わたしにとっての太極拳

2020.01.15 Wednesday

 

「わたしにとって太極拳とは、わたしの人生を生きることです」

 

と書いたのは、ホームページを開設したときです。その思いは、今でも変わっていません。

 

お稽古に行く中国の武当山で一緒にになる兄弟子が、「毎日のすべてが太極だ」と言っていたことがあります。

 

そのときに例に出ていたのは、チャーハンを作るとき、手で洗濯するとき、です。「でもやりすぎて、ほら、穴が開いちゃった」というオチがついていましたが。

 

笑い話になるくらい軽く話していますが、冗談ではなく、本当にそう思っています。だからこそ、軽く話すのだと思うのですけどね。

 

こういうものを、「これに出会うために生まれてきた」と言ったりしますよね。「これがない人生は考えられない」とも言います。

 

わたしの場合も、今となっては、これがない人生はない、と感じます。

 

太極拳とは、中国に伝わる”太極”という思想が背景になっています。太極とは、簡単に言うなら、ひとつの大きな源、すべての根源です。

 

太極から陰陽が生まれ、そこから万物が生まれる、というのは、紀元前「易(易とは、太陽(日)と月が合わさった漢字で、変化を表しています)」にも表れています。(『易経』は周時代(紀元前 1050〜722 ごろ)の初期に作られたため、周易とも呼ばれます。)

 

易の考え方は、太極が両義(陰陽)を生み、陰陽は四象(老陽、少陽、老陰、少陰:四季と同じです)を生み、四象は八卦を生じ、八卦は吉凶を定めるというもので、戦術占いとして使われてきました。

 

八卦は、次のようになります。上段の要素に、下の文字があてはめられています。

☰(乾) ☱(兌) ☲(離) ☳(震) ☴(巽) ☵(坎) ☶(艮) ☷(坤)

 

易の占いは、上下の象で見ます。たとえば、下が天、上が火、と出たら、天に太陽がさんさんと輝いていて、幸先が良い感じです。

 

面白いのは、下が地、上が天と出た場合です。一見よさそうですが、これは停滞のサインで、あまりいい結果ではありません。「安定しすぎていて、動かないから」だそうです。

 

易とは、変化することです。変化が自然なので、動かないのは不自然です。この場合、下が天、上が地と出ると、ぐるっと動く変化があるため、吉となります。

 

古来からあった太極という思想を、18世紀の武術家、王宗岳が「太極拳経」という文書にあらわし、それがすでにあった拳法にぴたっときたことから、太極拳という名前がついたそうです。

 

それぞれあったものが、ある時点で一緒になった、という感じです。

 

ご存じない方も多いと思いますが、太極拳には流派がたくさんあります。今、いちばん信じられている説では、陳式が始まりで、そこから分かれていったとされています。そこに武当太極拳は入っていません。

 

太極拳は、武当山で修行していた道士(道教の修行者)張三豊が、あるとき庭先で鶴(かささぎ、となっているものも)と蛇が、くるくる回りながら攻防しているのを見たときに、柔が剛を制す、という概念に気づいて太極拳を編み出した、という伝説があります。

 

そのため、武当山を太極拳発祥の地とする説もあります。

 

ただし、張三豊が実在したのか、どの時代の人なのか、定かではありません。有力な説でも2つあり、両方が同一人物だとすると、ものすごい長生きになってしまいます。

 

そもそも、張三豊は、もともとは少林拳の人でした。のちに武当山にやってきて、道士になったと言われています。今でも、少林拳から入って武当山に来る人も、結構います。

 

いろいろある太極拳は、太極という思想を体現している、という点だけが、共通点のような気がします。

 

他の流派のことは、ほとんど知りませんが、体の動きも解釈も、かなり異なるような気がします。違いのために、ときどき「これは正しい、あれは違う」みたいな論争が起きることもありますが、それぞれでいいのではないでしょうか。それくらいのおおらかさが、太極という思想にはある、と思っています。

 

太極拳で大切にされているのは、まず心です。ですからお稽古している間だけではなく、日常すべてが太極、という言い方もあるわけです。

 

続けるとか、やめるという類のものではありません。わたしにとっては、ですけれど。

 

さて、この太極拳、わたしが「これをするために生まれてきた」と思っているかというと、そうでもありません。

 

どちらかというと、そこに山があるから登っている、という感覚に近いです。

 

続けてきたことで、体は10年前よりもずっと健康です。「そろそろいい年だから」という声も、周りでささやかれることもありますが、今のところは、まったくそれを感じません。

 

心も穏やかになり、自分も、まわりも平和になっていると思います。

 

わたしがすこやかに生きるために、太極拳がもたらしてくれたものは、計り知れません。

 

それは、誰にとっても有効なはずだから、多くの人に体感してほしいと願っていますし、そこに熱があることは確かです。

 

そして、背景にある哲学が大切とは言っても、具体的な体の使い方も大切です。技というか、技術というか、時間をかけて磨いていかないといけないものがあることも、確かです。その習得に努めてきたし、それを多くの人に知ってほしいと思っています。

 

そこに山があるから登れたのは、周りにいた人が良かったのだと思います。

 

太極拳に初めて出会ったときの先生は、「わたしにできないことができて、わからないことがわかる」と思った先生でした。体がバラバラに、細かく繊細に動き、意識は遠くまで、それこそ地球の裏側まで飛んでいける感じだったのです。

 

あの出会いがなければ、始めなかったかもしれません。

 

武当山に行く機会に恵まれ、武当山で感じたこと、

 

そして今の先生(武当玄武派第十六代伝人 明月師父)や、その上の先生(武当玄武派第十五代伝人 田理陽師父)の動きをみたときに感じたこと、

 

どれもその時の自分にはなかったものを、そこに見ていました。

 

最初のころは、理由もわからず、武当山にいるだけで涙がぽろぽろこぼれてきました。あれは、大切なことを思い出しかけていたからなのかな、と思っています。それが何なのか、ことばでは言えませんが、「絶望しても、ここに来たらやり直せる」という予感がしたことは、よく覚えています。

 

田理陽師父は、それまで性格が出ると思っていた太極拳に対する思い込みを、一気に取り去っってくれた方でした。この方の太極拳は、とらえどころがないというか、個性がないというか、知らない人が存在しているような感じだったのです。

 

今からみると、個を超えることを、そのまま見せてくれたような気がします。個をこえて、すべてのひとつの源(太極)とひとつになる、ということです。個という肉体をもって生きるこの世では、現実としては、そういうことはないのですけれども、ほんとうは、みんなつながっているのだと、その存在で感じさせてくれたと思っています。

 

明月師父は、大きな体をされていますが、とても軽く動きます。ふわりふわりと浮くように、とっても簡単そうに套路をされます。

 

そして、高いところから飛び降りても、あまり足音がしないのです。

 

これはどういうことなのだろう、わたしと何が違うんだろうか、という興味が、「やりたい」につながったと思っています。

 

その答えは、すぐに来るわけではありません。「こうやって、こうやるんだよ」と教えられたことをひたすら続けていたら、ある日、自分の動きが先生のそれに似てきたことに気づきました。

 

目の前にある山を登って終わりではなく、常に続きがあって、登りたかったから、登り続けてきたような気がします。

 

そういう、”その先”を見せてくれた存在が、このほかにもたくさんいます。

 

それは、運のよさと言うのかもしれませんし、しあわせなことだったと感じます。

 

これをするために生まれてきた、ということがあるならば、わたしは「愛している」と言うために生まれてきたような気がします。実際には、受け取ってもらえなかったり、悲しい思いをしたり、なんだかおかしなことになったり、素直に表現できなくなることもありましたし、

 

現実に誰にでもそれを言うわけでもないのですが、

 

これができたら、しあわせに生きたといえるような気がしています。

 

今はないのですが、何年か前、朝、目覚めるときに「愛している」ということばがよく出てきたことがあります。実際に、ことばが口から出てきたように思います。近くに誰もいないときなので、「はて、誰に言っているのだろうか?」と思ったのですが、あれは、自分に言っていたのかもしれません。

 

あの頃は、「あなたは自分のことが好きじゃない」と言われていたしね。

 

太極拳がどういう存在かといえば、愛していると言える自分でいるためのもの、かしらね。

 

 

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「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

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