「音楽を広いところに連れ出す」

2019.12.27 Friday

 

今年読んだ中で、いちばん好きな小説は、恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」です。

 

ピアノコンクールを舞台に、4人の出場者(コンテスタント)を中心に描いた長編小説で、直木賞、本屋大賞を受賞し、今年映画化もされました。

 

音楽の神さまに愛された人たちは、とんでもなく純粋で、透明で、その交流も素敵なのです。

 

文章からは、空気感や光、音まで伝わってきます。わたしの中で登場人物が生きはじめて、ピアノの音まで聞こえそうです。

 

この小説で、とても心に残ったフレーズがあります。

 

「音楽を広いところに連れ出す。」

 

コンテスタントのひとり、風間塵くんの言葉です。ちょっとずつ表現を変えて何度も出てきます。

 

塵くんは、変わりダネです。音楽教育を受けたこともなく、養蜂家のお父さんと一緒にヨーロッパを旅し、行く先々で出会うピアノを弾くという生活でした。すばらしくいい耳を持ち、一度聴いた音はすぐに再現してしまうほどで、偶然、誰もが憧れ、敬愛された巨匠、ホフマン先生に出会います。

 

塵くんの演奏中、もうひとりのコンテスタント、栄伝亜夜ちゃんとの間に、こんな会話(リアルではない)が展開されます。

 

「僕ね、ホフマン先生と約束したんだ。(中略)音楽を、世界に連れ出すって約束。(中略)今の世界は、いろんな音に溢れているけど、音楽は箱の中に閉じ込められている。本当は、昔は世界中が音楽で満ちていたのにって」

 

「ああ、分かるわ。自然の中から音楽を聞き取って書きとめていたのに、今は誰も自然の中に音楽を聞かなくなって、自分たちの耳の中に閉じ込めているのね。それが音楽だと思っているのよね」(これは亜夜ちゃん)

 

「そう。だから、閉じ込められた音楽を元いた場所に返そうって話してたの。」

 

塵くんは、ホフマン先生と野外で弾いてみたり、いろいろ試してみますが、どうやらそういうことでもなく、どうしたらいいのかわからないまま、ホフマン先生は亡くなります。

 

「先生はもういなくなっちゃったけど、僕はそれを続けていくって約束した。」

 

このまま本の感想を書き続けたら、いくらでもいけそうですが、本題に戻ります。

 

箱の中に閉じ込められた音楽を、広い世界に連れ出す、ということばです。

 

こういうことって、どの世界にもあるような気がするのです。

 

たとえば文学でいうと、村上春樹さん。

 

熱烈なファンもいて、初版から50万部を刷るという(通常は、確か5000部くらい)すごさですが、

 

この方の小説、ある時期は苦手でした。

 

ドキドキ、ワクワク読み進めるのですが、最後にいつも裏切られたような気分になるのです。

 

例えるなら、かけた梯子を突然外されて、立ち去られてしまうような感じです。

 

文学には、型みたいなものがあります。悲劇は悲しく終わらなければならないし、小説は伏線を張って回収しなければならない、みたいなものです。

 

伏線を張っていないエピソードが突然出るのはダメなのです。

 

でも村上さんの小説は、張りまくった伏線を回収せずに消える、みたいな印象です(個人の勝手な感想です)。残されたわたしは、思い切り消化不良です。

 

でもどこかで、それが村上さんの意図なのだ、と読んだことがあります。いろんな解釈が成り立つ、玉虫色のものにしたい、というような。

 

そんな消化不良のストーリーが好きになったのは、その後、世の中は、たいていのものが玉虫色なのだ、と気づいたからかもしれません。

 

ある意味、すごくリアルです。

 

そして、とにかく面白い。

 

わたしに文学を教えてくれた大学の指導教授が、「文学作品としてどうのという前に、読者に『面白い』と思わせる作品は、それだけですごい」とおっしゃったことがあります。

 

「面白い」に、理屈はありません。理由をつけ始めると、その面白さの本質からどんどん離れていく気がします。

 

「よい」は、「よい」以上の言葉で語れません。他の人の「よい」とちがっても、それもまたよし、です。

 

「よかったねえ」「そうだね、よかったねえ」という会話で、そのよかったがぴったり合ってなくても、いいと思いませんか?

 

その意味では、村上さんは、小説を広い世界に連れ出していると言えるのかな、と感じました。

 

何かが発展していくとき、形ができていくのは自然なことなのかもしれません。その良さや恩恵もありつつ、気づかずに形にとらわれて不自由になることもあるかもしれません。

 

誰も、意図しているわけではなく、悪気もないのでしょうけれども。

 

だからこそ、枠から飛び出すようなことも、生まれてくるのかもしれません。もともとそれがあった、広いところに還るために。

 

そしてちらっと、わたしも、したいことは、太極拳を広いところに連れ出すことなのだ、と思うのです。吹けば飛ぶような小さな存在であっても、それを諦めていないし、どんな方法になるのかも、その時その時、手さぐりでしかないのですが。

 

さて、「蜜蜂と遠雷」に戻ります。

 

文章を読みながら、わたしの中に生きはじめた亜夜ちゃんや塵くんのピアノが鳴っていて、こんな音をリアルに聞きたい、と思っていました。

 

映画化された「蜜蜂と遠雷」には、最終審査で亜夜ちゃんがオケと弾く場面があります。プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番です(小説では、亜矢ちゃんが弾くのは2番ですが)。

 

亜夜ちゃんのピアノは、ピアニストの河村尚子さんが弾いており、それはストーリーにも合って、すばらしく素敵で鳥肌が立つような場面です。

 

でもそれとは別に、亜夜ちゃんと塵くんの特徴的な、さらっと楽しそうに即興で弾く感じは、なかなか感じられず、それは仕方ないよね、と思っていました。

 

そうしたら、そんな音を聞く機会も、やってきました。

 

作曲家でピアニストの中村天平さん。ヨーロッパ43か国を旅しながら公演するなど、まるで冒険家で、エネルギッシュです。お友達の弟さんというご縁で、コンサートに行かせていただきました。

 

Tシャツ、パーカーと、いたってカジュアル。ピアニストというより、ご本人は作曲家という意識が強いそうで、自作の曲ばかりです。どの曲にもストーリーがありました。ストーリーを聞いて音を聞くというのは、なかなかない、味わい深い時間でした。

 

そしてすごいのは、即興です。「これは〇〇のときに即興で弾いた曲」が、たくさん出てきます。

 

その日のアンコールは、亡くなった登山家の栗城さんの話からはじまりました。彼の生き方に共感する、と、ひとしきり語った後に、「それを即興で弾きます」と。

 

この方、弾く前のしぐさというか、感じというかが、ユニーク(唯一無二な感じ)なのですが、即興のときは特にそれを強く感じました。

 

弾きはじめたら、すごいです。どんどん出てくるのです。知らなかったら、誰もそれを即興だとは思わないくらいです。

 

音は、力強くてパワーがあって、でも温かくてとても優しいのです。知らないはずなのだけれども、懐かしくもあり、知っているような感じもあります(もちろん、本当は知らないのだけれど。)

 

すごく大きいところにつながっているような感じがしました。

 

わたしの中で鳴っていた亜夜ちゃんや塵くんのピアノとは、また違うけれど、どこか似ている感じです。

 

小説の中で、亜夜ちゃんの子供の頃のピアノの先生が、「身体の中に大きな音楽を持っていて、その音楽が強くて明るくて、狭いところに決して押し込められていない」と、亜夜ちゃんを表現します。

 

そして「スターというのは、以前から知っていたような気がするもんだよ」とも。

 

「観客たちが既に知っていたもの、求めていたものを形にするのがスターなんだね」と。

 

誰でもみんな、世界につながっているし、大きなところにもつながっています。でも、つながり方はそれぞれで、誰もがそれを、そのままこの世界に降ろせるわけではない気がします。

 

そんな必要も、ないですし。

 

できるからいいわけでもなく、人はそれぞれで、それでいいと思うのだけれども。

 

でもときどき、それをそのまま、ぼんっと見せてくれる人がいます。

 

表現方法はいろいろで、音楽や、小説や、お芝居や、映画、ダンスやボディワークとか、それぞれの方法で、大きいものを、そのまま見せてくれる人を、芸術家とか、アーティストというのかもしれません。

 

そんなときに懐かしく感じたり、心や体が震えたり、涙が出たりするのかしらね。

 

いい。生きることは、いいですね。

 

こういうものに触れると、居場所がないと感じていたり、悲しいことがあったり、もうダメだと思ったりしたときに、もうちょっと生きてみようか、と思えるのかもしれない、と思います。

 

わたしにとってのそれは、武当山だったのですけどね。

 

 

※青字は「蜜蜂と遠雷」(恩田陸 著  幻冬舎)からの引用です。

 

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

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