写真が写すもの

2020.01.31 Friday

 

 

先日、友人でカメラマンのおかじま しえさんに、久々に写真を撮ってもらいました。

 

彼女との出会いは2014年、とあるワークショップでした。

 

そのころは、まだプロではなく、「これから写真を撮っていこう」という時期だったと思います。印象は「撮るタイミングが、ユニークだな。」でした。

 

パシャパシャ撮っていたかと思うと、ずーっと何も撮らないときもあるのです。それまで記録写真を撮る人といえば、「ここ、撮るでしょ。」みたいなタイミングを外さない、と思っていたのですが、彼女の場合は、ちょっと独特な感じがしました。

 

感性で撮る人だな、と思いました。

 

そのときのわたしの印象を、後から彼女が話してくれました。

 

参加者が輪になって、自己紹介をしていく最初の時間で、「みんな、ぐるっと見回すとき、カメラを構えているわたしはスルーするのだけれども、あなただけはレンズ越しに見てきた。」

 

と言って、証拠写真を見せてくれました。「ね、見てるでしょ?」

 

そんな出会いでした。

 

それから間もなくして、ホームページを立ち上げて、太極拳のクラスを開こうと思ったとき、そのための写真をお願いしたのが、彼女でした。

 

何もないゼロから始めるって、大変なのです。思いだけはあっても、それを形にする材料や、見せる場所の準備も必要です。

 

「どうしよう」と思ったときに、それを助けてくれる人に出会えるのは、不思議でもあり、ありがたいことです。

 

お願いしたときは、まだお互いのことをほとんど知らず、写真を撮ってもらいながら、ぼそぼそといろんな話をして知り合っていった気がします。

 

以来、わたしがお願いしたり、「ここで撮ってみたいから」とお願いしてもらったり、何度か機会がありました。その間、彼女はプロのカメラマンさんのもとで修行も積んで、今は独立して活動するようになりました。

 

2015年の春に撮ってもらったとき、わたしは最初に「今日は、撮られることを意識しない」と宣言しました。

 

写真撮るときって、構えがちになりませんか?撮られること、映る自分を意識してしまったり。

 

でもわたしは、どんなときでも、そのまま、ありのままでいたいのです。

 

飾ることもなく、素直なありのままであることは、教えるときも、こうやって書いているときも、写真を撮られるときも、同じく大切です。

 

今は、そんなこと、いちいち宣言ししたりしませんが、あの頃は、それを言葉に出すことが大切だったようです。

 

(2015年の写真)

 

彼女が撮ってくれた写真は、

わたしが自分を外に向けて表現しようと思い始めたとき、

表現するときに、ありのままで堂々と存在したいと願いはじめたとき、

そして、それからのわたしの記録でもあります。

 

今回は、名古屋に住んでいる彼女が東京に来たタイミングで、3年ぶりに撮ってもらいました。

 

最初に東京に来ると聞いたときは、「ないな」と思っていました。野外で撮影してほしいわたしにとって、冬は最も適さない季節です。もこもこ着込んだ写真は、使える季節が限定されてしまうからです。

 

でもちょっとしてから、「撮ってもらおう」と、思い立ちました。寒さ対策は、どうにかしよう、と。

 

当日は風の強い日でしたが、そこそこ暖かく、鼻が少し赤くなるくらいでした。(運は、ある。)

 

カンフーをしている写真と、普通の服の写真と、両方撮ってもらったのですが、カンフーの写真は、「動いているところを、適当に撮って」とお願いしました。

 

美しく撮るなら、ポーズを取って撮ってもらう方が、いい写真が撮れます。実際、動きが早いものは、いくつかポーズを切り取って、撮ってもらったものもあります。

 

そういう場合、不自然にならないように、前の動きから続けてやるなど、流れの中で作るのですが、やはり自分の入り込み方が違うのかもしれません。

 

撮ってもらった写真を見て、「動いている中で撮ってもらった方が、好きだな」と思いました。

 

他の人が見たときには、中途半端に見えるかもしれませんが、自分が見たときには、動きながら撮ってもらう写真は、流れがあって、すべてが調和している感じなのです。美しい、と思えました。

 

カンフーって、そういうもの、太極拳って、そういうものです。

 

それが、うれしかったです。

 

(武当丹剣)

 

(武当形意拳)

 

そして、普通の服で撮ってもらった写真を見たときに、「ずいぶん自由になったな」と思いました。

 

こちらは、套路(カンフーの一連の型)がない分、もっと自由に動けます。もちろん「ここに座って」とか「こっち見て」とか、アドバイスもしてくれるので、それに合わせたりもしますが、指示で動くというより、一緒につくっていくような感じでした。

 

すごく楽しかったです。

 

 

わたしが大切にしたいのは、自然と調和して生きていくことです。

 

木という存在とわたしは同一で、誰が主役というのはありません。

 

だから、それがそのまま現れたような写真を見ると、とってもうれしいのです。

 

その場で手に取った葉っぱや小枝、そして剣を尊重した写真を撮ってもらえたことも、うれしかったです。そうなの、それが、そういう風に大切なの、という思いが伝わったような気がしました。

 

 

彼女は、今も感性を大切にして、シャッターを切っているように感じます。

 

そういうところは、わたしが太極拳をするときにも似ています。撮り終わった後、「入り込むと、ことばは出てこなくなるのだけれど、撮っているとき(わたしは教えているとき)は、言葉も話すから、大変なことになっている」という話を、笑いながらしたりしました。

 

感性が深くなっていくとき、言語をつかさどる機能は、お休みになっていく気がします。

 

でも、感じたことを言葉で伝える必要があるから、言葉という機能も同時に働かせます。それが苦痛ではないから、彼女はカメラマンができるし、わたしは教えていられるのだと思いますが、イメージだと2人分を同時にやるみたいな、おかしな感じになってきます。

 

やっていること、表現方法が違っても、根っこのところでつながっているところもあります。それは、うれしいし、勇気をもらえるし、励まされます。

 

 

久々に会うことになったとき、メッセージで「最近は元気なの?」と聞かれました。

 

「元気?」「元気だよ」というのは、たぶんそれほど思い入れはなく、ふつうの挨拶ことばなのだと思うのですが、

 

彼女に聞かれると、軽くこたえられなくなります。「はて、わたしは元気なのだろうか。」なんて、ちょっと自問自答してしまいました。頭ではなく、心に手を当てて感じてみる、みたいな感じです。

 

撮りながら、「みんみんは、元気だね」と言ってくれて、そして、わたしも彼女が元気なこと、しあわせなことを感じられて、それもうれしかったです。

 

いろいろ、あれこれ、ありがとう。

 

 

※おかじましえさんのブログはこちらから。撮影メニューも、こちらからご覧いただけます。

 

 

 

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「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

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