ONとOFFは、切り替えるのか?

2017.06.12 Monday

 

「ONとOFFを切り替える」という表現があります。果たしてそうなのでしょうか?

 

数年前、「ONとOFF、仕事しているときの自分と、プライベートの自分と切り替えるという人がいるけれども、見方を変えれば、それは分裂だよ」と話していくれた人がいます。

 

そもそも同じ人なのに、場面によって違う人格(おおげさな表現ですが)になるのは、丸ごとの自分で存在していないことになります。それが長い時間、続くことによって、自分に負担をかけていくような気がします。

 

ここ数年で大切にしていることは、”いつも同じ自分でいること”です。カッコつけたり、卑下したりせず、等身大でいることです。

 

教えるときも、ブログを書くときも、人に会うとき、仕事関係の人でも、プライベートでも、です。

 

でも、昔はそうではありませんでした。いつから等身大の自分ではなくなったかというと、子供の頃までさかのぼります。

 

小学生の頃、作文を書くときには、「こう書けば、印象的な感じになる」という「”スキル"を多用していた記憶があります。

 

両親が喜ぶだろう」と思うこと言った記憶もあります。子供なら誰でもあるかもしれません。子供は、親を喜ばせたくて生まれてきたのですから。

 

大人になって、仕事でワークショップをするときは、うまくまとめるために役割を演じていたような気がします。それで良いのだと思っていました。

 

どれも悪気はありません。どれも誰かに迷惑をかけたわけでもありません。でも、まるごとの自分ではなかったと思います。それは、一番大切な自分に、ウソをつかせていた気がします。

 

気づいたのは、あるワークショップを開催したときのことです。研修の一環としてビデオに記録していたので、後から振りかえることができました。

 

進行や仕切りという点では、上手かったと言えますし、参加者のみなさんも、とても満足してくださいました。でも、違和感を感じるのです。

 

ビデオを見てくれた友人は、「なんかこれ、わたしが知っているあなたではない」とバッサリ。それで気づきました。そうだ、これはわたしではなく、わたしが演じている人なのだ、と。

 

その頃、太極拳も教え始めていたのですが、”先生役”を演じているようなところがありました。結果が悪かったわけではなくく、むしろアンケートを取れば”大満足”と”満足”ばかりでした。でも、教えることは、生徒さんを満足させることとは違います。体験を通して、それぞれが必要なことに気づいて、育っていくための、育てていくためのものだと思うのです。

 

でも、それまでのわたしがやっていたことは、予定調和というか、安全な域を出ないように囲うようなやり方でした。突発的なことに対応すること(誰かの驚くような発言とか行動)でさえも、自分の中では想定内でした。

 

でも、わたしが大切にしたいのは、誰もが正直にいられることです。複数の人に何かをやった場合、「それはぴんと来ない」とか、「違和感を感じる」ということがあっても当たり前ですし、それを言える場所を作ることです。

 

それから、教え方を変えました。常に丸ごとの自分でいるようにして、想定を設けないようになりました。いつも100%できているわけではありませんが、何よりも自分の幸せ度は高くなりました。

 

これは、あくまでもわたしの経験ですので、みなさんにぴったりくるわけではないかもしれません。でも、ONとOFFを切り替えることをする前に、それは自分にとってどういうことなのか、ちょっと考えてみても良いと思います。自分が大切にしたいものは、切り替えることにはない場合も、あるかもしれません。

 

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧 / みんみん)

太極道家

体と心が目覚める太極拳(http://minminkung-fu.com/)

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教えること

2017.06.08 Thursday

(溝の口クラスは、終了後ヘナ(ハーブ)の足湯つきです。ここで、お稽古中に伝えきれないお話をします)

 

前回は、太極拳を10年続けた理由を、書いてみました。今回は、”教えること”です。

 

どうして教えたいと思うようになったか、実はあまりはっきりしていないのです。

 

わたしの単発クラスを受けてくださった友人Aさんの感想を読んで、友人Bさんが、声をかけてくださったことがあります。当時勤めていた会社で「単発の講座をしてもらうことはできる?」と打診してくれたのです。うれしいな、やりたいな、と思って、先生にお話しすると、「教えたい理由は?」と質問されました。最初の答えは忘れてしまいました(すみません......)が、わたしの答えを読んだ先生は「違う。もっとよく考えなさい」でした。

 

考えてみましたが、短い言葉にまとめると、どうにも表面的で、他人ごとのように感じられてしまうのです。そこに至るまでの経験すべてが、今にいたったもとになっているような気がしたのです。悩んだあげく、これまでのストーリーをすべて書いて送りました。たいそうな長文です。

 

当然のことながら、「長すぎる!これを全部読めというのか!これも違う」というお返事が返ってきました。

 

何度かやりとりをしている間に、自分の中で、教えたい情熱がすっかり減退していることに気づきました。もういいや、と。「ここであきらめるなら、それだけのものだったのだよ」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。でも、あきらめようとしている自分に気づいたときに、「これは違う。最初に感じたやりたい気持ちを大切にしよう」とも、思い直したのです。

 

結局そのときは企画自体が流れ、この話もそこまでになりました。

 

先生は、「答えがあるものではない。ずっと考え続けていくものだから」というような話をされていました。

 

今から考えてみると、あのとき、「やりたい」以上に、明確な理由などなかったのだと思います。それなのに、それらしい理由をつけようとしたために、自分で自分を追い込んだような気がします。だから「それは違う」と言われたのかもしれないと、思います。

 

もちろん「やりたい」と連呼するだけでは、ダメなときもあります。いろいろな人が絡んむ企画をスムーズに通すためには、「わたしが適任者です。なぜなら○○○ですから」と、言えることが大切です。

 

でも、もっと手前の自分の思いをみるときには、言葉でも理屈でもない、ふつふつと盛り上がる気持ちみたいなものが、あるだけだったりします。それがあるなら、挑戦してみよう!です。ちょこっとでもやりたい、と思った気持ちを、丁寧に、大切にしたいと思うのです。

 

その先、クラスを実現するために、いろいろな方の同意や了解を得る必要があるなら、わかりやすく言葉にしていけばよいのです。

 

わたしがレギュラークラスを持つのは、それから1年後くらいのことです。やはり友人が「会社の中でやりたい」と、声をかけてくれたことが、きかっけでした。わたしは「ぜひ!」と答えただけで、あとは友人の行動力と、人としての魅力や交渉力で、あっという間に決まりました。

 

会社員だった頃は、「チャンスは自分で捕まえに行かないと、つかまえられない」と思っていました。そして、チャンスが見えれば、赤信号でもわたって取りに行くようなこともしていました。そんなことをすれば、事故にも遭っていたでしょう。心身に不調も出るはずです。そんなわたしを見て、「あなたは”待つ”ことができない。待っていたらチャンスは来ないと思っている。そんなことないのですよ」と言ってくださった方が、いらっしゃいました。

 

準備だけして、それを表現していけば、チャンスが来るときは来るということが、ようやく実感できるようになりました。

 

先生という存在は、学生時代も、社会人になってからも、わたしにとってはとても大切な存在です。背中を押してくれたのは、いつも先生でした。そして先生の日ごろの在り方からも、たくさんのことを学びました。「あんな人になりたいな」という憧れも、たくさんあります。

 

だから、わたしは”先生”としていられることが、うれしいのです。そして、そもそも生徒さんがいらっしゃらなければ、先生にはなれません。生徒さんのおかげで、先生をさせていただいている、ということですね。

 

わたしにとって先生の存在が大きいように、生徒さんにとって、気づきのきかっけを与えられる人でありたい、と思っています。人が真剣に生きる姿、取り組む姿、変っていく姿を間近に見ることのは、とっても幸せなことです。

 

たくさんの方、経験には、本当に感謝です。そして、やはりここでも伝えたいのは、「やりたい」気持ちを大切に、です。自分にも、生徒さんにも、誰にとっても、ですね。

 

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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10年続いた理由

2017.06.08 Thursday

 

はじめて太極拳を体験したのは、2006年8月5日です。それから途中、約半年フィトテラピー(植物療法)の勉強のためにお休みした時期を除いて、約10年、続けてきたことになります。

 

武当功夫に出会ったのは、2008年の末です。最初は、違う流派で始めました。

 

武道をやっていらっしゃる方には共感していただけるかと思いますが、10年では、ひよっこです。この道、30年、40年の方々が、たくさんいらっしゃるのです。

 

しかし武道という枠をはずれると、「長い!」と驚かれることもあります。

 

今日、友人と話していたときに「それだけ長い期間、ずっとやってきた理由は何?」と聞かれました。

 

出てきた答えは、いつのときも「もっと、やりたいと思ったから」です。とってもシンプルです。

 

始めたときは、身体は今よりもずっと弱かったのです。最初に武当山の頂上まで登ったとき、足首は、ひねってもいないのに腫れてしまいました。下記のポーズは、”座らない”のですが、最初の頃は筋力がなさすぎて、下がるとそのまま地面にお尻が落ちていました。何ひとつ、目立って出来たことはなかったように思います。

 

 

それでも、初めて武当太極拳を体験したときには、何もできないにも関わらず「これは良い気がする」と思ったり、初めてひとりで武当山に行ったときには、悲しくないのに涙がぽろぽろとこぼれたり、心の琴線に触れるような体験が、いくつもありました。わからない”何か”を感じて、「もっと、やりたい」につながった気がします。

 

「それだけ奥深いものなのですね」とおっしゃる方もいらっしゃいます。今となっては同意できますが、はじめたばかりのわたしには、そんなことはわかりませんでした。

 

今、生徒さんに対して、そして誰に対しても思うことは、「やりたい気持ちを大切に」ということです。明確な理由や目標などなくても、”なんとなく”だけで、十分だと思います。やったことがないものは、やりながらそれを確かめていけばよいのですから。「もう○歳だから」とか「ムリだから」とか、遠慮する必要など、ないのですよ。

 

特に太極拳に関していえば、何歳からでも、その人なりの太極拳があります。太極拳の套路では、低い姿勢を取るものもありますが、以前、兄弟子が、「筋力も体力もありあまっている若い男子は低くすればよいし、高齢の人は、無理のかからない高い姿勢でやればよい。どちらも、同じだから」と言っていたことがあります。見た目のカタチは違いますが、同じなのです。

 

わたしの場合、30代後半から始めたこともあり、「今からでもやっていけるのだろうか」と思ったときもあります。それ以外にも、”やならければ”と自分を追い込んだり、どうしたらよいかわからなくなったときも、あります。

 

でもその都度、いろいろな気づきがあったり、助けられたり、本当にたくさんの”おかげさま”のおかげで、「やる」という選択をし続けてきました。この期間、今もそうですが、良いタイミングで良い先生方に巡り合えたことも、大きかったと思います。

 

その結果、10年前の自分には想像できなかった現実が現れます。事実は小説より奇なり、という言葉がありますが、その通りだと思います。

 

まだまだ先は続きます。これからもシンプルに、「やりたい」気持ちを大切にしていきたいです。そして「やりたい」気持ちが芽生えた人たちを、わたしなりに応援していきたいと思っています。

 

 

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自由が丘FMTVに出演しました

2017.05.30 Tuesday

 

5月26日の夕方、自由が丘FMインターネットテレビに出演させていただきました。

 

太極拳の生徒さんで、クリスタルボウル奏者の音香さんが隔週で担当されている番組に、ゲストとして呼んでいただいたのです。

 

そのときの内容は、Youtubeにも、アップされています。

 

 

「来てください!」とのうれしいお誘いに、「はい!」とふたつ返事で即答。おはなしするのは、好きなのです。

 

当日は、武当山の写真をお見せしながら、お話しました。太極拳とひとことで言っても、実際にはたくさんの流派があります。わたしがお稽古している武当太極拳は、道教の聖地である武当山(中国、湖北省)で伝統的に伝えられてきたもので、その土地やそこに暮らす道士(道教の修行者)、人々の生き方にも、とても関係があります。写真から伝わる

 

テレビカメラや向かって、こんなに長く話したのは、はじめてです。

 

難しかったのは、目線です。当然、カメラを見るのですが、カメラの下にモニターが出ていたこともあり、つい、モニターを見てしまうのです。すると画面に映るわたしは、うつむき加減になってしまいます。へなちょこな感じです。

 

そして、これは普段もそうですが、文字なしで音だけで話すと、何のことか話かわかりにくいこともあります。漢字を説明しようとしても、ちょうど良い単語が出てこなくて、まごまごすることも。

 

もっと視聴者の方を意識したお話の仕方があるだろうと、反省することはたくさんありますが、それでも楽しくお話することができました。

 

もうひとつ、うれしかったことがあります。最初に音香さんが、太極拳を始めて感じたこと、気づいたことなどを話してくださったのですが、わたしが伝えたいことを、こんな風にちゃんと理解してくださっているんだなあと感じられて、それがとってもうれしかったのです。

 

これからも、たくさんの方に知っていただく機会を増やしていこうと思います。それが、誰かの何かの役に立つなら、すごくうれしいです。

 

動画は、怖くてまだ自分では観ていないのですが、客観的に自分を見る良い機会なので、ちゃんと心して観てみようと思います。

 

 

☀「陽だまり」とは

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手放す

2017.05.29 Monday

(オーラソーマ B109 大天使ザカリエル [マゼンタ/ミッドトーンオリーブ])

 

昨日、オーラソーマの「手放しのコンサルテーション」というセッションを受けました。このところ”手放すこと”が意識に上がってきているからです。

 

きかっけは、ぼんやりと感じた行き詰まり感でした。何か不満があるわけではないけれど、違和感があるのです。相談した人から「望んでいたことが叶ってしまって、それは居心地が良いけれど、逆に守りに入って出られない状態にあるのでは」と言われました。

 

「守りに入っているときは、自分の価値観を壊す方が良い。ありえない、と思う人の話を聞いてみるとか、ショックを受けるくらいの経験をする方が良い」と言われ......

 

今までとは違うことを、いろいろとしてみました。これまでは、”自分の思いを大切にする”ことを最優先にしてきたので、”これ!”と思うことしかしないのですが、「価値観を壊す」がテーマのため、「えーっ......」と思うようなものに手を出すわけです(注:決して手を出した先に何か問題がある、と言いたいわけではありません。)半泣き状態です。

 

いろいろやってみたことは良かったのですが、気が進まないことにも手を出すためか(注:繰り返しますが、手を出した先に問題があるわけではありません)、混乱もしますし、いろんなものに触れすぎたためか、例えるなら”溺れそう”な状態になりました。

 

そんな状況を相談してみたら、「しばらくは、手放すもの、これから育てるものをゆっくり選んでいく時期。これまで大事にしてきたものの中にも、もういらないものがあるかも」というアドバイスをいただきました。

 

さて、そんな状況で受けたオーラソーマ。15年くらい前に少し勉強したことがあって、セッションをお願いしたのは、そのときの先生、アマーリエの上野香緒里さん。おそらくお会いするのは、10年振りくらいです。

 

オーラソーマは、上下2色の115本のボトルの中から、直感で4本を選びます。順番には、次のような意味があります。

1本目:魂

2本目:今のチャレンジ、もしくは課題を乗り越えた後にやってくるギフトやタレント

3本目:今の状態

4本目:これからの可能性を示す未来

 

「この中でどれが一番気になりますか?」と聞かれて答えたのが、1本目に選んだB109(マゼンタ/ミッドトーンオリーブ)です。大天使ザカリエルという名前で、”愛の中の誠実さ”、”自分が既に許されていることを思いだす”ボトルだそうです。

 

「どんな感じがする?」と聞かれて、ボトルをじっと見て、「喜び。草原に野原が咲いているイメージ」と答えました。

 

オーラソーマのボトルは、一斉に誕生したのではなく、順番に誕生しています。このB109は、震災の少し後に誕生したボトルで、最近、セッションで選ぶ人が多いとか。ある時期に特定のボトルがよく選ばれることは、よくあるのだそうです。

 

既に許されている、という意味は、「何か悪いことをして、罪を償って、許してもらうというプロセスではなく、最初から○○は怒っていなかったのだ(起こっていなかたのだ)と気づくこと」なのだそうです。

 

最近、よく思うことは、”苦労などせずとも、人は幸せに生きていけるはず"ということです。

 

”若い頃の苦労は買ってでもしろ”ということわざがあります。"闇が深い分だけ光も大きい"、という表現は、苦しみの渦中にいる人にとっては救いの言葉になるかもしれません。

 

でも、苦労とか苦しみは、本当に必要なのでしょうか?

 

わたしの過去を振り返ると、大変なとき、つらいときもありました。「なんでこんな思いをするんだろう」という悲しみ、後悔、憎しみのような思いから、抜けられなかったときもあります。でも今から思うと、それは自分がそうしていただけなのです。

 

まさにこのボトルが示すように、”最初からそれは、怒っていなかった(起こっていなかった)”のです。起きていないものを、起こしたのは自分で、大きく育てたのも自分です。

 

客観的に見れば、Мの極みですよね。苦しいことで、自分の存在を感じようとしていたのかもしれません。自分を傷つけることでしか存在を感じられないことは、実はよくあることです。

 

経験したことは後悔していませんし、あのときがあるから今の自分があるのも事実です。でも、それを辛いものにしていたのは自分であることも事実です。

 

そう思うと、自分が幸せに生きると決めさえすれば、苦しみなんてないのではないか、と思うのです。根拠のない確信です。

 

もちろん、困難や嫌なこともやってきます。もしそれを自分で育てれば、そしてそこに居続けると決めたら、苦しみが続きますが、違う選択をすることもできるはずです。受け止め方次第のような気がするのです。

 

生まれた時は、うれしいこと、悲しいこと、ひとつ一つを経験しながら感じていったのだと思います。”これ好き!楽しい”と、”これ嫌い”は、ベクトルは違っても、ひとつの経験であることは同じです。「へええ、これが嫌だということか〜」みたいに、新鮮な驚きを持って感じたような気がするのです。

 

神様というものがいるのであれば(人によっては宇宙と呼んだり、大いなる源と呼んだり、愛と呼んだり、どうにもこうにも呼び名がないので、それぞれ自分なりにしっくりくる名前で呼んでいるのでしょう)、不幸を願って人を創造したわけではないと思います。地球には人が必要です。人は、環境を破壊しているという面もありますが、そもそもそういう意図で生まれたのではないはずです。どう考えても、幸せに生きるようになっているような気がするのです。

 

マゼンタは、天からの神聖な愛を表し、その愛を地上に降ろすサポートをする色でもあります。

 

オリーブグリーンには、「苦味を甘味に変える」という意味もあります。苦いことを味わったから甘さがわかる、ではありません。そこには希望があります。競争ではなく、共同創造をすることを選び、その橋渡しをするという意味もあります。

 

幸せに生きると決めて、その通りに生きること。

 

「いやいや、そうは言っても」という自分のエゴの声も聞こえてきますが、根拠のない確信の声もあるのです。「大丈夫、幸せに生きていけるよ。」と。それをどれだけ信じきれるかが、一番の修行ですね、きっと。

 

このボトルを1本目に選んだことが、単純にうれしいです。一番に出てきた感想が、「喜び」ですしね。

 

そして”手放し”は、継続中です。モノや思いやなど、いろいろやってきましたし、まだまだありそうです。それについてはまた別の機会に書きますね。

 

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☀上野香緒里さんがブログで「愛はカミサマの知性〜大天使ザカリエル」を書いてくださっています。1本目に選んだわたしの話もちょっと登場しています。こちらからどうぞ。

 

 

☀「陽だまり」とは

ブログタイトル「みんみんの陽だまり太極道日記」の「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると素晴らしく居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、どことなくキリリとした印象もあります。太極拳を通して、こんな時間と空間を創っていきたい、陽だまりにつつまれて暮らす人、心身ともにゆとりある人を増やしたい、と思っています。

 

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