夢はまだかなっていないのかもしれない

2020.01.03 Friday

(武当山)

 

「止まった刻(とき) 検証・大川小事故」(河北新報社報道部 著 岩波書店)という本を読んでいます。

 

3.11東日本大震災の津波により、児童70人が死亡、4人が行方不明、教職員10人が犠牲になった石巻市の大川小学校の、そのときと、その後を書いたものです。

 

取材したのは、地元紙の河北新報社です。この地方新聞社は、地味な印象もありますが、広報の仕事をしていたときに「いい記事だな」と思ったことも多い記憶があります。いい記事、というのは、事実が伝わってくる、という意味です。

 

その印象そのままに、連載をまとめたこの本も、丁寧に、根気よく取材して、憶測や感情をできる限り排除して書かれている印象です。

 

事実が訴えるものはすさまじく、読むのはきついです。号泣せずにはいられません。

 

わたしが泣いても、何かに役立つわけでもなく、その人たちの気持ちがわかるわけでもありません。それでも、あのとき何が起きたのかを知ることは、大切なことだと思うのです。

 

記者の仕事って、こういうものだったな、と思い出しました。

 

わたしがイギリスの大学から帰ってきて、大学に残らずに社会に出たいと思ったとき、最初にめざした職業は、新聞記者でした。

 

その仕事についていた友人の影響は、強くあったと思います。

 

今でも、印象深いことがあります。

 

その人とは、日ごろから世の中のいろいろな出来事について話していて、当然といえば当然ですが、その出来事に対して感じたことや思いなども、話していました。信念もあり、熱い思いもある人でした。

 

でもある日、その人が書いた記事を見たときに、そういう熱は、まったく感じられませんでした。普段だったらことばにしている思いなどもまったくなく、さらっとフラットに書かれていました。

 

不思議に思って本人に聞いてみると、「記事は、事実をそのまま書くだけだから。読んだ人が、自由に感じてくれたらいい。」と。

 

続けて「書いたものを読んでくれる人がいると、すごく嬉しくて、『いいヤツだなあ』と思うんだよね。書いたものに文句を言われても、それでもうれしい」と言うのです。

 

事実が語る、ということですね。

 

事実だけをありのままに書くこと自体が、実際には難しく、無意識に、思惑が入っていたり、感情が入ってしまったりします。事実だけを書けること自体が、とてつもなくプロフェッショナルです。

 

新聞社の採用試験に落ちた後は、ニュースを出す側になろうと、広報の仕事につきました。

 

いろいろなメディアの方に会うことになりますが、そこでも「こういうストーリーで記事や番組を作りたい」という”最初からありき”の姿勢で来る取材もあり、「それは事実ではありません」と理解してもらうことには、ときにはかなり苦労しました。

 

当時、限られた職業の人しか世の中にむけて発信できなかったものが、今の時代、誰でもできるようになりました。

 

その恩恵も多くあり、わたしもこうやってブログなどで発信できるようになっています。

 

何か知りたいときに、ネットですぐに検索できるのは便利です。でもその分、プロフェッショナルではない人が書くことも増えて、どうしても信頼性は落ちます。

 

もちろん、プロフェッショナルであっても、人が書くものに、絶対ということはないのかもしれませんが。

 

 

わたしが記者になりたかったとき、取り組みたかったのは、生きることと死ぬことでした。

 

当時、はじめてのホスピスが誕生して、終末医療や尊厳死の話が、いろいろと言われはじめたときでした。

 

こういうものに正解はないと思いながらも、そこにある事実をそのまま出したいと、思っていました。それが誰かに伝わったときに、わたしの手を離れた先で、人を動かすかもしれない、と思っていました。

 

以前書いたブログで、記者にはなれなくても、「夢はかなう」と書いたのですが、ブログで書くことは、感じたことをそのまま伝えることで、

 

あの頃のわたしが願っていた、「事実をそのまま出す」ことを思うと、本当は、まだ何もかなっていないのかもしれません。

 

 

わたしは、会社員だった頃、その会社の人として働いたり、クライアントさんのために働いていたときも、そこというよりは、もうちょっと大きなところを見て仕事をしていたように思います。

 

クライアント企業が世で名声を得る、とか、売上が上がる、とか、そういうことよりも(目先では、それが求められるし、それが大事なのですが)、それが世の中に与える影響とか、そこで働く人への影響とか、「これが世に出たら、当たり前になったら、世の中は変わる」みたいな思いが支えになっていました。

 

残業続きでも、やりきれたあの頃は、若くて体力と気力もあったこともありますが、思いに支えられていたことも大きかったと思います。

 

わたしが大切にしたいものと、企業のそれが合っているときはいいのですが、必ずしもそうでもなく、会社は使いにくいところもあったでしょうし、わたし自身が、その狭間で疲弊するようになりました。

 

信念も、だんだんと、わからなくなりました。

 

集団の利益よりも、自分の信念を貫きたい方なので、タイプ的にみれば、そもそも組織には向かないよね、という面もあります。

そして、環境が悪かったのではなく、ゴツゴツ不器用なわたしが、そこで上手く自分を活かす道を見つけられなかったのだと思います。

 

こうやって振り返っているとき、「あのときこうすれば」という思いがあるわけではありません。

 

迷惑をかけた(にちがいない)ことに対するお詫びの気持ちはありますが、後悔しているわけでもありません。

 

他人から見たら、怠けいるように見えたとしても、そのときの自分としては、精一杯なのではないか、と思います。わたしのことだけではなく、みんな、そうじゃないのかな、と思います。

 

いつも、今しかありません。

 

できたことを認めることも大切ですが、夢はかなっていないと知ることも、そこに絶望がなければ、前に進む力になるような気がします。

 

「まだ、できることはあるよ」と、年末年始、何かと揺さぶられることの多い、この頃です。

 

そう感じさせてくれる、出会いとか体験は、大切ですね。

 

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

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