武当山日記:站椿功がもらたす「喜悦」

2018.09.26 Wednesday

(武当丹剣のはじまりの部分)

 

站椿功(日本語で言うなら、立禅)は基本で、ここから始まり、ここに行きつく、と感じています。

 

ひたすら、立ちます。

 

立ち方には、いくつかコツがあります。今回も滞在中、先生が説明してくださる時間がありました。

 

このとき、わたしは別の場所で別の練習をしていたのですが、ふと気になって他の人の様子をちらりと見ると、みんな集まって、何やら話を聞いています。初めての人たちに站椿功の説明をしている様子でした。

 

こういう話は、何度聞いてもいいものです。我ながら、いいタイミングでちらりと見たな、と思います。こういうの、「奇跡」と言いますよね。

 

站椿功は、まず体を整え、次に心、そしてこの2つが自然にできれば、最後の呼吸は、自然になります。「寝るときに、どうやって呼吸しようかなんて、思わないでしょう?それは自然にできるものだから。」段階は、3ですね。

 

体の整え方も、ポイントは3つです。

 

1.脚蹬(Jiǎo dèng):脚で大地をしっかり踏む・押す

 

2.收腹(Shōu fù):お腹を収める

 

3.头顶(Tóudǐng):頭を上に

 

3には、意味があります。老子のことばに、「1は2を生み、2は3を生み、3は万物を生む」(老子「道徳経」第41章)とあるとおり、3は、すべてとか、発展を意味します。

 

ひとつめの「脚蹬」は、体重を乗せるのではなく、押すのです。積極的に立ち、しっかり根を下に伸ばすイメージです。これで下に向かう力が大きくなり、逆に向かう力も大きくなります。

 

このときに注意したいのは、膝です。曲げず、のばさず、です。站椿功いは、腰を落とすやり方も多いのですが、この学校のやり方は、腰を落としません。なぜなら「膝に重さのかかるやり方ですると、膝を壊すから」です。

 

これは、膝に負担をかけない体の使い方を学ぶ方法でもあります。「この体の使い方が身についたら、いくら腰を落としても大丈夫」のですが、站椿功自体で腰を落とさなくてもいいのです。

 

膝の扱いは、難しいところです。過去、わたしも長い間、迷い続けました。

 

曲げず、は自分から曲げないこと。伸ばさず、は、わたしの場合はふくらはぎがピンっとはったら、やりすぎというイメージです。膝には衝撃を吸収するためのバネの役割をするため、曲がるようになっています。これをわざと曲げたり、伸ばしきったりすると、バネが効かなくなります。

 

ふたつめの「收腹」をすると、腰(ウェストラインの後ろ側)の反りがなくなります。背中側、おへその裏にある命門(めいもん)というツボが、開くイメージです。腰が反っていると、1で脚で大地を押しても、腰で引っかかって、上に伸びる力が止められてしまいます。

 

このとき、胸を張りすぎていると、腰が反りがちになりますので、要注意です。

 

3つめの「头顶(頭頂)」は、1と2ができていれば、頭は天に向かって伸びて行きます。下から突き上げられて、どんどん背が高くなるイメージです。背骨の関節の隙間も空いて、背中が伸び、体の中には「空(Kōng)」、スペースが生まれます。

 

このとき、あごが上がっていると、首の後ろが反って、下からの力がせき止められてしまいます。あごは、少し引きぎみ、でもきゅっと力まないように。あごを引き続けると、頭がどんどん天に向かって伸びるイメージです。

 

舌は、上あごにつけます。経絡の任脈(にんみゃく:体の前側の真ん中を通っている)と督脈(くみゃく:後ろ側の真ん中を通っている)はつながっていないのですが、舌を上あごにつけることで、このふたつを橋のようにつなぐ、とも言います。

 

余談ですが、歯医者さんが書かれていた本で、赤ちゃんがおっぱいを吸うとき、舌をこの位置において、しごくことで吸うのだ、とありました。この動作は、赤ちゃんの発育にはとっても大切なのだとか。(出典:「舌は下ではなく上に」宗廣素徳 文芸社)

 

成長のシンボルとされる赤ちゃんと同じ動作をするのも、さらなる発展、発育を意図しているようですよね。

 

 

体が整ったら、次は心です。心を整えるには、耳を使います。

 

耳は、外に向かって大きく開きます。聞きに行くのではなく、音が入ってきます。以前、先生は、「心の音も聞く」と話されていました。これがとても好きで、自分の内と外の境界線が、曖昧になっていくような感じがします。個の自分が、すべてのひとつの源、太極に、合わさっていくような感覚です。

 

 

体と心の次は、呼吸です。これは、もう何もしなくても自然にできます。

 

 

腕を前にあげる姿勢を続けていると、肩や腕が痛くなることがあります。「それは、どうすればいいの?」という質問に、先生は、「肩をどうにかするのではなく、3つのポイント、脚、お腹、頭のどこかが整っていない」と話していました。

 

さらに「動いてはいけないと思うから、辛くなる。別に動いてもいい。」とも。○○でなければならない、という考えは、自分を縛りつけて硬くするのですよね。

 

そして、「天と地は友達だ。そこと繋がっていくと、日常のいざこざ、気になっていることなど、どうでもよくなるよ」と言うのです。

 

その感覚を、「喜悦(Xǐyuè)」と、表現していました。外部の要因による嬉しさ(中国語だと、「高兴(Gāoxìng)」とは違い、内から沸き起こる喜びのような感じです。絶対的な喜び、とも言えるかしらね。

 

先生の方の大らかさ、心の広さは、もともとの気質もあるかもしれませんが、やはりずっと站椿功を続けてきたことも、大きいのだろうと、感じます。

 

「毎日10分、やり続けていると、変ってくるよ。」と。

 

腕を上げるのが大変だったら、腕は下げていてもいいのです。とにかく「立つ」こと。立つ力をつけることが、大切です。

 

そうすると、やる前には考えもしなかったことが、いろいろ現れてきます。それが、站椿功だと思っています。

 

言葉では、上手く説明できません。言葉での表現をはるかに超えることって、実際にはたくさんあるのです。

 

 

(站椿功には、いろいろなやり方、いろいろな説明方法があります。わたしはこのやり方が好きですが、これも、そのひとつとして読んでいただくと良いと思います。)

 

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

........................

いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 

 


武当山日記:教え方

2018.09.14 Friday

 

太極拳の教え方は、先生によって、いろいろです。

 

「先生の動きを、ひたすら真似する」もあれば、

 

「まずは形を覚えて、それから次の段階に」というものもあります。

 

わたしは、上記の両方を経験しています。先生はそれなりの意図を持ってされていると思います。ですから、どれが良くて、どれが悪い、というものではありません。どれも、意味はあると思っています。

 

今の先生(武当玄武派第十六代伝承人、明月師父)は、5年くらい前は後者のような教え方もされていたと思いますが、今は、上の二つのどちらでもなく、初心者でも、10年やっている人にでも、教えるポイント(大事にするところ)は同じような気がします。

 

太極拳は、末端を見ると、それは本当に様々で、複雑な動きをします(正確には、「するように見えます」、です。)。形を真似しようとすると大変すぎて、挫折してしまうこともあります。

 

でも、幹の部分、本質をみれば、とてもシンプルです。そこを掴んで自分の体で表現できるようにしていけば、末端に現れる形に惑わされず、でも結果的にそんな複雑な動きができるようになります。さらに新しいところを学ぶときにも、役立ちます。何よりも、心身ともに良いのは、こちらです。

 

先生は、誰に対しても、この幹の部分、本質を教えています。初心者であっても、最初から、です。

 

幹の部分は、シンプルですが、なかなかしっくり体で表現できないこともあります。そんなときも、先生は焦らず、ずっとずっと、ずーっと、同じところを繰り返します。ときには手取り足取りで、言葉での説明も、たくさんします。

 

今回の滞在期間中、わたしにも、そんなときがありました。

 

武当丹剣を習っていたのですが、ある一部、秒数にしたら、ほんの3−4秒のところが、なんとかなるまでに、2日ほどかかりました。

 

大まかな動きは、3回くらい一緒にすれば覚えられます。でも、この時点で、大事なポイントは、全然できていないわけです。

 

「違う」「違う」の繰り返し。先生の動きを見る、一緒にやる、直してもらう、ひとりでひたすら練習する、直してもらう、の連続です。

 

あまりのダメさに、泣きが入りそうな気分になったときに、先生が「ここは大事なところだから、今、細かく丁寧にやって出来るようになれば、残りの部分は簡単だよ」と言うのです。

 

その言葉が、どれほど励みになったことか。

 

先生が、わたしの落ち込みに気づいたのかどうかは、わかりませんが、絶妙なタイミングです。一緒に練習していた人が、「こういうところ、先生のすばらしいところだよね」と言うのです。本当に、その通りです。

 

ひたすら続けると、できるようになるものです。2日たつ頃には、気持ちよく、楽に、だいぶ、のびのび動けるようになってきました。

 

「小さいことだけれど、大きな違いだから。」と、先生は、おっしゃいます。2日後の今であれば、その大きな違いと言っている意味も、わかります。

 

(問題の場面の一部)

 

ふと隣を見ると、ほぼ初心者の70歳の方が、手をとって、気功を丁寧に教えてもらっています。何度も、何度も、同じところを繰り返しています。2日後、その方の動きは、驚くほどの進歩を遂げていました。その変化には、感動するほどです。

 

こんな風に、生徒がだれであっても、教え方は変わらないのです。経験があるから上の段階を教える、ということではありません。

 

それだけ、幹の本質にあたるポイントは、シンプルで、でも奥深くて、ということだと思います。

 

ここで”同じ”、と言っているのは、教えるときにこだわるポイントのことです。先生は、それぞれの生徒の特性(身体能力、体の状態、柔軟性、覚えるスピード、耐久力、などなど)を見抜いていて、それに応じて教えているため、厳密に言うと、教え方は同じではありません。

 

この場合、生徒にもそれなりの根性は必要です。簡単によし、としてもらえないからです。

 

でも、違う見方をすれば、先生が「初めてだし、このくらいできれば十分」とした場合、その人の力を、勝手に低く見ていることにならないでしょうか?生徒の力量、可能性を狭められてしまうこともあるのではないか、と思うのです。(もちろん、そんな意識でやっているわけではなく、結果としてそうなる、という意味です。)

 

教えるときには、

大切にしたいことを、大切にする。

生徒の力量を、勝手に制限しない。

 

こんな姿に、わたしはとても影響を受けています。

 

今回は、久々に、本気で泣きが入りそうになりましたが、それも良い経験でした。

 

あきらめずにやれば、いつかは必ずできる。それを信じることです。生徒としても、先生としても。その前提として、やりたいと思ってやっているかは、重要ですけれどね。

 

大切にしているポイントについては、また別の機会に書きますね。

 

(中央が先生)

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

........................

いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 


尾白川渓谷のトレッキングと 太極拳と 修行

2018.08.14 Tuesday

 

先日、尾白川渓谷にキャンプに行きました。南アルプス天然水の、名水の地です。

 

川にはいったり、翡翠色の滝壺にドボンと入って泳いだり、夏を満喫した翌日は、渓谷道のトレッキングです。途中、滝の絶景ポイントがあり、滝のしぶきをめいっぱいに浴びる所もありました。頂上では遠くに3段の滝が見えるという、めずらしく美しい景色に出会えるコースです。

 

しかしこの道、ところどころに「滑落注意。死亡事故あり」と、看板が立っています。鎖やロープを頼りにして歩いたり、地面に張り巡らされたような木の根っこをつかんで急な坂を登るなど、アップダウンも激しいコースです。道は整備されていますが、幅が細く、片側は渓谷にすっぱりと落ち込んでいて、それはそれは、落ちたらキケンでしょう。

 

「死亡事故あり」なんて見てしまうと、怖いですよね。これを「慎重に」というアドバイスとして受け取ればよいのですが、文言にとらわれて怖くなると、体は緊張して硬くなります。貴重な情報に感謝して、心を落ち着けます。深い呼吸を意識することも、役立ちます。

 

過信は禁物です。「普段、鍛錬しているから、できるはず」なんて思いすぎると、逆に体が硬くなることは、過去に体験済みです。

 

歩くときは、一歩ずつ。落ち込む崖など見過ぎると、怖くなってしまうため、次の一歩を大切にして歩きます。

 

こんなとき、ふだん太極拳でやってきたことが、とても役に立った気がします。心の落ちつけ方、体の使い方、目の使い方などです。

 

慎重さは大事ですが、あまりに集中しすぎると、精神的にどんどん疲労していきそうです。こんなときには、太極拳の目の使い方です。「木を見て、森もみる」という、視界は開けているけれど、細かくも見えている状態です。これだとエネルギーを使いすぎることも、ありません。

 

体も、できるだけ筋力を使わないで済むように、楽な方法を探ります。段差がある下りは、膝を痛めないように、膝に体重がかからないで行ける方法で。腕を使うときも、腕力頼みにならないように。

 

「どんなところも大丈夫!」という自信があるわけではありません。「軽んじたらあぶない」と思いながら、歩きました。でも、そんな中で良かったのは、自分の体との信頼関係があったことです。今、自分がどのくらい緊張しているか、楽な状態か、無理をしようとしているか、などが、おそらくそこそこ正確に把握できていたと思います。その上で、無理しないよう、心がけました。

 

2時間くらい歩いたでしょうか。無事に頂上までたどり着き、遠くの滝をぼんやり眺めて休憩です。下りは比較的広めの道で、のんびりと歩けました。

 

慎重に、丁寧に、でしたが、どうやって歩くかなど、その行程自体も楽しみながら、歩けました。滝はもちろんですが、途中、風穴があったり、水がちょろちょろ流れていたり、小さな発見もたくさんです。

 

おかげで筋肉痛も出ず、太極拳をやっていて良かったなあ、と思いました。

 

 

話は変りますが、「毎日、どのくらい練習するのですか?」と聞かれることがあります。

 

5年くらい前までは、「1日、2時間」と決めていました。まだ会社員だった頃の毎日は、ほぼ、仕事とお稽古しかしていなかったときもあります。あの頃は、そうしたかったのですね。

 

中国の武当山にお稽古に行くときも、1週間ほどの短い滞在を有効活用したくて、お休み日(学校によりますが、週に1.5〜2日はお休みです)にも、お願いしてお稽古してもらっていました。

 

「もっとやりたい」という向上心とか、

「誰よりも上手くなりたい」という競争心も、あったと思いますが、

「これをやり続ければ何かある」という漠然とした、理由のない理由も、あったと思います。

 

でも続けていくうちに、そんな向き合い方も、ずいぶんと変わってきました。

 

中国にお稽古に行っているとき、お稽古時間の中で、ときどき、サッカーや鬼ごっこ、馬跳びや棒とびなど、遊びの時間が入ってくることもあります。お稽古時間だからといって、いわゆる”お稽古”だけではなく、ゆるーく、アバウトなのです。

 

最初の頃は、「ずっとここにいる人たちと違って、わたしは短い期間しかいないから、この時間が貴重なのに」と思うことも、ありました。

 

でも、そんな遊ぶ時間は、いつもすごく楽しい時間です。そして、みんなで大笑いした後の、いわゆる”お稽古”は、びっくりするほど楽で、調子がいいのです。

 

そんな経験は、わたしにいちばん足りなかったものを、教えてくれました。

 

太極拳とは、カンフーとは、生きていくことです。太極拳の套路(型)を練習している時間だけではありません。日々の生活の中で、自分の体や心のあり方、動き、他人との関係などなど、すべてがお稽古であり、それが修行もあります。

 

その意味では、今回のようなトレッキングは、とってもよいお稽古でした。

 

修行とは、楽しいものなのだと思います。今回のように。

 

(川辺で朝ごはん)

 

【特別クラスのお知らせ】

8月19日(日)14:00-16:30は「みんなが知らない太極拳のひみつ」(5)です。詳細とご応募方法は、こちらから。

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

........................

いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 


站椿功と進化

2018.07.13 Friday

 

先日、お稽古で站椿功をやってみたときのことです。

 

初めて体験した生徒さんに、終わってから感想を聞いてみたら、「肩が痛くて辛いだけだったのですが、正しくできたら、気持ちよいものなのでしょうか?」

 

正しくできたら、という点はさておき、わたしの経験で言うなら、「ずーっとこのままでいたい」と感じるときもあります。そういうときは、30分でも、1時間でも、それ以上でも、いくらでも続けられそうな気がします。

 

つまり、痛さ、辛さ、苦しさとは無縁です。気持ち良いのですよ。

 

そうではないときも、あります。痛く、辛く、苦しいときです。

 

でも、その痛さとか辛さを経験することも、大切だと思っています。なぜなら、それを解消するためにあれやこれやと、自分で工夫し始めるからです。その工夫が、進化につながると感じています。

 

ダーウィンの進化論でも、強い生物が生き残ってきたわけではなく、変化に対応できた生物が生き残ってきたといいます。過去、人間に至るまでの過程でも、なんらかの不便さを感じ、上手く適応しようとした結果の変化が、進化につながってきました。

 

そう思えば、站椿功の不便さも、進化へのヒントなのですよ。

 

わたしはこれまで、人間とは、直立歩行する動物の完成形だと思っていました。

 

でも実際、きれいに楽に立てる人は、とっても少ないのです。

 

体の調整をしている友人も、「きれいに立てている人って、いない。なんでこんなに大変なのに、立つって決めたんだろうと思う」と、言っていました。

 

そうなのです。知れば知るほど奥が深く、難しいのが、”立つ”ことなのです。

 

そう思うと、二足歩行する動物としても、人はまだまだ発展途上、進化の過程にいるような気がします。よく考えてみれば、あたりまえですよね。生物は絶えず変化しているものだから、今の”人”が、完成形であるはずがないのです。

 

カンフー(功夫)をする人は、站椿功、”立つ”鍛錬を、とても重視します。

 

站椿功とは、杭を打つように立つ、という意味です。

 

一般的には、腕を前に丸く上げる形(上の写真)がよく知られていますが、腕を下げて、ただ立つだけ(下の写真)でも站椿功です。

 

(これは腕を下で重ねていますが、横にラクに下げても良いのです)

 

”立つ”鍛錬をする意味として、中国の先生の兄弟子(清風子、武当玄武派第十六代伝承人)が、こんな話をしていました。

 

「人は、年を取るにつれて、下半身が弱くなり、上半身が重くなる。上下のバランスが崩れて、膝を悪くしたり、転びやすくなる。だから、下半身を鍛えることが大切です。」

 

体に加えて、わたしは、上半身が重くなる、という中には、いろいろ知恵がついて頭でっかちになることも含まれているような気がするのですよ。

 

立つため、歩くための筋肉は、毎日使っていないと衰える、と言います。お年寄りが入院すると、入院の原因が治っても、立てなくなったり、歩けなくなってしまうこと、ありますよね。

 

立つことは、大変です。どう考えても四つ足よりは不安定です。だからこそ、上手くバランスを取ろうとして、頭(知能)が発達した、という話もあります。ジョギング中やお散歩中に、アイディアが浮かぶ、という人が時々いますが、うなづけますよね。

 

さらに、この”大変さ”があるからこそ、どうにかしようと工夫して、その結果が進化につながるのだと思うのです。

 

最初に「正しくできたら、というのはさておき」と書いたのは、そういう意味です。自分で探っていく中に、間違いとか正しいは、ありません。

 

もちろん、膝を痛めたり、腰を痛めたりするやり方は、よくありません。その意味では、先生の指導はあった方が良いと思います。

 

でも大切なのは、正しさよりも、自分で感じることです。

 

同じ姿勢で制約をつけると、その中で何とかしようと工夫を始めます。意識もそうですが、体自身も、そうだと思います。自覚はなくても、楽になる方向を探っているときも、あるような気がします。

 

さらに、同じ形を取ることが、ひとつの基準というか、バロメーターにも、なります。

 

たとえば、中国でお稽古するとき、時々、お稽古時間に鬼ごっこや、サッカー、馬跳び、縄跳びならぬ棒跳びなど、遊ぶような時間があります。大声で笑ったり、きゃあきゃあ言いながら遊んだ(?)後、站椿功をしたら、とっても楽なのです。

 

遊ぶと、体はゆるみます。大まじめに「さあ、練習しますよ」と構えるよりも、思い切り楽しく遊んだ方が、ずっと緩むわけです。

 

站椿功で感じられることは、たくさんあります。先生や、先人たちは、それについて、いろんな話をしてくれます。すぐにそれを感じられなくても、ふーん、と聞いておくと、ある日、それがやってくることもあります。

 

いくつか挙げてみますね。

 

]咾魎櫃上げる場合、腕の内側を、気が時計と反対回りに回る。

 

⇔つことで地とつながる。地とつながれば、天ともつながる。

 

9を低く落とす場合、15分でもものあたりが震えてくる。縦揺れ、横揺れ、とやってきて、ピタッと止まる。

→これは、グリコーゲンが足りなくなって震えるらしく、足りないものが補給されると震えは止まるようです。1度終わっても、また15分後に震えはやってきます。

→ただし、腰を低く落とす場合、膝を痛めるやり方をする方が多いため、腰を落とす方法は、初心者にはおすすめしていません。

 

と瓩靴ないのに、涙がでる。

 

上で上げたことは、聞いたことでもありますが、その後、実際に自分で体験し、実感したことでもあります。

 

站椿功のよさは、頭では理解しきれないことです。体での体験、経験がすべてです。そしてそれは、生物が魚から陸に上がり、走り、二足歩行をするまで進化をしてきた人間の、現在の進化の過程なのだと思います。

 

だからこそ、時間をかけて、やっていく意味はあるのです。

 

なんでも便利にすぐわかる今の時代には、地味でそぐわないですが、技術の進歩だけではなく、自分の進歩、進化に取り組むことも、すてきなことじゃないかしらね。

 

一見、地味に見えるこれは、本当はとてつもなく豊かなのだと、やっている人はみんな、知っているのですから。

 

 

【特別クラスのお知らせ】

7月15日(日)14:00-16:30は「みんなが知らない太極拳のひみつ」(4)です。詳細とご応募方法は、こちらから。

7月22日(日)14:30-16:30は「太極扇を体験しよう(第10回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

7月25日(水)19:00-20:30は「タオを生きることば」です。詳しくはこちらの講座案内からご覧ください。

7月29日(日)13:00-15:0は「立って、歩いて、太極拳」(千葉県香取市)です。詳細とご応募方法は、こちらから。

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

........................

いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 


太極拳は、健康のため、自分を守るため、人を守るため

2018.06.25 Monday

 

 

千葉県の香取市で、新しいクラスを始めました。

 

月1回、2時間ずつの開催です。「立って、歩いて、太極拳」と名付けたとおり、立つ、歩く、という基本をしっかり押さえながら、武当十三式太極拳をお稽古していこうと思っています。

 

昨日、第1回目を開催しました。そのとき、最初にみなさんにお伝えした言葉があります。

 

「太極拳には、3つ目的があります。1.健康のため、2.自分を守るため、3.人を守るためです。これからお稽古を通じて、この言葉の意味を、自分なりに探して、体感していってくださいね。」

 

この3つの目的は、2011年、中国の武当山で、先生(田理陽師父、第十五代武当玄武派伝人)が話してくださった言葉です。シンプルなことばですが、わかるような、わからないような、ですよね。

 

それから7年、わたし自身も、この言葉の意味を探し続けてきました。

 

最初に聞いたとき、1の”健康のため”と、2の”自分を守るため”は、なんとなく理解できましたが、3の”人を守るため”は、さっぱりわかりませんでした。

 

今は3つとも、自分なりの答えはあります(でも、みんなに探していってほしいので、ここではいいませんよ。)でも、これで完成ではなく、これからまた新たな気づきがあったり、変っていくだろうと思います。そこがまた、よいところです。

 

この問いがある意味は、大きいと感じます。

 

話は変わって、先日、別のお稽古で生徒さんが「太極拳は、究極の養生だと聞いた」という話題を出してきました。

 

”養生”とは、生命を養って長生をはかることで、中国語でも同じ言葉があります。狭い意味では、上の健康のためが、該当しそうですよね。

 

”究極の”については、世の中すべてを比較できるわけもなく、わかりませんし、興味もありません。でもあえて、その表現を使った思いをくんでみるならば、それを自分を守るため、人を守るためと、広い範囲でとらえるならば、”究極”と言っても良いのかな、と感じます。

 

そして太極拳が目指すものが和(調和)であるならば、円満ならすべてよし、じゃないかしらね。

 

他のものと比較して秀でている、と言いたいわけではありません。つまり、究極の養生は、別にもあっていいと思います。

 

言葉は便利ですが、落とし穴もあります。

 

「太極拳って、究極の養生なんだって」「へえ、そうなんだ」で会話が終わり、理解できたと思ってしまうことも、あるでしょう。

 

もしくは「究極のって、何?」「他のものと、どうやって比べるわけ?」という議論や批判に発展していったり。

 

それよりは、その表現に対して、自分なりに感じてきたことを、一生懸命に言葉にして伝えるほうが、ずっと健全です。わたしはそうしたいですし、そもそも、それしかできませんしね。

 

脳は五感をフル活用して理解する、と聞いたことがあります。見る、聞く、触る、味、香り、全部がそろって初めて「理解した」と安心するのだそうです。

 

でも今のようなインターネットの時代では、「見る」と、せいぜい「聞く」で「理解した」と思ってしまいがちです。でもこの状態では、脳は本当には理解していないため、それがストレスになるそうです。わかっているつもりで、本当はわかっていないという、自分の表層意識とのギャップは、苦しいかもしれませんよね。

 

だからこそ、ちゃんと体験して、それを言葉にすることを、大切にしたいと思っています。

 

それはそうと......え?太極拳の味と香り?と思われたかもしれませんね。思い出は、味や香りとともにあります。先生が、この話をしてくださったときの雨の香り、お稽古の途中で食べたスイカの味も、理解を深めるために、役だっているはずです。たぶん。

 

※次回の「立って、歩いて、太極拳」(千葉葉県香取市)は、7月29日(日)13−15時です。詳しくはこちらから。

 

 

【特別クラスのお知らせ】

7月8日(日)14:30-16:30は「太極扇を体験しよう(第9回)」です。詳細とご応募方法はこちらから。

7月11日/25日(水)19:00-20:30は「タオを生きることば」です。詳しくはこちらの講座案内からご覧ください。

7月15日(日)14:00-16:30は「みんなが知らない太極拳のひみつ」(4)です。詳細とご応募方法は、こちらから。

7月29日(日)13:00-15:0は「立って、歩いて、太極拳」(千葉県香取市)です。詳細とご応募方法は、こちらから。

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

........................

いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

講座のご案内は、こちらからどうぞ

 



calendar

S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< October 2018 >>

selected entries

categories

archives

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM