コップに半分はいった水

2019.12.05 Thursday

 

「コップに半分はいった水を見て、『半分しかない』と見るか、『半分も入っている』と見るか」

 

よく聞くたとえ話ですよね。

 

無い部分を見て嘆くのではなく、ある部分を大切にしようという考えは、ある状況、たとえば自分に厳しすぎる人には、効くと思います。

 

でも、この解釈を聞くと、「うん?ちょっと待て?」と思うのです。

 

なぜ空っぽの部分を嘆く必要があるのだろうか、と。

 

違う見方をすれば、それは余力で、可能性だからです。

 

器は、空洞があるから役に立ちます。全部埋められていたら、モノを入れるという素敵な展開は起こりません。

 

満たされていないところがあるからこそ、「まだまだできることがある」というのも、自分に力を与えてくれる解釈だと思います。

 

でもさらに、そもそも「なぜキミはコップという枠を指定するのだ?」と思ってしまいます。

 

それは完成を想定しているのではないでしょうか?

 

それも、人の能力や可能性を、頭打ちにしていることにならないかしら。

 

「大器晩成」という言葉があります。老子「道徳経」の第41章に出てくることばです。

 

ゆっくり成長する人や、大物は遅れてやってくる、みたいなときに使われますよね。

 

実は、「道徳経」には原本とされるものがいくつかあり、別の原本では「大器免成」と書かれているのです。

 

「大器晩成」は、7世紀、唐の時代に道教の布教の一環として、各地に建てられた石碑に彫られていたものです。長い間、これが原本とされてきました。

 

20世紀に入って、それとは別に、絹にかかれた原本らしきものが発見されました。大部分は同じですが、ところどころ、漢字が違っていたり、単語が抜けたり、あったりしたりと、違いがあります。こちらに「大器免成」と書かれていたそうです。

 

「大器免成」となると、大きな器は完成しない、となります。才能豊かな人は成長が止まることがない、決して完成してしまうことがない、という意味です。

 

わたしとしては、後者の方が老子らしい気がしますが、真相はわかりません。(そもそも、老子という人が実在しているのか、誰なのかも、そんなにはっきりしているわけではありませんし。)

 

そして、どちらも結局、同じような意味にも取れます。

 

「大器晩成」も、大物はゆっくり成長する、と、完成に重きを置かずに読むこともできます。

 

道士(道教の修行者たち)が、難解を言われる「道徳経」を、「読み続ければ、いつかはわかる」という心意気で読むのも、同じようなことだと思うのです。いつかはわかる、と言っても、完成を目指しているわけではないのだと思っています。

 

「道徳経」は、玉虫色みたいなもので、いろいろ解釈できます。これまで生きてきた経験などに照らし合わせたり、今の自分として読むことで、解釈は変わってきます。

 

答えはひとつではないところが難解とも言えますが、「どれも、またよし」と言われているような感じがして、懐が深いと感じます。

 

何ごとも、答えはひとつではなく、「わかった!」と思っても、それは次の瞬間、もしくは数年後には、また変ってしまう可能性もありますものね。

 

さて、「大器免成」に話を戻してみると、大きな器は完成しないのですから、コップという限界は想定していません。底なし沼でもあり、常に膨張している、とも言えます。

 

宇宙みたいですよね。存在しているし、すごく大きいけれども、どこまであるのかわからないし、膨張しているとも言われています。だからこそ夢やロマンを感じたりしませんか?「あそこには、何かがある。いろいろある。まだまだある」みたいな。

 

ちょっと劣性になってきた(かもしれない)コップの水だって、負けていません(勝ち負けではありませんが。)

 

半分しか入っていないところに、少しずつ満たしていくと、満杯になり、表面張力でぷくっと膨れた後に、ざーっと一気に外に流れ出しますよね。

 

自分を満たせば、自然と外に流れ出て行く、という感じかしらね。時期がくれば、ちゃんと外に出るのだから、自分を満たすべき時期に焦ることはないわけです。しかも、半分入っている水をすくい出すより、自然と流れ出るほうが、よほど勢いも、広がりもあります。

 

みんなの意識がちょっとずつ集まってきて、大きな流れを生み出す感じにもなりますよね。モノが流行るときは、こんな感じではないでしょうか。最初はポツポツだったのが、ある一定数を超えると一気に広がることもあります。

 

ひとつの事実も、解釈はいろいろです。

 

その解釈をしているのは、自分ですよね。事実は変りませんが、受け止め方は、自分次第で変わってきます。

 

どれが合っていて、どれが間違っていることも、ありませんよね。そのときの自分に力を与えてくれるもの、元気になるものがいいと思います。

 

それと同時に、その見方が唯一絶対のものではないことも、いつも感じていたいと思っています。

 

 

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☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

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