しあわせって?

2020.06.18 Thursday

 

(photo by Xie Okajima)

 

しあわせって、なんでしょうね。

 

これまでに、「しあわせ」について気づいたり、感じたり、いくつか印象的な出来事があります。そんな体験を振り返ってみます。

 

23歳、大学院生だったとき、イギリスの中世、14世紀後半の、ジェフリー・チョーサーという詩人の作品を研究していました。

 

「カンタベリー物語」の「騎士の話」の中に、”しあわせを求めるのは、酔っ払いが家に帰ろうとするようなものだ”、という話がでてきます。

 

酔っ払いは、家があるのはよく承知しているが、帰り道がわからず、溝に落ちたりもする、というような文章でした。しあわせを,

家にたとえています。(参考として、前後を含んだ文章を下に載せます。)

 

すごく印象的な一節でした。

 

もうひとつは、Happyという単語の成り立ちです。中世の中英語には、"hap”という単語がありました。"by chance"、偶然、という意味です。

 

”起こる”という英語は、occur とか、happenがありますが、occurは原因があって起きる場合、happen は偶然に起きる場合です。”hap"の名残が見えますよね。

 

Happyには、偶然やってくるというニュアンスが入っています。求めたり、狙って、やってくるものではないのですよね。

 

ただし、この”偶然”は、ちょっとくせものです。

 

たとえば、道端に咲いている花に「きれいだな」と小さなしあわせを感じるとき、その花は自分が植えたものではありませんが、誰かが植えたかもしれませんし、種が飛んできたかもしれませんし、別の原因があります。

 

こんな風に、誰か別の人が作った原因と、自分が手にする結果が結びつくことも、よくあります。「ここ掘れワンワン」で掘ってみたら、大判小判がざっくざくなんて話も、そうですよね。

 

自分にとっては”偶然”でも、宇宙レベルで見たら、原因と結果は、つながっています。

 

こうやって文学作品の中で気づいたことは、その後の日々の暮らしでも、いつも心のどこかにあった気がします。あれから倍以上の年齢になっても、まだ覚えているくらいですしね。

 

しあわせを、実感として感じたのは、今から10年くらい前のことです。

 

それまで感じたことがなかった訳ではなく、それまでとは全然違う種類の、上に書いたしあわせとも、たぶん種類が違うものを感じた体験です。

 

2011年の春、中国の武当山にお稽古に行っていたときのことです。

 

毎日、午後の練習は、六字訣(ろくじけつ)という内臓をケアする気功から始まりました。あぐらで座り、それぞれの臓器に対応する音を自分で出して、響かせていくものです。

 

やり方を詳しく教わったわけではなく、毎日、お手本を見ながら真似する方法で学びました。時間はかかりますが、そういう学び方も、あります。

 

よくわからないなりに、とにかくやり続け、1か月くらいたった、ある日のことです。

 

「背中(腰)が、ほわ〜っと、あったかい。」と感じました。それまでにない感覚です。


部屋の窓からは緑の樹が見え、明るい光がさして、鳥が鳴いています。お天気もよく、おひさまの光がきれいで、窓から見える緑は、風に吹かれてキラキラしていました。

 

ものすごく平和で、しあわせな感覚でした。(そのときの話は、「心身の、平和な記憶」2015年8月12日)

 

日本語にしたら「至福」、中国語だと「喜悦」、英語だとblissと表現すると思います。

 

どの単語も、何かを達成した場合のしあわせにも使いますが、この場合は、別です。何かを達成したわけでもなく、何かしたわけでもありません。

 

ただ存在するだけでしあわせで、内から湧き上がってくる喜びとか、ものすごく満たされている、そんな感覚です。

 

この経験があるから、何かをするからしあわせになれる、とかではなく、ただ生きているだけで、すでにしあわせなのだと、わかりはじめたのだと思います。

 

ときどき(しょっちゅう)、忘れますけどね。でも、忘れて、戻って、を繰り返していくうちに、だんだんと覚えている時間が長くなっていきます。

 

こういう感覚は、理屈ではありませんし、頭での理解では到達できませんし、「これをすれば必ず体験できる」というものでもありません。

 

それでも、わたしが知っている中では、太極拳とか站椿功(立禅)は、この感覚に届きやすい方法のひとつです。

 

特に、静功という動きのない站椿功が、いちばん届きやすい、と感じます(動きがない、と言っても、それは見た目で、実際には動き続けます)。

 

武当山で先生(武当玄武派第十六代伝人 明月師父)が、站椿功のお話をしてくれたことがあります。

 

站椿功には、やり方のコツがあります。それをやった先にくる感覚なのですが、「天と地は友達だ。そこにつながっていくと、日常の気になっていることなど、どうでもよくなるよ」と、言うのです。

 

そして、この感覚を「喜悦(Xǐyuè)」と、表現していました。外部の要因による嬉しさ(中国語だと「高兴(Gāoxìng」)とは違って、内から沸き起こる喜びのような感じです。(このときの話は、「武当山日記:站椿功がもたらす『喜悦』 2018年9月26日

 

ちょうど上で、六字訣をしていたときに感じた感覚にも、通じます。

 

この感覚を忘れているとき、もしくはもう一段深くなったときは、涙が出ることもあります。

 

涙が出るのがいいわけではなく、忘れていたことを思い出したときに出る、と感じていて、忘れずにいられる時間が長くなってくると、泣かなくなってくる気がします。

 

「あなたにとって、しあわせってどんなもの?」と聞かれるとき、

 

いろいろ答えはあるでしょう。わたしも、きれいなものを見たときとか、おいしいものを食べたときとか、人と一緒に楽しい時間を過ごしたとき、とか、しあわせを感じます。

 

でも、この「喜悦」みたいな感覚は、そういうものとは次元が違って、すべての土台で、いつでもここを始まりとして生きていく、みたいな感じです。

 

この土台があっても、大変なこと、嫌なことは、起こります。でも土台に還ってくることで、感じ方や対応は、変わってくると思います。

 

わたしの体験では、嫌なことは、圧倒的に少なくなります。

 

この「喜悦」は、太極という宇宙の根源の感覚でもあると、思っています。太極拳をするときって、内に深く潜って、同じように外にも広がって、意識は覚醒しつつ、ぼんやり夢を見ているみたいな感じになってくるのです。

 

そういう時間があることは、日々を生きていく中では大切です。これに助けられて、今を生きています。

 

こういう感覚は、太極拳だけではなくて、芸術と呼ばれるものの奥にあると、思っています。文学とか、音楽とか、絵とか、映像とか、建物とか伝統芸とか、いろいろ。

 

奥、と書いたのは、その手前に、たとえば「悲しみ」という、しあわせとは逆のテーマがあることも、あるからです。でも、その奥とか土台には、絶対的なしあわせがある、と思います。

 

心は、そういうものに救われると思っています。

 

最後に書いたしあわせは、大きな意味でのしあわせですが、もうちょっと狭い意味で、「わたしにとってのしあわせとは?」も、ありますので、それは次回に書きますね。

 

※続きの、「ひとそれぞれの、しあわせ」は、こちら

 

 

≪参考:「カンタベリー物語」騎士の話から≫

ああ、人々はそろいもそろって、なぜこうも神や運命の摂理に不平を言うのだろうか。自分たちでは思いもつかぬほど、さまざまに良いはからいを授けられているというのに。金持ちになりたいと願い、そのために殺されたり、大病をわずらったりする人がいる。また、牢屋から喜び勇んで出たものの、家で下男に殺される人もいる。この問題について不幸な例はいくらでもある。この世では何を願っているのやら知るよしもない。まるで酔いどれねずみのような暮らしぶり。酔っ払いは家があるのはよく承知しているが、帰り道がわからない。そのうえ道に足をとられやすい。ところがじっさいわたしたちはこの世でそんな生き方をしているのだ。ひたすら幸せを求めはするが、ほんとうのところはほとんどが見当はずれ。

(「カンタベリー物語:騎士の話」ジェフリー・チョーサー著 繁尾久訳 グーテンベルグ21)

 

 

【おうちで過ごそう!応援企画】

すきま時間にできる、カンタン体操を動画でご紹介しています。リフレッシュにも。こちらから。

 

 

オンラインでの動画レッスン始めました。
 
≪入門編≫
立ち方、歩き方の≪基本編 ≫と、太極拳の動作の練習としてもおすすめの≪武当五行六合功編≫のセットです。詳しくは
こちら
 
≪武当太極拳編≫
武当三十六式太極拳をいくつかに分けてご紹介します。「その1」は、
第1式〜第10式です。詳しくは
こちら
 
≪立ち方編≫
地に足をつけて、自分らしく生きるための基盤を作ります。≪入門編≫の「基本編」第1講の単発講座。太極拳をしない方にも。詳しくは
こちら

 

 

【6月の特別クラス】

6月21日(日)14:00-16:30「たのしい太極扇」(池ノ上)詳細とお申込み方法はこちら

 

6月27日(土)13:00-15:00 「麗屋 弘鈴庵の 立って、歩いて、太極拳(千葉県香取市)詳細とお申込方法はこちら

 

6月28日(日)14:30-16:30「はじめての形意拳」(池ノ上)詳細とお申込方法はこちら

 

 

「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。人が集って、一緒にお茶でも飲んでなにげない話をして、ほっとする場所でもあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...

 

いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

講座のご案内は、こちらから

 


0
    コメント
    コメントする








       

    calendar

    S M T W T F S
       1234
    567891011
    12131415161718
    19202122232425
    262728293031 
    << July 2020 >>

    selected entries

    categories

    archives

    links

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM