”放松(ファンソン)”とは?

2020.01.09 Thursday

(こんな風にぐーっと伸びているときも”放松”)

 

太極拳をしている方なら、”放松(ファンソン)”ということばを、聞いたことがあるでしょう。

 

上記は簡体字、繁体字なら"放鬆"と書きます。同じ意味を、単に”松”で表現することもあります。

 

一般的な意味は、

”放”は、放す、自由にするで、

”松”は、緩める、放つ、などです。

 

中国語の構造では、似たような意味を繰り返すこと、よくあるのです。

日本語だと「馬から落ちて落馬して」みたいに、ダメと言われますけどね。(でも、臨場感はありますよね。)

 

両方合わせると、緩める、ほどける、という意味になります。

 

これを体の状態に当てはめると、脱力とかリラックス、と言うこともあるかもしれませんが、太極拳で使う場合、意味するところは、ちょっと違います。

 

例えば、立つ場合、本当に脱力したら立っていられません。ぺしゃりと地面につぶれてしまいます。

 

立つときは、骨という構造を活かし、それを支えるための最低限の筋肉を使います。筋肉を使うため、緊張は生まれますが、立つために緊張させる筋肉は”緊張筋”とよばれ、緊張を感じないものになっています。そのため体感としては「どこも使っていない感じ」になります。

 

立つときに、たとえば腕の力こぶ筋のように、「使っています」感が満載では、立ち続けること自体が苦痛ですよね。そのあたりは、上手くできています。

 

じゃあ、「緊張を感じない」のが”放松”かというと、そうでもありません。

 

体勢によって異なります。

 

腕を上げて木を抱えるような站椿功の場合、立つこと(縦に伸びる)に加え、四方八方に広がる力が働きます。おへその裏にある命門(めいもん)が後ろにひっぱられ(陰)、それとバランスを取るために、腕は前にぐんぐん伸びます(陽)。

 

この状態のときは、体が空気をパンパンに含んだ風船のような感覚になります。

 

風船の表面は、ハリ感がありますよね。言い換えれば、これは緊張です。ただし、必要な緊張ですし、体感もあります。

 

膨らみきって終わりではなく、ずっと膨らみ続けている感覚です。

 

同じ”放松”という状態でも、体勢によって、体感は異なります。

 

まとめていうと、”放松”とは、無駄な緊張がなく、適度にリラックスしつつ、適度なハリ感があるもの、という感じです。

 

「老子と太極拳」を書かれた武術家の清水豊さんは、「鄭曼青*1 は、太極拳の掌の形を、「美人掌」と言っていた。これは、適度な脱力と、指がまっ直ぐに伸びるくらいのテンションが必要であることを、象徴的に示すものである」と書いています。

 

わかりやすい、いい表現だな、と思います。

 

楽に、リラックスして、というと、指先がくるんと丸まってしまうこともよくあります。

 

これは、もともと指が常に緊張していて、まっすぐになりにくいせいもあると思いますし、指先に必要なハリ感がないからでもあります。

 

腕を下ろしてまっすぐに立つときの指先は、水が入った袋のようだとイメージします。水は、下へ下へと流れますから、指先は下に向かいます。そのまま地面に落ちて「さくっ」と刺さるくらいのハリ感です。

 

丸まっていると、めぐりが滞ります。くるっとなっている指先に血がいきにくくなるだけではなく、その手前の腕の部分のめぐりも、悪くなるような気がします。

 

適度なハリ感の漢字は、他にも、体の前に空気の入った大きなボールを置いて、その上に両手のひらを載せる感じ、というイメージも役立ちます。指は伸びすぎず、丸まらず、風船の表面のハリ感と同じような感じです。

 

このように、緩みつつ、適度なハリ感がある、という異なる質感が同時に存在する状態は、わかりにくいかもしれません。

 

 

ことば は、奥深いものだと思っています。

 

先人は、自分が感じたことを伝える手段として、ことばを選び、後に続く者は、それを頼りに、自分の感覚を探ります。

 

最初は、頭の理解になるかもしれません。

 

それを、あれこれ体験して、「こうじゃないな」という間違った経験もして、だんだん自分の感覚として理解していくのだと思います。

 

その試行錯誤は、「これは放松」「これは放松ではない」というように、判定することは必要ですが、どちらの経験も、自分で腑に落ちるためには、等しく大切だと思っています。

 

そうやって、ただの文字だった ことば が、立体的なボールのようになっていくのだと思います。

 

ときどき、他の人と体をとりかえっこできたら、「あなたが言っている放松は、こんな感じなんだね」と交流できて面白いなあ、と思いますが、そうもいきません。

 

ただ、自分の経験が深くなっていくと、他の人がことばで表現したときに、「そうそう、そんな感じ」と共感できるときも増えます。

 

そんなときは、「気が合うなあ」と、とっても嬉しいのです。

 

 

日本人の場合、漢字という共通要素があるだけに、用語の意味を、聞いただけで理解した気分になることもあるかもしれません。

 

でも大切なのは、頭の理解より、体の理解です。いろんな人に聞いてみることも役立ちますが、聞くだけではなく、たくさん体験したらいいと思います。

 

その人が考える放松の状態をやってもらい、あちこちから押してみるのも、おすすめです。(これを、放松功と呼びます。相手の状態を理解するためにも有効で、面白いお稽古です。)

 

それを元に試し続けていけば、だんだんと「こんな感じ?」が形作られていきます。育ってくる感じです。

 

絶対的な正解は、誰にも判断できませんので、ずっと「こんな感じ?」なのかもしれませんが、

 

終わりがないものって、いいですよね。

 

そう言うと、「ゴールがないと、心が折れる」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、

 

無限の可能性が待っている、と思えば、楽しみになってきませんか?

 

 

 

*1:鄭氏太極拳を創始した武術家。

 

(参考:「老子と太極拳」清水豊 著 2013年 BNP出版)

 

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「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

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