強くなりたい

2020.01.10 Friday

(2016年9月 武当山)

 

今年を迎えるとき、ふっと出てきたことばは、「強くなりたい」でした。

 

ちょっと自分でも不思議でした。

 

ここ数年、「今年の1文字」書初めをしていて、去年までは「静」→「福」→「空」→「呆」と、静かで柔かく、力が抜ける感じのものが続きました。

 

昨年なんて、阿呆の呆です。(ある意味、これは最強ですが。)

 

なぜ「強くなりたい」が出てきたのかな、それってどんな感じなのかな、と、しばらく思っていました。

 

ことばが先に出て、そのニュアンスがわかっていない感じです。

 

10日くらい経ち、おぼろげに「こういうことだ」と、わかってきた気がします。

 

わたしはカンフーを始めてから13年くらいで、その間に、いろいろな先生に教えていただきました。

 

どの先生からも、その時に必要なことを学べたと思っています。必要なことの中身は、さまざまですが。

 

でも、その中で、強烈なイメージとして、印象に残っている方たちがいます。

 

1人は、李先生です。四節八極拳というめずらしい拳法の伝承者です。娘さんが日本にいらっしゃるため、ときどき来日されて、わたしは2013年の冬にお会いしました。

 

当時は、いろいろ苦しく、弱っている状態でした。

例えるなら、骨が折れた鳥は飛べないのに、飛べないことを悩んでいるような状態でした。

 

その直前までの5年間、東京にあるカンフークラブに所属していたのですが、3年目くらいから、自分がしたいことと、そこでできることの間に溝を感じ始め、5年目には、先生の意に沿わないことをしたとして、破門されました。

 

冷静に思えば、わたしが出て行くのは当然のことです。

 

その先生の場所で、自分のやりたいことが異なる場合、それをやろうとしても無理です。

 

「やめたらどこで習えばいいんだろう」という不安もあり、執着もあり、自ら出る勇気がなく、長い間ぐずぐずしていたところ、「あなたの生きる場所は、そこじゃないよ」という、”神様からの最後のひと蹴り”みたいな感じだったと思います。

 

3年近くひっぱりましたから、そのクラブにも、本当に迷惑をかけました。

 

それでも、離れた後も、その中で上手く過ごせている人もいるのに、どうして自分はそうできないのかとか、やっぱり間違っているのではないか、と、うじうじ後悔したり、自己嫌悪に陥ったりしました。

 

当時、わたしの周りにいてくれた友人たちは、こんなうじうじ話を、あきれるほど聞かされていたわけですが、それでも何度でも耳を傾けてくれたことには、感謝してもしきれません。

 

当時は武当拳をする気功の先生にも習っていたため、、先生がなくなるということはなかったのですが、そこに一緒に通っていた友人から「一緒に行ってみる?」と誘われたのが、李先生のところです。

 

毎朝7時から8時、某公園でのお稽古でした。家から1時間くらいかかる場所で、冬ですから、星を見ながら家を出ていました。

 

それでも先生にお会いするのが楽して、先生の動きを見るのが楽しくて、苦よりは楽しさのほうがはるかに大きかったです。

 

李先生は、大きい体で、いつもニコニコされていました。呼吸をするだけで、お腹も背中も昇り龍のように、ものすごく動きます。それを感じたくて、何度もべたべた触らせてもらいました。体の関節がほぐれているので、動きは柔かく、でもとてつもなく威力があり、とっても強いのです。

 

カンフーは、理解が大切だからと、体を動かすことだけではなく、いろいろなお話もたくさんしてくださいました。

 

ときには、小さな頃は貧しくて靴が買えなかったとか、そんな頃にカンフーの先生に出会い、習うのが楽しくて、そして先生からもとても可愛がってもらって、というような話もしてくださいました。

 

わたしたちが練習している間、ご自分の練習をされることも、よくありました。あるとき、ふと見ると、先生がコロコロの棒を剣にみたてて、とっても嬉しそうに、剣の套路をされていました。

 

「なんて幸せそうに、するんだろう」と、すっかり見とれました。

 

そして自分も、こういう風にしたいのだと、強く感じました。

 

(2014年春 李先生と)

 

もう1人は、今の先生です。武当玄武派第十六代伝人の明月師父です。

 

師父と呼ぶとおり、家族みたいな感じで、いちばん上の先生がお父さん、目上の弟子や生徒はお兄ちゃん、お姉ちゃん、お父さんの兄弟弟子は、おじさん、みたいな構成です。

 

東京で所属していたクラブを離れた後、気功の先生もクラスを閉じることになり、武当拳(中国、湖北省武当山という道教の聖地のひとつに伝わる武術)を習う場所は、武当山だけになりました。

 

1年に2回、ときによっては1回と、ときどき訪れては習い、日本では自分で練習する、というペースに変わりました。

 

李先生が帰国された後の2014年の春、武当山に行きました。

 

明月師父は、2012年の春にご自分の武館を開校されています。それまでは、その上の先生(武当玄武派第十五代伝人 田理陽師父)の武館でコーチとして教えていて、わたしが最初にお会いしたのも、そこでした。

 

開校間もない間は、まだ模索状態だったと思います。

 

「教えることだけしたい」と話す先生は、2014年にはビジネスパートナーと契約していました。わたしが行ったときは、そのビジネスパートナーと折り合いが悪く、先生はしょっちゅう話し合いのために麓の町に下りていました。(武館は、バスで40分くらいの山の上にありました。)

 

今でこそ弟子も育ち、師父がいない間もコーチがいます。さらに、弟子ではない生徒でも、きちんと習っているため、そういう人から習うこともできます。

 

でもその頃は弟子も育っておらず、師父がいない間は、自分でできることをするしかありませんでした。

 

周りの外国人の生徒も失望気味で、今は先生の弟子になっている友人も、「師父のことは尊敬しているけれども、このままだと習えない。ここにはいられない」という状況でした。

 

状況を理解しようと思っても、こんな状態なら、なぜ今は来ない方がいいと言ってくれなかったのか、と思うこともあり、ついに我慢できずに机を叩いて怒ってしまったときもありました。

 

自分の暴挙に驚き、次には「なぜそんなことをしてしまったのか」と自分を責めて号泣しました。

 

破門されたクラブでもケンカし、ここでもケンカです(手は出ていませんが)。どうして、どこでも同じことになってしまうのかと、自分に失望しました。

 

ひとしきり泣いた後、なぜか「怒ってしまったことは悪い。でも、それしかできなかった自分を責めるのはやめよう。最後まで、自分だけは自分の味方でいよう」という思いが出てきました。

 

号泣するわたしの横で、友人が背中をさすりながら、「君は悪くないよ」と言い続けてくれたことも、ものすごく助けになりました。

 

さて、師父がそんな状況を好ましく思っていたわけはなく、誰よりも苦しかったのは、師父だったと思います。

 

ある日、武館にもどっていた師父が、ひとりで気功のお稽古をしている姿を見かけました。

 

その時、「この状況で、この人は、こうやって落ち着きを取り戻そうとしている」と感じました。

 

「師匠の背中を見て育つ」といいますが、そのとおりです。

 

それは、お稽古として套路を習うよりも、ずっと大切なことのように感じました。

 

さらに、そんな状況でも教えてもらえなかったわけではなく、教わった30分の価値は、1週間とか2週間のお稽古を軽く超えるくらいの意味がある、という体験しました。時間の長さとは違うものさしがあることも、知りました。

 

あのときがあって、よかったと、本当に思います。

 

(2012年春 武当山で、明月師父と)

 

さて、冒頭の「強くなりたい」に戻ります。

 

わたしのイメージする「強くなりたい」は、李先生や、明月師父みたいな人たちのことです。

 

自分を見失わないための強さ、と言えばいいのかしら。

 

どんな状況でも、大切にしたいことを大切にし抜く強さ、でしょうか。

 

それは、カンフーの鍛錬から育つものだと思っています。(他にもあると思いますので、わたしが経験している中では、ということです)。

 

1回30分の站椿功をするのも、自分を見失わない、自分が大切にしたいことを見失わない強さを持ちたいからでもあります。

 

途中で諦めるのは、簡単です。今の状況では、誰にも怒られませんし、自分を責めたり、挫折感を感じることも、ないような気がします。(実際、やりはじめて「今日はダメだ」と思ったときには、途中でやめます。まれですが。)

 

苦しくなってきても(このあたりは未熟だからだと思いますが)、「もうちょっと続けてみよう」と思うのです。

 

「諦めるのは簡単だから、それならもうちょっと続けてみよう」と。

 

今日は、そこそこ苦しめだったのですが、「もうちょっと」と思った後に、「絶対にあきらめたくない」という思いが、お腹から浮かんできました。

 

諦めるのは簡単だけど、自分は絶対にあきらめたくないのだ、と強く感じた後に、体はふわっと楽になりました。

 

何を諦めたくないかと言えば、直接的には腕を上げ続けることですが、その奥にあるのは、生きることを諦めたくはない、だと思います。

 

それは、命として生きる、死ぬ、という話ではなく、

 

自分の大切にしたいことを大切にして生きることを、諦めたくない、ということです。大切にしたいことを諦めることは、自分を見失うことでもあります。

 

それが「強くなりたい」ということかなと、今は、思っています。

 

 

中国武術家の松田隆智さん(1938年6月6日 - 2013年7月24日)は、著書の「中国武術の本(学習研究社 2004年)の中で、こんな話をしています。

 

「武術そのものに精神性はないし、武術に精神性を求めるのはまちがっている。大切なのは、修行の結果、精神世界に到達していることだ。」

 

いいことばだと思います。

 

体を緩めて静めれば、心が静まるし、心がワサワサしていたら、体の変化として現れて、気づきます。

 

気功のように、自分だけに集中すれば、養生の側面が強く出ます。

 

武術の場合、相手との攻防がはいってきます。太極拳、八卦掌、形意拳は、武術です。

 

実際、現実世界では、人との衝突や、まわりの環境との衝突など、自分の葛藤など、いろいろなことが起きます。周りとの溝や摩擦を感じながら生きることが、人だと思います。

 

そんなときに、どうするか。

 

外からの刺激に反応するとき、無意識に自分を見失うことがあります。売られたケンカを買うようなときです。目には目を、歯には歯を、とかも同じですね。

 

武当拳は(中国武術はとんでもないほどたくさん種類があるため、他のものはわかりません。太極拳でさえ、武当太極拳しか経験がなく、他の太極拳は、知りません)、自分を見失うことなく、外からの刺激を認識します。

 

基本は、自分の周りが平和で、ケンカが起きないのがいちばんです。

 

もし自分が鎧を着ていたら、相手は戦闘態勢に入るかもしれません。その鎧は、自分の弱さを守るためのものであっても、相手には恐怖心を与えます。ですから、自分は鎧を着ずに、生まれたての赤ちゃんの姿を目指します。緩んでいる体と心とは、そういう状態です。

 

それでも不幸にして起きてしまった場合、それを止めるためのものが武術です。武は、戈を止める、と書きますから。

 

調和を大切にする武当拳では、相手を倒して終わり、というのはありません。自分も守り、相手も守るのが基本です。そのために、こちらに向かってくるやる気を、本人が自分でやめるようにするための手段が、技です。

 

「強くなりたい」というのは、自分の弱さを守るために鎧を着る必要がないように、という意味です。

 

うれしいのは、ときどき生徒さんが「怒りが止まらなかったとき、会社のトイレで気功をしたら、落ち着いた」とか、「站椿功をしたら、ぎゃあぎゃあ責められている騒音が気にならなくなった」という話をしてくださいます。

 

やればわかる、なのですが、それを日常に活かせるのは、すごいと思います。そして、それが古くから伝わってきた伝統の技の価値でもある気がします。

 

社会環境はずいぶん変っていますが、人は、そんなに変わらないですものね、きっと。

 

 

強い人は、優しいです。

 

その存在に救われる人は、少なくないと思っています。わたしのように。

 

 

1月の 特別クラス】

1月12日(日)14:30-16:30「はじめての形意拳」(九品仏/自由が丘)詳細とお申込方法はこちら

 

1月18日(土)14:00-16:00  「じんわり温まる温灸メガネを作りましょう」 (自由が丘)詳細とお申込み方法はこちら

 

1月19日(日)14:00-16:30「たのしい太極扇」(池ノ上)詳細とお申込み方法はこちら

 

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1月26日(土)14:00-16:30 「ホントにはじめての武当太極拳・気功(九品仏/自由が丘)詳細とお申込方法はこちら

 

 

「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

講座のご案内は、こちらからどうぞ。

 


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