アメリカ・インディアンの教えと、タオと、カンフーとわたし

2020.01.26 Sunday

(武当山 南岩)

 

カンフーには、武器を使うものがあります。

 

剣とか、扇とか、刀とか、槍とか。

 

扇は美しく見えますが、骨の部分が1本ずつ剣になっていて、立派な武器なのです。(実際に使うものは、竹ですが。)

 

わたしは剣と扇を使います。どの套路(一連の型)にも、ここで刺すとか、ここで横切りにするとか、そういう動作があります。

 

武器を使うものは好きなのですが、自分の中にそういう闘争心があるようには思えないのに、どうしてなのだろうかと、ぼんやり思っていました。

 

 

昔から競争には興味がなく、自分がしたいことができればいい、と思う方でした。(ただし、したいことが制限された場合は、猛烈に反発します。そういうところに行ってはいけない、ということですけれどもね。)

 

太極拳は、もともと武術ですが、武術の武は ”戈を止める”と書くように、争いを止めるためのものです。争いが起きないことが一番で、自分から攻撃したり、鎧を着て備えたりすることなく、ほわほわ弱そうに見えるくらいで、ちょうどいい感じです。

 

日常では、大なり小なり、人との衝突があります。そんな衝突を超えて、誰の命も失わずに、調和を図っていくための技が太極拳だと思っています。

 

でも武器を使う場合、刺すとか、切るとかするわけですから、争いを止めるというレベルを超えている気もしますよね。

 

実際に武器を使うとき、闘争心がメラメラと沸き起こるようなことはありません。むしろ逆です。

 

武器は、自分の心を映します。

 

たとえば心が荒れていると、剣の動きはバサバサします。武器は素直なので、扱っている人の心がそのまま表れます。

 

力で振り回そうとすると、剣は暴走して、手に負えなくなります。そうではなく、剣と自分のつながりを感じ、さらに剣の重さを命の重さとして尊重しながら一緒に動くことで、一体感が生まれて、剣はスーッときれいな軌道を描いて動き始めます。

 

剣の練習は、心の修練のようなものです。

 

お稽古しているときは思わないのですが、離れたときにふと、「それでもやっぱり、刺すとか切るなんだよね」が気になります。

 

そのぼんやりしていたものが、少しわかった気がしたのは、先日「虹の戦士」を久々に読んだときでした。

 

アメリカ・インディアンに古くから伝わる言い伝えのお話です。

 

地球が病んで

動物たちが 姿を

消し始めるとき

まさにそのとき

みんなを救うために

虹の戦士たちが

あらわれる。

 

いま、まさに、じゃないかしらね。

 

お話は、山奥に暮らすインディアンのひいおばあちゃんのもとにやってきたひ孫のジムが、「なぜ天の偉大なる曽祖父は白人たちがこの大地を奪い去っていくことを許したのか」と質問をすることから始まります。

 

少年に希望の光を感じたひいおばあちゃんは、ジムに様々な課題を出します。

 

少年は、自然の中を動物が飛び跳ねるように走りまわるうちに、すっかりたくましい体になり、野生動物のいる、恐ろしい闇の野山を進む中で、動物たちは彼を傷つけたりはしない兄弟なのだと、恐怖に打ち勝つことを覚えます。

 

そして、ひいおばあちゃんは少年に弓を作るように言います。

 

インディアの作る弓には魂がある。弓は、お前の手のなかで生命を取り戻すのだ。だから、弓を造るときには、愛と尊敬をもって細部までていねいにつくらなくてはならない。(中略)お前の中にあるスピリットの力を弓にこめるのだ。」

 

そして、苦労して作り上げた弓で、鹿をしとめたとき、過去に人間によって傷つけられ、罠にかけられてきた動物たちの痛み知り、なぜ昔のインディアンが必要な場合以外は生き物を殺さなかったのかを理解します。

 

ひいおばあちゃんの答えは、

「彼ら(白人たち)はここへ、この地へやってくる必要があったのだ。彼らはここで、ほかの人種の者のことを学び、彼らと共にこの地で生きることを学ぶために、ここへ送られた。(中略)インディアンが昔のスピリットを取り戻したあかつきには、インディアンは白人たちに、互いに愛しあうとはほんとうにどういうことか、あらゆる人間を愛するとはどういうことかを、今度は教えることになるだろう。」

 

アメリカ・インディアンが大切にしてきたものは、自然と調和した感覚であり、それと共に生きることです。

 

それはタオの教えにもつながります。

 

太極拳にはさまざまな流派があるため、すべてがそうなのかは知りませんが、武当山で伝えられてきた武当太極拳は、自然との調和、ともに生きることを、大切にしています。

 

都会に住む少年ジムが、野山を駆け回って、しっかりした体を作ったように、わたしたちは鍛錬で、すこやかな体をつくります。

 

心静かにしていくことで、敵を作り出してしまう恐怖の幻想や、思い込みに気づいていきます。

 

そして、自分が本当に求めているものを思い出していきます。

 

ジムが弓にスピリットをこめたように、わたしたちは、スピリットを込めて武器を扱います。

 

武器は、人や動物など他の存在を無駄に傷つける力もありますが、本来そういうものではなく、インディアンの暮らしに必要だったように、生きていくために必要なものです。それを扱えることは、大切なことです。

 

扱うとはいっても、カンフーの場合は”疑似体験”でしかありませんけれどね。それでもカンフーをやっていなかったら、剣を扱うことなんて、なかったですものね。

 

わたしたちは、ジムと同じような道を進んでいる気がします。

 

インディアンの教えは、環境の問題で語られることも多いですが、そこに限った話ではありません。

 

あとがきでは、「癒し」とは、自己と、社会(共同体)と、地球の三者がひとつになっていることを理解し確信したうえでもたらされるもので、自分を癒すことが直接的に社会や地球そのものを癒すことにつながっていることを知らなくてはならない(抜粋)とあります。

 

地球のためにできることは、いろいろです。無駄にゴミを出さない、無駄なものを使わない、というように、日常で心掛けられることもたくさんありますが、

 

わたしの中では、しあわせに生きることが地球にできる最大のことだと思っていて、そのための手段としてカンフーを選んでいるのと思っています。

 

自分の中をきれいに巡らせるとき、自分だけではなく天地まで巡らせるのも、そのひとつです。武器は、わたしの心、スピリット、そのものです。

 

自然と繋がって大切なものを思い出したとき、それを守るために、実現するために、自ら行動を起こします。お稽古とは、お稽古で完結するものではなく、その先につながるものです。

 

小さな力のないわたしではありますが、大きなものの力を借りながら、感覚から浮かんできたことを、実現していこうと思っています。

 

武当玄武派第十五代伝人 田理陽師父の武館には、下記のようなものがあります。

 

 

意味は、武当の技は、もともとは道(道教の教え)を伝えるために武術になったが、今は、武術が道を教えてくれる。そうすれば世界は平和になる、です。

 

心のささえにしている ことば のひとつです。

 

 

※出典:「虹の戦士 Warriors of the Rainbow」翻案 北山耕平 太田出版(文中青字は、本からの抜粋です)

 

 

【2月の特別クラス】

2月2日(日)13:00-15:00 「麗屋 弘鈴庵の 立って、歩いて、太極拳(千葉県香取市)詳細とお申込方法はこちら

 

2月 8日(土)14:00-16:30  「やさしい站椿功」(池尻大橋)詳細とお申込み方法はこちら

 

2月 9日(日)14:30-16:30「はじめての形意拳」(池尻大橋)詳細とお申込方法はこちら

 

2月16日(日)14:00-16:30「たのしい太極扇」(自由が丘)詳細とお申込み方法はこちら

 

2月23日(日)14:00-16:30 「ホントにはじめての武当太極拳・気功(池尻大橋)詳細とお申込方法はこちら

 

 

「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...

 

いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

講座のご案内は、こちらから

 


コメント
コメントする








   

calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
<< February 2020 >>

selected entries

categories

archives

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM