共感性の強い人のトリセツ

2020.01.17 Friday

(2018年12月 高野山)

 

うたが好きです。

 

家にいると、わけのわからないうた(自作)を、よくうたいます。

 

ときどき大きな声で、がーんっとうたいたい衝動にかられます。カラオケではなく、マイクなし、アカペラで。

 

思いついたら行動あるのみ。”たまうた”というワークショップをしている友人に「たまうた、やりたーい」と連絡して、日程を設定してもらいました。

 

”たまうた”とは、魂と繋がる歌の唄い方 です。うまくとか、きれいに、ではなく、魂でうたいます。

 

ちょうど1年前に参加したときは、「しこを踏みながら歌って」とか、「腰をねっとり回しながら歌って」というように、ファシリテートしてくれる人のセンスでアドバイスしてくれます。そのうち声が変わってきて、「これがわたしの声なんだ」という声がでてきます。

 

音程がはずれようが、下手だろうが、魂からの声は、いいです。

 

年末の紅白歌合戦で、ビートたけしさんが歌ったときみたいな感じです。あれ、しみじみ、ほんとうに良かったなあ。

 

曲を2〜3曲選ぶのですが、ひとつは、中島美嘉さんのORIONにしよう、と思い、久々に聞いてみました。

 

ぽろぽろ泣けます。

 

こういうのって、共感性というのでしょうか。

 

人によって、この人はこれが強い、というのがありますよね。全部の要素が均一だったら丸いボールになるところを、強いもの、どうでもいいもの、弱いもの、とかいろいろあって、ぼこぼこ と、いびつな形になります。

 

いびつさが大きい人、あんまり大きくない人というのもあるかもしれませんが、どの形がいい、というのではなく、それぞれよくて、それが個性でもあると思っています。

 

なんとなく、みんながその ぼこぼこ の いびつなままでいると、世界全体になったときに、ぴたっときれいな丸になるような気がします。だから、ぼこぼこを、きれいにならさなくてもいいのだと思っています。

 

小さいころとか若いころは、そのいびつさに耐えられなかったり、耐えられずに削ろうとすることもあるかもしれませんが、おとなになることは、ぼこぼこ のまま生きていけるようになることだ、なんて思います。

 

それは素直なこどもの心を失わないことと、同じような気もします。

 

さて、わたしの ぼこぼこ のうち、強いひとつが共感性です。

 

映画やドラマを観ては泣き、人の話を聞いては泣き、いわゆる「もらい泣き」も、かなりします。

 

ストーリーや他人の状況、気持ちに共感するだけではなく、その場の雰囲気にも共感しがちです。

 

「空気を読む」と言いますが、あれはちょっぴりタイムラグがある気がして、それよりもただ感じるだけで、まだ行動に移る前のことです。

 

ワークショップに参加しているとき、何度か、何人かから「自分が『!』と思ったとき、あなたの顔を見て確信する」と言われたことがあります。感じたことは、自分が頭で理解する前に、顔に現れます。

 

顔に出るのは、正直とも言えますが、やっかいでもあります。「それは違うかな」と思ったことが、全部ばれてしまうというのは、面倒です。否定したいわけでもなく、すべて口に出したいわけでもないのに、顔が先に言ってしまうのは、自分のことながら、ほんとうにやめてほしい、と思ったこともあります。

 

共感性も、やっかいです。

 

共感性が、そこそこ強いと感じている人がわかっておいたほうがいいことは、人の感情を自分のもののように感じてしまう、という点です。

 

つまり、どれが自分ので、どれが他人のか、区別できていません。それこそ共感性の強みでもありますが、困ったところでもあります。

 

ワークショップで「あなたの顔を見て確認する」といった人のひとりは、わたしと同じく共感性が強いタイプで、「それは、大事にしたらいい。でも、やりすぎるとくたびれるから、気をつけるんだよ」と言ってくれました。

 

人の感情を自分のものだと感じてしまうと、その瞬間、ふたり分を生きているみたいになってしまいます。自分ではない人に入り込みすぎることも、エネルギーを必要とします。

 

へとへとです。

 

そして、自分を見失いがちにもなります。

 

でも、もともと区別がついていないものを、どうやって気をつけるのか、と思いますよね。

 

映画を観ていて、ぐっと涙が出てきそうなとき、「これはわたしの話じゃないから」と言ってみたことがあります。すると、ぴたっと止まりました。まんがみたいですよね。

 

それと、ストーリーを楽しむこととは、別ものです。その涙が止まって、自分のことじゃないと区別できたほうが、ストーリーがちゃんと入ってくるような気もします。

 

泣くことは、必ず浄化になります。

 

でも、あまりに自由に泣くと、「先に泣かれると、自分はもう泣けない」とか、「泣かせたくないから、言いたいことが言えない」というように、他人に遠慮させてしまうことも起きます。

 

こんな風に、他の人に遠慮させてしまう泣き方は、自分が心から(魂から)泣いているのとは違うのかな、と思ったりします。

 

最近は、このあたりの区別に長けてきたので(なんでも練習してみるものです)、だいぶ楽になりました。泣くことで、他人を遠慮させてしまうことも、ないように感じます(と思っているだけかもしれませんが。)

 

もちろん、人の話に共感するとき、その人の要素と、自分の中にある要素とか重なって、自分も泣いてしまうこともあります。それは、いいのではないかしらね。

 

先日、「強くなりたい」というブログを書いたときに、站椿功をしながら、「ぜったいあきらめたくない」という思いがお腹から浮かんできた、と書きました。そのときは、腕を下すことをあきらめたくない、生きることをあきらめたくない、だと思ったのですが、

 

あのとき、バックに流れていたのは、中村天平さんの「オルレアンの軌跡」*という曲でした。(*「Visions」というアルバムに収録されています。)

 

...すると、あれは、もしかしたらジャンヌ・ダルクの声だったのかしら、とも思います。

 

同じ曲を聞いても、いつも同じ思いがわくわけではないですし、あれはあのときだけです。なんだかいろんなタイミングがぴったり合ったのかしらね。

 

そんなことも、あります。

 

人は、ひとりで生きているわけではないですし、この世界を超えて、何かとつながることだって、きっとありますしね。

 

そして、泣き顔は隠すのではなく、世界に見せるのですよ、堂々と。

 

”泣いたのは僕だった。

弱さを見せないことが そう

強い訳じゃないって君が

言っていたからだよ I believe ”

(ORIONから)

 

※わたしが参加する たまうた のワークショップのご案内は、こちら。(2月24日(月・振替休日)の午後 お台場です。

 

 

【1月の 特別クラス】

1月18日(土)14:00-16:00  「じんわり温まる温灸メガネを作りましょう」 (自由が丘)詳細とお申込み方法はこちら

 

1月19日(日)14:00-16:30「たのしい太極扇」(池ノ上)詳細とお申込み方法はこちら

 

1月25日(土)14:00-16:30  「やさしい站椿功」(池尻大橋)詳細とお申込み方法はこちら


1月26日(土)14:00-16:30 「ホントにはじめての武当太極拳・気功(九品仏/自由が丘)詳細とお申込方法はこちら

 

 

「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

講座のご案内は、こちらから

 


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