ヒグマの母子と、たくましく生き抜く力

2020.06.29 Monday

(Photo by Xie Okajima)

 

先日再放送されたNHKのドキュメンタリー「ヒグマを叱る男〜完全版36年の記録〜」は、

 

世界自然遺産の北海道、知床の奥地にあるルシャで共生する、人間とヒグマのお話でした。番組の感想は、「境界で生きる」(2020年6月10日)にも書きましたが、そこには書かなかった印象的なシーンがあります。

 

ルシャは、サケやマスが豊かに獲れるところで、人間にとっては漁をする場、ヒグマにとってはエサを獲る場です。

 

近年サケやマスの量が減ってしまい、漁もうまくいかず、ヒグマもお腹いっぱい食べられず、やせ細ったヒグマが目撃されるようになりました。

 

番組でもカメラが、お腹を空かせたヒグマの母子を撮影していました。母グマは、ようやくありついた1匹の魚を、ムャムシャと食べています。

 

その後ろから、1歳に満たない赤ちゃんグマが、鳴き叫び続けています。小さな体、短い足で、鳴きながら必死に母グマを追うのですが、母グマは魚を分け与えようとはせず、とうとう最後まで食べきってしまいました。

 

それからしばらくして、またカメラが、この母子グマをとらえました。

 

母グマが、しきりに赤ちゃんグマの体を舐めています。そのうち赤ちゃんグマが、ごろんと転がりました。

 

死んでしまったのです。

 

ごろんと転がった赤ちゃんを、母グマは、さらに舐めます。でももう、生き返ることはありません。

 

ヒグマの気持ちは、わかりませんが、

 

あの1匹の魚にありついたときは、とにかく自分の空腹を満たすことだけで、いっぱいだったのかもしれません。それでも赤ちゃんグマを育てる気持ちがないわけではなく、実際に死んでしまったときには、なんとかしたかったのかもしれません。

 

観ているのが、つらい場面でした。

 

 

番組を観たあと、ときどきその場面をぼんやり思い返して、思い出したことがあります。

 

断食です。

 

わたしが最初に断食したのは、大学生の頃です。イギリスに留学していたとき、イスラム教徒の同級生がいて、彼らにはラマダンという断食月がありました。1か月、日の出から日の入りまで、何も食べません。

 

今では健康のために断食をする人も、そこそこいますよね。でも当時の日本で、わたしの周りに断食をしたことがある人は、いませんでした。

 

知らない文化の、知らない習慣を「そんなこと、するんだ」と、驚いて聞いていると、一緒にいたカナダ人たちが「君は断食したことないの?」と聞いてきました。

 

「ない。」と言うと、「あれは、チャンレジだ。自分に打ち勝つんだ。ぜひやるべきだ」と言うのです。

 

そういうガッツとは無縁に、ぽぉーっと生きてきたわたしは、「チャレンジ...ですか...」と、さらにぽぉーっ。

 

そのとき、仲のよいイスラム教徒の友人が、「これをするのは、もちろん宗教上の理由なのだけれども、それだけじゃない。お腹が空いたらどうなるか、わかる?本当に空いたときは、隣の人なんてどうでもよくなって、とにかく目の前にある食べ物を、独り占めしたくなるんだよ。お腹が空くって、そういうことだ。」

 

「でも、そうなったときでも、誰かと一緒にいたら、目の前にある食べ物を分け合える人でいたいよね。だから、自分がお腹が空いたとき、どんな風になってしまうかを、知っていた方がいい」と。

 

ものすごく納得して、1日だけ挑戦しました。

 

1日なので、大したことないはずなのですが、午後3時くらいから辛くなってきて、夕方5時くらいに、まだ日の入りではなかったのですが、食べてしまいました。

 

友人が言っていた「他の人なんて、どうでもいい」という境地には至っていないのですが、「これは大変だ...」と感じるには、十分なインパクトでした。

 

 

人は、弱いものです。弱いことが悪いわけではなく、「これがいいよね、こうでありたいよね」という目指す理想は、非常事態には、もろくも崩れることもあるだけです。

 

非常事態に直面したときに、「え?そんな人だったの?」というように、今まで知らなかった面が見えてくることもありますよね。

 

それを、単純に非難する気にはなれません。少なくとも、そこそこ満たされている状態の人が、安全な場所から、理想っぽいことを言うのは、違う気がします。

 

頭でわかっていても、体がついてこないことって、ありますしね。

 

たとえば飢えているような状態で、ほんの少しの食べ物を見つけたとき、野生的な面が出れば、自分が生き残ることが最優先になって、母グマのように独り占めするかもしれません。

 

でも、もし、友人のように「そんな状態になるんだよね」と知っていたら、そして「でも分け合いたいよね」と思っていたら、本当にそういう状態になったときに、隣にいる人と、食べ物を分け合えるかもしれません。

 

人間の理性というのか、知能というのか、そういうものは、こういうときに使うのではないでしょうか。

 

人間は、「こうなったら、こうなる」という過去の経験を記憶して、同じ状態になったときに、それをあてはめることができます。たとえ疑似体験であっても、断食してみてどうなるかを経験するのは、約に立つのではないでしょうか。

 

 

こういうことは、頭での知識よりは体験だと思うのですが、頭での知識だけでも、役に立つこともあります。

 

たとえば、人間が食べなかったら、死ぬまでにどのくらいかかるか、知っていますか?

 

26日くらいかかるそうです。

 

最後の方は、おそらく意識もなく、どんどん衰えていくのだと思いますが。

 

でも、けっこう持つと思いませんか?そうわかると、2−3日食べなかったとしても、大丈夫だと思えてきませんか?

 

おそらく、ある程度のリズムで食べていたのが、食べなくなったとき、緊急事態が発動されるような感じはあるのだと思います。命を守るためには、「食べなければ!」と、なるのは、自然は反応ではないでしょうか。

 

でも、その時点で本当に足りていないわけではなく、頭が食べたがっていたり、緊急事態を解除しようという力が働いていたり、ではないかと思うのです(想像です。)

 

本当にそういう事態になったとき、このことを知っていると、もしかしたらパニックにならずに、冷静に戻れるかもしれないと、思っています。

 

パニックになったら、エネルギーを消費してしまいますからね。それよりは、落ち着いて温存する方が、助かる確率は高くなるのではないでしょうか。

 

 

「人は、食べなくても26日くらい死なない」という話は、ネイティブアメリカンのシェルター、デブリハットを作る体験をしたときに、聞いた話です。

 

デブリハットは、自然にあるもの、木の枝と枯葉だけで作ります。冬、外で過ごさないといけないときに身を守るための方法で、雨が降って地面が濡れているときでも、体が濡れないように枯葉でマットレスを作るなどの智慧も、学びました。

 

枯れ葉は冬しかないのですが、そのほかの季節は、そのまま野宿でも命は守れるでしょう。うまくできています。

こういうことも一度体験しておくと、いざというときに役に立つかもしれません。

 

(デブリハットは、作った後に不思議な体験もしていて、それは「見えないものを信じる」(2017年12月30日)に書きました。もしご興味があったら、読んでください。)

 

(デブリハット。丈夫なので、上を歩いても崩れません)

 

 

(夜は、ここに入って、枯れ葉で蓋を閉めて寝ます。ちなみにこれは、出来としては7割くらいなので、恐ろしく寒かったです。)

 

 

こうやって書くと、もしかしたら、お腹が空いてたまらないときに、食べものを分け合えることがよい、みたいに感じる人もいらっしゃるかもしれませんが、

 

そう言いたいわけではありません。道徳的に言えば、そうなのでしょうが、どちらかというと、そういうとき、どういう自分でいたいと思うか、ではないかと思うのです。

 

そしてもうひとつは、人はちょっとしたことで、パニック状態になるし、我を忘れるのだと、わかっていることも大切だと思います。

 

わたしが太極拳を教えるときに、大切にしていることの一つは、いかに簡単に平常心を失うか、どんなときに失うかに気づいてもらうことです。

 

あっという間です。人間って、本当に脆いです。

 

平常心を失わないようにする方法もあると思いますが、それよりは、失ったときに、そのことに気づく力を育てておくことが大事だと思っています。わたしは「失うな」と言われても、それは難しい気がするからです。

 

平常心を失ったときは、必ず体の反応に出ます。それに気づけるかどうか、です。

 

日常から自分の体の様子を観察して、どういうときに、どんな状態になるのかを身をもって知っていれば、気づける可能性は高くなります。

 

どんなに気をつけて生活をしていても、非常事態は起こりえます。コロナだって、そうですよね。そういうとき、平常心を取り戻せるかどうかは、それこそ命を守り抜けるかどうかに、かかわってくる気がします。

 

平常心があれば生き残れるわけではありませんが、せっかく生まれてきたのだから、命を大切にして、生き抜きたいと思いませんか?

 

太極拳って、どんな状況になっても、たくましく生き抜く力をつけるためのものでもあると、思っています。

 

始めたときに、そんなことを知っていたわけではなく、やりながら感じたことなのですけどね。これもまた、経験です。

 

 

 

 

【おうちで過ごそう!応援企画】

すきま時間にできる、カンタン体操を動画でご紹介しています。リフレッシュにも。こちらから。

 

 

オンラインでの動画レッスン始めました。
 
≪入門編≫
  立ち方、歩き方の≪基本編 ≫と、太極拳の動作の練習としてもおすすめの≪武当五行六合功編≫のセットです。詳しくは
こちら
 
≪武当太極拳編≫
  武当三十六式太極拳をいくつかに分けてご紹介します。「その1」は、
  第1式〜第10式です。詳しくは
こちら
 
≪立ち方編≫
  地に足をつけて、自分らしく生きるための基盤を作ります。≪入門編≫の「基本編」第1講の単発講座。太極拳をしない方にも。詳しくは
こちら

 

 

【7月の特別クラス】

 7月  5日(日)13:00-15:00 「麗屋 弘鈴庵の 立って、歩いて、太極拳(千葉県香取市)詳細とお申込方法はこちら

 

 7月11日(土)14:00-16:30  「やさしい站椿功」(池尻大橋)詳細とお申込み方法はこちら

 

 7月12日(日)14:30-16:30はじめての形意拳」(九品仏)詳細とお申込方法はこちら

 

 7月19日(日)14:00-16:30「たのしい太極扇」(九品仏)詳細とお申込み方法はこちら

 

 7月25日(土)14:00-16:30 「ホントにはじめての武当太極拳・気功(九品仏)詳細とお申込方法はこちら

 

 

「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。人が集って、一緒にお茶でも飲んでなにげない話をして、ほっとする場所でもあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...

 

いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

講座のご案内は、こちらから


0
    コメント
    コメントする








       

    calendar

    S M T W T F S
      12345
    6789101112
    13141516171819
    20212223242526
    27282930   
    << September 2020 >>

    selected entries

    categories

    archives

    links

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM