トイレのかみさま

2020.01.24 Friday

(2018年12月 和歌山 千畳敷)

 

トイレって、不思議な場所じゃありませんか?

 

人によっては、本やマンガを持ちこんで読むとか、トイレにいるときにアイディアが浮かぶ、と言いますしね。(わたしは、ありませんが。)

 

「トイレの神様」という歌もあります。歌詞に、トイレにはきれいな女神様がいて、きれいにするとべっぴんさんになれるんだよ、とおばあちゃんが言ったと、ありますよね。

 

そのとおり、なんとなくここは、どこかにつながっているような気がします。

 

小さなころ、たぶん3歳とか4歳のころ、トイレに入ると、不思議な感覚がやってくることがありました。

 

「これが、わたし?」

 

体=自分、という感覚が、なじまないのです。

 

それがやってくるのは、いつも同じトイレ、家の1階にあったところでした。ぼんやり宙を見上げながら、なんだか違うような、でもそうなんだよねきっと、でもね、という不思議な感覚でした。

 

出ると、忘れてしまうのですけれどもね。

 

そのうちに、そんなことは起きなくなりましたが、あの不思議な感覚だけは、ずっと記憶に残っています。

 

おとなになって、その話をしたときに、「魂の記憶があったからじゃないの?」と言われました。

 

時間も空間もなく、とっても自由だった魂が、生まれるときに体に入り、なんだかその狭さになじめていない、みたいな感覚でしょうか。

 

ちょっと話は変わりますが、なぜ人は体を動かすとすっきりするのか、聞いたことがあります。

 

魂という存在は、とても振動数が高いのですが、生まれるとき、つまり人の体に入るときには、その振動数を低く落として入るのだそうです。

 

だから、その体がさらに動かないと、文字通り「落ち込んでいく」のだそうです。それはその人の、気持ちの落ち込みになります。

 

そんなときは、器の体ごと動かしてしまえば、振動数が上がってきて、落ち込みから抜けられるのだとか。

 

証明できる話ではありませんが、それを聞いたときに、なぜ自分が動きたいのか、そしてときどきは速く動きたいのか、腑に落ちた気がしました。

 

本来の振動数を、取り戻したいのかもしれませんよね。

 

 

その一方で、わたしはこの世界で体をもって生きることを、愛しています。

 

体は素直なので、それが教えてくれることはたくさんあります。

 

本能というのか、魂というのか、そういうものにあっているものとあっていないものも、体が教えてくれます。ここが入口みたいな感じです。

 

でも、体の声を聞けない時期も、ありました。

 

人前で話すとき、だんだんと酸欠状態になってくるのを、「それくらい、いっしょうけんめいに話している」と思っていたり、

 

ときどきじんましんや湿疹が出るのを、「そういう体質だから」「嫌ね(きれいではないので)」と思っていたり、

 

肩こりも、「慢性だから」と思っていたり、です。

 

ばか、ですよね。

 

酸欠状態になる話をしたら、友人がひとこと、「でもさあ、それってだめじゃない?」...はっ...その通りです。

 

じんましんや湿疹については、皮膚科の先生が「あなたは赤信号でも渡ろうとしている。赤は、止まるでしょ」と指摘されたり。そのころは、進むことしか考えていなくて、休むなんてサボっていると思っていたのです。

 

肩こりは、中国の武当山に行っているとき、「あなたは、自分が背負える以上のものを背負おうとしている。」...え?そうなの?

 

うまくできていて、ちゃんと「それは違うよ」と言ってくれる人が、現れるわけです。

 

わたしは、自分が何をしたいのかわからなってきたころにカンフーに出会い、それを続けていくことで、だんだんと体の声を聞けるようになってきたのですが、

 

人それぞれ、体の声を聞けるようになる入口があるのではないかしらね。

 

さて、体を大切にするようになると、外にも広がるようになります。先日書いた「大きいものに、ゆだねてみる」というブログは、そんな話を書きました。

 

站椿功をすると、「世界がどんどん広がっていって、それまで悩んでいたことが、取るに足らないことに感じられるよ」というのは、わたしの先生(武当玄武派第十六代伝人 明月師父)のことばですが、

 

ほんとうに、そのとおりです。

 

無理せず、我慢もなく、なかったことにすることもなく、「ま、いいや」と思えるのです。

 

わたしがカンフーをするのは、体を感じて、すこやかな体を育てるためでもありますが、こんな感覚から離れたくないからでもある気がします。

 

そこは、いろいろと、居心地がいいのです。

 

小さなころ、トイレで感じた不思議な感覚を、

 

今は、実感と安心感をもって、感じているのかもしれないな、と思います。

 

そんなトイレですから、キレイにしておかないと、ですよね。

 

幸いなことに、わたしは女子高のときに、厳しくお掃除をしつけられました。通称「掃除不養成所」です。

 

忘れもしない中学1年生、はじめてのトイレ掃除当番の日、「トイレの便器は、素手で雑巾で、中まで洗います!」という先生の言葉に、ひょえーっと縮み上がり、

 

「トイレの床にパンを落としても食べられるくらい、きれいにします」という言葉にも、「ありえなーい」と思い、

 

「タイルのめじが、白くなるまで乾拭きします」という言葉にも、「それって、どだい無理な話じゃ...」と思い、

 

あの頃はどうやってサボるかばかり考えていましたが(ばれるので、サボれたことはありませんでした)、

 

今となっては、あの頃に教えてもらったことを、自然にやっています。

 

当時も女子高でトイレ掃除をさせるのは珍しい方でしたし、今はますますそうなのかもしれませんが、

 

させた方がいいと思います。

 

だって、トイレには神さまがいるかもしれませんしね。

 

 

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「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

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