祓い清める太極拳

2019.12.31 Tuesday

 

大晦日ですね。東京は、すばらしく晴れました。今年は、あざやかに暮れていきます。

 

今年の秋に武当山に行って、みんなで太極拳を習っていたときに、先生(武当玄武派第十六代伝人 明月師父)がこんな風におっしゃいました。「自分の周りを、きれいにお掃除するような感じ」と。

 

いつもながら、たとえが上手だなあ、と思いました。

 

そして、ああ、そんな感じ、と、自分の中で感じていたことと、ぴたっと合った気がしました。

 

こういうところ、この先生は本当に素敵です。

 

(2019年秋。武当山の明月道院。いちばん左が明月師父)

 

今日は、大祓(おおはらえ)がありますね。大祓とは、知らず知らずに積もっていく罪やけがれを祓い清めるものです。神社で6月30日と、12月31日に行われます。

 

けがれとは、”気が枯れる”ことで、清めるとは、”気をよみがえらせる”という意味です。

 

自分に無理をかけすぎて、気が枯れることもありますよね。野原で踏んでしまった草花が、そのまま枯れてしまうことだってあるでしょうし、アリを踏んでしまうこともあるかもしれないし、電車で後ろの人に肘鉄を入れてしまうことも、あったかもしれません。

 

もちろん、わかればその場で謝りますが、全部意識する必要もなく、できるわけもないでしょう。自分がよかれと思ってることだって、他人にとっては迷惑なこともありますしね。

 

生きることは、罪やけがれがつくもので、それを認めながら、また生きていくために気をよみがえらせるのだ、くらいでいいと思っています。

 

お掃除も、そんな感じですよね。

 

わたしは、ずっと外の掃き掃除が好きではなかったのですが、ある体験を境に、変りました。

 

外の掃き掃除って、落ち葉を掃く側から、またやってきますよね。自宅以外からもやってきます。

 

外から来る落ち葉に文句はありませんが、掃いても掃いてもまた積ことに、終わりのない空しさを感じたりしました。

 

それが変わったのは、神主体験をしたときです。お掃除は、日々のお勤めのひとつです。朝から「祭りとは、毎日のこと。こうやってお供えをして、お祈りをして、ここの平和、この町の平和、そしてその先の世界の平和を祈っている」というお話を聞き、そして、お掃除(その日は、外の拭き掃除でした)をお手伝いをしました。

 

その体験のあと、外の掃き掃除に感じていた空しさが、なくなりました。

 

太極拳も、お掃除に似ています。

 

太極拳は、自分の体の中、心の滞りや詰まりを押し流して、めぐりを良くしてくれます。肉体の滞りという具体的なものもありますが、色々と持ち込んでしまっている”騒がしい心”も、きれいに流してくれます。

 

自分の内にどんどん入って、静かな状態になっていくとき、同時に外にも広がっていきます。

 

まずは内、そうすると外にも広がっていく感じです。陰陽のバランスです。シーソーの片方を下げれば(陰)、もう片方は自然に上がる(陽)ように、内に入れば、自然と外にも広がり始めます。

 

この世界で、個として生きるとき、自分の皮膚を、自分と他を分ける境界線と認識しているのではないでしょうか。

 

でも、どんどん内の静かなところに入り、外にも広がっていくとき、その境界線が曖昧になってきます。どこまでが内で、どこからが外か、わからなくなります。意識ははっきりしていますが、ちょっと夢心地です。

 

動いていくとき、水が流れるように内の滞りも流し、同時に周囲もきれいに掃き清めていく感じです。

 

内側への広がりから生まれる、外への広がりは、風船がぱんっと四方八方に膨らんでいくような感じです。限界はなく、静かなだけではなく、おだやかでしっかりしたパワーがあります。

 

太極拳は、「開太極」からはじまり、最後は「合太極」で終わります。すべてのひとつの源から、陰陽の二極に分かれてこの世が始まり、この世で生きはじめ、陰と陽が、くるくる転換して進んでいきます。

 

喜びや憤りや、人との衝突、いろいろな経験を経ながら、崩れそうになる陰陽のバランスを信じて探り、大きくなりながら、最後はまた、ひとつのすべての源に還っていくという、

 

人生だな、と思っています。

 

 

生きることは、罪とけがれを負うものだとおもっています。自覚しているもの、できていないもの、両方含めて、です。

 

つい、言いすぎてしまったりとか、分かっていても怒りを止められなかったりとか、いろいろあります。

 

わたしは、そんなにいい人ではなく、感情の起伏も激しいですが(あまりそう見えないかもしれませんが)、だからなのか、本当はすべてが調和していることを、忘れたくないのだと思います。

 

8年前、武当山で田理陽師父(武当玄武派第十五代伝人)に、教えていただいたとき、わたしへの最後のことばは、「あなたには太極の心がある」でした。

 

この方の太極拳を見たときの衝撃はものすごくて、今までに知っていたものが一瞬で覆されました。あのときに、「太極拳って、ほんとうはこういうものなんだ」と感じた気がします。

 

先生からのことばは、そのことを忘れるな、という意味だと思っています。

(2011年。田理陽師父の太極拳。恐れ多くて、正面からは撮れませんでした)

 

(2011年帰国日。最後列右から2人目が、今の先生、明月師父)

 

わたしたちはみんな、大きいところにつながっています。

 

でも、汚れやほこりがつくと、見えなくなってしまうし、触れることもできなくなってしまうため、

 

日々お掃除して、きれいにする。そうすれば、いちばん大切なことを忘れずにいられるかな、と思っています。

 

太極拳は、祓い清めることであり、それはわたしにとっての祈りです。

 

わたしが、みんなが、この世界が、平和でありますように。

 

今年もお世話になりました。

どんなものでも、すべてが自分の体験であり、それが自分を世界に浮かび上がらせてくれる気がします。

 

どなたにとっても、おだやかな年越しとなりますように。

 

来年も、命の炎を燃やして、堂々と生きられますように。

 

 

来年も、よろしくお願いします☀2020年1月の 特別クラス】

1月5日(日)13:00-15:00 「麗屋 弘鈴庵の 立って、歩いて、太極拳」 (千葉県香取市)詳細とお申込方法はこちら

 

1月12日(日)14:30-16:30「はじめての形意拳」(九品仏/自由が丘)詳細とお申込方法はこちら

 

1月18日(土)14:00-16:00  「じんわり温まる温灸メガネを作りましょう」 (自由が丘)詳細とお申込み方法はこちら

 

1月19日(日)14:00-16:30「たのしい太極扇」(池ノ上)詳細とお申込み方法はこちら

 

1月25日(土)14:00-16:30  「やさしい站椿功」(池尻大橋)詳細とお申込み方法はこちら

 

1月26日(土)14:00-16:30 「ホントにはじめての武当太極拳・気功(九品仏/自由が丘)詳細とお申込方法はこちら

 

(2018年 武当山の頂上、金頂にある太和宮)

 

 

「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...☆...

 

いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

講座のご案内は、こちらからどうぞ。

 


コメント
コメントする








   

calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< April 2020 >>

selected entries

categories

archives

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM