008年の年末は、金頂という山頂まで足で登ったとき(片道、約4時間)、ひねったわけではないのに足首が腫れてしまったほどです。翌日からも、体中筋肉痛でした。

 

今では名刺にも使っているこの↓ポーズも、当時は脚が弱すぎて、下がるとそのまま座りこんでしまい、立ちあがれませんでした。

(Photo by Xie Okajima)

 

その後も、武当山にお稽古に行くときは、毎日の練習の後の足首のケアが欠かせませんでした。膝の話をする人が多いですが、足首も、結構、弱いのですよ。

 

振り返ってみると、体は、少しずつ、少しずつ、強くなっていきました。そこにはいつも、”ちょっとのチャレンジ”があったように思います。

 

この”ちょっと”が肝心です。わたしは自分を追い込んで練習するアスリートタイプでもなく、打たれ弱く、反骨精神などなく、あるのは「やりたいことを続ける力」という、ごくふつうの人だからです。

 

でも、その”ちょっと”を続けていくことで、いくつになっても「もう○○歳だから」と、あきらめたりしなくて良くなるような気がします。きっとそれは、誰にとっても同じことです。人と比べるのではなく、自分なりに進めばよいだけですしね。

 

カンフーの良いところは、体を大切に扱うところです。少ない労力で大きな力を出すためにはどうするか、膝や腰を痛めないためにはどうするかなどの体を守る方法や、老化を遅らせるコツなど、さびない体にするための智慧がたくさんあります。それがなくてただ体を動かしてきただけだったら、今の状態にはなっていないような気がします。

 

とりあえず、今日は1,000本クリアしたことに、ほっと一安心です。終わりに近づくにつれてちょっぴりヘタレになってきても、気にしません。終わった後、スッキリかっこよく歩けたことに、大満足です。

 

この先、おばあちゃんという年齢になったときも、動ける体と動く気力をもっていたいと思います。そんなおばあちゃんやおじいちゃんがたくさんいる社会は、なんとなく明るい気がしませんか?

 

(2017年秋、中国武当山の南岩宮で)

 

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イベント:「青空坐禅と太極拳」(4月23日(日)13:00- 明治神宮)は、こちらから

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岐阜で太極拳の講演会を開催しました

2017.04.14 Friday

4月12日、岐阜の瑞浪市で太極拳の講演会&体験会を開催させていただきました。

 

昇瑞会という地元の名士さまの会で、毎月1回ゲスト講師を呼んでいるそうです。古くからの友人が幹事を担当するときに、声をかけていただきました。

 

太極拳とは?というお話から、イメージの力、楽な立ち方、軸があるとき&ないときの体感の違い、陰陽バランスで出す力、戦いを終わらせるための太極拳の体の使い方、などなど、ちょこちょこワークをはさみながら進めました。

 

(陰陽バランスで出す力の体験)

 

太極拳という言葉は、誰でも知っていますが、それがどんなものかは知られていないと感じます。伝統的に伝えられてきた”生きる知恵”を、たくさんの人に知ってもらえたら、日常生活がもっと楽に、楽しく、そして元気になるかもしれないと思っています。こういう機会に、今日から使えるヒントを少しでもつかんでいただけたら、うれしいです。

 

当日は、ご自分が参加できない会員さまが、会社の部下のみなさまにご案内くださったり(そして、ご本人はお忙しいのにもかかわらず、開始前に顔を出してくださいました)、太極拳を長くお稽古されている方々もたくさん来てくださったり、広い会場が狭く感じられるほどたくさんの方にご参加いただきました。

 

人集めは、大変です。「わざわざ東京から来るんだから」と、友人をはじめ、みなさまが、たくさんの方に声をかけてくださったのだと思うと、本当に感謝しかありません。

 

 

「話が上手だね」とおっしゃっていただき、それはとってもありがたいのですが、本当は、わたしに感心するよりも、もっとみなさんがご自分の体や感覚に夢中になって、わたしのことを忘れるくらい、意識されないくらいになりたいな、と思いました。

 

ちょうど友人が「頑張っているなあ、と思って見ていた」と言ってくれて、それは決して悪い意味ではないのですが、これからは、その一生懸命さが表に出ずに、さりげなく、みなさんをもっと自然に流れに乗せるようにしたいな、と思いました。

 

主役はわたしではなく、ご参加いただくみなさんなのだから、です。

 

まだまだ未熟ながら、今の自分にできる精一杯でやっていくしかありません。一期一会の機会なのですから、もっともっと目指したいものがある、と思いました。

 

ご参加いただいたみなさまには、真剣に話を聞いて、ワークにも取り組んでくださり、驚いたり、戸惑ったり、笑ったり、そんな時間をご一緒できて、とても幸せでした。主催の昇瑞会のみなさまにも暖かく迎えていただき、大変お世話になりました。おかげさまで、とても暖かい気持ちで開催できました。

 

瑞浪市では、ちょうど桜が満開でした。川沿いに咲く姿が美しく、夜にはライトアップもされています。灯りをつけるのは毎日当番制で、消すのは夜の10時半だとか。「消す時間になって行ってみたら、ちょうどカップルがいてね。時間なんだけどあと10分待ってあげようか、とか。消したら真っ暗になっちゃうし、その時間がこの2人の将来に大きくかかわってくるかもしれないしね。」なんて、笑いながらおっしゃっていました。

 

友人とも、おそらく15年振りくらいの再会でした。20代の頃に知り合った友人から見ると、今のわたしの姿は想像できなかったそうですし(自分でもそう思います、笑)、太極拳をやっていなかったら、そしてfacebookがなかったら、こんな形での再会もなかったかもしれないと思います。そもそも、その友人とつないでくれた共通の友人がいなかったら、知り合うこともありませんでした。

 

人生は、予測不可能です。環境も、自分も、変わっていく部分もあれば、変らない部分もありますが、いつのときも、ご縁には、心から感謝です。ありがとうございます。

 

(All photos by N. Ando)

 

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基本がいちばん難しい

2017.04.05 Wednesday

(2016年秋、武当山にて五行六合功のお稽古中)

 

先日のお稽古での話です。

 

十三式武当太極拳を最後まで覚えた生徒さんに「よく覚えたね。体の使い方も良くなってきたし」とお伝えしたところ、「うーん......」という浮かないお返事が返ってきました。「良くなったと言われたら、ちゃんと受け取るべきですよ」と続けたら、「でも、基本の方が、まだ腑に落ちていない」と言うのです。

 

五行六合功のことです。太極拳の基本がたくさん入っている気功で、基本練習でもあります。

 

「基本がいちばん難しいからね。立つ、歩く、が、実は一番難しい。」と答えると、「面白いですね、基本が一番難しいって」。

 

基本が難しいのは、動きが単純な分、ごまかしがきかないからです。

 

太極拳の套路は、動きがたくさんあるため、特に初心者の場合は勢いに流されてしまいがちです。表面的な動きにとらわれてしまい、本当に大切な部分が見えず、自分で再現しにくくなってしまいます。

 

太極拳の体の使い方、意識の使い方は、人間であれば誰でもできるものなのですが、今までの(通常の)使い方とは、ずいぶん違います。無意識にやっていることを一つひとつ丁寧に意識してやっていくことになるのですが、それが”感覚”を育てていくことにもつながります。

 

五行六合功は、「これだけ40年間お稽古する人もいるくらいだよ」と教えられたもので、わたしの体の緊張をっていくためには欠かせなかったものです。太極拳のあるひとつの套路を習わなかったとしても、今のわたしの状態に大きな違いがあるとは思えませんが、この五行六合功だけは、代替できるものはないと感じます。

 

中国にいる兄弟子のひとりは、「五行六合功を終えていない人には太極拳は教えない」と言っていました。「教えても、頭でも体でも理解しにくく、嫌になってやめてしまうから」だそうです。

 

長く伝統的に伝えられてきた太極拳は、「何か良いからここまで続いてきた」とも言えます。これまでわたしにもたくさんのものをもたらしてくれたのですが、最初でつまずいて諦めてしまうのは、とてももったいないです。そうならないために、最初はちょっと大変かもしれませんが、基本を丁寧にやっていくことが大切だと思っています。

 

今月から、毎週木曜日の夜に新しいクラスを作りました。太極拳の套路はせずに、立つこと、歩くこと(太極歩)、五行六合功を含めた基本功だけを練習するクラスです。套路も楽しいですが、こういう基本練習も、とっても楽しいのですよ。じっくり取り組む中で、どんなクラスに育っていくのか、とっても楽しみです。

 

(五行六合功のひとつ、”巧云太极”)

 

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太極拳の演武

2017.04.03 Monday

 

4月2日、桜が咲く晴れた日に、古琴の先生の主催の「日中文人交流会」で太極拳の演武をさせていただきました。

 

場所は上野の東京国立博物館の奥にある、応挙館。尾張国(現在の愛知県大治町)の天台宗寺院、明眼院(みょうげんいん)の書院として寛保2年(1742)に建てられ、後に東京品川の益田孝(鈍翁・ 1848〜1938)邸内に移築、昭和8年(1933)当館に寄贈され、現在の位置に移されたという、木造平屋建ての館です。

 

(応挙館)

 

この日は、古琴をはじめ、詩吟や折り紙、茶道、日本のお琴、太極拳と、盛りだくさんでした。

 

お披露目したのは、クラスでもお教えしている十三式武当太極拳です。ほんの2分ほどの短い演武ですが、丸く円を描いて流れる動きは美しく、陰陽の転換など太極拳のエッセンスがたくさんつまったものです。

 

最初に簡単にお話をさせていただいたときは、会場内が少しざわついていましたが、演武を始めたとたんにぴたっと静まり、静寂の中での太極拳になりました。

 

こういう時間が、とても好きです。

 

この日は呉式(伝統太極拳の流派のひとつです)の高先生(中国人の方です)もいらしていて、終わった後に「よく練習しているね」とお声をかけていただきました。この先生は、太極拳のご説明とデモンストレーションをしてださったのですが、うれしそうににこにことお話されていたことが、とても印象的でした。

 

終わった後にいろいろと声をかけていただいたのですが、中でもうれしかったのは、「とても心が落ち着いている様子でしたが、普段から瞑想とかされているのですか?」と声をかけてくださったことです。武当太極拳でまず何よりも大切なことは、心が落ち着いていることだからです。それが伝わったのであれば、何よりもすごくうれしいです。

 

演武の前に、武当山に伝わる伝説をご紹介しました。張三豊という道教の修行僧が、鶴と蛇がくるくる周りながら攻防しているのを見たことから、円運動や”柔をもって剛を制す”という悟りにたどり着き、太極拳を編み出したというお話です。その影響もあるのか、「鶴が羽ばたいているみたいでしたよ」という感想を伝えてくださった方もいらっしゃいました。

 

少し前に、わたしの人生の師匠から「太極拳を美しいと言われることに、意味はあるのか?」という問いを出さました。

 

自分としては、美しさを求めて太極拳をするわけではありません。どう見えるのかを気にし始めると、欲やエゴに取り込まれます。心を落ち着けて、自分のリズムで呼吸しながら、足はしっかり大地を踏みしめ、頭は天に向かい、陰陽の転換で動いていくだけです。意識の持ち方は、外にも開いていますが、内にも向かっています。「耳を大きく開いて心の音を聞く」という表現があり、ちょうどそんな感じ、自分の外と内との境が曖昧になってつながっているような感じです。

 

それでも、見てくださった方が「美しいですね」とおっしゃってくださるのは、うれしいです。技術や、理屈ではなく、ただ「美しい」と思わせるものが、一番だと思うからです。わたしの先生が「自分も、そして見る人も気持ち良いのが、良い太極拳」とおっしゃっていたことがあります。その言葉を、ずっと大切にしています。

 

教えることも、書いたりお話することも好きですが、演武も大切に思っています。言葉では表現できないものが伝わると思うからです。この言葉を介さない交流が、とても好きです。

 

自分のタイトルを太極拳講師とはせず、太極道家としているのは、そんな理由もあります。小さなわたしではありますが、これからもずっと、”表現する人”でいたいと思っています。

 

演武が終わった後に、古琴の先生が「古琴の音があったらよかったね。」とおっしゃいました。今回は直前に決めたので、音なしでしたが、今度はそんなこともしてみたいです。太極拳、古琴、書道、中国茶は、同じ文化で、わたしが古琴を始めたのも、武当山(中国、湖北省)でお稽古していたときに兄弟子が古琴を弾いていたからです。

 

幸せな時間でした。ご縁に感謝です。

 

 

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ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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