「幸せに生きる」勇気

2015.10.14 Wednesday


(中国、武当山の朝)

昔、英文学を専攻する学生だった頃、文学を読んで、魂を震わせるような経験を何度かしました。
今は、立つこと、歩くこと、太極拳をすることを通して、魂が震えるのを感じます。

昔は文学で、今は体と心で、人生を学んでいます。

その中で、今回は「幸せ」について書いてみようと思います。

「幸せ」を表す英語の"happy"の最初の3文字"hap"は、
中世ではひとつの単語として存在していました。
"by chance" (=偶然)という意味です。"happen"(=偶然起きる)にも、
"hap"のもともとの意味が入っています。

「幸せとは、偶然のものなんだ」というのが、当時学生だったわたしの大きな気づきでした。

中世の詩人ジェフリー・チョーサーは、「カンタベリー物語」の中で「幸せ」について書いています。

幸せとは、家に帰ろうとしている酔っ払いのようなものだ。
酔っ払いは、家(=幸せ)があることは、わかっている。
でも、どうやってそこにたどり着いたらいいのかわからない。

というような文章だったと思います。

酔っぱらって溝に落ちたり、方向がわからなくなったりして、行こうとしても
たどり着けないのです。

でも「偶然」にも、実は原因と結果があります。
それが、自分ひとりで完結していないだけです。
日本の「はなさかじいさん」の場合、大判小判を埋める行動をした人(=原因)と、
掘り当てた人(=結果)は別というだけです。

このことがずっと、わたしの「幸せ」という認識に大きく影響を与えていたと思います。

では、今はどうでしょうか。

酔っ払いが目覚めたのか、
今は「幸せに生きる」と自分で決めるだけだと思っています。

人は、苦しいことや傷つくことで生きている実感を得たがる、というクセがあるようです。
楽ちんだと「やっている」感が得られず、つい無理をかけてしまう、というものです。

働き方でも、カンフーの練習でも、わたしにも思い当たることがたくさんあります。
お稽古でお腹を回して動いて。。。とやっていたら、先生に「もっと腰を楽にして」
と注意されたことがあります。ふっと楽にしたら、自分では”やっていない感”満載でしたが、
先生からは「そうそう!それ」と。
無駄に、無理をかけていたのです。

「幸せ」も、同じような気がします。
生きている充実感(?)を得ようとして、苦しいことや不幸を選んでいることがあります。
もちろん自分から不幸を選んでいるとは、その最中には気づいていません。
「チクチクゲーム(自分をチクチク攻撃するゲーム)」をやっているよ」と言われて、
わたしも愕然としたことがあります。

罪悪感も、後悔も、みんな「チクチクゲーム」です。
でも本当は、そんなことを感じる必要などないのです。
人間だから間違えることはあります。反省は必要ですが、それと自分を責めることは別のことです。

自分を責めることは、自分を愛していないことで、
それは他人から見ても痛々しいです。
その痛みに恐さと感じて、さらに攻撃してくる人も出かねません。
悪循環です。

至らぬわたしの乱暴な言動(=間違い)に、「ごめんなさい」を言うべき相手も
たくさんいますが、たぶん一番は、自分への「ごめんなさい」だと思います。
「傷つくことを選んで、ごめんなさい。」

そんな経験をした後に出てきた思いが、
「もういい。これからは幸せに生きることを選ぶ」でした。
偶然ではなく、自分からそれを選択することです。
今までと違う習慣をつけていくことにもなるため、勇気も必要です。
でもそれなら、誰にでもいつからでも可能です。自分が選ぶだけですから。

もうひとつ、今の「幸せ」は、学生の頃に理解していたものとは
ちょっと違うような気がしています。
体と心を通して学んだ今の「幸せ」については、また別の機会に書こうと
思いますが、それが他人との比較や人から見た「幸せ」ではないことだけは、
確かです。


 

「怖い」気持ちに理性で蓋をしないこと

2015.09.14 Monday


(今日の東京、丸ノ内)

二晩続けて、怖い夢を見ました。
あまりに怖くて、目覚めも憂鬱です。

どうしたらよいかわからず、わたしの人生の師匠に電話してみました。
「怖いのに昼間、大丈夫って思いすぎているのかも。
我慢しているとその分、夜にストレスがかかってくるから。」

そして、「今のこの状況では、怖いのは普通でしょ。」

台風とその被害、東京での早朝の地震、今日の阿蘇山の噴火、それに加えて
人身事故も多いような気がします。

それにつられて自分が不安になると、もっと加速させるような気もして、
「大丈夫、大丈夫だからね」と自分にも、地球にも言い聞かせていたと思います。

本当は怖いのに、です。

「大丈夫と思うことも大事だけど、でも怖いんだよね、と、それも認めないとね。」

つまり、我慢しすぎだったのかもしれません。

わたしはこんな風に、自分の気持ちに蓋をしてしまうことがあります。
理性で蓋をするのです。
たとえば、誰かに連絡してお返事がない場合、
近い人だと状況を知っているので、「今、忙しいからね」と、返事がない理由を
理性で言い訳して、本当の自分の気持ちに蓋をしてしまいます。
本当は、お返事がほしいのに、です。

その話を師匠に話したら、
「そういうときは、お返事がほしいの、ほしいのって、言ってみればいいのよ(笑)。」

ちいさな我慢も、たまると爆発します。
わたしがこれでご迷惑をおかけした人は、たくさんいるはずです(ごめんなさい)。

環境や状況が荒れ気味だったら、怖いのはふつうのことです。
でも、それに必要以上に持っていかれて、自分の軸まで崩れてしまわないように、
せめて自分の中では平和で穏やかな環境を保とう、と心がけます。それでも、怖いです。

怖い中にもうれしいことや幸せなことは起こります。それも事実です。
今朝は、聴覚障碍者の方への太極拳教室で、生徒さんがとても上手に、「呼吸で動きをリードする」
をやっていらして、「いいなあ、上手だなあ」と思って見ていました。とても幸せな時間でした。

わたしが太極拳をするとき、一番大事にしているのが、心を穏やかにすることです。
そして、自分のバランスをととのえて、自分と周りとの調和をとっていくことです。

それはきっと、ちょっとバランスを崩すとすぐに外の環境に自分の軸を持っていかれてしまうから
だと思うのです。自分の軸を、しなやかに強く保つための手段として、太極拳をする、ということを
選んでいるような気がします。

穏やかな人が一人いると、10万人が救われる、という話を聞いたことがあります。
音が振動で伝わっていくように、人の気も波動のように伝わっていくと感じます。
平和を願うなら、自然災害は止められないとしても、被害ができるだけ小さくすむように、と願うなら、
まずは自分が平和を保つようにしよう、と思っています。
だから、わたしにとって、太極拳をすることは、祈ることでもあると思っています。

外界で嵐が起きても、自分の心の中まで荒らすことはできません。
心が荒れるとしたら、それは自分が選んでいるだけです。
「怖くない、大丈夫」と我慢することも、実は心を荒らしている場合もあると、思います。

災害等で被害にあわれた方々に、お見舞いを申し上げます。
鎮まっていくことを、心から祈っています。
 

丹田で読んで、丹田で話す

2015.08.29 Saturday


(信州で出会った、おとぼけウェルカムポストくん)

わたしは結構、せっかちです。

本を読むのも早く、”ななめ読み”もします。
人の話は半分くらいで「わかった」つもりになり、
早合点してしまうこともあります(失礼な話です。ごめんなさい)。
そこそこ弁も立つので、ぺらぺらと、どんどん言葉がでてくることもあります。

でもこの状態が居心地がよいかというと、そうではありません。
頭だけがくるくる回っている状態なので、首から下が置いてきぼりになっているのです。

最近、丹田で読む、丹田で話す、という経験をしました。

わたしが”せっかち”であることを知っている方が、「本を読むときはね、丹田で読むの」と教えて
くださったのです。姿勢は、きちんと座るか、もしくくは寝そべるなど完全にリラックスするかの
どちらかです。両極端に見えますが、どちらも深く呼吸ができる姿勢です。
そして、一文ずつ、丁寧に文字を追って、呼吸をしながら”腹”に落とし込んでいきます。
言葉が伝えてくること、目に見えない行間から伝わる感覚を、丹田に落としていきます。
そうすると、わたしは感じ方が変わる気がしました。

せっかちに読んでいるときは、頭のアンテナで情報をキャッチしているような気がします。
でも、丹田に落とし込んで読むときは、頭ではなくて、体の感覚として反応が起きます。
心の琴線が触れるところにくるとじわっと涙が出たりします。
すごくゆっくりしか読めませんが、とても味わい深い読み方になります。

そしてその翌日、友人を訪ねて行った信州では、”お腹から話す”経験をしました。
のんびり旅行で、話したいときに話す、ぼーっとしていたいときにはぼーっとするという、
とてもリラックスした環境で、気づいたら、ゆっくり、お腹から声を出して話していました。

お腹から声を出す、というのは、大きな声を出すのとは違うのです。
自分のペースで呼吸して、その呼吸に自分の声を乗せて話している感覚です。
無理することなく、心の底から上がってくる思いを、そのまま言葉にして出しているともいえます。
「こういう話し方、最近していなかったな」と思いました。

普段、太極拳のクラスでは、「自分のペースで呼吸することが大事です。話し方が早くなるのは、
呼吸が早くなっているサインで、それはストレスがかかっているからです」とお話しているのですが、
わたしも、気づかずにちょっとペースが狂っていました。

これが、わたしの居心地の良いペースです。

念のため、わたしは速読や早く話すことを否定しているわけではないのです。
適材適所で、それが必要なときには、そうすればよいと思っています。
ただ、どれが今の自分にとって居心地が良いのかを、わかっていることは大事だと思うのです。
せっかちになりがちなわたしの場合、ゆっくり読んで話すこと、丹田で読んで話す状態が、
良い加減、というだけのことです。
そうすると、自分の中に入ってくるものも、出ていくものも、より繊細で細かいものになる気がします。

日常生活の中で、丁寧に生きること。
まだまだ、できていないことも多いですが、
「道」を外れていることに気づいたら、また戻る、の繰り返しです。
今はこれが、一番の修業かな、と思っています。


(入笠山の頂上で出会った淡いブルーの蝶)

想定内の枠を超える

2015.08.09 Sunday

















(中国、武当山の南岩)

先週、腰痛になりました。
ぎぐっときたわけではないのですが、これはぎっくり腰の予兆のような様子です。
右の肝臓の裏あたりが、痛いのです。

まず呆然、その後、すごく反省しました。
体のメンテナンスは毎日していたつもりだったのに、なぜこんなことに。。。
わたしは自分の体を本当に丁寧に扱ってはいないということなのでしょう。

もうひとつ、思ったことがあります。
「想定外」を生きていないのです。

これだけ動かしていれば、ケアしていれば、腰痛にはなるわけがない、と
勝手に想定して、その範囲で生きているから、想定外のことが起きるとびっくりするのです。

2年前にも、似たような経験があります。
友人と企画してワークショップをしたときのことです。
あるプログラムの課題だったため、その様子をビデオに撮ってフィードバックを
もらう機会もありました。
プログラム自体は、参加者の満足度も大きく、成功と言えたと思います。
でもフィードバックは「これは、わたしの知っているみんみん(わたしのことです)じゃない」
というものでした。自分で映像を見てみると、その場で起きたことに対して柔軟に対応しているし、
上手くさばいているようには見えますが、どこか違和感があります。

「そうか、ハプニングに対応することも含めて、わたしにとっては想定内のことしか起きていないんだ。」

人前で話すこと、ワークショップをすることは、それまでの仕事の経験もあって、
そこそこ慣れていました。
必要ならその場での変更にも躊躇なく対応しましたし、ちょっと難しい人がいるときも、
ちゃんと向き合って対応していたつもりでした。

でもそんなことも含めて、わたしの中では「想定内」だったのです。

それまで、参加者がアンケートに「大満足、満足」とつけてくれれば良いと思っていて、
そのための役回りを「演じようとしていた」ような気もします。
アンケートで満点を取る優等生を目指していました。

「わたしは、そんなことがしたいのかしら?」

複数の参加者がいると、当然、タイプはバラバラです。
そこで平均点を取ろうとすると、無難になったり、参加者に迎合しすぎることもあります。
もちろん、参加者の希望を無視してよいわけではありません。
でも、わたしがしたいと思っていることは、違うのです。
わたしが望んでいるのは、内容に違和感を感じた人が、それをそのまま声に出せる
場所であることです。
安心して違和感を話し合える場所を作りたいし、その先に「わたしはこうしたい」と
一人ひとりが主張できるような場所を作りたいのです。

それなのに、気づかずに、想定範囲内にまとめて良い点を取ろうとしていました。

ばかものです(笑)。

これは相当な衝撃でした。
でも、このおかげで、それ以降は自分が教えるときも、
演じることをやめて、とにかく常に「自分」でいようと思うようになりました。
自分の体験をベースに、自分の魂からの思いを自分のことばで話すこと、です。
魂が抜けそうになる兆候は、呼吸を見ていればわかります。
呼吸が早くなっているかどうかは、話すスピードでわかります。
常に自分のリズムでいるかどうかを、とにかく大事にするようになりました。

教えることは、ずっと楽しく豊かなものになりました。

あのときは、「教えるとき、ワークショップをするとき」という範囲の中での
「想定外」でしたが、2年たって今度は、自分の生活でも「想定外」を受け入れていくときが
きたような気がします。

2年前と同じように、衝撃はありました。でも、こんな間抜けな自分に気づくとき、
わたしは自分で笑ってしまうのです。「わかったような顔をして、小っちゃいなあ」と。

自分の体にも、もっと丁寧にすること、そして想定内の枠を超えることで、
これからどんなことになるのか、想像もつきません。。。。なんといっても想定外ですから。
ちょっと恐いです。
わたし、これからどうなっちゃうんでしょうか(笑)。


(いつもお稽古している公園での夕焼け。この樹の影が動物のようで、楽しいのです)

自然と人、大宇宙と小宇宙

2015.08.06 Thursday
















(中国、武当山)

先日、森に行ってきた友人から言われたことです。
「なぜみんみん(わたしのこと)が、よく中国の山に行くのか、わかった気がする。」

3日間、森で過ごしたうち、初日は雑念だらけだったそうです。
雨も降っており「まだ歩くのかなあ」「ろくに説明も受けてないし」「嫌だなあ」などなど。

でも、2日目からは違ったそうです。
雑念がない。逆に探しにいっても、ない。
ひたすら今、ここにいて、平和で穏やかな心でいられたそうです。
「森って、そうなんだね。」

自然や宇宙を大宇宙、人と小宇宙とし、呼応している、という考え方があります。
自然の中に身を置くのは、大宇宙の在り方を体感し、小宇宙である自分の在り方に気づく機会でもあるようです。

老子の「道徳経」にも、自然と人の在り方についての記載があります。

天はひろびろとしているし、
地は果てしなくて、
ともに
長く久しくつづくものなのだ。
それというのも、天と地は
自分のために何かしようとしないで、
あるがままでいるからだ。
だから、長く、いつまでも、ああなんだ。
(「タオ 老子」第7章 加島祥造 筑摩書房)

老子は、これを知っている人は先を争ったりせず、
競争したりせず、無理をしない、と言っています。

「我をはったりしない生き方だから、
自分というものが生きるんだ」
(前掲 「タオ 老子」)

人は、「大宇宙と小宇宙」という概念を、
本で読んで知るのではなく、みんなどこかで知っているような気がします。
普段は意識にのぼってきていませんが、
自然の中に身を置くことで、思い出すのかもしれません。

わたしの場合は、たぶんそうです。
人は、何かを思い出すと泣く、と聞いたことがあります。
自分の本質に触れると、「あっ、そうだった」と思い出して、
ちょっとびっくりして泣くのです。
6年前に武当山に一人でお稽古に行っていたときが、そうでした。
早朝、一人で山を走っているとき、なぜかいつも涙が出るのです。
悲しくないのに。なんでだろう、とずっと思っていました。

今から思えば、自分にとって大切なことを、自然の中に身を置くことで
思い出していたのだと思います。
争わず、調和を大切にして、心穏やかに生きること、
自然という大宇宙と、わたしという小宇宙が、同じ、
我を張らず、自分を生きること、です。

自分の中に自然がある、とも言えます。

ここで大事なのは、先入観なく、何の期待もなく、過ごすことだと思います。
それ相応の時間や環境が必要な場合もあります。
山のガイドのようなことをしている人は、
「人ってね、山に来ると癒される、という思いを持っていて、
その妄想に乗って『きもちいいー』っていっちゃったりするんだよ。
そこから離れて、本当に自分が感じるとおりに感じるように持っていくのは、
結構大変なの」と言っていました。

わたしにとってはそれが、太極拳をすることにつながっているのだと思います。
期待とか、良い悪いとかを持たず、いつも今にいて、無理せず丁寧に動くこと、
呼吸を合わせることをやっていると、雑念や我が入り込む隙間がないのだと思います。

それでも、日常の中では、つい忘れてしまうこともあります。
最近も、イライラしたばかりです。
実はそれに先んじて、腰痛にもなりました。
痛くなったのは、ちょうど肝臓の裏。
怒ると影響が出るのは、肝臓です。
時間としては順序が逆ですが、こういうことも、ある気がします。

日常では、びっくりすることも、えっ?と思うことも、
いらっとすることも、いろんなことが起きます。
それはそれで、良いのです。老子も「醜いがあるから、美しいがある」と言っています。
ただ、その挑発に乗って争いはじめると、道を外れることになります。
そもそも、誰も挑発していません。自分の妄想だと思うのです。

道を外れたら、戻るだけです。
わたし、まだまだよのう。。。と反省しつつ。。。
(なぜかこういうときの言葉は、おじいちゃん風。)



(武当太極剣)


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