素直なからだ

2019.12.30 Monday

(武当山 2019年春)

 

先日のブログ「いま、この瞬間にいないとき」で、歩きスマホをしていて足を階段から滑らせて転んだ、と書きました。

 

そのとき、念のために整形外科で診てもらおうとして、勘違いで、整骨院に入りました。

 

怪我の功名というのか、巡り合わせとはあるもので、その先生がとてもよかったのです。一瞬で状態を把握して、「これにはこれ」と対処する力は、長い時間の勉強と、経験を感じます。淡々とされていますが、そこに情熱やパッションもあって、それがいいのです。

 

せっかくなので、この機会に足首以外の気になるところも、みていただくことにしました。

 

基本、自分の体は自分で面倒をみようと思っています。

 

わたしはアスリートではありませんので、体を酷使することはありません。目指しているのは、軽くて楽で、すこやかな体です。

 

お稽古も、重さを感じたり、やりにくかったり、硬さが出るところ(つまり、無駄な緊張が出てしまうところ)に気づいたら、もっと楽にできるように探っていくことが、ほとんどです。

 

そのときに頼りになるのは、基本です。だから、站椿功、歩法、基本動作となる気功の練習を大切にしています。

 

套路になると、いろいろ、あれこれ、動きますが、大切な基本は、実はそれほど多くないのです。どの動きに、その基本をうまく応用できるか、という感じです。

 

太極拳をはじめとするカンフーをすることは、自分の体の状態に気づくことでもあり、小さな不調があっても、それを早目に解消することでもあります。そして、不調が出にくい体にしていくことでもあります。

 

それでも、自分ですべてを賄いきれないことも、知っています。

 

自分だけで賄いきれないのは、未熟さなのかもしれませんが、人は人と一緒に生きていく生物なので、「すべてをひとりでできなくて、ちょうどいい」とも思っています。

 

そして、日々調整しているつもりでも、やはり体には歪みが出てきます。

 

今回のように、よい先生に出会うと、本当にすごいと思うのです。わたしが長い時間をかけて調整しようとして、しきれないところ、また逆に歪めてしまうことも、あっという間に元に戻してしまいます(その歪みやずれの程度にもよりますが)。

 

それを空しく思うこともありました。

 

日々、体の面倒は見ているのに、それでも出てしまう不調を、あっという間に戻してしまう人が、いるのですよ。なんだか、「あなたのそれは、不要だ」と言われているような気もしました(誰も、そんなこと言っていません。わたしの頭の声です。)

 

でも、そうではないのです。

 

この先生は、わたしを「素直なからだ」と呼びます。先生が、ずれているところに手を加えたときに、反応がよくて、すぐに戻るそうです。

 

整体をされているとき、やり方にもよりますが、自分でも「あ、いまここが動いている」と、わかることも多いです。

 

日々の鍛練は、こんな「素直なからだ」にしておくためのものなのかな、と思います。

 

「空しさ」を感じてしまったのは、すべてを自分でやりたい欲望があったからかしらね。ダメですね。完璧なんてないのに、気づかないうちに、完璧を追い求めてしまっていたようです。

 

太極拳は、体をすこやかにするだけではなく、自分という存在そのものを、すこやかにしていってくれると思っています。

 

生き方とか、人や世界との関わり方とか、哲学的な側面も強く、「太極拳は、子供ではなく、大人のためのものだ」と言われることがあるのは、そんなこともあるからだと思っています。

 

子供は、何もしなくてもバランスが取れているので、そもそも不要なのですけれどもね。先天に近い存在は、強いです。

 

太極拳は万能ではありませんが、自分の基盤を作るには役立ちます。体も、心も、です。基盤は、「できた!」というものではなく、常に変化していくという自然の摂理の中で、常に整え続けるところが、またいいところです。

 

その中で、素直さは、すくすく育つために大切です。

 

木だって、バオバブの木のように、土に植えると屋根より高く育つそうですが、植木鉢だと大きくならない、と言いますものね。

 

抵抗や制限がなければ、すくすく育ちます。

 

でも、その抵抗も、ダメなものでもないと思っています。必要だと思っているから抵抗するわけですから。大切なものを守ろうとして、硬くなって抵抗する場合もありますしね。自分を守ろうとしているのだと思います。

 

客観的に見たら、存在しない敵に備えて、重装備しているような状態だったりしますが、必要だと思っている本人にとっては、重要です。

 

その抵抗は、今の自分を知るための、大切な情報です。

 

何と戦っているのか、何が嫌なのか、何から守りたいのか、何を大切したいのか、など、

 

自分で気づかないうちに、しゅるっと他人に開放されてしまうより、自分で「もういらないね」とわかってから手放すほうが、いいと思うのです。それが自分を生きることじゃないのかしらね。

 

抵抗や制限に気づいて、それを手放すこともできるのも、素直さだと思います。

 

そして、素直さは、自分を大切にすることでもあります。太極拳を始める前と今とで大きく違うところは、自分のことを好きなれたことだと思っています。

 

10年くらい前、「あなたは自分のことを大切にしていない」と言われることがあり、それはとてもありがたいことなのですが、どうしたらいいかわからなかったわたしには、それを言われるたびに、苦しくてたまらなかったのです。

 

でも、あのときがあったから、今があります。

 

いいでしょ、太極拳。すてきでしょ。

 

 

 

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(武当山 明月道院 2019年秋)

 

「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

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