上手くいく、いかないではなく、あるのは経験だけ

2019.11.08 Friday

 

武当山の秋のお稽古から帰ってきたあと、通常クラスでも站椿功を取り入れています。

 

木を抱えるように腕を前にあげる形を、みんないっしょに、10分くらい続けます。

 

やり方とコツはお伝えしますし、途中で直すこともありますが、基本はそれぞれ自分で取り組みます。

 

肩や腕が痛い場合は、どこかに緊張や滞りがあります。バランスもとれていません。

 

緊張があるからバランスが取れていないのか、バランスが取れていないから緊張があるのか、どっちもありえます。

 

それを自分で探っていきます。

 

ひとりですると諦めてしまうことも、みんなでいっしょにすると、持続できることもありたす。みんなの勢いに、お互いに乗りあえるのは、グループレッスンのいいところです。

 

あれこれ探ってもらうとはいっても、どうしてもキツくなることもあります。

 

そんなときは、「腕を下ろして、仕切り直してもいいですよ」と、言っています。ただし「あとで、なぜ腕を下ろしたのか聞かれたときに、答えられるようにしてね」と付け加えます。


自分で意識してもらうためなので、実際には、ほとんど聞きませんが、

 

これは昔、気功の先生に言われた言葉でもあるのです。

 

「呼吸が苦しくなってきた」とか、「腕が痛すぎて」とか、感じたとおりでいいのです。

 

理由を意識することで、同じ出来事が、続けられなかったという失敗ではなく、ひとつの経験として捉えやすくなる気がします。

 

太極拳のお稽古でよく感じるのは、すべては経験でしかないことです。上手くいったとか、いかないとかは、成功と失敗とみることもできますが、経験の価値は、どちらも同じです。

 

上手くいかないから、「何かが違うんだな」と感じることもできますし、

 

上手くいかないことがあるから、上手くいったときに「これだ!」とわかります。

 

上手くいったとき、その感覚をじっくり味わうのも、いいものです。

 

でも、そもそも「これだ!」と思っても、過去との比較での「これだ!」だったり、現時点の自分の感覚、つまり狭い世界の中での「これだ!」であることも、あります。

 

もうちょっと先に進むと、「あれじゃなかった、これだ!」がやってくることもあります。

 

絶対的な”これ”はありませんが、だからこそ、上手くいってもいかなくても、どんなことも価値ある経験になります。

 

自分の体と心で、経験と発見ををしていくことが、お稽古の楽しさでもあります。

 

人生も、同じじゃないかな、と思ったりします。

 

上手くいかなかったときのダメージは、はるかに大きかったり、トラウマになるものもありますよね。

 

それでも、長いスパンで見たときには、その経験があるから、「これじゃない」ことに気づいて、今があると感じることも、多くあります。

 

後からみたら、もっと違う角度から過去の出来事を見ることもできますしね。視野が狭かったのかもしれませんが、そのときは、状況、環境、その他いろんな要素が組み合わさった中で、それが精一杯だったのでしょうから、もう仕方ありません。

 

すべて起きたことを前向きにとらえよう、と言いたいわけではありません。辛いのにもかかわらず、「これも人生勉強なのだ」とす前向きにとらえるのは、傷口がふさがっていないのに、ムチを打つようなことにも、なりかねません。

 

辛いことは辛いと認めるほうがいいですし、直視できないものは、とりあえずは逃げてもいいと思っています。

 

時間は偉大で、いつかは、辛かった出来事でも、穏やかに見ることができるようになることもあります。そのタイミングが自然にくるまでは、逃げていてもいいのではないかしら。

 

站椿功の話に戻ります。10分という時間が長いのか、短いのか、わかりませんが、1時間半とか2時間のお稽古の中で、みんなで取り組むには、今のところ、適当な時間だと思っています。

 

そしてこれが、脚を育て、体を育て、バランス感覚を育て、感じる力と反応する力を育て、心を穏やかにし、パワーを蓄える方法だと思っています。

 

わたしの今の先生(武当玄武派第十六代伝人 明月師父)は、站椿功が好きで、それは「パワーを蓄えることができるから」と話していたことがあります。

 

以前習った気功の先生も、「站椿功をするだけで、すごく健康でいられると思う。それをじっくり研究したい」と話されていたことがあります。

 

やってみると、いろいろでてきます。「無理と思ったけれど、辛くなくて驚いた」とか、「これをやった後のお稽古は、腕が自動で動いてくれる感じがする」という感想もありますし、

 

以前にやったときは続けられなかった人でも、次は最後まで続けられることもあります。

 

人って、どこでどうなるか、わからないのです。これまでの様子は参考になることもありますが、それよりも目の前にいる人を、フレッシュな目で見る方が大切です。そもそも、目の前にいる人の中に、それらの過去の経験も、ぜんぶ入っているわけですしね。

 

「これ、無理」と落ち込んでいた人が、次には「〇〇が痛いのだけれど、どうしたらいいのでしょう」と、前向きに取り組む姿勢を見せてくれることもあります。”取り組む”ことは、本人にしかできませんが、そのためのヒントや解決策は、一緒に探ります。そのためにいるのですしね。

 

もちろん、「ただ痛いだけ」という場合も、あります。「痛い」という経験も、体を壊す危険性がない範囲であれば、大切です。それを感じられるだけ、よく頑張った!ということですよね。

 

ひとりでする場合、10分でも続けるのが難しいこともありますよね。そんなときは、テレビを観ながらでもいいのです。

 

わたしは1回30分するのですが、家の中なら音楽をかけますし、ドラマを観ながらするときもあります。先日までは、ラグビーを観ながらやっていました。

 

武当山でみんなでテレビを観ているとき、先生が站椿功をしていることがあったのですよ。それで「そうか、それもありなのだ」と、勝手に思ったのです。

 

忙しい毎日の中で時間を見つけるのは大変だったり、ひとりでは難しいこともあります。だからこそ柔軟に、”ながら”站椿功でもいいと思います。それでも十分、体は育ちます。

 

「お稽古とは、集中してするものだ」とか、「上手くいくのがよくて、上手くいかないのはダメ」というのは、どちらも”ねばならない”ですよね。無自覚に持っている思い込み、幻想です。

 

お稽古という体験は、そんな幻想に気づかせてくれる時間でもあります。

 

それが、どこかで日常の過ごし方、感じ方、反応などに、反映されていくのではないかしらね。意識しなくても。

 

【11月の特別クラス】

11月10日(日)14:30-16:30「はじめての形意拳」 詳細とお申込方法はこちら

 

11月16日(土)14:00-16:30「ホントにはじめての武当太極拳・気功」 詳細とお申込み方法はこちら

 

11月17日(日)14:00-16:30「たのしい太極扇」 詳細とお申込み方法はこちら

 

11月24日(日)14:00-16:30「やさしい站椿功:しあわせを呼ぶ7つのステップ」 詳細とお申込み方法はこちら

 

☀「陽だまり」とは

「陽だまり」のイメージは、縁側にのんびり座り、暖かいお日様の光が射しこみ、ぬくぬく、まどろむような時間と空間です。縁側は、なくても生活できますが、あると居心地が良く、今、とても失われている”あそび”や”ゆとり”だと思うのです。モノも置かれておらず、いつもキレイで、りん、とした印象もあります。太極拳を通して、陽だまりのような場を創っていきたいと思っています。

 

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いしい まゆみ(道号:静慧)/ みんみん)

太極道家

講座のご案内は、こちらからどうぞ。

 


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