自然崇拝!?

2015.04.03 Friday


(裏高尾にある、ツリーハウス)

山が好きで、自然の中で太極拳をすることが大好きです。
1年くらい前まで、だいぶナチュラル志向でした。
でも今思うと、ヘンな”思い込み”もたくさんありました。

パワーストーンを身に着けるようになったとき、
「装飾品として売られているのは、内包物をキレイにするために焼いているから、死んでいるんだよ」
と聞き、「生きているパワーストーンしかつけない」時期もありました。

「香水は天然のエッセンシャルオイルに限る」と思っていたときもあります。
フィトセラピストだから知識がある、というのもありますが、
ナチュラルでない香りは「だめ」と決めつけていました。

「ビルが立ち並ぶ都会は、息苦しい」と思っていたこともあります。

今から見れば、ぜんぶわたしの妄想です。

これが、あることをきっかけに変わりました。

去年の6月、裏高尾に行ったときのことです。
一緒に行った方と「自然に対する思い込みを、ひとつずつ挙げてみよう」というゲームをしました。
「抱きつくと、木のエネルギーを感じられる」とか
「山にきたら、リラックスできる」とか
「自然は、必ず人間を癒してくれる」とか、
あっている、間違っている、ではなく、思い込みかもしれないことをひとつずつあげていきます。
「ある、ある」と、ふたりでクスクス大笑いしながら、やってみました。

その後、ひとりで森の中に入っていきました。
裏高尾は人も少なく、静かでのんびりできるのです。
ぼんやり歩いたり、座ったりしていました。

そのときに、わたしがとてつもなく惹かれてしまったのは。。。なんと”電柱”です。
「えっ?これ?」という衝撃が走ります。
超ナチュラル志向のわたしとしては、自然のものではない電柱は、「だめ」な分類です。
しかし、今日はこれに心を惹かれることを否定しきれない自分がいます。

ちょっとした葛藤です。
でもね、これだって人の手で作られたものなのですよね。
世の中にあるものは、すべて自然にあるものか、人の手で作ったものです。
だったら「これが好き」も、「あり」だと思いました。













それ以来、眠っていたジュエリーたちも復活させましたし(ごめんね、と言いながら)、
パワーストーンを必ずつけることもなくなりました。
香水も、今はイチジクの香りが一番好きです。
ビルの中の床でも、大地のエネルギーを感じられます。
世の中にあるものたちへの愛しさを、感じるようになりました。

それでもやっぱり山が好きです。
でも山にいないとリラックスできない、というわけでもないのです。
山を自分の中に持っていれば、スペースがあれば、都会に暮らしていてもリラックスできます。
何より山でできたことは、都会でもできるんですよね。同じ自分だから。

ただ、都会にずっと暮らしている場合は、
一度はどっぷり山や森、海にひたって、自然を思い出す体験が必要だと思います。
わたしがそうだったように、大事なことを忘れちゃっているかもしれないから、です。
ちょっと行き過ぎたナチュラル志向も、必要な時間だったのかもしれません。













この高尾山には、”両界橋”という場所があります。
ここを境に、なんというか、本当に空気が変わるのです。
高尾駅からこの橋のあたりまでは、人が住んでいるところだよね、という印象です。
その先も、もちろん人は住んでいますが、なんかちょっと「おじゃまします」みたいな感じがします。
この名前、誰がつけたのか。。。すごい、とにかくすごい。
わたしの中では、ベストネーミング大賞、一押しです。



(大好きなイチジクの香りのキャンドル。こういうもの、やっぱり
フランス製が良いなあ、というのは思い込みでしょうか。。。)
 

締切の意義と、それを超えるもの

2015.03.28 Saturday



わたし、というと中国、と言われますが、その昔は英文学を研究していました。
専門は14世紀後半、シェイクスピアよりも前の時代。天動説が信じられ、文学も
口頭伝承の流れで「詩」だった頃です。たっぷり苔むした、中世の時代です。

研究していたチョーサーの「カンタベリー物語」では、4月に29人の巡礼者たちが
旅立ちます。その道中、ひとり2つずつお話をして、誰が面白いかを競おう、となるのですが、
この作品、未完の大作と言われています。終わっていないのです。

未完成の理由についてはいろいろ学者さんが議論しているようですが、
当時のわたしの先生はひとこと、「締切がなかったからよ。」

半ばあ然、でも、なるほど、と思いました。仕事やその他の経験を振り返っても、そうでした。
やらないといけないのに、忙しい、めんどくさいと逃避したりしています。締切は、大事です。
社会生活の推進力となり、そして改革や発展も締切にお尻を叩かれて実現できる部分もあると思います。

一方で、締切の意義を超えるものも、あると思うのです。

人は、本当にやりたいことに直面したとき、大きな恐れがきたり、逃げ出したくなったりします。
大きな変革期は、特に恐いです。そのとき、締切で「えいっ」とはずみをつけるのもひとつの方法ですが、
どうやっても気持ちがついてこれないときもあります。

わたしはホームページの作成に、半年ほどかかりました。
でも実際に作業したのは、打ち合わせやそのための準備を除けば、
写真を選ぶのに2−3時間、本文を書くのに3−4時間です。
さっさとすれば1−2か月でできたはずです。
でも、わたしは動けなかったのです。
まだまだなわたしがおこがましい、とか、遠慮とか、
いろいろ理由をつけては、
世にさらすことが、怖かったのです。

自分にGOサインを出せないままにいたとき、
そんなとき、人生の師匠が一言、わたしに言いました。「わたしなんて。。。と言っているけど、
本当は、『たいした自分だからたいしたことしないといけない』と思っているんだよ。
ぷぷっ(笑)。傲慢なの。『まだまだなわたしが、こんなことをやっているんです』
と思ったら、すぐにできるよ」

衝撃の事実です。
傲慢だったのですね。。。
それがきっかけで「わたしはこんな人で、こんなことを好きでやっているんです」という
ホームページを出そう、と決意できたのです。

締切がないからこそ、時間はかかりました。でもその期間は、
表向きには何も進まなかったかもしれませんが、
向き合うべき問題に向き合ったり、越えなければならない壁を超えたり、と、
すごく必要な時間だったと思います。

そしてもしも締切を優先していたら、ホームページの内容は全然違うものになった気がするのです。
たとえば太極拳の説明も、一般的にどんな風に言われているのかを気にして、いろいろ参考に
したような気がします。
でも今回は、何も水に、自分の中にあることをそのまま一気に書きました。
自分が練習してきたこと、勉強したこと、経験したこと、信じていることが
あるなら、今のわたしにわかることを書けばいい、と思えました。

締切がある意義と、それを超えるもの、
どちらも、それぞれ大事だと思います。

ひとそれぞれにタイミングがあると思うので、
どの場合はどんなことが良い、というのは一概には言えませんが、
ひとつだけ思うのは、あの動けなかったときに、
「動けない」という自分の感情を無視せずに、きちんと扱ってよかったということです。

もうすぐ4月です。
「カンタベリー物語」では、4月の雨が降る中、巡礼に出ます。
4月の雨。ノアの方舟のような、再生を示唆しています。
あらたな始まりです。
人生も、みんな未完の大作なのかもしれませんね。


(チョーサーは、こんな人。
これは大学院で教えていただいた先生が書いた本です)
 

わたしの名前

2015.03.19 Thursday



1年ほど前に参加したワークショップで、
「両親に、生まれたときの状況と、名前の由来を聞いてくること」
という宿題が出ました。

心の中でちょっと「えーっ。。。」照れくさいじゃないですか。
でも宿題だ、しょうがない、と意を決して、聞いてみました。

まず母に聞きました。
それまでめんどうな話をしていたため、ふたりともちょっと不機嫌でした。
なんとか片が付いたので、「では本題に。私が生まれたときってどうだった?」と切り出しました。

その途端、母の顔はニコニコになったのです。
「『産まれますよ』と声をかけてもらったら、スッと産まれたの。
『深い呼吸をして、お腹に力を入れて』と言われた後、ホントにスッと産まれた。
えっ、もう?と、全然苦労しなかった。ママに苦労をかけない良い子で親孝行なんだわ、と。
『女の子ですよ』と言われてみたら、なんてかわいい女の子が!
すごい子が産まれちゃったわ〜と思ったわ。」
はずむ声で、夢みるような表情でした。

ちょっと照れくさいです。。。続いて「名前の由来は?」
「かわいい名前がいいね、と話していたのね。
お父さんが「まゆみ」は、ひらがなでかわいい感じがするんだけど、
と言って、つけたの。お腹の中にいるときに、お父さんが『俺が考えるんだ』というから、
じゃあ分担作業で、と任せたの。」

同じ質問を父にも聞いてみました。
産まれたときの状況や気持ちは。。。照れくさそうに笑いながら
「うれしかったよ」の一言です。
名前の由来は。。。「いろいろ考えたけど、まゆみにしたんだよ。
他のは。。。忘れちゃったよ」と、たいそう
言葉が少ないです(笑)。
こちらはちょい逃げ腰での回答でした(笑)。顔はくしゃくしゃ笑顔でしたけどね。

答えよりも、
それを語るときの両親の表情を見ることができて、すごくうれしかったです。
このことがきっかけで、ちょっと不得意なところもあった両親との関係が、
まるくおさまっていったような気もします。
愛されて産まれてきたこと、そしてわたした愛していることを、
思い出したのかもしれません。

これ以来、ことあるごとに、
友人たちにこの質問ををおススメしています(笑)。
親がいるうちにしか、聞けないことですから。
聞くことで、何か大切なものを思い出すことができるかもしれませんから。

わたしには、もうひとつ名前があります。
静慧(Jing Hui)という、中国の太極拳の師父からいただいた道号(道教の修行者の名前)です。
大人になってからのこの名前も、別の意味で大切な名前です。
大人だったから、つけてもらったときの状況、名前の理由はしっかり覚えています。
その話は、また次の機会にお話ししたいと思います。


赤を生きる

2015.03.03 Tuesday














わたしの今のお稽古着は、赤です。ホームページも赤です。
それは、今のわたしのテーマが「赤を生きる」だからです。

最初は、中国、武当山のカンフー学校のお稽古着からでした。
男女、年齢問わず、赤を着ている人が多かったのです。
赤は中国ではおめでたい色だから、ということもあるのでしょうか?














(武当玄武派第15代伝承人 田理師父の学校。中国、武当山)

白を着なれた身には、真っ赤なお稽古着には少し抵抗がありましたが、
2か月の滞在中に慣れてしましました。
「似合うね」という声に気を良くし(笑)、
日本に戻ってからも、そのままの習慣でよく赤を着ていました。

日本では注意を受けたこともあります。
「赤は刺激色。いろんな精神状態の方もいらっしゃるからダメ」というものでした。

赤は、確かに刺激の強い色です。
でも、花や野菜など、自然界にふつうにある色のひとつ。
わたしには自然にある赤を大切にしたい、という思いもあります。

ただし、気功や瞑想などは、通常よりも感覚が敏感になります。
普段は気にならない生活音が、やたらと大きく聞こえたり、
刺激が強く感じることも、多くあります。
そんなときに赤い色を見せられたら、確かに刺激が強すぎるかも。
そのため気功や瞑想の時は、白や濃紫など落ち着いた色にしています。

この赤、わたしのバースカラーでもあります。
バースカラーとは、誕生日や出生地などのデータをもとに1440色の中から自分の色を出すものなのですが、
わたしはDIC156 という、金赤とも呼ばれている色。赤の中でも、”まさに赤”です。

そのときに「赤は、生命力に関係するような活動発信が向いている。
明確な赤は、人に勇気を与えるリーダーシップの現れ」という解説もいただきました。
ホームページを作るとき、デザイナーさんから「冒険だけど、”らしい”気がして」と、
真っ赤な背景色を提案されたときにすんなり乗れたのは、このときの言葉のおかげかもしれません。

もともとピンクが好きだったり、花束をもらうときは、ほぼ必ずピンクなのです。
ピンクはやわらかい色に見えますが、オーラソーマでは赤に光が入った
強い色という理解もあります。

チャクラでも、赤は一番下、下丹田にあたる色で、土台になる色です。

いろんな意味で、今は赤を生きるときなのかな、と思います。
赤のエネルギッシュな力を借りながら進むときなのかもしれません。

いただいたアドバイスの中には、「自分の使命を使いきるためには、
冷静さと陽気さがキーポイント。突き進むエネルギーがうまくいかないときにこそ、
柔軟さを発揮して『まぁ、いっか』と、のんきに構えることも助けになる」とか。
赤は、燃えるだけではないのです(笑)。

だんだんと、赤が自分になじんできた気がします。
最初は偶然、でも、たぶんそれは必然です。
今は、まずここからですが、そのうち、すべての色が混ざった透明になることを目指して
少しずつ進んでいこうと思います。


(武当山の学校の庭に咲いていた花)

自分で描いた夢の世界を現実に生きる

2015.02.13 Friday
















「1年前に夢みていたことが、ひとつでも現実になっているならば、
あなたは今、あの頃に描いた夢の世界を現実に生きている。」

1年くらい前に、友人のブログで紹介されていた言葉、そのままです。
(細かいところは違うような気もしますが。。。)
すごく印象深かった言葉なのです。

わたしは、誰かの意見で生きたり、誰かの生き方で生きるのではなく、
自分軸で自分らしく生きていきたいと思っています。

でも時々、自分軸が見えなくなります。
そして自分にダメだしをしたり、人と比較して落ち込んだり。
前者は「自分ではない理想の自分の人生」、後者は「人の人生」を生きようとしています。
その渦中にどっぷりはまると、自分の人生を見失っていることに気づきません。
愚かです(笑)。

こんなことが何回も繰り返されると。。。
さすがに何かがおかしい、とは気づきます。
でも、だめだめゲームの負のスパイラルから抜けられません。
今回もこの渦にはまり、ひどく動揺している自分に気づきました。

そこで目にしたメッセージは「自分が完全ではないと自己否定しているときは、
そうではないことを思い出させてくださいと、祈る」というもの。
心に刺さったので、祈ってみました。真剣に。必死に。

そうしたら、自分軸で生きる、など、わたしにとって大切ななメッセージが目に入ってきました。
いくつか、ちょっと角度を変えて、いろんな言葉で入ってくるのです。
そのうちに動揺がすっと消えていきました。

以前は神頼みをするより動くべきだと思っていました。
でも今回の経験で「祈る」という意味が、少し自分なりにわかった気がします。

「助けてください」と祈ることは、無責任に神様や人任せにしているのではなく、
「全部やれるもんね」という自分のエゴや「できないと恥ずかしい」というプライドを
捨てることじゃないのかな、と思うのです。
そして実際、すでにあることを思い出すだけなら、実は何もしなくてもよいのです。
思い出すだけですから。

思い出すきっかけは、自分ではないところ、自然や他人からきます。
今回のことから、みんなつながっているとも感じました。つながっていることに感謝です。

そして次に思い出したのが、冒頭の言葉です。

1年前、私は。。。
・自分の太極拳のクラスを持ちたいな(当時は1クラス、持ち始めたところ)
・ホームページもつくりたいな
・ブログも始めたいな
・TVや雑誌にも出たいな
・自分のビデオもほしいな

と思っていました。気づいたら全部、叶っています。
ホームページに使える写真もなかったので、撮影するところから始めました。
そして、今ではとても信頼している友人でもあるカメラマンさんも、当時は知り合っていませんでした。

何よりも、何のために太極拳をやるのかも、ずっとはっきりしています。
自分軸で、自分の人生を生きること、です。
大地に根を張る樹木のように、流れる水のように、しなやかに力強く生きていきたい。
体も心も緊張せず、自然なまま、穏やかに流れにのって生きていきたい。
自分もそうありたいし、そんな人を増やしたいと願っています。

人と比較したらきりがありませんが、わたしは確実に、あの頃描いた夢の世界を現実に生きています。
しかも、思い描いていたより大きな”おまけ”もついています。

良い人たちに巡り合い、ご縁があって、たくさんの人の親切のおかげで、今に至っています。
現実に起きたことですが、でも自分軸でみれば、ミラクルだと思うのです。

わたしにもあるように、誰にでも、きっと自分軸で生きるなら、
こんなミラクルみたいな出来事はたくさん起きるのかもしれません。

自分が自分であることが、うれしいと思えます。
またダメダメゲームに入ることもあるかもしれませんが(きっとあるでしょうが)、
このことを思い出そう、と思います。
 


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