子どものように真似をする

2020.04.20 Monday

(Photo by Xie Okajima)

 

子どもの頃、大人の真似をしませんでしたか?

 

幼い頃、母が電話をしながらメモを取っているのを見上げていたとき、鉛筆の上が、くるくると動いていました。

 

「上をくるくるしたら、文字が書けるんだ!」

 

さっそく、やってみました。「こんな感じで動いていたよねー。くるくる。」

 

もちろん、文字が現れるなんてミラクルは起きず、ものすごくがっかり。

仕方なく、「文字が書きたい」と直接、訴えることになりました。

 

お化粧するときには、いつもそばにいました。ある日、真似して、赤いサインペンで唇を塗ってみました。

 

上手に塗る技なんて持ち合わせておらず、はみ出しまくって、くわんくわんに。

 

それを発見した母は、笑いながら「口につけるのは、口に入っても大丈夫なのよ。サインペンは、だめよ。そんなにしたかったら、塗ってあげますよ。」と。お化けみたいな顔だったらしいです。

 

編み物をしている横で、濃いピンクと、クリーム色の段々が出来ていくのを見て、「何になるの?」と聞いたら、「これでハンドバッグを作りますよ。」と。

 

糸が編まれていく様子がうらやましくて、「やりたい!やりたい!」と、教えてもらって途中からやり始めました。

 

きゅっと詰まって編まれていた編み目は、そこから、ふわんふわんの3倍増しに。何かが違う......

 

こんな風に、小さな頃は、とにかくいろいろやってみます。真似も多いですが、思ったことを、思ったとおりにやってしまう勢いにあふれています。

 

真似ではないのですが、コンセントとピンセットを見比べて、「ぴったりじゃない?」と差し込んでみたことがあります。

 

バチバチッと火花が散り、驚いてピンセットを離すと、先が黒焦げになったピンセットが床に落ちました。これは違うのだと、恐ろしい思いと共に知り、「.....誰にも言ってはいけない」と、いまだに内緒です。そろそろ時効だろうと思うのですが。生きていますし。

 

うまくいかないことばかりですが、こんな風に真似してみたり、やってみる勢いは、大人になっても大切だと思っています。

 

中国の武当山に行って、師匠に教えてもらうとき、正面にいた兄弟子がじーっと、先生の様子を、穴が開くほど見ていました。

 

それを見て、たぶんわたしも同じような顔をしているのだろう、と思いました。

 

体の動き方はもちろんですが、それ以外の雰囲気とか、イメージとか、できるだけたくさん捉えたいのです。自分でお稽古するときは、そのイメージを追いながら練習します。

 

もちろん、外には見えない部分もあり、そこは言葉で説明してくださいます。内側の感覚を感じて、外の動きもイメージで再現しながら、練習します。

 

すぐにできなくても、半年後に「こんな感じ!」とか、ちょっとできるようになることもあります。だから、見るチャンスがあるときに、っかり見ておくこと、そして、そのままやろうとすることは、大切だと思っています。

 

これって、素直さだと思うのです。

 

自分勝手に解釈するのではなく、とにかくその通りに、言われたとおりに、見えたとおりにやってみることです。何をするにしても、うまくなる人というのか、進化しやすい人に共通している要素は、素直さではないでしょうか。

 

以前、気功を教えていただいた先生が、「習うときは、とにかくそのまま習う。でもそれを自分から出すときには、その人それぞれになっていていい」と話してくださったことがあります。

 

自分から出すときに、わざと自分らしさを付け加えるとか、オリジナルにするというわけではありません。技というのは、文字とか、動きとか、伝えることができるものの先に、自分の感覚で育てていくしかないものがあります。それを奥義と言うのだと思います。

 

映画の「カンフーパンダ」で、主人公のパンダのポーが、奥義が書かれた巻物を開いたときに、真っ白だったように、です。誰かに教われるものではありません。

 

しっかり習っていれば、その先を育てていくことができますし、そうなると、自然な形で、表に見える型は変わっていきます。

 

わたしはお稽古のときに、型を覚えていないことで怒ることは、ありません。覚えていないと、もじもじする生徒さんもいらっしゃいますが、「がっかりする必要はない。覚えていないなら、練習するだけだから」と言います。

 

ただし、「見ていてね」と言ったときに、自分も一緒に動きながら見ようとするときは、怒ります。二兎追うものは、一兎も得ずだからです。

 

動きながら見ると、得られる情報は、少なくなります。気がそぞろになるからです。それは、すごくもったいないことです。

 

自分の練習なんて、やる気さえあれば、あとからいくらでもできます。でも先生の動きを見る機会は、そんなにありません。

 

そのときすべきことをするのは、大切なことだと思っています。

 

それは子どもの頃のような素直さでもあります。「自分は知らないのだ」ということを忘れず、先を行く人の言うとおりにしてみること、です。

 

ただ子どもの場合は、子どもなりに納得がいかないことも多いでしょう。「なんで隣のお姉ちゃんはよくて、自分はダメなのか」とか、いろいろ理不尽なことも経験しますよね。

 

理不尽な思いをしたくなくて、大きくなるにつれて、素直さに蓋をしてしまうこともあるかもしれません。

 

でも、大人になることは、理不尽さがあれば、後からなんとかすることもできます。「やっぱり違う」と思えば、習う先生も、いる場所も、変える自由があるからです。

 

大人は、子どものような素直さを、守りとおす力や勇気を持つことができるのだと思っています。

 

こういう素直さは、今のような状況を乗り越えていくときにも、大切だと感じています。

 

春という時期は、うららかな時期で、いま、世の中で起きていることを忘れてしまう人もいるかもしれず、「ちょっとくらいは大丈夫だろう」と思ってしまうのも、無理もない話なのかもしれません。

 

でもそれは、自分が知らないことを、わかっていないだけかもしれません。

 

「このことについて、自分は知らない」とわかっていたら、まずは専門家の言うとおりにしてみるのが、素直さだと思います。

 

過度に怖がる必要はないですが、正しく怖がることは、大切です。

 

正しく怖がれば、不安が勝手に増幅するようなことも、避けやすくなるのではないでしょうか。

 

素直さは、いつでも取り戻せます。誰でも、もともと持っているものだと思うからです。

 

こんなときには、なんでも真似してみた子どもの頃のことを、思い出してみるのも、いいのかもしれません。

 

 

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「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。人が集って、一緒にお茶でも飲んでなにげない話をして、ほっとする場所でもあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

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