自分本来の生き方に還るには?

2019.12.04 Wednesday

 

「水」は、太極拳でも、タオの教えでも、よくたとえとしてとりあげられます。

 

老子「道徳経」第43章には、「世の中でもっとも柔かいものが、世の中でもっとも堅いものを突き動かす」とあります。

 

これは、水(世の中でもっとも柔かいもの)が、堅い岩石を十分に攻めることができるという意味です。硬くて隙間のないように見える岩石でも、水は滲み込み、長いときをかければ、岩石の形を変えることもできますよね。

 

老子はそれを、「無為の有益を知る」と言います。水は、その本性に従うだけで、何の意図もないから無為であり、それでも堅いものを変えてしまう働きがあるから有益である、ということです。

 

老子の教え(=タオの教え)には、「無為自然」ということばがあります。

 

天地自然に沿った行動や心の持ち方を身につけ、実践することで自分本来の生き方をおくることです。

 

水のたとえを聞いていると、「なるほど」と思う方もいらっしゃるでしょうが、「いや、人間はそうもいかないでしょ」と思う方もいらっしゃるでしょう。

 

人とは、意図をもって動く生きものですしね。

 

「無為」というと、「何もしなくてもいいのか」と思ってしまいますよね。

 

大元は、そうなのだと思います。人は存在するだけで十分価値があり、だから生まれてきたのだと思うからです。

 

ここが腑に落ちていないと、「何か付加価値を生み出す自分でなければ、価値がない」とか、成果を出す自分、評価される自分ばかりで、自分の価値を測るようになりがちになるような気がします。

 

何かを得ても、常に不安で、ひとつ失敗すると「終わった」ように感じてしまうこと、わたしには覚えがあります。

 

その頃のわたしに、「あなたは待つことを知らない。行動しないと何も起こらない、得られないと思っている。それは違う」と言ってくださった人々がいるのです、

 

「行動しなければ、成果はないでしょ」と、その忠告が腑に落ちることは、ありませんでした。

 

水は行動しないわけではありません。高いところから低いところに流れる、形を自在に変えるなど、”本性に沿った”行動をしますよね。

 

「行動しなければ、成果はこない」と頑なに思っていた頃のわたしは、水に例えるならば、それをケースに入れたりして、無理やり自由な流れを止めてしまったようなものだったのかもしれません。

 

石頭、と言いますよね。カチコチ、頑固な感じです。自由に流れる水とは真逆です。

 

頭の思考で、自然な流れを堰き止めていたとも言えます。

 

ちょっと想像すると、すごいパワーですよね。でも、ものすごく、くたびれそうです。その負荷が、当時のわたしにとっては、生きている実感だったのかもしれません。

 

そんな様子を見て、「もっと楽に生きられるのに。早くそうなってほしい」と言ってくれた人たちもいました。でも自分では、そんなに大変だと思っていなかったのですよ。

 

なんといっても、大変だからこそ、生きている実感があるわけで、負荷がない状態では不安になってしまうのですものね。どんなにくたびれても、やめるわけにはいかなかったのかもしれません。

 

ホントに、自分のことがまったくわかっていませんでした。わかろうと、していませんでした。

 

でも、頑張るのにも限界はあります。心身に不調をかかえるようになって、「このままではだめだ」と気づくようになった頃、太極拳に出会いました。

 

タイミングだったのか、太極拳に出会ったから気づいたのか、そのあたりはよくわかりません。

 

人生とは、こんな風に、自分で計画しない方が上手くいくこともある、という一例ですよね。

 

太極拳がもたらすものは、いろいろありますが、この”頭でっかち”だったわたしに効いたのは、体の無駄な緊張に気づいて、なくしていくという面でした。

 

まず、体の無駄な緊張に気づき、「これ、いらないよね」と取り去ると、もっとずっと楽になります。頭で考える前にまず動く時間をたくさん持ったことで、頭で考えるより、感じることを、優先できるようになりました。

 

それまでは、頭で考えて計画して行動する、というパターンで、”感じる”ゆとりを与えていなかったのかもしれません。自然な流れを堰き止めていますよね。

 

それを、まず感じて、それをもとに考えて行動する、と、変わりました。

 

「結局、頭は使うのね」と思いましたが、人間ですから頭を使うのは自然な行為です。ただ、感じてから使うことで、自分にかけていた無理な負担は、大きく減った気がします。

 

そして、「待つ」意味も、わかるようになりました。動けるようになるまで待つことも、できるようになりました(逆に言うと、そうなるまで動けないのですが。)

 

それから、心の緊張が、体の緊張を引き起こすことに気づいていき、体に現れた緊張で、心の状態に気づけるようにも、なりました。

 

心が頑なになっていると、体もカタくなり、それでは自然な流れを自分で堰き止めていることになってしまいます。

 

頑なになりそうなとき、「水」のイメージも、助けになります。

 

人の体は、6−7割が水です。地球の海の割合と、ほぼ同じです。

 

それだけの割合が水だということは、その性質を、たくさん持っていることでもあります。柔軟で、意図せず本性に沿って行動できるはずですよね。

 

そして、「流れる水は腐らない」というように、体の中も、無駄な緊張がなければ、ぐるぐるめぐって、つねに清浄にできますよね。

 

太極拳とは、老子の教え、タオの教えを体現化したものでもあります。

 

わたしは太極拳を通して、「無為自然」の意味を感じて、そして考え続けています。それは本来の自分の生き方に還る道でもあり、その時点のわたしが知っている範囲を、遙かに超える可能性を、いつも含んでいます。

 

「道徳経」43章には、「不言の教え」ということばも出てきます。水は、言葉で何かの意図を伝えるわけではないので、水から学ぶ教えは不言の教えです。言葉を超越した教えでもあります。

 

太極拳も、わたしにとっては、そんな存在なのだと思っています。そこには言葉で尽くせる以上の先人の智慧が、詰まっているものですから。

 

 

(参考:「老子」蜂谷邦夫訳注 岩波文庫)

 

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

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