違和感をなくしていくこと

2019.01.24 Thursday

 

「ありのままで」とか、「自分とつながる」とか、聞きますよね。

 

裏を返せば、本来の自分がわからなくて、探し求めるというのは、広く共通の願いなのだと感じます。

 

わたしも、これは幼少の頃から、違和感という感覚でやってきたように思います。

 

 

覚えている中での最初は、幼稚園に入る前です。

 

いつもトイレに入っているときだったのですが、「これが自分なのかなあ」と、ぼんやり宙を見ながら、違和感を感じていました。

 

これ、という肉体が、自分であることが、不思議なのです。

 

大人になってからその話をすると、「魂だった頃の記憶がまだ残っている頃だからじゃない?魂は、いつでも自由にどこでも行けるでしょう。でも肉体に入ると、そうはいかなくて、制限がある。それに慣れていないのじゃないかしら。」と言ってくれた人がいました。

 

この世に生まれてきたことに、まだ馴染んでいなかった頃なのかもしれません。

 

 

もうちょっと大きくなって成人したとき、今度は外国語に違和感を覚えました。英語で話すとき、自分から発せられている感覚がないのです。

 

大学生になって、授業の半分が英語になって、そこそこ英語を使う環境になったおかげで、それなりにコミュニケーションがとれるくらいにはなったのですが(こういうとき、日本の高等教育の底力を感じます)、

 

それでも「でぃす いず あんな あぽー (This is an apple.)」という言葉を発しても、まるで実感がないわけです。

 

当時は英文学を専攻していて、「これは文化だ。実感がないまま勉強してもダメだ」と思い、海外に進学することにしました。英語で日常生活を送って、文化や習慣にどっぷりつかれば、自分が発する言葉に実感が出るかもしれない、と思ったのです。

 

果たしてそれは、その通りになりました。

 

面白かったのは、感情表現は、日本語でも英語でも、似たような感じになることです。たとえば、心が痛いは、aching heartですよね。「感じたとおりに、そのまま言えばいいのだ」と思ったことを覚えています。

 

外国語を話すときに自分ではないみたい、という感覚は、その後、中国語を習うようになったときには、レベルはさておきですが、もう感じません。言語の種類はどうであれ、自分と言葉を結ぶ回路が、開通したのかもしれません。

 

 

もっと最近になって感じた違和感は、話すとき、書くとき、歌うときです。

 

話す、書く、については、以前もブログに書いたことがあるとおり、ここ3年くらい「盛らず、卑下せず、等身大で」を心がけています。話すペースは、自分のありのままの呼吸に合っていれば、心地よく話すことができます。

 

昔は、緊張すると早口になって、酸欠状態になっていました。しかもそれを「一生懸命やっているからだ」と、勘違いしていたのです。あるときそう話したら「でもさ、それ絶対、体に悪いよね」と言われて、ちーんと撃沈したわけです。あほですね。

 

歌については、ごく最近です。

 

昨年末、すごく久しぶりに人前で歌う機会がありました。アカペラ、マイクなしです。「歌えるのだろうか」とドキドキしながらやってみたら、けっこう気持ち良かったのです。

 

もっと歌いたくなって、先日「たまうた」の会に参加しました。魂と繋がる歌の唄い方、を略して、たまうた、です。

 

発声や歌唱指導ではないですし、上手い下手、自信のある、なしは、関係ありません。

 

深くその趣旨を理解して参加を決めたわけではありませんが、「自分として違和感なく歌いたいから」と選んだものとしては、良かったと思います。

 

2週間くらい前に参加を決め、歌いたい歌も決めました。歌いたいと思った二曲、「ジュピター」と「瞳をとじて」です。

 

どちらも、いわゆる持ち歌ではなく、歌ったこともありません。歌詞も覚えていないのに、準備を始めたのは4日前です。

 

最初は、音源に音程を合わせ、歌詞を覚えるところからです。進んでくると、その歌手(平原綾香さんと平井堅さん)を真似をしようとしている自分に気づきます。

 

「いやいや、そうではないのだ。わたしはわたしの歌を歌いたいのだ」と振り切り、できるだけ素直に歌うことを心がけました。

 

歌うとき、特に高音部のところには、ずっと違和感がありました。そこにくると、自分から外れる気がするのです。響く位置が、頭の上の方になってくるかもしれません。

 

「そうではなく、全身で歌いたいのだ。自分から外れずに歌いたいのだ。」

 

つまり、違和感なく、自分が歌っていると、感じたいのです。

 

さらにいえば、ときどき見る夢、「全然覚えていないのに、本番がきちゃったー」といのがあるのですが、今回は、「それでも堂々と歌うのだ。できることしか、できないのだから」と開き直りました。お客さんにお金を払っていただくものではありませんしね。

 

さて当日になり、体をほぐしたり、心を落ち着けた後に、いよいよ一人ずつ歌う時間がやってきます。

 

歌うたびに、ガイドしてくださる方が、いろいろアドバイスしてくださいます。

 

最初の印象は「体に合わない服を着ているような感じ」だったようで、

 

「もっと大きいから、お相撲さんみたいに、しこを踏みながら歌って」というのです。実際に手を横に広げて、しこふみです(笑)。やってみると、声が変わりました。

 

ひとつやると「もうちょっとやるね」と、次々にアドバイスがきます。

 

「次はもっと、意識を遠くまで広げてみて」

「体の内側を感じてみて」

「体の表面も感じてみて」

 

などなど。そのたびに、声が変わります。「へえ、こんな声が出るんだ」と、自分でも驚いたり、高い声も、きゅっとなることなく、自分から意識が飛び出ることなく、そのまま全身で出せた気がします。

 

 

自分のことは、自分ではわからないものです。太極拳は、自分を感じるものなので、普段から鍛錬を積んでいるとは思っていますが、それでもわからないものです。だから、他人の助けは、ありがたいです。

 

わたしの場合、「素直なのかな、どんどん変わる」と言われたのですが、もしかしたら普段から自分を感じようとしていると、アドバイスをもらったときに、するっと受け入れやすいのかもしれません。

 

自分がないままアドバイスされると、それにぶんぶんと振り回されたり、怖さで抵抗したりするかもしれないと思うのです。そうだとしたら、それはそれで必要なプロセスですけれどもね。

 

 

自分の存在にしても、言葉にしても、歌にしても、ありのままの自分とぴたっと合ったときは、世界を構成するパーツのひとつであるわたしが、世界にぴたっと合うときのような感じがします。それは、太極拳をしているときにも、やってくる感覚です。

 

こうなると、自分とつながるだけではなく、世界ともつながることになります。

 

宇宙とともに動き始めます。

 

意識が広がれば、日常のこまごまとした不安も気にならなくなります。至福感も、広がります。

 

そういえば、「瞳をとじて」を歌ったとき、「幸せそう」という感想もいただきました。あの歌は、悲しいことがあった歌だと思うのですが、生きる希望とか強さとかも感じさせてくれるから、それは、しあわせなのかもしれません。

 

内にも外にも、可能性は無限大。

違和感がなくなって、もっともっと自分に期待できるのはいいな、と思います。年を重ねていってもね。

 

 

※たまうたをガイドしてくれたのは、お友達のまえだはるこさんです。

 

 

 

【特別クラスのご案内】

1月27日  (日)13:00-15:00は、「麗屋 弘鈴庵の『立って、歩いて、太極拳」です。詳細とご応募方法はこちらから。

2月  3日(日)14:00-16:00は「やさしい站椿功第4回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

2月10日(日)14:00-16:30「内なる自然に還る旅:魚からの進化をたどって若返ろう!」 第1回 進化は背骨に現れる です。詳細とご応募方法はこちらから。

2月17日(日)14:00-16:30は「たのしい太極扇(第18回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

 

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...

 

いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

ブログ: みんみんの陽だまり太極道日記(http://blog.minminkung-fu.com/)

「太極拳、あるある、ないない話」Facebookページで毎日更新:こちらから

「すきなもの」Instagramでほぼ毎日更新:Instagram(@mayuminmin927)

 


安心安全な場所

2019.01.23 Wednesday

 

2008年から毎年、中国の武当山にお稽古に行っています。

 

昨年の秋に行くときに、友人に「そこはみんみん(わたしのことです)にとって、安心安全な場所なんだろうね」と言われました。

 

はて?

 

考えたこともありませんでした。

 

行き慣れている場所ではあります。先生もずっと知っている方ですし、お弟子さんやお稽古仲間、お店や近所の方々も、顔見知りが多いです。みなさんに、とっても助けてもらってきました。

 

それでも、そこは海外です。文化も習慣も違いますし、言葉も不自由です。だから毎回、すごく慎重になります。場所として、安心安全かというと、そうではないような気がします。

 

安心安全な場があるとすれば、それはむしろ、自分から出てくるものじゃないのかな、と、ふと思いました。

 

 

人の課題や悩み事など、繊細な話題を扱うワークショップに行くと、この「安心安全な場」というのは、とても大切にされます。

 

開催者やリーダーは、そこに心を配りますし、参加者にも守秘義務の話をして、同意を得てからはじめます。安心して発言したり行動できるように、ここでのことは本人の許可がない限りは口外しない、というものですね。

 

たとえば、他人を優先しすぎて、自分の本当の気持ちを話すのが苦手な人の場合、まずは安心できる場所で練習してから、現実でもできるようになっていくというのは、順番としてありだと思います。

 

 

でもあるとき、そういうことを飛ばしてグループワークを開催しようとした人に、出会いました。

 

内容は、家族のちょっと繊細な問題です。

 

「守秘義務の話とか、最初にしないの?」と聞いてみたら、「外で話せないような話を、してほしくないから」というような返事だったと思います。

 

上手く説明できませんが、それは決して、軽い問題だけ扱いたい、という意図ではなかったと思います。

 

自分が「まずは守秘義務ね」という固定観念に縛られていたかもしれないと、反省しました。

 

 

アインシュタインの、あることばを教えてもらったことがあります。

 

人生でもっとも大切な決断は、宇宙を敵とみなすか、味方とみなすか、というようなものだったと思います。

 

決断ですから、自分で決められるわけです。

 

自分で「宇宙は味方だ」と決めれば、自ずと自分のまわりに広がる世界は、安心安全になるのではないでしょうか。

 

それは、周りから整えてもらうのではなく、自分で決めることなのではないでしょうか。

 

 

そして、「宇宙は味方である」と信じることは、とっても力が湧いてくるのですよ。

 

 

【特別クラスのご案内】

1月27日  (日)13:00-15:00は、「麗屋 弘鈴庵の『立って、歩いて、太極拳」です。詳細とご応募方法はこちらから。

2月  3日(日)14:00-16:00は「やさしい站椿功第4回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

2月10日(日)14:00-16:30「内なる自然に還る旅:魚からの進化をたどって若返ろう!」 第1回 進化は背骨に現れる です。詳細とご応募方法はこちらから。

2月17日(日)14:00-16:30は「たのしい太極扇(第18回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

 

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...

 

いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

ブログ: みんみんの陽だまり太極道日記(http://blog.minminkung-fu.com/)

「太極拳、あるある、ないない話」Facebookページで毎日更新:こちらから

「すきなもの」Instagramでほぼ毎日更新:Instagram(@mayuminmin927)

2月17日(日)14:00-16:30は「たのしい太極扇(第18回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...

 

いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

ブログ: みんみんの陽だまり太極道日記(http://blog.minminkung-fu.com/)

「太極拳、あるある、ないない話」Facebookページで毎日更新:こちらから

「すきなもの」Instagramでほぼ毎日更新:Instagram(@mayuminmin927)

 


今年の一文字は、「呆」

2019.01.16 Wednesday

 

ここ数年、書初めをしています。

 

書道師範のお友達が開いてくれる会で、その年の一文字を書くのです。

 

「今年はどんな年にしたいかな」と思いをはせ、「書道といえば」という思いこみの枠を飛び出して、自由に書きます。

 

上手に書けなくてもいい、

お手本のとおりでなくてもいい、(もちろん、真似してもいい)、

墨の濃さ、薄さ、

文字の大きさ、

紙に書く位置、

紙、

筆、

 

なんでも自由です。

 

会の日が近づいてくると、一文字を考え始めます。今年は「楽」にしようとしていました。

 

気楽に楽しくいきたいな、と思ったからです。

 

でも会場に向かう電車の中で、「なんだかまじめすぎて、つまらない」という思いが、ふつふつわいてきました。なぜか、なんとなく、です。

 

そのとき、ふと思いついた文字が「呆」。阿呆、呆れる、呆け、の「呆」です。

 

ホウ、と力が抜けていく音の感じが、いいじゃありませんか。

 

どんな意味があるのか、ちょっと調べてみました。頭が大きい(上の口)のは、赤ちゃんの頭で、Uは、おむつなのだとか。

 

つまり、呆とは、赤ちゃんの様子から生まれた文字なのですよ。ますますいいじゃないですか。

 

何より、この文字を思いついてから、楽しくってたまりません。これですよ、これ。

 

しかし、いざ会場に着いて、みなさんと一緒に「さ、はじめましょう」となったときに、小さな抵抗が出てきました。

 

「これからの1年、阿呆で行くと、ここで堂々と宣言するのだろうか、わたしは。」と。気恥ずかしさ、虚栄心がふつふつ湧いてきます。

 

でも、いまさら「楽」には戻れません。すでに「阿呆」モードに入ってしまったら、こんな複雑な画数の一文字、もう書ける気がしないのです。

 

観念して、墨をすり、書きはじめます。最初は、まっとうな感じに、それから文字を崩してみたり、紙の場所を変えたり裏に書いてみたり、いろいろやってみます。

 

「呆」という文字を、約1時間、真剣に書き続けました。年明けから、なかなか潔い感じです。

 

昔から、型にはまるのが苦手で、「みんなと同じ」に安心できない性質でした。自分のオリジナリティを発揮したいから反抗しているわけではなく、本当にダメなのです。そして、くだらないことが大好きだったりします。

 

でも書初め会場で、いざとなったときに出てきた気恥ずかしさや虚栄心みたいなものが、ときどき、ひょっこり表れます。

 

「これ!きっと楽しい!」と思いついても、すぐに「でも誰も興味を持たないよね」とか、”こうあるべき”仮面をかぶった人が出てきて、否定するのです。

 

”べき”仮面、かなり強烈な権力者です。圧力に押されて、アイディアがしゅるしゅるしぼんでしまうことも、多々あります。

 

でも、今年は”べき”仮面がお出ましになる場は、ありません。「阿呆」ですから。「〇〇すべきでしょ」とか言われたって、わかりませんよ。

 

(みなさんの作品。高円寺の「ぽれやぁれ」に展示されています。)

 

さて、書けた一文字は、写真のとおりです。

 

頭の部分はまるく、より赤ちゃんの頭らしく。ちゃんとおむつのUも添えて。

 

立っている人みたいに見えてきたので、木の文字の下、八は、胴体から離しました。今年も関節の隙間を空けて、ゆるゆるの体でいきたいですしね。八は、末広がりですよ。

 

下の部分が「木」という文字なのも、いいですね。どっしり、堂々とした感じではありませんか。

 

しかも、「ホウ」という音は、ネイティブアメリカンの人々が使う言葉と同じ音です。誰かの話を聞いたとき、それについて議論するでも、批判するでもなく、ただひとこと、「Ho」と言うのです。聞いたよ、受け止めたよ、という感じでしょうか。

 

いいじゃないですか。

 

ということで、とっても自己満足です。

 

書初め会では、書き終えた後、ひとりずつ発表をしていくのですが、今回は時間の都合で書き終えたら退席しました。帰り際に友人に「なぜこれ?」と聞かれ、「阿呆の呆を、真剣に書いたの」と、ひとこと。

 

阿呆を選ぶとは、ちょっと不思議だったらしく、その後のメールのやりとりでも、「本当に阿呆?」と聞かれました(笑)。

 

そうです^^。

 

まだちょっと、”べき”仮面が、出番をうかがっている感じですが、今年は「呆」で、楽しくいきますよ。

 

机の上には去年から、横尾忠則さんの「アホになる修行」がありますしね。これは、ある意味、規定路線だったのかもしれません。

 

ふつつかものの「呆」ですが、よろしくお願いします。

 

 

 

【特別クラスのご案内】

1月27日  (日)13:00-15:00は、「麗屋 弘鈴庵の『立って、歩いて、太極拳」です。詳細とご応募方法はこちらから。

2月  3日(日)14:00-16:00は「やさしい站椿功第4回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

2月10日(日)14:00-16:30は「内なる自然に還る旅:魚からの進化をたどって若返ろう!」です。詳細とご応募方法はこちらから。

2月17日(日)14:00-16:30は「たのしい太極扇(第18回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...

 

いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

ブログ: みんみんの陽だまり太極道日記(http://blog.minminkung-fu.com/)

「太極拳、あるある、ないない話」Facebookページで毎日更新:こちらから

「すきなもの」Instagramでほぼ毎日更新:Instagram(@mayuminmin927)

 


あけましておめでとうございます

2019.01.01 Tuesday

 

あけましておめでとうございます。

 

12月から年末まで、街も人もあわただしく、楽しさもありながら、それに巻かれているような日々でした。年明けは、静かで穏やかな時間を迎えています。

 

お屠蘇をおせちもいただき、このまましあわせな気分でお昼寝したいところですが、ちょっとだけ、去年から今、これからを見てみようと思いました。

 

去年は、「すきなもの」に囲まれていることを実感する1年でした。

 

Instagramで「すきなもの」(Instagram(@mayuminmin927))の投稿を始めたことが大きいのですが、ある日、目覚めたら、目に入るものが好きなものばかりだと気づいたのです。その嬉しさったら!ですよ。

 

もともとこれは、断捨離中に生まれたアイディアです。すきなものは、一緒にいたいもの。そうでないものは、さよならするときが来ているのかもしれません。

 

「すきなもの」には、手近なものだけではなく、感覚や風景などにも広がりました。みんなにとってどうかではなく、自分のすきなものという点がポイントです。最初から最後まで、自己満足です。

 

このあたりも人それぞれなのかな、と思った事が、年末にありました。

 

年末で引退する滝沢秀明さんが、中居正広さん、大竹しのぶさんと一緒にテレビに出演されていたときのことです。

 

これまで応援してくれたファンを気遣う滝沢さんと中居さんに対し、大竹さんは、自分の気持ちがいちばん、というようなこと言ったと思います。でも滝沢さんと中居さんは、「いや、やっぱりファンですよ。」と、きっぱり。

 

さすが、アイドルです。すごいです。

 

わたしは大竹さん派(と言っていいのかどうかですが)で、自分が好きなことを大切にしたい方です。周りが喜ぶかより、まず自分がうれしかを優先させます。

 

わたしの場合、周りの気持ちを読みすぎると、自分の思いがわからなくなってしまう性質があるからかもしれません。

 

でもアイドルは、ファンが一番なのです。それはそれで、素敵だと思いました。

 

なにか好きで、大切かは、本当に人それぞれです。

 

どんなものであれ、自分の大切にしたいものを、素直にストレートに大切にできるのは、いいですよね。他人の大切なものも、そのまま認められたら、いいですよね。

 

大竹さんに「違います」と言っていた滝沢さんと中居さんですが、そんなやり取りも、信頼があってこそかな、と思って見ていました。

 

 

断捨離からはじまった「すきなもの」、おうちのお片付けも順調にすすみました。

 

もちろん「部屋はいつもきれいです」ではありません。生活している空間というのは、何かと散らかります。ほこりも出ます。でも、ベースがそれなりに無駄がない状態であれば、散らかったものは片づければいいだけです。散らかり具合も、それなりに愛しかったりしますしね。ものは、使うためにあるのですしね。

 

 

そして、おうちの片づけが進んだら、家族との風通しもよくなった気がします。居心地がよくなりました。

 

10年くらい前は、自分の希望や期待が強すぎて、怒ったり、気に入らなかったりすることも多く、それを聞いた人は「愛だね」と言ったりもしましたが、怒りで表現するような愛は、やっぱりだめでしょう。

 

自分が他人になろうとしていたように、人も他人にしようとしていたのだと思います。

 

自分は、自分でしかいられないのに、です。

 

わたしの最大のしあわせは、「あなたがしあわせに笑っていたら、それでいい」という両親のもとに生まれたことかもしれません。

 

もちろんときどき、グサッとくるようなことを言われたりもしますし、それはそれで「親の理想を当てはめないでくれ」と思ったりしますが、

 

両親とは違う、わたしというわけのわからない変った存在を、何ができるとかではなく、「しあわせそうに笑うだけでいい」と、言ってくれること、そして本気でそう思っていると感じることは、ありがたいより他にことばがありません。

 

 

何年か前、障害のある友人が、何かのときに「生きるだけでいい。まゆみもわたしも、生きよう」と言ってくれたことがあります。

 

重みのある、いつも心の中にあることばです。

 

何かを為そうとしなくても、何も為していないように見えても、生きているだけで、十分。この世には、その人の居場所があります。

 

それを忘れると、「〇〇でないと」「○○すべき」になっちゃいますからね。それでしあわせならいいですが、それは他人の人生で、わたしの人生ではありません。

 

 

おまけをひとつ。お正月に帰省されている方もいらっしゃるでしょうから、おすすめをご紹介します。

 

ご両親に、自分の生まれたときの様子と、そのときの気持ちを聞いてみてください。

 

わたしは5年くらい前にやったのですが、とんでもなく気恥ずかしく、勇気がいりました。

 

でも、やってよかったです。それを話してくれたときの、両親のうれしそうな顔や様子は、ものすごい宝になりました。

 

いま、聞ける相手がいる方は、勇気を出して、ぜひ。ぜひ!絶対おすすめです。

 

 

太極拳の「た」の字も出てこない内容になりましたが、それは変わらずベースとして、わたしの日常にあります。次のブログは、太極拳から見た去年から今、そしてこれからを、書こうと思ってます。

 

 

今年もどうぞよろしくお願いします。

 

何でもない日も、陽だまりのような日でありますように。

 

 

【1月の特別クラス】

1月  6日(日)14:00-16:30は「太極扇を体験しよう(第17回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

1月14日(月・祝)14:00-15:30は「やさしい站椿功第3回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

1月27日  (日)13:00-15:00は、「麗屋 弘鈴庵の『立って、歩いて、太極拳」です。詳細とご応募方法はこちらから。

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...

 

いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

ブログ: みんみんの陽だまり太極道日記(http://blog.minminkung-fu.com/)

「太極拳、あるある、ないない話」Facebookページで毎日更新:こちらから

「すきなもの」Instagramでほぼ毎日更新:Instagram(@mayuminmin927)

 


予定より、早く生まれた子、遅く生まれた子

2018.12.28 Friday

(南紀白浜 アドベンチャーワールドで。この白虎ならば、安心して乗れます。)

 

この前、友人から面白いお話を聞きました。

 

経験豊かな助産師さんから聞いたという、「予定よりも早く生まれた子、遅く生まれた子には、それぞれ傾向がある」というお話です。

 

早く生まれた子は、行動的です。たとえると、石橋を叩くこともせず、さっさと渡ります。

 

遅く生まれた子は、慎重派です。たとえるなら、石橋を叩いて、渡らずに戻るとか。

 

さすが助産師さんです。長い経験を通しての実感は、重みがありますよね。

 

 

さて、わたしはどうかというと、早い方です。1週間くらい早く、するりと生まれ、母は「親孝行な子供だ」と思ったそうです。

 

では行動派かというと......そうでもない気がします。のんびりしていますし、けっこうチキン(臆病)な慎重派です。石橋を渡らない派ではありませんが、しっかり叩いてから渡ります。

 

でも周りからは、「勇気があるね」とか「たくましいね」と言われることもあるので、自分で思っている姿とは違うのかもしれません。

 

以前、ひとりで中国の武当山に2か月行くと決めたとき、「怖くないの?不安じゃないの?」と聞かれたことがあります。

 

不安がないわけではありません。今でも「武当山は危険ではないの?」と聞かれると、「他の海外と同じように、危険がないわけではない」と答えます。

 

だからこそ、慎重に行動します。

 

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」も、やりません。みんながやると言っても、自分が「ダメ」と思ったら、お断りします。

 

移動手段も、より安全な方法を選びます。過去には、空港から長距離バスで武当山の山門まで移動したこともありますが、中国出身の方に「女性ひとり、しかも外国人だし、危ない!絶対にダメ。」と言われて以来、学校にお迎えの車をお願いするようになりました。

 

現地の方が真剣な顔をして言う助言は、真剣に聞くものです。

 

さいわい、これまで危ない思いをしたことはないのですが、それでも毎回、不安はあります。

 

でも、こんなチキンの面は、人にはあまり見えないのかもしれません。

 

 

ただ、当たっているなあ、と思うこともあります。

 

わたしは飽きっぽい性格で、同じことを続けることが苦手です。「こうやるものだよね」という型にはまるのも、苦手です。

 

たとえば同じタイトルの講座をするなら、同じ素材や内容を使えばいいのですが、「あのときはこれだったけど、いまは違う」と、毎回、作り直します。

 

「いま」というのは、自分も変わっているし、取り巻く状況も変わっているから、それに合わせると同じ内容では気に入らないのです。

 

誰かが「だめだよ」と言うわけではなく、自分が嫌なだけです。

 

これは、いいとか悪いとかではなく、自分の”向き”ですよね。過去に「そんなこだわりを持たなくても」と思われるようなことも、多々あったかもしれませんし、これが正しいと思っているわけでもありません。

 

 

そしてそれでも、太極拳というひとつのものをずっと続けているわけですが、それはいちども同じ体験がないからだと思います。

 

站椿功(立禅)など、ずっと立っているだけで、同じことの繰り返しに見えるかもしれません。実際、そうですが、そうではないのです。ちいさな発見でも、小躍りするくらい嬉しいのです。

 

だから飽きることなく、続けてこられたのだと思います。

 

わたしは、早く生まれてきたかったのだと思っています。何かのワークで、数回、生まれてくるときの体験をしたことがあり、どのときも、すっごく嬉しかったのですよ。想像になりますが、「お腹の中は居心地良かったけれど、もう十分堪能したから、早く外に出たいー。あっちの方が楽しそう。」という感じだったのかな、と思っています。

 

遅く生まれた方の中には、「生まれた後の自分の使命が重いとわかっていて、なかなか出たくなかったのだと思う」とおっしゃった方も、いらっしゃいます。

 

人、それぞれですね。

 

こういう傾向も、みんな違うということがわかる、ひとつの方法ですよね。自分が大切に思っていることが、他人にとってはどうでもいいこと、ありますよね。そういうときに、悲しい思いをしたり、イライラしたことも、あるでしょう。でもそこから「自分が本当に大切にしたいこと」がわかってきます。そして違う価値観を持つ他人も、尊重しやすくなってくるのだと思います。

 

 

もうひとつ、面白いお話がありました。帝王切開で生まれた子どもです。

 

保育園だったか幼稚園だったか、帝王切開で生まれた子だけで遊んでいたのだそうです。彼らは帝王(女の子であっても、帝王)なので、下々の者とは席を同じゅうせず、なのでしょうか(笑)。

 

面白いですよね。

 

みなさんは、どうでしょうか?

 

 

【1月の特別クラス】

1月  6日(日)14:00-16:30は「太極扇を体験しよう(第17回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

1月14日(月・祝)14:00-15:30は「やさしい站椿功第3回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

1月27日  (日)13:00-15:00は、「麗屋 弘鈴庵の『立って、歩いて、太極拳」です。詳細とご応募方法はこちらから。

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...

 

いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

ブログ: みんみんの陽だまり太極道日記(http://blog.minminkung-fu.com/)

「太極拳、あるある、ないない話」Facebookページで毎日更新:こちらから

「すきなもの」Instagramでほぼ毎日更新:Instagram(@mayuminmin927)

 



calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< May 2019 >>

selected entries

categories

archives

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM