OKバジさん

2018.07.28 Saturday

(本文と無関係ですが、武当山の朝)

 

先日、OKバジさんにお会いして、お話を伺う機会に恵まれました。

 

本名は、垣見一雅(かきみかずまさ)さん。今年で79歳、これまで20年以上ネパールのパルパ郡で支援活動を続けてこられています。

 

まなざしが美しく、一人ひとりの顔をしっかり見て話す方です。

 

組織も作らず、オフィスも持たず、ひとりで支援してこられました。OKバジ(OK Baji)というあだ名は、"OKおじいさん"、という意味で、なんでもOKと言っていたことから、つけられたとか。

 

「わたしは御用聞きです」と、毎日あちこち歩いて回るため、日々の寝床は毎日違います。高齢になってこられた垣見さんを心配して、村人たちが家を建てたそうですが、「ほとんどいない」とか。

 

ネパールと縁が出来たきっかけは、「エベレストを見たかったから。」でもそのとき、登山中に雪崩に遭い、垣見さんの荷物を持っていたポーターさんが亡くなりました。

 

「借りができた」というような表現をされていたと思いますが、その後にポーターさんの村を訪ね、貧しく厳しい現実を知ることになります。

 

冬なのに穴だらけの薄いシャツで、寒さに震える子供たち。ひどいやけどをしても、お金がないため放置して、ひじの内側がくっついてしまった人。子供たち、特に女の子は、小学校にさえ行かせてもらえなかったり。貧しいために働き手として数えられることもありますが、親世代の教育への理解がなかったことも、あるようです。

 

目の前にいる人たちを助けたい、という思いから始まりました。その思いが、今でも続いています。

 

「自分はパイプ役だ」とおっしゃるとおり、活動資金は寄付で集めます。ひとりの子供が学校に通うためには、1か月50円あればよいのだとか。それで必要なサンダル、ノート、ペンを用意できるのだそうです。1年で600円ですよね。

 

診療が必要な人への援助もします。最初は診察代を渡したそうですが、病院に行かずに家族のお米代にしてしまう人がいたため、病院に自分の口座を持ち、垣見さんが書いた手紙を持って行けば診察を受けられるようになっています。

 

これまでに建てた小学校は、200を超えるそうです。創立記念日には呼ばれてスピーチに呼ばれるため、それだけでも大忙しです。その貢献は、ネパール国王からも表彰されているほどです。

 

「組織も持たず、どうやって......」と驚きますが、垣見さんは「援助活動は、はがき一枚あれば、できます」と言うのです。

 

寄付をいただいた方への報告はがきです。でもこれが、ただの報告書ではありません。

 

Aさんから1000円の寄付をいただいたら、その1000円を使って何をしたか、たとえば「20人の子供が1か月学校に通うための費用にあてました」と書いて、その子達が笑っている写真などをつけて、送ります。

 

報告の数、なんと1年で1200通ほど。「Bさんにいただいた1万円は〇〇に使いました」など、すべて個別の内容です。

 

寄付は、現金だけではありません。「退職してお金はないけれど」と、きれいなしおりを作ってくださる方、闘病中にアクリルたわしを作ってくださる方なども、いらっしゃいます。しおりを手に喜ぶ女の子たちの写真つきの報告書が届いたら、なんと、うれしいじゃないですか。

 

ひとりの力を、ものすごく考えされられました。

 

「オフィスも持たないから、いただいた寄付は全額支援に回すことができる。」もちろん経費はかかりますが、それも「これは切手代に使ってください」とか、「これは垣見さんの洋服代にしてください」と、寄付してくださる方がいらっしゃるのだそうです。

 

「日本から技術者を連れてきて、大がかりな支援プロジェクトをすることもありますよね。でも彼らに聞くと、『ネパールにも技術者はいる。足りないのはお金だ。』と言うのです」と話されていました。垣見さんひとりだからこそ、現地の方の助けを借りて、協力して活動を続けてこられました。「申請が必要なものも、みんな現地の人にお願いする」と、飄々とおっしゃいます。

 

活動を通じて、喜びを得ているとおっしゃいます。「寄付をいただいて、支援することで感謝されたり、寄付してくださった方にも喜ばれたり、それはすごくうれしい。」と。何事もそうかもしれませんが、使命だけでは、長くは続きませんよね。

 

アクリルたわしやしおりを作ってくださる方は、「自分の生きがいです」と、おっしゃるそうです。垣見さんは、「必要とされることって、人にとっては大事ですよね」と話されていました。

 

最初の頃は、寂しい思いをしたこともあるそうです。診察を受けさせようと病院に送った後、治療が終わっても何も言ってこなかったり。「日本人としては、お礼は言いますよね。それが何もなくって」と。

 

でもそんなとき、「OKバジ、よかったね。今、徳を積んだよ」と言ってくださる方がいたのだとか。

 

そして、感謝の心がないわけではないのです。

 

ある日、いつものように歩いていたら、駆け寄ってきた人が、「あのときに助けていただいた子が、こんなに大きくなりました!」と言うのだそうです。何年もたっていたそうですが、忘れていないのですね。ほかにも、「卵、好きでしょ。家で取れたから」と持ってきてくれたこともあるそうです。

 

感謝のしかたの違いというのか、人間関係のとらえ方の違いというのか、何かが違うようです。

 

できる人が、できることを、できるときにするの、ということでしょうか。これをやってもらったから、それにお礼をいって、お返しをして、というものではないようです。

 

危ない状況にあったことも、あるようです。マオイストという武装闘争を行う組織と、政府との間で内戦が起きたとき、ボランティア団体は活動ができなくなり、国外に退去したそうです。現地に残っていた垣見さんは、マオイストから見ても不思議な存在だったようで、その長は、「お前の目的はなんだ。」「あなたは、目の前に倒れた人がいたら、助けようとするでしょう。わたしがやっていることは、それです」というように答えると、納得してもらえたのだとか。

 

「今、思いかえしても、あの言葉はとっても良かったと思うのですよね」とおっしゃいますが、その通りに行動してきたからこその言葉で、それは立場を超えて伝わったのかもしれないと、思います。

 

さらにそんな垣見さんを、危険だったり難しいことがあるたびに、村人たちがみんなで守ってくれたのだそうです。

 

かわいいエピソードもあります。柿の種をあげたときは、村人みんなでひとり1つずつ、ピーナッツは半分に割って分けあったのだとか。飴玉を子供にあげたときは、「ひとつしかないから、ここで食べていきなさい」と言ったにもかかわらず、外に持って出て、ひとつを割って、子供たちみんなでちょっとずつ食べたのだそうです。それも、「いちばん小さな子に、いちばん大きなかけらをあげて、本人はいちばん小さなものを選ぶんだよ。」と。

 

分け合う心が豊かだなぁ、と感じます。そして想像するだけで、なんだかとっても楽しそうです。

 

「日本に帰ると、毎日が五つ星ホテルに泊まっているようですよ。蛇口をひねれば水が出て、飲んでも安全だし、お湯だって出るから、シャワーも浴び放題、電気もある。」日本に暮らしていると当たり前のことが、いちいち感動の対象になります。

 

何もないところの方が、ある意味では豊かに暮らしているというのは、わたしも中国の武当山に行くたびに思います。お天気がいいな、とか、ごはんがおいしいな、とか、日常、生きていること自体が、うれしくて楽しいのです。(ただし武当山は、水も出るし、お湯も出ます。電気もあります。断水や停電が、ときどきある程度です。)

 

垣見さんは、「感謝日記をつけたらいいですよね。毎日3つ、感謝を書くの。」と言います。垣見さんは3つどころではなく、ものすごくたくさんになるそうですが、「息ができる、も、入ります」と。そういうことですよね。息ができることって、当然のように感じますが、こうして生きていること自体、ミラクルと言えば、ミラクルです。

 

垣見さんのような方にお会いすると、ひとりの力はすごいことを、あらためて感じます。そして垣見さん自身は、とっても軽やかで、楽しそうです。

 

勇気がでますよね。希望も、ぴかーんと明るく見えてくるようです。

 

喜びから行動しよう。そうすれば、きっとうまくいく。

 

 

☀OKバジの著書などは、こちらから。

 

 

(注:お話を録音してはいませんので、「」内の言葉は、記憶にあるものです。言葉の表現が多少違うこともあると思いますが、その点は、ご勘弁ください)

 

 

【特別クラスのお知らせ】

7月29日(日)13:00-15:0は「立って、歩いて、太極拳」(千葉県香取市)です。詳細とご応募方法は、こちらから。

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☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

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ないものねだり

2018.07.27 Friday

(2016年春、武当山で出会った子猫)

 

先日、友人が、「小顔=きれい、かわいいという認識が、いまひとつピンとこない」と言っていました。

 

わたしはこれまでの人生で、「顔が小さくていいね」と言われたことが結構あります。どうやら多くの人の認識では、「小顔=いい」らしいです。

 

でもフランス人の男性に聞いた話だと、また違うのです。日本に来てたくさんの人から「顔が小さいですね。」と言われて、そのたびに、ムッとしていたのだとか。頭が小さい=脳みそが少ない=ばか、という認識だそうなのです。

 

猫の例も、あります。イギリス在住の日本人が、アメリカンショートヘアーのブリーダーのところに子猫をもらいうけに行ったときのことです。みんな血統種つきで、親はコンテストのチャンピオンという子もいる中、ブリーダーさんから「この子がおすすめ!」と見せられた子が、どうにも......鼻ぺちゃで、受け入れられなかったのだとか。

 

その隣にいた、お鼻がしゅっとしている子を指して、「この子にしたい」と言ったら、ブリーダーさんは「ええーっ、その子で本当にいいの?」と、驚いたそうです。

 

「鼻が高い西洋人にとっては、鼻ぺちゃがいいのかしら。ないものねだりかしらね。」と、その方はおっしゃっていました。

 

ところ変われば美しさも違うようです。

 

生物として、種の保存のために重要なものを美しいと感じる、ということもあるかもしれず、そのあたりはどう関係してくるのかわかりませんが、それとは別に、生まれ育った環境の中で育まれた評価や基準の影響も強いでしょう。中には、無意識に「こういうものですよ」と植え付けられたものも、あるかもしれないと思うのです。

 

顔が小さいことは、あくまで相対的な話になりますが、事実ではあります。でもそれを、良いとするかどうかは、別の話です。かわいい、きれいと思うかどうかも、別のことです。

 

好みは、人それぞれですものね。

 

犬や猫の場合、この種はこの形が正統という基準が、あるようです。たとえば聞いた話たと、犬のボーダーコリーや、猫のスコティッシュフォールドの耳は垂れていなければならない、とか。それは、種の保存、血を守っていくためには、必要なのかもしれません。

 

でもそんなことは、その犬や猫のかわいさ、愛おしさには、関係ありません。飼い主さんたちは「うちの子がいちばん」と堂々と自慢しますよね。うちの子は、いつも絶対的ないちばんです。

 

人間も、そうありたいですよね。「わたしがいちばん」「オレがいちばん」。顔や体の形状は、個性のひとつ。一般的に美人と言われる顔でなくても、かっこいいと言われるスタイルではなくても、それでもいちばん。

 

みんながそう思えたら、楽しくて平和な社会になりそうじゃありませんか?

 

 

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(ちょっとしか面倒をみていませんが、やっぱり「この子がいちばん」)

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

 

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夏越の大祓:カタチは大事

2018.06.28 Thursday

 

今年も半分が過ぎようとしています。”夏越(なごし)の大祓”の時期ですね。

 

神社に行くと、大きな輪っかが出現していたりしませんか?あれは茅の輪(ちのわ)といい、左、右、左と回って、この半年の罪・穢を祓うのです。

 

穢れを祓う=気枯れを祓う

清める=気をよみがえらせる

 

半年間に、無意識にしてしまった罪と穢れを祓って、元気を取り戻すのですが、”無意識に”、がポイントです。

 

意識できる”罪”は、自分で十分に反省するとして、無意識なところでも、きっと何かをやっています。

 

例えば、混んでいる電車でヒジテツをしてしまった、とか、欲しいものを取ろうとして前の人を押してしまった、とか、他の人が欲しいと思っていた最後のスイカを先に買ってしまった、とか。

 

その他にも、自分の体を大切にせず、無理をかけてしまったことも、入ると思います。

 

そんなつもりもない言葉が、他人を傷つけていたり、とか。気をつけていても、ありそうですよね。

 

悪気はなくても、人は何かとやってしまうものだなあ、という意識を持つと、それなりに謙虚になれそうな気がします。

 

大祓の神事は、6月30日と大晦日に行われます。今年は参加できないため、代わりに大祓詞の写経をしてみました。

 

750文字。所要時間の目安は2−3時間と聞いて、ひるみましたが、「せっかくですから、時間がおありなら、ぜひ」とすすめられ、そのとおりに。

 

実際、緑のきれいなお庭の見える静かな和室で、じっくりと文字と向き合う時間は、とってもよかったです。長くもあり、あっという間でもありました。

 

写経は、経験された方はご存知だと思いますが、見本が下に敷いてあります。この見本のとおりに書くのです。

 

”字を書く”にもいろいろあります。わたしが年初にやっている書初めは、自由に書くことを奨励されます。お手本通りに書くのではなく、自分の創意工夫で、好きに書くのです。それはそれで、楽しい時間です。

 

写経は、やり方を教わったわけではないのですが、今回は、とにかくお手本通りを心がけました。

 

普段の自分の書きグセは封印です。頭を働かせることなく、ただひたすら、その通りに写します。それが、無心、もしくは無心に近い状態になるのに、ちょうどよい気がします。

 

終わった後の心地よさは、”自分”を出さないゆえかもしれません。

 

カタチは、大事だなぁ、と常々思います。

 

去年の年末に大祓詞の話をお聞きする機会があり、神主さんから意味の説明をしていただきました。ひととおり終わった後、「あれこれ説明してきましたが、本当は意味など考える必要はなく、ただそのまま唱えればいいのです」とおっしゃるのです。

 

神さまのことばである大祓詞は、それ自体に力があるので、ただ唱えされすればいいのだそうです。それを人間の理屈でああだ、こうだと理解しようとするなんて、とんでもない、と。

 

理屈(へりくつも含めて)が減ったら、もっと日本は平和になるのではないでしょうか?という言葉が、とっても印象的でした。

 

大祓詞を唱えるときも、写経をするときも、そこに理屈などありません。でも、カタチがあることで、それをなぞることができます。

 

いいですよね。

 

カタチは時に、人を制限しますし、不自由さも感じさせますが、カタチがあるから広まりやすく、それによって恩恵を受けることもあるわけです。

 

そして、太極拳というカタチがあるものをやっているわたしは、自由さとは、カタチを超えたときに出てくる、と感じています。超えようとするのではなく、超えるときが、自然にやってくるのかもしれません。

 

カタチは大事だけれども、でも本当に大事なのはカタチではなく、でもそこに行くためにカタチを大切にする、という感じです。言葉にすると、わかりにくいですよね。

 

何事も、体験してはじめて、わかります。それには、カタチも大切ですね。

 

 

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「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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下手で、いい

2018.06.15 Friday

 

映画「モリのいる場所」を観ました。

 

画家の熊谷守一(くまがいもりかず)さん(=モリ)の、晩年の1日を描いたものです。モリは30年間、自宅の庭から出なかったそうです。

 

「庭は広すぎる」から。

 

ゆたかな生態系の庭には、さまざまな植物、虫、鳥たちが集います。それらをひたすら”みる”、モリ。映像では、小さな虫たちの日常の活動が映し出されていて、それらがなんともユニークで可愛らしく、思わず笑ってしまいます。モリは、こんな目で見ていたのかもしれません。

 

そんなモリに、「こどもの絵を見てください。才能があるんじゃないか、と思って。それなら教育を考え直そうかと。」と頼む人が出てきます。モリはじっと見てから、「下手だ。」

 

そして、下手でいい、上手には限界があるから、というような話をしていました。

 

いいことばだな、と思います。

 

自分をふりかえってみると、とかく、体を使うことに関しては、始めたときは「下手だなあ」と、よく思いました。例えばバレエも、水泳も、テニスも、太極拳も、です。でも下手だけど好きで、上手くなりたくて、練習します。練習することが楽しいから、苦にならずに続きます。人から見て大変そうに見えたとしても、自分にとっては、どうってことなかったりします。

 

下手+好き=続ける力、なのかもしれません。

 

では、やったらうまくなるのでしょうか?始めたころの自分と比べたら、そうかもしれませんが、たとえば太極拳にしても、今でも「上手い」という表現はピンときません。

 

ただ、続けてきた積み重ねがあるだけです。

 

続けてくるとわかることが、いくつかあります。

 

ひとつは、いつでも今のベストでやることです。教えるときは、今わかっている全てで、教えます。

もうひとつは、今のベストは将来のベストではないことです。3か月前、半年前とは、今のベストは違います。

 

今のベストを尽くすため、今に不満はありません。でも一方で、まだまだ知らないことだらけなことも、わかっています。だから楽しみがあります。

 

「下手の横好き」ということばがありますよね。音の響きに、ふっと頬がゆるんでしまいませんか?そんな自分でいられたらいいな、と思います。

 

これまで、「上手くなきゃ!」「これだけやってきたから、これも出来て当然」と思ったことが、ないわけではありません。でも、そう思ったときは、必ず失敗するのです。人生、上手くできています(笑)。

 

やったことは、なくなりません。頭では忘れても、体の経験としては残っています。それを「これだけやったから、上手くなきゃ!」と頭で考えてしまうと、逆に自分にプレッシャーをかけることになり、体を緊張させます。緩んでいなければ、上手くいくわけがありません。

 

頭で考えた自信は、重荷になるだけです。

 

「できるかどうかはわからないけど、やってみよう、やってみたい」というくらいが、わたしには、ちょうどよいみたいです。

 

映画のモリは、晩年で、すでにとっても有名な画家であり、書家でした。でも名誉には興味がなく、「大先生」という気張りもなく、どこかユーモラスです。そんなモリに、周りの人が魅かれて巻き込まれていく様子は、とっても見ごたえがあります。

 

モリ役は山崎勉さん、奥様には樹木希林さん。ポスターに書かれたコピーは、「文句はあるけど、いつまでもふたりで」。そのことばどおりの、結婚52年目のふたりの間の、ほんわかとした関係にも、ぐっときます。

 

熊谷守一さんは名のある芸術家ですが、そうでなくても、人はみんな、自分を表現して生きたい、と思っているような気がします。表現方法は、作品である必要はなく、いろいろです。

 

それぞれが、こんな風に「好き」な姿を表現していったら、映画のように、優しく暖かく、平和な世界が広がるような気がします。それぞれの「好き」に、みんなの頬が緩むような世界です。

 

「モリのいる場所」は、映像も音も美しく、温かくて優しい映画です。お勧めです。特に、樹木希林さんの美しさは、格別です。

 

 

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シェイクスピアの音楽会

2018.05.31 Thursday

 

”シェイクスピアの音楽会”に、行ってきました。

 

「シェイクスピアは、どんな音楽を聞いていたのか?」として、プロの演奏と歌唱はもちろん、この日のために集まった40人の素人さんたちによるリコーダー演奏、そして!観客みんなで歌うところもあるという、なにやら楽しい企画です。楽器が、リュート、ヴィオラ・ダ・ガンバ、リコーダーというところも、楽しみでした。

 

シェイクスピアは、かつて英文学を専攻していたわたし(もうふるーい記憶ですが)にとって、特別な存在です。

 

何が特別かというと、まずその言葉の美しさです。シェイクスピアが生きたルネサンス期、すでに散文は存在していたのですが、シェイクスピアの作品には、劇であっても、詩の形式が多くみられます。(注:それよりの中世では、文学は口承だったため、詩の形式しかありませんでした。)

 

韻を踏む、リズムのよい音の響き。これ自体が音楽です。

 

会場では、シェイクスピア研究者の河合祥一郎先生が、いろいろと解説をしてくださいました。

 

パンフレットから抜粋すると、

 

「天体の音楽(music of the sphere)という言葉があるのですが、シェイクスピアもいろんな作品でこれを語っています。当時の宇宙観は、地球が中心にあって、太陽や月がそのまわりを動く天動説です。この動く天体が音楽を奏でているけれど、ふつうは人の耳には聞こえないと信じられていた。(中略)この音を聞くことができるのは、心の清らかな人だけなのです。(中略)天体とは神々のことで、天体の音楽とは神々が奏でる音楽です。日常の生活を超えて天体とつながる感動。大宇宙と結びつく喜び。これがシェイクスピアの世界観であり、音楽観であると、ぼくは思うんです。」

 

地球を取り囲む惑星が、ぐるぐる回ってハーモニー(和音、調和)を奏でていること、これが天体の音楽です。でもそれは、人には聞こえません。それを楽器を使って聞こえるようにした、というお話もありました。

 

だから音楽を奏でるとき、歌うときは、私(我)を出すのではなく、天体をそのまま降ろすのだとか。

 

太極拳みたい、と思いました。

 

わたしにとっての太極拳は、我を出すのではなく、透明なパイプのような存在として、天と地をつないで循環させるものです。いきなり「我をなくせ」と言われると、ますます煩悩だらけになるばかりですから(人は、やってはいけない、と思えば思うほど、それをやってしまうものです)、それなりの段階を踏んでいきます。一気には行けませんし、ずっとそうでなくてもいいと思っています。なんといってもそこは、神様の領域ですからね。

 

狂言の野村萬斎さんも、舞台に立つときは、天とつながるような感じなのだとか。

 

太極拳なり、音楽なり、その他の表現方法を通して、宇宙のハーモニー、調和に触れること、それと自分を同期させることは、河合先生の言葉を借りるなら「天体と結びつく感動。大宇宙と結びつく喜び。」です。

 

わたしはこの言葉以上に、上手い表現が思いつきません。とにかく、震えるような感動なのです。

 

「それがあったら何になるの?」と思う人もいるかもしれませんよね。

 

大学生の頃、指導教官に「英文学は実学じゃない。社会に役に立たない学問だ。それを学ぶ意味を考えなさい」と言われたことがあります。

 

実生活に役立つかと言われれば、直接的には役立ちません。合理的な目で見れば、無駄とも言えます。でもそれが、ゆとりをもたらし、人生を奥深く、豊かにし、人の心の幅を広げてくれると感じています。

 

さてさて、でも実際には、地球に生きる人間は、神様ではありません。いろいろと失敗もします。河合先生は、天体をそのまま降ろすんだよ、と、美しいことを言いつつも、「人間は、ばかだ。それを知っているほうが、しあわせでいられる」ともおっしゃいます。だからなのか、シェイクスピアの作品には、道化(英語でfool=ばか)が登場しますし、foolという言葉で人間のおろかしさを伝える場面も、あります。

 

そこでみんなで歌ったのが、「この野郎(Thou Knave)」です。

 

「だーまれー♪、この野郎だまれー♪、ば、か。」ですよ。続いて「だまれ、ば、か。」さらに「ば、か。」

 

なんとも失礼な歌詞に、美しいハーモニー。この可笑しさは、残念ながら実際に歌わないと、伝わりにくそうです。憎々しげに歌ったら、だめなのですよ。天体とつながるのですから、神々しさを持ちつつ、「ば、か」です。

 

みんなで歌うのもハーモニー、40人のリコーダー演奏もハーモニー。もちろんプロの方々の音楽も、ハーモニーです。劇場内でも何度も笑い声が起き、演奏者も、観客も、みんな楽しそう。しあわせな雰囲気に包まれていました。これも、調和ですね。

 

ちなみに、地動説を唱えたガリレオは、シェイクスピアと同い年なのだそうです。散文と詩という形式の融合といい、天動説から地動説へといい、なんとも激動の時代を生きたわけですね。

 

ああ、楽しかった(^^)。

 

 

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