ひとりで、なんでもやらなくても、いい

2020.06.24 Wednesday

 

(2016年秋。武当山で。兄弟子と、仲良しの友人たちと)

 

「ひとりで、なんでもやらなくても、いい」と、よく思います。

 

今、いろんな技術の発達もあり、やろうと思ったら、かなりのことが自分でできますよね。

やり方も、ちょちょいネットで調べたら、でてきます。

 

昔は、知っている人を探して、手紙を書いたり、電話で約束して、会って話を聞いて、という方法しかなかったのに、です。

 

でも、なんでもひとりでやろうとしなくても、得意な人がいるなら、その人にやってもらうほうが、いいじゃないかと思うのです。

 

自分がやりたいなら、やればよくて、その気にならないなら、やらなくてもいい。それが世の中に必要なことなら、自分より、もっとふさわしい人が現れて、代わりにやってくれるものです。

 

そう思うのには、こんな体験があるからです。

 

 

4年前、中国の武当山で出会った友人がいます。

 

とてもいい人なのだけれども、他人との間に壁を作っているような感じで、少し窮屈そうに見えました。

 

「そんなにいい人でなくても、大丈夫なのに。」と思ったものの、自分が言いたい気分にならず、そのままにしていました。言ったら気まずくなる、と思ったわけではなく、今じゃない、という気がしたのです。

 

こういうとき、「その人のためなら、耳の痛い言葉も言うべき」という意見もあるかもしれませんが、わたしはそうは思いません。伝えるには、状況やタイミングがあります。その人が受け取れそうな状態かとか、あるような気がします。

 

そうしたら、です。

 

ある日、みんなでお茶を飲んでいるとき、ある中国人の男性が、「〇〇(その人の名前)!君は、心を開いていない!」と言い出したのです。

 

みんなの前で、大きな声で、びっくりです。

 

言われた本人、「何を言うの!わたしはとってもオープンなのに」と、ニコニコ笑顔を絶やさずに、反論します。

 

わたしは「まさに、これだ」と、自分が思っていたことが、違う人の口から出てくることを、驚きながら眺めていました。

 

他の人たちも、しばらくお茶を飲みながら見守っていましたが、やがて違う話題に変わって、やりとりは終わりました。

 

翌朝、その友人は、だいぶ柔らかくなったというか、壁が少なくなったような気がしました。それを見て、なんだかすごく感動して、本当によかったと、思いました。

 

このことから「自分じゃない、と思ったことは、そのままにしてもいい。わたしよりも、もっとふさわしい人が現れて、やってくれるから」と学びました。

 

わたしは何もしていないのですが、願いは叶っているわけです。うれしいです。

 

(夕食の後、お茶をふるまってくださる先生。上の話は、この後、先生が立ち去った後のことです。話題の人は、左のふたりではありません。)

 

 

今回、コロナにまつわる自粛でも、同じようなことを感じました。

 

外での活動が出来なくなり、対面クラスを10週間、すべて休止しました。その間、閉塞的な気分になったり、ストレスがたまりがちになる状況に、何かしたい思いがあって、

 

太極拳を知らない人でも、短い時間で、畳半畳くらいあればできるカンタン体操を動画でアップしたり、

ひとりでもお稽古をしたい人のために、動画レッスンを用意しました。

 

役立ててほしい気持ちもありましたが、自分が楽しんでできるかどうかを、大切にしました。

 

もともと、わたしは気分で動く人で、その気にならないと、動きません。

 

ただし、最初は乗り気でなくても、ちょっとすると、がぜん、やる気になったりするので、「こんなのやってほしい」とかは、いつでも大歓迎なのですけどね。

 

この期間、周りでたくさんの人が、リアルタイムのオンラインレッスンを提供していました。わたしがそれをしなかったのは、楽しんでできそうな気がしなかったからです。

 

チャンレジから逃げている面もあるのかもしれませんが、自分が大切にしたいことが、その環境で大切にできる気がしなかったことと、

 

外に出られないなら、同じことを違う方法でやるよりは、自分とじっくり深く向きあう時間にしたかったこともあります。

 

自分に栄養をあげて、外に出られるようになったときに、機が熟して花が開くように。

 

もちろん、リアルタイムで一緒にやる機会を求めている人もいます。それで心がほぐれたり、ちょっとニコッと笑顔になれたりすることも、ありますよね。それはまさに、この時期にわたしが願っていたことです。

 

「こうなったら、いいよね」と願うことを、実現するのにふさわしい人がいるなら、自分がしゃしゃり出るより、その方にお任せするほうがいい、と思います。わたしは、そんなに器用ではないので、しゃしゃり出るほどの余力もない、という事情もありますが。

 

 

こんな風に思うのは、人は存在するだけでも十分だ、という思いがあるからかもしれません。

 

これまで生きてきた中で、「何もしない役に立たない自分ではだめだ」と思っていた時期もあり、この思いを信じているというよりは、これを学ぶために生きているのかもしれませんが。

 

日本の神さまのお話の中に、好きなエピソードがあります。

 

男女ペアの神さまといえば、イザナギ、イザナミですよね。でも実は、その前に、知られていないけれども、何組か男女ペアの神さまがいらっしゃるのだそうです。

 

何もしなかったから、知られていないのですが、それを教えてくださった神主さんが、「いたことに、意味があると思っています」と話してくださいました。

 

いいでしょ。じーんと、きます。

 

自分の願いを叶えることって、自分が直接行動することだけでは、ないような気がしています。そう考えると、気楽になれることも、あるのではないかしらね。

 

 

【おうちで過ごそう!応援企画】

すきま時間にできる、カンタン体操を動画でご紹介しています。リフレッシュにも。こちらから。

 

 

オンラインでの動画レッスン始めました。
 
≪入門編≫
  立ち方、歩き方の≪基本編 ≫と、太極拳の動作の練習としてもおすすめの≪武当五行六合功編≫のセットです。詳しくは
こちら
 
≪武当太極拳編≫
  武当三十六式太極拳をいくつかに分けてご紹介します。「その1」は、
  第1式〜第10式です。詳しくは
こちら
 
≪立ち方編≫
  地に足をつけて、自分らしく生きるための基盤を作ります。≪入門編≫の「基本編」第1講の単発講座。太極拳をしない方にも。詳しくは
こちら

 

 

【6月の特別クラス】

6月27日(土)13:00-15:00 「麗屋 弘鈴庵の 立って、歩いて、太極拳(千葉県香取市)詳細とお申込方法はこちら

 

6月28日(日)14:30-16:30「はじめての形意拳」(池ノ上)詳細とお申込方法はこちら

 

 

「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。人が集って、一緒にお茶でも飲んでなにげない話をして、ほっとする場所でもあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...

 

いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

講座のご案内は、こちらから


0
    コメント
    コメントする








       

    calendar

    S M T W T F S
       1234
    567891011
    12131415161718
    19202122232425
    262728293031 
    << July 2020 >>

    selected entries

    categories

    archives

    links

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM