自分を守る、人を守る太極拳

2020.03.31 Tuesday

(三十六式武当太極拳の 第三十五式 金蛇盘柳:蛇が柳に絡みつく)Photo by Xie Okajima

 

「太極拳の目的は3つ。1は健康のため、2は自分を守るため、3は人を守るため。」というのは、武当玄武派第十五代伝人 田理陽師父のことばです。

 

2011年に中国の武当山にお稽古に行ったとき、激しい雨が降っていた日、「こんな日はお稽古には向かないから、話をしよう」と、

 

みんなを集めて「日々の生活はどうだ、食事はどうだ、困っていることはないか」と、ニコニコしながら、いろいろ聞いてくださいました。

 

この方の、こういうところが好きで、敬愛しています。

 

太極拳をすることは特別ではなく、日常で活きるものだと思っています。

 

武当山にいると、「生活すべてが、太極。」と、笑いながら言うこともあります。中華まんの皮をこねるときも「太極」、手で洗濯をするときも「太極」。道を歩いているとき、突然横から押されて、ふらつくと「違うでしょ。太極だよ。」

 

太極拳は、狭い意味では套路という型をすることになりますが、広い意味では、そしてわたしにとっては、自分の人生を生きることです。

 

冒頭にあげた3つの目的は、言葉としては単純ですが、その意味を、ずっと考え続けています。

 

頭で考えるのではなく、言葉を心に置いて、自分の経験を通して、感じていくことを繰り返しています。言葉は、そうやって育てながら、自分のものにしていくのだと思います。

 

さて、その3つのうち、いま、わたしがアツいのは、2の”自分を守るため”です。これがあれば、1の健康は促進されますし、3の人を守ることもできるからです。

 

教えるときに、いちばん願っていることも、自分で自分を守れる人になってほしい、ということです。

 

人は、ひとりでは生きていけません。たくさんの人の助けがあって、今の自分が成り立っているに違いなく、そのことを覚えている限り書きだしてみたら、とてつもない分量になりそうです。(家にいる時間が長い今だからこそ、やってみてもいいですよね。)

 

そもそも、地球がなければ立っていることもできないですし、他の生物がなければ、食べることもできません。

 

そのありがたさを思うと、守られているばかりで、自分はなんと、ちっぽけな存在なのだろうと感じますが、

 

その一方で、自分を守ることができるのは、自分しかいないと思っています。

 

体に不調があるとき、病院に行ったり、整体や東洋医学の専門家にかかったりしますよね。すべてをひとりで抱えないのは、大事なことです。

 

でも本当に大切なのは、自分で問題を把握して、外から手が加わったときの変化を肯定的に受け入れられるかだと思うのです。

 

たとえば、先日の「からだの痛みは、自分を守るためかもしれない」にも書いたのですが、痛みは自分の体を守ろうとする防衛本能からきていると思っています。

 

体は今にしか反応できません。今の自分を守るために、かため続けるとどうなるのか、予測することはできません。かため続けた結果、痛みとして現れたときに、「ここ、痛いの」と訴えてきます。

 

専門家の助けを借りて痛みを取り除こうとするとき、誰でも頭では「痛いのがなくなればいいな」と思うでしょう。

 

でも「ここをかためていないと、守れない。」と反応している体にとっては、急に緩められてしまうと、「まずい!もっと守りをかためなくては!」と、さらにかためてくることも、ありえます。その結果、専門家のところに定期的に通うことになりかねません。

 

人の助けを借りるのはいいですが、人任せは、ダメです。

 

負のスパイラルに入らないようにするためには、外からの助けで緩められたときに、「この硬さは、いらないよね」と、体が理解して安心することが必要だと思っています。

 

それが「わかる」のは、自分の感覚です。

 

感覚は、育てていかないと、働きません。

 

太極拳は、その感覚を育てていくものです。

 

繰り返すことで、馴れて、出来るようになるのではなく、瞬間に対応できる力をつけていくものです。つまり、瞬間芸です。

 

太極とは、陰陽の調和です。もともとはひとつ(太極)のものが、この世に現れるときには、陰と陽という質が異なりお互いに補完し合う要素に分解されます。

 

天と地、男と女、昼と夜、動と静、のように、です。

 

分かれた途端、バラバラに動かしてしまうことも、アンバランスになることもありますが、本来は調和がとれていることを信じて、そこに還っていく道を、体で学ぶのが、太極拳です。

 

陰と陽の調和がとれた体は、たとえるなら、風船がぷっくり膨れた状態です。内も充実しているし、外に広がる力もあります。緩んでいますが、表面はぱつっと緊張しています。これが”放松(ファンソン)”と呼ぶ状態です。

 

バラバラに動いたり、アンバランスのイメージは、大道芸人が風船でプードルを作るみたいなものです。ねじりがないときは、すべてがつながっていますが、ねじっていくと、頭としっぽは、もう、つながっていません。

 

プードル状態は、全身で生きていません。全身の巡りは悪くなりますし、健康にもよくありません。

 

このねじりがあるところが無駄な緊張なのですが、ほとんどの人が、それに気づきません。こんなに小さな体なのに、全身ではなく、部分だけで生きようとしています。勇気ある挑戦とも言えますが、無謀なチャレンジです。

 

プードルは、風船から見たら、弱点だらけです。ねじれの箇所を追い詰めていけば、簡単に倒れるでしょう。

 

太極拳に型(套路)があるのは、ねじりに気づくためでもあります。

 

まずは、ねじりに違和感を感じられるようになることですが、誰もがそのときのベストを生きているので、自分の枠にとどまっている限りは、感じられるようになりません。

 

その手助けをしてくれるのが型であり、他人(先生や先を行く人)です。

 

違和感を感じられるようにするために、ねじりがない状態を、あの手、この手でいろいろ体感してもらって、比べられるようにしていきます。

 

ねじりを生み出すのは、そこに至るまでにプロセスです。「こうやって、こうやるとねじれて、こうやって、こうやるとねじれない」みたいなことを、丁寧に体験していきます。

 

この型のプロセスをこまかく分解できるかどうかは、先生のスキルだと思っています。こまかく分解できて、それを伝えれば、誰でもできるようになります。

 

人にとって、いちばん自然で無理のない動きですから、正しい方法でやっていけば、できない人は、いないはずです。

 

最初は指示という助けが必要ですが、繰り返すことで、自分で組み立てられるようになります。

 

これは、必ず自分の力になります。感覚も、育ちます。

 

無駄な緊張があるときは、全身で生きておらず、本来の、まるごとの、その人ではありません。”自分がない”状態だと、人に流されやすくなりますし、情報にも翻弄されてしまうかもしれません。何かを決断しても、あとで後悔するかもしれません。

 

今のように不安もあり、ストレスもたまりやすい状況で、自分を守るのは、自分です。

 

不安になるのが悪いのではなく、「怖いのだ」と気づいたり、状況に振り回されているときに、そんな自分に気づいたり、まずは気づくことです。

 

ちょうど、ねじれの違和感を感じるように、です。

 

そのまま不安の中にいる選択もできます。振り回され続けることも、できます。でも、ゼロベースの自分に戻す選択も、できるはずです。

 

これはわたしの経験ですが、そうやって選んだことは、どういう結果になっても、「あのとき、ああすれば」という後悔には、なりにくいのです。

 

そんな力が育っていくのを見るとき、そこから起きたことを話してもらうときは、うれしくて泣けます。

 

そして、「その話は、周りの人にも話してあげるといいよ」と伝えることもあります。

 

太極拳っていいんだよ、という話ではなく、無理だと思っていたことができたとか、いつもと違った行動がとれたとか、イライラが落ち着いた、とか、自分は疲れやすいと思っていたけれど無駄なことをしすぎていると気づいたとか、

 

そういう話は、ほかの人の希望になるからです。

 

体験という、自分の内から出る言葉には、力があります。自分を救うだけではなく、他人を救うきっかけにもなります。

 

それが、自分を守ること、人を守ることでもあります。

 

もちろん、もっと物理的に、倒れかかってくる人の巻き添えにならず、自分はしっかり立って、その人も支えられるという面での、自分を守る、人を守るも、ありますし、

 

売られたケンカを買わず、相手のやる気をそらすことで、自分も人も守ることもあります。

 

そういう、いろんな体験をしていくことで、自分を守って、自分の人生を生きられるようになる、と信じています。

 

お稽古してくださるみなさんには、いつも、本当にありがとう。

 

わたしにできることは伝えるだけで、直接何かをしたり、変わってあげることはできません。みんなが取り組んでくれるから、育つものがあります。

 

それは、わたしの希望でもあります。それに救われているのは、わたしだけではないはずです。

 

そしてブログを読んでくださる方にも、わたしの内から出てくる言葉で、何か触発されたり、何か動きはじめることがあったら、ものすごくうれしいです。読んでくださって、ありがとうございます。

 

がんばろうね。

 

 

「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。人が集って、一緒にお茶でも飲んでなにげない話をして、ほっとする場所でもあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...

 

いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

講座のご案内は、こちらから


コメント
コメントする








   

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< May 2020 >>

selected entries

categories

archives

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM