体のコンプレックスと、争わない心

2015.06.24 Wednesday


太極拳クラスには、体が固いことを悩み事としておっしゃる方もいらっしゃいます。
体はやわらかい方が良い、ということなのでしょうが、
固いことを悪いと思ってしまうと、自分で自分を責めたり、攻撃することにも
なりかねません。

体のコンプレックスで自分を責めることは、自分と争うことでもあると思っています。

太極拳をする上でわたしが大切にしているのは、”争わない心”です。
武術の武は”戈を止める”と書くように、武術である太極拳は、戦いを止めるためのものです。
戦いが起きてしまった場合、自分の力は最小限にして(たくさん使うと疲労するからです)、外に出る力が
最大になるような体の使い方をして、相手の軸を崩して戦意を失わせます。
一番良いのは、戦いを起こさないことです。相手に戦意を持たせないこと。
そのためには、自分がリラックスして穏やかでいることが大切です。

イライラしている人を見ると、イライラしたりすること、ありませんか?
びくびくしている人を見ても、そのおびえが伝染する経験、ありませんか?
どちらも相手からの攻撃対象になりかねません。
逆に、赤ちゃんのようにやわらかく平和な存在は、攻撃する気持ちを起こさせないと思っています。

他人への攻撃は比較的わかりやすいですが、自分への攻撃は、気づきにくい場合もあります。
「こんなわたしじゃだめなの」とコンプレックスを持つことは、今の自分を攻撃していることでも
あると思います。自分と争っている状態です。

わたしも、そうでした。
痒疹という皮膚疾患が出たときは、痒さで寝られないことにイライラしましたし、
皮膚のぶつぶつを「醜い」と思って、嫌っていました。
そして子供の頃からある側弯症も、ずっと大きなコンプレックスのひとつでした。
でも太極拳を始めて、あるときに、体のコンプレックスで自分で自分を嫌っていることに気づきました。
一番近いところで、わたしが嫌ったら、わたしが責めたら、誰もわたしを守ってあげられないのです。
「ごめんなさい。これからは、ぜったいにわたしがあなた(=わたし)を守るから」と
自分に約束しました。5年くらい前のことです。

体のコリ、固さ、アンバランスには、理由があります。
それは、自分の体を守るために、固くなっていたりすることもあるのです。
たとえば、立つときに、立つための筋肉が正しく使えずに不安定なままだと、
体を支えようとして、本来は緊張する必要のない筋肉が緊張します。
たとえば横隔膜です。本来、横隔膜はやわらかくしておいて、呼吸するたびに
上下運動をすることで、内臓のマッサージをしてくれます。
でも、立ち方が不安定だと、背骨を支えようとして、横隔膜をきゅっと硬くさせたりします。
そうすると、呼吸に応じてやわらかく上下することはできなくなりますし、
横隔膜を通っている静脈や動脈もきゅっとしまるために、血流も悪くなります。

体の部位にはそれぞれの役割がありますが、危機的な状況では本来の役割を捨てて、
自分を守る働きに走ります。それが、コリや固さになっている場合も多いのです。

ですから、体が固いのは、自分の体を守ろうとして、そうなっている場合も多いのです。
嫌うよりも、むしろ、ありがとう、です。

それでも、本来とは違う役割をし続けているのは、やはり困ります。
だから、いらない固さやコリはとっていく方向に進むのが良いのですが、
「コリがある」ことを悪い、というのとは違うのです。

そして前回のブログで書いたように、実は自分が思っているよりも、
自分の体はやわらかかったりするのです。
(「限界を超える: 今日のお稽古から」http://blog.minminkung-fu.com/?eid=57))

自分と争わないこと。
灯台下暗しで、ついやってしまっていることもあるので、
気づいたら、また”道”に戻る、の繰り返しです。
生きることは、完ぺきとは程遠いですが、その不完全さも良かったりします。
山の姿が美しいように、人間も、ありのままの自然な姿が美しいと思います。


(今年5月の武当山。ありのままの自然な姿が、美しい。)


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