誰かの代わりに泣く

2020.08.19 Wednesday

 

(南紀白浜 千畳敷)

 

子どもの頃から、よく泣きました。

 

でもその泣き方は、だいぶ変わってきたような気がします。

 

わりと長い間、泣くときには、喜怒哀楽、何らかの感情が伴っていました。悲しくて泣くのは普通だとして、嬉しくても泣くし、怒るときも泣いていました。

 

怒るのと泣くのと、どっちかにしたら?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、涙というのは、出てしまうものです。どうしてそうなるのか、わかりませんが、必死に全身で怒ると、そうなるのです。

 

理不尽だとか、許せないとか、そんなときにも泣いていましたが、年齢が上がるにつれて、いろんな見方ができるようになり、いろんな立場も理解できるようになり、その分、おおらかになって、悔しさで泣くことは少なくなりました。

 

 

それまでに経験していない泣き方をしたのは、10年前です。

 

中国の武当山に、ひとりでお稽古に行って、早朝、ひとりで山をランニングしているとき、なぜか涙がぽろぽろ流れるのです。

 

何も起きていないし、悲しいわけでもないのに、なぜ涙が出るんだろう、と不思議に思いました。

 

涙の訳はわかりませんでしたが、「この先、もう嫌だと思うことがあっても、ここに来たら、またやり直そうと思えるかもしれない」と思ったことは、覚えています。

 

後付けになりますが、忘れていた大事なことを思い出すときに泣く、と言います。この時期は、たぶん、そんなときで、自分を取り戻し始めた時期だったのかな、と思います。

 

 

自分のことではなく、人の感情を自分のことのように感じて、泣いてしまうときもよくありました。

 

共感性の高い人に起こりやすいことで、自分の感情と、人の感情と、区別がつかなくなってしまうのです。

 

人の気持ちがわかりやすいのは、いい面もありますが、やっかいな面もあります。「その特性は大事にしたらいいけれど、あまりやりすぎない方がいい。ものすごく、くたびれるから。」と言われたこともあります。

 

本人でもないのに、うっとおしい面もありますよね。学生時代、同級生のお父様が亡くなったとき、学校の先生が「わたしの親が亡くなったときも、友達はみんな泣いてくれたけれど、ちっとも嬉しくなかった」と言っていたことが、今でも心に残っています。

 

この混ざってしまう問題は、「これはわたしではなく、人のことだ」と線を引くことで、ずいぶん解消しました。涙が出てきたときに、「これは人の話だ」と思うと、途中で止まるのです。区別ができるようになったことで、ずいぶん楽になりました。

 

 

站椿功(立禅)をしているときも、涙が出ることは昔からよくあります。それは長いこと、武当山でランニングをしていたときに出る涙と同じような感じだったので、

 

何か大事なことを思い出しているのだろうと、思っていました。何を思い出したのかは、すぐに具体的にわからないことがほとんどで、時間をかけて気づいていくことが多いのですけどね。

 

 

最近、站椿功をしているとき、また違う泣き方をするようになりました。

 

ぽろぽろではなく、静かにほろほろ涙が落ちる感じです。

 

なんとなく、「これは、わたしの涙じゃない」と感じるのです。泣けない誰かの代わりに泣いているような感じがしました。

 

泣けない誰かが、誰なのかはわかりません。実在する人なのか、もう体を亡くした存在なのか。

 

体を亡くした魂は、みんな救われると思っていて、心や感情があるとしても、もう泣きたい気持ちはないのかもしれませんが、

 

もし泣き足りなかったとしても、体がなければ、もう泣けません。

 

そんな魂の代わりに泣くことも、あるのかもしれないと思いました。

 

こういう、ほろほろ泣くときは、自分がくたびれることはありません。泣いて自分がすっきりするのとも、ちょっと違います。

 

自分ではない何かの浄化の助けになるなら、それもいいな、と思います。それは、人によっては「祈り」と言うかもしれませんよね。

 

 

日々続けている站椿功は、何のためにやっているのか、よくわからないこともあります。

 

生きていくために必要な筋力をつけるため、

心を静めるため、

体のバランスを取る力を育てるため、

意識と体を結ぶ感覚の回路を開くため、

 

というのはありますが、

 

心身ともに深く静かな状態になり、普段は認識できていない潜在意識や、それよりも深い集合無意識の領域に入っていくとき、そこからどんなメッセージを受け取るのかは、わからないからです。

 

こういうメッセージを意図的に受け取る方法もありますが、わたしの場合、そこを意図したことはなく、自然に入っていくときに聞こえてくる感じです。そして、いつも聞こえるわけではありません。

 

聞えても、聞こえなくても、どっちでもいいと思っています。

 

生きることは、自分を活かすことだと思います。その活かし方は、人それぞれだと思います。

 

わたしにとっては、「泣く」ことも、いろんな涙を経験していくことで、自分の活かし方を見つけていったような気がします。

 

そして今は、ときどきやってくるメッセージが、自分の活かし方を教えてくれるような気がしています。

 

今回のように、誰かの代わりに泣くのも、そのひとつです。

 

もうそろそろ、自分のために泣かなくてもいいのかもしれません。

 

「さ、あなたのために泣きますよ」なんて宣言しませんし、誰にも知られないことですが、宇宙の浄化にはなるのかな、と思っています。

 

宇宙の浄化と、そのメッセージを受け取って、この世で何か形にするために、生きているのかもしれないな、と思うと、生きているって、いいな、と思います。

 

 

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