エネルギーは、目、口、耳から出て行く

2017.07.08 Saturday

(Photo by Xie Okajima)

 

太極拳のお稽古で「エネルギーは、目、口、耳から出ていく」と習いました。

 

太極拳の大きな目的のひとつは”健康”です。元気の”気”を、できるだけ目減りさせないようにするのです。”気”を使いすぎない”ためにも、目、口、耳の使い方が大切になります。

 

まず、口です。口は閉じて、下を上あごの下につけて、鼻呼吸にします。

 

鼻には、ほこりなどを体内に入れない機能がありますが、口で息を吸うと、フィルターがかからず、そのまま体内に入ります。さらに、口で呼吸すると一度にたくさん空気が入るため、浅い胸式呼吸になりがちになります。胸式呼吸は交感神経を刺激しやすく、精神的な興奮状態を起こしやすいそうです。

 

鼻で呼吸することで、深い腹式呼吸に誘導しやすくなります。すると横隔膜が広がり、内臓の動きや血液の循環が良くなり、自立神経のバランスが整いやすくなります。

 

吐く時も、口から吐くと、一気に空気が出すぎてしまいます。鼻で吐くことで、”ゆっくり”のペースを保つことができます。

 

身体的なパフォーマンスが高い人の場合、間違いな、く舌を上あごの舌につけて鼻呼吸している、と聞いたこともあります。この舌の位置は、習慣にしてしまうと良いですよ。最初はできていなくても、意識して続けていると、自然に習慣になります。

 

 

目の使い方にも、特徴があります。太極拳では、見る場所が決まっています。そこに目を”置いて”、凝視するのではなく、自分の内側を見つめます。さらに、黒目をきょろきょろ動かしません。横を見る場合、顔ごと動かします。黒目は、目の真ん中に置いたままです。黒目がくるくる動くことで、エネルギーを消費してしまうそうなのです。

 

中国の武当山でお稽古していたときのことです。当時13歳だった男の子が横目をしたとき、先生がものすごく怒ったのです。「カンフーをやっている者なら、横目で見ずに、堂々と正面で見なさい!」と。

 

最近読んだ、視力回復の本の中に、「コツは目の周りの外眼筋の緊張を取ること」と書いてありました。文字を見る訓練方法が紹介されていたのですが、そこでもやはり、黒目を動かさずに、顔を動かして文字を順番に見ていく、と書いてありました。太極拳の目の使い方と、同じですね。

 

耳は、なぜここからエネルギーが出て行ってしまうのか、最初はぴんと来ませんでした。ずっと「どういうことだろう」と考え続けて、ここ1〜2年くらいで「こうかな」と思い始めたことがあります。簡単に言うと、目の使い方と同じです。

 

耳からは、外の音がたくさん入ってきます。それに気を取られすぎると、自分に意識が向かなくなります。騒音にストレスを感じることもあるでしょう。この状態が、耳からエネルギーが出てしまうことだと思うのです。

 

武当山で站椿功(立禅)を練習しているとき、先生が「耳は外に向けて大きく開いて、心の音を聞く」とおっしゃったことがあります。このとき、自分の外と内という境界線がなくなって、ひとつにつながっている感覚になり、それがとても気持ち良かったのです。

 

太極とは、陰陽の母で、ひとつの源であるなら、自分と周りの境目が曖昧になってくる状態が、太極に近づいているとき、もしくは太極に触れているときのような気がします。自分と周りの空気もそうですし、もっと広げると、自分と他人との境界も、曖昧になってきます。区別がつかないものの間には、対立は起きず、平和が広がります。

 

太極拳は、最初はわからなくても、続けていくうちに「上手くできているなあ」と思うことが、たくさんあります。口、目、耳の話も、そうです。最初はわからなくても、”型”をなぞっていくと、そのうちにわかってくるところも、良いところです。伝統的に伝えられた先人の智慧に、感謝ですね。

 

これからも、続けるうちに、もっとたくさんの発見があるのかしらね。80歳くらいになったとき、自分がどんなところにいるのか、楽しみです。

(中国、武当山)

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

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夏越の大祓と穢(気枯れ)

2017.06.30 Friday

(大宮八幡宮)

 

今日は6月30日。夏越の水無月の大祓(おおはらい)です。

 

これから暑い夏を迎えるにあたり、半年間の罪穢(つみけがれ)を祓い清めます。

 

今日、大宮八幡宮の大祓で、宮司さまのお話の中にとても印象深いことがありました。大宮八幡宮は、”東京のおへそ”とも言われ、とても気もちの良いところで、よくお参りに行くのです。

 

「穢(けがれ)は、気枯れ。気が枯れて、元気がなくなること」

「清めは、気がよみがえること」

 

わかりやすいですね。清浄を大切にしてきた日本人の背景が、よく現れているような言葉です。

 

太極拳でも、”気”を練るとか、”気”がある、とか、”気”を育てる、と言います。さて、”気”とは何でしょうか?

 

「元気」「気力」「気配」「気づかう」「気疲れ」などなど、日本語には”気”を使う言葉がたくさんありますので、感覚的にはわかりやすいと思います。

 

”気”は、生きていく力、生命を支えるエネルギーのようなものだと捉えています。

 

ランプに例えるとわかりやすいかもしれません。人の丹田のあたりにランプがあり、命の火がともっています。これには燃料が必要です。その燃料になるのが、"気(陽気)”です。

 

気には、先天の気、後天の気があります。先天の気は、生まれたときに持ってくるもの。後天の気は、生まれてから死ぬまでに自分で調達するものです。先天の気だけ燃やすと、わずか数分しか持たないと言われています。このわずかな先天の気を、寿命が来るまで持ち続けるために、後天の気で補っていきます。赤ちゃんは生まれたら自分で呼吸し、お乳を欲しがって栄養を取ろうとするように、人は生まれるとすぐに、後天の気を生成しようとします。

 

生成して継ぎ足してはいきますが、人生は、陽気の消耗のプロセスです。天寿を全うするためには、どれだけ消耗を最小限にするかが、大切です。

 

冷えやストレスは陽気を大きく消耗させます。過労死は、命を支える”気”がなくなった状態と言えます。

 

太極拳や気功は、言われているとおり、気(陽気)を育てると感じます。でも”気”は、目に見えるものではありません。どうやって練ればよいのでしょうか?

 

「気を練る練習をしていますか?」と聞かれたことがあります。わたしの答えは、「結果的には気を練ることになっていると思いますが、それを意識すると、そうはならないので、お稽古中は”気を練ろう”とは思っていません。」でした。

 

中国でお稽古する場合も、足裏で大地を踏みしめるとか、具体的にできる指摘が多く、「さあ、気を練りましょう」みたいなことはないのですよ。やるべきことをやっていけば、結果は自然に現れると思います。

 

こんな、わかりやすい表現もあります。「血が流れれば、気が流れる。気が流れれば、血が流れるのを応援してくれる。」つまり、血流が上がればよいのです。

 

自律神経の研究をされている医師の小林弘幸先生は、「真の健康とは、細胞のすみずみまで、質のいいきれいな血液を流すこと」とおっしゃっています。すると、すべての臓器の機能が良くなり、体調は良くなります。

 

血流が上がれば、体温が上がります。温かい、というのは、生命力がある証拠でもあります。生まれたばかりの赤ちゃんは、グングン成長するとおり、生命力のかたまりです。冷え症の赤ちゃんというのは、聞いたことがありません。体温があることが、成長には大切なのです。

 

ここで、「陽気があるなら陰気もあるの?」と思う方もいらっしゃるでしょう。もちろん、あります。陽気を育てるのは動功(太極拳や気功など)だとすれば、陰気を育てるのは静功(站椿功など立禅、坐禅、瞑想など)です。動功は、主に体を育てる(整える)もので、静功は、心を育て(整え)ます。

 

陰のないところに陽は育たない、と言います。陽気は陰気が転化したもの、とも言います。

 

昔の話ですが、太極拳を習う場合、最初は站椿功ばかり何年もやらされる、と聞いたことがあります。これはまずベースをつくるためです。今は、それが入門の通過儀礼になっているわけではありませんが、それでも長くやっている人は、この站椿功を大切にして、長くやり続けています。わたしの今の師匠、明月師父(武当玄武派第十六代伝承人)も、「站椿功で自分の中に力を蓄えた」と話されていて、お稽古でも毎日のメニューに入っています。

 

站椿功がベース、というのは、自分でやってきても、実感としてよくわかる気がするのです。

 

今日、宮司さまは、「人は清浄で生まれてくる。でも、大人になると、悪気はなくても罪や穢れを負ってしまう」という話をされていました。だから半年に1回きれいにして、気をよみがえらせるのだ、と。この行事も、心も、大切にしたいです。

 

そして、日々の生活では、気が枯れないように、心がけていきたいです。

 

自分が元気であれば、周りを元気にすることもできますしね。

(大祓の帰りにいただいた、七夕の笹。お願いごとを吊るそうかな)

 

☀「陽だまり」とは

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教えること

2017.06.08 Thursday

(溝の口クラスは、終了後ヘナ(ハーブ)の足湯つきです。ここで、お稽古中に伝えきれないお話をします)

 

前回は、太極拳を10年続けた理由を、書いてみました。今回は、”教えること”です。

 

どうして教えたいと思うようになったか、実はあまりはっきりしていないのです。

 

わたしの単発クラスを受けてくださった友人Aさんの感想を読んで、友人Bさんが、声をかけてくださったことがあります。当時勤めていた会社で「単発の講座をしてもらうことはできる?」と打診してくれたのです。うれしいな、やりたいな、と思って、先生にお話しすると、「教えたい理由は?」と質問されました。最初の答えは忘れてしまいました(すみません......)が、わたしの答えを読んだ先生は「違う。もっとよく考えなさい」でした。

 

考えてみましたが、短い言葉にまとめると、どうにも表面的で、他人ごとのように感じられてしまうのです。そこに至るまでの経験すべてが、今にいたったもとになっているような気がしたのです。悩んだあげく、これまでのストーリーをすべて書いて送りました。たいそうな長文です。

 

当然のことながら、「長すぎる!これを全部読めというのか!これも違う」というお返事が返ってきました。

 

何度かやりとりをしている間に、自分の中で、教えたい情熱がすっかり減退していることに気づきました。もういいや、と。「ここであきらめるなら、それだけのものだったのだよ」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。でも、あきらめようとしている自分に気づいたときに、「これは違う。最初に感じたやりたい気持ちを大切にしよう」とも、思い直したのです。

 

結局そのときは企画自体が流れ、この話もそこまでになりました。

 

先生は、「答えがあるものではない。ずっと考え続けていくものだから」というような話をされていました。

 

今から考えてみると、あのとき、「やりたい」以上に、明確な理由などなかったのだと思います。それなのに、それらしい理由をつけようとしたために、自分で自分を追い込んだような気がします。だから「それは違う」と言われたのかもしれないと、思います。

 

もちろん「やりたい」と連呼するだけでは、ダメなときもあります。いろいろな人が絡んむ企画をスムーズに通すためには、「わたしが適任者です。なぜなら○○○ですから」と、言えることが大切です。

 

でも、もっと手前の自分の思いをみるときには、言葉でも理屈でもない、ふつふつと盛り上がる気持ちみたいなものが、あるだけだったりします。それがあるなら、挑戦してみよう!です。ちょこっとでもやりたい、と思った気持ちを、丁寧に、大切にしたいと思うのです。

 

その先、クラスを実現するために、いろいろな方の同意や了解を得る必要があるなら、わかりやすく言葉にしていけばよいのです。

 

わたしがレギュラークラスを持つのは、それから1年後くらいのことです。やはり友人が「会社の中でやりたい」と、声をかけてくれたことが、きかっけでした。わたしは「ぜひ!」と答えただけで、あとは友人の行動力と、人としての魅力や交渉力で、あっという間に決まりました。

 

会社員だった頃は、「チャンスは自分で捕まえに行かないと、つかまえられない」と思っていました。そして、チャンスが見えれば、赤信号でもわたって取りに行くようなこともしていました。そんなことをすれば、事故にも遭っていたでしょう。心身に不調も出るはずです。そんなわたしを見て、「あなたは”待つ”ことができない。待っていたらチャンスは来ないと思っている。そんなことないのですよ」と言ってくださった方が、いらっしゃいました。

 

準備だけして、それを表現していけば、チャンスが来るときは来るということが、ようやく実感できるようになりました。

 

先生という存在は、学生時代も、社会人になってからも、わたしにとってはとても大切な存在です。背中を押してくれたのは、いつも先生でした。そして先生の日ごろの在り方からも、たくさんのことを学びました。「あんな人になりたいな」という憧れも、たくさんあります。

 

だから、わたしは”先生”としていられることが、うれしいのです。そして、そもそも生徒さんがいらっしゃらなければ、先生にはなれません。生徒さんのおかげで、先生をさせていただいている、ということですね。

 

わたしにとって先生の存在が大きいように、生徒さんにとって、気づきのきかっけを与えられる人でありたい、と思っています。人が真剣に生きる姿、取り組む姿、変っていく姿を間近に見ることのは、とっても幸せなことです。

 

たくさんの方、経験には、本当に感謝です。そして、やはりここでも伝えたいのは、「やりたい」気持ちを大切に、です。自分にも、生徒さんにも、誰にとっても、ですね。

 

 

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10年続いた理由

2017.06.08 Thursday

 

はじめて太極拳を体験したのは、2006年8月5日です。それから途中、約半年フィトテラピー(植物療法)の勉強のためにお休みした時期を除いて、約10年、続けてきたことになります。

 

武当功夫に出会ったのは、2008年の末です。最初は、違う流派で始めました。

 

武道をやっていらっしゃる方には共感していただけるかと思いますが、10年では、ひよっこです。この道、30年、40年の方々が、たくさんいらっしゃるのです。

 

しかし武道という枠をはずれると、「長い!」と驚かれることもあります。

 

今日、友人と話していたときに「それだけ長い期間、ずっとやってきた理由は何?」と聞かれました。

 

出てきた答えは、いつのときも「もっと、やりたいと思ったから」です。とってもシンプルです。

 

始めたときは、身体は今よりもずっと弱かったのです。最初に武当山の頂上まで登ったとき、足首は、ひねってもいないのに腫れてしまいました。下記のポーズは、”座らない”のですが、最初の頃は筋力がなさすぎて、下がるとそのまま地面にお尻が落ちていました。何ひとつ、目立って出来たことはなかったように思います。

 

 

それでも、初めて武当太極拳を体験したときには、何もできないにも関わらず「これは良い気がする」と思ったり、初めてひとりで武当山に行ったときには、悲しくないのに涙がぽろぽろとこぼれたり、心の琴線に触れるような体験が、いくつもありました。わからない”何か”を感じて、「もっと、やりたい」につながった気がします。

 

「それだけ奥深いものなのですね」とおっしゃる方もいらっしゃいます。今となっては同意できますが、はじめたばかりのわたしには、そんなことはわかりませんでした。

 

今、生徒さんに対して、そして誰に対しても思うことは、「やりたい気持ちを大切に」ということです。明確な理由や目標などなくても、”なんとなく”だけで、十分だと思います。やったことがないものは、やりながらそれを確かめていけばよいのですから。「もう○歳だから」とか「ムリだから」とか、遠慮する必要など、ないのですよ。

 

特に太極拳に関していえば、何歳からでも、その人なりの太極拳があります。太極拳の套路では、低い姿勢を取るものもありますが、以前、兄弟子が、「筋力も体力もありあまっている若い男子は低くすればよいし、高齢の人は、無理のかからない高い姿勢でやればよい。どちらも、同じだから」と言っていたことがあります。見た目のカタチは違いますが、同じなのです。

 

わたしの場合、30代後半から始めたこともあり、「今からでもやっていけるのだろうか」と思ったときもあります。それ以外にも、”やならければ”と自分を追い込んだり、どうしたらよいかわからなくなったときも、あります。

 

でもその都度、いろいろな気づきがあったり、助けられたり、本当にたくさんの”おかげさま”のおかげで、「やる」という選択をし続けてきました。この期間、今もそうですが、良いタイミングで良い先生方に巡り合えたことも、大きかったと思います。

 

その結果、10年前の自分には想像できなかった現実が現れます。事実は小説より奇なり、という言葉がありますが、その通りだと思います。

 

まだまだ先は続きます。これからもシンプルに、「やりたい」気持ちを大切にしていきたいです。そして「やりたい」気持ちが芽生えた人たちを、わたしなりに応援していきたいと思っています。

 

 

(All Photos by Xie Okajima)

 

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陰と陽のおはなし

2017.05.22 Monday

 

先日、面白い話を伺いました。一輪挿しのお花を見ていたときのことです。

 

「花は、光の方に向かうというでしょ?でも実際には、茎は逆の方に伸びていて、その結果、花が光の方を向くんですよ。」

 

植物は、暗い中で育つのだそうです。

 

「もやしは暗いところで、にょきにょき伸びるでしょ?」とも。

 

光合成のためには光は必要ですので、暗いところに置き続けるほうがよい、という話ではないと思います。育つためには、光だけではなく、暗さも大切、ということではないでしょうか。

 

「陰陽と同じですね。陰のベースがないところには、陽は育たないから」とお話したら、「そう!良く知っているね。」

 

一日で見てみると、昼間は陽気が強く、夜は陰気が強くなります。朝日を浴びて元気になるのは、陽気を取り入れていることになります。光を浴びることは、セロトニンという”しあわせ物質”を脳内に分泌することにもなります。

 

では、陰気はどうでしょうか?夜の公園を歩くと陰気が入ってきてしまうため、避けている人の話を聞いたことがあります。でも逆に、自分を癒すため、夜に木々の多い公園に行く人の話も聞いたことがあります。陰気のとらえ方の違いかもしれませんね。

 

陰のないところに陽は育たないという点から見れば、夜の公園はNGではありません。わたしは積極的に行くわけではありませんが、時々は、夜、静かな樹の気配を感じたいときもあります。ただしこれは本人の感覚次第ですので、心地よいと思えば行けばよいし、居心地悪いと思ったらやめた方が良いですよね。

 

太極拳とか気功は、陽のエネルギーを育てると教わったことがあります。陽のエネルギーは、成長エネルギーです。太極拳とか気功などの動功は、外から取り込んだ栄養や水分を成長のエネルギーにしていく過程全般にかかわるすべてを活性化させます。

 

でも、陽が育つためには、ベースとなる陰が必要です。それを育てるのは、站椿功などの静功だと教わりました。瞑想や坐禅も、ここに入ると思います。

 

心身を健やかに育むためには、陽の動功(太極拳や気功など)と陰の静功(站椿功など)、どちらも必要です。ただし、静功がなければ、動功が活かされないということで、これ以上、言葉で説明することはできませんが、自分の体験にあてはめると、すごく納得できます。

 

花のケースを見てもわかるように、人はどうしても目立つ方に意識がいきがちです。でも実は、地味な土台(陰)がなければ、華やかな部分(陽)は生まれないのだと思います。

 

その土台は、地味ではありますが、よく言う人生の暗さと明るさのように、つらく苦しいものであるわけではないのだと思うのですけれどもね。

 

 

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